山本五十六の戦死が発表されたのは昭和18年5月21日のことで、翌日の新聞各紙はこぞってこの事件を大々的に取り上げている。「生せ・この壮烈な精神」「海軍微動もせず」などといったこの折特有の勇ましい言葉が紙面には並んでいるが、この人的損失は大きな痛手であった。もちろん、一個人が生きていただけで戦況が大きく変わるということは無かったにしても、3年と9か月に渡った太平洋戦争における緒戦、真珠湾攻撃という出来事は、日米双方において衝撃的事件であったことは疑いようが無く、その作戦を立案した山本長官の影響力というものは戦争を経験していない現代人からするとちょっと想像が出来ないほどのものであったようだ。そんな影響力を持ちつつ、米英をよく知っていた山本が生き残り、この後の作戦指揮にも関わっていたなら、戦争の経緯はもう少しはマシなものになっていたかもしれない。
山本の国葬はそれから15日後の昭和18年6月5日に執り行われた。斎場は日比谷公園内にあり、列席者の中には皇族、軍人に混じって刀使たちの姿もあった。皇居から比較的近いこともあり、この日ばかりは遠征組も呼び戻され、護国刀使たち全員が揃っての警備となった。午前中の葬儀の際に、これまで保管してきた軍刀が引き渡された。午後からは一般の人々が斎場を訪れて弔意を表したのだが、その数は2万人に及び、とても警備が追いつくものではなかった。
ただ、幸いにも弔問客の間に大きなトラブルは無く、荒魂の出現も無かったため、怪我人も無く、無事に任務を終える事が出来た。陽が落ちる頃には警備が終って全員が隊舎に戻っていた。
「あー、疲れましたね」
そういって食堂のいすにどかっと腰を降ろす直の表情はすっかり弛緩している。
「ええ、でもお役目がきちんと果たせて本当に良かったです」
泉美もまた、心底ほっとした表情でそういった。
「あらあら、長官の葬儀が終ったばかりだというのにそんな晴れ晴れとしたお顔をしていていいのかしら?」
「ま、そういわないで姉様。実際、皆ほっとしているというのが正直なところでしょう」
姉妹がそういいながら直と泉美の向かいに座った。食堂には続々と刀使たちが集まってきていた。遠征組から改めて土産話を聴いたり、最近戦った荒魂の話をしたり、どこそこの神社がきれいで良かった…などなど、話題は尽きない。ここに来るまであまり同世代との関わりがなかった泉美にとって、こういう女子特有の、何でも話題に上げて、そしてさしたる結論も得ない…いうところの「他愛のないおしゃべり」は最初こそやや抵抗があったものの、いつの間にか楽しみの一つとなっていた。
そんなことを思っていたら、霧島由良、早乙女凪子、武田千鶴の年長組3人が揃って入って来た。霧島と武田の二人はそのまま前に進み、早乙女は入り口で立ち止まる。今日のお役目に関して話がある、ということだったので労いの言葉でもあるのかと思っていたが、
「あれ、何だかお姉さま方、緊張の面持ちですね」
直のいう通り、3人揃って妙に表情が硬い。確かに、そんなに浮かれて良い状況ではない。集まった少女たちの表情は、進む霧島と武田を視線で追いながら、自然と引き締まっていく。ちょうど全員が居住まいを正して正面を向いたところで、霧島と武田がこちらに向き直った。二人は無言で頷き合い、霧島が向こう正面の早乙女を見てから、口を開いた。
「皆さん、本日は…いえ、これまでの一月余り、大変お疲れ様でした。海軍の方々からもお礼の言葉をいただいております。…ええっと、本来であればこの場でそれについてお話をしないといけないんですが…」
出だしは霧島らしからぬしっかりとした口調だったのだが、後半は実にそれらしいものいいになり、さらに少し目が泳いだところで、隣の武田千鶴に無言でその様子を咎められる。華族の出で、護国刀使で一番の長身である武田は迫力十分だ。泉美はその目力に感心しつつ、さらにその胸部もまたすごい迫力だと改めて感心した。
「…その前に、ですね。本日はご当主様に来ていただいております」
その言葉を聞いて、緊張の理由はそれだったのか、と思う。おおっという声がそこかしこで起こった。
「どうぞ、お入り下さい」
早乙女がそういいながら扉を引くと、そこにはご当主様こと、折神碧様の姿があった。全ての刀使の頂点に立つ、美貌の現折神家当主…既に現役からは一線を退いていて、今は主に政治向きの仕事をしているのだが、圧倒的なカリスマ性は少しも色褪せることはない…どころか、その色気に関しては最近ますます増してきている。
折神碧は頷くようにしてその場の刀使たちを見渡す。少女たちはただただ、その姿に見入るのみだった。軽やかに進む碧の後ろを、凪子が続く。由良と千鶴が中央を空け、そこへ碧が入った。
「皆さん、御役目お疲れ様。海軍から多大な感謝と、お礼をいただきました。この私も皆さんの働きを見て、とても晴れがましく思いました。ありがとう」
少し低目でクセのある声音だが、それがむしろ唯一無二の品格とでもいうべき雰囲気を醸し出している。全く、この人も自分と同じ人間だということが泉美には少し信じられなかった。
「もったいない御言葉です。ご当主様」
凪子がそういって首を垂れると、碧は、
「よしてください凪子さん。皆さんと一緒の時は碧さんで構いませんといっているでしょう?」
実に親し気な様子でそういった。
「ああ、何と…もったいない御言葉です」
「ちょっと凪子、あなたそれしか言えないの?碧様も困惑してらっしゃるじゃない」
「な、千鶴先輩、少し気安いのではないですか!」
「まあまあ二人共落ち着いて、まだ碧様の御言葉の途中ですよ」
由良のとりなしで二人は取りあえず引き下がる。
「ささ、碧様、どうぞ」
「ええ、ありがとう。そう、それからですね、実は皆さんに報告しておかなければならないことがあるんです。私事で恐縮なのですが、私この度、その…」
そこで、碧は俯いてしまった。どうしたのだろうか、と泉美は思ったが、吉乃をはじめ数人の刀使は、口元を押さえて何やら色めき立っている。碧はもう一度その場の全員を見渡し、大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「この度、しゅ、祝言を上げることになりました!」
その瞬間、正しく黄色い声が、この食堂…どころか隊舎全体を揺るがした。
続いて「おめでとうございます!」の連呼が起きる。
「あ、ありがとう、皆、ありがとう」
そういってはにかみながら対応する碧の様子は実に乙女そのものであり、そこで拍手が巻き起こった。お祝いムード一色となった場であったが、
「聞いておりません!」
