戦火の巫女   作:溜め無しサマソ

10 / 14
九章

 

 

 昭和20年(1945年)4月の終わり、イタリアとドイツでは戦争を主導していたムッソリーニ、ヒトラーがそれぞれ処刑、自殺という形でこの世から消え去り、5月8日にドイツは降伏文書に調印、ヨーロッパにおける戦争は終結した。完全な孤立無援となった日本では、直接交戦をしていないソ連を仲介とした和平の道が模索されたが、ソ連はすでにアメリカ、イギリスなどと密約を結んでおり、対日参戦の機会を虎視眈々と狙っていたため、この工作は失敗に終わる。

そしてその間にも本土への空襲は続いており、日本全国の地方都市も無差別爆撃の標的となっていた。東京では度々3月10日を上回る規模の空襲があり、特に5月25日の山の手方面の空襲は規模が大きく、皇族の住まう明治宮殿までが全焼した。東京はほぼ半分の地区が焦土と化していた。

刀使たちはこれらの空襲に度々出動し、市民の避難を手助けしていた。焼夷弾の火が消せないとわかった以上、消火よりも避難が優先されるようになったため、人的被害だけは抑えられるようになってきていたが、それでも大規模な空襲では一度に数千人単位の死者が出る。刀使たちも無傷というわけにはいかず、常に欠員が出ていた。一旦実家に帰る者、入院する者、隊舎で休む者…まともに動けるのは20人にも満たないという状況に陥っていた。

 

 近衛祭祀隊自慢の冷蔵庫の中身も、随分と寂しくなった。千鶴は溜息をつきながら在庫の確認をする。魚はおろか大豆まで手に入らなくなってきた。タンパク源となる食材の供給が減っているのは、育ち盛りの刀使たちには痛い。しかし、何より問題なのが、

「まさか塩まで手に入りにくくなるとはね…」

そう、塩の不足だった。手伝いをしている美千代が、隣で不思議そうな顔をする。

「海に囲まれた日本で、何で塩が不足するんですかねえ…?」

「あ、それ私も不思議だったからこの間あちこちに聞いてみたらね…浜辺で塩なんか作っていたら、敵機に狙い撃ちにされるそうよ」

「あ…そうでした。前に私たちも浜で遊んでいたら狙われました…」

美千代は、昨年の夏のことを思い出してブルっと震えた。

「そういえばそんなことをいっていたわね…しかもね、海の上にはものすごい数の機雷が浮いていて、漁に出るのも難しいみたい」

「機雷…船が触れると爆発する、あれですか…瀬戸内海も危ないのかな…」

「ああ、美千代さんは広島でしたね…内海はきっとまだましなのでしょうけど…ただ、潜水艦も近くをウロウロしているらしいから、滅多なことでは船は出せないでしょうね」

美千代は、ふるさとの海を思い出していた。あの海の男たちもほとんど戦争に取られたと聞いている。実家は、今頃どうなっているのだろう。

「いろいろと心配事はあるでしょうけど…今は、今夜の夕食の心配をしましょう」

「あ、はい、そうですね…」

そういって、美千代はいつの間にかじっとりと額に滲んでいた汗をぬぐう。6月も終わろうとしており、蒸し暑い日が多くなっていた。

千鶴が、限られた種類と量の食材から何とか今夜の献立を捻り出そうとしていたその時、玄関の戸が開く音がする。仲間たちの帰還にはまだ早い。時刻は14時を過ぎたばかりだ。

「こんな時間に…誰でしょうね?」

「美千代さん、ちょっと行って見てきてくれる?」

「了解です」

そういって軽い足取りで玄関へ向かった美千代が、早足に血相を変えて戻って来た。後ろには、霧島由良と、何と折神碧の姿があった。いずれも、渋い表情をしている。

「碧様…!ちょっと由良さん、どうしたっていうの?」

「また…皆を集めて話をしないといけないの」

由良の様子が明らかに暗い。

「そう…でもまだこんな時間よ?皆が帰って来るまでどうするの?夕飯の準備でも手伝って行く?」

「ああ、それもいいかもしれませんね」

「え!?」

千鶴の冗談半分の言葉を、碧が真に受けた。

「少し、気が滅入っているから、いい気分転換になるかもしれません。千鶴さん、是非手伝わせて」

「え、いえいえ、冗談ですから!碧様は戻って葵様のお世話をして下さい!」

「それは気にしなくていいわ。うちには優秀な子守がいるからね。それに今日は皆が帰って来るまで戻るつもりはありません」

碧がそういって、千鶴を見据えた。そういえば、このお方はこれで結構言い出したら聞かない所があるのだ。千鶴は判断をしかねて由良の方を見ると、由良は苦笑して頷く。それならそれで思わぬ人手が得られた、と考えることにする。

「わかりました…。それではお手伝いいただきましょうか」

「ええ、お願い。それで、献立は?」

碧、由良、美千代の視線が千鶴に集まる。

「そうですねえ…幸い、今日はアサリが手に入ったので…あれ、作ってみようかな」

千鶴はそういって、3人に笑顔を返した。

 

 このご時世に、まさかこんなしゃれたものを食べられるとは思わなかった。直は嬉々としてそれをすすった。

「はあ…おいしいですね、これ!」

「ええ、こんなものが食べられるなんて、千鶴先輩には本当に感謝、だね」

直の言葉に、向かいに座る八重が答えた。

各自の前には2つの椀が並んでいる。一方には水で締めた細めのうどん、もう一方にはアサリの入ったホワイトシチューが入っていた。これを、つけ麺のようにして食べるのだ。

「ホワイトシチューうどん、ですか…こんなの初めて食べました」

その隣で吉乃も頬を押さえながらそういうと、

「どう、気に入っていただけたかしら、皆さん?」

エプロンを外しながら、厨房から千鶴がやって来た。全員の喝采が上がる。

「作っている時は大丈夫かと思ったけど…アサリの旨味とシイタケの出汁がすごくよく合ってる。ほんと、こんなのどこで知ったの?」

由良がそういって、隣の席に千鶴を迎える。

「ふふん、海軍考案の料理で、本当はうどんじゃなくてそうめんなんだけどね。そうめんなんてもう手に入らないし、前に家で作った時、少し太麺の方が合うような気がして…こんな風にしてみました」

そこでまた、全員の感嘆の声が上がった。

「ホワイトシチューそうめん」は戦艦「伊勢」で兵員に出されていた料理だ。ボンゴレやカルボナーラといったパスタ料理の存在を考えれば、確かにこの組み合わせは成立する。実際、このメニューは兵員の間で大変好評であったという。

「さすが千鶴さん。限られた材料での創意工夫、本当に大したものです。私も参考にさせてもらっていかしら?」

「もちろんです、碧様。後でレシピ、お渡ししますね」

食堂には折神碧を合わせて20人程の少女たちの姿があった。かつては長机を4つ、部屋を狭しと使っていたのだが、今はその半分程度だ。おかげで全員の顔も見えるし声もよく聞こえる。

