1
「あれ? 修くんも模擬戦希望?」
宇佐美が戻ってきたことで、修たちはそれ以上の会話を断念する。「いや、僕は……」何か言い訳をしなければいけないと思うのだが、咄嗟に言葉が出てこない。頭がまだぐわんぐわんと衝撃を受けていて、ちゃんと働いていないのだ。
「いや、オサムは見物だって」と横から空閑がフォローした。「そうなんだ。じゃ一緒にお茶飲みながら観戦しよう」
宇佐美はキラーンと目元を光らせ、机の下からポットと湯飲み茶碗を取り出す。トクトクトクとお茶が湯呑みに注がれている間、訓練室の扉が開いて酒場と小南が出てきた。小南は露骨に嬉しそうで、酒場は露骨に悔しそうだった。
「まあ私が本気を出せばこんなもんね」
「……くそう」
モニターの表示には勝敗の数が出ており、そこには7-3とあった。これまでのような孤月一本とスコーピオン一本の勝負ではなく、シールドやサブのトリガーも解禁した装備で勝負をすると、酒場と小南ではこのような結果になるらしい。
「でも小南は双月使ってるんだろ? 通常トリガーで三本引けるんなら十分でしょ」
迅が言った。彼の表情にはいつもの薄い笑みが戻っている。
「そうだそうだ。なんだあのハルバードみたいな武器は。受け太刀のしようがないじゃないか」
「ぐっ、仕方ないでしょ! あれが一番使い慣れてるんだから」
「ええ……小南、コネクター使ったの……?」
宇佐美が若干身を引く。小南の専用トリガー「
「あとあれ……
「酒ちゃんも弾トリガー装備する?」
宇佐美が訊くと、酒場は「んん?」と声をあげつつ振り返る。「弾トリガー……?」
「うん」
酒場は顎に手を当ててしばし沈黙する。「……じゃあ、ちょっとだけ使ってみようかな」
「オッケー。どんなのがいい? と言ってもまず説明が先か。えっとね、弾のトリガーはいま小南が使ってたような、四角いキューブを出してそれを割って射出するタイプと、銃の形をしたトリガーからずだだだって弾を撃ち出すタイプがあるんだ。どっちにする?」
酒場は少し悩んだ後、「とりあえず全部試させてくれ」
「りょうかい。弾の種類もいろいろあるんだけど——最初は
宇佐美が酒場のトリガーをカスタマイズしている間、修は酒場を観察する。彼女はいつもと全く変わらず、美しき風貌で宇佐美の手元の作業を見ていた。そのうちに修の視線に気づき、「おうどーした」と声をかける。
「いや、別に……」と躱す修。特には怪しまれなかったようで、酒場は「そうか」と言って視線を宇佐美に戻した。
「はい完成! 試してみて!」
宇佐美から手渡されたトリガーを「ありがとう」と言って受け取った酒場は訓練室に入っていく。小南もなんとなくついていった。
訓練室の内部は先ほどまで格ゲーのトレーニングモードのような殺風景な仮想空間だったが、今はにょきにょきと人型の的が三つ、二○メートルほど離れた位置に生えていた。宇佐美が気を利かせてくれたようだ。
『じゃあまずは射手トリガー——キューブを出すトリガーから』
「オーケー」
宇佐美のアナウンスに従って、酒場は手元に白いキューブを展開する。本当の初心者はキューブの展開の時点で苦労することもあるのだが、スコーピオンを手元に出すのと同じ感覚をイメージした酒場は、難なくこの段階をクリアできた。
まあまあ大きいキューブが酒場の手元に出現する。
『じゃあそれを割ってみて』
「割る……こうか?」
ここでもイメージの操作によって酒場はキューブを8つに分割する。パックリと割れたキューブは、ふわふわと酒場の手元の周りを漂う。
「どうやれば射てるんだ?」
「それを的にぶつける想像をすればいいのよ」小南がアドバイスした。酒場は「ふむ」とうなずき、その通りにしてみる。すると漂っていただけのキューブが矢のように発射され、的のある方向に飛んでいった。
だぁんと着弾。しかしまともに的中したのは一発のみで、その一発を食らっても的は平然としている。残りの弾は全部七十メートルほど先の訓練室の壁に衝突し、微かな傷を残す。
「難しいな……それにしても威力低すぎないか?」
「威力調節がうまくいってないのよ。射程に振りすぎ。このトリガーは威力、射程、弾速を任意で調整できるの」
「そうなのか」
