広島に落とされたのは、アメリカが当時世界最高の科学者たちを集め、二十億ドルという巨費を投じて作られた全く新しい爆弾、原子爆弾であった。現地での被害調査が進むに連れてその脅威は日本の中枢にも知れ渡っていく。たった一発で、当時40万の人が住んでいた広島市を壊滅に追いやった新兵器…それは日本にポツダム宣言の受諾を再考させるには十分な要素となっていた。
そして8月9日、突如としてソ連が対日参戦を発表、中国東北部への侵攻を開始し、さらに同日、2発目の原子爆弾が長崎市を焼き尽くした。
鈴木内閣は天皇の意志「聖断」を巧みに引き出して無条件降伏を受け入れることを最高戦争指導会議の場で決定する。そしてこの降伏、つまり日本の敗北と終戦を伝えるために採られた方法が、天皇の肉声によるラジオ放送、いわゆる「玉音放送」であった。
8月15日の正午から重大な放送があるので必ずラジオの前にいるように、と国民には繰り返し告げられていたが、内容については明かされておらず、その放送の音源たる天皇の肉声も当時のNHK職員らによって8月14日午後23時を過ぎてようやく録音された。念のため同じ内容で二度録音され、正・副二枚の録音盤(レコード)が作られる。
一般の国民はその内容を知る由もなかったが、既に天皇の「聖断」が下ったことを知る者たちからすれば放送の内容は自明であった。そして、戦争継続を主張する者たちからすれば、これは絶対に阻止しなければならない放送であった。
8月14日から15日にかけて、宮城を舞台に最後の騒乱が始まろうとしていた。
銃声が二発、響いた。
鷹司京は嫌な空気を感じ、配下の刀使に中の様子を見て来るよう命じた。時計は既に午前一時を回り、日付は8月15日に変わっている。鷹司京と早乙女凪子、そして彼女らに率いられた9人の神功刀使たちは、宮城北の丸にある近衛師団司令部前に集っていた。
しばらくして、数人の陸軍将校たちが出て来る。その中には、稲田中佐の姿もあった。使いに遣った刀使が、近づいてくる。
「鷹司様…」
「何があった?」
「その…近衛師団長が、殺害されました…」
「何…?」
京はすかさず、共に出て来た軍人たちを睨みつけた。
「貴官ら、どういうつもりだ?森師団長を説得して宮城を占拠するのではなかったのか?」
稲田中佐が進み出る。
「すまない…血気に逸った連中を止めることができなかった…。しかしこうなればもう、やるしかない。近衛師団長の名を借り、近衛兵を掌握して宮城を占拠、録音盤を探し出す」
その後ろでは、半ば茫然とした数人の将校がいる。新しい血の匂いが、その男たちから漂っていた。
「ばかな…!偽りの命を発するのか。それこそ逆賊ではないか!」
「…あなたのいうことは最もだ。だが、これが偽命と暴かれるまでの時間こそが我らの味方だ。その間に陸軍大臣、東部軍司令を説得できさえすれば、これは偽命では無くなる」
「何を…録音盤を廃し、陸軍大臣、近衛師団長、東部軍司令官を動かして、改めて継戦の詔勅を発していただく…それこそ、この蹶起の目的であろう!その一点を欠いて、事が成るのか?残る両者を説得することもかなわんのではないのか!?」
稲田が項垂れる。図星なのだろう。
近衛師団、東部軍共にお役所組とは異なる陸軍の実働部隊で、特に宮城付近を護るのが近衛師団、関東甲信越を防衛していたのが東部軍であった。この蹶起はつまり、お役所組の陸軍省トップと、東京における実働部隊組の両トップを動かそうという実に壮大なものだった。実現すれば戦争継続の道が開かれる可能性はある、が…。
「…最早是非も無い事です。偽命であろうとなかろうと、我々は用意した命令書に近衛師団長の印を押した。これを警備指令所に持って行けば近衛歩兵連隊は動く。賽は投げられたのです。既に東部軍司令、陸軍大臣の所へは仲間が説得に向かっています。あなた方は打ち合わせ通り近衛兵と共に宮城内へ進んでいただき、抵抗する者を押さえていただきたい。日比谷の放送会館へ行っている仲間達もおります。とにかく録音盤を何としても探し出してほしい」
確かに、もう後戻りはできない。京は舌打ちをして、部下を集める。
「気に入らんが…それより他に術はないか…凪子!」
呼び掛けに応じ、闇の中から、長身の刀使が現れる。
「お前は…そうだな、3人連れて近衛の連中と宮内省へ向かい、録音盤の捜索にあたれ。この宮城に隠しているとすれば、あそこだろう」
「わかりました。では鷹司様が…あちらへ?」
京はそこで微かに笑う。
「そうだ。あそこは私もよく知っているしな、お前がかつての仲間たちとやり合うのも忍びないゆえ」
「…お気遣い、恐れ入ります。では3名、付いて来い」
凪子はそういい、案内役の将校と共に用意していた車に向かう。
「どれ、それでは行動開始といこうか…」
先頭に立つ京に従い、神功刀使たちは宮城へと向かった。
「あら…今隊舎の方で何か光りましたけど…って直さん、聞いてますか?」
泉美の言葉を、半ば朦朧とした意識で聞いていた直は、そこでさっと頭を上げる。
「寝てません、私、寝てませんよ!」
「もう…まあ、仕方がありませんけどね…ちょっと、外の空気にあたりましょうか」
「そうですね、うん、そうしましょう」
そういって、二人は席を立つ。二人がいるのは、いつも米内大臣を送った時に待たされる宮内省内の侍従武官室だ。侍従武官というのは簡単にいえば天皇に直接仕えている軍人のことで、職務の性質上、宮内省に部屋を持っている。その宮内省の建物から出てみると、玄関前で深津大尉が立っていた。庁舎前には照明があり、二人に気付いた深津が軽く礼をした。
「どうですか、不寝番は?」
「なかなかに睡魔が手強くて…」
直がそういうと、深津は笑って懐中時計を取り出す。
「もう2時になりますか…護国刀使にも不寝番はあると聞いていますが、その時はどういった任務内容なのですか?」
それには泉美が答える。
「そうですね、大体この宮城一帯や夜の街の警邏です。最近は空襲の対応に追われることの方が多くなりましたが…」
「ああ、なるほど…確かに、空襲警報が鳴らない日の方が珍しいですからね」
