序章
昭和15年、西暦1940年は皇紀2600年にあたる年だった。「皇紀」あるいは「紀元」というのは、もう使われることの無くなった日本独自の年の数え方で、初代の天皇とされる神武天皇が即位してからの年数をこれにあてている。つまり、西暦1940年は神武天皇が即位してから2600年目にあたる年であったということだが、残念ながらその神武天皇の存在は架空とされている。ではこの暦は一体何なのかというと、日本には西暦よりも長い歴史を持つ暦がある、ということを世界に示す明治維新後の日本が強く持っていた西洋コンプレックスの現れ、だったといえる。
いずれにしても、この節目の年には日本全国で様々な祭祀が催された。そしてそれら祭りの雰囲気に御刀の神性も浮かされたのかどうかはわからないが、この年には多くの刀使が誕生している。主を持たない御刀が、何かに導かれるようにして刀使となる少女たちを選んだ…そんな年だった。
その十一月、芝の増上寺台徳院殿では今まさに新たな刀使たちが生まれようとしていた。後に空襲で失われたこの荘厳な社は、徳川二代将軍秀忠の菩提を弔うために建てられた。朱塗りの廊下を真っ直ぐに進むと拝殿がある。廊下と同様に一面が鮮やかな赤で彩られたこの空間に、神職と思しき男たちの姿があった。束帯姿の彼らの顔は、妙な文様の描かれた布で覆われ、その表情を窺い知ることは出来ないが、いずれも老齢に差し掛かっていることは、垣間見える頭髪に白い筋が多く混じっていることが示していた。そして、拝殿に供えられるようにして置いてあるのは四振りの御刀ー童子切、大包平、蛍丸そして義元左文字…いずれも名にし負う名刀だった。一人の神職の男が前に進み、拝殿に一礼してから廊下の方を振り返る。それを受けて、四人の少女たちが一列になってゆっくりと進んできた。いずれもまだ十代の初め、幼さの残る顔立ちをしているが、巫女装束に身を包み、作法通りに歩みを進めるその様子には年齢を超えた神秘的な様子が窺えた。
四条吉乃には童子切、四条八重には大包平、沢泉美には蛍丸、来栖直には宗三左文字が、順に下賜された。
四振りの御刀に同時に選ばれた四人の少女たちは、こうしてこの日、刀使となった。
そして、このほぼ一年後となる昭和16年12月、日本は太平洋戦争に突入する。
これは、最も過酷な時を刀使として生きた少女たちの物語である。
刀使の巫女外伝 戦火の巫女
一章
「では、確かにお預かりします」
「よろしくお願いします。あなたがたの御刀ほど貴重なものではありませんが、それでもこの神社の護り刀として受け継がれてきたものです。どうか…」
そういって差し出された御刀を、直は両手でしっかりと受け取る。これで何度目になるだろう。どこの神主さんも、この時は本当につらそうだ。
「お任せ下さい。こちらの御刀は間違い無く折神家に管理されます。どうぞ、ご心配なく」
直の傍らに立つ泉美がそう答えると、中年の神主はようやく口元に笑みを浮かべ、
「そうですね、このご時世、折神家に…お国にお預けして役立てていただけるならば、これに勝る幸いは無いでしょう…。御役目、ご苦労様です。護国刀使の皆様にも幸あらんことを」
「はい、ありがとうございます」
二人は声を揃えて一礼し、社殿を後にした。
昭和18年4月、戦局は悪化の一途を辿っていた。食糧は既に配給制となっており、国民生活は慢性的な物資不足に陥いろうとしていた。さらに、そんな世の中の不穏な空気にあてられたのか、荒魂の出没件数が増加していた。
戦時の国民生活にこれ以上の混乱が拡がるのを憂いた政府は、刀使たちの頂点たる折神家と有識者を交えた会合を何度か開いて、各地の社に祭られている御刀とノロの回収を決定する。それはいわゆる「金属類回収令」に付随した法令として整えられ、回収には全国から選抜された刀使たちが充てられた。彼女たちは新たに結成された内務省神祇院付けの特別組織「近衛祭祀隊」に所属することになり、隊員たちは「護国刀使」と呼ばれ、表向きには御刀とノロの回収、及び荒魂討伐を任務としていたが、その実、帝都東京の有事に備えて配備された防衛部隊としての一面も持ち合わせていた。近衛歩兵連隊や皇宮警察ほどの規模は無いものの、「近衛」の名の通り宮城(皇居)の敷地内に宿舎を構え、回収した御刀やノロを祭っていた。
そのため、年端も行かぬ少女たちが宮城の内外を駆け回る事になったのだが、そもそも巫女としての神性を併せ持つ彼女らの存在は無粋な軍人や警察などよりよほど宮城の空気に合っており、また、健気にお国のために働く少女たち、という観点からも「少国民」といわれた当時の少年少女たちの模範として広く国民の人気を集めていた。
街を行く彼女らの存在は嫌でも目立つ。戦時下であるため決して派手さは無いが、それでも軍服に巫女服の意匠を盛り込んだ制服、腰に帯びた御刀に加えて回収した御刀も携えているとなれば当然のことだった。子供たちに手を振られるのはいつものことだし、大人たちからもよく頭を下げられる。
「私、やっぱりこういうの少し苦手です」
大人たちの会釈に応じながら泉美がそういう。
「そうですか?そんなに気にすることもないと思いますよ。『見タカ華麗ナ一本差シヲ、アレゾ帝都ノ護国刀使』って皆さん、応援してくれてるわけですし」
直は子供たちに手を振りながら屈託のない笑顔でそう答えた。確かにそんな謳いがある。本当に応援されているのか、それとも少女たちが日本刀をぶら下げて歩いている姿を揶揄されているのか、わかったものではないのだが、いずれにしても、
「それ聞くと結構恥ずかしいんですよね…」
それが泉美の率直な思いだった。
「そうだ、泉美さん、うちのおばあちゃんの家がこの近くなんです。少し寄っていきませんか?」
何が「そうだ」なのか、直が唐突におかしなことを言い出した。
「え?それはちょっと…お役目の最中ですし…」
「大丈夫ですよ。おばあちゃん元刀使ですし、それに多分甘い物食べさせてくれますよ!」