そんな空気を切り裂くようなその言葉に、一同が沈黙した。声の主は…早乙女凪子である。場の全員が何となく納得したような様子で凪子の方を見ていた。
「何が聞いておりません、よ。碧様のご結婚にあなたの許可が必要?」
千鶴が溜息をつきながらそういうと、
「いや、そういうことをいっているのでは…ただ、その…碧様、相手は一体誰なのです!」
凪子は半ばヤケになったような口調でそういった。が、それは一同にとってもとても興味深い質問であったので、凪子に向けられていた視線はそのまま、隣の碧に移った。
「え、ああ、それは、ですね。子供の頃、京都に住んでいた時によく遊んでいた…今は刀鍛冶をしている方でして…」
幼馴染ということか。ひゅー、という声が起きた。
「それはその、結構なことですが…碧様は、その、その相手にはご満足されているのですか!?」
凪子の質問を受けた碧は頬を染めつつ…ややあってから無言で頷いた。またしても、少女たちの歓声が起きるが、凪子はそれでも食い下がる。
「政略婚だということは、無いのですね?」
「はい、そういうことは全くありません。互いに気持ちの確認はしております」
凪子にはもう、続く言葉が無かった。その、うなだれる友人の肩に、由良が苦笑しながら手を置いた。千鶴がポンと一つ、手を叩く。
「はい皆、そんなわけで碧様のお祝いと私たちへのお礼ということで、海軍からお米や小麦粉をたっぷりといただきました。明日はお料理をたくさん作ってお祝いをしますよ!」
続いたその言葉に育ちざかりの刀使たちは最早、狂喜していた。
「やったね、泉美さん!」
「はい、みつ豆の無念もこれでようやく晴れるというものです!」
「あははは、無念って、もう、おおげさだなー」
「あ、いえ、それはものの喩えということでして…」
そんな二人のやり取りは、向いの四条姉妹に捕捉される。
「何?みつ豆って何よ、あなたたちやっぱりどこかで寄り道しているね?」
「そうねえ、まさかお役目中にそのようなことをしているのであれば、これは問い詰めなければなりませんね」
「いえ、それは、あの…そうだ、千鶴姉様のお手伝いを申し出ませんか?明日はお忙しくなるでしょうし!」
「そうですね、はい、早速伺ってみましょう」
「あ、こら逃げるな!」
直と泉美は慌てて、姉妹の追撃をかわした。
翌日、早朝から直と泉美を始めとして7人の刀使たちが、武田千鶴の元、厨房に立っていた。この寮の厨房では通常、朝・夕の食事が用意され、日中は外で任務をこなす者が多い関係上、昼食は希望者に弁当を作っている。半数近くが常に遠征しているとはいえ、それでも20人を超える刀使たちの食事を日々毎食用意するのはなかなかの重労働なのだが、この護国刀使という組織に専属の調理師はいない。厨房を一手に仕切っているのは年長3人組の一人、武田千鶴であった。
皇国の守備の一角を担う少女たちの胃袋は、この華族の令嬢たる武田千鶴が完全に掌握していた。護国刀使の表向きの隊長は霧島由良で、実戦の指揮は早乙女凪子が執ることが多いが、千鶴の発言力はこの二人をも凌ぐ。正に影の支配者、とでもいうべき存在だ。千鶴自身、もちろん刀使ではあるのだが、幼少の頃より食への興味関心が剣術以上に強く、実家では最新設備の厨房に籠り、専用にあつらえた調理器具を用いてコック顔負けのフルコースを作ることもよくあった。護国刀使に選抜されてからは実際に厨房に立たない日でも献立は一手に引き受けている。味はもちろん栄養面に関しても造詣が深い彼女が作るその献立は、物資が少ないなりによく工夫されており、戦う少女たちの健康面をよく支えていた。
そんな少し変わったご令嬢の指揮で、9時前にはご馳走の下ごしらえは終わっていた。
「うん、こんなものでしょう。皆さん、ありがとう。後は火を通すだけですから今できるのはここまでです。折角のお休みですから夕方まではゆっくり過ごして下さい」
千鶴の言葉に全員「はい」と答え、料理の数々を大型冷蔵庫へとしまっていく。
「いいですよねえ、この冷蔵庫って。こんなのがうちにもあったらなあ」
直がポツリというと、
「無理ですよ。物凄く大きな電源装置がいるからとても普通の家には入りませんよ」
「ですよねー。でもこんなのがあったら夏は最高でしょうねえー」
「それは、確かに…」
泉美はそういって笑った。その大型冷蔵庫に全ての料理をしまい終えると、泉美の発案で下ごしらえで余った小麦粉で生地を練り、そこに余り物の具材を入れて「お焼き」を作り、全員で遅い朝食を摂った。
「ふう、直さんはこの後どうするんです?」
「ちょっと実家に顔を出して来ようかと思っています」
「神田の、ですか?」
「はい。今日帰るとはいってないんですけど、日曜だから家族も揃っていると思いますし、父様に今度のお役目では山本長官の御刀を預かったことをお話ししたいんですよね」
「へえ…ご家族と仲がいいんですね」
「へ?それはまあ、家族ですから」
直のその、本当に自然な様子に泉美は呆気に取られてしまった。
「そう、ですよね。家族は仲がいいのが当たり前…」
「どうしたんですか?」
「いえ、直さんらしいな、と思いまして」
「そう、ですか?あ、良かったら泉美さんも来ます?お昼くらいなら出してくれると思いますよ」
「え?いえいえ、いいですよ。折角の家族団らんの邪魔はしたくないですからね」
「まあまあそういわずに来て下さいよ。今日はあんまりいられないから来てくれると助かるんですよ」
「はい?」
「ああ、いえいえこちらの話です。それで、どうです?これから何か予定はあるんですか?」
「随分押しますね…いえ、特に予定はありませんから…まあ、いいですけど」
「良かった!そうと決まればすぐ準備ですね!外出届け出しておきますんで先に部屋に戻っていて下さい!」
泉美が返事をする間もなく、直は食堂を出ていってしまった。泉美は何となく解せないながらも、苦笑しながら席を立ち、手ぶらというわけにもいかないかな?などと思いながらもう一度厨房に向かった。
この当時、東京市内の代表的な交通機関は路面電車、通称「市電」であった。既に鉄道は現在の路線と変わらないくらいの線路網を持っていたが、運賃が安く、停留所を多く擁している市電を利用することの方が多かった。最も、関東大震災ではほぼ全ての路線が断線してしまった路面電車は問題視され、その後交通の主役は徐々に自動車に移っていくのだが、不景気を理由に戦争に突入したような国の国民が自動車を持つことなど難しいのも事実であるため、まだまだ、市電の地位は揺らいでいない。
直と泉美の二人は、大手町からその市電に乗って直の実家である神田までやってきていた。
