新隊員:酒場佳子   作:後菊院

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今回、なんかやたら日野を推してますが、特に深い意味はありません。


第五話 酒場佳子⑤

 

 

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 ボーダー本部内、ちょっとした売店もあるラウンジで「空閑! 三雲!」と人目を憚らず大声で呼びかけてくるのは案の定、酒場だった。それを見た忍田本部長は「じゃ、私はこれで。今日はどうもありがとう」と言って立ち去る。忍田とすれ違って修たちの方に歩み寄って来た酒場は、忍田の背中を不思議そうに眺めながら「あれは誰だ?」と二人に訊いた。

「シノダさんだよ。本部長の」

「しのだ……? あああれか、入隊式の時に演説してた」

 忍田本部長の顔が頭に入っていなかったのかこの人は——と、修は頬に冷や汗をかく。大物なのか、馬鹿なのか。多分馬鹿なんだろう。

「ほう。で、本部長さんとなんの話をしていたんだ?」

「おれを正隊員にしてあげてもいいよって話」

「ほほう!? じゃあ空閑もトリガーフル装備で戦えるようになるな!」

 酒場は目を輝かせる。「空閑『も』ってどういうことですか?」と修が訊くと酒場は「ふふふ」と謎の笑みを浮かべ、じゃじゃーんと得意げに右手の甲を二人に見せた。そこには武器ポイントが表示されている。

「4043……!? 先輩、正隊員に上がったんですか!?」

「そうだ。これでようやく本気の小南とも戦えるようになる」

「おお、やるなさけちゃん先輩」

「ふはははは。しかも聞いて驚け、私はただ正隊員に上がっただけじゃないぞ。勢いそのまま、正隊員連中を蹴散らしてやったのだ」

「本当ですか? すごいじゃないですか!」

「そうだろうそうだろう。褒めろ。もっと私を褒めろ」

 影浦に惨敗したという事実は後輩二人には伏せておく。「部分的に嘘だな」と空閑にはバレているのだが、酒場には知る由もない。

「よねや先輩とも戦ったの?」

「ん? おう、勿論。あいつ滅茶苦茶強かったぞ」

 酒場が今日戦った者の中で、酒場に勝ち越したのは米屋と影浦の二人だ。米屋の実力の高さが窺える。

「槍相手に剣で挑むのは昔から苦手なんだよ。まだ克服できてなかったな」

 槍術士なんかと試合でもしたことがあるのだろうかなんて修は想像する。剣と槍が向き合えば、普通は槍が勝つだろうとは思うが。剣道三倍段なんて言葉もあるし。

「はー疲れた。ちょっと飲み物買ってくる。あそこは安いか?」酒場は向こうにある紙コップ型型の飲み物を出す自販機を指差して言った。

「あ、はい。飲み物買うにしても普通の自販機より安いです」

 修からそう教えられた酒場は「なら、使わない手はないな」と言ってずんずん歩いていく。

「さけちゃん先輩、おれが正隊員に上がったって勘違いしてるな」空閑は酒場の後ろ姿を見ながら言った。

「ああ。あとで訂正しないと……」

 そのうち酒場は右手に紙コップ、左手になぜかカップラーメンの容器を抱えて戻って来た。「おいカップ麺が売ってたぞ」と嬉しそうである。「給湯室どこだ?」

「あっちの角ですね」「どこ」修の指差した方に視線を向ける酒場だが、見つけられないようで、キョロキョロと首を動かす。確かにここの給湯スペースは柱の影になっているので少々見つけにくい。