「いえ、あの、そういうことを言っているのではなくて…ちょっと、直さん!?」
「ほら、こっちですよー」
泉美は一つ、溜息をついて直の後を追った。全くこの、能天気ともいえる同期の刀使のこういう所は呆れる思いではあったものの、同時にうらやましくもあった。そもそもさっさと先を行ってしまう身のこなしが既に並ではない。刀使になって二年と少し、直は文句無く同期で最強の刀使だった。それどころか今や全国から選抜された護国刀使の中でも最強ではないかと目されているほどだ。
「ああいう、物事を深く考えない所が良いんでしょうか…」
泉美はぼやくように直の悪態を突きつつ、甘い物が食べられるかもしれないという誘惑に自分が完全に負けていることにも気が付いていた。
直の足が止まったのは、日本橋でも知られた乾物問屋だった。さっさと暖簾をくぐって行く背中を追いかけて、慌てて泉美も店に入る。
「こんにちは!」
「おお、これは神田のお嬢、よくいらっしゃいました。ちょいとお待ちください。大奥様!」
法被をまとった店番の男がいそいそと店の奥に入っていく。
「神田のお嬢?」
「実家が神田なんです」
「そう、でしたね」
また、自分の聴きたい答えとは何となく違うような気がするな、と思っていると、
「おや、これは護国刀使の方々、突然のお越しだね。けどうちには御刀もノロもないよ」
「おばあちゃん!」
現れたのはおばあちゃん、というには随分若く見える女性だった。スラリと背が高く、立ち姿が美しい。そこへすかさず、直が飛びついた。
「こらこら、お役目の途中なんじゃないのかい?」
「すぐ近くで御刀の回収があったからちょっと寄っただけだよ」
「全くこの子は…ああ、そちらは?」
「あ、沢泉美と申します。直さんとは同室で、よく組ませていただいております」
「ああ、あなたが…お話はよく聞いておりますよ」
いいながら、泉美は自分がじっと観察されていることに気付いていた。それは、初手合わせの相手と接した時の感覚によく似ていた。
「失われた鏡心明智流を使うとか…どうです、奥で少しお話を聴かせてくださらない?」
続く言葉は本心からのもの…元刀使の好奇心なのだろう。
「あ、はい…」
それにしてもお役目中であることを咎めるのではなかったのだろうか。さすがこの孫にしてこの祖母ありだな、と思いつつも泉美はいわれるがままに店の奥へと入っていった。
二人が通されたのは、凡そ乾物屋というイメージからは程遠い革張りのソファが置かれた洋風の客間だった。普通の客間と少し違うのは、部屋の奥に一振りの短い刀が祀られるようにして置いてあることだった。
「へえ、ご実家は長野なの。けれどそれで何故、鏡心明智流?」
「はい、うちの曾祖父が幕末の頃に武市瑞山先生から剣を習ったことがあるとかで…お恥ずかしい話、事実かどうかも定かではないのですが、それを真に受けて我が家はそれから地元で小さな剣術道場をしているんです」
「へえ、あの勤皇家の武市半平太…先生ね?そんなことがあったなんて知らなかったわ」
「いえ、ですから本当かどうかもわからないので…」
「ねえ、たけち何とかって誰のこと?」
それまで祖母と同僚の顔を交互に見るだけだった直が口を開いたと思えばそんなことを言い出したので、二人の興は何となく削がれた。
「あんたはもう…呆れた子だよ全く。明治の御一新における土佐の雄だよ」
「ふーん。ま、そりゃあおばあちゃんは刀使の歴史編纂なんかをしてたから詳しいかもしれないけどさ」
「そんなことは常識です。全く、藤十郎さんも佳代もあんたを甘やかすから…」
「ああもう、そんなの今は関係ないでしょ!」
そのやりとりはなかなかに微笑ましい。最強の刀使も祖母にかかれば完全にお子様扱いだ。泉美はくすりと笑いながら、そういえば、と思い立つ。
「あの、おばあ様のお名前、旧姓もよろしければ教えていただけませんか?」
「ああ、そうですね。まだ名乗りもせず、失礼いたしました。私は向島タツ、旧姓は河井と申しました。直は私の娘の娘です」
「河井…タツ…さん」
泉美は口の中で呟くようにそういった。河井タツ、この時代の刀使であれば、聴けば思い当たる節のある名だった。
「え、あれ、あの、『対荒魂教本』の…!?とういうことはあの奥にあるのは毛利藤四郎!?」
「はい、拙著が未だに刀使たちの教本に使われているとは何とも気恥ずかしい限りですが、あれは私がまとめたものです。それからあれは確かに藤四郎ですが…」
そういって、タツは微笑みながら振り返る。
「模造刀です。刀使を引退する時に打ってもらったものですよ」
「ああ…」
刀使が刀使でいられる期間は決して長くはない。多くの場合その力は十代後半を頂点にして減衰していく。力を失うと御刀を返上して刀使を引退するが、その時に自分の御刀を模した刀を打ってもらい、記念にするという刀使が少なくなかった。
だが、それはそれとして、
「驚きました。まさか直さんのおばあ様があの河井タツさんだなんて…」
日頃、自分たちが座学で使っているあの教科書の作者が目の前にいる。これは何とも驚くべきことだった。
「すごいよねえ、おばあちゃん。私は座学なんて全然駄目なのに」
「私だって自分の得意分野以外は苦手でした。でもあんたと違って真面目にやってました」
「もう、意地悪だなー」
「ははは、まあ座学も実技もしっかりね。あら、出来たみたいね」
広い窓から、廊下を渡ってこちらへ向かってくる人影が見えた。間もなく、ドアがノックされる。
「はい、どうぞ」
「失礼しますよ。直さん、いらっしゃい」
「あ、伯母さま、どうもお邪魔してます。泉美さん、こちらは私のお母さんのお兄さんの奥さんで富美子さん」
泉美は立ち上がり、
「どうも、お邪魔しております」
礼をとった。富美子はそれを見て穏やかに笑いながら、
「ああもう、いいんですよ。それよりほら、お二人共どうぞ」
そういってテーブルにガラスの器を置いた。
「わあ!みつ豆だ!」
