戦火の巫女   作:溜め無しサマソ

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七章

 

 

 昭和20年(1945年)3月9日の22時半頃、2機の米軍大型爆撃機、B29が現れ、東京・千葉の上空を旋回したが一発の爆弾も落とさずにそのまま飛び去った。当初、警戒態勢を敷いていた日本側はこれを見て「(敵機ハ)洋上ハルカニ遁走セリ」などといって警戒警報を解除、市民は安心して眠りについたという。だが、この2機の本来の目的は後続機への無線誘導であった。それから程なくして、サイパン、テニアン、グアムの3か所から東京上空に集った325機ものB29が、この一晩だけで38万1300発もの爆弾を都内に投下した。

この時投下された爆弾は日本側では単に焼夷弾といわれていたが、正確にはM69焼夷弾という。大型の親爆弾の中に38個の子爆弾があるクラスタータイプで、爆弾の種類についてはナパーム弾に分類されるものであった。ナパーム弾というのは粘度の高い油脂を大量に内包した爆弾のことで、炸裂すればその油脂に沿って炎が伸び、周囲に親油性可燃物があれば瞬時に広範囲を火の海にすることが可能という代物で、さらに、この爆弾の火は油脂に直接点いているため水で消す事が出来ない。化学消火、などという概念すらないこの当時、一度落とされればどこまでも伸びる炎の帯を弱める事すらままならなくなるという、実に恐るべき兵器であった。木造建築の多い日本の家屋には特に有効な爆弾とされてアメリカで研究が進み、ローコストでありながら多大な戦果が見込めるとして採用された。後にアメリカは、ベトナムの原生林を焼き払うためにもこれを使用することになるが、それは、この東京大空襲を始めとした日本での「成功例」があったからに他ならない。

 米軍の的確な計算により本所・深川から日本橋、神田にかけて落とされた焼夷弾が周囲の家々を焼き尽くして炎の柱を幾重にも立ち昇らせ、それらが次々と一つに重なり今度は炎の壁となっていく。そしてその壁となった炎が下町一帯を囲むのに30分もかからなかったという。この一帯に住んでいた人々に、逃げ場など無かった。

 

 火の海、などという喩えですら生ぬるい、そんな光景が目の前に広がっていた。幼い頃から見慣れていた景色が一面、燃えている。とにかく「暑い」というより「熱い」。その感覚が、これが現実の出来事であるということを直に嫌でも突き付けた。

足元からも異常な熱が伝わってくる。土の上はまだましだが、敷石の上などはとても立っていられない。熱せられた空気と直接触れている皮膚が、そしてその空気を吸い込む喉が、灼け付くようだった。昔、鬼たちに釜の中で炒られる人たちの絵を見たことがあったが、ほとんどそんな状況だ。要するに今、東京の下町は地獄の釜の底と化した。

着の身着のままの人々があふれ出し、少しでも火の無い方へ逃げようと右往左往している。

「あんたたち、護国刀使の人たちだろう!どっちに逃げればいいかわからないか!」

そんな中で突然、五十鈴が男から声をかけられた。彼もまた家を焼け出されたのだろう。防空頭巾を被った小さな女の子の手を引いている。

「え?どっち?どっちっていわれても…私たちにもわかりません!」

そんな風に混乱気味に答えると、男は戸惑ったように手元の女の子を見下ろす。女の子は五十鈴をじっと見て首を傾げる。男は溜息をつき、そのまま足早に去って行った。

「そんなこといわれたって…」

うつむく五十鈴の肩に、泉美が手を置く。

「仕方ないですよ。私たちだってどこに逃げればいいかなんてわからないんですから」

「そうですよねえ…これはもう、隅田川に飛び込むのもありかもしれませんね。このままじゃ全身が火傷をしてしまいそうです…」

美千代がそういうのを聞いて皆、隅田川の方を向くと、何となくその方面へ向けて人の波が出来ているのがわかった。

「飛び込むかどうかは別として…皆で行ってみますか?」

泉美がそういうと、

「いや、ここは部隊を分けましょう。もしまとまって移動して、そこがダメだったらまずいですからね。それより私たちは迅移が使えるんだから…全員で安全な場所と道順を探して、それを出来るだけ多くの人たちに伝えましょう。さっきみたいに私たちを頼って来る人もいるでしょうしね」