二人が停留所に下りると、不意に鐘の音が聴こえてきた。大小複数の鐘が入り混じっているのだろう、独特の重厚感を伴った和音のような一定の音色が、繰り返し響き続けている。
「これって…」
「ああ、ニコライ堂の鐘ですよ。日曜日の礼拝の時に鳴るんです。ちょうど聴けるなんて運がよかったですね。とういうことは10時、か」
直の指す方を見ると、大きなドーム状の西洋建築が見える。任務の途中で目にしたことはあったが、こうしてじっくりと眺めるのは初めてだった。
「でも、大丈夫なんですか?このご時世に…」
「耶蘇は敵国の教え…ですか?うーん、そうですよねえ。クリスマスもやらなくなっちゃいましたし…でもあの建物は特別なんですよね。震災の時に大きな被害を受けたんですけど、この辺りの人たちが協力して建て直したっていう話ですしね」
「そうなんですか…何だか不思議ですね、そういうの」
泉美は鳴り止まない鐘の重奏に聴き入りながら、そんなこともあったのに何で今は戦争をやっているのだろう、と不思議な気がした。そんなことを考えながらぼうっとしていたのだろう。「こっちですよ」という直の言葉がかかるまで泉美はその場に立ち尽くしていた。
「泉美さん、たまにそんな感じになりますよね」
横に追いつくと、直がそんなことをいった。
「え?そうですかね?」
「まあ、自分で気付くようなことじゃないですよね」
そういえば直に「迷いがある」といわれたことを思い出し、それと何か関係があるのかとまたぼんやり考えていると、直が止まった。見れば一軒家の前だった。
「あ、ここですか?」
来栖、という表札を見ながら泉美が言うと、直は頷いた。
「はい。そうですよ。直でーす。只今帰りましたー」
直はそういいながら、引き戸をバシャバシャと叩いた。するとすぐに家の中から軽い足音が響き、ガラリと戸が開く。
「あら本当に直ちゃん!どうしたの、こんなに急に!」
そういいながら出て来たのは、先日会ったの河井タツの体型によく似た細身の女性だった。察するまでも無く、
「へへ只今、母様」
ということだ。
「もう、帰って来るなら知らせなさいよ。この子は…」
そういいながら、母は娘の髪を愛おしむように撫でた。
「おい、佳代、後ろにお客様もいらっしゃるようじゃないか。早く上がってもらいなさい」
「あ、父様、只今!」
いつの間にか現れた口ひげを蓄えた恰幅のいい初老の男性は、直にそういわれて破顔していた。直の父、藤十郎だ。佳代と呼ばれた直の母は、泉美に向かって軽く会釈しながら、
「ああ、ごめんなさい。ささ、そちら様も上がって下さいまし。大したお構いもできませんが、どうぞ」
そういって、泉美を招き入れた。
「あ、はい。失礼します」
泉美はそういって玄関に入り、戸を閉めた。
「こちらは沢泉美さん。話したことあるでしょ?同室の同期です」
「まあ、あなたがあの鏡心明智流の!直の母の佳代です。いつも娘がお世話になっております」
どうやら直の近親者にはすっかり自分の略歴が知れ渡っているらしい。
「いえ、こちらこそ。あの、すいません。これは今朝隊舎で作ったものです。手作りでお恥ずかしいのですが、こんなものしかご用意出来なくて…」
「え、泉美さん、その包みってそういうことだったの!?」
「まあ!まあまあ、何てしっかりしてらっしゃるんでしょう!直ちゃん、あなたも見習わないと!」
「ね、泉美さんは大人でしょう!」
「お前たち…玄関先で騒ぐのもいい加減にしないか。ほら、早くお通ししなさい」
藤十郎に再度そういわれると、母娘はさもおかしそうに笑いながら、泉美に上がるよう促した。
「では、お邪魔します」
仲がいい、というよりは直が可愛がられているのだな、ということがよくわかる。こういう空気は悪くないな、と思いながら泉美は靴を脱いだ。
通されたのは床の間だった。震災後に建てたのだろう。比較的新しい家に見える。畳の上に置かれている座卓をはじめ、家具がどれも丈夫そうで飾り気が無いのはその震災の教訓か、それとも軍人の家系といっていたから、そういう質実剛健を貴ぶ趣味なのだろうか。いずれにしても自分の実家とは違う部分が多いな、などと泉美が思っている間に、父娘の会話は既に弾んでいる。
「ほう、では護国刀使で山本長官の軍刀と元帥刀をお預かりしたのか」
「はい、それで、その二振りの御刀を持ってこられたのが…誰だと思います?」
「さて…私でも知っている人かな?」
「もちろん!父様もよく知っている方ですよ!」
直の父がうーんと唸りながら考えているところへ、襖が開いて佳代が入って来た。
「はい、粗茶ですがどうぞ」
「ありがとうございます…あ、おいしいですね」
香ばしいほうじ茶だった。
「ふふ、ありがとう。煎れる前に少し、焙じているんですよ」
そういって、佳代も場につく。
「なるほど、おいしいわけですね」
「うーん、わからないな、直。誰が来たんだ?」
「へへー、それはですね、はい、では答えは泉美さんから!」
「え、私ですか?」
別々の会話をしていたと思ったら突然話を振られて泉美は少し戸惑ったものの、内容は聞こえていたので、
「米内元総理、です」
と、そのままを答えた。直の両親が揃って驚きの表情を見せる。
「そうか、米内さんが…山本長官とは懇意だったからな…ということは二人共米内さんに会ったのかな?」
直と泉美は顔を合わせ、泉美が頷いた。
「はい、私も直さんも、お会いしました。何というかあまり軍人らしくない、素敵な方でした」
「背が高くて、洋装がよく似合っていましたよね」
藤十郎は頷きながら、
「うん、海軍にしては話のわかる方だ。うちや山本長官の長岡藩と同じく、戊辰の役で苦渋をなめた盛岡藩の出だからな」
そういった。
「海軍にしては…ですか」
泉美が何となくそういうと、直がニヤリと笑う。
「泉美さんも陸軍と海軍の仲が悪いのは知ってますよね?父様もよく『海軍のええかっこっしい共は信用ならん!』なんていってるんですよ」
「ああ、直さんのお父様とお兄様は陸軍の方なんですよね」
それを聞いた藤十郎が一つ、咳払いをする。
「誤解の無いようにいっておくが、国家の大事にそういった感情を交えはしないぞ」
「あら、でも米内さんを総理の座から引き摺り下ろしたのは陸軍の方々の共謀ではありませんでしたか?」
佳代の言葉に藤十郎は苦しそうな表情を浮かべながらお茶をすすった。その辺りの政治向きの話は泉美にはわからなかったが、確かにそういう足の引っ張り合いがずっと続いているというのはよく聞く話だった。