「…!」
泉美は思わず息を呑んだ。器の中にはたくさんの寒天があり、陽の光を受けてきらめくそれは、宝石にさえ見えた。実際、みつ豆どころかあんこが既にぜいたく品になっている昨今、宝石というのもあながち言い過ぎではない。
「うちは商売柄、まだテングサが結構手に入るのよ」
泉美の様子を察したのか、富美子がそういった。
「あ、あの、いただいても…いいんですか?」
「もちろんよ。遠慮なく召し上がれ」
意を決して泉美は匙を手に取った。隣の直はその様子をにやにやしながらじっと見ていたが、それを気にしている余裕は無い。
「いただきま…」
す、と最後まで言う前に、奇妙な音が響いた。直と泉美の顔色が変わる。
「おや、スペクトラム計が反応しているね」
元刀使の言葉に現役刀使の二人は溜息をつき、懐から方位磁針のようなものを出してテーブルに置いた。小さな二つの円盤の中にある血のように赤い半液体状の物質が、揃って同じ方角に伸びていた。
「おばあちゃん…今はね、荒魂類探知計っていうんだよ」
「ああ、敵国語は使うなということかい。それにしても随分味気の無い名前になったもんだね」
タツはそういいながら、少し懐かしそうにその円盤を眺めた。
「ま、私たちはノロ磁針って呼んでるんだけどね」
「はは、そっちの方がなんぼかいいんじゃないかい?それより、随分近いみたいだね」
荒魂が検知されたら、たとえ親の葬式の最中であってもすぐに駆け付けなければならない…それが護国刀使の隊規だ。
「はい…至急、現場に向かいます」
「うう…物凄く残念だけど、おばあちゃん、伯母さん、いってきます」
「ええ、気を付けていっといで」
「ああもう、こんな時でなくてもいいのにねえ…」
二人はその言葉に深く同意しながら、もう一度溜息をついて、席を立った。
日本橋の周辺はかつて、隅田川とつながる掘割と呼ばれる水路が縦横に走り、江戸の頃から物流の拠点となっていた。そしてそれは、江戸から東京となって70年が経つこの時代においてもさほど変わりは無く、隅田川の川岸まで行けば多くの倉庫が立ち並んでいた。ところが、この水路は時として荒魂が利用することがあった。彼らにとっても便利なものであったらしい。
「泉美さん、この反応…多分、掘割からですね」
「ええ…とにかく、まずは周辺の方たちを避難させましょう」
「水の中だとどこから飛び出してくるかわかりませんから、もう備えておいたほうがいいですね」
直は腰の御刀の鯉口を切り、抜刀した。目を瞑って集中すると、手にした御刀から全身に霊力が巡って行くのがはっきりとわかる。
「写シ」
小さく呟くと、全身がうっすらと光に覆われる。気力の充実を感じ、目を開ける。いい状態だ。隣では同様に泉美が抜刀し、写シを張っていた。
「では私は海の方に向かいます。泉美さんはこのまま流れを上って下さい」
「わかりました」
二人は逆方向に駆け出した。幸い、船はほとんど川岸に係留されていて、人の姿はない。直は義元左文字を脇構えに、水路沿いを進んでいく。既に花の終わった後の桜が、所々で風に揺らぎながらまだ生え揃っていない緑の葉を揺らしている。
「結局今年はお花見にいけなかったな…まあ、不謹慎っていうのもわかるけど…」
戦地で戦う兵隊さんのことを考えればお花見で浮かれている場合ではないし、そんなところを人に見られでもしたら特高や憲兵に引っ張られる。そもそも、花の下で広げる弁当もお酒も無い。戦争が国を挙げての一大事ということはわかっているが、一体いつまでこんな生活が続くのだろう…そんなことを考えていたら、不意に大きな水音が、すぐそこで起きた。見ると既に、間欠泉のように一筋の飛沫が上がっている。そしてそれは、大きな放物線を描きながら、再び水路の少し先へ飛び込んでいく。その動きはまるで、
「うわあ…龍みたい」
そう、さながら龍のようであった。しかし、龍であるわけが無い。龍でなければそれは、
「あんな荒魂、いるんだ」
そういうことになる。直が水路に向かって正眼に構えると、すぐにまた水しぶきが高々と上がった。今度は直を目掛けて襲い掛かって来る。荒魂独特の『ギィィ』という叫び声が耳に届いた。
「ふうん…そういう真っ直ぐなの、嫌いじゃないよ!」
直は怯むことなく、龍の頭の部分で橙色の光を放つその荒魂を刀身で受け止めた。鍔迫り合いのような恰好になったが、随分直線的な動きの荒魂だな、と思った直は、両手の力をふっと緩めて御刀を背後に反らした。不意に拮抗する力が無くなった龍の荒魂は、勢い余ってそのまま刀身を滑って行き…地面に激突した。
ギャアアア、というような声が響き、長い水の身体がきらきらと輝きながら四散した。美しい眺めではあったが、足元に目を移すと、その水の身体を失った貧相な龍の頭が転がっている。どうやらこれが本体であったらしい。
「こういうの何て言うんだっけ…あ、そうそう、竜頭蛇尾だ。まあそういうことで荒魂さん、相手が悪かったわね。みつ豆の恨み、とくと味わってもらうからね」
そういって、やっと起き上がった荒魂に切っ先を向けると、竜頭蛇尾であり、羊頭狗肉であったそれは、人間のようにビクリと身体を震わせた。
「んん…何か調子狂うなあ」
「直さん!大丈夫ですか!?」
そこへ、泉美がわざわざ迅移を使ってやって来た。
「ああ、泉美さん。大丈夫ですよ。全然、全く問題ありません」
「でも随分大きな荒魂に見えましたけど…って、もしかしてそれが?」
「ええ、これなんです」
最早、直は完全に警戒を解いて、荒魂に背を向けて泉美に話しかけていた。その時、
『ギギギ』
と、荒魂が何やら反応した。だがそれは、別にこちらを襲う、というわけでも無いようだった。
「何?何か言い遺すことでもあるの?」
即座に切っ先を向けると、再び荒魂は萎縮する。
「直さん、怖いですよ…。あれ?もしかしてその御刀に反応しているのでは?」
「え、これ?」