「あそこです。あの、今訓練生の子が出て来た……案内しましょうか?」

「頼む」酒場はうなずいた。

「空閑も一緒に行くか?」

「いや、おれはここにいるよ」空閑はちゅーっとカップからストローでジュースを吸いつつ、ひらひらと手を振った。

「そうか。じゃあ先輩、あっちです」

「よしきた」

 修と酒場の後ろ姿を眺めながら、ストローから口を離す空閑。

「……シノダさん、なんであんな足早に立ち去ったんだろうな」

『サカバを避けた風に見えたが』

 耳元までマイクを伸ばしたレプリカがそう答える。

「やっぱりそう見えたか?」

『確信は持てないが、その可能性が高い』

「なんでさけちゃん先輩を避けたんだろ……」

『サカバはシノダを知らなかったようだ』

「うん。あれはホントだった。だからシノダさんがさけちゃん先輩を避けたって予想が正しいとすれば、シノダさんが一方的にさけちゃん先輩を知っていたってことになるな」

 本部長が一訓練生の顔を覚えていて、かつ、避けた。不可解だ。釈然としない。酒場の方が忍田に何らかの苦手意識を持っていて、対面するのを恐れているというのならわかるが、この場合は逆である。ぱっと理由が思いつかない。

「さけちゃん先輩って何者なんだろうな」

『素人ではない、というのは明白だ』

 酒場の剣術は一朝一夕で身に付いたものではない。あれは長い年月をかけて積み上げた実力だ。少なくとも空閑と同じか、それ以上に年季が入っている。

 酒場は今、修の横に立ってウキウキでカップラーメンにお湯を注いでいた。その後ろ姿からは、空閑を凌ぐ実力者の面影など見えない。酒場はお湯を注ぎ終わって、カップを慎重に持ち上げる。こちらを振り返ると空閑の視線に気づいたのか、彼女は悪戯坊主のように笑った。

 

 

    2

 

 

「サンキューだ三雲。案内してくれた礼に、一口わけてやる」

 酒場は空閑の座っている席へ帰る道のり、修の方を向いてそんなことを言った。

「え? いや、大丈夫です」

「遠慮するな。うまいぞ」

「いや……ええと」

 困る修。だがこの前のコーラの一件を思い出して、遠慮するとまた面倒臭いことになりそうだと思い直す。「……じゃあ、いただきます」

 三分経つなり、酒場は割り箸を割って修に渡してくる。修はそれを受け取り、カップの汁に先端を浸した。

「一口だぞ、一口」

 不安げに横から言ってくる酒場。あんまり多く食べられるのが嫌らしい——器が小さかった。修はゆっくりとカップ麺特有のちぢれ麺を持ち上げる。いい匂いがする。小腹が空く時間帯だったのもあり、修の目にはそれがとても美味しそうに映った。ずるずるっと麺をすする。何のひねりもない醤油味。久しぶりに食べたカップラーメンだったが、うん、ちゃんとうまい。空閑と酒場にじっと見られるのが気になったが、まあ味がわからなくなるほどのプレッシャーではない。

「ご馳走様です」

「よし!」

 修から容器と箸を譲られた酒場は「いただきます」と言うなり、待ってましたとそれにありつく。良い食べっぷりだった。もしカップラーメンをどれだけ美味しそうに食べられるかの大会なんかが開かれたら上位入賞間違いないだろう。まあまあな美形だし、CM起用されるかもしれない。