「だから、同じ不寝番でもこんな風にじっとしていることは無くって…ふっ…あーあ」
直はそこで大きく背伸びをしつつ欠伸をした。前方の宵闇に目をやると、自動車が走っているのが見えた。いつもの夜とは違う雰囲気が、確かに感じられる。
「うーん、やっぱり今日は何かあるんですか?」
そう尋ねると、深津も頭を捻る。
「わかりません。今夜の不寝番は米内大臣からの命なのです」
泉美は何か言いたい様子であったが、直は軍人がそういうものだとはよく知っている。上の者が命じれば、それは絶対なのだ。理由など必要ない。だからそれ以上何もいうことはなかったが、何もすることがないというのはやはり厳しいな、などと思っていたら、周囲から大きな物音が聞こえ始めた。
「何だ…?ちょっと見てきます」
そういって深津がすぐ前にある坂下門の方へ行こうしたその時、慌ただしく入り乱れた多数の軍靴の音が響いてきた。暗くてよくわからないが、軍人の一団が駆け足で近付いて来ているようだ。直と泉美は、軍帽を目深に被り直す。異変に気付いたのか、宮内省詰めの近衛歩兵たちも出て来た。
「師団長命令だ。これより宮内省内の捜索を行う」
到着するなり、軽く息を切らせながら先頭の軍人がそういった。電灯に照らされて見える彼らの出で立ちは、護国刀使たちも見慣れた近衛歩兵の制服、それに白のタスキをかけていた。所属を同じくする警備の近衛兵たちは道を空けたが、深津が待ったをかける。
「お待ち下さい。これは一体何事ですか」
「海軍の方か?侍従武官警護であれば心配には及ばない。我々はここにある物を探しに来ただけだ。繰り返すが、これは近衛師団長命令だ。道を空けるように」
「ある物…?一つ確認しておくが、貴官らは戦争継続を望む者たちか?」
「だったらどうしたと…」
近衛歩兵の男がしゃべり終わる前に、
「あまり手を患わせないでいただきたい、深津大尉」
凛とした女の声が響く。直と泉美は、深津の後ろで息を呑む。
「あなたは…護国刀使の…!何故…?」
早乙女凪子が、神功刀使たちを連れて前に出て来た。そう思った次の瞬間、抜き放たれた髭切の切っ先が深津の喉元に伸びる。しかし、直と和泉が深津の左右からそれぞれの御刀を振り上げ、それを真上に弾き返した。咄嗟の動きに二人の軍帽が落ち、しまっていた髪があふれる。今度は、凪子が驚く番だった。
「何…!直に、泉美か…!」
「ええ、お久し振りです…」
「凪子先輩…!」
ちょうど、警邏から戻った五十鈴と美千代は、隊舎に向かう細い石段で下から迫るただならぬ気配に振り向いて立ち止まる。
「刀使…!?あの時の…!」
「灰色の刀使…!」
あの模擬戦の後に現れた刀使たち、そしてその先頭に鷹司京がいるのがわかった。五十鈴は、暗闇の中でもはっきりと認識できる京の存在感に戦慄を覚えた。脇腹の傷痕が疼く。やがて、追いついた京が、声を掛けて来た。
「ほう、その声…あの折に怪我をした刀使だな…。傷は癒えたようだな。何よりだ」
「え…?あ、はい、どうも…恐れ入ります」
「ちょっと五十鈴さん、何いってるの?」
「え、だって心配してくれたみたいだし…」
そういいながら、二人は腰の御刀に手をかけて身構えた。ここは道が狭く、二人で塞げば先には進めない。一体何を考えているのかわからないこの人たちを、隊舎へ通すわけにはいかなかった。
「おいおい、そう警戒せずともよい。私は話をしに来たのだ。そのまま、お前たちの隊舎へ案内してくれぬか?」
「お話の内容次第、ではありますけど…」
「それだけの数の刀使を従えてきて、しかもこんな時間に、ただ話をしに来たというのはちょっと信用いたしかねます」
二人の様子を見て、京は諦めたように腰の三日月宗近を引き抜いた。
「ならば推し通るまでだ。しかしこのような閉所では存分に御刀を振るえまい。隊舎の前でやろうではないか」
「ふふ、その手には乗りませんよ。ここなら多少の戦力差は問題になりませんからね」
そういいながら、五十鈴は美千代を見てから、隊舎の方をへ目を遣り、頷く。美千代は一瞬戸惑った様子を見せながらも、小さく頷いた。
「ふん、小癪な…まあいい、こちらも数でなぶるのは趣味ではない」
「それは、どうもっ!」
五十鈴はそういうや否や、京に斬りかかった。受けた京の横についていた刀使がすぐに抜刀して斬りかかって来たのを、後ろに跳んでかわす。そしてその時にはもう、美千代の姿はなかった。
「ほう、知らせに走らせたか…一人で我らを足止めしようてか?」
「そこまで大それたことは思っていませんよ…でも、時間は稼がせてもらいます」
京が小さく舌打ちして退がるのと同時に、左右の刀使が斬りかかって来る。五十鈴はそれらを順に払い、さらに正面から振って来た刃を逸らし、それからじりっと一歩、後ろへ下がる。とにかく、真っ直ぐに受けて動きを止めたらおしまいだ。目の前の刀使たちの肩、つま先、かかと、そして腰の切り具合を見ながら一定の距離を保つ。冷静になれ、相手の動作の「起こり」を見逃すな、と自分にいいきかせる。この道ならば、二人以上が斬り込んで来ることはできない。それに、自分がいつも打ち合っている直や泉美ほどの剣士はそういない。今こそあの時の借りを返してやる…五十鈴は全身を研ぎ澄ませながら正眼に構え、切っ先をかすかに揺らめかせる。
わずかな膠着が生じたが、神功刀使たちにとってもここで余計な時間をかけるわけにはいかないのだろう。すぐに攻撃が再開された。一人の刀使が斬りかかって来る。五十鈴はそれに合わせようとした瞬間、その後ろから左右同時に迫って来る気配を感じた。咄嗟に御刀を鞘にしまって後ろに跳ねて距離を取り、初撃をかわす。そして感じた通り斬り込んできた左右からの刃が重なる瞬間を、
「てえっ!」
気合一閃、居合で同時に跳ね上げた。体勢を崩して後ずさる二人の刀使たちに押される恰好で神功刀使たちも後退する。五十鈴はすぐに御刀を振り下ろして右手を前に、左手は鞘を掴んだまま、半身で構える。
「はっ、たった一人でこの人数を押し返すとは見事!だが、遊びは終わりだ!」