「ともかく…だ。この戦争は既に引き際を逸してしまったと私は思っている。このまま長引いて行けば資源の乏しい我が国はジリ貧一方だろう。米内さんはその辺りのことがよくわかっている人だから…確かに陸軍のやり方はよくなかったな、うん」
泉美はその藤十郎の言葉に驚いた。予備役とはいえ、軍人の口からこんな言葉が出てくるとは思いもしなかった。
「僭越ですが、そのような発言はお控えになったほうがよろしいかと思います」
言外に少し不愉快さをにじませて、泉美はそういった。
「うん?そうか、そうだな…君は沢さん、といったね?」
「はい」
「今の私の言葉が、体制批判であると、そう思ったかね?」
「そう、聞こえました」
「そうか…うん、とりあえず、戦争に勝つ、負けるという話は置いておいて、だな。体制批判という理由で、そんな風に誰かの意見を封じ込めてしまうような、自由に言いたいことも言えないような状況にあるこの国は、沢さんはまともだと思うかね?」
「え?」
「疑問にすら思わないかもしれないが、今、この国はただ一つの目標を達成するために他の全てを犠牲にしている。それは決して悪い事ではないかもしれない。だが、少し離れた所から見てみると、その姿というのは一種異様に見えるのではないかな?」
「異様…?私はそのようには思いませんが。必勝を期してこの暮らしを堪えている人たちの姿を…異様などとは私は決して思いません。国民が一丸となって協力し合い、一つの目標に向かうのは悪いことでしょうか?」
つい、語気を荒げてしまった。場の空気も静まってしまう。だが、泉美は自分が間違ったことはいっていないという自信があった。ややあって、
「沢さん、誤解を招いていまったようだが、私が言いたかったのは物事を一つの視点からだけ見るのはいかがなものか、ということなんだ。まあ、いささか喩えが不謹慎であったかもしれんがね」
藤十郎がそう答えた。泉美には、この答えが今一つ納得できない。一つの視点云々はともかく、結局この人は今のこの国をどう見ているのだろうか。直といいこの父親といい、会話の意図がズレるようなことがよくある。もしかしたらこういうのを感性の違い、というのだろうか。
「おかしいでしょ、沢さん。この人、軍が嫌いなんですよ。元軍人なのに。現役の時もこんなことばかりいって内部の体制をしょっちゅう批判するものだから、煙たがられて早々に予備役に追いやられてしまったの」
そんな泉美の様子を察したのか、佳代の答えは的確だった。そういうことか、と思う。
「なるほど……あ、いえ、失礼しました」
「いいんですよ、泉美さん。私は父様のいうこともよくわかりますけど、それってこのご時世にあってはやっぱり不謹慎で不適切です。大体こんなことをお国を守るために日々奔走している私たち護国刀使に向かって言いますか?普通?」
「わかったわかった。私が悪かった。この話は終わりにしよう」
「もう、仕方の無い父様ですね。まあいいですけど」
泉美はそんな来栖家のやり取りを見て、思わず笑ってしまう。
「沢さん、すいまぜんね。うちはやっぱりちょっと変わっているかしらね?」
「ああ、いえ、直さんから聞いてはいたんですけど、本当に仲が良いんだなと、思いまして…うちはこんな風に家族で話をすることがあまりなかったもので…」
「ふーん…でもあるにはあったんですよね?どんなことをお話していたんですか?」
「え?ああ、そうですね。うちは皆さんもうご存知だと思いますが…道場だったので、剣術の話が多かったですね。ただこんな風に意見を言い合うようなことは無くて…父のいうことに私も母も黙って従っていました。稽古も毎日厳しかったですし…」
泉美は、そこで言葉を区切った。自分の家のことなど話したくもないのだが…。
「それは泉美さん強いから、お父様も期待してらしたんですよ」
「そう、だったんでしょうね。確かに私は父の期待によく応えていたと思います。私の腕が上がっていくにつれて、道場の入門者も増えてきましたしね…」
「それでさらに御刀に選ばれたんですからすごいことになったんじゃないですか?」
直の言葉に、泉美はピクリと眉を動かした。そう、自分が刀使に選ばれたことでさらに状況は変わった。
「…もちろん、道場は大きくなりました。生活も子供の頃から比べると大分よくなりました。でも、私はその頃にはもう、父と母が私を利用しているということに気付いていて…何とかこの家から出ていきたい、そればかり考えていました」
「え?利用…?」
「そう考えるしかないような出来事がいくつかあったんです。まあ、その後に護国刀使に選抜されたおかげでこうして大手を振って家を出ることができましたけどね」
少ししゃべり過ぎたかな、と思いながら泉美はお茶を口に運んだ。
「ねえ、沢さん」
少しの間の後で、佳代がそう声を掛けてきた。
「はい、何でしょう」
「私の母、直のおばあちゃんが刀使だったことはご存知?」
「河井タツさん、日本橋のおばあ様でしたら先日お会いしました」
「あら、そうだったの。だったら話は早いわね。母は、河井タツは娘の私がいうのもなんですけど、とても優秀な刀使だったの。でも…私が御刀に選ばれることはなかった」
何となく、そうではないかと思っていたが、やはりそうであったらしい。
「刀使の娘が必ずしも刀使になれるとは限らないのだけど、それでも周りは期待するものでね、私は子供の頃から、腫物に触るというか、そういう扱いを受けて育ったのよ」
何と受け答えしたものか泉美は困惑したが、直も、藤十郎も何食わぬ顔で話を聴いている。当の佳代も笑顔だ。
「それはその…なかなかつらいことではなかったのでしょうか?」
「そうね。段々大きくなって、結局御刀に選ばれなかった、ということがはっきりしてくると、私の存在自体が周囲の人たちを落胆させる原因になっていることに嫌でも気づくから…そうなるとさすがにつらかったわね。でも母はね、そんな私に何もいわなかった。一度、いったことがあるの。『刀使になれなくてすいません』ってね」
「おばあ様は…何と?」
「『親としてはあんな危険な仕事に子供を取られなくてホッとしている』なんていったんですよ」
佳代はそういいながら笑った。
「まあそうだよね。危ないし、いろいろ大変だし」
直の言葉に、泉美もクスリと笑う。
「それでね、母は気晴らしに実家のある長岡の花火大会に連れていってくれたんです」
「そこで父様と出会ったんですよね?」
佳代が頷き、藤十郎が一つ、咳払いをした。
「母と同郷の人たちが仕組んだことだったんですけど、この人、今はこんなですけど昔はスラっとした好青年でね。母がすっかり気に入ってしまって」
「へえ…あの、お母様はどうだったんですか?」
「私?いやねえ、泉美さん。嫌いだったら結婚なんてしないわよー」