 おそらく今日は何かあるのだろう、と全員が思っている。この、珍しい料理をじっくりと味わいながら、皆互いの顔色をそれとなく伺っていた。

「さ…皆さん、大体食事の方は終わり、かしらね」

大半が椀のシチューも飲み干して一息ついているところで、碧が切り出した。いよいよか、と全員が背筋を伸ばした。中には立ち上がろうした者もいたので、碧がそれを制した。

「ああ、いいの。私もこのまま話をさせてもらいます。この人数ですから…」

そういわれ、大人しく全員が座ったまま、碧の方へ身体を向けた。

「私がいるんだもの、何かあったと思うわよね…そう、いろいろとお話があるんです。まずお話しておかなければならないのは…沖縄のことです。3月下旬から始まっていた沖縄での戦闘が終わりました。沖縄は…敵の手に落ちました…」

全員の顔色がサッと変わる。沖縄では本土侵攻までの時間稼ぎ、という作戦指示の元、持久戦の構えが取られていた。離島を含めた各地で少年少女を含めた民間人も戦い続け、町ごと消滅する地域がいくつも発生するという凄惨な状況を経て、沖縄はアメリカ領となる。軍属・民間を合わせて20万人以上の死者が出たとされるが、家族・地域の人々がまとめて戦死したため伝える者が残らなかった、という壮絶な理由で、今なお、犠牲となった人々の名前も数も正確にはわかっていない。

「3か月…沖縄の方々は私たちの先駆けになって…」

泉美がそういって、全員が言葉を失う。

「ええ…いよいよ、敵はこの本土に迫って来るでしょう。それで、ということなのでしょう。『義勇兵役法』という法律が施行されることになりました」

「義勇兵…民間の義勇軍ならもう、あちこちで組織されていると聞いていますが…」

美千代がそういうと、碧は頷いて続ける。

「ええ、確かにそうね。ただ今回の法律では、15歳~60歳の男子、17歳~40歳までの女子に兵役が課されることになったの。義勇兵というのは本来希望者がなるものですけど、今回のものは強制です。従わなければ刑罰があります」

さすがに、場がざわついた。

「ちょっと待って下さい、それってただの徴兵じゃないですか!」

「八重、落ち着きなさい…でも、そうですね。いよいよ国民皆兵、ということですか。それに私たち刀使を合法的に軍に組み込める、というわけですね」

立ち上がって言葉を荒げた八重を吉乃が諫めつつ、そういった。由良がそれに応じる。

「そうね…こうなった以上、状況は以前とは大きく変わったといっていいでしょう。この、近衛祭祀隊を辞めたところで兵役からは逃れられないわけだから…」

来るべきものが来た、といったところだろうか。「まともな武器もないのにどうやって戦えっていうんですかね」などとごちながら、八重は、憤懣やるかたない、という様子で座り直す。実際、国民義勇軍などといっても、手に持つ武器は竹槍や弓矢、火炎瓶といったものでしかったという記録が残っている。

「それで、私たちはどうなるんですか?」

直が、冷静な声を上げた。

「護国刀使はこれまでの神祇院から、政府の預かりとなりました。これからは政府の要請に応じて、御刀を振るうことになります」

その碧の言葉から少しの間を空けて、

「あの、よくわかりませんけど、そうなるとどうなるんでしょうか…?あと、今までの荒魂退治についても、どうなるんでしょうか…?」

五十鈴が碧に向け質問をした。

「政府要人の警護をすることがあるみたいよ。荒魂退治の方はこれまで同様、ということになってる」

碧に代わって由良がそう答えたが、五十鈴はまだ合点していない様子で、

「そうですか…でも政府要人の警護って、そんなのは別に本職の人がいるんじゃないんですか?軍の人だっているんですよね?」

そういった。由良が言葉に詰まり、碧が代わる。

「そうね、正確にいうと、要人の警護を行うのは憲兵の方々です。ただ、憲兵司令部は陸軍の配下にある組織でね…」

碧がそこで言葉を区切る。直は、父のことを思い出しながら、何となく察しをつけた。

「もしかしたら今の内閣は海軍出身者が多いから、憲兵の警護を断っている…ということですか?」

碧と由良が、顔を合わせて苦笑した。

「そう、直さんの言う通りです。鈴木総理、米内海軍大臣の警護を憲兵には任せられない、という風にいっている人たちが海軍の一部にいるらしいの」

「米内海軍大臣…一度ここに見えた?」

「ええ、そうしたらその米内さんがね、だったら俺の警護はあの子たちにお願いしたい、なんておっしゃったそうで…こんな話が浮上したと、そういうことらしいわ」

由良の説明に、全員が「ほー」とも「へー」ともつかない声を出した。その反応は、概ね好意的だ。山本長官の軍刀を預かった一件以来、米内は、隊内において評判が良かった。

「あの、一つ質問してもいいですか?」

直が、さらに声を上げた。

「どうぞ、直さん」

「ありがとうございます。あの、今回の内閣は終戦のための内閣だ、なんて話を聞きますけど、それは本当なんですか?今の政府は終戦を目指しているんですか?」

「ちょっと、直さん…!」

ぎょっとして泉美がそういったが、既に刀使たちの視線が直に集まっていた。由良も慌てて碧の方を見たが、当の碧は落ち着いた様子で少し考えるような素振りを見せてから、

「そういう噂があるのは聴いています。そして、そうなってもおかしくはない、と私個人は思っています、が…残念ながらその辺りの正確なことは全くわかりません。ただ、そんな噂があるからこそ、鈴木首相や米内海相が狙われているのは間違いありません」

そう、はっきりといった。

「そうですか…では、もしその任務が入ったら、私に担当させてくれませんか?毛利藤四郎は短いし、警護の邪魔にならないと思います」

「そうね…いいかしらね、由良さん?」

「私に依存はありませんが…泉美さん?」

「はい」

「義元左文字もそう長い御刀ではありません。その時は、あなたも一緒に就いて下さい。いいですね?」

「承知しました。いいですね、直さん?」

泉美は当然のことのようにそう返事をして、隣の直に鋭い目を向けた。

「へへ…ありがとうございます」

直が頬をかきながらそういうのを見て、碧は微笑んで、由良を見た。由良が頷いて口を開く。

「もしかすると街の人たちに向けて剣術指南のようなことをやるかもしれないので、その時はまた、お願いね。それから…」

全員が、改めて由良に注目する。

「例の、鷹司様と折神香織様が抱えている刀使たち…神功刀使がね、どうやら陸軍省に組み込まれたようなの」

昨年の模擬戦には、この場にいる刀使全員が参加している。皆の顔つきが一様に険しくなった。

「私たちが終戦派といわれている海軍の方たちの護衛につくということになると…つまり、あの人たちとまた戦うことがあり得る、そういうことですね?」

吉乃が、少し強い口調でそういった。

「同じ日本人、まして同じ刀使同士で争っている場合ではない、ということは向こうもよくわかっているはずです。でも…互いの立場の違いが明確になれば、あるいはそういうこともあるかもしれません」