そこへ、京が突出してきた。その直線的な振り下ろしは、半身の姿勢なら捌くのは難しくない。五十鈴は京の剣に自分の剣を合わせてそれを受け流そうとしたが、
「ぬるいっ!」
京の速度がそこで一段階上がった。
「なっ!?」
剣撃が、途中でその速度を変えた。前に出していた右手をくぐられ、京の身体が五十鈴のすぐ目の前で、左のつま先を軸にしてきれいに弧を描く。舞うように優雅なその動きを、五十鈴は恐怖を覚えながらも、見とれた。その直後、伸びていた身体に三日月宗近の切っ先が走った。カウンター気味に決まったその袈裟斬りの威力は凄まじく、写シも剥がされたが、何とかその場に膝を付くだけで堪える。
「うっ…!く…!」
声にならない声が漏れるように出て来る。意識が飛ぶかと思うほどの激痛だった。
「剣捌きも咄嗟の閃きもなかなかのものだが、まだ及第点はやれんな」
京は流れる黒髪を左手でさっとかき上げて、五十鈴の喉元に刃を突き付けた。
「ここでじっとしていろ。命まではとらん」
「そう…ですかっ!」
五十鈴はそういった瞬間に、渾身の八幡力で足元の石段を踏み抜いた。金剛身を上手く使えないので自分の身体にも衝撃が走ったが、石段が崩れて神功刀使の足並みが乱れ、自身は大きく跳んで間合いを取ることが出来た。
「ええい、またこの手かっ!」
京の怒声が聴こえて来たが、構ってはいられない。五十鈴自身、もう戦える状態ではない。そのまま転げ落ちるようにして高台を駆け下りる。足がもつれて転ぶ寸前、柔らかな感触に救われた。
「五十鈴さん、よく頑張ったわね。後は任せて、少し休んでいなさい」
「んん、千鶴先輩…」
千鶴の胸から顔を上げて見ると、隊舎前の灯りに照らし出されて、仲間達が立っている。由良、春江、香澄、それに美千代がいた。これほど心強い眺めもない。
「五十鈴さん、中でサトちゃんを見てあげて。さ、お出ましみたいよ。全員、抜刀!」
由良の号令に合わせて全員が抜刀し、写シを張った。もう写シを張ることもできない五十鈴は、仲間達の後ろに下がる。
「五十鈴さん、お疲れ!」
「うん、美千代さん、気を付けてね!」
途中で美千代と言葉を交わして隊舎に入ると、サトが立っている。
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
「うん、ちょっと疲れただけだよ」
五十鈴は大きく深呼吸をすると、そこへスっとリュウが飛んできてサトの肩に止まった。
「お姉ちゃん、このこと直さんや泉美さんにも伝えた方がいいんじゃ…」
「ああ、そうだね…でも、どうしようかな…」
そういっていると、表から声が聴こえ始めた。五十鈴はそっと、戸を引いた。
先頭に立っているのは鷹司京、そしてその後ろにあの灰色の刀使、神功刀使が5人確認できる。全員が御刀を構え、写シを張っていた。
「あの連中が模擬戦の後半に出て来た刀使だとちょっと厄介ね」
千鶴が、そういって来る。
「そうね…でも今、状態は万全だし、ここは私たちの庭だしね、あの時のようなことにはならないでしょう」
由良が答えたその時、京が御刀を鞘に納め、写シを解いた。それに倣い、後ろの刀使たちも全員、構えを解いた。護国刀使たちが戸惑っていると、
「我らは決して戦いに来たわけではない。まずは話を聞いてもらいたい」
そう、京が話しかけてきた。由良は少し迷ったが、鷹司京という人が決して嘘をつく人物ではないことは知っている。
「…わかりました。みんな、いい?」
由良がそういって納刀すると、全員それに順った。
「礼をいうぞ、霧島」
「それには及びません。これからのお話次第では再度、抜くことになるのですから…。それで、お話の前に一つ、よろしいですか?」
「早乙女凪子のことか?」
「そうです。あの子は今、どうしているんですか?」
京はそこで少し考えるような素振りを見せてから、
「それも併せての話だ。聞いてもらうぞ」
そう、有無を言わさぬ口調でいった。護国刀使は全員、黙るしかない。京が話始める。
「ポツダム宣言などという降伏勧告を受け入れることになったということは、お前たちも聞いているな?」
「ええ、ここの全員、知っていますよ。ご聖断によって受け入れることが決まった、ということもね」
千鶴がそう答えると、京はそれを一笑する。
「そういえば海相の警護をしているのだったな…情報は入っているか。ならば話は早い。我々は、そのような決定を断じて認めない。陸軍の者たちと申し合わせ、これを覆すべく今宵、蹶起した」
護国刀使の一同は、そこで互いに顔を見合わせた。千鶴がさっきより厳しい顔つきになって口を開く。
「何をおっしゃられるかと思えば…鷹司様、これはご聖断なのですよ?それを覆すなどと、あなた方は叛乱を起こすおつもりですか?」
「叛乱か…せめてクーデターといってもらいたいところだがな。だがこれは叛乱でもなければクーデターでもない」
京はそういって、その場の護国刀使たち、そしてわずかに開いている戸の向こうにいるであろう刀使にも聞こえるよう、声を張り上げる。
「無条件降伏など、この国の未来を考えた上での結論とはとても思えん。お前たちもよく考えてみるがいい。我ら大和民族が欧米の鬼畜共に隷属し、国を明け渡すことなるのだぞ?神代の時代から続く国体を失えば、最早この国が再生することはない。我らは亡国の民としてこの世界の底辺をはいずり回り、やがては全ての血統が駆逐されていくのだ。見たであろう、帝都へ執拗に焼夷弾をバラ撒くB29を。聞いたであろう、広島と長崎を襲った新型爆弾の話を。奴らは我々を殺すことになんの躊躇もない。今を生きる我らが決断を誤れば、我らの子や孫は、生まれながらに決して報われることのない塗炭の苦しみを味わうことになるのだ!」
由良が振り向くと、美千代が歯を食いしばっている様子が見えた。京の言葉は、続く。
「だが今ならばまだ、間に合う。本土決戦に持ち込み、我らの、刀使の力を見せつけてやるのだ!さすれば降伏には幾分かの条件を付けることができるであろう。早乙女凪子は今、我らと行動を共にしている。護国刀使の皆よ、お前たちも力を貸してほしい。今こそ、この国の未来のために我らとお前たちが協力し、毛唐共に一矢報いてやる秋だ!」