「……それ、うまい?」

 耐えきれなくなって空閑が酒場に訊いた。酒場は麺をすすりながら頷く。そして汁をずずずと飲み、「はぁ」と満足げにため息をつく。

「おれも買おうかな」

 空閑は席を立った。美味しそうな匂いに釣られたのだ。「かっぷらーめん」なるものが果たしてどんな味なのか気になって仕方がない。

「作り方はわかるか?」修が訊く。

「んー、多分。お湯を入れるんだよな」「そうだ。カップの内側に薄く線が引いてあるから、そこまでお湯を入れたら蓋を閉じるんだ」

「そして三分待てば出来上がりだ」

 口にあるものを飲み込んだ酒場が言った。容器の中の麺はあらかた食べ尽くしてしまったようだ。あとは汁が残るのみ。酒場はぐびぐびと汁を飲む。

「しょっぱくないですか?」

 修は少し心配そうに言った。

「うん。しかしなんか残すの勿体ないと思ってしまうんだなぁ、これが」

 あらかた飲み干した酒場は軽くなった容器をテーブルに置き、横に置いていたほうじ茶を飲む。

「あーうまかった。やっぱ久々に食うカップ麺は格別だな」

「久々って、いつ以来なんですか?」

「そうだな……半年ぶりか? あ、いや、引っ越してきた日の昼飯がカップ麺だった。とすると二ヶ月ぶりぐらいか」

「……酒場先輩って、前は東京に住んでたんですよね」

「ああ。東京と言ってもあれだがな、八王子の方だが」

 八王子の方と言われても、東京に住んだことのない修からすればいまひとつピンと来ない。「田舎の方ってことですか?」

「田舎ではあるが……それだけでもない。微妙なレベルの都会がまあまあ大きい駅ごとにあるというか——んん、『地方』と言うのが一番イメージ通りか?」

「地方……ですか」

「そう。地方都市」

 東京なのに地方都市。よくわからない。

「正確にはあれだ。私が住んでたのは日野だ。立川と八王子の間だな。のんびりしたところだった」

 「そうですか」と頷く修。「日野」という地名は聞いたことがあった。たしか新撰組のなんちゃらに縁があるとかで……。

「長く家を空ける時期もあったが、やっぱりあそこが私の地元という感覚だな」

「長く家を……。それはまたどうしてです?」

「んー? んー……。秘密だ」

 酒場は悪く笑って言った。立ち入ってはいけない話題に触れてしまったかと修はドキリとする。そうこうするうちに空閑が戻って来た。

「こんな感じでいいの?」

 空閑は両手で抱えたカップ麺の容器を二人に見せる。中にはちゃんとお湯が入っているらしい。

「おう。大丈夫だ。あとは三分待て」

「……」

 空閑は何か言いたげな視線で酒場を見上げる。それに気づいた彼女が「どうした?」と問うた。

「さけちゃん先輩ってさ」と、口に出す空閑。いっそ「近界民ですか」なんて訊いてみようと思ったのだ。嘘を見抜くサイドエフェクトを持つ空閑ならば、それだけで酒場の正体がわかると思った。

 だが、酒場の眼を見つめているうちに馬鹿らしくなった。何となく、彼女は近界民ではないだろうなと瞬間的に思い直した。

「やっぱなんでもない」と空閑は言う。「なんだおい、気になるじゃないか」と突っ込んでくる酒場だったが、空閑はうまく誤魔化した。

 

 

    3

 

 

 「正隊員昇格おめでと〜!」

 玉狛の三階。

 宇佐美がぱーんとクラッカーを鳴らして酒場の昇進を祝った。それに続いて修、遊真、千佳もぱぱぱーんとクラッカーを鳴らす。色とりどりのテープが空中を舞った。

「さけちゃん先輩おめでとう」

「おめでとうございます!」

「おめでとうございます酒場先輩!」

 皆口々におめでとうと酒場に声をかける。部屋に入ってきた瞬間クラッカーを浴びた酒場は、最初仰天した顔になって硬直していたが、状況を理解するに連れてぱあっと笑顔になり、「おおお! ありがとう!」と年下三人+宇佐美に抱きついた。

 その場には京介、小南、レイジもいたが、クラッカーは持っていなかった。宇佐美がケーキ屋までケーキを買いにいったついでにレジ横で売っているのが目に止まり、衝動買いしたパーティグッズなのだが、レジ横には四つ入りのがあと一袋しか売ってなかったのだ。

