戦火の巫女   作:溜め無しサマソ

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六章

 

 

「まさかそちらから現れるとはね…探しましたよ、鷹司様…!」

凪子がそう、京に食ってかかった。直はまた止めようかと思ったが、この貴族様が何をしでかしたかは知っている。それを思うと、身体は動かなかった。

「そう睨むな、早乙女凪子。私は逃げも隠れもしたつもりはないのだがな。まあ、ここの所はこやつらの育成にかかずらっていた故…あまり表に出られなかったのは確かだが」

京はそういって、細い首を少し後ろに回した。その先に、9人の少女たちが控えている。もれなく同じ御刀を帯刀しているところ見ると、彼女らもまた「刀使」なのだろう。

「随分と沢山、その御刀もどきを打たせたようですね」

「もどき、とは手厳しいな、吉乃。大量生産品とはいえ、隠世からの力は手に入る、という点でみればこれも立派な御刀だぞ?それはそうと、八重、久しいな」

「あ、はい。お久しぶりです…相変わらずお元気そうで何よりです」

「ああ、そちらもな…で、霧島由良、何かいいたそうだな?」

「……今年に入り、貴女様と折神香織様をずっと探していました。まさか、このような所でお会いすることになるとは…いろいろお聞きしたいことがありますが、まずは手合わせ、ということでしょうか?」

そこで、京は大きく溜息をついた。

「そうだな。本来であればそなたらが万全の状態で戦いたかったのだが…」

「…先程までの戦い、ご覧になっていなかったのですか?促成栽培の刀使では、我々には敵いませんよ」

凪子がまた、敵意をむき出しにしてそういう。

「ふふふ、そうだな、その通りだ。ならば見た所こちらの方が一人多いようだが、それでよしとしてもらおうか。もっとも、ここの9人は先程そなたらが刃を交えた連中とは別物だがな」

そういって、京は後方の刀使たちを引き連れて、護国刀使と距離をとった。丁度、庁舎の真下、上で見物している軍人たちが最も見やすい場所で、再度対峙する。

「全員抜刀、写シ」

京の号令で、灰色の刀使たちが御刀を構えた。護国刀使たちもそれに合わせる。

「では、始めようか」

京がそういうと、灰色の刀使たちは頷き、やはり3人ずつ、3組に分かれる。どうやらあれが彼女らの基本戦術らしい。護国刀使も先程と同じ組み合わせになり、直と泉美、由良と凪子が前方に立って構えを取り、対峙する。

「泉美さん、あの子たちの眼って…」

「ええ、なんでしょうね。赤く光りましたよね…」

彼女らが抜刀し、写シを展開したとき、確かにその目が赤く輝いた。護国刀使の全員がそれには気付いていただろう。そして、無意識のうちにその異質の気配にも気付いていた。人のものとは違う、だがよく知っている気配…。

「目標前衛左、突撃」

京の静かな声に、3組の刀使たちが動き出した。一瞬のうちに迅移がかかり、9人の刀使が由良と凪子に殺到していた。

「え!?」

「速い!」

直と泉美、後ろの2組もすぐに援護に向かったが、既に由良が討たれていた。

「散開」

京の声に、3組の刀使たちは躊躇無く間を空ける。

「しまった!全員外に向かって円陣を作れ!」

「突撃っ!」

何とか初撃を受け止めいていた凪子の声に続いて、京の声が響く。一箇所に集められた護国刀使に向かい、京を含めた灰色の刀使たちが襲い掛かった。五十鈴と美千代が短い悲鳴を残して倒れたが、残りの6人はすんでの所で対応が間に合った。背中を取られないように円陣を組んでいるものの、数的優位をとられた以上、一箇所にまとめられたのでは分が悪い。そして、それを見逃す京ではなかった。

「それ、一気に片を付けるぞ!」

瞬きすら許されない猛攻が降りかかって来た。

「押し込まれると身動きがとれなくなる、少しずつでも前に出るんだ!」

凪子のいうことは最もだが、10対6ではさすがに手数が足りない。

「くうっ…姉様、あれ、できませんか」

剣撃の合間を縫って、八重が地面をトンと蹴ってそういった。

「ああ!そうですね!」

吉乃はそう答えると大きく息を吸って、右脚を半歩下げた。

「皆、姉様が足を上げたら一気に跳んで」

小声でそういった八重の言葉に、全員が頷く。吉乃が何か仕掛けてくる、というのを感じ取ったのか、灰色の刀使の一人が御刀を振り下ろしてきたが、その刃が届く前に、吉乃の身体が輝き、上段前蹴りがその刀使の顎を捉えていた。カウンターで八幡力の蹴りをもろに浴び、写シまで剥がされてしまったその刀使は、悲鳴を上げながら取り巻いていた仲間の刀使を二人ほど巻き込みつつ吹き飛んでいった。そして、

「そーれっ!」

蹴り上げたその脚で、吉乃が地面を踏みしめる。もちろん、脚が地面に触れる直前にまた金剛身を発動させている。金色の震源から周囲に激震が走り、京を含めた灰色の刀使たちが体勢を崩していた時には既に、護国刀使たちは地面を蹴っていた。彼女らは空を舞いながら、ビリビリと震える窓ガラスの向こうで慌てふためく軍人たちの姿を見た。思わず笑いが漏れたが、

「あれ、女の人…?」

直はその中にさっきまではいなかったはずの女の姿を認めた。その女もまた、こちらを見ていた。眼が合ったその刹那、女の眼が灰色の刀使たちと同じように赤く光った…ように見え、そこで直は、それが何の光なのかはっきりとわかった。一体あの女は何者なのだろうと思ったが、跳んでいる刀使たちの中で、それが誰だかわかる者はいない。

10メートルほどの距離を跳んで着地した所で、迅移でやって来た吉乃と合流し、護国刀使の6人は何とか仕切り直すことに成功する。前方を見ると倒れていた由良と五十鈴、美千代が何とか起き上がろうとしていた。怪我はないようだ。直はほっとして凪子を見る。

