戦火の巫女   作:溜め無しサマソ

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十一章

 

 

 この、8月14日から15日にかけて皇居で起きた一連の騒動を、「宮城事件」という。一時は近衛兵を扇動して宮城を占拠した陸軍青年将校たちであったが、結局、自らの手で近衛師団長を殺害したことが痛恨の悪手となった。録音盤を探し出すことも出来ず、日が昇って来るのと同時に宮城へ入った東部軍により偽の命令書の効果は幻の如く消え失せた。近衛兵たちは正気に返り、首謀者の青年将校たちは自決するなどして事件は慌ただしく過ぎ去り、そしてこれよりほんの数時間後、その録音盤を使用した正午のラジオ放送による衝撃が、この事件の記憶をあっという間に風化させた。

 日本人が辛うじて自ら定めることのできた時代の節目がやってこようとしていたこの日、刀使の少女たちの戦いもまた、一つの決着を迎える。

 

 

 乾門を出てすぐのところで、由良は凪子に捕捉された。

挨拶代わりに一合、二合と打ち合ってから、互いに間合いを離す。

「また…一段と打ち込みが強くなったわね」

「ええ、あなたのお陰でノロの力を得られましたからね」

「話は聞いているようね…そう、ごめんなさい。あなたがそうなったのは、私のせいよ」

凪子はそこで一笑したようだった。

「謝る必要はありませんよ。私だってあのまま死にたくはなかったし…この力も悪くはありませんからね」

「それで、どうなの?そんなものを…ノロを身体に取り込んで、本当に平気なの?」

「おや、こんなところでおしゃべりをしていていいのですか?鷹司様を追うのでしょう?」

由良は一旦構えを解く。凪子にはその様子がはっきりと見えているはずだ。早乙女凪子は、そういう相手に刃を振るう人間ではない。

「もう、間に合わないでしょう。だったらあなたときちんと話をしておきたい。私のことは恨んでくれても構わない。でも、本当のところはどうなの?今、あなたは…」

「ふふ…かつての仲間に御刀を向けて、何か思う所はないかと?」

「ええ…あなたは本心から鷹司様の意志に同調しているの?」

凪子もまた、そこで構えを解いたようだった。

「あの方のいうことには…一理あるとは思いませんか?」

「そうね…それは認めるわ。でも、この期に及んで戦争を継続するなんて…本土決戦なんて、あり得ない。これ以上人が死んで、国土が荒廃したら、それこそこの国は二度と立ち上がれなくなる」

「ふ…あなたらしい答えだ。何よりも人の命を尊重する、あなたのその考えのお陰で私は今、こうして生きている。異物を体内に入れられたなどということは大した問題ではありませんよ。私はあなたに感謝している。それは確かなことです。但し、一つ、誤解しているところがあるようですね」

「誤解…ですって?」

「ええ。私はね、この命果てるその時まで、御刀を握っていたいんです。猛者たちと刃を交えて、鎬を削って、ヒリヒリとする緊張感の中に身を置いていたいんです」

凪子は下ろしていた御刀を持ち上げて八相に構え、続ける。

「つまり、私は本質的には戦士なんですよ。鷹司様の考えやあなたの考えは理解します。でも究極的にはそんなことはどうでもいいんです。さらにいえばかつての仲間だとか友だとか、そういうこともどうでもいい」

「ただ戦う場を与えてくれれば、それでいい、と?」

「そういうことです。そして、そういった意味では鷹司様は私をよく理解しているといえるでしょうね」

「あの人があなたの何を理解しているのか知らないけど…少なくとも私は、そんな抜き身の御刀のような子を、このままにはしておけないわね」

由良は、そういって正眼に構えた。

「抜き身の御刀か、それはいい。この髭切は、かつての名前を『友切』といったそうです。おあつらえ向き、といった所ですか」

「小賢しいことを…いわないでちょうだい!」

由良は凪子の左籠手狙いで、浅めに斬りかかる。凪子は横振りでそれを払うと、これまた浅めに面を狙ってきた。由良は半歩下がってそれをかわし、踏み込んで面打ちに行くが、凪子は右手一本で髭切を振り上げてそれを弾く。これもやはり、踏み込みが浅かった。

互いに、互いの間合いを知っている。有効打の取れる間合いにはなかなか入れない。二人はじりじりと、円を描くように動きながらにらみ合う。一連の動きは、とても刀使の力を使っている立ち合いには見えない地味で静かなものだった。お互い、呼吸を悟らせないよう息を殺し、周囲の空気に互いの殺気が満ちて行く。じわじわと全身が汗にまみれてゆき、その汗が、微かな気流の動きを教えてくれる。

由良は、違和感を覚えていた。この暗闇では明眼持ちの優位は揺るぎようが無く、さらにノロの力を取り入れたことでその力が底上げされているのはここまでの動きでわかっている。いかに手の内が知れている相手とはいえ、凪子が全力で来れば由良に勝ち目はないだろう。それなのに、打ってこない。

凪子の性分、これまでの動き…そこから一つの仮説を立てる。大きく深呼吸をしてから、由良は打って出た。

 

 身体の動きが徐々に鈍っているのがわかる。限界が近づいている、という感覚だろうか。凪子は額を伝うのがただの汗なのか、それとも冷や汗なのかわからなかった。暴れれば暴れるほど身体に無理がかかってくる。直と泉美の二人を相手にしていた時の疲労がどっと出て来ているようにも思えた。いずれにしても、もうそう長くは戦えそうにない。無駄な動きは省き、残り少ない力で渾身の一撃を与える…狙いをそこだけに絞る。

打ち込んできた由良の動きはよく見えた。最小限の動きで丁寧に捌くことを心掛け、じわじわと押していく。予想外の動きは一つも無い。約束組手のような展開でついに、由良の背を宮城の壁に付けた。これでもう、後ろには逃げられない。ただ、万一のことを考えると、斬撃は咄嗟に身体をよじられて、刃を壁に打ち付けてしまう可能性がある。だとすれば、この距離なら刺突あるのみ、壁ごと貫く覚悟の一撃を見舞えば、由良の強力な写シもはがせるだろう。

一瞬の間にそれだけのことを頭の中で組み立て、凪子は必殺の突きを放った。

 