今度は威力30、射程40、弾速30にちゃんと調節して弾を射ってみる。一度目で慣れたのか一つの的に全射的中した。的は粉々になった。
『おおすごい』
「へえ、結構やるじゃない」
小南と宇佐美からお褒めの言葉をもらい、酒場は嬉しがる。「いやぁ、やっぱ私天才だからな」
「はいはい。じゃあ次、
酒場は手元に突撃銃を模したトリガーを生成する。当然だがこちらは空中に浮かんだりせず、ずしりと重い。それを両手で抱えた酒場は、ゆったりとした動作で銃口を的の方に向ける。
『安全装置を外して引き金を引いたら撃てるよ』
「了解」
酒場は顔を傾けて安全装置の位置と項目を見る。SAFEとASTEROIDの二項目があったので、ASTEROIDに切り替えると改めて狙いをつけて引き金を引いた。ズガガッ、ズガガガガッと弾が発射され、右から二番目の的の肩あたりにピンポン球ほどの風穴が空いた。的の真ん中からは程遠いが、当たりは当たりである。
「おお、強い」
酒場はすぐに撃つのをやめて呟いた。
「これ、弾は重力に左右されないのか?」
「そうよ」
「弾はトリオンが切れるまで射ち放題?」
「そうね」
「すごいな」
酒場は感動しているようだった。
最後は拳銃型の試し撃ち。酒場が拳銃型のトリガーを起動すると、腰にホルスターごと自動拳銃が生成された。
「なるほど、こうなるわけか。ガンマンごっこできるな」
酒場は仕舞われている銃のグリップに手を近づけ、小南ににやりと笑いかける。銃を抜くと、一通り自動拳銃の握り心地を確かめた。その後右手だけで構えると、的に狙いをつけて一発撃つ。
弾は的を全く傷付けず通過し、はるか彼方で大気と反応して消滅した。「大外れ」と小南が揶揄する。「ふん」と酒場は言い、今度は両手持ちでもう少し慎重に狙いを定め、二発続けて撃った。
一応、的中する。今度は人型の下半身——人間で言う腿のあたりがバコンと砕けた。
「ふむ……。なかなかだな」
「何が『なかなかだな』よ」酒場の頭をぺしりと叩く小南。「中心から外れすぎじゃない」
「大丈夫だ。問題ない」
酒場は動じずにうんうんとうなずく。『もっと近くで撃ってみれば?』と宇佐美が提案するが、「いや、いい。大体わかった」と辞退する。
「これの最大射程は何メートルだ?」
「最大射程? 有効射程は二七メートルくらいだけど……酒場さんのトリオン量なら、最大射程は大体四〇メートルだね」
「そうか……で、ちゃんと弾がまっすぐ飛んで、なおかつ再装填がいらない……」
何やらぶつぶつ呟いていた酒場だが、急に顔をあげると「拳銃型だな。これを入れてくれ」と言った。
「オーケー」と言った後、宇佐美はなんとなく酒場が撃った弾の弾道を解析する。これからの上達のため、記録をつけてあげようと思ったのだ。
射手トリガーの軌道はとても良い。ほどよく弾をバラし、的をバラバラに粉砕している。突撃銃型の扱いも中々のものだった。的の中心からは外れるたものの、最初からちゃんと当てている。拳銃型の扱いが一番苦手なようだが、あれはスコーピオンと相性が良いし、スコーピオンをメインで扱うなら問題ないだろう。
「……あれ?」
弾道の記録を見ていて、宇佐美は首を傾げる。
「どうかしました? 宇佐美先輩」
「いや、偶然だと思うんだけど——」
「さて宇佐美、トリガーのカスタマイズを頼む」
訓練室から出てきた酒場が宇佐美の前にトリガーを置いた。「あ、うん」と頷く。修の方をちらりと見るが、彼は酒場の方を向いていて、宇佐美に何かを尋ねたことなど忘れてしまっていたようだった。まあいいや、今はカスタマイズを優先しよう、このことはまたあとで話そうと宇佐美は思い直し、手元の作業に移った。
2
三門市の一角——警戒区域ギリギリの場所にある集合住宅。
二○一号室の扉を開けつつ「ただいま」と機械的な言葉を口にした酒場は、奥の部屋から漏れ聞こえる会話のようなノイズに気づき、勝手に閉まるものだと放置していた扉の取手に手をかけて、そっと閉める。靴を脱ぐ時も音を立てず、気配を殺すようにして廊下を進み、鞄を自分の部屋に置くと洗面所に移動する。
「ええ……はい……。得られているのは一般に公開されているレベルのものだけです。はい……まだ待ちましょう……はい」