「さて凪子先輩、どうします?」

「残念だが、あれほどの腕前があるとなると4人も差があってはどうもこうもない。吉乃、八重、二人はあの鷹司様と知り合いなんだろう?何か打つ手はないものかな?」

そこで、吉乃と八重は顔を見合わせる。

「打つ手、ですか…相手の打っている手ならわかりますけどね。あの3人一組の戦い方は天地人の構え、ですね」

「天地人…?」

吉乃の答えに泉美が聞き返し、

「そう、集団戦で取られる戦法で、前の二人がかく乱と防御を担当して、残る一人が確実に敵を討つ…そういう戦法、ね」

それに八重が答えた。

「なるほど、確かにそうだったかもしれませんね…うん、そういわれると何だか同じように見えていた相手の顔がそれぞれ別に見えてきますね」

春江の言葉は最もだった。前方で身構えている刀使たちに、それぞれ個性が見えて来る。

「うん…その3組をさらに束ねているのが鷹司様、ということか」

凪子が感心したように軽く頷きながらそういった。

「となれば京様一点狙い、ですかね。皆疲れていますし」

「あ、それ同感です。あの方を獲れば何とかなるんじゃないでしょうか?」

直の言葉に、春江が同意すると凪子は笑った。

「まともに戦っても勝ち目は無い…それしかないな」

「では、私たちで道を開きます。凪子先輩と直さんは大将首を狙って下さい」

泉美がそういうと、全員が頷いた。

「よし、皆、護国刀使の意地、見せてやろう。突撃だっ!」

泉美と春江が前に、吉乃と八重が両翼、その後ろに凪子と直がついた。迅移の段階を上げつつ、全員が一本の矢となる。

「ふ、その意気や良し!全員で受け止めろ!」

どこか弾んだ様子の京の声が響くと、灰色の刀使たちが壁を作った。顔が見えるということを意識して刀を合わせてみれば、その処し方は自然と分かるようで、先程までとは打ち合いの様子が違う。仲間たちは敵を倒すのではなく、流すようにいなしている。凪子と直の道を開くこと、それが目的になっていることが後方にいる直にはよくわかった。しかし敵は強く、数的な不利は覆しようがない。灰色の刀使たちの眼が赤く光る度に、削ぎ落されるように仲間達が倒されていった。それでも、最後に泉美が京へのわずかな隙間を作る。直と凪子はその風穴へ、御刀を伸ばした。

「御覚悟っ!」

「見事だ!早乙女凪子!」

が、凪子の御刀は京に届くことなく三日月宗近に遮られ、

「そして来栖直!」

直の義元左文字は、京が腰の後ろから逆手で抜いた脇差に弾かれた。

「なっ!?」

「二刀!?」

予想外の京の動きに二人の体が泳ぐ、そこを、後方から迫った刀使たちが躊躇なく斬った。

二人は苦悶の叫びを上げて膝を付いたが、すぐに立ち上がって再度写シを張る。が、その瞬間に四方から複数の斬撃を受けて再びその場に崩れる。

「…さすがに、もう写シは張れまい。よく戦ったが…ここまでだ。皆、御刀を納めよ」

京がそういって自らも二本の刀を収めながら灰色の刀使たちに命令すると、彼女たちも安堵した表情を見せ、写シを解き、御刀を収めていった。だが、

「く…まだまだ…!」

直が片膝をついて立ち上がり三度、写シを展開した。そこへ、持ち直した由良、それに五十鈴と美千代が駆け寄って来た。

「直!無茶はやめて!もう終わりよ!」

由良の制止に直は応じる様子を見せず、血走った眼を京へ向ける。

「…直?」

「直…さん?どうしたんですか?」

凪子と泉美の言葉も届いているようには見えない。直と京の視線が、真っ直ぐにぶつかった。

「…なるほど、私も恨まれたものだな…。皆、手を出すな。いいだろう来栖直、天下人の元を渡り歩いたというその宗三左文字の冴え、とくとみせてもらおう」

京のその言葉は、どう動くべきか決めあぐねていた灰色の刀使たち、そして直の様子をはかりかねた護国刀使たち、その両方の動きを制止した。京が三日月宗近を再度抜いて写シを張ると、直はそれを待っていたかのように斬りかかった。御刀が真向からぶつかり合い、火花が散る。

「京様、お仲間の刀使のあの赤い眼…あれは、荒魂のものですね。奪ったノロを、あの子たちに投与したんですか?」

その言葉に、灰色の刀使たちと護国刀使たちでは双方意味合いの違う衝撃を受けた。

「そうだ。御刀の神性を引き出すことのできる刀使は、ノロの力をその身に宿すこともまた、可能なのだ。ノロの力を宿した刀使の力は跳ね上がる。身をもって知ったろう?」

「ノロの力って…それは、荒魂の力っていうことじゃないですか!」

直は合わせたままの御刀に力をかけ、京を押し出す。京は両足を堪えたまま後ろに流され、そこへ直が猛烈な追い打ちをかけた。上段からの打ち込み、中段の切り払い、さらに上段からの袈裟懸けを続ける。京は迅移で退がりながらそれらを何とか受け止めるだけで精一杯だった。圧倒的な速度と打ち込みの強さを前に、顔を歪ませる。

「くっ、何という膂力…!」

「それも、お国のためっていうんですか!荒魂の力まで利用して…お国のためなら何をしてもいいっていうんですか!」

直の中で、やり場の無かった数々の激情が揺り起こされ、渦巻いていた。傷ついて去って行った仲間たち、殺さなければならなかった動物たち、刀使を戦争の道具にしようとする人たち、人の都合で生まれてしまったノロを、荒魂を、その上さらに利用しようとする人たち…。

もう、自分でも自分を抑えきれない。さらに烈しさを増していく直の剣撃に、京の受けが間に合わなくなって来たのを見て、突っ立っていた灰色の刀使の一人が我に返る。御刀を抜いて直の背後から斬りかかった。

「直先輩、危ない!」

そこへ、五十鈴が迅移を使って間に割って入った。

直後、直の視界が、右端から一気に赤く染まる。振り返って、全身が凍り付いた。

血まみれの御刀を握って茫然と立ちつくす灰色の刀使と、倒れた五十鈴の姿がそこにはあった。五十鈴の身体は、自身からゆっくりと流れ出る血液に浮かびつつある。直は自分の右頬にぬめりを感じてそこへ手をやると、べっとりと生温かい血がついた。

「バカ者が!何をしている!」

「五十鈴さん!」

京と美千代が叫んだのがほぼ同時で、すぐに周囲の刀使たちが五十鈴の周りに駆け寄って来た。美千代が五十鈴を抱き起すと、五十鈴は軽く目を開けた。

「へへ…写シを張るの…失敗しちゃいました…」

由良が傷の状態を確認するために、横から手を入れて五十鈴の身体に触れる。

「脇腹ね…大丈夫、あばらを二、三本やられているみたいだけど、そこで止まってる。急所は外れているわ。すぐに止血を」

それを聞いて安心したのか、五十鈴は気を失ってしまった。先に建物の陰に避難していた千鶴をはじめとした護国刀使たちもやってきて、五十鈴を囲んで止血の処置を施し、倒れたままの四条姉妹や春江を助け起こした。

直は立ち尽くしたまま顔を上げ、窓を通して見える軍人たちの姿を睨みつけていた。

「直さん、何をしているの?五十鈴さんはあなたをかばったのよ?」

先んじて立ち上がっていた泉美が、ほこりを払いながら直の横にやってきた。

「ええ、わかっていますよ。ねえ、見て下さいよ…こうやって被害が出てしまったのに、あの人たちは誰一人として下りてこようとしない…!」

「え?ああ…」

泉美が聞きたいのはそういうことではないのだろう。だがそれが、直の答えだった。京が御刀を手にしたまま、直と泉美の方へ歩いてきた。

「済まなかった、このようなことになるとは…」

「思っていなかったんですか?御刀を持って斬り合うのに?」

「お前たちに怪我をさせても我らには何の得もない。それは信じてもらいたいものだがな」

直はやはり、厳しい視線を京へ向け続けたが、京もまたそれを逸らすことなく受け止めた。そこへ不意に、自動車のエンジン音が響く。五十鈴を運び出そうとしていた者たちも皆、その車の方へ目をやる。その特徴的な丸っこい車体は、軍が採用している「くろがね四起」という車種だ。正面には碇のマークがあり、海軍所有の車両らしいことがわかる。車は軍人たちがいる庁舎のすぐ近くに停まり、運転席と助手席から二人の青年将校が降り立つ。一人は海軍の制服、もう一人は陸軍の制服をまとっており、その両者共に直の見知った人物であった。