それは、先程この近くの神社から回収して来た御刀だ。自分の御刀とは別に、腰の後ろに括り付けていたのだ。直は少し首を傾げるようにしてから、義元左文字を収め、その御刀を鞘ごと腰から抜いて見せた。
「ほれほれ、これが欲しいのか、荒魂さん」
『ギギ、ギギギ』
「あはははは、ギイギイいってる、おもしろーい!」
「ちょっと、直さん?」
「わかってますよ。いい、荒魂さん。これは私たちが仮にお預かりしている大事なものなんです。あなたにあげるわけにはいきません。その代り…この義元左文字を喰らわせてやるわ!」
再び抜刀した直におののいて小型の荒魂はすかさず跳ねて距離をとったが、それでもやはり、完全に去ろうとはせず、こちらを見ている。
「何なんでしょう?こんな荒魂は初めてです…」
「そうですね、私も初めてですけど…でも、何となくわかるかな」
「え?わかるんですか?」
問い返した泉美に微笑みながら、直は左文字を収めて荒魂の方へ歩き、左手に持っていた御刀をそっと地面に置いた。
「さ、別に斬ったりしないから、おいでなさい、荒魂さん」
荒魂は直の方をうかがう様子を見せつつも、じわじわと御刀の方へ寄って来た。そして、前足がかかる所まで来ると、御刀を揺すりながらまた「ギギギ」と鳴いていた。それは戯れのようでもあったのだが、しかし、どう見ても嬉しそうにしているのがわかる。
「変なの。荒魂さん、笑っているみたい…」
直はその様子をしゃがんで見ていた。普通なら、とてもありえない光景だった。荒魂を目の前にしてこれほどの無防備をさらすなど、刀使としては考えられない。
「あの、直さん…?」
「荒魂さん、あなた、この御刀から生まれたノロから生まれたの?」
「え?」
荒魂は、その直の言葉を受けてかどうか、ギ、ギ、ギと声を上げた。
「直さん、わかったっていうのは…そういうこと?」
「え?ああまあ多分、ですけどね」
「なるほど…確かに、そういうことがあっても不思議ではない…かもしれませんね。それにしてもよくそんなことに気付きましたね」
「え?何いってるんですか、この御刀に反応してるみたいって教えてくれたのは泉美さんじゃないですか」
「それは、そうですけど…」
「この御刀、明治のご一新の頃に打たれたものらしいですから、まだまだ新しいんですよね。だからきっと、この荒魂さんもまだ子供で、この御刀が離れていっちゃうのが嫌で襲って来たんじゃないかと思うんです」
直は、御刀の側を離れようとしないしない荒魂を段々可愛く思えるようになっていた。これが人に仇なす物の怪だとはとても思えない。甘えん坊の子供のようだ。
「でも、それは荒魂ですよ?私たちはそれを斬って祓わないと…」
「それが刀使のお役目ですものね。わかってますよ」
直は義元左文字を抜刀して立ち上がった。
「良く聴きなさい、荒魂さん。この御刀は私たちが持って行きます」
そして、そういって荒魂から御刀を取り上げる。またギイギイと騒ぎ始めたので、すかさず左文字を向けると、すぐに大人しくなった。
「でも、あなたが今後、人を襲わないと約束出来るなら…またこの御刀を持って来てあげてもいい」
『ギギギ』
「…これ、会話として成立しているんですか?」
横からの泉美の問い掛けに、
「さあ、わかりません」
直は短く答えた。確かにわからない。だが、荒魂は基本的に人の行動を理解しているものだという。中には高い知能を備えたものもいる、と祖母の教本にも書いてあった。
「でも、もし約束を違えるようなことがあったら…」
直は、折よくひらひらと舞って来た桜の葉を、ほとんど何の予備動作も無しに真っ二つに斬ってみせた。
「わかってるわね?」
『ギ…ギギギ…』
多分、伝わっているのだろう。直は何となくそう思いながら再び左文字を荒魂に向けた。
「さ、わかったら掘割に戻りなさい。あそこが住処なんでしょう?」
荒魂は少したじろいでから、直と、泉美の横をカサカサと通って、最後に一度こちらを振り返ってから、水路にドブンと飛び込んでいった。
「やれやれ、おかしな荒魂でしたね」
左文字を収めながら直がいうと、
「対応した刀使も大分おかしいと思いますけど…いいんですか?」
「ええ、大丈夫。折神家にお願いしてこの御刀を借りようと思っているんです。ここはおばあちゃん家の近くだからたまに来ますので。約束は守りますよ」
「いえ、荒魂を見逃してもいいのか、ということを聞いたんですけど…」
「んーそっちですか…。そうですねえ…泉美さんは前に、益子の刀使の方が来てお話されたの、覚えていますか?」
直は、いいながら歩き始めた。
「ええ、私たちが護国刀使に選抜されてすぐ、でしたよね」
「そうです、そうです。私、その時のお話を聞いて、ああそうか、って思ったことがあるんですよね」
「確かに色々と面白いお話をされていましたが…」
「ええ、その中でですね、『大事なのは荒魂を斬ることではない、そのケガレを祓うことだ』っていうのがあったんですよね。荒魂は人の身勝手で生まれているわけですから、それをただ斬るっていうのは違うなって私も常々思っていたんです」
「荒魂が人の勝手で生まれている…ですか?」
「だってそうじゃないですか。人が御刀と刀使の力を欲しいと思うからノロが生まれて、それが荒魂になるんですから、それは人の勝手ですよね。御刀も刀使も別に要らないやっていうことになれば荒魂は出て来ないんじゃないですか?」
「それは確かに…そうかもしれませんけど…」
「もちろん、そんな単純な話じゃないことは私にだってわかっています。ただ、ですね、斬るだけが荒魂を鎮める方法ではない、そう思えばもっといろいろと可能性…っていうんですかね、そういうのがひろがると思うんですよね」
もしかしたら荒魂と付き合っていく、ということは可能かもしれない。直は、さっきの荒魂の様子を見て、割と本気でそう思っていた。
横を歩く泉美は、呆気にとられたような顔をしてから、
「本当に、おかしな刀使ですね」
そういって笑った。