居間から聞こえてくる会話の断片。会話が一人分しか聞こえないし気配も一人分しか感じないのでおそらくこれは通信だ。そんな風に予想しながら手を洗った後、がらがらぺっとうがいをして洗面所を出る。酒場が居間の扉を開けた頃には、会話はもう終わっていた。
「おかえり」
窓のそばに立つ長身の女性は小型の通信機器をポケットにしまいつつ、酒場の方を振り向いてにこりと笑った。髪型は酒場と同じ黒髪のショートで、それなりの美人だが、顔つきは似ても似つかない。酒場のような堅い雰囲気はこちらにはなく、慈愛に満ちた優しい雰囲気がある。
「ただいま、『お母さん』」
酒場は再び挨拶をすると、それほど大きくないテレビ画面の前に置かれた、黄色い座布団に腰を落ち着ける。
「どうだった、今日は」
酒場が「お母さん」と呼んだ女性は酒場の横に移動した。
「今日は正式なトリガーをもらった」と、酒場は懐からトリガーを取り出して長身の女性に見せる。
「へえ……訓練用のとはどう違うの?」
「『貸してみろ』とは言わないのか」
「私が手に取ったところで解析などできないでしょう。ボーダーのテクノロジーは未知そのものだから……で? やっぱり訓練用の物より実用的なの?」
「ああ。複数個のトリガーが内蔵されている……。今日、シールドを初めて使った」
「シールド?」
「任意の場所に瞬時に展開できる盾だ。ある程度までの攻撃ならこれで防げる」
「へえ。相変わらず夢のような性能の武器だね。他には?」
「……」
酒場はそこで沈黙する。何か、口にしづらいものがあるというような雰囲気だった。
「どうしたの。何か問題でもあった?」
「……銃を……」小さな声で呟くが、聞こえない。
「?」
「銃型、トリガーを、入れてもらった」
酒場はためらいがちに言った。目を俯かせているが、時折ちらりと「お母さん」の反応を盗み見る。
「銃は使わない約束でしょ」
「お母さん」の目が冷たい色に変わる。彼女は酒場の横でゆっくりと立ち上がった。
「……ああ」
「言ったはずだよね。剣ならいい、熟練していてもなんとでも誤魔化せる。でも銃はダメ。この国で、銃を扱える人間は目立つ。絶対に怪しまれる——特にあなたは」
「……」
「使ったの?」
「……試しに数発撃った」
「お母さん」が酒場の腹に横から蹴りを入れる。鋭い蹴りだった。酒場は軽く横に吹っ飛ぶ。「うっ——」と口を押さえ、逆流するものを胃に戻そうとする。しかし結局は吐き出してしまった。
「あなた、馬鹿だよね」
「お母さん」が言った。
「自分の立場わかってないでしょ。本来だったら去年の大失敗で処分されている身なんだよ? この任務で芳しい成果を上げられなければ、いよいよ私も庇いきれなくなる。もう失敗できないんだからね?」
這いつくばって苦しんでいる酒場を見下ろしながら「お母さん」は言った。
「……」
「ねえ聞いてるの?」と「お母さん」は座布団に座り直し、酒場の腿に手を乗せる。酒場は無言で頭を縦に振った。
「新たな情報は何か掴んだ? 別に軍事技術に限ったことじゃなくていいんだよ。組織の内情とか……近界民のこととか」
「……近々、大規模な、近界民の侵攻が、ある、らしい」
「それは知ってる。普通にボーダーが注意報出してるから。他にはないの?」
「…………ない」
酒場は腹部を押さえながら、弱々しい声で、それでもはっきりと「何も、ない」と言った。
彼女は倒れている間、己の吐瀉物をじっと見つめていた。
「お母さん」はつまらなそうに「ふうん、そう……まあ、まだいいか」と呟く。
「少なくともその大規模侵攻まではきっちりボーダーとして振る舞ってね。頑張って地球を守って、信頼と実績を積むの。トリガーの強奪とか、ハッキングとかはやるとしてもその後だね。わかった?」
「……わかった」
酒場の返答を聞いてうんうんと頷いた「お母さん」は、ぱっと明るい表情になって言う。
「じゃあそこのゲロ片付けたら夕ご飯にしよっか。なんと今日は鍋だよ! 佳子ちゃんの好物!」
「……ああ」
それは楽しみだと酒場は呟き、口元を拭いながら立ち上がった。
3
「——何も喋らなかったな」と、風間は内部通話で呟いた。
「そりゃあんな上司が相手じゃ、まともに仕事なんてしたくなくなりますよ」
菊地原が言う。歌川は無言だったが、微かに頷いて菊地原への同調を示した。