「あれ、米内さんと一緒だった人と…兄さま…!?」

「え?あ、本当に…」

直はそう答えた泉美の傍で京が小さく舌打ちをしたのを聞き、由良が、何故か安堵したような顔つきで溜息をついているのを見た。

「止め!この演習はここまでだ!全員御刀を収めるんだ!その怪我をした刀使は病院まで運ぶ。すぐに車に乗せてくれ!」

海軍将校の方がそういって両手を拡げ、陸軍将校の方、直の兄である司が直の方へ駆け寄って来た。

「ひどいことになったな。お前は大丈夫か?」

「はい、私は大丈夫です…兄さま、何でここへ?」

「ああ…この、刀使による演習は参謀本部の…作戦課の独断でな。海軍に察知されたんでこの際だから圧力をかけてもらったんだ。大きな被害が出る前に止めたかったんだが…」

司はそういって軍帽の鍔に手をやりながら、五十鈴の流した血の跡を渋い表情で見つめた。それから、直の隣に見知った刀使がいることに気付いたらしい。

「ああ、泉美さん。お久し振りです。泉美さんもお怪我はありませんか?」

「は、はい!大丈夫です!えっと…お兄様もお元気で…?」

「ええ、それが取り柄のようなものですので」

司がそういって笑うのを見て、泉美も少し下を向きながら笑っている。

「さて…それでは上官に物申してくるか…。深津大尉、ありがとうございました」

司が振り返りながら、海軍将校の方へ声をかけた。

「いや、気にすることは無い。来栖中尉の方こそ気を付けてくれ」

深津大尉と呼ばれた海軍将校は、由良と五十鈴、美千代を乗せて再びくろがね四起のエンジンを起動させた。護国刀使たちに見送られて車は去って行く。

「上官に物申すって、どういうことですか?」

「お前が気にすることじゃない。それより撤収準備を進めておけ。そちら様も、ここまでですよ」

司は直にそういいながら、後半は京の方を見ていた。

「そのようだな…。全員、集合だ。戻るぞ」

京が御刀を収め、軽く片手を上げてそういうと、灰色の刀使たちが集まって来た。その様子をみた司は一つ頷き、直に手を振って建物の中に入っていく。

「さて…来栖直、すっかり話の腰を折られてしまったが、お前にいっておかなければならないことがある」

「はい、何でしょう」

司を見送っていた直と泉美は改めて、京に向かい直った。

「この者たちは皆、不治の病や身体の障害に悩まされていた」

「え…?」

「結核、難聴、弱視、身体の一部が麻痺していた者もいたな。ともかく健常者と同様の生活を送ることが難しい…そういう者たちだったのだ」

京はそういって、後ろに控える9人の刀使たちを振り返った。彼女たちは何も、言葉を発さない。

「だがどうだ、ノロを与えることによりそうした病も、身体の異常も改善していったのだ。この者たちがつい数か月前まで自由に身体を動かせなかったということが信じられるか?」

「ノロが、治療になった…?」

泉美がそういいながら直に顔を向けたが、直は京の方をじっと見たまま、何も答えない。

「…なるほど、無暗にノロを与えていたわけではない、そうおっしゃりたいんですか?」

泉美の隣に、車を見送った凪子が加わった。

「そうだ。この者たちは、こうして自由に動けるようになった身体を使って、この国のために働きたいと望んだ。今まで決して叶うことの無かった願いが、ノロを取り込むことで果たすことが出来たのだ。この非常時に国のために何も出来ず、人を頼ることでしか生きられないことに、この者たちが、どれだけ負い目を感じながら生きて来たかわかるか?自殺を考えていた者もいるのだぞ?」

「確かにそれは察するに余りある話ではありますが…しかし、華族のあなたが何故そこまで…」

凪子がそういうと、京はふ、と笑った。

「私が華族だからだろうよ。広く世の中を見れば、自分の生まれ育った環境が普通でないことにはすぐ気が付く。ならば、自分とは真逆の境遇で暮らしている者もいるのではないか、と思うのも自明だろう?そうして少し目線を違えて探していたら、この者たちに出会ったのだ。最初は同情もしたがな、しかし今は呆れている。この者たちの生きる意志は、通り一遍ではない」

そういってまた、京がふ、と笑うと、後ろの刀使たちも笑顔を見せた。晴れやかな、笑顔だった。

「それが、あなたたちの正義、だというんですか?」

「そうだ、早乙女。無論、これは邪道なのかもしれん。この先、副作用も出てくるかもしれん。だが、どう思われようとこれが私の、この者たちにとっての正義だ」

建物の中から、伝令の兵士が再び現れて演習の終了を告げた。京と灰色の刀使たちは、踵を返して去って行く。それを見て、凪子が一つ溜息をついてから護国刀使たちへ撤収を命じたが、直はしばらく、その場を動けなかった。

さっきまでの激しい感情が、冷めて行くのがわかる。京の言葉が、直の熱を奪ったのは間違い無い。直はそこに少なからず共感したからだ。しかし、その全てを納得できたわけではなかった。だが、一体何に納得ができないのか、京の何が違うと感じているのか…結局また、答えの出せない疑問が残っただけだった。

それにしても、自分はこんなに思い悩む人間だっただろうか、などと思う。泉美に迷いがある、などと指摘したことを思い出し、笑ってしまった。しっかりと自分の迷いに決着を着けて来た泉美は、自分などよりよほど立派な人間だ。

「ちょっと直さん、何を一人で笑っているんですか?」

「あ、はい。いや、泉美さんはやっぱり大したものだなあ、と思って」

「はい?またよくわからないことを…ほら、いい加減に行きますよ。皆待っているんですからね」

「ああ…すいません。ちょっと考え事をしていて…」

「考え事はもう少し時と場所を選んでなさって下さい…あ、お兄様」

振り返ると、庁舎の入り口から司が出て来た。上から見ていたのだろう。直の方へまっすぐ歩いてきた。

「何をしているんだ。話はついた。早く隊舎に戻れ」

司はそういいながら左頬を押さえている。よくみると、そこが腫れあがっているのがわかる。

「兄さま、どうしたんですか!」

「何、軍というのは上官にたてつけば鉄拳で修正される所なんだよ。まあ、今回はどちらかというと海軍の力を借りたことのほうが気に食わなかったようだがな」

司はそういって不敵に笑った。

「あの、血が…大丈夫、なんですか?」

泉美にそういわれ、司は口の端から出ていた血を拭う。

「お、これはみっともない所をお見せしましたね。ええ、これくらいはいつものことです。どうということはありませんよ。泉美さんは優しいですね」

「え、いえ、そんなことは…」

そういって目を伏せて恥じらう泉美の様子に、直は同性ながらときめくもの感じざるをえない。もう少しこの二人のやりとりを見ていたい気もしたが、向こうから千鶴の呼ぶ声がする。