護国刀使の少女たちが「寮」と呼んでいる「近衛祭祀隊舎」は宮城北の丸、大手門に近い外濠川に面した木立の中に位置していた。ここは宮殿から見て鬼門の方角になる。地上二階、地下は二階もある珍しい構造の建物であったが、もちろんこれには理由がある。
在席中の護国刀使たちに緊急招集がかけられたのは、その日の昼を少し過ぎたあたりだった。全部で48名の護国刀使のうち、半数以上が外に出ており、集まったのは20名にも満たなかったが、その中に直、泉美と共に御刀を授かった吉乃と八重、四条姉妹の姿があった。
「これから話すことは国家の大事である。いずれ、広く国民にも知れ渡ることになると思うが、今はまだ君たちと、君たちの同僚の心の内に留めておいてほしい」
その、地下一階に集められた少女たちは、前に立つ中年の軍人からいきなりそんなことをいわれた。軍属で無い彼女たちは休め、の体勢をとってはいなかったが、一応全員帯刀して直立不動の姿勢でいる。
「一体どんなお話なのでしょう?」
「さあ…わかりかねますねえ…」
「あの方、随分沈痛な面持ちをされていますけれど…」
「姉様にわからないことが私にわかると思います?」
「そうだとしても、もう少し姉の話に乗り気だと嬉しいのですが」
「…いい加減静かにしないと怒られますよ」
案の定、二人はその軍人から睨まれた。八重がそれ見ろ、とばかりに姉を肘でつついたところ、吉乃は笑顔でその軍人に軽く頭を下げた。今一つ適切とはいいかねる所作だと思うのだが、軍人の方は一つ咳払いをしただけで済ませてしまった。全く、折神家の人間がこの場にいないことが幸いだったと八重は思う。
「あー、これは諸君らが刀使、神職でもあるが故に話すことだ。心して、聞いてほしい…」
そこで、中年軍人は目を瞑ってしまった。随分ともったいぶる人だな、と八重は思った。出来ればこんな陰気臭い所には長く居たくない。言いたいことがあるなら手早く、手短にお願いしたい。今日は非番なのだ。午後から街をブラつこうと思った矢先にこれだ…考えていたら段々と腹立たしくなって来た。そんな八重の様子を知る由も無いだろうが、ようやく軍人さんは目を開き、追って口も開いた。
「去る4月18日未明、山本長官が戦死を遂げられた」
それは実に簡潔な言葉であった…が、その場にいた少女たちに与えた衝撃は大きかった。暫くの沈黙、というよりは硬直の後で、護国刀使最年長、今年で20歳になる数少ない大正生まれの霧島由良が、
「あの…それはあの、軍神山本五十六長官のこと…なのでしょうか…?」
やや取り乱しながらそう質問をした。それは、この場にいる全員の思いを代弁したものだった。
「…そうだ」
軍人さんは頷きながら短く答え、全員を眺め回してさらに言葉を続けた。
「山本長官の御霊は国葬をもって送られることとなる。ご遺体の回収は難しかったそうだが、遺品は戻ってくることになった。その遺品を、国葬までの間、この近衛祭祀隊舎で保管してもらうこととなった」
「なっ…」
思わず八重はそう声を上げてしまったのだが、同じくして場の刀使たちのどよめきが起きていたため、目立つことはなかった。むしろ、当然の反応だったといえるだろう。
「信じられますか…八重…」
「信じられません…けど…」
山本五十六、真珠湾攻撃の作戦立案、実行を指揮したこの戦争における海軍の、いや日本における最大の英雄と呼べる人物であった。親しみやすい性格で国民は元より花柳界の女たちからも愛された人物であったが、その大英雄が戦死した、というのだ。しかもその遺品を預かれ、という。
「津島中佐殿、それは海軍からの正式な要請なのでしょうか」
霧島由良と同じく年長組の早乙女凪子が、はっきりとした口調でそう尋ねた。
「海軍どころではない。これは陛下よりの勅命である。先程、折神碧殿が陛下の御前で詔勅を賜った」
さらに、どよめきが強くなった。
「これはまた…」
「とんでもないことになりましたねえ…」
姉妹はそういって肩をすくめた。どうにも大き過ぎる話になってきた。
「それでその、遺品というのはどのようなものが、どれくらいあるのでしょうか…?」
霧島が再びそう尋ねる。
「長官が最後まで手にしていたという軍刀、一振りだ」
その答えで、刀使たちは腑に落ちた。八重は、改めて周囲を見回した。この地下一階には、彼女らが集っている広間を囲うようにして十重二十重に全国から回収された御刀が祀られているのだ。
「尚、その軍刀は今夜のうちにここへ運ばれる手筈となっている。しっかりと祭壇を整えてお迎えするように。以上だ」
予定外の事態に見舞われた直と泉美は日本橋から市電と呼ばれていた路面電車に乗り、大手町で降りると、そこから走って宮城に向かった。陽は既に傾きかけている。大手門で警備をしている皇宮警察に敬礼をして、曲がりくねった入り口を進み、敷地に入った。
「うーん、荒魂を退治していたら遅くなった、という言い訳は通用しますかね?」
「実際には退治していないのですから、まずいと思いますよ」
「ですよねえ…」
言い訳を考えながら帰って来た二人であったが、幸か不幸か隊舎の中はそれどころではなかった。入るなり、同僚たちが慌ただしく動き回っている。
「あれ、みんなどうしたんでしょう。右往左往していますけれど…」
「いえいえ泉美さん、地上と地下を往復しているみたいですから右往左往というよりは上往下往といったほうがいいのではないかと思います」
「…そういう冗談はいいですから、あ、吉乃さん!」
直の言葉はあっさりあしらわれ、吉乃を見つけた泉美はそちらへ歩いてく。直も続くと、吉乃の後ろから八重も姿を現した。
「あらあら泉美さんに直さん、御刀の回収は…無事終わったみたいね」
「やっとのお帰りか。神主に愚図られたのか、それともどこかで道草か?」
「えーっと、まあ色々ありまして…ところでこれは何の騒ぎですか?」
直の言葉を受けて、吉乃と八重は顔を見合わせた。
「外出組はあなたたちで最後みたいね。とりあえず学習室に行って。霧島先輩から話を聞いてちょうだい」