藤十郎が口にしていたお茶にむせた。直は足をパタパタさせて笑っている。
「この人ったらね、事前に私のことを調べていたみたいなのよね。御刀に選ばれなかったことなど気にすることはありません、なんていっちゃって」
「おいおい、何の話がしたいんだ」
「ええ、ですからね、親というのは意外に子供のことに気付いているものなの。あ、ごめんなさい、泉美さんでいいかしら?」
「あ、はい」
「ありがとう。泉美さんはご両親が自分を利用して経済的に豊かになろうとした、とそう思っているのよね?」
「ええ、まあ…」
「それは確かにそうかもしれない。でも、それはあなたのためでもなかったのかしら?少なくともあなたの才能を伸ばそうとされたのは確かなことだと思うけど」
「それは…そうかもしれません。でも、私は…」
「そっかあ、実家のことが嫌いなのに、その実家のおかげで刀使になって家を出て行くことが出来たっていうのは…それが泉美さんの迷いの正体ですか」
「え?」
と言い返してから、泉美は直の言葉を反芻する。そう、言われてはっきりわかった。自分に迷いがあるのだとすれば、それに他ならない。
「直、我が家の恥をさらす分には構わんが、憶測で人のことをあれこれいってはいかんぞ」
「あ、はい。すいません泉美さん、ずけずけと」
「いえ、いいんです…そういうことなのだと、思いますから。私は、自分の中にそういう矛盾を持っているんだと思います」
会話がかみ合わないと思っていたら突然正面から斬り込んでくる。それは直の太刀筋と同じだ。つまり、自分も同じ…知らず知らず、そんな矛盾から生まれる迷いが、自分の言葉や太刀筋に出ていたのだろう。もちろんそれは、今まで何度となく立ち合ってきた直だからわかったことなのかもしれない。剣を通じて語り合う、とはよくいったものだ。
「泉美さん、これはおせっかいを承知でいわせてもらいますが…利用されていたと思っていたご両親を自分が利用してしまったと思って気に病んでいるのなら、そんなことは何も気にしなくていいんですよ。親なんていうものはね、子供に利用されてなんぼなんですからね」
そういう佳代と頷いている藤十郎を見て、泉美は両親が東京に発つ自分を送り出してくれた日のことを思い出した。あの時の両親も、確かこんな顔をしていた。
「あの…ありがとうございます。何か、自分の中の気持ちに整理がついたような気がします。お盆休みは帰ってみようか…と思います」
自然と笑みがこぼれていた。
「そうなさい。こんな時代だ。会える時にはきちんと会っておくといい」
「ええ、そうね。あら、もうこんな時間。二人共、お昼は食べていくんでしょう?」
「はい!」
「あ、お邪魔でなければ…お願いします」
「泉美さん、うちにも遠慮は無用ですからね。日頃から直が散々ご迷惑をお掛けしているでしょうし、ね」
「いやあ、それほどでもないと思うんですけど」
そういう直の頭をポンと叩いて、佳代が立ち上がるのと同時に、
「只今帰りました」
若い男の声が聴こえて、玄関の戸が開く音がした。
「あ、兄様だ!」
そういって、直が襖を開けて玄関へ駆けていく。
「本当に間のいい子ねえ」
そういって佳代が襖をきれいに開け直すと、直に腕を引かれて軍服姿の青年が現れた。
「紹介しますね泉美さん、兄の司です」
「どうも、初めまして。妹から度々お話は伺っています。同期で同室、鏡心明智流の沢さんですね。よろしくお願いします」
その一連の台詞に、もう泉美は驚きはしない。司、と紹介された直の兄は軍帽を取り、短く刈り込んだ頭を見せて一礼した。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
泉美も立ち上がり、頭を下げた。お互いに顔を上げると目が合う。司は軍人には似つかわしくない、直と同じ屈託の無い笑顔を見せた。男性からのそんな反応に泉美は耐性が無い。はにかみながらもう一度礼をするのがやっとだった。すらりとした背格好は両親からの遺伝だろうか。泉美のいた田舎ではちょっと見かけない、都会的な風貌だ。
「じゃあ皆でお昼をいただきましょうか。少しお待ち下さいね」
佳代が一礼して出て行くのを、直がすぐに追いかける。
「母様、私もお手伝いします!」
「あら、泉美さんの前だからって無理しなくていいのよ」
「違いますよ!寮にすっごく料理の上手い先輩がいて教わっているんです!それで、今朝だって…」
奥へ消えていく二人を見送り、泉美は元の、司は佳代の座っていた座布団に腰を降ろした。
「どうだ、少しはマシな情報があったか?」
「いえ、大陸の方はよくやっていますが、南方はどうも…」
藤十郎の問いに、司が渋い口調で答えた。
「そうか。北方もアッツ島の玉砕があったばかりだしな…ガ島も、既に取られているのだろう?」
「父様、あの…」
司が泉美の方を見て、父を制するようにいった。泉美は苦笑いをする。
「軍機、ですよね。気が回らなくてすいません。あの、私もお台所を手伝ってきてよろしいでしょうか?」
「いやいや、お客様がそんなことを気にする必要は無い。こちらの配慮が足りなかったな。この話題はよそう」
「そうですね…うん。ああ、そうだ。折角ですから沢さんに直の働きぶりでも聞いておきましょうか」
「はっはっは、それはいいな。うん。どうです沢さん、直はきちんとお役目を果たしておりますか?」
泉美は少し考えた。今回の山本長官のこともともわざわざ話に来ているほどだ、多分任務のことについてもいろいろと話をしているのだろうが…直の任務のこなし方というのは独特のものがある。どう答えたものか図りかね、
「えーと…それについては直さんからどのように聴いてらっしゃるんですか?」
和泉は敢えてそう問い返した。二人は少し顔を見合わせてから、司が口を開いた。
「妹はああいう子なので、まずこちらから機密事項は話すなよ、と釘をさす所からいつも始めています」
泉美は思わず笑ってしまった。
「なるほど、それは大事なことですね」
「ええ、こちらが気を遣ってどうする、とは思いますが…ともかく本人の話を聴く限りでは、一応、それなりの働きはしているようですね。沢さんにはよく助けてもらっている、とも聞いております」
「そうなんですか、何だか気恥ずかしいですね。ああ、でも私の助けなんてほとんどいらないくらい直さんは任務達成率の高い優秀な刀使です。といいますか…おそらく今、護国刀使の中では最強の一人だと思います」
二人は揃って、目を見張っていた。
「最強?あの子が、ですか?」
藤十郎の言葉には泉美の方が少し驚いた。そういうことは話していないのだろうか。