京の意志は、護国刀使の皆も少なからず知っている。そして今、改めて凪子が生きているという事実と共に熱っぽい口調に乗ったそれを受け止めてみれば、心が動いた。それもまた国を思えば一つの選択ではないのか…。護国刀使の中に無言の動揺が広がった。
「凪子、元気みたいね…」
千鶴がそう、絞り出すようにいい、
「そのようね」
由良はそう答えながら、自らの意志をぶつけてきた京に対し、護国刀使の隊長として何を答えるべきか、考えた。自分の意志、信念といえそうなものは、仲間達の命を何より優先する、ということだけだ。それは京の語る大義ほど立派なものではないし、常に必ず正しいとも言い切れないものだろう。だが、それがこれまで殉職者の数を抑え、凪子の命も救うことに繋がった…そう由良は信じている。京の言葉に従えば、仲間達も、この国の人々もまだまだ犠牲になる。由良としては、これを認めるわけにはいかなかった。
「鷹司様、おっしゃりたいことは…わかりました。凪子のことも、御礼申し上げます。しかし…」
「しかし?」
「いかに刀使が奮戦したところで、この力には限界があります。とても、一騎当千とはいかないでしょう。結果は、同じことです。みすみす仲間達の命を危険にさらすことはできません。どのようなお考えがあろうと、戦争を継続しようというお考えに、私たちが同調することはありません」
由良は澱みなく、そう言い切った。京の背後の刀使たちが柄に手をかけたが、京がそれを制した。
「我らは…近衛師団長の命令書で動いている。陸軍大臣、東部軍司令官への説得も行っているところだ。それが成れば、ご聖断は覆るぞ」
その言葉に、どことなく歯切れの悪さがあるのを由良は感じる。
「私たちは確かに近衛祭祀隊と名乗っています。近衛師団長の命を無視するわけにはいかないでしょうが…直接の命令は政府から受けることになっています。今はまだ、そのような…神功刀使と共に行動をしろ、というような命令は受けておりません」
さすがに、数人の神功刀使が抜刀し、それに合わせて護国刀使の面々も柄に手をかけた。
「待て!この者の理屈は最もだ!」
京の怒声を受けて、双方が再び構えを解く。
「残念だ、霧島由良。だが…そうだな。護国刀使がせめてここから動かないことを約してはもらえんか?」
「それは…」
「先程も言った通り、我々は近衛師団長の命令書で動いている。お前たちには命令がないのであれば、別に問題は無いのではないか?」
そういわれてしまえばその通りであった。しかし…妙な違和感が拭えない。
「そうですね…それであれば、その師団長の命令書というのを見せていただけませんか?」
一瞬、京の顔が曇った。
「命令書は警備指令室だ。わざわざ持って来ることはできんよ。疑念を持っているのであれば誰か遣いにやればいい。うちの者に先導させるぞ」
「それは…」
どうも先程から宮城全体が慌ただしく感じる。こんな時間だというのに自動車の音も時折響いてくる。こんな時、明眼や透覚を使える者がいればいいのだが…。
「どうした、何を迷っている?」
「迷ってはいませんよ。ただ、周りの様子がわからないもので、遣いを出すというはちょっと…」
「おい、こちらが下手に出ているからといってあまり調子に乗るなよ」
「そう怖い顔をしないで下さい。今こうして私たちが動かないでいる、ということは結局、鷹司様の意に沿えている、ということにもなるのでしょう?」
そう答えると、京は黙った。神功刀使たちは指をさかんに動かしたり、所在無げにあちこちを見回している。間違いない、彼女たちは何か焦っている。こうなれば腹の探り合いだ。もうしばらく、のらりくらりと会話を交わして行けば、何かわかることがあるかもしれない。由良は、じわりと流れて来た額の汗を拭った。
「何だか難しいこといってるね、お姉ちゃん」
「うん、それににらみ合いになっちゃったよ…あ、でも私も回復できるし、ちょうどいいかな」
戸の隙間から覗いている五十鈴とサトには、会話の全てが聞き取れているわけでは無い。一体どういう状況なのか今一つわからなかったのだが、決して悪い状況ではないようだ。
「うーん、やっぱり何か起きてるんだ。外の様子を見て来たほうがいいのかな…」
五十鈴がそう呟いたその時、
「うん、とんでもないことになってるぞ」
予期しない返答があり、五十鈴とサトはビクリと身体を震わせて振り返った。
「吉乃先輩、八重先輩!?あれ、いつの間に…」
二人が、廊下を進んでこちらに向かって来ていた。
「いつの間に、じゃないわよ全く。さっき裏の勝手口から帰ってきたの。刀使ならそのくらい気付きなさいよね」
「何だか隊舎前でもみ合っているようだったから回って来たの」
二人はそういって、靴を玄関に置いた。
「そうだったんですか…それでその、今、外では何が起こっているんですか?」
「実は私たち、今日は有楽町の方を回っていたんだけど、途中で軍人さんに捕まってね。連行されちゃってたのよ」
「え!捕まって連行!?え!?」
「いやいや、東部軍の軍人さんにね、今宮城では大変なことになっているようだが何か知らないかって聞かれたの。何でも陸軍省の将校が不穏な行動を起こしているってね…それで頼まれて司令部の方へ行ったら、偉い人に凄いこと聞いてね。急いで戻って来たの」
「エライ人にスゴイ事…ですか?」
「うん。で、五十鈴はここで何をしているの?」
「私はその、あの灰色の刀使たちを引き付けて先に少し戦っていたんです。でもあの華族の鷹司様にバッサリやられちゃいまして…」
「なるほど、それでここで聞き耳を立てながら回復待ち、というわけね…まあ丁度よかったわ。五十鈴さん、これから私たちは外に出て、東部軍司令部で聞いたことをあなたにも聞こえるように京様たちにしゃべります。それを、直さんと泉美さんに伝えに行ってほしいの。いいかしら?」
「それは構いませんけど…」
「よし、かなり重要な役割だからな。頼んだぞ。それじゃ、姉様」
「ええ、行きましょうか」