 全ては狙い通り、凪子は完全に誘導に乗って来た。やはり、一撃必殺を狙っていたのだ。後は、由良自身の度胸一つだった。

同田貫を右手に持って両腕を広げ、凪子の突きに身体ごとぶつかっていった。

「何!?」

という凪子の声が聴こえた時には、凪子の髭切が由良の下腹部を完全に刺し貫いていた。由良はすかさず、凪子の身体を抱きかかえるようにして同田貫を自分に向けて構えた。

「これで、逃げられないでしょう…!」

顔と顔とが接する距離で、由良は鬼気迫る笑顔を凪子に見せてやる。そして、

「であぁっ!」

声にならない声を上げた。全身が八幡力の発動で薄く輝く。由良の同田貫は凪子と、自らの身体を貫いた。

「が…あ…」

凪子の開いた口からもれたそんな声を聞きながら、由良は意識が飛びそうになるのを必死に堪えていた。二本の剣が身体を貫通している。痛みなどはもうよくわからない。ただ、目の前の景色が黒く塗り潰されて行く。写シがもう持たないが、自分からは動けそうに無かった。すると、凪子が由良の胸を押しながら身体を引き離した。由良の身体からずるりと二本の御刀が抜け、その瞬間、由良の写シが消える。その場に膝を付いたがすぐに立ち上がり、ふらついている凪子の肩を押して背中を向けさせ、自分の御刀を抜いた。同時に凪子は髭切を落として写シが消え、由良が凪子の背中を抱くようにして、二人は折り重なってその場に崩れた。

 

「よくも…」

散らばった二本の御刀を見ながら、凪子は背中の由良に話しかけた。

「え…?」

「よくも、こんな無茶を…一つ間違えば、あなたは本当に死ぬ所…でしたよ…?」

「そうね…でも、あなたを、取り戻すためだもの…」

由良がそういって、凪子を抱く腕に力を込めた。

「もう、どこへもやらないから…」

結局、自分はこの人には敵わない、凪子はそんなことを思った。今の自分の顔を見られていなくてよかった、と思う。

「全く、あなたという人は……碧様、女の子を出産されたそうですね…」

「ええ…葵様というのよ…ご挨拶に伺いましょう、今度、一緒に……」

由良の腕の力がそこでなくなり、その顔ががくりと凪子の肩に落ちた。

「そうですね…この身体、いつまで持つかわかりませんが、一緒に…行きましょう…」

凪子もまたそこで、眠るように意識を失った。

 

 近衛祭祀隊舎の2階の空き部屋に倒れた神功刀使たちが運び込まれ、護国刀使たちはその手当に追われていた。奪われていた御刀も、無事に回収していた。

警備指令部で吉乃と八重による説明が終わった後、おそらく判断がつきかねたのだろう、刀使たちはまとめて蚊帳の外に置かれることになった。護国刀使も神功刀使も、隊長を欠いてはいたが、千鶴の判断で全員が一旦隊舎に入った。いかに「敵」とはいえ、倒れている刀使をそのままにしておくのは何とも決まりが悪い。もちろん、写シがあるから重傷者はいない。だが、受けたダメージに写シの強度が追いつかない場合は、強いショック症状が生じる。そうなると、しばらくは絶対安静が必要になるのだ。 

そんな陣営を越えた刀使同士の助け合いが行われている二階とは対照的に、一階の食堂では神功刀使たちへの尋問が行われていた。時刻は5時を回り、夏の朝日が既に窓に届いている。

「雅さん、いい加減に教えてくれませんかね?」

5人の神功刀使たちを前に、吉乃がそういった。尋問の内容は神功刀使の規模、そして拠点の位置だ。追い詰められた彼女らと戦争継続派が組めば今度は内戦になってしまうことも考えられる。そうなる前に、何とか彼女らの武装解除をしなければならない。

京都の道場で顔見知りであった雅がいたため、四条姉妹が尋問の中心になっていた。直と泉美も万一の際に備えて帯刀して同席している。

「何度いわれても同じこと。仲間を売るようなマネは出来ない。それよりも我々の御刀を返してもらいたい」

「そんなのダメに決まってるでしょう。自分の立場がわかっているの?雅?」

八重がそういうと、

「ふん、偉そうに…全く、なんであんたみたいのが護国刀使に選ばれたんだか…」

「お、何だ、やるか、この鷹司様の腰巾着!」

「何を!」

八重と雅がつかみ合いになりそうになるのを、吉乃が止める。

「もう二人共、いい加減にしなさい。ここは京都の道場じゃないのよ?」

「ははは、吉乃、大変そうねえ。はい、ちょっと早いけど朝ごはんよ」

そこへ、千鶴がおにぎりと味噌汁を5人分持って来た。もちろん、これは捕虜たちのものではない。自分を含めた護国刀使たちのものだ。千鶴は直の隣に座る。

「皆、昨日の夜からよく頑張ってくれたから白米のおにぎりよ。おいしいわよ」

「うわあ!すごい、おいしそうー!」

「いただきます!」

味噌汁の香りと、炊き立ての白米の香りが食堂に充満する。

「さすが千鶴先輩…」

「これはもう拷問ですね…」

四条姉妹はそういいながら、握り飯を口に運ぶ。みずみずしい食感が口中に広がり、白米は噛むほどに、甘い。向かいの神功刀使たちから、生唾を飲み込む音が聞こえた。

「うーん、実はまだお米もお味噌汁もあるのよねえ。ここにいる人数分くらいは余裕でお出し出来るんですけど、でも私たちに協力してくれないんじゃしょうがないわよねえ」

千鶴がゆったりとした口調でそういうと、

「こ、この程度のことで屈するわけがないでしょう!我らを甘く見ないでほしい!」

雅が過剰に反応した。千鶴はそれを受けて目を瞑りながら頷いている。

「そうねえ、だったら本格的に拷問しましょうか」

味噌汁の椀に口をつけていた直は咳き込みそうになった。

「え?千鶴先輩、拷問って…」

神功刀使たちも無言で千鶴を見つめていた。

「ええ、戦国の昔からある拷問について我が家には色々と記録が残っていてね…簡単なところでいうと、爪と肉の間に千枚通しを入れていくとか…でもそうね、女性に効果的なのは赤くなるまで熱した火箸を顔に押し付ける、っていうやつかしら。あ、頭に押し付けるっていうのもあるのよね。頭皮がただれてそこからは髪が生えなくなるの。そんなことになったら大変よね、とてもお嫁に行けなくなっちゃう」

