1
一月八日、ボーダー隊員正式入隊日。
ボーダー本部の大広間にはこの日正式入隊を果たす多くの訓練生たちが集っていた。その中には、隊服の肩に猫の肉球のようなエンブレムをつけている四人組もいた。玉狛のC級隊員三人と、付き添いで来た修である。
「——君達は本日C級隊員……つまり訓練生として入隊するが、三門市の——そして人類の未来は君たちの双肩に掛かっている。日々研鑽し正隊員を目指してほしい。君たちと共に戦える日を待っている」
「あーあー喜んじゃって……素人は簡単でいいねえ」
歓声に混じって、すぐ後ろからそんな声が聞こえてきた。訓練生だ。後ろには訓練生が三人ほど固まって立っていた。何やら訳知り顔である。
「なあそれどういう意味?」と空閑が声の主に尋ねる。「なんだこいつ」「頭 白っ」と、別の声が言う。
「無知な人間は踊らされやすいって意味さ」先ほどの声が答えた。「嵐山隊は宣伝用に顔で選ばれたやつらだから、実際の実力は大したことないマスコット隊なんだよ」
と、彼は言う。「ボーダーの裏事情を知ってる人間にとってはこんなの常識。知らなくてもちゃんと見てれば見抜けるしな」
「ふうん。そうなのか」と酒場はすんなり頷く。だがそれと対照的に、空閑と修は懐疑的な表情をしていた。
「——さて。これから入隊指導を始めるが、まずはポジションごとに分かれてもらう。攻撃手と銃手を志望する者はここに残り、狙撃手を志望する者はうちの佐鳥について訓練場に移動してくれ」
嵐山が訓練生たちに指示を出す。「一人で大丈夫か? チカ」と空閑が千佳に訊くと、千佳は「うん、平気」と健気に答えた。千佳と別れ、空閑たちは嵐山について行く。その後はどうすれば正隊員に上がれるのか説明を受けた。それぞれが使用している訓練用の武器に割り当てられた武器ポイント——習熟度のようなもの——を「4000」まで上げること、それが正隊員になる条件とのことだった。
「お、さけちゃん先輩は最初からかなり高いな」
空閑が自分の右手の甲に表示されるポイントと酒場のポイントを見比べてみて言う。空閑のポイントが1000であるのに対し、酒場のポイントはなんとびっくり「3100」。4000まであとたったの900ポイントだ。
「そうだな。そういえば林藤支部長が『小南に十本勝負で勝ち越したからポイントあげておくよ』とか言ってた覚えがある。あの時は何のことだかよくわからなかったが、これのことを言っていたのか」
「ふむ。こなみ先輩に勝ち越し……それが条件か」
「遊真は勝ち越せてないからな!」
へっへーんと空閑を揶揄する酒場。まじで嬉しそうだった。修と空閑は呆れと哀れみの中間あたりの感情から出た汗を頬にかいた。
だが、その後に行われた大型近界民との戦闘訓練では酒場が1.2秒の記録だったのに対して空閑が0.4秒と、空閑の方に軍配が上がった。
ちなみに、酒場がこの訓練をやったのは空閑の後なので、速い記録が出たというざわめきはあっても空閑のそれと比べると微妙に盛り上がりが劣っていた。
「ううう……! 私の方が強いはずなのに……!」
と、酒場は本気で悔しがる。「まあまあ、空閑の方が体重が軽いので素早く動けるんでしょう」と修がフォローしようとするが、どうやらこれは逆効果で、「私がデブだとでも言うのかお前は!?」と、しち面倒くさい絡みを仕掛けてくる。扱いにくい先輩だった。
「そんなこと言ってないですよ……!」トリオン体の首を締められながら弁明する修。
「私はスリムだ! ぱーふぇくとぼでぃだ! 痩せてて美人だと言え!」
「酒場先輩は……痩せてて……美人です……」
「よろしい!」
拘束を解き、どかっと修の尻を叩く酒場。修は「おわっ」とバランスを崩して前に二、三歩出てしまう。トリオン体ゆえに痛みなどはほぼ皆無だが、何かしらの何かで訴えられても文句は言えないムーブをかます酒場だった。
「あれが迅の後輩……」
そんな様子を二階のギャラリーから見下ろす視線が三つ。A級三位、
風間隊隊長風間
「そうですか?」
「素人の動きじゃないですね。やっぱ近界民か……」
「ああ」と風間は遼が言外に持たせた含みを肯定する。
「注視しておけ。迅の予知では奴はまだ何の行動も見せないとのことだが、用心するに越したことはない」
「やっぱリスキーじゃないですか? 早めに始末するべきですよ」
菊地原が風間に言うが、風間は首を横に振る。
「あれは決定事項だ。酒場佳子を処分するのはまだ早い」
2
「ねえ、あの人は誰なの?」
酒場が少し遠くに離れた時を見計らって、