「入隊後四日で正隊員は最速記録だろうな」

「順当じゃないすか? 最近は小南先輩にも勝ち越してますし」

「勝ち越してないから! 全然互角だし! いやむしろあたしの方が白星多いし!」

「ほほう? 嘘はよくないぞ小南。昨日も最終的に私が勝ち越した」

「昨日『は』でしょ! 一昨日はあたしのが勝ってるから!」

「……(汗)」

「はーいはい、どっちが強いかは後で模擬戦やって決めてね。今はケーキ食べよう! ケーキ!」

「しおりちゃん おれこれがいい」

「待て陽太郎! 今宵の主役は私だ! 私が先に選ぶ!」

「……(汗)」

「ふむ、この『めん』みたいなのに白い粉が乗ってるのは何だ? しょっぱいの?」

「それはね遊真くん、麺じゃないよ。モンブランって言って……」

「ああああ陽太郎! それ取るな! ショートケーキは私の! ちょ待……いちご食べんな!」

「……(汗)」

 いつも通りの賑やかさをもって、酒場の昇進祝いはつつがなく進行していく。わいわいがやがや言いながらケーキを食べた後、小南が「佳子! 勝負よ!」と酒場に果し状を叩きつけるように言う。陽太郎にいちごを先に食べられて、どことなくしなびていた酒場だったが、それを聞いて口角がにいっとつり上がり、腰に手をあてて胸をはって堂々たる口ぶりで

「いいだろう!」と言い切った。

「さけちゃん先輩、おれも挑戦させてもらえる?」

「もちろんだ。私は誰の挑戦でも受けるからな!」

「挑戦って、あたしが格下みたいな言い方しないでくれる!?」

 酒場たちが立ち上がると慌てて宇佐美も立ち上がる。「まってまって。その前にトリガーセットしなくちゃ」

「トリガーセット? ああそうか。いよいよ訓練用から卒業というわけだ」

 酒場はポケットからトリガーを取り出してまじまじと見る。「これにも世話になったな……」なんて、感慨深く呟いた。

「いいなーさけちゃん先輩。もう正規のトリガーか」

「お前はもっとずるいの持ってるじゃないか。ていうかなんでそんな強いトリガーを持ってるんだよ空閑。前々から気になっていたが、お前何者だ?」

 酒場がそう言った時、にぎやかだった部屋の空気が止まった。

 少しの静寂。

「……あれ? 酒場先輩、聞いてないんですか?」と京介が言った。

「え? うん。なんだ、みんなは知っているのか?」

 一同は互いに顔を見合わせる。どうやら酒場以外はみんな空閑の事情を知っているらしい。その時レイジが何か言おうと口を開いたのだが、それより早く空閑が「さけちゃん先輩、おれが近界民だって言ってなかったっけ?」と酒場に訊く。

 少しの沈黙の後、酒場は「え?」とだけ驚きの声を小さく漏らす。

「おいおい冗談はやめてくれ。近界民ってお前、あれだろう? あの怪獣みたいなやつだろう?」

「いやいや、あれはトリオン兵。兵器。門の向こうに住んでいるのは普通に人間だよ」

「……え? そうなのか?」

 酒場はきょとんとした顔で皆を見渡す。空閑たちはむしろなぜ酒場がこんな当たり前のことも知らないのだろうかといった表情で首を傾げていた。

「もしかして、誰も酒場先輩に説明してなかったんですか?」

「ふむ。そうだったのか」

「いやでもその辺の事情はふつう正隊員に上がってから知るものでしょ。佳子が知らなかったのは驚きだけど」

「そうだよね。わたしてっきり誰かが教えてくれてたんだろうって思ってたんだけど——うわあごめんね酒ちゃん! 説明しとくべきだったね!」

 あわわわという効果音を発しながら宇佐美は部屋の角からホワイトボードを引っ張ってくる。慌てすぎて、ソファの角にボードがぶつかって倒れかかる。「うわあっ!?」——皆、咄嗟に宇佐美を助けようとするが間に合わない。その場にいた誰もが、まもなくやってくるガシャンという騒音に備えたのだが、不思議になことにホワイトボードは倒れなかった。