碧の答えに、刀使たちの反応は様々だった。考え込む者、不敵な笑顔を浮かべる者、そして、怒りを露わにしている者…。直は、出来る事ならもう一度あの人たちと戦いたい、と思っていた。ノロを身体に宿らせたあの人たちともう一度戦えば、あの日、自分の中で出せなかった答えが出て来るのではないか、と思っている。そして今度は、必ず勝ちたい、とも思っていた。

「それとね…もう一ついっておかなければならないことがあります」

ざわめきが続く中、由良がポツリといった。千鶴がすかさず由良を見た。

「いうのね?」

「いいます」

そんな短いやりとりの後で、由良は皆の方を見た。

「凪子さん…早乙女凪子がね、もしかしたら神功刀使の中にいるかもしれません」

全員が、一瞬言葉を失う。

「え、それ、どういうことなんですか?凪子先輩はあの空襲で…」

重傷を負いながらも復帰していた北見春江がそういった。

「あの下町空襲の後、鷹司様が私一人で、という条件で接触を求めて来たの。瀕死の早乙女凪子を預かっている、といってね…」

そこで直と泉美は何かに打たれたかのようにハッと気づくものがあり、顔を見合わせた。泉美が口を開く。

「まさか、凪子先輩にノロを接種させたっていうんじゃ…!」

全員の注目を浴びた由良は、一呼吸置いてから、頷いた。

「その時の凪子は意識もなかったらしくてね、鷹司様が私に判断を委ねて来たの。凪子が助かるにはもうそれ以外に手が無い、ってね」

「それで、由良先輩は……」

「ええ、あの子が生き残る可能性があるのなら、何でもやってくれ、といいました。ノロを接種させるという特殊な処置は、神功刀使にしか許されていない、ということだったので、凪子を近衛祭祀隊から除籍にもしています」

由良の、強い口調と真っ直ぐな表情に、泉美も直も、皆も何も言えなくなった。

「ただ、その後のことがわからない…凪子が生きているかどうか、それがわからないのよね。うちの実家でも調べてもらっているけど、鷹司様の情報は今のところゼロ、よ」

千鶴がそういうと、由良は溜息をついた。

「あれ以来、神功刀使との接触が無くてね…それについては碧様も同じだそうですけど…」

「ええ、残念ながら今、あの人たちは表立って行動をしなくなりました。軍が存在を秘匿していて、私の要請でも会うことはできないんです」

「いやな感じですねぇ…まるで秘密結社じゃないですか」

香澄の口調は冗談めかしたものだったが、残念ながらあまり冗談には聞こえなかった。碧は苦笑した。

「そうですね…もしかしたら、もうそういう組織に近いのかもしれません…。とにかくいつ、あの方たちと…それから凪子さんと遭遇してもおかしくはない、そういう心づもりでいて下さい」

全員が複雑な面持ちで「はい」と答えた。

 

「直さん、何でまたあんなことをいったんですか?」

風呂から上がり、部屋に戻ってから、泉美が尋ねて来た。

「あんなことって…米内大臣の護衛のこと、ですか?」

直は寝間着の裾を少しまくりながらそう答える。最近、夜も暑くなってきた。

「そうです。要人の警護なんてきっと大変なことばかりですよ?決まり事がすごく多そうだし…」

泉美は直がどういうつもりなのか図りかねているのだろう。

「そうですねえ…」

どういったものかと直が考えていると、部屋のドアがノックされる。

「はあい、開いてますよ!」

直がそう、大きな声を出すと、

「ちょっといいかしら?」

「お邪魔しまーす」

そういって、四条姉妹が入って来た。

「あ、いらっしゃい。そうか、みんな今夜は非番だね」

「ええ、それでちょっと、色々と話をしたくなりましてね」

隊舎2階の二人部屋はベッドと押し入れのスペースとは別に六畳の広さがあり、直も泉美も荷物はさほど多くないので客を迎える余裕はある。吉乃と八重は、持って来たそれぞれの座布団を敷き、4人は中央の学習机も兼ねたちゃぶ台を囲んで座る。

「ん?もしかして取込み中だったかな?」

「いえ、それほどのことではありませんけど…」

八重の問いに直がそう答えると、泉美に睨まれた。

「いや、ええっとですね、何で私が要人警護に興味を示したのかと、泉美さんに聞かれていたんですよ…んー、ちょうどいいからお二人にも聞いてもらおうかな。いいかな、泉美さん?」

「何がちょうどいいのかわかりませんけど…私の疑問に答えてくれるなら、別に構いませんよ」

「はい、それじゃあ、ちょっとお話させていただきますね」

直はそういって、3人の顔を見回し、一つ咳払いをした。

「私は、もうこの戦争は終わりにするべきだと思っています」

3人がじぃ…と直を見る。それから、

「あら、驚いた。また随分唐突ね」

言葉とは裏腹に、さほど驚いた様子もなく吉乃がそういった。

「もうずっと思っていたことなんですよね。空襲で死んだ父が前にいっていたんです。『この戦争は、引き際を逸してしまった』って」

「確かに、そんなことをおっしゃってましたね」

「へえ…直のお父様って、陸軍の軍人だったんでしょ?そんなことをいうんだ…」

八重の言葉に、直は思わず笑ってしまう。

「そうですね。本当に、変な軍人ですよね…でも父はそういう人で、それからこうもいっていました。この戦争を終わらせることができるのは米内さんのような海軍の人かもしれないって…」

「お父様が、そんなことを…」

泉美がそういい、直が頷く。

「私はこの間の空襲で祖母、父、母を亡くしました。でも、兄は軍人をやっているし、私はこうして刀使になっていて兄妹共に住む所にも食べる物にも困っていません。でもこの間、街を歩いていたら同じように親と家を失ったと思われる子供たちがいました。私が芋を食べているのを、じっと見ていました」

直はそこで言葉を区切り、頭の中でいいたいこと整理する。皆、黙ってそれを待ってくれている。

「すごく理不尽だって、思うんですよね。おばあちゃんが目の前で死んだ時もそう思いましたし、サトちゃんを見ていても思うんですけど、何も悪いことをしていない、ただそこで暮らしていただけの人が突然、爆撃されて死んでしまったり、大切な人を奪われてしまうなんて…日々の、当たり前の生活があったのに、それが一方的に奪われてしまうなんて…。だから、思ったんです。こんな世の中はやっぱり間違ってる。戦争を終わらせるためにどんな条件があるかわかりません。戦争に負けたらどうなるかなんて…怖くてわかりません。でも、普通の人たちが普通の暮らしを取り戻すためには、まず、この戦争を終わらせないといけない…私は、そう、考えているんです」