千鶴はそういってケラケラと笑うが、護国刀使たちは食欲を失い、神功刀使たちは顔色を失っていた。その時、食堂入り口のドアが開く。

「千鶴先輩…その辺にしておいてくれませんかね…」

「そうね。うちがそんな悪趣味な事をする組織だと思われるのは心外だわ」

肩を組み、二人三脚のような恰好で由良と凪子が帰って来た。

その場の者たちが口々に二人の名を呼ぶ。直と泉美は思わず立ち上がっていた。

「あら、お帰りなさい。二人共、話はついたのかしら?」

千鶴が口元に笑みを浮かべながらそういうと、

「ええ、何とか、ね」

「捨て身の説得を受けましてね…」

「そう。さ、座りなさいよ」

千鶴のその言葉があまりにも自然だったのでそのまま流されそうになったが、神功刀使たちからすればそうはいかない。

「ちょっと、あなたどういうつもり!」

雅がそういうと、神功刀使たちも厳しい目を凪子に向けた。

「どうもこうも…負けたんですよ、私たちは。残念ながら、ね。吉乃、八重、これは尋問、ということだな?」

「はい、そうです」

「皆さん京様シンパでなかなか口を割ってくれないんですよ」

「ふ、まあそうだろうな…。では、私から話そう。神功刀使が拠点にしているのは赤羽の陸軍兵器補給廠だ。他に聞きたいことは?」

雅が机を打った。

「早乙女凪子!あなた、まさか最初から内通していたの?」

凪子はそこで溜息をついた。

「まさか。私はこれでも鷹司様のおっしゃることには概ね同意していますよ。しかしね、どうやらこの蹶起は失敗です。加えて帰る事ができたのは鷹司様と桜さんだけで、我々は捕らわれの身です。戦力が半減した神功刀使ではもう作戦行動は起こせない。鷹司様の身を案じるのであれば、ここで全てを話して護国刀使を頼った方がよいでしょう。このままでは、あの方は罪人になってしまう」

「罪人…ですって?」

「それはそうでしょう。ご聖断に抗ったとなれば、その罪は重い」

雅は黙った。

「戦力が半減、ということはその本拠地にいるのも10人程度なんですか?」

吉乃の言葉に凪子は頷く。

「そうだ。折神香織様と共に12人、模擬戦で最後に出て来たあのノロを宿した連中だ。私と同じように、ね」

八重が、一つ溜息をつきながら、

「だとすると、かなり手強い連中、ですね?」

そういうと、凪子はまた頷いた。

「ああ、お前たちなら負けはしないだろうが…危険な相手だ。今回の作戦は二段構え、というか…こちらが囮だったんだろう。折神香織様と彼女らは厚木の航空隊と共に蹶起するつもりでいる」

「厚木の航空隊…ですか?」

泉美がそういうと、

「あそこの基地は熱烈な戦争継続派ばかりらしいわ。地理的にも鎌府折神家と近いから、ここよりもずっと大きな動きになるかもしれない…」

由良がそう答え、

「そういうことです。私たちの方の状況を見てから動くつもりのようですけどね」

凪子が補足した。

「え、それって…大変じゃないですか!」

直がそう叫ぶと、また、入り口のドアが開いた。

「あの、先輩方、深津大尉がお見えです…」

美千代がそういうと、後ろから深津が顔を覗かせた。軍帽を取って、一礼して中に入って来る。由良が立ち上がって応じた。

「大尉、どうされたんですか?」

「ええ、皆さんが隊舎に戻られたと聞きましてね…どうですか、お怪我はありませんか?」

「はい、私たちは大丈夫…」

そういって、由良は一つ思いついたように手を打つ。

「深津大尉、一つお願いがあるのですが…」

「はい、何でしょう?」

「実は危急の用がありまして…車を出していただけないでしょうか?」

由良が、伏し目がちにそういうと、

「ええ、わかりました。ではすぐに車を回してきます。少しお待ち下さい」

深津は二つ返事でそれに応じ、上機嫌で隊舎を去って行った。

「軍人を手玉に取るなんて、ほんと怖い女だわぁ…」

千鶴がそういうと、凪子が同意する。

「そうですね、私ではなく、由良先輩が神功刀使についていたらどうなったか…」

「ちょっとあなたたち、黙ってて。直さん、泉美さん、吉乃さん、八重さん、あなたたち4人で赤羽の陸軍兵器廠に先行してくれる?早く動かないと、手遅れになるかもしれないから…」

直たち4人は立ち上がり、お互いの顔を確認してから、「了解しました」と声を揃えた。

 

 目覚めると、赤羽の拠点のすぐ目の前だった。

「ん…すまん、眠っていたようだ」

小一時間ほど意識を失っていた。京はそういって運転席の桜に声を掛ける。

「いえ、少しでも休んでいただけてよかった…具合はどうですか?」

京は、三日月宗近の柄を手に取ったが、力はわずかしか感じられない。写シなど当分張れそうもなかった。

「ダメだな。これでは厚木行きの連中に合わせる顔が無い…」

「京様がこうして戻って来られたことに意味があるんです。さあ、着きましたよ」

まだ足元がおぼつかない京を桜が支えながら兵器廠に入る。桜が「戻りました」と声を上げると、数人の仲間と共に香織がやってきた。

「お疲れ様です。鷹司様…!どうされたのです…!」

足取りのおぼつかない京に、香織が近付く。

「見ての通りよ…蹶起は失敗だ。私と桜以外の者はおそらく捕らえられただろう」

「何と…護国刀使が出て来たのですね?」

さすがに、香織は笑顔を曇らせながらそういうと、京は頷いた。

「香織、作戦は変更だ。捕えられた者たちを奪回しに行く」

「何をおっしゃるのです!厚木航空隊とはもう話が済んでいるのですよ!?鎌府折神家の刀使たちも加わる段取りだというのに!」

「宮城の制圧に失敗し、録音盤も出て来ない…いくら武力を誇示してもご聖断が発せられた後では世論が着いてこぬだろう。それでは…ただの内戦になる。これ以上、国力を疲弊させるわけには…いかん」