「それじゃ兄さま、また帰ります。父さまと母さまによろしく」

「ああ、わかった」

「あの、ありがとうございました。これ以上刀使同士で戦うのは嫌でしたから…助かりました」

そういって下がった泉美の頭を見て、司はニイっと笑う。

「まあ、そもそも女子を戦場に送ることは違法なので…ともあれ、お役に立てたようで何よりです」

「兄さま、今度また泉美さんを連れて帰りますね?」

「そうだな。是非そうしてくれ」

「え!あの…」

兄妹は、戸惑う泉美を見て同時に微笑んだ。

 

 

 折神香織は小さな墓石の前にしゃがみ、手を合わせる。

昭和20年2月も終わろうとしていたある日、都内の一等地にある寺を、折神香織は一人で訪れていた。

気温は低いが良く晴れていて、焚いたばかりの線香から昇る煙が、ゆっくりと澄んだ空気の中に消えて行く。さる大名家の菩提寺にもなっているこの寺の墓地は広く、格式も高い。多くの政治家・軍人たちの墓があったが、そんな中にあって香織の面前にある墓石は一際小さく、そして異質なものだった。墓石には戒名はもちろん名前も家名も無く、ただ「二十二士之墓」という文字だけが刻まれていた。そもそも墓石としての形をとっていないそれは、墓石というより墓標、といったほうが正確かもしれない。

「あれからもう9年、早いものですね…」

ぽつりとそういう香織の顔に、いつもの笑顔は無かった。

ここには、彼女の想い人が眠っている。墓に名が無いのは、故人が世に憚られる人物であったから…罪人であったから、だ。この墓には9年前、すなわち昭和十一年に起きた二・二六前事件の首謀者たちが葬られている。

二・二六事件については陸軍皇道派青年将校によるクーデター事件、として一般には知られている。皇道派、というのは天皇親政による国造りを目指した陸軍の一派であり、その主張の急先鋒であった青年将校たちが部下の兵を率いてそれを実現するため、雪の舞う昭和十一年2月26日、実力行使に出た。政府要人たちを襲撃して暗殺、または重傷を負わせ、陸軍首脳部に自分たちの正義を説いて政治改革を迫ったのだが、彼らが政権を握ってほしいと切望していた当の昭和天皇が彼らに対し激烈な怒りを示した。昭和天皇にとって彼ら青年将校たちは自分の忠臣たちを殺傷し、東京を混乱の渦に叩き込んだ許し難い存在であったのだ。結果、青年将校たちは「叛乱軍」の烙印を押され、鎮圧のために派遣された陸・海軍の部隊と一触即発の状態となる。だが、「朝敵」となった彼らの戦意は急速に衰え、投降する者が現れたり、首謀者の一部が自決したことにより収束に向かう。

日本軍同士のぶつかり合い、いわゆる「皇軍相撃」の危機は回避され、「叛乱軍」は瓦解し、捕らえられた青年将校たちはごく簡単な裁判の後、迅速に処刑された。

折神香織の想い人はそういう最期を遂げた人だった。

「あなたは…あなたが、私の人生を狂わせてしまうことになるのを考えなかったのですか?」

香織は、静かに立ち上がってそのちっぽけな墓標を見下ろす。

「でも、そうですね、あなたにとっては私の存在なんて大したものではなかったのでしょうね。あなたは…あなたの信じるもののために死んで本懐を遂げた…そうなんでしょう?」

香織の顔は、もういつもの笑顔に戻っている。

「嫌ね…ここに来るとどうしても恨み言ばかりいってしまう…あなたはもう、十分な罰を受けたというのに…ね」

一礼してその場を去ろうかと思ったその時、敷石をこするような足音が二つ、近づいてくるのがわかった。少し警戒気味に右を向くと、そこには夫婦、だろうか。壮年の男女の姿がある。振り向いたこちらに気付いた彼らは小さく頭を下げて、そのまま近づいてきた。

「いや、まさか同じ目的の方がいらっしゃるとは思いませんでしたな」

老人はまだ煙を上げている線香をちらりと見てから、そういった。一体何者だろうか?見覚えのあるような顔ではあったが、誰であるかはわからない。だが、この墓の意味する所を知っている、というなら少なくとも害意のある人たちではないだろう。香織は少し考えてから、二人に話しかけた。

「あの、失礼ですが…」

「ああ、私は鈴木貫太郎と申します、こちらは妻のたかです」

老人がそう名乗ると、夫婦揃って頭を下げてきた。その名は、香織にとって返礼するのも忘れるほどの衝撃であった。

「あ…あの、侍従長の…!」

やっとそれだけ言うと、老人は笑みを浮かべながら頷いた。

鈴木貫太郎、海軍大将まで上り詰め、数々の要職を歴任して天皇の側近である侍従長に就いた政府要人であり、そして…この墓に眠る香織の想い人に襲撃された人物である。

「ああ…不躾な物言いをお許し下さい。私は折神香織と申します」

香織がそういって一礼すると、鈴木夫妻は驚いたように顔を見合わせた。

「おお、どこかでお見受けしたと思っていたが…そうですが、鎌府折神家の…しかし貴女のような方が何故この墓に…?」

「ええ…侍従長を襲撃した須藤とは、その、個人的な付き合いがありましたもので…」

鈴木貫太郎が相手であれば、何も隠す必要はなかった。何故ならば彼は、

「何と、これは驚いた。あの須藤大尉にそういう方がいたとは…いや、確かにあの事件の折、彼の部隊は私の家に上がり込んできましたがね、彼は私の命の恩人でもあるのです。ですからこうして、あの事件のあった頃には参らせていただいておるのですよ」

そういって憚らないのを、香織は人づてに聴いていたからだ。

「襲撃した部隊の隊長を命の恩人というのはいささかおかしな気もしますが…」

「ははは、あの時私は彼の部隊によって既に4発ほど弾を撃ち込まれておりましてな。まさに瀕死の状態でしたが、遅れてやって来た彼は私にとどめを刺さなかったのです。まあ、家内が止めてくれた、というのもあるのですが」

鈴木侍従長はそういって、傍らの女性を見た。既に老齢、といっていい鈴木と比べると若く見える夫人だ。

「ええ、あの時は必死にお願いしましてね…それで須藤大尉殿が思いとどまってくれたのです。しかも帰り際に、侍従長には何の恨みもなかった、などとおっしゃられて…」

「須藤が、そんなことを…」

「はい、奇妙な心地でした。あの方からは敵意をまるで感じませんでしたからね」

夫人がそういうのを聞いて、侍従長がまた笑う。

「もともと彼とは旧知だったのです。事件より何年か前に私の家を訪ねてきたことがありましてね。君側の奸と名高い私の実物を確かめようとしたのでしょう。陸軍にしてはなかなかに柔軟な思考を持つ若者だと思いましたよ。それに話しているとね、心根に優しさを持った男だということがよくわかった…」

香織は静かに頷き、墓前を空ける。鈴木は帽子を取って一礼し、夫人と共に墓の前に腰を下ろし、合掌した。

「全く、惜しい若者を失くしたものです。しかも、こんな人を残して逝くとは…」

香織は黙ったまま、二人の背中を眺めていた。あの人がこの老人を殺せなかったということが、香織にはよくわかる気がした。詰めの甘い人だった。人に感化されやすい人だった。そして、軍人にしておくには優し過ぎる人だった。