「あの人って、酒場先輩のことか?」
「『酒場』っていうの? 見たことないけど、あれもあなたのもともとの知り合い?」
「いや。酒場先輩と初めて会ったのは玉狛支部だよ」修はそう言った後、小声になって「……近界民ではないぞ」と付け足す。木虎は「ふうん」と頷いた。
「明らかに戦い慣れしてる動きよね」
「ああ。お父さんが剣術家らしくて、手ほどきを受けたとか聞いてるよ」
「へえ……」
木虎は酒場の様子を目で追う。「彼女もあなたたちの隊に入る予定なの?」再び修に訊く。だがそれに答えたのは修ではなかった。
「いや。あいつは俺たちの隊に入る予定だ」と、烏丸京介が答えた。
「か……か、か、か、烏丸先輩……!」
木虎がどもりつつ彼の名前を呼ぶ。「おう木虎。久しぶりだな」と挨拶した京介は修に視線を向け、「悪いバイトが長引いた」と謝る。
「どんな感じだ?」
「問題ないです」と修。「二人とも、かなり目立ってますけど……」
「まあ目立つだろうな」
空閑と酒場の周りには訓練生が集まってちょっとした人だかりになっている。二人はともに他のC級隊員から「俺たちと組もうぜ。強者同士が手を組めばより上を目指せる」と誘いを受けて、ともに断っていた。
「な……!?」
「三雲くんと組むんだろう?」と、嵐山が二人に問う。空閑は頷いたが、酒場は首を横に振った。
「いや、私は小南たちのチームに入る」
「へえ、そうなのか」
酒場が玉狛第一部隊に編入されるというのは前々から決まっていたことらしい。ということは、酒場専用とも言えるような特殊武器もいずれは製作されるのだろう。
3
入隊式後初となる合同訓練においても、空閑と酒場は圧巻の成績を見せた。ともに満点なのは当たり前で、戦闘訓練の他、機動力を計る地形踏破訓練においては空閑一位の酒場二位。隠密行動訓練でも空閑一位に酒場二位。探知追跡訓練では酒場一位の空閑二位と、全ての訓練において玉狛二人はツートップを飾った。
「なぜだ、なぜ勝てない……!」
相変わらずの酒場の負けず嫌いが発動するが、空閑はもう慣れたもので、適当に対処した後、嵐山隊の時枝充とともにC級ランク戦のロビーへと向かった。そこでランク戦のやり方を教えてもらい、C級の新3バカからポイントを毟り取る。一通り終わって自販機で飲み物を選んでいると、空閑の手からお釣りがこぼれ落ちる。床を転がった銭は、向こう側から歩いてくる誰かの靴に当たって止まった。
三輪だった。隊服ではなく、学生服を着ている。心なしか前に会った時より疲れているような、追い詰められているような雰囲気を纏っていた。
「我が物顔でうろついているな……近界民……」
彼は空閑を睨んで言う。
「あんたは……『重くなる弾の人』」
と、名前を知らない空閑は三輪を武器の特徴で呼んだ。
そこに「どこに行っていたんだお前〜!」と迷子になりかかっていた酒場がふらりと現れて空閑に絡んできた。突然の乱入者に三輪は驚く。一通り空閑にうだうだした後、酒場は三輪に気づいてこう言った。
「お、三輪君。奇遇だな」
酒場は当然ながら三輪の名前を知っている。
「さけちゃん先輩、知り合い?」
「ああ。クラスメイトで隣の席だ」
「な、三輪君」と同意を求めてくる酒場。三輪は反応に困るが、結局は頷くしかなかった。
三輪は足下の小銭を拾うと、一瞬だけ恨みでもあるようにそれを睨むが、何も言わず空閑に返す。そして自分も自販機に小銭を入れて飲み物を購入した。
「元気ないね。前はいきなりドカドカ撃って来たのに」
「ドカドカ?」
酒場が訊く。「おれがボーダーに入る前のゴタゴタで戦ったんだよ」
「ふうん。三輪君て強いのか?」
「強かったな。腕をもがれた」
自分のすぐ横で自分の話をされるのは率直に不快だった。三輪はさっさとその場から立ち去ろうとした時、「おっ! 黒トリの白チビじゃん!」と新たな人物が登場する。カチューシャをつけた男子高校生、
「がんばっとるかね? しょくん」
米屋に肩車されている陽太郎がキラーンと星を出して言う。「そういやボーダー入ったんだっけか!」と、米屋は嬉々として空閑に絡んできた。
「『ヤリの人』とようたろう……? なんで一緒にいんの?」純粋に空閑が問う。
「クソガキ様のお守りしてんだよ」「陽介はしおりちゃんのイトコなのだ」「ほうしおりちゃんの。玉狛と本部は思ったより仲が悪くないのか……?」「しおりちゃんととりまるは一年ちょっとまえまで本部にいたからな」「今もたまに本部に来てるし」「へえ オサムと似たような感じか」
そこで初めて米屋は酒場を見て言う。「で、あんたはどちらさん?」