「はい、とにかく強いです。動きは速い、斬撃は重い、しかもその、なんといいますか戦い方が上手いんです」
「ふうん…昔から妙に勘のいい子でしたが、そうですか…いや、お役に立っているのであればいいのです」
「それはもちろん、ご安心いただいて構いません。まあその、たまにおかしなことをしていますけど、任務に支障はありませんので…」
二人はまたそこで顔を見合わせ、今度は藤十郎が口を開き、
「そうですか、うん、何となくわかる気がします。ご迷惑をお掛けしますが、今後とも、直をよろしくお願いします」
そういって、二人揃って頭を下げた。
「ああ、はい、こちらこそよろしくお願いします」
泉美も慌てて頭を下げる。顔を上げると司が、そんな泉美の様子をじっと見ていた。よく見れば直と同じ形をしているその目に見られていると、なかなか落ち着かない気分になってくる。勝手に気まずくなって何かいおうとすると、先に司が口を開いた。
「それから妹は…必ずいなくなった仲間の話をしていきます」
「え?」
「昨日まで一緒だった子が刀使を辞めてしまった、だとか、荒魂にやられて大けがをして国へ帰ってしまった子がいる…という話をしていくんです」
それは、全く予想外の言葉だった。
「直さんが、そんなことを…?」
「ええ、正直、母は聞くのがつらい、といっていますがね。それはそうです。いつ、妹がそんな目に遭ってもおかしくないわけですからね」
「それは…そうでしょうね…お父様とお兄様が軍人で、直さんは刀使…お母様の心中お察しします。本当になぜ、直さんはそんなことを…」
「あの子は…少しでも多くの人に、いなくなった仲間のことを記憶に留めておいてほしいと思っているようです。それは…軍人としてわからない話ではない」
藤十郎はそういって、すでに中身のない湯のみを手の中で回していた。
「そうですか…」
直とはもう、2年近く同じ部屋で寝起きしているがそんな話にはなったことがなかった。続く言葉が浮かばないでいると、襖が開いた。
「はい、お待たせしました!来栖家謹製きつねうどんです!」
「泉美さんのお土産、おいしそうね。これもいただきましょう」
直はいつも、こうやって明るく元気に笑っている。この笑顔のどこかで、今はもう共に戦うことのできなくなった仲間たちのことを想っているのだろうか。泉美はこの、同期の刀使に敬意に似た気持ちを抱いた。
「そーれそれそれ荒魂さーん」
直が御刀を振ると、呼びかけに応じてあの小さな荒魂が姿を現し、独特の鳴き声を発しながら直の方へすり寄っていく。泉美はその様子を見て驚き半分、呆れ半分といった具合で彼女に対して抱いていた敬意などすっかり忘れて嘆息した。
来栖家での昼食の後で、二人は日本橋の掘割に来ていた。あの時回収した御刀は結局、直の預かりとなっている。
「よくその御刀を手元に置いておくの、許してもらえましたね」
「『二刀流の練習がしたい』って由良先輩にお願いしたら割とあっさり許可が下りましたよ。おかげで実技に充てられる時間も増えたんで一石二鳥でしたね」
事も無げにそういう直だったが、通常一人の刀使に与えられる御刀は一振りと決まっている。逆にいえば複数の御刀に選ばれる刀使はまず、いない。ただ、例外的に主のいない御刀に限って、希望する刀使に補助的な役割として預けられることがある。遠征に出る際などにそういったことが認められる場合はあるが、いずれにしても相性の悪い御刀を手にした所で、当の刀使がその力を十分に引き出すことができない。滅多なことがなければ刀使が複数の御刀を所有することは無いのだ。
「それは、直さんだから許されたんだと思いますよ…」
実力者である上に破天荒なところがある直だからこそ、突然二刀流などといいだしても、それが上に受け入れられるのだろう。
「いやー、単純に地下が一杯になって来たからだと思いますけどね」
「まあ、それもあるかもしれませんけど…」
遠征組の働きもあって、地下一階は全国から回収されてきた御刀で一杯になりつつある。それはそれでなんとかしなければならないのだろうが、それにしても、直がこうしてあの時以来約束を違えず、荒魂に会いに来ているというのは驚きだった。確かに今日、腰に帯びているのが義元左文字ではないことに気付いてはいたが…。
「あれから何度か来ているんですか?」
「ええ、こうやって小さいうちから教育しておけば、聞き分けのいい荒魂になるかもしれないと思いまして。それ!」
直が投げた御刀の鞘を、荒魂は軽く跳ねてぱくりとくわえ、また跳ねるようにして直の所に戻って来た。
「ほんと…見事に手なずけましたね…でも大丈夫なんですか?こんな所を見られたりしたら問題になりませんか?」
「んー、なるでしょうね、やっぱり。この非常時に荒魂と戯れている刀使がいる、なんていわれたら大問題になってしまうのではないかと思います」
「わかってるじゃないですか…なら何で…」
といいかけて泉美は口をつぐんだ。もしかしたら直は、本当に荒魂との戦いを無くそうとしているのかもしれない。失った仲間たちのことを考え続けているうちに、そういう結論に至ったとしても不思議ではない。
そんな泉美の思いを知ってか知らずか、直は荒魂を見つめながら話し始めた。
「前に、荒魂は人の勝手が生みだしたものだって、いったことありましたよね」
泉美は頷く。
「御刀が造られ続ける限り、荒魂が出現し続ける可能性があるなら…私たち刀使はずっと荒魂と戦い続けないといけなくなります。実際、大昔からそうだったんですよね。私は刀使も荒魂も、つまるところ御刀から生まれていると思っているんです。ですから、同じものから生まれている者同士なら仲良く出来るんじゃないかなって、思うんです。思うんですけど…あの、わかってもらえます?」
少し、論理の飛躍があるような気もしたが、それは泉美にとってもわからない話ではない…それどころか、妙案のようにさえ思えた。
「わかります、直さん。それは…もしかしたらとてもすごい考え方かもしれません。御刀・刀使・荒魂…その連鎖はもっときれいな、というか…正常な形に出来るのかもしれません」
「そう…そうです、そういうことなんですよ!良かったあ。こんなこと考えるなんて私っておかしいのかなって思っていたんですよね!」
直は目を輝かせながらそういった。隣の荒魂までこちらを見ている。
「まあ、おかしいとは思いますけどね…あの、直さん?」
直が泉美の手を取った。
「このことが問題になったら、私は護国刀使から追い出されてしまうかもしれません。でも、私は私の考えを貫くつもりです。ただ…泉美さんに迷惑を掛けてしまうことがあるかもしれません…その時はご容赦願います」