「須藤は…軍人には向いていなかったのでしょう。それがこういう結果になったのだと思います」

鈴木夫妻は立ち上がり、墓を背にして香織の方を向いた。

「そうですね、確かに軍人には向いていなかったかもしれない。しかし…彼が軍人だったからこそ、あなた方は出会う事が出来た、違いますか?」

「それは…その通りです」

「鎌府折神のお姫様と陸軍青年将校の出会いとはどのようなものだったのですか?」

夫人がにこにこしながらそういってきたのを侍従長はたしなめたが、香織は笑ってその問いに応じる。

「お気になさらず…そうですね、あの人と出会ったのは私が陸軍から軍刀の製作について相談を受けて、第一師団を訪れた時でした。私はまだほんの小娘で…士官の方々の前でいろいろとお話をしたのですが、いくら折神家の当主といっても私の話はあまり真に受けられていない、という感じでした。私の供をしていた者など帰り際に憤慨していたほどです。しかしそんな中で須藤だけが、私の話を聴いてくれていました」

二人は黙って、話を聴いている。

「二度目に訪れた時には何かと質問をしてくるようになって…それから二人で相談して一振りの御刀を参考に試作品を打つことになりました。出来上がった試作品はあまり良いものではなかったのですが、それを見た彼は、とても嬉しそうでした」

「それでその後も会うことになったのね?」

夫人の言葉に、香織は頷いた。あの日々のことを思い出すと、今でも胸が熱くなる。須藤も、自分も若かった。自分たちの提案したものを上に認めさせるために意見を出し合い、時に激論を交わした。そしていつの間にか、第一師団を訪れる目的が須藤と会うことに変わっていた。それは香織にとって、幸せな日々だった。

「私は…鎌府折神家に生まれながら、刀使にはなれませんでした。本来折神家の当主は刀使、または刀使経験者であるべきなのですが…」

「そうでしたな。親類に適当な者がなく、あなたが当主となられた。綾小路の折神家とは少し問題になっていたようですが…」

「さすがに、よくご存知で。そうです。綾小路では立派な跡取りが出来ましたから、鎌府を吸収しようという話もあったそうなのですが…最終的には私が暫定当主ということで認められたのです。私はそういう中途半端な人間で…しかし、須藤は『それがあなたの本質ではないだろう』と、そんなことをいったんです」

夫人が頷いて、

「そういうことでしたか…須藤大尉はあなたという人を見てくれたのですね」

そういった。

「少し自分のことをわかってくれるような男にころっといってしまうなんて、私も仕方の無い女だと思います」

香織はそういって自嘲気味に笑ったが、夫人は真面目な顔をして首を横に振った。

「いえ、そんなことはありませんよ。そういう方と出会えたのは、とても幸運なことです。ただ、そうですね…もし、須藤大尉がもう少し長く生きてあなたと一緒にいられたなら、貴女は須藤大尉を通して自分自身をもっとよく知ることができたかもしれませんね…」

「私自身を…知る…?」

「ええ、自分の知らない自分を人から教えられる…そういうことがあるんですよ」

「おい、何を言っているんだ。折神さんが困っているではないか。禅問答でもあるまいし、それくらいにしておきなさい…まあ、ここは確かに禅寺だが」

侍従長がそんなことをいうと、夫婦は二人揃ってくすくすと笑った。海軍特有のユーモアセンスだろうか。陸軍の軍人なら決してこういうことはいわないだろう。香織は少し、戸惑った。

「あの…」

「ああ、ごめんなさいね。私にはね、何といえばいいか…あなたが本当に望んでいること、願っていること…それをあなたが自身が見失いそうになっているように見えたの」

妙なことをいう人だと思ったが、別に不快ではなかった。香織が黙ったままでいると、

「そんなに深く考えるものでもないのよ。そんなことは、考えるまでもなくわかっていることなんですからね。ただ、その笑顔が気になって…」

香織は、夫人のその指摘に、わずかに顔を歪める。

「折神さん、あまり気になさらないで下さい。これの戯言は今に始まったことではないのでね。いや、すっかりお邪魔をしてしまったようだ。それでは、私たちはこれで…」

「ここで出会ったのも何かの縁です。もしお時間があったら、うちにいらして下さいな。お待ちしておりますよ」

「ありがとうございます」

鈴木夫妻は去って行く。一人残った香織は、軽く溜息をついて墓標に目を遣った。

「こういっては何ですが、あなたもおかしな方を救ったものですね…。それとも、私をあの方たちと会わせたかったのですか…?」

もちろん、墓標は何も答えない。その墓標に、ふわりと雪が舞って来た。見上げれば先程までの青空がすっかり雲に覆われている。

「雪…か。それでは、また来ます」

そういって、香織はいつもとは少し違う顔で笑った。

 

 

 東京の街並みはまだよく分からなかったが、次第に車窓からの景色が馴染み深いものになって来るのがわかる。食い入るように眺めていると、その景色を白いものがちらちらとかすめはじめた。

「あ、雪…ですね」

五十鈴のその言葉から一拍おいて、

「そうですね」

それだけの短い言葉が運転席から返って来た。軍人さんというのは無口なものなのだろうか、と五十鈴は思ったが余計なことは口に出さず、そのまま景色を眺めていた。

あの模擬戦から3か月、ようやく傷の癒えた五十鈴は今朝、新宿の陸軍病院を退院することになった。緊急で運び込まれたのは最寄りの病院であったが、応急処置が終るとすぐに陸軍病院に移された。機密漏洩を恐れてのことであったらしい。面会もほとんど許されない部屋に半ば閉じ込められていたつらい3か月であったが、治療自体は最上級のもの受ける事が出来た。栄養状態も、このご時世にはありえないほど良好だ。

これならいくらでも戦える、早く遅れを取り戻したい…入院中はそんなことばかり考えていたが、いざ戻るとなれば不安もあった。入隊してまだ半年しか経っていなかったのに、怪我をして3か月も抜けてしまったのだ。果たして自分の戻る場所はあるのだろうか?そんな考えも頭をよぎっていた。

程なく、車は宮城大手門の近くに停まる。

「あの、ありがとうございました」

荷物を持ってそういい、車を下りる。返事は無い。ドアを閉めてからもう一度頭を下げると、運転席の軍人は一つ、頷くように礼をして、車はすぐに走り去っていった。代わってやってきた近衛兵に護国刀使の身分証を見せると、彼らは笑顔で敬礼を返してくれた。

「よし」と一言声に出してから大手門をくぐる。曲がりくねった道を歩きながら、改めて周囲を見渡す。白い息の向こう側に目指す護国刀使の隊舎が見え始めると、居ても立ってもいられなくなった。半ば駆け足になって隊舎の前まで来ると、玄関からどっと刀使たちが出て来て二重の横列を作った。全員がきれいに気を付けの姿勢をとっている。対する五十鈴もまた、荷物を脇に置いて姿勢を正した…のだが、並んだ刀使の面々に、違和感を感じる。