聞き終えた泉美が、

「だから、戦争を終わらせられそうな人の警護をやりたい…そういうことですか?」

そういうと、直は頷いた。八重が「なるほどね…」といいながらそのまましゃべり始める。

「この間、芝の増上寺の台徳院に行ってきたんだけどね」

そこは、この場の4人が御刀を賜った場所だ。そして、その台徳院もまた、空襲で焼けてしまっていた。

「聞いていた以上に酷かった。あのきれいな朱塗りの伽藍が本当に跡形もなく、黒焦げになっていたよ…思い出も何もあったもんじゃない」

八重はそういって苦笑する。

「あれからもうすぐ5年経つのね。八重と一緒に東京に来て、御刀を賜って、近衛祭祀隊に入って…」

「あっという間…でもないか。いろいろなことがあり過ぎましたしね…」

「そうですね。ものすごい5年間でした」

感慨に浸る3人をみながら、八重が続ける。

「いやほんと、私なんか刀使に選ばれるとは思ってもみなかったから、すごい体験をしてるなと、我ながら思う時があるわ」

「え?刀使になると思ってなかったの?」

「全然。姉様は昔から凄かったから絶対に刀使になるといわれていたんだけど、私は別に、そこまででもなかったし…」

「あら、そんなことはなかったのよ。鷹司様も八重には一目置いていたしね」

「え?そうだったんですか?」

「気付いてなかった?あなたと立ち会う時はいつもやりづらそうにしていたのよ。私なんかは逆にやりやすかったみたい。実際あなたは鷹司様に勝ち越しているしね」

「あれ、そうだったかな…まあいいや。とにかく、私は別に刀使になれるとも、なろうとも思っていなかったし、しかも護国刀使にまで選ばれるなんて自分でもちょっと信じられなかった。でも、なれた」

「護国刀使に選ばれて、嬉しくなかったっていうことですか?」

直の質問に八重は首を横に振る。

「いやいや、そんなことはないよ。そりゃあ嬉しかった。給料もすごくいいしね」

「まあ、それは確かに…でも、四条家は結構お金持ちなんでしょ?」

泉美の質問に、今度は吉乃が首を振る。

「いえいえ、昔はそれなりに華やかなりし頃があったそうですけれども、今はもうそんなことはないんですよ。ただの雑貨屋に成り果てています」

「そう、姉様の言う通り、そんなに大層なものじゃなくてね。一応宮中儀式で使うものなんかを献上したりもしてるけど、このご時世それだけじゃ何ともならないから新しい商売を起こさないといけないかなと思ってて、その資金集めのためにせっせと貯金しているの」

「八重は本当に、そういう所しっかりしてますよね。父と母はね、八重が男だったらいい跡継ぎになったのに、って未だにいうんですよ」

吉乃がそういって笑うと、八重は軽く溜息をついた。

「ま、それはともかく…何で私がこうして自分の話をしたかというと、刀使なんてなりたいと思ってなれるものでもなし、別になりたくないと思っていても選ばれればやるしかない、そういうものじゃない?いってみれば普通の子供が突然こんな立場になってしまっただけなのに、そんな子供たちをあてにして戦場に送り込もうとするなんて、そんな大人が政治をやってるからこの国はこんなところまで追い詰められたんじゃないかって、そういうことをいいたかったの」

一気にそういった八重が、ふーっと息をついた。他の3人は半ば、唖然としていた。

「はあ…何か、やっぱり八重さんはすごいですね。私はただ、酷い世の中だって思っただけなのに…」

「八重さんってたまにそういう…社会的なことをいいますよね」

直と泉美の言葉に、吉乃が頷く。

「八重は視野が広いのよね。うん、でもその通りかもしれない。あまり大きな声ではいえないけれど、今の大人たちは自分のやって来たことのツケを子供たちにまで支払わせようとしているのかもしれないわね…」

「はあ…政治なんかのことはよくわかりませんけど、『お国のため』といっておけば大人も子供も従うしかないっていうのは、やっぱりおかしいんでしょうね」

「そういえばこれも直さんのお父様がいっていましたけど、国が一つの方向だけを示して、他の意見を許さない…そんなのはおかしいことだって」

八重がぽん、と膝を打つ。

「それなのよね。国が一つの方向だけを国民に強要するから、国民も他のことは全部悪いと思ってしまう。護国刀使の皆だっていい子過ぎる。皆、わけのわからない任務にはもっと不満をぶつけたっていいんじゃない?確かに高い給料をもらっているけど、うら若き乙女たちが命を懸けて働いているんだから、いうべきことはもっといっていいと思うけど」

直が、「うーん」といって両手を上げ、そのまま畳の上に寝転ぶ。

「そっかあ、別の道があったっていいのかあ…。そりゃあそうですよね、これだけ色んな考えを持っている人がいるわけですもんね」

「どうしたの、直さん?」

「うーん…八重さんの体制批判はともかく、私も私なりに思う所があるなあ、と」

「あ、ちょいと直さん、体制批判だなんてあんまり外ではいわないでよ?」

「あれ?そういうところは空気を読むんですね…うーん、どうしようかなー」

「ふふふ、そうね、心得違いの妹を泣く泣く訴える姉…マスコミが飛びついてきそうだわ。国からご褒美がもらえるかも!」

「うあー、姉様、勘弁して下さいー」

皆で笑い合いながら直の胸中には、この仲間達だけは守らなければならない…そんな思いがよぎっていた。

その時不意に、防空対策のため縦横斜めにテープを貼っている窓がコツコツと鳴った。

「ん、何…?ここ、2階よね?」

そういう八重を横目に、直はすかさず身体を起こして窓を見て、苦笑した。

「直さん、まさか…」

「ええ、そのまさか、みたいです…あのー、吉乃さん、八重さん?」

「はい」

「何?」

「お二人は、人間に友好的な荒魂がいる…と思います?」

姉妹は顔を見合わせてから、微かに笑った。そして、

「直、最近この宮城のお堀に奇妙な生物が出る、という噂があるのは聴いている?」

「え?本当ですか…噂になっちゃってるんですか…?」

「ええ、鵺が出たんじゃないかって噂になってるわね」

直が横目で泉美の方を見ると、泉美は溜息をつき、窓を開けた。「ぎぃー」と鳴きながら、リュウが入って来る。一度窓際に着地してから、また跳んで、直の肩に止まった。

「えーっと、この子は荒魂の…いや、元荒魂って言った方がいいのか…まあ、ともかくケガレのなくなった荒魂で、『リュウ』っていいます。ほら、ご挨拶」

リュウは、そこで吉乃と八重に向かって「ぎぎ」と鳴きながら頭を下げた。四条姉妹はまた顔を見合わせ、それから直の方にすり寄った。

「まあー、可愛いじゃないの!」

「ほう、これが鵺の正体か…やっぱりお前たち、知っていたんだな」

四条姉妹の反応が思ったより良かったので、直はほっとした。泉美も同様らしく、安堵の笑顔を見せる。

「前々から直さんが手なずけていた荒魂なんです。下町空襲の時にもこの子が力を貸してくれたおかげで、私たちをはじめ多くの人たちが助かったんです」

「そうなんです。今私たちがあるのはリュウのおかげなんです!」

「そうかそうか。リュウ、世話になったな」

八重の言葉にリュウは頷き、それから吉乃の肩に跳んでエリマキのようにその首をくるくると回った。

「なになに、もうくすぐったいじゃない!」

「おお、荒魂が姉様に懐いている…」

「直さん、リュウって結構面食いなのかもしれませんね」

「そうですね、碧様には会わせない方がいいかもしれません…まあ、それはともかく、日本橋の掘割がやられてしまった関係で、最近宮城のお堀に移り住んだみたいなんです。一応隊の皆さんに話そうとは思っているので、その時には、その…援護射撃をお願いします」