 それは迅の手によって支えられていた。

「迅さん!」

「迅さんありがとう……!」

「間一髪だったな」と笑いながら、迅はボードを立て直す。そして周りを見渡した。

「迅、あんたどこ行ってたのよ。みんなもうケーキ食べ終わっちゃったわよ」

「迅さんとボスのは冷蔵庫にありますよ。今食べます?」

「おー、サンキュー。けど今はいいや。酒場さんがどんなトリガーの構成にするか興味あるからね」

「なに、もしかして迅も佳子と対戦希望? だったらあたしと遊まの次だからね」

「安心しろ迅さん。順番はすぐやってくる」

「待って待って、まず近界民の説明とかした方が良くない?」

 宇佐美が提案するが、迅は「うーん」と首を捻った後、「まあ、それはまた今度にしよう」と言った。

「さ、行こうぜ」

 酒場と宇佐美、そして小南と空閑を連れ立って部屋を出ていく迅。そんな彼の後ろ姿を眺めながら、修が呟く。

「迅さん、なんか変じゃなかったですか?」

 それに京介が「ああ」と頷いた。

「迅さん、なんか隠してるな」

「……」

 レイジは部屋の出口と京介たちを見比べてため息を吐く。

「……まあ、迅のやることだ。何か意図するものがあるんだろう」

 

    4

 

 

 酒場先輩は何者なのだろう。

 整った容姿、独特の喋り方、浮世離れした印象に反して意外に俗っぽく、ジャンクフードなんかを好んで食べる。そういった見かけや性格の影に、修の知らない何かが見え隠れするのだ。

 空閑をも超える剣の腕は、本当にただ父親から剣術を教わって培ったものなのだろうか。

 一体なぜ、酒場はつい先ほどまで空閑の正体を知らなかったのだろうか。

 彼女について思考する時、そこには常にいくつかの謎が付き纏う。その謎を明らかにすべく、玉狛の地下室に降りて迅に尋ねようとしていた。

 迅のいる地下室へ続く階段を降りていると、空閑と迅が何やら会話しているのが漏れ聞こえてくる。

「さけちゃん先輩って何者なの?」

 空閑が迅にそう問うたのは小南と酒場が一対一をやっている最中、宇佐美がトイレで席を立ったタイミングだった。修は地下室に入らず、扉の裏にそっと近づいて二人の会話を盗み聞く。いや、別にこんなことする気などなかったのだが、迅と空閑の醸し出す刺すような雰囲気が、修を中へ立ち入らせるのを躊躇させたのだ。

「明らかに素人じゃないよね。強すぎるし」

「お父さんから剣術を習ったって訊いてないか?」

 迅は答えを口にせず、逆に空閑に問う。

「しおりちゃんからは聞いた。けど本人の口からは聞いてない」

「……鋭いね」迅は苦笑する。

「迅さんはなんか知ってるんでしょ?」

 迅は何も答えない。表情は笑っているが、内心ではあることについてひどく悩んでいた。空閑には嘘を見抜くサイドエフェクトがある。煙に巻くのは本来とても難しい。

 迅は困ったように頭をかく。

「ん〜……。おれとしては、なるべくみんなを巻き込みたくないんだよね。秘密を共有するってことは、重荷を背負わせるってことだから」

「仲間を完全に信頼できないまま大規模侵攻を迎えるのも、それはそれでリスキーだと思うけど」

 空閑は酒場先輩を信頼しきれていないのか……? 修は驚く。普段の様子を見ていても、空閑は小南と並んで特に酒場と仲が良いはずだが。

「さけちゃん先輩は味方なんだよね?」

 もっとはっきりした質問を空閑が迅にぶつける。それに対する迅の反応はなんだかあまり要領を得ないものだった。「んんー……」と、言葉になりきれていないものを漏らす。

 酒場は良い先輩だ。

 いや、面倒臭い感じで絡んでくるのは正直嫌だし、腕は立つがどこか頼りない先輩だとも思っている。しかし彼女はれっきとした玉狛のメンバーだ。仲間だ。

 ……仲間じゃないのか?