二人は靴を履き、がらりと戸を開けた。五十鈴とサトは、その陰に隠れる。
「吉乃さん、八重さん!二人共どこから…」
「何やら御取込み中だったようなので、裏口から入ってきました」
「お久し振りです京様」
二人の飛び入りに、京は微かに口元を引き締めたように見えた。
「吉乃に八重か…随分遅れてのご登場だな」
「ええ、ちょっと…東部軍司令部に寄っていたんですよ」
八重のその答えに、神功刀使の様子が目に見えて変わる。余計な動きがピタリと止まり、こちらを注視し始めた。
「ほう…それで、何を聞いてきた?」
吉乃と八重はそこで顔を見合わせてから、吉乃が大きく深呼吸をした。
「京様、あなた方はこの企てにどこまで関わっておられるのですか?」
「この企て…か。陸軍省の連中に協力している、という立場だな。残念ながら主導的立場には無い」
「そうですか。それであれば、罪は軽く済むでしょう」
吉乃はそこでさらに一呼吸置き、
「近衛師団長の殺害、及びその師団長印を無断使用して近衛歩兵連隊を動かしたこと、既に調べがついています。東部軍から私たちに協力依頼がありました。大人しく縛についていただくならばそれでよし、さもなければここで…身柄を押さえさせていただきます」
吉乃がゆっくりと大般若長光を抜き放った。
「近衛師団長の殺害って…それ、間違い無いのね?」
驚きのあまり口を開け放している由良に代わって千鶴がそう聞くと、
「はい、陸軍省青年将校の暴発です。もうじき東部軍が鎮圧に乗り出すでしょう」
八重が落ち着き払った大きな声でそう答え、千鶴が頷く。
「ですって隊長さん。ご指示を」
「あ、はい…鷹司様、残念ですが…吉乃さんと八重さんが加わって戦力的にもこちらが優位です。御刀を、置いていただけませんか…?」
神功刀使の少女たちの眼が、京に集まる。黙って話を聞いていた京が、肩を揺らし始めた。
「ふふふ、はははは、いや、案外早かったな。少々お前たちにこだわり過ぎたか…霧島、確かにお前の言う通り、このままではこちらが不利だ。だが、ここで我々を止められるなどと思うなよ」
京はそういうと、隣の刀使に何やら合図を送った。護国刀使たちが全員その動きに注視して身構えたその瞬間に、その刀使が何かを取り出して投げつけて来た。ボン、という音と、強烈な閃光がそこから発せられたのが、ほぼ同時だった。
五十鈴は背後から発せられた膨大な量の光に気付き、腕で顔を押さえながら少し、振り向く。
「何これ…!?隊舎の方から…!?」
眩しくてとても光源を特定できないが、間違いなく何か仕掛けられたのだろう。五十鈴は今、直と泉美に吉乃と八重が語ったことを伝えるため、隊舎の裏口から宮内省庁舎に向かっていた。一旦戻るべきか、と躊躇したその時、
「ぎっ!」
リュウが飛んで来た。口には直が予備で持っているあの御刀を咥えている。
「あなた、ちょっと、直先輩のところに行こうっていうの!?」
リュウは五十鈴の頭に止まってから、また大きく跳んだ。
「あ、待って!…まあ、皆ならきっと、大丈夫、行こう!」
五十鈴は一人頷き、草木をかき分けながら進む。一応、抜け道として用意されてはいる道だが、あまり使うこともないため夏草に覆われていた。吉乃と八重が通って来たと思われる形跡があるのが救いだった。さらに、頭上を飛んでいくリュウがこの暗闇にもかかわらず正確に宮内省に向かっている。遠回りにはなるが、どうやら迷う心配は無さそうだ。
「お前たち…そうか、海軍要人の護衛をしているとかいう話だったな」
凪子は髭切を構え直す。すかさず、後ろの3人の神功刀使たちも抜刀した。直も泉美も、正眼に構えを取る。
「そういうことです。凪子先輩、本当に神功刀使…の一員になっちゃったんですか…?」
直の問いに、凪子はうっすらと笑う。
「そうだ。命を救われてね」
「先輩と戦いたくなんてありません。本心、ではないんですよね?命を救われたから仕方なく、協力しているだけ…なんですよね?」
「私は鷹司様のご意志に納得してこの場にいる。お前たちとはもう、敵同士だよ。それに…私はお前たちと戦ってみたい、そう、思っているがね…」
凪子はそこで言葉を区切り、後ろを振り返った。
「さあ、ここは私たちが預かります。早く中へ」
そういわれて我に返ったのか、弾かれたように近衛歩兵、そして陸軍将校たちが対峙する刀使たちの横を通り、深津大尉を押しのけて宮内省へ入っていった。
「さあ直、泉美、お前たちの相手はこっちだ」
凪子がそういいながら写シを張る。後ろの3人もそれに続く。
「直さん、これはもう…やるしかないみたいですね」
「ええ…深津大尉は中の様子を」
「残念だが…ここではお役に立てそうもないな。ご武運を」
深津が溜息をつきながら宮内省の中に入っていくと、直と泉美も写シを張った。それが合図とばかり、神功刀使たちが斬りかかって来た。迅移は徐々に段階を上げて行かねばならないという制約があるため、刀使の戦いは早く動いた方が有利になる、というのが鉄則だ。文字通り先手必勝、自分を除く3人が明らかに直、泉美に劣るということを踏まえた凪子の判断だろう。しかも、前衛と後衛に分かれているらしく、先に前の二人が斬り込んできた。それを受けた所で後衛の二人がとどめを刺す、そういうことらしい。直も泉美も、この直線的な攻めが瞬時に理解できた。これもまた、凪子の考えそうなことなのだ。二人は目くばせをして、まずは前衛の斬り込みを受けた。その後ろから凪子ともう一人が斬りかかって来るのを見て、直と泉美はニヤっと笑う。直はすかさず毛利藤四郎の短い刃を引いて、隣で泉美に太刀を受けられていた刀使の脇腹へ、腰でぶつかるようにして肋骨の下から刃を押し込んだ。臓器を裂く感触が手に伝わる。刃を抜くと写シがはがれ、崩れ落ちようとするその身体を、直は肩口で押し出す。迫る後衛の刀使は味方の身体に弾かれた。
同時に、泉美も突然相手が消えて一瞬の狼狽が生じていた隣の刀使の胴を払い、すぐに凪子の剣を受けた。その間、直は突き飛ばした前衛の刀使の身体を回り込んで、体勢を崩していた後衛の刀使の喉を、一突きにしていた。