「了解」

「ええ、私も異存ありません」

直と泉美は、姉妹の返事を聞いて一安心し、4人はその一匹を交えて、夜が更けるまでおしゃべりを続けた。

 

 7月も終わろうかという頃になって、要人警護の依頼が正式に海軍から入った。同時に海軍の軍服が何着か送られてきていた。任務初日の朝、直と泉美はその軍服に袖を通し、互いの恰好を見て笑う。

「うん、泉美さん、なかなか素敵じゃないですか」

「いえいえ、身長があるからそちらのほうがお似合いですよ、来栖少尉」

そういってから、また二人で笑う。濃紺の制服に御刀を差し、軍帽の中に髪をしまうと、二人の姿は一応軍人らしく見えた。送られて来た制服にはどれも少尉の階級章がついており、それぞれを名字と階級をつけて呼び合うよう注意も受けていてた。一応、護国刀使の警護担当者は士官待遇で扱われるらしい。

「おお、来栖少尉に沢少尉、ご出勤ですか?」

「うんうん、男装の麗人、いいじゃない!}

隊舎玄関までの廊下を進んでいると、四条姉妹がやって来る。

「へへ、いよいよ今日からです。通常勤務に穴を空けちゃいますけど、よろしくお願いします」

「といっても、この宮城周辺にいることが多い任務ですので、すぐに戻れますけどね」

二人がそういうと、八重が何か思い出したかのように全員の身体を両手で寄せる。

「どうしたんですか、八重さん?」

「実は、由良先輩とあの深津っていう海軍士官が怪しいとのウワサがある。貴官らは極秘にその辺りについても探ってきてくれたまえ」

直と泉美は思わず吹き出し、

「了解です八重隊長。ばっちり探りを入れてきます!」

「はは…追加任務、心得ました」

そう答えて隊舎を後にした。

大手門に回るとそこには見覚えのある車があり、見覚えのある人が立っていた。

「おはようございます。来栖さんと沢さん、でしたね」

これで会うのは三度目か、件の深津大尉からそう声を掛けられた。

「はい。おはようございます。来栖直です」

「おはようございます。沢泉美です。本日からよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします…護国刀使とは浅からぬ縁になったものだ」

深津大尉はそういって微かに笑い、、大手門の警備に就いている近衛兵に礼をとり、それから二人を車へ促した。

「今日はまず米内大臣のお住まいに伺い、その後また、宮城に戻ります」

車中で、運転席に座る深津大尉がそう切り出した。直が早速尋ねる。

「米内大臣は、どこにお住まいなんですか?」

「5月25日の空襲で麹町三年町のご自宅を焼失されましてね、今は芝の白金にお住まいです」

「毎日送り迎えをされているんですか?」

「ええ、ご本人は面倒がられていますけど、さすがにそういうわけにもいかないので」

後部座席に座る直と泉美はそこで顔を見合わせた。

「お命を狙われているというのは…本当なんですね?」

泉美がそういうと、

「ええ…何とか我々だけで警護は出来ていたのですが、ここに来てまた事情が一変してきまして…」

深津大尉がそう、言葉を濁しながら答えたので、直も泉美もそれ以上話すのを止めた。

永田町から霞が関の官庁街は、国会議事堂と大蔵省を除き、ほとんどが5月25日の空襲で焼けていた。その後も大小の空襲で国家の中枢はほぼ、灰と化していた。今となっては空襲警報のサイレンが鳴らない夜の方が珍しく、人々は疎開をしたり、家が残っている親類縁者を頼ってなんとか暮らしていた。戦争が始まる前は7千万人を数えていた東京の人口は、この頃はその半数、3千5百万人程度にまで落ち込んでいた。

そんな荒廃した帝都の様子を車窓の向こうに見ながら、車は米内海軍大臣が住んでいるという家の付近で停まる。3人はそこで車から降り、直と泉美は深津大尉の後についていく。後ろから観察してみれば、深津大尉の動きに隙が無いのがよくわかる。おそらくこの人自身も何かしら武道を修めていて、こういう任務をよくこなしているのだろう。そんな、隙の無い足取りが急に早まった。直と泉美は半ば駆け足でついていく。

「困ります、勝手に出てもらっては!」

そう、深津大尉が言葉向けた先には、長身の男が立っていた。

「オウ、そろそろかと思ってね。おお、お嬢さん方、これから頼むよ」

ふらりと散歩にでも出て来たかのような気安さで、その男が声をかけて来た。

「あ、はい、よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします!」

二人は揃ってそういいながら礼をして、それから頭を上げてまじまじとその護衛対象ー海軍大臣米内光政の顔を拝み、軽く衝撃を受ける。頬が削げ、目は窪み、顔色も良くない。その目には確かに強い光があったものの、かつての穏やかでふくよかな面影はすっかり消え失せていた。

「うん?どうかしたかな、お嬢さん方?」

そんな二人の様子を気取ったのか、米内が声をかけて来た。

「いえ、その、少しお痩せになられたのかな、と思いまいして…」

米内はその言葉に片眉を少し上げてから、

「ああ、これでも病人なんだ。血圧が高くてね…なかなか難儀をしておる」

それだけ言って、また歩き始めた。まだ何かいいたそうであった深津大尉は仕方なく「こちらです」といって先導をする。直と泉美は、米内の後についた。

助手席に泉美が座り、直と米内は後部座席に座る。車は再び宮城に向かって走り出した。

「すまないな。本来ならば荒魂の相手をしなければならないのに」

暫く進んだ所で突然、米内がそういったので、

「いえそんな…大事なお役目と心得ております」

直が慌ててそういうと、前の泉美もこちらに半身を向けて頷く。

「うん…何分大きく状況が変わって来てね……今日もこれから御文庫で最高戦争指導会議なんていうものに出ないといけない」

「状況が変わったというのは…あの、何かあったんですか?」

さっきも深津大尉が似たようなことをいっていた。機密なのかもしれないが、直は聞かずにはいられなくなった。

「米・英・支の三国連名で我が国への降伏勧告があった」

「大臣…!」

直と泉美は目を見開き、深津大尉は警戒の色を成したが、

「早晩国民にも発表することだ。問題は無い」

米内大臣はそれらを気にする風でもなくそういった。

「降伏勧告…日本は降伏するんですか!?」

たまらず泉美がそういうと、米内は首を振る。

「まだわからんよ。それをどうするか、決めようというのが今日の会議だ」

直も泉美も言葉を失った。まさか、そこまで事が進んでいるとは思っていなかった。

そのまま、車中では会話はなく、車は宮城へ入る。一旦宮内省の前で停まり、米内はそこで車を乗り換えて行ってしまう。3人は残されたまま、ここで待機することになる。

「御文庫って、この奥にあるんですよね?」

直がポツリとそんなことをいうと、深津大尉が頷いた。

「ええ、この森を越えたずっと奥です。地下室もある頑丈な建物で、本来は皇室の方々の避難所として作られたものだったのですが…」

「まさか、本当に使うことになるとは、といったところですか…」

宮城内に焼夷弾が落ちた時は、大変な騒ぎだった。護国刀使の隊員たちも消火に向かったが、結局消し止めることはできなかった。直と泉美は、別の空襲現場にいたため後からこの時の話を聞いたのだが、その際に、こんなところにまで爆弾を落とされてしまうなんて、もういよいよダメなのかもしれない…仲間達がそんな話をしていたのが印象に残っている。