泉美は大きなため息をついた。
「何を今更いうのかと思えば…別に構いませんよ、そんなことは。それに直さん一人が護国刀使を辞めさせられたなんてことになったら、私は直さんのおばあ様やお父様、お母様に合わせる顔がありませんからね」
「泉美さん…!とっても嬉しいです!感動です!けど…あの、別にそんなことは気にしなくてもいいですよ?」
「私が気にするんです!私のことはもう、直さんのご家族にすっかり知られていますからね。直さんの奇行の面倒を見切れなかったのかと思われるわけにはいきません」
「奇行って、ええー…すごいといわれた割には随分ないわれようの気もしますけど…まあ、いいです。それにしてもなんだか泉美さん、うちの家族になったみたいですね!」
「え?またそんなよくわからないこと…」
「あ、いっそのこと本当の家族になるっていうのはどうです?うちの兄様、泉美さんになら差し上げます!」
「え、な、何をいってるんですか!?」
「まあ刀使は引退した後引く手数多といいますから余計なお世話かもしれませんけど、でも結構イイ男だったでしょ?ご近所の評判もいいんですよ。ね、是非!」
「そ、そういうことはですね、家同士の問題もありますから…」
「ということは泉美さん本人は問題無いということですかね?うん、これからはお姉さんと呼ぼうかなー」
「ちょ、直さん!いい加減にしないと本気でおこりますよ!」
「ああー、そろそろ隊舎に帰りましょうか。千鶴姉様のお手伝いもありますしね!またね、荒魂さん!」
泉美が何か言おうとしているのを完全に相手にせず、直はそういって御刀を鞘に納めた。すると荒魂はかしこまった様子でこちらにちょこんと頭を下げ、すすす、と静かに掘割の前へ進み、そこで一度振り返った。直がそれを見て手を振ると、荒魂は安心したかのように頭を振って、ドブン、と水の中に消えて行った。その様子を見て、和泉は何やら怒気を削がれてしまった。
「…ああなると、可愛いものですね」
「でしょう?」
今日はいい夜だ、霧島由良は心からそう思った。仲間たちの輪を離れて隊舎を出て、夜空を見上げる。ふわりとやってくる初夏の風が心地良い。千鶴の料理はどれも美味しかったし、荒魂は出ないし、何よりいつも離れ離れの皆が、揃っている。窓の向こうの食堂では、そんな皆の笑顔が見えた。きっと全員、同じ思いでいるだろう。
「せめて、今夜くらいは、ね…」
隊長格である由良は、少女たちの集まりであるこの組織のこれからを、多少なりとも先んじて知っている。それは決して楽なものではない。この少女たちが刀使でさえなければ、経験せずに済むことばかりだろう。
「どうしたの、由良。こんなところで」
「ええ、ちょっとね…それよりあなたこそ、こんなところに居ていいの?」
武田千鶴が、ソーダ水の入った瓶と、グラスを2つ手にして、由良の前に現れていた。
「いいのよ。後はあの子たちだけで何とでもなる。後片付けもお願いしてあるしね」
二人は顔を合わせて笑いながら、草の上に腰を下ろした。互いにソーダ水を注ぎ合い、グラスを重ねた。
「今日はありがとう。あなたのおかげで最高の慰労会になった」
「私は出来ることをしただけよ。それに私一人で作ったわけじゃない。皆、よく手伝ってくれたからね」
「あなたって…華族様の割には謙虚よね」
「あのね…今時は華族なんていってもロクなもんじゃないのよ。そんなことをいって威張れたのは明治の頃までよ」
そういって、千鶴は長い髪をすくった。その動きだけでも何となく優雅に見える、といいかけてやめる。
「何?」
「ううん、別に」
「そう…。それで由良、この先の任務のことなんだけど…」
千鶴の言葉に、由良は少し憂鬱な気分になる。そこへ、
「やあ、大正生まれのお二人さん、こんな所で密談ですか?」
早乙女凪子が現れた。
「うるさいわね。数日しかない昭和元年にいわれたくないものですけど」
「そうよ。真面目な話の最中なんですから茶化さないで」
「ふふふ、何を話していたかは知りませんが、これよりも重要ですかねえ?」
そういって、凪子は竹皮の包みを取り出した。窓から漏れる灯りに照らされたそれは、
「羊羹じゃない!」
大正生まれの二人は声を揃えていった。
「この間、米内元総理と一緒に来ていた海軍の方がですね、海軍で雇っている菓子職人が作った特製の品だ、といって置いていったんですよ。あの隊長さんに渡してくれって」
そういって、凪子はそれを霧島に手渡した。
「え、隊長って私のこと?」
「あなた以外に誰がいるっていうのよ…で、由良さん、どういうことかしら?」
「本当に…由良先輩も隅に置けませんね。詳しく話を聴かせてもらいましょうか」
「え?ええー!?」
霧島にはこんな貴重なものをもらう理由が全く思い当たらない。むしろ、何であんな大それたことをいってしまったのかと後悔したほどだというのに…。
「さ、由良さん、何もかも吐いてきれいな身体におなりなさい」
「そうですね…先輩、あの時我々が荒魂と戦っている間にあなたは一体何と戦っていたのか、聞かせてもらいましょうか」
「あ、あの…ええと、あの時は…戦争に行けと言われればいきますけど、荒魂を祓うことができるのは私たちだけですって…言い切ってしまって…」
千鶴と凪子はそこで顔を見合わせた。
「米内元総理と、その軍人さんに?」
「先輩がそういったんですか?」
「はい…」
千鶴と凪子は、また顔を見合わせてからどちらからともなく笑い出した。
「ちょっと、何ですか、二人共」
「いやー、何ですかって、さすがは私たちの隊長だけのことはあるなって、ねえ、凪子?」
「ええ、本当に。大したものです。ああ、それで『あのお嬢さんには参りました』なんていっていたんですね」
「え?そんなことをいわれたんですか…ああもう私、時々ああいう風になってしまうことがあるんですよね…外弁慶っていうんですかね。恥ずかしくて死んでしまいそうです…」
凪子も頭を抱え込んでしまった由良の隣に座り、千鶴と二人で挟む形になった。
「いやいや先輩、ありがとうございます。やっぱり先輩が隊長ですよ」
「そうね、私たちはいい隊長をもったわ…ほら、しゃんと顔をお上げなさい」
千鶴が無理矢理由良の頭を両手で掴んで引っ張る。
「痛いですよ、もう…」
「あなたは相手が誰であろうと、隊員のためならひるむことなくいうべきことをいうし、やるべきことをやる。それって、誰にでも出来ることじゃない」
「ええ、妙なところで度胸がありますからね。いざという時に頼りになると、皆思っているはずです」
「うう…何だかよくわかりませんが、ありがとうございます…羊羹、食べます?」