4対2が、あっという間に1対2に変わっていた。直が構え直したの見て、凪子はさすがに後方に跳び、間合いを取った。
「…しっかり鍛錬を積ませてきたんだが…お前たちはやはり別格だな」
「お褒めに預かり光栄です」
「先輩にさんざん鍛えられましたからね」
それを聞き、凪子は微かに笑ったようだった。
「…二人共、御刀を変えたのか」
「はい、いろいろありまして…私はおばあちゃんの毛利藤四郎を継ぎました」
「私は直さんの義元左文字を使っています」
「確かに…いろいろとあったようだな。しかし直、随分物騒な技を使うようになったな」
「要人警護任務のために暗殺者の手口を色々と学びまして…こんな風に自分で使うことになるとは思いませんでしたけど」
「なるほど、必殺の剣というわけか…注意しよう」
直と泉美は、ゆっくりと構え直す。いかに護国刀使最強といわれた凪子であっても、二人で掛かれば間違いないだろう。
「ええ、必殺です。凪子先輩、あなたに手加減なんてできませんからね。覚悟して下さい…」
「二人掛かりでいきますけど、悪く思わないで下さい」
「気にすることは無い。お前たちが相手なら、私も全力を出せるというものだ…お前たちの方こそ、悪く思うなよ…」
直と泉美は、そこで凪子の目が赤く光るのを確かに見た。
「割合に上手く撒けたようだな…奴らの御刀はどれくらい奪えた?」
「全部で4振りです。これですぐには追って来られないでしょう」
京はそれを聞いて、一息つく。京と6人の刀使たちは近衛祭祀隊舎前を脱し、宮内省庁舎のすぐ側まで駆けて来ていた。事前に用意していた照明弾の効果はてきめんであり、どさくさに紛れて護国刀使たちが握っていた御刀まで強奪していた。
「宮内省で凪子らと合流し、撤退だ。真っ直ぐ乾門まで駆けるぞ」
宮内省から乾門まではほぼ一直線に通り抜けられる。その先の近衛師団司令部には何台か使える車が置いてあり、そこまで逃げてしまえばあとは何とかなる。
「しかし、良いのですか?稲田中佐をはじめ陸軍の方々を放っておくことになりますが…」
「我々はだまされたも同然だ、このままでは大儀無き戦に巻き込まれ、罪人になる。まさかこれほどに頭に血の上りやすい連中とは思わなかった…」
京は失望感を露わにしていた。実際のところ、今夜を逃せば終戦への流れは止められないと思い、蹶起に協力したのだが、近衛師団長殺害が露呈し、東部軍司令部が動き出したとなれば計画は完全に破綻だ。
「真夏の世の夢、であったか…」
手詰まりであることは否めない。だが、ここで諦めるわけにはいかないのだ。
「京様…?」
「ふん、まあいい。行くぞ」
駆け出すとすぐに、真剣のぶつかり合う音が聴こえる。凪子と、軍服を着た刀使たちが戦っていた。妙な相手だと思ったが、凪子につけた3人が既に倒れているのがわかる。
「あの二人…そうか、来栖直と沢泉美、ここにいたか!」
凪子から事前に聞かされていた要注意の刀使二人だ。京としても直の方ははっきりと覚えている。全員の表情が引き締まった。
「全員抜刀…いや、一人は倒れている者たちの様子を見に行け!残りは着いて来い!」
迅移で駆け出す京の言葉に6人の刀使は「はっ!」と声を揃えて返事をし、一人をその場において後に続く。前方三人の戦いは、凪子の力技が功を奏しているらしく、二人の軍服を着た刀使を一合ごとに大きく弾き返していた。同時に相手をせず、確実に疲労とダメージを蓄積させるつもりなのだろう。京と5人の刀使が間合いに入って来ると見るや、軍服の刀使二人は大きく乾門の方へ退いた。
「これは、鷹司様。どうされたのですか?」
凪子は息一つ切れていない上に笑顔だった。
「どうもこうも無い。近衛師団長殺しがもう東部軍にバレた。我々は宮城を離脱する」
「そうですか。今いい所なのですが…」
凪子は、京の言葉に大して驚きもしない。そもそも戦争が続こうが終わろうが興味が無いのだろう。それよりも目の前の戦闘のほうがよほど大事らしい。京は、凪子のそういう純粋な戦士たる気質を好ましく思っている。
「だろうな。来栖直と沢泉美、お前を楽しませるには十分、というわけか」
「ええ、この力を得てからというもの、まともにやり合える者がいなかったもので」
「ふん、それは何よりだ。しかし残念だが時間が無い。一気に片を付けるぞ」
「そうですか…この人数なら、私抜きでもやれますか?」
明らかに有利な戦いに興味は無いらしい。局地的な戦闘ならばそれでもいいが、一刻も早くこの場を離れたい今の状況でそんなことを言い出すのは少々問題がある。京は苦笑した。
「やってみよう。だが、こちらに被害を出したくない。危いと思ったら割って入れ」
「かしこまりました」
凪子の目の中で、赤い光が血のようにぬるりと動いた。
「あれ、あの時の鷹司様ですよね?」
泉美の言葉に直は大きく息をつく。二人共、既に呼吸が荒い。
「ええ、間違いないです。こりゃあ、ちょっとマズイですね。明眼持ちの相手との夜戦がこんなに厳しいとは思いませんでした…」
「そうですね、行けると思ったんですけど…全部で何人いるか見えますか?」
「凪子先輩を合わせて7人?いや8人かな…」
「はあ…いずれにしてもこれだけの人数差がついてしまったらちょっとまともには戦えないですね…逃げますか?」
「いえ…向こうはそうさせてくれないみたいですよ!」
京が斬り込んで来た。直が咄嗟に受けたが、京に次いで4人の刀使たちが一斉に斬りかかって来る。泉美がそれに合わせて数人分の御刀を払ったが、直はかわす途中で左腕を落とされた。まだ写シは張れるし、短い刀なので片手でも十分扱えたが、体捌きに影響が出てしまうのは如何ともし難い。こういう時の定石として何とか一人ずつ減らして行きたいのだが、京の号令で引いては返す波のような動きをとる刀使たちを前に、直と泉美は休む間もなく防戦一方となった。京の指揮の巧みさと、それを信じている刀使たち…これでは活路を見出すことは難しい。どんどん流れ落ちてくる汗も厄介だった。せめてこの攻勢が一瞬でも途切れれば…と思うものの、そんなに甘い相手ではない。いよいよか、と思ったその時だった。
