1
酒場は空閑や千佳たちと同じ、仮入隊員。一月八日の入隊式を控えている。年は修の二つ上で、現在高校二年生。今年の十月末に三門市に越してきたらしい。迅や空閑と同じスコーピオンの使い手。どことなく木虎に似た、険しい目つきの美人だが、その性格はかなりゆるめだ。
「ほうほうそうか、私に後輩ができたか」
修たちが玉狛でチームを組むという話を聞いた彼女は、そう言うと嬉しそうに笑っていた。
「わからないことがあったら何でも相談しろよ。私にもわかることだったら教えてやるし、私でもわからないことだったら、レイジかとりまるか宇佐美か光に回してやるからな」
頼りになるんだかならないんだかわからない言葉を吐いてどんと胸を叩く酒場。修は「はあ……」と言う他なかった。
「こう見えて
宇佐美がそう紹介すると、小南が「いや別にそんな良い勝負してないし」と言いながら恨めしそうな目で酒場を見る。良い勝負をしているらしい。酒場は「『こう見えて』……」と宇佐美のセリフを反芻してフリーズしていた。軽いショックを受けたらしい。
小南は空閑に九対一で勝ち越した実力者だ。その小南と「良い勝負」をする酒場の実力はいかほどか——それはすぐにわかった。「さけちゃん先輩とも戦ってみたいな」という空閑の申し出を、彼女が受けたのだ。
「ほう、良いだろう。言っておくが私はこなみのような無様は晒さないからな。心してかかってこい」
「何よ無様って!? 遊真! いいからこいつをボッコボコにしてやりなさい!」
「了解。こなみ先輩」
そう言って空閑はブースに入る。酒場も「ふふふ」と不敵な笑みを伴って空閑に続いた。
十戦やった結果、こちらも九対一で空閑が敗北した。空閑が酒場に対して勝利を収めたのはこれまた小南戦と同じ、最後の勝負。「ありえない……この私が……?」と、ついさっき聞いたような台詞をぶつぶつ呟きながら、酒場は部屋から出てきた。
「ふむ。つよいな」
これまたさっき見たようなボンバーヘッドを直しながら空閑が呟く。
(酒場先輩も空閑相手に九一……。まだ空閑がボーダーのトリガーに慣れていないとはいえ、玉狛の隊員のレベルが高いっていうのは本当なんだな……)と、先ほど自身をフルボッコにした烏丸京介も含めて、修はそう実感した。
見た目こそ知的な印象を持たせる酒場だが、実際のところ戦闘面以外では小南か、あるいは空閑と同じ匂いがした。それを象徴するエピソードの一つに、こんなものがある。
修が玉狛支部所属になってから数日後、酒場が駄菓子屋で瓶詰のコーラを買ってきた。それは良いのだが、あろうことか彼女はスコーピオンで瓶の口をぶった切って瓶を開封した。「蓋開けが見つからなかった」らしい。それでよくそんな解決法にたどり着いたなと呆れてしまいそうになるが、彼女は大真面目のようだった。
「蓋開けはここですよ」と京介がキッチンの引き出しを開けて酒場に教える。「ああ、そんなところに」酒場は感心したように腕を組みながら何度も頷いていた。彼女はとりまるに礼を言うと蓋開けを借り、もはや蓋の意味を為していない王冠と瓶の口をそれで分離させる。
「これでよし」
彼女は満足そうだった。
ズレている。空閑とはまた違う方向に浮世離れしている。空閑のそれは彼が異文化圏に長らく住んでいたことが理由だが、酒場にはそのようなもっともらしい理由がない。おそらく天然だ。天然ものの変人である。
「三雲、お前も飲むか?」
ごくごくと美味そうに喉を鳴らしながらコーラを飲む酒場の様子をじっと観察していると、彼女は自分が修の視線に当てられていることに気づいた。そして修もコーラを飲みたいのだと勘違いしたらしい。飲みかけのコーラを修に差し出してくる。「あ、いや。ぼくは……」「切り口に気をつけろよ。鋭いからな」本人にとっては無理やり押し付けているつもりなど毛ほどもないのだろうから、尚更始末が悪い。修も一応は思春期真っ盛りの中学三年生だ、異性の先輩の飲みかけコーラをくれると言われて、完全な平常心は保てない……いや、別に酒場が好きとかそういうわけではないのだが。
「ん? もしかして炭酸は苦手か?」
酒場は言った。「いや、そういうわけじゃないんですが……」酒場の頭にクエスチョンマークが浮かび上がる。「遠慮なんかしなくていいぞ。金を取ろうなんて魂胆はない」当たり前だ。そんな心配していない。
「修が遠慮するならおれが貰いたい」
しどろもどろになっていると、横から空閑がひょいと現れて酒場にコーラをねだった。彼は酒場の持つ瓶の中の黒い液体に興味津々である。