「敵なの?」

 空閑が訊く。迅は少しの沈黙の後、「少なくともこの大規模侵攻では、彼女はボーダーの隊員として動いてくれる」と答えた。

「ふむ。大規模侵攻『では』——か」

 空閑と同じ場所に、修も引っ掛かりを覚えた。まるでその後は敵にまわると言わんばかりの口調ではないか。

「ねえ迅さん——」空閑が訊く「——さけちゃん先輩って何者なの?」先ほどと同じ質問をする。やめろ、答えなくてかまわないと修は願うが、迅は観念したように口を開く。「酒場さんは——」やめてくれ、頼む。何も言わないでくれ。

 修はそこから動くことができない。部屋に踏み込むことができなかった。どうにか逃げず、その場にとどまるだけで精一杯だった。

 

「酒場さんは密偵(スパイ)だよ」

 

 迅が言った。

 言ってしまった。

「彼女はこちらの世界のどこかの組織からボーダーに送り込まれた諜報員だ」

 静寂が辺りを包む。

 小南と酒場の戦う音が、はるか遠い場所にある気がした。

 言うまでもないことだが、ボーダーの武器は通常の兵器とは比べものにならないほど高性能だ。銃型トリガーや剣型トリガーはもちろん、トリオン体、トリオン兵、内部通信、緊急脱出システム、グラスホッパー、カメレオン、テレポーター……。どれをとっても現代の戦争に決定的な革新をもたらすには十分すぎる。界境防衛機関ボーダーは世界中の軍事組織にとって、垂涎もののオーバーテクノロジーが詰まった夢の武器庫なのだ。幾人も諜報員がボーダー内部への潜入を試みている。

 酒場もその一人だった。

「……」

 空閑もしばらく沈黙していたが、やがてぽつりと疑問を口にする。

「どうして密偵だってわかってるのに捕まえないの?」

「最初はすぐボーダーから追い出そうと思ったんだけどね」迅は既に笑みを表情から消していた。「酒場さんは今回の大規模侵攻で素晴らしい働きを見せてくれる——おれのサイドエフェクトがそう言ったんだ」

 酒場は長期的なスパンの潜入を試みているらしい。だからこそボーダーに入ってまもない頃は諜報活動を本格的に行わず、ボーダーの信頼を得るために精力的に仕事を果たす。少なくとも大規模侵攻までは、酒場は真面目にボーダー隊員として働くことが迅にはわかっていた。

 予知——未来視のサイドエフェクト。

 彼女を入隊させておけば、大規模侵攻での被害がぐっと抑えられる。だから迅は酒場をボーダーに入隊させた。

「彼女は戦力としてこの上なく優秀だ。だから現状、まだ泳がせている」

「でも、ずっとそうしとくわけにはいかないでしょ」

「ああ。だから今回の大規模侵攻が終わったら、酒場さんには記憶封印措置をかけてボーダーから放逐する。それが城戸さんたちの最大の譲歩だった」

 城戸としては、どれだけ追っ払っても後から後からやってくる各国各組織からのスパイ連中への見せしめとして今回の件を使おうとも思っているようだ。酒場へかけられる処分は相当重いものになるだろう。

「まあ安心してくれよ。いざと言う時はおれが……」

 迅は入り口の方を見て喋るのをやめる。空閑は迅が突然止まったのを不思議に思い、迅の視線の先を見ようと振り返った。

 そこには修が立っていた。

「……オサム」

 修は深刻な表情をしていた。今にも倒れそうな風体だが、どうにか崩れ落ちず、姿勢を保っているといった感じだ。「……迅さん」修は口を開く。

「酒場先輩は敵なんですか?」

 修は尋ねた。

 酒場のあの態度は演技なのか?

 さっき酒場が、クラッカーを鳴らした修たちに抱きついて言った「ありがとう」は、嘘だったのか?

 それを——それを全部迅はわかっていたのか?

「酒場さんは敵だ」

 迅は言い切った。

「最後はおれが斬る」

 

 




 今のところ酒場の正体を知ってるのは迅、林藤支部長、ボーダー上層部、レイジさん、風間隊、そして+遊真&修ですね。あと三輪も怪しい。
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