「ぎぎっ!」
と、刀使であれば反応せざるを得ないその奇妙な嘶きが、剣撃の金属音に紛れた。その場の全員がその嘶きの方、空を見上げる。
「リュウ…?」
「何でここに…あっ、直さん、左手を戻して!」
泉美がそういうのと同時に、直は写シを解く。左腕と切り傷の数々が一瞬にして元に戻り、
その左手に毛利藤四郎を持ち替える。
「リュウっ!」
「ぎいっ!」
直は跳んで右手を伸ばし、リュウが咥えている御刀の柄を握った。
「隙あり!」
神功刀使の一人がそういって空中の直に斬りかかったが、その刃は毛利藤四郎に弾かれ、直は右手の御刀をリュウの口から抜き放つ。
「はあああっ!」
気合いと共に空中で半回転しつつ、かかってきた刀使を一刀のもとに切り捨てた。それは、両の翼を巧みに操って夜空を舞うような動きだった。着地と同時に左手を前に構え、その脇に泉美が迅移でやって来る。
「お見事、直さん。写シ、張って下さいね」
「おおっと、忘れてました」
直は再度写シを張り直す。そこへリュウがやって来て、直の肩に止まった。
「来栖直、それは荒魂か…?」
さすがに尋ねずにはいられない、といった様子で京がそういった。
「ええ、そうです。全ての荒魂が悪いモノとは限らないんですよ」
「何と…荒魂を飼い慣らしているのか…」
京が、リュウをじっと見ている。
「鷹司様は、戦争に刀使と、ノロの力を使おうとしているんですよね?」
「何だ、何が言いたい…?」
この短いやりとりの中で、ずっと直の中にわだかまっていた疑問に答えが出たような気がした。刀使にノロを投与すること、そして刀使を戦争に使うことは間違っている…その理由がぼんやりと頭の中に生まれていた。頭の中を整理しようと考えを巡らせていると、そこへ、凪子が駆けつけた。
「申し訳ない、出遅れました。仕切り直しといきましょう」
そういって髭切を構える。
「そうだな…」
といって京も構え直した、その時、
「いた!直先輩、泉美先輩!」
五十鈴が西詰橋から飛び出してきた。再度の闖入者に、再び皆の気勢が削がれる。
「五十鈴さん!?」
「ちょっと、どうしたの!?」
「はいっ、伝言です!近衛師団長が殺害されて、今、近衛兵は偽の命令で動いていますっ!」
五十鈴は空に向けて大声でそれだけいうと、両手を膝について荒い息をついた。対峙する刀使たちが気色ばむのがわかる。直と泉美は顔を見合わせ、とりあえず五十鈴を後ろに退がらせた。泉美が口を開く。
「どういうことですか、鷹司様、凪子先輩…まさか、宮城を占拠してクーデターでも起こそうという気ですか?」
「はっはっは、当たらずとも遠からず、といったところだな。今夜蹶起しているのは陸軍省の将校共、そしてそ奴らが偽命で動かしている近衛兵たちだ。我々としても当初は同調していたのだがな…聞いた通り、連中、少々おイタが過ぎてな。我々神功刀使は袂を分かつことにしたのだ。よって、我々は宮城から撤退する。お前たち、道を空けてくれ。無用な戦闘は避けよう」
「え?何を突然…」
「少々ムシが良過ぎるのではありませんか?いずれにしてもその企てに加担していたということであれば、あなた方を見過ごすわけには行きません」
泉美がそう、きっぱりと言い放つ。
「ふっ…そうだな。ならば是非もない。お前たちを蹴散らして行くのみだ」
「ま、そうなりますよねえ…」
直はそういいながら振り返ると、五十鈴がうんうんと頷いているのが見えた。
「五十鈴さん、行ける?」
「あ、はい。多分…」
五十鈴はそういって石田正宗を抜き、構える。何やら念じるような様子を見せたあと、写シが展開された。
「あ、できた!よかった!」
そういって、泉美の隣についた。前を見ると、さっき直に斬られた刀使が、別の刀使によって脇に避けられていた。入れ替わりで凪子が入ってきたため、対峙するのは同じく5人、五十鈴が入って5対3と多少はマシになったが、相変わらず厳しい状況だ。
「私が二刀で受けに回るので二人は左右に付いて下さい」
直がそういって左前の半身から、真身に構え直す。泉美と五十鈴が頷いた。
「ほう、鶴翼か?凪子、お前は勝手に動け。お前たちは三人一組だ」
護国刀使の陣形を見て、京がそう命じた。
「了解です」
そう凪子が答えるのと同時に、泉美と五十鈴が打って出た。泉美には凪子が、五十鈴には三人組がそれを迎え撃つ。空いた中央を、京が突進してきた。
「それ、来栖!あの折の決着を着けようではないか!」
「もう二人共!私の話聞いてないじゃない!」
直はそういいながら京の初太刀を左で合わせ、右の御刀の切っ先を、ほぼ無意識のうちに京の心臓へ突き出す。その動きに合わせて、リュウが直の肩から京の方へ飛んでいった。その瞬間、直の頭の中に京の動きがはっきりと見えた。この突きは当たる…そう思った次の瞬間、右手に確かな感触があった。直の突きは、まともに京の身体を刺し貫いていた。
「え…?」
「ぬ………」
完全な致命傷だった。突きを放った直自身が信じられなかった。御刀を京の身体から抜くと、京は写シを切らして後方へよろけていく。
「鷹司様!」
凪子が叫んでその身体を受け止め、すかさず動ける刀使たちも京を護るように退がる。直だけでなく泉美、五十鈴もまた急な展開に戸惑い、動きが止まった。そこへ、
「直さん、泉美さん!五十鈴さんもいるのね!」
神功刀使たちの後ろから由良の声が響いた。護国刀使たちが、隊舎から駆けつけたのだ。凪子が、ゆっくりとそちらを振り向く。
「これはこれは…みなさん、お久し振りです」
「凪子…!」
千鶴がそう声を上げ、護国刀使たちは同時に抜刀する。由良、千鶴、吉乃、八重、春江、香澄、美千代…挟撃の形になり、形勢は完全に逆転した。
「すまん凪子、大丈夫だ…」
京は朦朧とする意識を何とかつなぎとめ、三日月宗近に力を求めた。が、写シは張れなかった。
「鷹司様、写シが…」
「フ…何たるザマだ…しかしお前たち、私一人が落ちたくらいで動じるな」
「それは無理というものでしょう。我々はあなたの手足だ。頭がいなくては手足は動けませんよ」
「そんな、組織では…」