現在風間隊がいるのは、「酒場」という表札のかかった部屋の前——つまりは酒場の家の前だ。本日、これまで奇跡的に隠し切れていた空閑の正体がついに酒場に露見したということで、「人型近界民の存在」という情報が外部に漏れることを危惧し、風間隊が酒場の監視に抜擢された。
いや風間隊だけではない。迅とレイジも遠方から——「狙撃地点」から酒場家の動向を確認していた。酒場のトリガーには盗聴機能が付けられている。これによって、迅やレイジ、風間隊は酒場家内部の会話を盗み聞いていたのだ(この場合、風間隊がいるので盗聴器などなくとも問題ないが、常に風間隊が酒場をマークし続けられるわけではないのは当然の事実として存在する)。
「嫌なものを聞いたな」とレイジが言った。
「……」迅は何も言わず、風刃を握りしめていた右手を眺める。そして「もう今日は、酒場さんは何も喋らないよ」と無感動に言った。
「警戒を緩めていい」
未来視の能力を持つ迅の言葉は信憑性が高い。「なら、監視人数を減らすか」
レイジは酒場の家から目を離すことなく言った。
風間隊が帰るか玉狛が帰るかで少し揉めたが、結局は玉狛の二人が帰る運びになった。風間隊はもう少し監視を続け、酒場たちがどこから派遣された工作員なのか突き止めるための情報を集めるらしい。八時まで粘り、その後は二宮隊に交代するとか。
「やはり、ウチで預かったのはまずかったんじゃないか」
玉狛までの帰り道、レイジが横を歩く迅に向かって喋りかける。
「レイジさんもそう思う?」
「……少なくとも、遊真と会わせたのは失敗だったな。『向こうの世界』にも人間がいて国があるという情報は、トリガーテクノロジーの恩恵に預かりたい者たちからすればこの上なく有益だ」
人がいるのなら取引ができる。誰もがそう考える。向こうの世界にも人がいるとわかった時、近界民の技術を吸収したいこちら側の勢力は、ボーダーという組織をトリガー技術を独占する集団だと揶揄し、排撃しようとするだろう。ボーダーは向こうの勢力だけではなく、こちらの世界の勢力とも敵対しなければならなくなる。
そしてもしボーダーが敗北し、こちらの世界の国と近界民との貿易が始まった時、向こうの世界の国が求めるのは穀物などの食糧品、生活必需品——そして、人間だ。
おそらくこちらの世界からは人間が売られる。
近界民は常に人間を欲している。それは戦力であり、兵力だ。はるか昔から彼らはこちらの世界の人を攫っていた。こちらの世界の倫理観によればそれは禁忌中の禁忌だが、ただ「いけないことだから」というだけで近界民との貿易を打ち止めるには、「トリガー」は魅力的に過ぎる。
そこにはきっと、最悪のシナリオが待っている。
「……そうだな」
迅は呟く。
ただ、迅が玉狛に酒場を引き入れたのにも理由があった。予知能力を持つ自分の目の届く場所に酒場を置いておいた方がやはり安全だろうという以外に、もうひとつ——責任感から来る理由があった。酒場をボーダーに入れたのは迅だ。であれば、いざという時は迅が酒場を処分しなければならない。
彼女を利用しているのはおれだ。
だから、いざという時はおれが彼女を斬り捨てなければならない。
あるいは贖罪として、迅自身が彼女に斬られる未来も——
「迅」
レイジに呼ばれて迅ははっとする。「ん? なに?」と平静を装って返事をするが、レイジには通じない。
「一人で背負いすぎだ。酒場を
「……ああ」
迅は頷く。レイジの言葉で少し気持ちが楽になる。
だが、最後は自分で始末をつけるという迅の思いが揺らぐことはなかった。
あくのてさき:さけちゃん
(某犬とはなんの関係もない)謎の組織からボーダーの秘密を暴いてくるように言われてやってきた下っ端軍事スパイ。スパイとか言ってるけど本業は戦場働きと要人警護で、嘘とか隠し事はヘタクソ。本人はバレていないと思っているが迅には全部見抜かれている。ボーダーにうまいこと利用されちゃう予定の可哀想な人。
すべての黒幕:迅さん
本編より二倍三倍に腹黒くなっている実力派エリート。腹黒い分腹痛もひどい。予知のサイドエフェクトでオリ主のぶっ壊れ性能を早くから見抜き、これは使えると思って酒場を玉狛に引き入れた。酒場のアホさには入隊させてから気づいたが、これはこれで利用しやすいと頭で考えつつ心がズキズキ痛んでいる。苦労人。