「お帰りなさい、五十鈴さん」

由良が進み出てそういった。そこで、気が付いた。皆、髪が短くなっているのだ。

「はい、篠原五十鈴、ただいま戻りました」

護国刀使は軍人ではないから敬礼はしない。五十鈴は以前に習った作法通りに一礼してそう答えた。が、形式張った挨拶はそこまでで、

「お帰り五十鈴さん、良かったわあ!」

美千代がそういって飛び出して来ると、もうなし崩しとなった。仲間たちに囲まれ、五十鈴の感情は急激に昂ぶった。

「ありがとうございます。皆さん…私、こんな風に迎えてもらえるなんて、私…」

わずか半年、されど半年、だったということだろうか。自分はここにいてもいい…そういわれているのだと思うと、こんなに嬉しいことはなかった。そして一つ安心したからだろうか、今度は急に、皆の髪のことが気になり始めた。

「ところで、その、皆さん髪を切ったんですか…?」

やはり、長い髪の刀使は一人もいなくなっていた。長くても肩の上、といったくらいだ。

「ああ、これね…もう一月前になるかしら。銀座に荒魂が現れてね、春江さんと美千代さんが対応していたんだけど、その荒魂を祓ってすぐに、空襲があったの」

「え?銀座に空襲、ですか…!」

「ええ、軍は出来るだけ隠そうとしていたから知らなくても無理はないわね。でも、有楽町駅が直撃を受けて、100人以上の方が亡くなったひどい空襲だったのよ。二人はそのまま避難の手伝いに加わったんだけど、至近距離の爆撃があって…」

由良がそこまでいってから、

「髪に火がついちゃったんです。写シがなければ危なかったんですよ」

美千代がそう続けた。五十鈴は一瞬言葉を失ったが、すぐに、

「ええっ!それで、どうなったんです!?」

「この通り、二人共怪我はなかったわ。ただ、その話を皆にしたら長い髪は空襲があったら危ないかもしれない、ということになってね。全員が髪を切ることにしたのよ」

春江が、短くなった後ろ髪をなでながらそんなことをいった。

「そうだったんですか…そんなことが…」

改めて、長い髪が似合っていた吉乃や泉美の髪が短くなっているのを見ると、何ともいえない悲しい気持ちになった。そこへ、

「あの、五十鈴さん、あの時は本当にありがとう」

そういって、直が五十鈴に頭を下げて来た。直の後ろで束ねている髪も、短くなっている。

「え!?直先輩!そんな、止めて下さい!お見舞いに来ていただいただけでも十分なのに…その、あの時は直先輩まだ写シがありましたし、私が勝手に飛び込んだだけで…」

「ううん、そんなことない。思いもしない方向からの攻撃だったから、無事には済まなかったかもしれない…あの時は軍の人たちに腹が立って考える余裕が無かったけど…本当にありがとう。五十鈴さんに何かあったら、今度は私が守るからね!」

「直先輩そこまでいっていただかなくても…」

直のあまりに真剣な様子が、出迎えの明るい雰囲気に水を差す格好になった。見かねた泉美が、割って入る。

「五十鈴さん、直さんはそうでもしないと気が済まないみたい。まあ、笑って受けておきなさい」

「え、あ、はい。あの、直先輩、では…その時は、よろしくお願いします!」

そういって頭を下げる五十鈴に、皆がどっと笑った。そこへ、

「五十鈴さんお帰り!さあ皆、お汁粉が出来たわよ。食堂にいらっしゃい!」

千鶴の声が掛かかる。全員が歓声と共に隊舎へなだれ込んだ。

 

「さて皆さん、食べながらでいいので聞いて下さい」

由良がそういって、座ったまま皆に語り掛けた。皆、大事そうに汁粉の椀を手の中に持ってその言葉を聞く。

「これまでいろいろと上の方から入って来た話について、私は私の判断で皆に敢えて伝えていないことがありました。余計な心配をさせて剣を鈍らせたくない、そう思っていたからです。でも、この前の模擬戦、それに最近の戦況を鑑みるにそれはもう意味のないことだと思うようになりました。こんな、毎日のように荒魂が現れて、空襲警報が鳴って緊急出動が繰り返されるような状況では、いつ、私が死んでもおかしくない…だから、これからは全ての情報を知らせます。もしもの時には自分で考えて、自分の判断で行動できるようになって下さい」

その場がシンと、静まる。

「あ、ごめんなさい。そんなに大げさに考えてもらわなくてもいいの。ただ、私がもう私にだけに何かと情報が入って来ることに耐えられなくなったということでもあるの。ね?」

その様子に、凪子が苦笑した。

「そうですね。由良先輩だけに面倒事を背負わせるのは考えものです。何、大丈夫ですよ。ここにいる皆なら何を伝えても大丈夫です。護国刀使に残る覚悟を決めてくれた者たちですから」

全員が、頷いた。模擬戦の後も、護国刀使を抜けた者はほとんどいなかった。それは彼女ら自身が選んだことではあったが、背景に経済的な事情があったこともまた事実であった。この戦争はまさしく総力戦だった。あらゆる物資が優先的に戦地へ流れていくため国内の経済活動はほとんど麻痺しており、どの家庭も等しく貧しくなっていたのだ。

「それで、そんなことを話し出すということは何かあったのかしら?新しい情報が」

千鶴がそういうと、由良が頷く。

「ええ、ご当主様、折神碧様が臨月を迎えられました。それもあってかあまり体調が優れないご様子で、公務はしばらくお休みされます。滅多なことはないと思いますが、近衛祭祀隊はご当主様に何かと便宜を図っていただいていますのでこれから影響が出て来るかもしれません」

「何かと便宜、っていうと…例えば食糧、とか?」

千鶴の問いに少女たちがざわつく。無理もないことだ。

「それもあるでしょうね。それから、任務についてもより厳しいものになるかもしれない…ご当主様のところで跳ねのけていただいていた依頼は結構あるみたいだからね」

さらに、少女たちがざわついた。

「あの、美千代さん、私がいない間の任務って、やっぱり大変だった…?」

五十鈴が小声でそう尋ねると、

「そうですね…ここのところ全国で空襲があって、護国刀使もあちこちに派遣されているの。避難誘導のためだとか、不発弾の処理だとかでね。それで、結構ケガ人も出ているのよね…空襲警報の度に起こされるからあまり休めていないし…」

美千代もまた、小声で答えた。

「そう、だったんですか…」

五十鈴は、改めて周囲の刀使たちの顔を見回す。確かに、皆に疲労の色が見える。状況は思った以上に良くないようだ。

「私…休んでいた分、しっかり働きます」

「そんなに気負わなくてもいいけど。でも、そういってくれるのは頼もしいわね」

美千代はそういって笑った。そこで突然、

「鷹司京様や折神香織様、それからあの灰色の刀使たちはどこにいるんですか?」

直が立ち上がってそういった。「ちょっと直さん」といって泉美が諫めているが、直は座ろうともしない。

「よくわかっていません。ただ、模擬戦が行われたあの軍の施設のどこかにいるのではないかとはいわれていますが…」

由良が、険しい顔でそう答えた。

「…直先輩、何だか雰囲気が変わった?」

「ええ、やっぱりそう見える?何だかね、ちょっと怖い感じなのよね…」

五十鈴と美千代がやはり小声で遣り取りをしている間にも、

「あの人たちは軍と協力して何をしでかすかわかりません。早く居場所を突き止めないと…!」

そんなことをいい続けている。

「それでどうするんだ?討ち入りにでも行くつもりか?確かに彼女らは何とかしなければいけないが、彼女らが陸軍はもちろん政府の一部の人間たちと繋がっているのは間違い無い。私たちだけで何とかできる相手じゃない。碧様がいない今は猶更、ね」