「切り口に気をつけろよ」
酒場から瓶を受け取った遊馬は、目を光らせて瓶内部の液体を一通り観察したのち、切り口に口をつけてまず一口飲んだ。「んっ?」炭酸の刺激に驚いたらしい。すぐに口を離す。
「なんだこれ、毒か?」
「毒じゃない。コーラだ」
酒場が教える。
「コーラ?」
酒場はこくんと頷いた。
「アメリカ人の飲み物だ。奴らの体の60パーセントはハンバーガーとこれでできている」
「ふむ、そうなのか?」
本当なのかという表情で空閑が修の方を見る。「いや、冗談だ」とフォロー。「なに!? 冗談だったのか!?」と、なぜか酒場が驚愕の声をあげた。本気で言っていたらしい。
「おい小南! あれは冗談らしいぞ! またとりまるに騙された!」
「ええっ!?」
向こうのソファに座っていた小南が振り向く。
「ちょっととりまる!? 昨日データとか統計とか使ってもっともらしいこと言ってたじゃない!? あれ嘘だったの!?」
「すみません嘘です」
小南と一緒に騒ぐ酒場。最初は少し近寄りがたい年上の先輩という印象だったが、次第に、戦闘では頼りになるが基本的には抜けた人という判定が修の中で酒場に下された。
2
「ホンットーにありえない……!」
朝九時半、玉狛支部。
例によってぶつぶつ呟きながら訓練室から出てきた小南は、机に置いてあった水筒をとってヤケクソ気味にあおる。「うはは。辛いだろうがこれが現実だ。甘んじて受け止めるのだな小南」遅れて訓練室から出てきた酒場が勝ち誇った顔で言った。
此度の十本勝負、勝率は小南が4で酒場が6。酒場が小南に勝ち越したのだった。
「おー、酒ちゃんとうとうやったねー。こなみは攻撃手ランク三位なんだよ?」
モニターで様子を見ていた宇佐美がゆるく称賛の言葉をかける。
「そうなのか? この前一位だとか言っていたが」
「ああそうだね……強さって複雑だから」宇佐美は適当にざっくりまとめて言った。このタイミングで小南の素晴らしき実績を語っても微妙に格好がつかない。当の小南はソファにダイブしてクッションに顔を埋めていた。
酒場の成長速度は異常だ。
成長速度というか、もともと剣の実力があって、トリオン体にようやく慣れてきたと見た方が正確だろうか。それにしても、彼女が初めてトリガーを起動したのは二週間ほど前のことだ。強い。強すぎる。
不自然なほどに。
「さぁて良い汗かいたことだし、ひとっ風呂浴びてくるかな——」
「待ちなさい!」
ジジ臭いセリフを放ちながら階段の方に歩き出した酒場の服の裾を、小南が掴んで止める。それで襟元がつまったらしく、酒場は「ぐえっ」と変な声を上げながら二歩ほど後ろに戻った。「勝ち逃げなんて許さないから! もう十戦よ、もう十戦!」
すると酒場はにやりと悪く笑ってこう言った。「うーんどうしようかなあ。もう何回やっても結果は同じだと思うからなあ。お願いしますとか言われたら考えてみないこともないのだが」
そしてちらっちらっと小南を見る。外見的には超然とした雰囲気を持つ酒場だが、意外にも根は俗っぽい。
というか普通に性格が悪かった。
「調子に乗りおって……!」
びきりと額に青筋を浮かべる小南。だが結局はプライドよりも再戦の欲の方が勝ったらしく、もう十戦お願いしますと酒場に頭を下げた。二人は再び十度の死闘を繰り広げ、今度は五対五で引き分けた。勝負はそれで終わらず、「これじゃ納得できない」と二人ともが主張してさらにもう十戦。お互いに一歩も引かなかったが、これはロクヨンで小南が制した。
「もう一勝負お願いします……!」
今度は酒場がうぐぐと謎の音を出しながら小南に頭を下げる。「仕方ないわねえ♪」と、勝ち誇った笑みを浮かべながら小南はそれを了承した。
勝負は延々続く。一時間ほど経って空閑が支部に顔を出した時、二人はまだ十本勝負を繰り広げていた。
「おはよう遊真くん」
「おはようしおりちゃん……お、先客がいる」
一応、空閑は小南の弟子だ。今日も十本勝負をやりに来たのだろう。酒場と小南の此度の十戦は……5対4で酒場がリードしている。今、最後の一本が始まった。
「さけちゃん先輩ってなんであんな強いの?」
空閑がなにげなく宇佐美に訊く。
「お父さんから剣術を習ったって言ってたよ」
「ほう。お父上から」
「そういう意味じゃ、遊真君と同じだね」
「……」
小南と酒場の戦いが佳境に入った。互いの呼吸が噛み合い、後戻りの効かない激しい剣戟を繰り広げる。どちらかがどちらかを斬り伏せるまで仕切り直しはないだろう。