「私か。私は酒場。玉狛の訓練生だ」と、酒場は肩についた玉狛のエンブレムを米屋に見せる。米屋は納得したようにゆっくりと首を上下に振った。
「あー、噂の転入生か。あんた三輪と同じクラスだろう?」
「そうだ。君は誰だ?」
「米屋陽介。秀次といっしょに隊組んでるモンだ。よろしく」
「三輪君の仲間か。よろしく」と答える酒場。「今日はこれから防衛任務でもあるのか?」隊員が二人本部にいることから出した予想のようだが、それは外れていた。
「いや。俺は暇だけど」米屋は三輪に目を向けて言う「秀次、おまえはなんか会議に呼ばれてなかったっけ?」。
そこは三輪にとってあまり立ち入られたくない話題だった。
「……風間さんに体調不良で欠席すると言ってある」
「ふむ。体の調子が悪いのか」得心がいったように空閑が言うが、「ちがうちがう」と米屋が余計な修正を入れる。
「近界民をぶっ殺すのは当然だと思ってたのに、最近まわりが逆のこと言い出したから混乱してんだよ」
「あーそっか。お姉さんが近界民に殺されてるんだっけ」
「……!」三輪は思わず振り返り、空閑を睨む。「なぜそれを……!?」
空閑が口を開く。しかし三輪の問いに対して、返ってきたのは回答ではなく提案だった。
「仇討ちするなら力貸そうか」
「……!?」
一瞬、理解ができない。近界民が近界民の仇を討つ手伝いをする? どういうことだと、本気でわけがわからなかった。
「おれの相棒が詳しく調べれば、お姉さんを殺したのがどこの国のトリオン兵か、けっこう絞れるかもよ? どうせやるなら本気でやったほうがいいだろ」
「……」
空閑の話をそこまで聞いて、ようやく意味がわかった——言葉の意味がわかったというよりは、近界民と玄界の民の「近界」への理解の差を認識した。
近界民には「近界民」という集団の括りが存在しないのだ。確かに近界民が「我々は近界民だ」と自称するのは、宇宙人が「我々は宇宙人だ」と自称するのと同じ違和感がある。空閑は「国」と表現したが、近界民たちの集団的な帰属意識はおそらく「どこの国の人間」かどうかが最大なのだろう。
そんなようなことを三輪は認識する——本来なら理解などしたくもない事実だったが、優秀な三輪の頭脳はそれがわかる。故に、自分の憎しみをどこにぶつければ良いのかわからなくなる。
「ふざけるな……!」
感情が爆発し、単純な言葉になって噴出する。「お前の力は借りない……! 近界民は全て敵だ……!」
それは矜恃であり、意地であり、誓いであり、弱さだった。それだけ絞り出すと、三輪は空閑の前から去る。
「おい秀次、どこ行くんだ?」
「……会議に出る」
振り向むくことなく米屋に答える。酒場がいつになく真剣な表情で自身の背中を見つめていたことに、三輪は気づかなかった。
「そうか……三輪君も復讐心がモチベーションなのか」
三輪が去った後、酒場の独り言が漏れ聞こえて空閑は「?」と彼女の方を見る。
「三輪君『も』って?」
「ああいや……」
酒場は少し困ったように喘ぐが、結局は軽く空閑の問いに答えた。
「私もそんな感じでな。まあ別にそんな大したあれじゃないんだが、きっかけはそうなんだ」
「ふうん」
空閑は頷きながら、しかし事前に聞いている情報と何か矛盾が起きているような感覚がして、それが何か考える。酒場は確か今年度の十月に三門に越してきたはずだ。家族が近界民に殺されたとは考えにくい——ああいや、三門に住んでいた親類が殺されたり、三門に持っていた土地や不動産が近界民によって破壊された可能性は考えられるか。あと、三門以外の地域に開いた近界の門によって親しい者に犠牲が出たケースもある。レアケースではあるが、全くありえない可能性ではない。
黙り込んだ空閑に「どうした?」と酒場が声をかける。「ん、大丈夫」と空閑。二人の会話がひと段落したのを見計らって米屋が口を開く。
「そういやオレと白チビは勝負する約束だったよな。ヒマならいっちょバトろうぜ!」
「ほほう、そんな面白そうな約束を取り交わしていたのか」酒場は興味津々の表情で空閑と米屋を見比べる。米屋が笑っているのに対し、空閑は不思議そうな顔をしていた。
「正隊員と訓練生って戦えるんだっけ? かざま先輩は戦ってくれなかったけど」
「ポイントが動くランク戦は無理だけど、フリーの練習試合ならできるぜ。風間さんはプライド高いからガチのランク戦で戦いたいんだろ」
オレは楽しけりゃなんでもいーんだと言いながら米屋は空閑たちを対戦ブースへ急き立てる。陽太郎と雷神丸と酒場も一緒にそちらへ向かった。