香織の笑顔が、凍り付いた。

「これまでの工作が全て無になりますが…?」

「…断腸の思いではあるが、このままでは捕らえられたあの者たちだけが反逆者として罰せられる恐れがある。あの者たちを、捨て置くことはできん」

「…本気で、おっしゃられているんですね?」

「何だ香織、不服か?」

そこで、香織は視線を落とし、それからゆっくりと肩を震わせた。泣いているかのように見えたが、それは違うとすぐにわかる。

「ふ、ふふふ…はははは!」

香織が顔を上げ、大声をたてて笑い始めた。

「おい…何だその態度は…」

「折神様、聞いているのですか!どういうおつもりですか!」

京と、桜がそういっている間にも、香織は笑っている。ひとしきり笑い続けてから、大きく溜息をついた。

「所詮は貴族のお嬢様…ここまでか。この二人を捕えなさい」

「なっ!折神香織、あなた…!」

桜がそういって京をかばうように前に出たが、二人はあっという間に香織の命を受けた刀使たちに押さえられた。

「あなたたちも、どういうつもり…!」

「どういうつもり、ねえ…わかりませんか?本当に?」

香織の、やはり崩れることのない笑顔が京を見据えていた。

「だったら敢えていいましょうか。この神功刀使はそもそも、あなたの作った組織ではない。あなたの元に刀使が集まった、という体になってはいますが、あなたとあなたの従者を除いては全て鎌府折神の集めた者たちなのですよ。あなたは血筋といいその性分といい、神輿としては適格だった。しかし…これほど惨めに負けてくるとは…あなたには退場していただきます」

京には、何一つ言葉が浮かんで来なかった。ただ、結局のところ自分はこの女のことをよくわかっていなかったのだな、と、それだけ思った。

「フ…敗軍の将は語らず、ですか?しかしご心配無く、直ちにあなたを害するようなことはいたしませんよ。とはいえこれ以上しゃしゃり出られても面倒ですので、しばらくは地下で大人しくしてもらいましょう…連れて行け」

灰色の刀使たちは、その香織の言葉に無言で従い、京と桜は御刀を奪われて地下の一室に放り込まれた。資材庫にあてがわれている薄暗い部屋だ。

「京様…お加減は?」

無言が続く京を、桜が気遣う。京は、それを聞いて少し微笑む。

「ああ、大丈夫だ…すまないな、桜…お前まで付き合わせてしまって…」

覇気の無いその言葉を聞いて、桜は表情を引き締めて京を見据えた。

「それは、この場に連れて来られてしまったこと言っているのですか?それとも、京都からずっとお供をして来たことについて言っているのですか?」

「何だ、どうした…?」

「いいですか京様、私も雅も、誰かに命じられたから付いて来たのではありません。好きでやっていることです。ですから京様が謝るということは、私たちの生き方まで否定することになります。あなたの口からそんな言葉を聞きたくはありません!」

一瞬、京は呆気にとられ、それから…つくづく自分は幸せな人間だと思った。こんなことを思ってくれる者が、友が一人でもいる限り、自分は自分を見失ってはならない。

「そうだ…そうだな、桜、お前の言う通りだ。私はお前たちのようなのがいる限り、そやつらのために先頭に立って戦わねばならん。それが貴種たるものの義務であり、誇りだ!」

桜がぽん、と手の平を合わせる。

「その単純な思考と不遜なものいい、流石です!それでこそ私たちの京様です!」

二人がそんなやり取りをしていると、部屋の陰で何かが動く音がした。

「何だ!誰かいるのか!」

すっかり強気に戻った京の言葉に反応した人影が確かにあった。それが、近寄ってくる。

「騒がしいと思ったら…本当に鷹司様…何故ここに…?」

「お前は…浜塚律か。何、香織のやつに足元をすくわれてな…お前こそこんな所で何をしている?」

「そうですか、やはり折神香織様…危険ですね、何とかあの方を止めなければ…」

「ちょっと浜塚さん、話を聞きなさい?何であなたはここにいるの?」

桜にそういわれて、考え込むような様子を見せていた浜塚律は顔をあげる。

「ああ、すいません。実はノロの使い込みを発見してしまいましてね。しかもそれ、香織様が使っていたんです。危険です、と忠告をさせて頂いたのですが聞き入れられず、ここに軟禁されています」

浜塚の答えは実に端的だった。

「何、香織が…自分にノロを注射していたとでもいうのか?」

「はい、その通りです」

「刀使でもない人がそんなことをして…無事で済むの?」

「済みません。しかし、残量から推測すると既に相当量をその身に取り込んでいるようです。もしかしたら折神家の血がノロを受け入れているのかもしれませんが…いずれにしても古来『冥加』といわれているこの力を宿して天寿を全うしたという記録はありません。あの方が一体何をしたいのかはわかりませんが、早く止めなければお命にかかわります」

浜塚もまた、鎌府から連れて来られた者なのだろう。こんな目に遭っていても香織の身を案じているらしい。

「さて、そうはいっても、この囚われの身ではな…」

京と桜は、思案顔を突き合わせた。

 

 

 陸軍の敷地内に海軍の車が入ると面倒なことになりかねない。深津に車を少し手前に停めてもらい、4人の刀使たちは陸軍省の建物が林立する一帯へ忍び込んだ。

「凪子先輩の言う通り、この辺りは全然歩哨がいませんね」

「ええ、そういう警備の隙は見逃さない人よね」

直の感想に、八重が応じる。そこへ、ふわりとリュウが飛んで来て直の肩に止まった。

「リュウ、見つかったらいろいろと面倒だから、ちょっと隠れてて」

直がそういうと、リュウはおとなしく制服の襟の合間から懐に潜っていく。

「あ、もう、なんでそんな所に入るかな…それにしても着替えてきてよかった。やっぱりこの制服が一番よね」

「ええ、海軍の制服で陸軍の施設に忍び込むのも危険過ぎますしね」

直と泉美がそういっていると、吉乃が少し先の道を指差した。

「あれ、凪子先輩のいっていた物資搬送用の線路じゃない?」

「お、そのようですね。ということは後はあれが道案内してくれるわけですか」

八重が頷き、4人はその線路に向かって駆けて行く。この広大な敷地は一帯が陸軍の所有になっている。工兵大隊の拠点を中心に、被服本廠、火薬庫、そして兵器補給廠が広く分布していた。かつて模擬戦を行ったのは北側に位置する工兵大隊の演習場であり、今、目指しているのは最も南側にある兵器補給廠だ。それらの庁舎は輸送用に作られた軍用鉄道によって結ばれ、いわば一つの街のようになっている。かつてはその鉄道も多くの武器弾薬を運ぶために使われていたが、この時点ではもう、動くこと自体が稀になっていた。事実、関東の防衛を担当する東部軍の武装充足率はこの頃、銃剣30%、小銃40%、弾薬は定量の5%という有様だったという。兵器補給廠などといっても開店休業のような状態で、さらに早朝ということも幸いし、4人の侵入者たちは思いの外簡単に目的の建物まで辿り着く事が出来た。もちろん、途中で何人かの軍人たちとすれ違ったが、彼女たちの一本差しを見て勝手に何かを察してくれたらしく、挨拶程度で済んでしまった。