またふらつくのを何とか堪える。自分一人が討ち取られて、それで終わってしまうようでは神功刀使に先はない。だが、今の自分が組織の要になっているのも紛れもない事実だ。
「よし、二人共、鷹司様を頼むぞ」
凪子が小声でそういったのを聞いて、自分の両脇に仲間がついたのがわかる。桜と雅、幼い頃から共に道場に通い、京都から付いて来た最も付き合いの長い二人だ。
「桜、雅、お前たち何を…」
「京様…」
「失礼します…」
二人が京を抱えて迅移をかけた。同時に凪子と残りの刀使二人が後ろの護国刀使たちを無視して前方の直、泉美、五十鈴に斬りかかる。もう乾門までは50メートルほどで、血路を開けば一気に駆け抜けられる距離だ。幸いに虚を衝く事が出来、桜と雅に抱えられた京は護国刀使たちから抜け出す事が出来た。意地でも自分を逃がそうという仲間たちの心中を京は察した。それならば、必ずここを脱しなければならない…と思ったその時、自分の左についていた桜が崩れた。その背に、矢がささっている。
「く…飛び道具まで…吉乃か…!」
振り返ると、吉乃が、次の矢を弓につがえていた。確かに、吉乃の大包平は強奪していた。だが、別の御刀を用意し、そこから力だけをもらって弓を使っているのだ。吉乃の多才振りは3人共よく知っている。弓の腕前も相当なものだった。さらに目を移せば、先を取った凪子たちも既に後方から護国刀使たちに追いつかれて乱戦になっている。
「もういい、私を差し出せば奴らも満足するだろう」
「何を弱気な!」
京の左についていた雅が、吉乃の第二矢を払った。
「そうです、こんなことで…」
桜が立ち上がり、再び京の腕を取った。背に矢を受けたまま、写シを張り続けている。
「お前たち…!」
「私たちには代わりがいます。しかし、あなたを失えば神功刀使は終わりなのです。行って下さい!」
雅はそういうと、桜の背の矢を抜いた。そこで桜は写シを解く。
「桜、あなたは運転が出来るでしょう。京様を頼みます。行って下さい」
「そんな、雅さん!?」
「行きなさい!写シも張れない刀使が残っても足手まといなだけです!」
雅がそう一喝すると一瞬、妙な間が流れ、
「す、すまん…雅…」
京が謝る。
「あ、いえ、京様のことをいったのでは…」
桜はそこで吹き出し、それから真顔に戻って軽く咳払いをする。
「ん…わかりました。京様のことはお任せ下さい。雅さん、あなたも死なない程度に、ね」
「ふ…承知した!」
飛び出した雅が乱戦に割って入る。それを見届け、京と桜は乾門に向かって駆けだした。
「逃げられる…!」
由良としては、あの貴族様を逃がすわけにはいかないと思っていた。彼女がいる限り、神功刀使は活動を続けるだろう。あのカリスマは戦争継続を画策する勢力に利用される可能性もある。後ろを見ると、吉乃が矢を放つのを躊躇していた。さすがに、写シを張れない相手には攻撃しづらいのだろう。
しかし、この場を離れて追いかけるのも難しい。護国刀使は全部で10人、対する神功刀使は途中から仲間を看ていた一人が加わっても5人と、その戦力差は明らかだったが、自分の御刀を奪われていた吉乃、千鶴、香澄、美千代は本来の力には遠く及ばない。凪子を軸に死にもの狂いで抵抗してくる神功刀使は手強かった。双方譲らず打ち合いが続いていた、そこへ、
「貴様ら何をやっている!御刀をしまえ!」
後方の宮内省庁舎の方面から白いタスキをかけた近衛兵の一団が駆けて来て、周囲をランプで照らす。
「刀使共が内輪揉めを起こしていると聞いて来てみれば…倒れている者もいるではないか!一体どういうつもりだ!」
何を思ったか、そこで凪子が真っ先に御刀を納めた。
「申し訳ありません。いざとなるとこの蹶起に及び腰になる者が出て来たもので、少々取り乱してしまいました」
「なっ!あなた何を言ってるの!」
千鶴がそう叫ぶと、
「刀使が刀使でない者に御刀を向けるのは厳罰ですよ。すぐに御刀を納めて下さい」
凪子がたしなめるようにそういった。護国刀使の面々としては納得がいかないが、止むを得ず御刀をしまう。どうやら、近衛連隊から見れば同じ刀使にしか見えないらしい。
「待って下さい!私たちは護国刀使です。何度かお会いしていますよね?」
由良がそういうと、
「ああ、そうだな。今回の蹶起にはあなた方も参加していると聞いている」
そんな答えが返ってきた。
「謀ったわね…?」
千鶴がそういって凪子を睨むが、その表情は暗闇の中では窺い知れない。ただ、明眼の効果でまだ輝いているその目が、ふっと揺れた。
「何をいっているのか知らんがあまり揉め事を起こされると面倒だ。だが君たちは重要な戦力だ。警備司令部の方で話を聞き、再配置する。倒れている者の手当もしなければならんだろう。付いて来なさい」
「はい、承知しました」
凪子がそう答えると、「全くこれだから子供は困る」といって近衛兵たちは踵を返して歩き始める。神功刀使たちは倒れている仲間を抱えに行った。その、一瞬だった。
「千鶴、後、お願い」
「ちょっと、由良!」
千鶴がそういった時にはもう遅い、由良が迅移をかけて乾門の方へ駆けて行った。
それを見た凪子が、舌打ちをしてすぐに追いかけに行く。全員がそれに続こうとした時、
「何をしている!付いて来いといっただろう!」
近衛兵の怒声が飛んで来た。千鶴は溜息をつく。
「皆、神功刀使たちを押さえて!これ以上行っても行かせてもだめ!吉乃、八重、あなたたちが東部軍司令部から聞いてきたことを話してわかってもらいましょう!」
千鶴がそういうと、ようやく全員の動きが落ち着いた。近衛兵の一人が千鶴に聞き返す。
「東部軍司令部で聞いてきたこと…だと?」
「ええ、あなた方も踊らされているのかもしれません。責任者の方とお話をさせてもらった方がいいでしょう」
並んで立つと、千鶴の背はその兵と同じくらいあった。
「…いいだろう。少々気になる点もあるからな」
近衛兵たちはそれ以上何も言うことなく、進み始める。千鶴は一度、由良の消えた乾門の方を見てから、
「あんな風に独断で動くのは…初めてかな」
そういって歩き始めた。