「…ま、それ以上のことはいえないか」
姉妹の様子に少し含むところがあるなと思った直と泉美ではあったが、黙って頷き、吉乃の言葉に従って学習室へ向かう。普段は座学が行われるその部屋のドアを開けると、今日外出していた刀使たちが、授業の時と同じように着席していた。
「すいません、遅れました…」
「直さん、泉美さん、お帰りなさい。空いている所にかけて」
前に立つ霧島にそう声を掛けられ、二人は後ろの方に腰かけた。いつも穏やかな笑みを浮かべている霧島の表情が硬い。それにつられて場の雰囲気も、重い。
「さてこれでお揃いね。敢えて皆にここに集まってもらったのは大事なお知らせがあったからなんです。実はね、昼過ぎに海軍の中佐がこちらにみえて…」
霧島はそこで一つ溜息をついて間を空けた。
「連合艦隊司令長官の山本五十六大将が戦死された、とお知らせ下さいました」
その場にいた少女たちが一斉にざわめきはじめる。
「本当なんですか、それは!」
直は思わず立ち上がり、大声を上げていた。
「直さん。声が大きいですよ…。ええ、本当なんです。4月18日の未明、前線の視察に海軍の大型攻撃機で向かう途中、ブーゲンビルの上空で撃ち落とされてしまった、とのことです…」
直はがっくりとうなだれて、
「そんな………」
崩れるように席へ腰を落とした。
「ああ…そういえば直さんは長岡に縁がありましたね…。皆さんも衝撃を受けていることかと思いますが、しっかりとこの事実を受け止めて下さい。それからこのことはまだ機密です。いずれ長官は国葬で送られる、とのことでしたが、政府からの発表があるまではたとえ家族といえども絶対に口外はしないで下さい。そして…ここからが私たち護国刀使にとっての本題です」
霧島はそういって、全員の顔を見回した。
「山本長官が最後まで手にしておられた愛刀を、その国葬までの間、この近衛祭祀隊舎で預かることとなりました。今、隊舎内が慌ただしいのはその御刀を祀るための祭壇を新たに用意しているからです。御刀の到着は今夜未明、とのことなので、交代で不寝番を立てます。帰って来た皆さんはこれからすぐに食堂で夕食を済ませてから自室で待機、しっかりと休んで夜間勤務に備えておいて下さい。以上です」
この近衛祭祀隊舎も、「隊舎」というからには隊員を全て収容できる施設になっている。一階には食堂、学習室、道場と2人部屋が10室、二階には二人部屋が20室備えられており、地下一階には回収した御刀を、地下二階にはノロを祀る祭壇が用意されていた。比較的大きな建物ではあったが、全国から集めた御刀やノロをこの一箇所にまとめてしまうには、いささか無理のある広さでもあった。もっとも、日本各地へ遠征に出ている刀使もおり、常に全隊員が揃っているというわけでもなかったため、一階と二階の居住空間はそう窮屈というわけでもなかった。
「大丈夫ですか、直さん」
「はい…何とか…」
直は部屋に戻るなり、ベッドに伏してしまった。
「あの、長岡って新潟ですよね、お父様の出身地なんですか?」
「はい、といっても向こうにはもう家はないので、私もお墓参りに何回か行ったことがあるくらいなんですけどね。でも同郷の誇りだって、お父様から山本長官のことはよく聞かされていたので…」
「そうですか…確かお父様は陸軍の方、でしたよね?」
「ええ、あんまり海軍さんのことはよくいいませんけど、山本長官は別…ですね。父はもう予備役ですけどね。あ、でも兄も陸軍に入って、今は市ヶ谷にいます」
「すごい…軍人一家なんですね」
「え?別にすごいってことはないと思いますけど。『戊辰の役で敗れた我々に残された職業は少なかった』ってお父様はよくいっていましたから」
幕末の戊辰戦争で長岡藩は会津藩と共に旧幕府側の中心となって明治新政府軍と戦い、壮絶な敗北を味わった。以来、中央官庁から遠ざけられたというのは世代を越えて、周知の事実になっている。
「でも今はそんなことないじゃないですか。山本長官だって長官ですし、確か前の米内総理大臣だって旧幕府側出身の総理大臣っていってませんでしたっけ」
「ええ、そう…らしいですね…。あの、すいません…もう休みます…」
「あ、はい。おやすみなさい」
泉美がまだ話をしたそうだったので悪いかな、とは思ったものの、直はもう何も話す気にはなれなかった。実際に会ったことはなかったが、父からよく聞かされていた人が死んだというのは、身近な人の死を体験したことのない直にとっては大きな衝撃であった。そんなことを考えていたら、どっと溢れ出た疲れに捕えられていた。
「何か、嫌だな…」
そう口の中で呟きながら、直は眠りについた。
海軍からの使者が隊舎を訪れたのは、日付が変わってからだった。一人は若く、軍服を着ているのですぐにそれとわかったが、もう一人はスーツを着込み、ボーラーハットを目深に被った大柄な男で見た目には軍人とは思えなかったが、若い将校の慇懃な様子を見るとかなり身分のある人物らしい。ちょうど交代の時刻と重なり、二人の来訪者は多くの刀使たちが見守る中、地下1階へと進んでいった。遺品が入っていると思しき包みは若い将校が持ち、洋装の男はその後をゆっくりとついていく。新たに築かれた祭壇の前では、霧島由良と早乙女凪子が待っていた。左右には刀使たちが列を作っており、その中には直と泉美の姿もある。若い将校が後ろを振り返ると、洋装の男は大きく頷いた。
「では、こちらをお願いします」
「わかりました。凪子さん、お願いします」
凪子が頷き、祭壇の前で包みが開けられるとそこには、
「あの、二振り…ですか?」
二振りの刀が現れた。霧島の問いに若い将校が、
「はい、こちらが長官が最後まで身に付けておられた新発田の刀工、天田貞吉の作、それとこちらは海軍元帥刀です」
「元帥刀…」
華麗な装飾の施されたその拵えを見ながら霧島がそういうと、