「あれ、いいんですか?」
「どうせ皆に行き渡るほどはありませんし、ここで食べてしまいましょう」
「その話、乗った!」
「では早速斬りわけましょうか?」
そういって御刀を抜こうとする凪子を、由良は苦笑しながら手の平を向けて制し、包みを開いた。そして、
「一度、やってみたかったんですよね…」
そういって、その漆黒の甘味にかぶりついた。
「おおっ!」
「何とはしたない!」
口中に広がる小豆の香りと、まったりとした舌ざわり、そして脳をとろかすのではないかというその甘さにうっとりとしながら、
「ああーなんてぜいたく、何て美味しい!」
羊羹をかぶりついて食べるという背徳感も合間って最早恍惚とした、しまりのない笑みを浮かべていた。
「さあ、次は千鶴の番ですよ」
「おお、これぞ正に悪魔の誘惑…」
などというものの、特に躊躇する様子もなく、千鶴は手渡された羊羹にかぶりついた。
「ああ、これ…いい…!」
口元を押さえながらそう言う千鶴の様子は妙になまめかしい。
「千鶴先輩、少し自重しろ」
「うふ、由良、ちょっと凪子を押さえて」
「はいはい」
「な、ちょっと、何を!んっ!」
凪子の両肩はさっと由良に押さえられ、千鶴が羊羹の残りを凪子の口先に入れる。
「ん、んん…!」
先輩二人の様子を見てもなお抵抗があるのか、凪子は口先にあるそれに歯を立てようとはせず、舐め回すようにして苦しんでいる。
「それそれ、諦めて自分に素直になりなさいな」
「ん…んっんっ…」
そういわれてようやく、凪子は咀嚼しはじめた。
「ああ…あま…い…」
「ふっふっふ、かわいい声をだすのう。それそれ」
「ああ、もう…んっ…」
さらに羊羹を押し込まれた凪子はもう、由良が押さえるまでもなく、脱力していた。
「刀使を殺すに刃物は要らぬ、羊羹一つあればいい、ってとこね」
由良はそういって笑い、傍らに置いていたソーダ水のグラスをあおった。こんなに自然に笑えたのはいつ以来だろう。戦争が始まって、護国刀使が組織されて、少しずつ、仲間達が減って…心から楽しいと思ったことなどもう、ずっと無かったような気がする。そして、そんな状況はこれからも変わらない。それどころかもっと、任務は過酷になっていくだろう。はからずも隊長と呼ばれるようになってしまった以上、自分は何とか、この少女たちを少しでもいい方向に導かねばならない、とは思う、のだが…。
「でもまあ、私だからなあ…この先もきっと、いろいろ失敗するんだろうなあ…」
「どうしたの由良、また暗くなるようなことでも考えているの?」
「またって…ええ、まあそうなんですけど…」
「考えても仕方のないことを考えても仕方がない。どうにもならないことなど所詮はどうなってもいいことなのだ」
「どうしたの、凪子。羊羹に何か入ってた?」
「失礼なことをいわないで下さい。ヘーゲルの言葉を私なりに解釈したものです」
「ドイツの哲学者でしたっけ…あなた、見かけによらず読書家よね」
「剣術のことをいろいろと調べていくうちに派生しまして。あと見かけによらず、というのは余計です」
「剣術からヘーゲルって一体どういうことかまるでわかりませけど…でも、いい言葉ですね。確かに、その通りかもしれません。あの、二人共…」
由良はそういって正座になり、二人の方に向き直る。二人も、それを受けて同じく正座になった。
「この先、私たち…どころかこの国そのものがどうなっていくのかわかりません。私たちは与えられた任務をこなしていくだけですが…でも、もしかしたらそれだけではいけない、私たちが自分の考えで動いていかなければならない、そういう時がくるかもしれません」
二人は黙って、由良を見ていた。
「そうなったら私は…私は、何よりも皆の命を優先した判断をすると思います。後から考えたら間違っていた、ということもあるかもしれませんし、いろいろと反対もあると思うんですけど…多分、私にはそういう判断しかできません。だから、命に代えてもやらなければいけないことがあるなら、私の指示にはしたがわなくてもいいです。あなたたちはそういう意見の隊員たちをまとめて行動を起こしてもらって構いません」
千鶴が溜息をつき、凪子が後ろ頭をかいていた。
「何を突然…そんなことを考えていたんですか、先輩」
「本当、心配性もそこまでいくと一つの思想ね。でも、言いたいことはよくわかる。いいんじゃないかしら。私はあなたの考え方に賛成よ。お国のため、も大事だけれど…正直、これ以上仲間が減るのは嫌ですからね」
「ええ、この先どうなるかわかりませんが、今の所は私もお二人に同感ですよ」
「何よ、今の所って?」
「この非常時に絶対は無いっていうことですよ」
「本当、見かけによらず理屈っぽいわね」
「あなたの方こそ、意外と野放図ですね」
「もう、二人共…でもありがとう、随分、気が楽になった」
千鶴と凪子はそれを聞いて、やれやれ、という風に笑ってから、また由良の両脇に座った。
「ちょっと、二人共?」
「ほら、もう足を崩しなさいよ。いいじゃない。こうなった以上、護国刀使は一蓮托生、運命共同体ってことなんだから、隊長がダメなときはきちんと支えてあげるわよ」
「そうですね、皆、護国刀使になるために、覚悟を決めて故郷を後にしてここまで来たんです。何が一番護国刀使にとって大事なことかと問われたら、多少の違いはあっても皆同じ答えに達するんじゃないでしょうか?」
「そう…そうかもしれませんね。私たちはもうずっと、同じ思いでいるんですものね」
今更ながら、こんな特異な状況に置かれた自分たちに強い連帯感が芽生えないわけがない、ということに由良は気がついた。ならば、気負うことはない。彼女たちは自分であり、自分は彼女たちなのだ。
「うん、それじゃあこれから護国刀使は一人はみんなのために、みんなは一人のために、これでいきましょうか!」
「デュマですか。先輩は哲学より文学、ですね」
「いいじゃないの、あれ、剣を持つ身としては一度やってみたかったのよね。今度やってみましょうよ」
「え?御刀を重ねて、ですかぁ?」
「何よ、嫌なの?」
「いえ、ただあいいう芝居がかったことはちょっと…」
「何ですってぇ!」
今にもつかみ合いになりそうな二人の肩を、笑いながら、由良は抱く。それから、その背中をばんばんと叩いた。
「ちょっと由良?」
「痛いですよ先輩」
「ほんと、私たちはずっと、このままでいましょう!」
それからまた、由良は笑った。千鶴と凪子はしかめっ面を合わせてから、苦笑した。
隊舎の灯りへ目を遣ると、仲間達の影が元気に動き回っている。本当にいい夜だと、改めて由良はそう思った。