凪子が、強い口調でそう返した。

「それはそうかもしれません。でも、あの人たちのやっていることは…!」

「そうね、確かに許せることではないわね。人に、ノロを入れるなんて…でも直さん、凪子の言う通りよ。今、私たちがやるべきことはあの人たちをどうこうすることじゃない。この空襲と、荒魂から少しでも多くの人たちを守ること…目的を見誤ってはだめよ」

「はい…」

そこでようやく、直は引き下がる。隣の泉美が溜息をついていた。

「あの…」

代わって、五十鈴が小さく手を挙げた。

「あら、何かしら五十鈴さん?」

由良がそういって続きを促す。

「はい、あの、結局あの灰色の刀使たちを使って、軍は何をしようとしているんですか?私、よくわからないんですよね。あの人たちの目的が…」

「え?それは、刀使を軍事利用しようってことじゃないの?あちこちの戦地に兵隊さんたちと私たちを一緒に送り込もうっていうことでしょ?」

隣の美千代が、そう答える。

「まあ、そうなんですけど、それがよくわからないんですよね。護国刀使だって今年新たに入ったのは美千代さんと私だけですよね?いくらあんな御刀っぽいものを使って刀使を集めたとしても、そんなに人数は多くはならないと思うんです。その程度の刀使を大陸や南方に送り込んだとしても、大した戦力にはならないと思うんですよね…」

五十鈴のその言葉に、場の全員が感心の声を漏らす。四条吉乃が頷きながら口を開く。

「確かにそうですね。いくら刀使が白兵戦で有効な戦力になるといっても、それはあくまで局地的な戦闘の話でしかない…日本全国の刀使をかき集めても万の数には達しないでしょうから、そんな戦力をあてにするというのはちょっとどうかと思いますよね」

それから青砥香澄が続く。

「それに、戦闘中に御刀が折れたり、手から離れればそれまでだしね。私たち、決して安定した戦力ではないわよね」

香澄がそういって乾いた笑い声を上げると、その場の全員も苦笑する。そこへ、じっと腕を組んで考える様子を見せていた凪子が、口を開いた。

「確かに、そういう外地へ向ける、という運用には向いていないでしょうけど…でも、ある拠点を守るために集中して配備しておけば、どうかな?」

「それって、防衛目的で刀使を使う、ということ?」

千鶴の言葉に、凪子が頷く。

「そうです。実は…以前、あの鷹司京様がいっていました。米英の敵をこの国におびき寄せて戦うのだ、と…」

「本土決戦…最近よく聞くわね」

由良の言葉に、全員が言葉を詰まらせる。本土決戦、「一億玉砕火の玉だ」などという合い言葉とともに、ここ最近聞くようになって来た言葉だ。いよいよとなれば米英と、日本本土を舞台にして最終決戦を行おうというのだ。竹槍300万本あれば列強恐れるに足りず…当時、そんなことが本気でいわれていた。

「そうです。つまり、彼女らはこの日本本土で米英を迎え撃ち、そこで最後にこの国を倒すことは簡単ではないと思わせて少しでも有利な講和条約を結ぼうと、そんなことを考えているようです」

「何それ?私たちが…最終兵器っていうこと?ちょっと待ってよ、あの人たちの後ろに軍人や政治家がいるのだとしたら、この国は本気で、私たちに命運をかけようとしてるっていうの?」

千鶴が半ば怒りながらそういった。

「刀使は、ある意味規格外の存在、加えて外国にもほとんど知られていません。まさに最終兵器にして秘密兵器…そう考える人たちがいてもおかしくはないのでは?」

「あの人たちの真意がそんなところにあるのだとしたら、やっぱり放ってはおけない…」

また、直がそんなことを言い出したのを見て、由良が眉間にしわを寄せた。

「はい、わからないことをいってもしょうがないから、ここで私からの話はお終いよ。皆、お汁粉なんてもうこれから食べられるかわからないから、しっかり味わって食べてね」

少女たちがそれに気の抜けた返事をすると、由良と千鶴は顔を見合わせて苦笑した。

 

 直の様子が妙だと思うようになったのは模擬戦の後からだったが、よくよく考えればそれ以前から兆候はあったかもしれない。泉美はそんなことを思いながらまだ稽古を止めない直を見て、溜息をついた。二人を除いて誰もいない道場には、直の荒い息遣いと御刀の走る音だけが響いている。

「直さん、もういい加減にして下さい。毎日毎日そんなに長い間稽古をしていたらいざという時に疲れが出てしまいますよ」

「もう、少しっ!」

素振り、転身、型、一人で出来る稽古の種類はいくらでもあるが、量をいくらでもこなせばいいというものではない。この所、直は日々の任務に加えて自主稽古を過剰なまでに行っていた。何故そこまで、と他の隊員たちから思われているのを泉美は知っていたし、おそらく直も知っている。そして、このまま過ぎた振る舞いが続けば、仲間たちとの和を崩す可能性すらあるのではないかと泉美は思っている。だが、一番近くで直のことを見て来た泉美には、直の気持ちがわからなくは無かった。直はこの世の理不尽と、闘っている。身勝手な大人たちを呪い、無力な自分自身に怒りを覚えている。それがこの、無茶な稽古に結びついているのだ。何を言ったところで通じはしない。自分で答えを見つけるまではどうにもならないのだろう。そのように半ば諦めている泉美としては、せめて直がはみ出し者にならないように見守る、ということにしていたのだが…。

そうはいっても、もう3月の9日になるというのにまだまだ寒い道場に動かないままじっとしているのはさすがにつらい。

「はあ…もう、じゃあ手合わせしましょう。今日は不寝番なんですからそれで終わり、いいですね!」

「え、あ、はい。お願いします」

案外素直なその返事に泉美はとりあえず安心し、御刀を手にして直と向かい合う。

「そういえば泉美さんと立ち会うの、久し振りですね」

「そうですか?一緒に出動したり長時間稽古に付き合わされたりで直さんが御刀を振るっているのをずっと見ていますから、あまりそんな気はしませんが」

「あれ、それってもしかして皮肉ですか?」

「ふふ、そうですね、でもお陰様で私も強くなっている実感はあるんですよ。さ、やりましょうか」

二人は御刀を構え、目を瞑って写シを張る。それが、合図だった。

直の上段からの打ち込みを泉美が半歩動いて最小限の動きで捌き、そのまま上段に構えをとった。直はそれに合わせて、一気に段階を上げた迅移で泉美の胴を払いに来る。この動きは知っている。あの時、最後にライオンを斬った動きだ。だが、わかっていても間に合わない。泉美は自分の左腕を直の剣に合わせ、右手の御刀を突き出した。