「いやあ、こなみは良い弟子と良いライバルに巡り合えたねえ」
宇佐美は保護者目線でしみじみとそう語った。
勝負がつく。
訓練室の扉がウィンと開き、そこからウキウキで出てきた酒場が「よし勝った! 次はお前が土下座だ小南!」と高らかに宣言している様を、空閑は不思議そうな目で見ていた。
3
玉狛の上階からガタガタガシャンというけたたましい音が響いた時、一階にいたのは雨取千佳だけだった。
時刻は午後一時。何事かと驚き、おっかなびっくり二階に上がるが変化はない。では三階か? 階段を登って廊下の角から奥を覗くと、普段みんなが過ごすリビング・ダイニングの一つ横の部屋の扉が開いていた。すると「ぐはあっ!」という声が部屋から聞こえる。酒場の声だった。よかった不審者じゃなかったと胸を撫で下ろす一方、酒場さんは何をしているのだろうと興味が湧く。
「ぐはあ」ということは何か物を倒したりしてしまったのだろうか、だったら手伝った方がいいんじゃないかと考え、「大丈夫ですか?」と声をかけつつ扉に近寄った。
「へぇっ!?」
すっとんきょうな声をあげる酒場。彼女は部屋の真ん中で倒れた書棚を持ち上げていた。「だ、だ、だ、大丈夫だ。ははは……。私としたことが、ちょっと本棚を倒してしまっただけでな。ああいや別にこの部屋に入ったのはただなんとなくで特に深い意味はないのだが」
一度書棚を地面に置き、挙動不審気味に手をわちゃわちゃさせる酒場。聞かれてもないことを答えているし、普段はまず見せないような愛想笑いをしている。怪しい。不審者よりも不審者している。しかし千佳には酒場がここで何をやっていたのか追求する種類の強かさを備えていなかった。
「あ、そうなんですか……」
「そうなのだ。実にそうなのだ」
酒場は何度も頷いた。
「……手伝いますか……?」
「ん!? あ、いや、ええと、その、そうだな、ああ、うん。大丈夫だ。一人でできる」
案の定というか、酒場は千佳の申し出を断った。千佳は「そ、そうですか……」と微妙な間合いを測りつつあとずさり、隣の居間に退散する。手伝われると困る事情がありそうだった。
何をするでもなくソファに座った。本当は自主的な訓練をするために玉狛まで来たはずなのだが、千佳の頭の中は酒場の奇妙な行動でいっぱいになってしまっていた。あの人はなんであんなところにいたんだろう。何をしていたのだろう?
五分ほどして酒場が居間に姿を見せる。居間に千佳の姿を認めた彼女は「よ、よう」と千佳に挨拶する。ぎこちなさ満点だった。千佳も酒場の距離感に合わせて警戒しつつ「お疲れ様です……」と呟くように言う。
「……チカ。その…………アイス食うか?」
キッチンに置いてある冷蔵庫の前でしばらく謎にゆらゆらしていた酒場は、千佳にそう訊いてきた。
それが口止め料だということを理解した千佳は、ほぼ反射的に「いただきます」と応答していた。無論、アイスに目が眩んだわけではない。季節は十二月。アイスを食べる時期じゃない。それは酒場との関係を修復する最も有効な手段が見つかったからだ。
「そうか! 実はさっき私が買って冷凍室に入れといたんだがな、バニラとストロベリーとチョコミントがある。どれがいい?」
「えっと、じゃあ、バニラをいただきたいです」
「そうかそうか!」
酒場は嬉しそうに何度も縦に頷いた。その笑顔は屈託なく、晴れやかだった。裏表を作れなさそうな人だなあと千佳は思う。酒場は冷凍室からそれぞれバニラ味とチョコミント味のカップアイスを取り出すと、スプーンを二つ引き出しから出してダイニングテーブルに移動した。それを見て、千佳もソファから立ち上がり、テーブル席に座る。
二人で仲良く「いただきます」を言い、季節外れのアイスを食べた。久しぶりのアイス(市販品)だったが、味は変わらず、美味しかった。
「チカ。実はその……一つ、お願いしたいことがあるのだが……さっきの私の醜態、秘密にしておいてくれないか?」
食べ終わった後、酒場は何やらもじもじしながら千佳にそう頼み事をしてきた。その仕草が、普段の戦闘時からは想像しづらいもので何だか可愛く、千佳はにこりと笑いながら「はい。わかりました」と、酒場の頼みを受け入れた。結局酒場が隣の部屋で何をしていたのかは謎のままだったが、きっとそんなに大したことでもなかったのだろう——数日経った頃、千佳はもうそのことを思い出さなくなっていた。