「うーん、それにしても、ここでどれくらい待てばいいんでしょうか?」

直はそういいながら腕をパタパタと動かして袖から空気を入れた。軍服は暑い。だが、上着を脱げば女だということがすぐにバレる可能性がある。一応海軍としては、それは避けたいらしいので、二人は我慢していた。

「正直なところ、わかりません。何時間にも及ぶ、ということも珍しくはありません」

「そう…なんですか」

直は気が遠くなりそうになった。その横で、泉美は顔を引き締めている。

「やはり激務なんですね。米内大臣の変わりようには驚きました」

「ええ、かなり心労が溜まっているようです。元来無口な方なのでなかなかお心のうちまではわからないのですが…かなり苦しい立場にあることは間違いありません」

そんな、深刻な顔をしている二人の横で、直は大変なことに気が付いて顔を上げた。

「あの、深津大尉!」

「はい、なんですか」

「私たち、その…お手洗いはどうすればいいんでしょうか…?」

二人の深刻な顔が、そのまま引きつっていた。

 

 結局、二人は交代で隊舎に戻り、休憩を取ることになった。そして夕方になってようやく米内大臣が戻ってきた。帰りの車の中では降伏勧告を黙殺、つまりは無視することが決まったということを聞き、むくんだ足を引きずって隊舎に戻ったのは結局夜遅くになってからだった。決してきつい任務ではないが、身体にべっとりと疲れがこびりついている。翌日も同様の任務になるので、二人は早々に床に就いた。自分たちの関わっていることが、国家の大事であるということに気付くのは、翌朝の新聞の内容を見てからだった。

「『笑止、対日降伏条件』ですって。連合国からこんな勧告が来ていたのね」

朝食を摂りながら新聞を読んでいた由良の言葉に、直と泉美は顔を見合わせ、すぐに由良の席に回る。

「ちょっと、どうしたのよ二人共」

「すいません、新聞、ちょっと見せてくれませんか?」

「うわ、昨日いわれたことがそのまんま書いてある…」

嫌でも自分たちがこの国の政治の最前線にいたのだ、ということを思い知らされた。これはどうやら、大変な任務のようだ。

「直さん、これって…」

「ええ、ちょっと、気合いを入れ直さないといけないみたいですね…」

二人はそこで、軍服の詰襟をきちんと合わせた。

 この降伏勧告こそが「ポツダム宣言」であった。これは連合国側から日本に対する最後通牒であったのだが、日本側ではこれを「何ら重大な価値があるとは考えない」と公式に発表してしまう。この発表は戦争継続派の目を欺くための鈴木首相によるスタンドプレーであった、と考えることもできるが、まさかこれが最後通牒とは認識していなかった、というのが実際のところであったらしい。

しかし、そんな日本側の事情など連合国側には関係ない。彼らは日本に降伏の意志無し、と見るや、速やかに次の手段に打って出た。

 

 8月6日、篠原五十鈴と穂高美千代は、サトを連れて、街を歩いていた。下町空襲の後から定期的に街中へ出て、尋ね人の掲示板を確認したり周囲に聞き込みをしているが、依然としてサトの親族に関する手掛かりは掴めなかった。

「ふー、今日の捜査もボウズか」

隅田川の川べりで五十鈴がそういって腰を下ろすと、

「ボウズかー」

サトもそんなことをいって五十鈴の隣に座った。

「何それ、刑事にでもなったつもり?」

サトを間に挟み、美千代も座る。

「いやー、あれからもう5か月、こうも手掛かりが無いと嫌になってきますね」

「そうね…でも、頑張りましょう。サトちゃん、伯母さんが近くに住んでいたのよね?」

「うん…お父さんのお姉さん。タミおばさん…」

もう、難しいのかもしれない、と五十鈴は思っている。この調査はサトの親族は元より、あの日行方不明になったままの二人の先輩、甲斐百合子と島田希美の捜索も兼ねている。だから、正式に任務扱いにしてもらっているのだが…いくらなんでも生きていれば何かしらの連絡があるだろう。そんなことを考えながら、そのまま寝転ぶ。空には灼熱の太陽、風も無く、ただ、じりじりと暑かった。そこへ、嫌な音が耳に届いた。制服の胸ポケットに入れていたノロ磁針が、反応している。

「五十鈴さん、この反応、近い…」

「ええ、川下の方…みたいですね」

二人はサトを連れてい行くべきか一瞬躊躇した後、ここに置いていくのも危険なので、連れて行くことにする。サトの足に合わせて急いで行くと、川の流れを抑えるために幾つか打たれた杭の辺りで、泳いでいる子供たちが鳥型の荒魂に襲われているのが見えた。

「五十鈴さん、先に行って!」

「了解っ!」

五十鈴はそこで石田政宗を抜き放ち、迅移で駆けながら、川に向かって跳んだ。

「てえええっ!」

荒魂としても予想外であったのか、3体いたうちの1体が、不意を討たれて真っ二つになった。残りの2羽はすぐに高度をとる。派手な飛沫とともに五十鈴の身体は一旦川に落ちたが、すぐに近くの杭に掴まって、その上に立つ。

「さあ、早く!川から上がって!」

子供たちは突然現れたずぶ濡れの刀使の命令に、取りあえず従い、必死に岸へ泳いで行く。

「よーし…さて、どうしようかな」

鳥の荒魂たちは、ギャアギャアと騒ぎながらまだ上空を旋回している。そこへ、背中から美千代の声が届く。

「五十鈴さん!その少し先に、御刀があるって!」

子供たちから何か聞いたのだろうか。その言葉通りに少し先に目を遣ると、杭に引っ掛かっている刀の柄らしき物が見えた。

「あれは…!」

上空を警戒しながら、その杭に飛び移ると、確かにそれが御刀であることがわかる。左手で掴むと、その瞬間に2体の荒魂が同時に急襲してきた。

「うわっ!」

さすがに、避けられる体勢ではなかった。写シは張っているがこれは多少の怪我は覚悟しないといけないか、と思っていたところへ、

「飛び込んで、五十鈴さん!」

美千代が御刀に手をかけて杭の上を跳びながら迫って来ているのが見えた。なるほど、このままでは自分が邪魔になるらしい。五十鈴は再度、川に飛び込む。そして次の瞬間、五十鈴が立っていたその場所に急降下して来た2体の荒魂たちは、美千代の抜き放った大和守安定にまとめて両断されていた。