「ここ…で間違いないわね」

吉乃がそういって見上げる建物は、凪子に説明された通りの比較的新しいものだった。コンクリート製の頑丈そうな造りをしている。

扉の前で4人は顔を見合わせ、意を決してそれを開けて中に入る。入ってすぐ吹き抜けの大広間になっており、奥に階段が見えた。脇に入館者を取り締まる詰所のようなものもあるが、人の気配は無い。

「遅かった…?」

「いえ、まだわかりませんけど…」

直と泉美が御刀に手を掛けながら見回す。

「とりあえず、我々は不審者ではありませんから、名乗っておくのがいいかしらね?」

「そうですね…近衛祭祀隊の者です。鷹司京様、折神香織様、面会に参りました!」

八重が声を張り上げたが、反応が無い。

「泉美さん、どう?」

「ん…上から誰か来るみたい。下からも何か音がするけれど…」

すると泉美のその言葉通り、帯刀した少女が二人、階段を下りて来た。彼女らはこちらに一礼して、

「どうぞ、こちらへ」

それだけいってまた戻って行こうとする。4人はまた顔を見合わせつつ、他に選択肢もないのでついて行く。吹き抜けの2階を通過して3階まで上がり切った所にある大きな二枚の扉の前で、二人の刀使が恭しく一礼し、観音開きになっているそれを開けた。

足を踏み入れると、そこには見たことのある、といおうか自分たちの知るものとよく似た景色が広がっていた。

「ここは…」

「隊舎の地下二階と同じ…?」

そこは確かに、ノロを祀っている近衛祭祀隊舎の地下二階とよく似ていた。中央に社を備え、その左右に高い棚が並んでいる。4人が左右を見回していると、その後ろで扉が閉まる。そして、前方の社の中から刀使たちが出て来た。4人の後ろにいた2名もそこへ合流し、向かって右に6名、左に6名が縦列を作った。

「ようこそ、近衛祭祀隊の方々」

最後に、そういって他の刀使たちとは違う和装の女が現れ、その縦列の奥に立った。

「折神…香織様…」

吉乃が、他の仲間たちにも聞こえるようにそういうと、残りの3人はその女を凝視する。そこで直は、前にこの人を見たことがあることを思い出した。あの模擬戦の時、軍人たちと共に観戦していた、あの人だ。

「ええ、確か四条吉乃さん…鷹司様とは旧知でしたね。このように早くからどういったご用向きですか?」

「ご記憶いただき恐れ入ります。あなた方がこれから蹶起されるという情報を掴みましてね…もう、この戦争が終わるのを止めることは不可能です。どうか、思いとどまって下さいませんか?」

吉乃の声が、とても室内とは思えない広い空間に響き、止んだが、折神香織からの返事は無い。吉乃が続ける。

「軍や鎌府折神家の戦力を使って立ったところで、日本中があなたたちの敵です。勝ち目はありません。叛乱軍として鎮圧されれば、罪に問われることにもなります。鷹司、折神の家名に泥を塗ることになりますよ」

その声が響き終わってからようやく、折神香織は口を開いた。

「ふふふ、お気遣いありがとう。もうそこまで話が知れているということは…鷹司様の言う通り、宮城へ向かった者たちは捕えられたのね」

「捕えた、というより保護していますよ。それで、鷹司様はどちらに?」

八重がそういうと、香織はまた、笑った。

「ああ…あの方は…ご自分が負けて来たのに先程そちらが言われたようなことばかり…もう戦争継続は無理だ、というようなことばかりいうものですからね、別室で少し大人しくしていただいています」

それを聞き、護国刀使の4人だけでなく、神功刀使の方でも数人の者が香織の方を仰ぎ見た。知らされていなかった者がいたようだが、それでも彼女らは一言も発しなかった。

「ここへ来て仲間割れ、ですか?どうやらあなたは私たちの話を聞くつもりは無いようですね」

泉美がそういって柄に手をやる。

「待って泉美さん…あの、折神香織様、ここにいる刀使はみんなノロを宿しているんですよね?」

直が泉美を制してそういうと、リュウが懐から出て来て直の首に巻きつくようにして右肩に止まった。

「ん、それは…荒魂…なの?」

神功刀使たちが、一様に赤い眼を光らせて身構えた。直は一歩、前に出る。

「ええ、そうです。ケガレの抜けた荒魂、私の大切な友人です」

「ケガレの抜けた荒魂…そんなものが…いえ、そういえば聞いたことがあるわね」

「ええ、珍しい例だとは思いますが、決してありえないことじゃない…人と荒魂がこうして分かり合えるのだとしたら、私たちはノロの扱い方を考え直すべきです。折神香織様、あなたはこれからもノロを、こんな風に刀使に使っていくおつもりですか?」

「あなた、名前は?」

「来栖直、といいます」

直が名乗ると、神功刀使らの視線が険しくなった。よく見れば、模擬戦の際に見た顔ばかりだった。

「ああ、あなたが要注意刀使の来栖直さんね…それでその来栖さんは、さっきから何を言っているの?それは今、話すべきことなのかしら?」

「ええ、とても大切なことです。あなたがこの戦争を止める気が無いことはもうわかりました。でもあなたは全ての刀使の頂点に立つ折神家の方です。その人が刀使と荒魂についてどう考えているか、それを知りたいんです」

「知って、どうする?」

「もし、これからもこんなことを続けて行くというのなら…その先に刀使と荒魂にとって良い未来があるとは思えません。戦争を続けて行くおつもりで、刀使と荒魂の行く末も考えていないということであれば、あなたを捕らえることに躊躇いはありません」

折神香織の笑顔はそこで途切れた。実に不思議そうな、珍しいものを見るかのような顔で、直を見た。

「刀使と荒魂にとって良い未来…?刀使は荒魂を斬って祓うもの、荒魂は人に仇名す物の怪…あなたたちがそれ以上のことを考える必要はありません。そんな荒魂が現れたから余計な考えが回ってしまったのでしょうけど、平安の昔、あるいはそれ以前からずっと続くこの関係性は一つの均衡を得ています。刀使として働ける期間が終わればこの世界との関りが消えるあなたたちが、そんなことに気を回す必要はありません」