「こちらは海軍の元帥が各式典の際に用いるものでしてな。この度の国葬の際にも使われることとなるでしょう。申し訳ないが、こちらも併せてお預かりいただきたい」
後ろにいる洋装の男が進み出てきてそういった。直はその姿を見てあれ、と思う。この人は、確か…。
霧島は凪子と目を合わせた。早乙女凪子は護国刀使の実戦指揮を担当する刀使で、霧島の二つ年下の昭和元年生まれになる。凪子は少し表情を曇らせながら、
「きちんとお祓いをすれば問題無いかと思いますが…」
そういった。
「何か、問題でも?」
若い方の将校の言葉を霧島が受ける。
「そう、ですね…見た所、こちらの、山本長官が最後までお持ちになっていたという御刀からはかなり強い力を感じます。もしかしたら長官の、この世に対する未練のようなものが移っているのかもしれません。まあそれだけであれば、お祓いをすることもそう難しいことではないのですが…こちらの元帥刀がその未練のようなものを増幅しているように感じられます。さすがは元帥刀、別の御刀の力を鼓舞している、とでもいいましょうか…」
「ほう…そういうものですか」
洋装の男は感心した様子であったが、
「よくわかりませんが、それが何か問題なのですか?」
若い将校の方はやや苛立った様子でそういった。刀使の存在に懐疑的な人というのは少なくない。荒魂でも現れない限り、刀使の力を間近で目にすることは無いため、こうした神懸かり的な話を胡散臭く感じてしまうのは無理もないことだ。気付かれないくらいに短く溜息をついて、霧島が答える。
「私たちが御刀から力を借りる際に不安定だな、と感じる御刀があるのですが、そういう御刀は大抵、刀工が何かを念じて打っていたか、それともそれまでの所有者の想いが残っているかのどちらかなんです。そして、荒魂はそういう御刀により強く反応します」
「反応する、というのは…つまり…」
「ええ、荒魂が出現する、ということです。御覧になったことは?」
若い将校に、今度は凪子が応じた。
「いえ、ありませんね」
「でしょうね…いずれにしても荒魂のような物の怪は、人知の及ばぬ力が生み出すものです。理屈でわかるものではありません。しかし我々は常に、そういった理屈では計れない力と共にあるのです」
「それは…存じておりますが…」
洋装の男が、若い将校の肩に手を置く。
「そういうことだ。この娘さん方はただの娘さん方ではないのだ。でなければ、わざわざ元帥刀や山本の遺品を預けることはないだろう?この軍刀に山本の怨念が残っているというならなおさら、ここに預けておくのが最良だと、そういうことだ」
山本長官を呼び捨てにしたこと、そして篝火に照らされたその目を見て、直を始めその場の刀使たちはこの洋装の男が誰なのか、はっきりとわかった。若い将校はまだ何かいいたげではあったが、それを飲み込んで、
「わかりました。よろしくお願いします」
そういって頭を下げた。
「すまんな、皆さん。何しろ軍神山本五十六の遺品だ、我々としても自分たちの手で保管したいというのが人情なんだよ。…まあ山本自身は軍神などといわれるのは、はなはだ迷惑であったようだがね」
「お察しいたします…米内元総理」
凪子がそう答えると、米内と呼ばれた男は口元にニヤっと笑みを浮かべた。
「今夜私が来たことはくれぐれも内密にな。それも併せてお願いするよ、お嬢さん方」
そういって帽子をとって頭を下げた男の顔は、間違いなく米内光政その人であった。
「きょ、恐縮です。我々としましても粉骨砕身、お役目を果たす所存です…!」
カチカチになった霧島がそういう姿を、米内は穏やかな笑みで眺めていた。
「うん、私にも娘がいてね……」
米内は再び帽子を被りながら左右の刀使たちを見遣り、うんうんと頷く。
「いや、色々と思うことはあるが、よろしく頼む」
列を成していた刀使たちがその言葉を受けて礼をしたその時、ノロ磁針を持って来ていた数人の刀使が、一斉にそれを取り出していた。
「凪子さん…!」
「ええ、今出て来た交代要員は私に続け、残りはここで待機、米内元総理をお守りしろ!」
凪子の言葉に「はい」の合唱が続き、
「では、ここはお願いします」
「ええ、暗いから明眼が発揮されるまでは十分に気を付けて」
凪子が頷いて駆け出すと、それに直や泉美たち、その場にいた半数の刀使が続いた。
「これは…まさか…?」
若い将校がそういうと、
「ええ、早速ご登場のようです。しばらくここにいて下さい。ここは日本で一番刀使が揃っている、ある意味一番安全な場所ですから…」
そういってから、霧島は若い将校の方を見て、少しいたずらっぽく笑った。
「ああ、でもどうしても、とおっしゃるのでしたらご案内いたしますよ。折角の機会ですしね」
宮城前広場、ノロ磁針…こと荒魂類探知計の指した先は、彼女らの隊舎から目と鼻の先だった。直、泉美、凪子を合わせた7人の刀使が、既に抜刀して写シを張っていた。
「さーて、荒魂さん方はどちらにいらっしゃるんでしょうかね…凪子先輩」
直の隣で、明眼の使い手である凪子がゆっくりと目を開けた。
「前に3体、向かって右から大・中・小、といったところか」
猫のように光るその目を、直は素直にかっこいいと思う。彼女の明眼には、闇夜に蠢く荒魂の姿がはっきりと捕えられているのだ。
「泉美、そちらはどうだ、聴こえるか?」
「はい。確かに3体…まだこちらには気付いていないようですね」
明眼と並ぶ刀使の特技の一つに「透覚」がある。こちらは聴覚が著しく効くようになるもので、泉美の透覚は護国刀使の中でも抜きん出ている。宮城前広場には一面、玉砂利が敷かれており、これは美観もさることながら、侵入者対策にも一役買っている。刀使の透覚をもってすれば、わずかな石コロの音から侵入者の動きは手に取るようにわかるのだ。泉美の言葉に、凪子が頷いた。
「ならば、先手を取る。直、春江、ついてこい!」
いうが早いか、凪子は左の、一番小型の荒魂に向かって迅移で駆け出した。
「あ、待って下さいよ!春江さん、行こう!」