「お見事、美千代さん!」

頭を出した五十鈴がそう叫ぶと、それに答えるように美千代が微笑み…そのまま着地に失敗して川に落ちた。

 

「いやー、参った参った」

「あー、もう、色んなゴミでいっぱいじゃない…」

川から上がって来た二人を、サトを含めた子供たちが囲む。

「すげえ、お姉さんたち、刀使なの!?」

「そうよー、刀使なのよー」

「五十鈴さん、その御刀…」

五十鈴が左手に握っている御刀は、切っ先が折れてあちこちが焦げ、新しい錆びが浮いている。

「ええ、これ、多分…」

「それ、オレがみつけたんだぜ!」

一人の男の子がそう、無邪気に得意気な声を上げた。宝物を見つけて、それを友達と一緒に取ろうとしていたのだろう。

「そうなんだ…うん、でも、ごめんね、これはお姉さんたちの仲間の物なんだ…」

「ああ、刀使の刀だったんだ。じゃあしょうがないな、持ち主に返さないと」

一番年長と思われる男の子がそういうと、他の子供たちも頷いた。

「ありがとう…。これね、お姉さんたちずっと、ずっと探していたものだったの」

自分たちの調査は無駄ではなかった、ということだろうか?五十鈴は言葉に詰まってしまった。

「本当にありがとうね。でも、あんな危険なことはもうしちゃだめよ。荒魂は御刀を狙って現れることもあるの。荒魂が現れたらすぐに逃げること、いいわね?」

美千代の言葉に「はい」と答えるその子供たちの中に一人、ずっとサトを見ている女の子がいる。ふと、それに気づいた五十鈴は、

「ん?あの子、もしかしてサトちゃんの知り合い?」

「え…」

「あ、やっぱりサト、橿原サトね!」

その女の子がそう大きな声を上げて、サトに近づいてきた。五十鈴と美千代は顔を見合わせる。サトの様子が、少しおかしい。

 

 サトの名を知っていたその女の子は石塚タカ、と名乗った。

「え、タミ伯母さんの娘…ってことはサトちゃんの従姉っていうこと!?」

「はい…」

サトの消え入りそうな声を聞きながら、美千代はその従姉に確認を取り始める。

「石塚タカ…ちゃん、お父さんやお母さんは元気なの?」

「はい…お父さんは出征してるし、家は空襲で焼けちゃいましたけど…」

「そう…サトちゃんは私たちが預かっているんだけど…良かったら、今住んでいる所を教えてくれないかな?」

石塚タカはサトの顔を覗き込むようにしてから、あまり子供らしからぬ笑みを浮かべ、

「いいですよ。それじゃ付いて来て下さい」

そういって歩き始めた。

着いた先は、戦災に遭った人々が協力して作っていた長屋のような集合住宅だった。共同の土間のような所で、タカは数人で炊事をしている女性の一人へ近づき、何やら話をした後、その女性がこちらを振り返って歩み寄ってきた。

「あら、本当に…サト、生きていたのね」

「おばさん…あの…こんにちは…」

おばさん、と呼ばれたからにはこの人がサトの父の姉、タミ伯母さんなのだろう。

五十鈴が声をかけようとすると、

「びしょ濡れの所悪いけど、お二人共、ちょっといい?タカ、サトを見ておくんだよ」

女性はそういって、五十鈴と美千代に外に出るよう促した。二人はあまりいい空気でないことを察しつつ、その女性の後についていく。

外に出ると、女性は三角巾を外した。頭を振ると、緩やかに波打った髪が落ちて来る。そうすると随分若く見えた。まだ30になったばかり、といったところだろうか。

「まさか、刀使に拾われて生きているとはね…悪運の強い子だわ…」

「あの、あなたがサトさんの伯母さん…なんですよね?」

「ええ、石塚タミ、といいます。あの子の伯母かどうかはわかりませんけど」

その含みのある言い方の理由を尋ねようと思うのをぐっと堪えて、二人は自己紹介をする。

「私は篠原五十鈴、と申します。近衛祭祀隊の刀使をしています」

「同じく穂高美千代といいます。サトさんはあの下町空襲の時、私たちが見つけて、保護しました」

「ふうん…本当にあの護国刀使なんだね。それで、あの子を引き取れ、そういいに来たの?」

タミは、そういって刀使の二人をねめつけるように見据えた。刀使の少女二人を向こうに回して、堂々たるものだった。

「…先程から随分と引っ掛かる言い方をされていますけど、サトさんには何か問題でもあるんですか?」

五十鈴がやや苛立ちを見せながらそういうと、タミはふっと口の端で笑った。

「ええ、さすが刀使さん。鋭いわ。問題大ありなのよ、あの子はね」

タミは二人の顔をよく見ながら、やはり、薄笑いを浮かべて続ける。

「あの子の母親と私の弟がどういう出会い方をしたのか知らないけど、そういう仲だったのは間違いない無いらしいわ。ただね、あの女はある時プイといなくなって、それから何年かして突然戻って来たの。あの子を連れて、ね」

五十鈴と美千代はそこでようやく、この人の態度がわかったような気がした。顔を見合わせてから、美千代が尋ねる。

「…そうですか、それで、その、お母さん…は?」

「サトから聞いてないのかい?あの女はそれからまた、すぐにいなくなったんだよ。サトはあんたの子だって、弟に押し付けてね」

「それっきり…なんですか?」

「ああ、それっきり、だね。あの女、他に男がいたんだろう。顔形だけは良かったからね.」

タミは、それだけ言って黙ってしまった。後は解れ、ということなのだろう。しばしの沈黙の後で、五十鈴が口を開く。

「それで、弟さん、サトさんのお父さんは…もう?」

タミは、黙ったまま頷いた。五十鈴は、もうこれ以上話をしたいと思わなくなっていた。

「そうですか…わかりました。ではサトさんは引き続きこちらでお預かりします。それで、よろしいですね?」

「いや…そういうわけにもいかないだろう。うちで面倒をみるよ」

それは、五十鈴と美千代にとっては意外な言葉だった。

「え?」

「え、じゃないよ。あの子はあんたたちとは無関係だ。これ以上、あんたたちに迷惑を掛けるわけにはいかない。置いていきな」

「いえ…失礼ですが、先程までのお話をうかがう限り、私たちがお預かりした方がサトさんのためだと思います」

五十鈴が半ば怒気をはらませてそういうと、タミの顔色が変わった。

「あの子のため?小娘が知ったようなことをいってくれるじゃない。子供を養っていくのはあんたたちが考えているほど簡単なもんじゃないんだよ。大体あんたたち、今はいいかもしれないけど刀使を引退したらどうするんだい。あんな子を連れてたんじゃ嫁にだっていけやしないよ!」

タミのその言葉には、迫力と共に説得力があった。確かに、今の自分たちは小娘でしかない。二人がたじろいだそこへ、言い合っている声が聴こえたのだろうか、サトとタカが姿を現した。