香織はきっぱりとそう答えた。

「均衡を得ている…ですか。私は決してそんな風には思いませんが…私たちがそんなことを考える必要は無い、というのがあなたの答えであれば、これ以上お話することはありませんね」

「そのようね。全員抜刀、この4人を排除します」

神功刀使たちが抜刀し、写シを張った。直たち4人もそれに合わせる。

「かかれっ!」

香織の号令で、12人の神功刀使が一斉にかかってきた。

「皆、後ろを取られないように、それだけ気を付けて!」

その直に声に合わせて、直と泉美、吉乃と八重が対になる。神功刀使たちの攻勢は、先の模擬戦の時以上だった。そして、所々に凪子の指導を受けていたことを感じさせる動きがあり、刃を重ねているとそれがわかる。確かに強い、だが、

「はあっ!」

直が次々と神功刀使たちを斬り伏せて行く。直の側を飛んでいるリュウが、神功刀使たちの動きを教えてくれる。さらに、宮城で京を一突きにしたあの瞬間から、直には相手が動き出した直後から、その次の動きが何となく見えるようになっていた。一体どういうことなのか、自分でもよくわからない。だが左手の毛利藤四郎が相手の太刀を受ける瞬間には、後の先を取れることが確信できた。泉美、吉乃、八重も並の腕ではない。直を中心に、戦いは一方的な展開となった。残りが2人になったところで、その2人が一旦引き、香織の前についた。さすがに、色を失っている。

「ちょっと直さん、あなた強過ぎませんか?」

「そうね、まるで相手の動きが見えているみたい…」

「まあ、こっちは助かるけど」

またリュウがふわりと飛んできて、肩に止まった。

「皆からもそう見える?何だろう、リュウが教えてくれるっていうのもあるんだけど…」

「ふうん…まあ、それはまた後でね…折神香織様、まだ抵抗されるおつもりですか?」

吉乃が、社の前で動かない香織に向けてそういった。

「そうね、さすが鷹司様を退けただけのことはある、といったところね…ただこちらもまだ、最後の処置を施したばかりだったのよ…そろそろ、かしら?」

香織がそういうのと、倒れている刀使たちが動き出すのがほとんど同時だった。

「え、何?起き上がれるわけが…!」

泉美の言葉が、残る3人の思いを代弁していた。5人の刀使が、再び立ち上がった。立ち上がれずにいる5人も、床の上で蠢いている。

「あら、少々クスリが強かったかしらね…まあいいでしょう。新たな力を試すには十分な相手です。全力で向かいなさい」

灰色の刀使たちは、香織に対して確かに返事をしたようだったが、それは残念ながら人の言葉とは程遠い獣の咆哮のようなものだった。両の眼が禍々しく赤く輝き、護国刀使たちに飛びかかって来た。

「速いっ!?」

八重の言葉通り、灰色の刀使たちの動きは確実に二段階の迅移を越えていた。剣撃の重さも先程までとは段違いだ。一人一人に合わせていたら対応が追い付かなくなる。

「さっきまでとは別物じゃない!これは…一体どういうことなのっ!」

吉乃は悲鳴を上げながら襲い掛かって来た一人の腹に柄を入れ、そこからさらに蹴飛ばして数人を吹き飛ばす。その間に間合いを確保するが、一人一人に集中できないため、決定的な一撃を与えられない。それでも直と泉美は多少有利に戦いを進めていたが、まだ一人も倒せていなかった。

「ふふ、予想以上の力ね。この子たちにはさっきね、特別なノロを与えたの。どんなノロか、わかるかしら?」

香織が、勝手に何かしゃべっている。4人共それを聞いている暇はなかったが、そのねっとりとした発音は、嫌でも耳に入ってきた。

「実はね、一度私の身体に入れたものを取り出して、それを与えているの。折神家の血とノロの相性がいいことは昔から知られていてね…ふふ、私の身体を経たノロは、より人の身体に馴染むものになっているのよ。ノロと人との高次の融合…いこの子たちは今、人を、刀使を超える存在となったのよ」

その、人を超えた存在に成ったらしい者たちの勢いは増すばかりだったが、成り損ねた、起き上がれなかった5人の刀使たちは床に横たわったまま、痙攣し始めた。

 

「…狂ってる、わね」

「ええ、しかし姉様、このままでは…」

直と泉美が4人引き受けてくれているおかげで、八重と吉乃が相手をしているのは3人だが、かなり厳しい戦いになっていた。

「何とかこの3人を倒してしまえば、今の直さんなら何とかしてくれるんじゃない?」

「そうですねえ…でも、どうやって…くっ…!」

徐々に、受けが間に合わなくなってきた。八重は、背中越しに姉の呼吸が乱れているのを感じる。

「確かに強いけれど…どうも攻撃が直線的になって来たわね。今一つ頭が働いていないのか…八重、次の攻撃、一瞬でいいからあなたが3人分受けてちょうだい」

吉乃はそういうと、迅移でさっと距離を取ってしまった。

「ちょっと、姉様!」

と、八重が叫んだの同時に、機を逃さず3人の刀使が斬りかかって来た。八重はもう、やけっぱちになって「おおお!」と叫びながら前に出る。3人の剣撃が完全に繰り出される前に、曲芸のように大包平の刀身を蛇のようにくねらせて出鼻を打って行った。3人の動きが、そこで一瞬固まる。

「そこっ!」

八重の後ろから、全身を金色に輝かせた吉乃が両手を広げて跳んで来た。八重は吉乃と入れ替わるようにそれをかわし、3人の刀使が吉乃の金剛身に捕まった。

「八重っ!まとめて斬りなさい!」

八重はそこでようやく、この姉の考えていることがわかった。自分が敵を束ねるから、自分毎まとめて斬れ、そういっているのだ。いくら写シがあるとはいえ、実の姉を斬らせるとはまたとんでもない発想だ。背筋に冷たいものが走ったが、迷っている暇はなかった。