「はい!」
凪子の迅移はあっという間に二段階に達するが、直と、共に呼ばれた北見春江であれば追いつける。単純に独断先行をしているわけではない辺りはさすがだ。荒魂がこちらに気付いたが、身構える間も与えずに凪子が一の太刀を入れた。続けて直、春江が二の太刀、三の太刀を浴びせると、断末魔の叫びを上げながら小型荒魂は倒れた。
「さすが凪子先輩、やりますね!」
と、直がいったところへ、真ん中にいた中型荒魂の爪が飛んで来た。三人ともバラバラの方向に跳んでそれをかわす。
「直、ムダ口を叩いている暇があったら泉美を見習え!」
「え?」
そういわれて振り返ると、泉美たち残りの4人が、右側にいた一番大型の荒魂を引き付けていた。一部隊の遊撃に合わせてもう一部隊による陽動、教本通りの見事な各個撃破の形が整った。
「おお、さすが泉美さん!」
「コラ、よそ見もするな!春江、お前はそのまま後ろに回り込め!三方から一気に行くぞ!」
「はい!」
「はあああっ!」
春江が答えるや否や凪子の御刀が気合と共に一閃し、それから間髪入れずに直、春江の太刀が入った。連携の斬り込みに成すすべもなく、中型荒魂が崩れ落ちる。
「止まるな!そのまま残りのヤツの背後に斬り込む!」
「了解!」
「はいっ!」
切り返しは直が一番速かった。力強く地面を蹴って、今度は負けない、とばかりに泉美たちが対していた大型荒魂の背に一太刀浴びせ、その左右を凪子と春江が斬り付けた。たまらず、大型荒魂が後ろを振り返った、そこへ、
「よそ見はいけないって、聴こえてなかったの!」
正面の泉美が跳んでいた。自分の背丈より遥かに高い荒魂の頭の位置で、刀使の力を得てその名の通りうっすらと光を放つ蛍丸の長い刀身が、一文字に閃く。光の帯を残し、荒魂の胴体だけがドウ、と倒れた。泉美が長い黒髪をふわりとなびかせながら着地するのと、舞っていた荒魂の頭がドサリ、と落ちるのがほとんど同じだった。
「お見事!泉美さん!」
ちょうど、自分たちの目の前に下りて来た泉美に、直がそう声をかけると、
「いえ、この程度、どうということはありませんよ」
泉美はそういって、蛍丸を鞘に納めた。
「そうですね、こういう迷いがない時の泉美さんは本当に強いですよね」
「え、何ですか、私、普段は迷っているんですか?」
「こらそこ、無駄口をたたく暇があったらさっさとノロの回収に移る!」
背中から凪子の雷を受け、直はピクリと身体を硬直させてから「わかりましたからあんまり怒鳴らないで下さいよー」などといって泉美と共にノロの回収に入った。
「瞬く間に3体か…見事なものだな」
「すごい…何て力だ…」
少し離れた場所に、霧島は二人の来訪者を連れてきていた。もちろん、数名の刀使が護衛について来ている。
「あれが荒魂、そして刀使の戦いです。ご参考に…」
「閣下、何故軍はこの力を放っておくのです?これこそはまさに我が国に与えられた神の力ではありませんか!」
霧島の言葉を遮って、若い将校が興奮気味にそういった。周囲の刀使たちは、冷ややかな視線を向けたが、宵闇のせいもあって、それが彼に届くことはなかった。
「年端もいかぬこんな娘たちを、戦場に送れというのか?」
その米内の言葉に、刀使たちは今度は少し意外な目を向ける。これまでにも刀使の軍事利用に関する話が無かったわけではない。無論、彼女らとしてもお国のために戦う覚悟はある。が、それは刀使の本懐ではない。
「お気持ちは理解できますが、これほどの力があれば前線の将兵たちがどれだけ救われることか…!」
「そういうことをいう者が多いのは事実だ。気持ちは…わからんでもないがな。彼女らの力はそういうものではない。彼女らの御刀は荒魂に向けるものであって、決して人に向けるものではない。人の道を外すようなことを…彼女らにさせてはならん」
霧島を始め、場にいた少女たちは皆、米内の言葉に軽く感動を覚えた。偉い人の中にも、こういう人がいるのだ。
「今のは、決して簡単な戦いではありませんでした」
霧島は静かに切り出した。
「確かにあっという間の出来事でしたから、圧勝に見えたかもしれません。しかしここは私たちにとって地の利があり、上手く不意を討つことができたからそう見えただけです。これがもし、全く知らない場所で荒魂らの方に先に気付かれていたとしたら、斃れていたのは私たちの方でもおかしくはなかったのです」
そこで、若い将校が口を挟もうのするのを、米内が無言で制し、霧島が続ける。
「現に、刀使の殉職者は毎年出ています。荒魂はまだまだ未知の存在で、どのくらいの数がいて、どこからやって来るのか、何も把握出来ていません。しかも、この戦争が始まってから出現回数が増えています。現状、残念ながら私たちだけでなく一般の市民の方々にも犠牲が出ており、とても十分に対応出来ているとはいえないのです。もちろん、お国のためとあればいつでも戦地へ赴く覚悟は出来ております。しかし、荒魂を祓うことが出来るのは私たちしかおりません。そこの所を、どうかご理解いただければと思います」
霧島の淀みない言葉に、一番驚いたのは一緒に来ていた刀使たちであった。当の霧島は言い終えてからはっと気付いたようにオロオロし始め、それを見て刀使たちは胸を撫で下ろす。
「ふふ、なるほど確かにその通りだ。実に筋の通った意見ではないか。なあ?」
「…はっ」
「うん…それでは刀使のお嬢さん方、我々はこれで失礼するよ。ちょうどそこに車を停めてあるのでね」
「はい、あ、あの、出過ぎたことを申し上げてしまい誠に申し訳ないことで、その…」
「ははは、気にすることはない。皆さんがしっかりと自分なりにこの国のことを考えているのを知り、頼もしく思ったよ。山本の刀、しばしの間頼むよ」
「は、はい!お役目お疲れ様でした!」
刀使たちの礼に手を振り返し、米内と若い将校は去って行く。
霧島が頭を上げて大きく溜息をついたところで、ノロを回収した直たちがこちらに駆けて来た。