「タカ、サトを見て置けっていったでしょう」

タミは少しバツが悪いのか、かなり声の調子を抑えてそういった。

「ごめんなさい、お母さん。でも、どうしてもって…」

そういうタカの横からサトが進み出て、五十鈴と美千代に向かって頭を下げた。

「今まで、ありがとうございました!」

「え、ちょっと…」

「何いってるの、サトちゃん…?」

それから、

「おばさん、タカお姉ちゃん、これからよろしくお願いします」

今度はそういって、タミの方に向かって頭を下げた。

「全く、この子のこういう所が…」

タミはそういって、そんなサトから顔を逸らしながら、

「刀使のお嬢さんたち、もういいだろう。そういうことだから」

そういって再び長屋に戻ろうと歩き始め、タカとサトがそれについてく。だが、

「待って下さい!」

五十鈴が、その背に声をかけた。タミが振り向く。

「今おっしゃった、こういう所ってどういうことですか?」

「わかるだろ?人の顔色をうかがって、こういう芝居がかったことをする所だよ」

五十鈴は、真っ直ぐにタミを見据えた。

「私たちは…確かに小娘です。でも、だから、子供の時のことはあなたよりよく覚えていて…それに私には小さな弟や妹がいるからわかるんです。子供がこんな態度を取るのは…相手の大人のことが怖いから、でもその大人と上手くやっていかないといけないと思っているからです」

タミが完全にこちらに向き直った。五十鈴はさらに言葉を探す。

「私たちのことまで考えていただいて、それは感謝します。でも…あなたの所に行くと、サトが無理をしてしまう。あなたも無理をしてしまう。だったら、サトは私たちに預けてくれないでしょうか…!」

「…あんた、何を…」

タミが明らかに戸惑った様子を見せた。そして、サトが必死に涙を堪えているのに美千代は気付き、ニンマリとほほ笑んだ。

「タミさん、この子、この数か月ずっとサトと一緒に寝ていたんです。きっと、サトがいないともう寂しゅうていけんのです。理屈に合わない、おかしなことをいっているはわかってます。でもこういうのは、理屈やないけん…サト、あなたは本当はどうしたいん?」

水を向けられたサトは、タミと、五十鈴の顔を交互に見る。美千代は腰を下ろし、サトと視線を合わせた。

「誰の顔色を気にすることもないんよ。あなたが今、一番一緒にいたい人の所に行けばええの」

サトの顔がみるみるくしゃくしゃになり、五十鈴の方へ駆けだした。五十鈴がしゃがみ、サトを受け止める。

「サト!」

「お姉ちゃん!」

二人共、声を上げて泣き始めた。美千代も微かに目に涙を浮かべ、立ち上がる。

「タミさん、こういうことですから」

美千代がそういうと、タミはふっと溜息をつき、

「全く…まあいいよ、それじゃ、その子のこと、頼んだよ」

「はい。わかりました」

「サト、刀使のお姉さんたちを困らせるんじゃないよ」

「はい、おばさん、ありがとう…」

ぐずぐずになった鼻声でサトが答え、五十鈴も頭を下げた。

「さ、タカ、行くよ」

「うん!」

タミはそういって戻っていく。美千代もまた、その背に頭を下げた。

頭を上げてから、そういえば、あの人は旦那さんが戦争に取られているとは一言も言わなかったな、と思った。あえて、何もいわなかったのだろうか?だとすればあの人は、自分たちが思っている以上に誇り高い立派な大人なのかもしれない…そんなことを考えていたら、ようやく五十鈴が立ち上がる。

「どう、気が済んだ?」

「はい、美千代さん、ありがとうございました」

五十鈴とサトが、同時に美千代に頭を下げた。

「大げさね…まあ、私もサトちゃんがいなくなるのは寂しいからね」

そういうと、五十鈴とサトは満面の笑みを浮かべた。みんな、何とか今を生きている。そんな中でも、こうして人間らしさを失わないというのはとてもすごいことなのかもしれない。美千代は、篠原五十鈴という人間のことが改めて好きになった。

 

 サトを間に、3人は手を繋いで歩いていく。宮城まで帰り着いた頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。警護の近衛兵たちは、笑顔で道を空けた。石段を上り、隊舎が見える高台に来ると、夕日が鮮やかに見える。

「きれいな夕焼けだね、サト」

「うん、きれい」

「そうね、随分遅くなっちゃいましたね」

3人は笑いながら我が家へ急いだ。

声を揃えて「ただいま帰りました」と、玄関でいうと、すぐに戸が開く。現れたのは八重だった。

「ああ、3人共お帰り…。美千代、ちょっと話がある。すぐに学習室の方に来てくれる?」

「え?はい、わかりました」

八重がそれだけいって先に行ってしまう。

「なんでしょうね?私は一旦この御刀を青砥先輩に見せてこようと思うんですけど…」

川で拾った御刀を手にしながらそういう五十鈴に、美千代は頷く。

「ええ、そうして下さい。お風呂も、入れたら入っておいて」

「わかりました」

二階へ上がる五十鈴とサトを見送って、美千代は学習室へ向かう。一体何の話だろうか。

学習室では座学用に並べられた一番前の席に、八重と、由良が座っていた。

「お待たせしました。あの、どういったお話でしょうか…?」

由良が、取りあえず座るように勧めたので、美千代は二人の後ろの席についた。

「美千代さん、落ち着いて聞いて下さい」

由良がそう切り出してから、一つ、大きく深呼吸をして改めて口を開いた。

「広島に新型爆弾が落ちたとの情報が入ってね…市内の被害は甚大、らしいの…」

「…え?」

「まだ公式に発表もされていないけど、間違い無いらしい。海軍では広島に調査団を派遣したと聞いてる」

「新型爆弾って…どういう…」

家族や共に住んでいた人たちの顔、家や周りの風景を思い出しながら、美千代の頭の中は次第に混乱してくる。

「細かいことはわからない。でも…厳しいことを言うようだけど、楽観はしない方がいい。普通の空襲ならこんな知らせは入ってこない」

八重の言葉は、純然たる事実だった。

「何がどうなっているかわからない以上、あなたを広島に帰すわけにはいきません。でも、新しいことが分かり次第あなたには必ず伝えます。だから決して、早まった行動はとらないで」

「わかり…ました」

「今はただ、ご家族のご無事をお祈りしましょう…」

由良がそういい、美千代は頷いた。

 

 だが、その新型爆弾の恐るべき威力の前には人の祈りなどは無力でしかなく、広島の被害の凄惨さは、この場の3人の想像など到底及ぶものではなかった。

もちろん、それがわかるのはもっと先のことになる。

 川で見つかった御刀は、行方不明のままになっている島田希美のものであることがわかった。傷ついたその御刀を見ながら少女たちは希美の最期を思って涙し、それでも、御刀だけでも帰って来たことに微かな救いを見た。

刀使たちはその御刀を地下の祠に収め、島田希美と甲斐百合子の御霊の弔いをしめやかに行った。まだ彼女たちが生きていると思いたかったが、今生きている自分たちのために、けじめをつけたのだ。

 希美が最後まで握っていたであろう、その柄の拵えは青砥香澄によって丁寧に外され、後日、希美の家族に送られた。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。