「うわああああっ!」

八重は絶叫と共に跳躍する。今は、姉を斬ることが問題ではない。この3人を確実に斃すことが最優先…そう念じながら大包平を、渾身の力で振り抜いた。

着地の瞬間に4人分の絶叫がまとめて聞こえたが、同時に八重の脇腹にも御刀が刺し込まれていた。直と泉美の方にいた刀使だ。

「ぐ…あ…!」

5人の刀使が、その場に崩れ落ちた。

 

「ちっ!」

泉美が舌打ちをして、八重を突いた刀使の背中を斬る。その泉美を狙って来た斬撃は、直が弾いた。

その場にいた11人の刀使が、この一瞬の間に5人になっていた。神功刀使の一人が、香織の所まで下がる。何か、耳打ちしているようだ。

「泉美さん、聞こえます?」

「ええ…私たちを何とか押さえておくから、その隙に鎌倉へ、といっているようね。何だかおかしなしゃべりかた…」

「そうですか…それはちょっとまずいですね。先手を打ちますか…?」

その直の言葉を聞いたわけでもないだろうが、折神香織が進み出て、腰に差していた御刀を抜いた。直と泉美は、困惑した。

「あの人は刀使ではない…んですよね?」

「ええ、そう聞いています。仮に刀使であったとしても確か30代のはず…普通、引退している年齢です」

「ふふ…不思議そうな顔をしているわね。そう、あなたたちも知っての通り、私は刀使ではありません。ですが…確かに折神の血を引いている…ノロの馴染む、折神の血を、ね…」

香織はそういって、手に持つ御刀を構え、目を瞑る。

「宇佐美駿河守定満…さあ、行きましょう…」

香織は刀使ではない、だが、その御刀と身体から鮮烈にほとばしる力は、間違い無く刀使のそれだった。しかもそこへ、荒魂の気配が自然に溶け込んでいる。直の肩で、リュウが「ぎいー!」と声高に鳴いた。香織の長い髪が、不自然に波打ち始める。そして、その額には二本の角のようなものが、現れていた。

香織が目を開く。同時に額の二本の角もまた左右に開き、そこから赤い眼玉が現れた。

もうノロ云々の話ではない。それは確かに荒魂だった。直と泉美は戦慄した。刀使と荒魂、相反するはずの二つの存在が、一つになっている。

「その姿は…」

「あなたが気にしている刀使と荒魂の関係ね、こういうのも一つの答えではないかしら?刀使と荒魂の一体化…これほど荒魂と分かり合うことはないと思うけれど」

「それを分かりあっている、などというのは…断じて否定します」

直は毛利藤四郎を前に半身で構え、泉美がその背中についた。

「そう…ならこの力も、全て否定してみせなさい!」

香織の持つ4つの眼が真赤に輝くと、立っていた3人の刀使たちの身体に異変が現れた。苦悶の声を上げながら、全身を震わせている。倒れている刀使たちまで、身体をビクビクと動かしている。

「これは…折神香織の中にあったノロが共鳴しているとでもいうの…?」

泉美が顔をしかめながらそういった。

「かかれっ!」

一瞬の出来事だった。泉美が、3人の斬り込みを集中して受けていた。

「なっ…!泉美さん…!」

泉美がその場に倒れた。3人の刀使はすでに直に刃を向けている。まずい、と本能的に感じ、すかさず後ろに下がる。だが、泉美を一瞬で倒すほどの動きから逃げることはできない。一人の太刀を受けると、その両脇から刃が降って来た。右手の御刀でしのげるのはどちらか片方だけだ。確実に斬られる、そう思った瞬間、向かって左側の刃が直に届く前に沈んだ。直は右側の刀使の御刀を受けてから左右で受けている御刀を強引に押しやり、反動で距離をとった。少し離れたおかげで、何が起こったのか分かった。

「危ない所でしたね、直さん」

吉乃がそういって、童子斬を振っていた。直の左側にいた刀使は倒れており、残る二人も慎重になったのか、間合い空けた。

「吉乃さん…え、無事だったんですか!?」

「八重が上手く斬り込んでくれたのね。軽く気を失っただけで済んだみたい。倒れていた子たちが震え出して突っついてくれたので目が覚めました」

吉乃は、こんな時でもそういって明るく笑う。

「はは…それで起き上がるタイミングを計っていたんですか?」

「ふふ、まあ、ね」

全く恐ろしい人だ。この人が味方で良かったと直は思う。

「さて、それじゃ仕切り直しましょうか」

吉乃の言葉に「そうですね」と直が答えた瞬間に、吉乃は倒れていた刀使を一人掴み、前方の二人の刀使に向けて投げ飛ばした。

「それっ!逃げますよ、直さん!」

「え?ええっ!」

吉乃が直の手を引き、一気に迅移をかけて出入り口に向かう。内鍵を開けて、部屋の外に出て、3階から跳んだ。

「着地と同時に金剛身!いいですね?」

「ええっ!?」

わけもわからず金剛身を展開して、建物に入ってすぐの広間に着地した。

「吉乃さん…泉美さんと八重さんは…」

「大丈夫、仮にも折神家の人間が刀使を殺すようなことはしないでしょう」

「それはそうかもしれませんけど、でも…」

「このままあんなのと戦っていたら大変よ。『正道が通らなければ奇道を用いよ』河井タツさんの教本にあった言葉よ。あんな力、そう長く続かないんしゃないかしら?」

吉乃のいうことは最もかもしれなかった。目の前の敵に、意識が集中し過ぎていたのかもしれない。

「あ、そうか…まともに相手をすることはなかったのかも…。気付かないうちに相手の術中にはまっていたんですかね…」

そこで、二人の頭上を旋回していたリュウが「ぎぃっ!」と鳴いて警戒を促した。

「来るわね…二手に分かれましょう。私は地下に行きます。直さんは表に」

「地下?」

「ええ、泉美さん何か聴こえるっていってたでしょ。囚われの人って大体地下なんじゃないかしら?ほら、来るわよ!」

二人の刀使と、折神香織はもうすぐそこまで迫っていた。二人と一匹はそこで分かれる。「逃がすな」という香織の声を、二人共背中で受けた。

 

 直が表に飛び出すと、追手が一人、付いて来る。折神香織は中にとどまっているようだ。入り口を出て、門の手前で振り返って二刀を重ねて追手の刃を受けた。やはり強烈な打ち込みだった。強烈過ぎて不自然、といってもいいだろう。直は「あんな力はそう長く続かない」といった吉乃の言葉を思い出す。これはノロの力、そして折神香織から加えられた何らかの力が上乗せされた状態に違いない。こんな打ち込みを続けていたら、身体の方がもたないはずだ。直は全力で二刀を振り切り、間合いを空けて大きく深呼吸をし、