泉美の左腕が斬られ、直の喉が突かれる…そのままいけばそうなっただろう。無論、写シを張っているからそうなっても問題は無い。だが、二人の動きはその直前で止まった。

「見事です、泉美さん…肉を斬らせて骨を断つ、私の負けですね」

「これだけ直さんの動きを側で見ていて、しかも今のは知っている動きだったのに、合わせるのだけで精一杯なんて…どこまで強くなる気ですか?」

二人はそういってからどちらともなく笑い合い、ゆっくりと身体を戻し、写シを解いた。その時、直の顔が一瞬歪んだ。

「ん?どうしたんですか、直さん?」

「え?いえ、何でもないです」

「何でもないということはないでしょう。どこか身体の調子がおかしいんですか?やっぱり稽古のし過ぎなんじゃないですか?」

「いえ、そういうことじゃないんです。ただ…」

「ただ?」

直はそこで「うーん」とうなり、頭をかいた。

「あの、泉美さんだけにいいます。秘密にしておいてほしんですけど…その、刀使の力が、不安定になっているみたいなんです」

「え?どういうことですか?写シや迅移は何ともないようですけど?」

「御刀が…この宗三左文字との一体感が何となく前ほどじゃないというか…そんな感じなんです」

それを聞き、泉美も顔色を変えた。御刀との親和性が失われていくのを自覚するというのは、刀使がその力を失う兆候なのだ。それは刀使ならば誰もが、引退していった先輩刀使たちから聞いて知っていることだ。

「いえ、そんな…まだ直さんは16でしょう?」

「もうすぐ17です」

「ええ、でも、そんなに早く刀使の力がなくなるわけ…」

「だと思うんですけど、わからないんです。人によっては早々に刀使を引退することもあるそうですし…このまま刀使の力が無くなったら私は…」

泉美はそこで初めて、今まで直が自分の知らない悩みを抱えていたことに気が付いた。直の様子がおかしかった最大の原因はこれなのだろう。

「自分がいつまで刀使でいられるかわからないというのは…不安、ですよね」

「正直、不安と焦りがすごいです。刀使として出来ることは何とかしてやっておきたい、そんなことばかり考えてしまって…」

「それは、そうでしょうね…」

泉美はそこで、自分が直に言わなければいけないことがあるのを確信する。

「ねえ、直さん?」

「はい?」

「直さんは前に、私の剣筋に迷いがあるのは私と私の両親の間にある確執が原因だといってくれましたよね?」

「え?ああ、うちの実家でそんな話をしましたね」

「その話のおかげで私は今、両親とは上手くいっています。わだかまりが解けた、といいますか…」

「ええ、もう一昨年前ですか、お盆休み明けにそれを聞いて、私も嬉しかったです」

「はい。だから直さん、私だけが悩みを解決してもらうのは不公平です」

「え?」

「直さんの悩みは大きいので何ともならないかもしれませんが…でも二人で話をして、考えていけば、力が無くなる速度を抑えられるかもしれない…その、完全には無理かもしれませんが、半分くらい、何とかなるかもしれないじゃないですか」

それを聞いた直は、ぽかんとしてしまった。

「そ、そりゃあ、私に相談したところで直さんの刀使の力が戻るわけでもないですし、別にどうにもならないかもしれませんけど…」

「…ふふっ、そうですね。うん、半分くらいは何とかなるかもしれません」

直はそういって、満面の笑みで泉美の手をとった。

「そう、泉美さんはそういう人ですもんね!何で私もっと早く言わなかったんだろう」

「え、直さん…?」

「たとえこの力が無くなったって、ここの皆と一緒に過ごした日々が消えるわけじゃないですもんね」

「ええ、それに遅かれ早かれ刀使の力は無くなるんです。そんなに深刻に考えるのは止めにしましょう」

そこへ、

「直先輩、泉美先輩、片付かないから早くしてくれって千鶴先輩がいってますよー」

そんなのんびりした声を出しながら道場に入って来た五十鈴は、目の前の光景を見て硬直する。

「はっ、お二人共、何を…!」

手を取り合って見つめ合っている少女二人…尋常ならざる様子にしか見えない。

「あ、五十鈴さん!?これはその、稽古の途中で直さんの様子がおかしかったから…!」

泉美はとっさに直の手を離した。が、五十鈴が大きく目を見開いたまま立ち止まっているのを見て、良からぬ誤解をされていると思い、取り乱した。

「五十鈴さん…実は私たち…」

「ちょっと直さん、何を思わせぶりなことをいっているんですか!五十鈴さんが誤解してしまうじゃないですか!」

「す、すいません。お邪魔しましたー!」

「ちょ、五十鈴さん!」

泉美が片手を伸ばしてそういったが、五十鈴の姿はあっという間に見えなくなってしまった。振り返ると、直がくすくすと笑っている。

泉美は一つ大きなため息をついたが、その直の様子を見て、まあいいか、などと思った。

 

 不寝番の荒魂退治ももう慣れたものだったが、その夜の荒魂の出現数は多く、しかも広範囲だった。直、泉美と五十鈴、美千代の4人は通報を受けて日本橋から荒魂を追いながら人形町の付近で、追って出撃した吉乃、八重と合流、荒魂の群れを囲い込んで何とか周辺に被害を出さずにこれを鎮めていた。

「ふう、助かりました。吉乃さん、八重さん、応援ありがとうございました」

付近に荒魂の反応が無くなったところで、直は額の汗を拭いながらそういった。泉美、五十鈴、美千代も同様に息を切らしながら、頬や首筋を拭っている。気温は5℃にも満たず、風も強いが、十数体の荒魂を相手にすれば汗ばむのは当然のことだった。

「ええ、とりあえず何とかなったみたいね。でも隅田川の向こうからも連絡があって凪子先輩たちが向かったのよね。向こうは大丈夫かしら…」

「向こうは8人向かってますからね。まあ大丈夫でしょう。それより、今回は姉様の仮説は外れましたね。警戒警報、解除されたみたいですよ」

「あ、解除されたんですか。吉乃さんの仮説っていうと、荒魂が現れた所に空襲があるっていう…あれですか?」

泉美がそういうと、吉乃は頷いた。

「ええ、まあそんなもの外れるにこしたことはないんですけどね。ただ、そういう事実があまりにも重なるものですから…」

「そういえば、私たちが神奈川に行った時も荒魂を退治した後に敵機が来ましたね」

「あれは偶然だと思うけど…でも、今までは大体吉乃先輩のいう通りでしたよね。明日は陸軍記念日だからまさか、とは思いますけど…」

五十鈴と美千代がそういうと、やや重い空気が流れる。直は川向こう、本所区(現墨田区)の方面を眺めた。灯火管制下にあるため街は真っ暗で何も見えないが、一応、応援に行った方がいいかもしれない。そう思った矢先、その方面がぱっと明るくなった。

「あれは…!」

直がそういった瞬間、泉美が腰の蛍丸を握り、透覚を効かせる。

「え、何、この数!?」

「泉美さん、どうしたの?」

絶句する泉美が指す方をみると、次第にチラチラと舞う火の短冊のようなものをなびかせて、敵機の群れが近付いてくるのがわかった。あっという間に、本所区の方面にいくもの火柱が上がる。けたたましい空襲警報が鳴り始め、敵機の大群が自分たちの頭上にも近づきつつあった。

 時刻は0時を回り、日付は3月10日になっていた。史上最悪の無差別都市爆撃、東京大空襲の夜が、始まろうとしていた。

 

 

 

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