「あなたの攻撃は全部受けてあげます。さあ、いくらでも打ってきなさい」

そういって、どっしりと両足を地面につけた。相手からの返答はなかったが、殺気がみなぎっているのは感じられる。ようやく、相手をじっくりと見る余裕が生まれていた。そしてその余裕があれば、今の直ならばどんな剛剣でも防御に徹すればしのぎ切れないことはない。その場から動かず、ただ相手の打ち込みを弾いて追い返す。本来ならかなりの腕の差がなければできない芸当だが、リュウとの感応、毛利藤四郎が与えてくれる頭の冴えと自分の中で確かに生まれつつある感覚がそれを可能にしていた。やがて、灰色の刀使の動揺が見え始め、その打ち込みも、動きも鈍ってきた。

「そこ…っ!」

直は小さく呟くと、精細さを欠いた灰色の刀使の打ち込みを左で流し、右で心臓を突く。冷静にさえなれば、呆気ないものだった。ぐったりとその身体が崩れ落ち、御刀が手を離れると、写シが切れた。直はそれを確認して一息つき、念のためその御刀を奪う。空いている背中の方の鞘にそれを押し込んで、再び建物に入った。

 

 聞き覚えのある声が耳に届いた。京はふと顔を上げてドアに耳を近づける。

「京様、今の声は…」

「ああ、おそらく…吉乃、ここだ!」

京はそういってドアを叩いた。すぐに足音が近付いてくる。

『鷹司様…!この中にいらっしゃるんですね?』

「そうだ。開けられるか!?」

『お任せ下さい。少し退がっていて下さい!』

京たちがドアから離れる。少しの間の後で、甲高い金属音が響くと共に、御刀の切っ先が一瞬見え、それからドアが弛緩したようにこちら側へだらりと開いた。

「ご無事ですか!鷹司様!」

「ああ…ん!吉乃、後ろだ!」

吉乃が「え?」という間も無く、迅移でやってきた神功刀使によってその右腕が斬り落とされた。吉乃が悲鳴を上げ、その場に童子切を取り落として体勢を崩し、写シが切れる。

「…お前、何をしている!」

京が飛び出した。立っていた刀使は京の姿を認めてぴくりと身体を震わせ、その赤い目を大きく見開いた。

「美佐か…。もういい、御刀を納めろ」

元に戻った右腕を押さえながら立膝をついている吉乃を横目に京がそういったが、美佐と呼ばれたその刀使は京の言葉に反応を見せたものの、構えを解かずそのまま立ち尽くしている。京は、それを見て、落ちていた童子切を手にした。

「京様、まだ写シが…!」

そういって諫めようとする桜を睨みつけて黙らせ、構えを解かない美佐に向き合う。

「もう一度言う。美佐、御刀を納めろ!」

言葉を重ねたが、美佐は動かない。よく見れば何かぶつぶつと言っているように見える。京の姿を見て、動揺しているのは間違いないようだ。

「お前…正気を失っているのか…?ノロに乗っ取られたか…!」

美佐が打ち込んできたが、それはひどく腑抜けたものだった。京は童子切でそれを上に弾き、返す刀で胴を薙ぎ払った。

「そんな自分自身すら律することのできない剣では、何も斬れん…!吉乃、香織はまだいるのか?」

「はい、まだいますよ。荒魂のようになってしまっていますが…」

「そうか…護国刀使が押さえてくれたということか…何人で来た?」

「4人です。残念ながらもう動けるのは直さんだけでしょうけど…ただ、周りの刀使は多分、全員片付いているはずです」

京は少々複雑な気分で頷く。桜も部屋から出て来た。

「どうも、吉乃さん。あなたの矢、とっても痛かったわよ」

「はは…それはどうも…。ああ、安心して下さい。宮城で倒れたお仲間は全員、こちらで保護しています。雅さんも元気ですよ」

京と桜にとって、それは何より嬉しい情報だった。

「あの、今香織様が荒魂のようになっている、と聞こえましたが、どのようなことになっているのですか?」

浜塚も出て来た。吉乃が京に、これは誰なのか、と眼で尋ねる。

「ノロの研究をしている者だ。問題無い」

京はそういって、童子切を吉乃に返し、美佐の御刀を握る。

「そうですか…ええっと、信じていただけるかわかりませんが…角が、2本生えています。しかもその角から目まで現れていて…もう、見て頂いたほうが早いですかね…」

「本当に荒魂化…!急ぎましょう、手遅れになる前に!」

そういって駆け出した浜塚を、3人は追う形になった。

 

 最後の2人も倒された。広間に立つ香織にはそれがはっきりとわかった。

「何故、人生というのはこうも上手くいかないものなのかしら…?」

気付けば思わず口に出していた。それは、本当に疑問だった。事を成すために努力を怠ったことは無い。信じる事、愛する人を裏切ったことも無い。

だが折神家に生まれながら御刀には選ばれず、刀使にはなれなかった。そんな自分に対する世間の風当たりは厳しく、やっと自分のことを認めてくれて、愛してくれる人ができたと思えば、その人はよくわからないモノのために死んでしまった。残された自分はせめてその人の意志を継ごうとしていただけなのに、それすら潰えようとしている。

「折神香織様…さあ、やりましょう」

正面から、護国刀使の戦闘狂いが入って来た。

「香織、貴様…!そんな姿に成り果ておって!」

地下に続く階段からは、やかましい貴族様たちが上がって来る。

 香織は溜息をついて、宇佐美駿河守を見つめた。この御刀で命を断つのも悪くは無いか、そう思った瞬間だった。

『それは困るな』

奇妙な声が聞こえた。見回してももちろん、刀使たち以外には誰の姿も無い。お前は誰だ、と念じるようにして問い掛けると、

『誰、とはまた随分他人行儀だな。ずっと一緒にやって来たではないか。最も、こうして意志を現すのは初めてだがな…』

そう、頭の中で「何か」がいった。香織には、それの正体が分かった気がした。

『お前が忘れているのなら、その記憶を呼び起こしてやろう。そうすれば、折神香織という人間は、私のような荒魂と同じく、本質的には人を呪わざるを得ない存在であるということも思い出すだろう』

その「何か」の仕業なのだろう。香織の頭の中に映像が浮かび上がり始めた。

 

 

 

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