八重が火の粉を払いながらそういった。

「さすが我が妹ね!そういうことでいいんじゃないかしら。ただ手分けと言っても一人での行動は危険過ぎるから、二人一組で、いいわね?」

全員が頷く。

「では、五十鈴さんと美千代さんはこのまま宮城の方へ行ってみて。私たちは隅田川、両国方面に行ってみます。凪子先輩たちも心配だしね。それから直さんと泉美さんは日本橋から神田の方へ…いいわね?」

それまで黙っていた直が、顔を上げた。直個人としては、一刻も早く祖母と両親の無事を確かめたいと思っていた。どちらの家も、この火の海の中にあるのだ。吉乃が何もいわずに直を見て頷いた。この場の皆が、直の気持ちを察してくれていたようだ。

「でも、任務中なのに…」

「いいから行きなさいよ。大体その辺りの道は直が一番詳しいでしょう?だったら適任じゃない?」

八重が、笑ってそういった。そのすぐ奥で、2、3軒の家屋が連なるようにして倒壊する。

「おっと、これはいつまでもじっとしていられないわね」

吉乃がそういうと、直は意を決して皆に向かって頭を下げた。

「みんな、ありがとう…厚意に甘えます。それじゃ、必ずまた生きて会いましょう!」

全員が大きな声で返事をして、それから6人は3組に分かれて迅移をかけた。

 

 隅田川の方へ駆けて行くと、どうやら両国橋は無事であることがわかった。だが、明らかに川向こうは火勢が強い。

「どうします、姉様?これは…行ったところでどうしようもないかもしれませんよ?」

「そうね…あら…」

二人は、そこでノロ磁針が橋の向こうを指しているのに気付く。

「はあ…これじゃあ、行くしかない、ですね」

「ええ…」

返って踏ん切りがついた二人は人波に逆らいながら両国橋へ辿り着く。そこで、目を疑った。

「何ですか、これ…川が、燃えてる…!?」

隅田川の川面を、火が走っている。信じられない光景であったが、それは紛れもなく現実の出来事であった。

「水の中なのに火が消えないなんて…」

この時の様子については、「川の中まで火が追って来た」という体験談が多く残っている。ナパーム弾の特徴が顕著に表れているが、当時の人たちにとってはとても理解できないことであったろう。そして理解出来ない脅威は、恐怖を増幅させる。川の中で溺れるようにして火に巻かれている人たちがいるのを見て、二人は完全に色を失った。さらに川の両岸へ目を移せば、びっしりと黒焦げの焼死体が並んでいる。そこへ家屋や草木、そして人の焼ける臭気が混ざり合って鼻に届き、八重は吐き気を覚えた。まさに酸鼻を窮める惨状だ。それらの光景は川に沿ってずっと続いており、明々と炎に照らし出されているため、目を背ける事すらできない。

「こんな、こんなことって…!」

口元を押さえながら八重がそういうと、その肩に吉乃が手を置いた。

「…行きましょう、八重。この上荒魂による被害を出すわけにはいけません…」

二人は、無言で人の流れをかき分けて両国橋を渡り終える。するとすぐに、見慣れた建物が炎に包まれているのがわかった。

「姉様、国技館が…!」

「ええ、何てこと…回向院まで全焼じゃない…!」

両国国技館が焼け落ちようとしていた。大相撲の場所が始まると沢山の幟が立ち、この辺りで一番の賑わいとなる国技館、そしてその国技館一帯の敷地を有し、江戸時代から多くの人々を弔って来た浄土宗回向院の本尊もまた、焼けていた。

半ば茫然としている二人の視界に、黒い影が横切る…といおうか、空に昇って行く。

「あれ、荒魂…?どういうこと?荒魂が空に向かって行く…?」

空まで伸びている炎と、軍のサーチライトに照らされて、上空のB29の姿は良く見えた。数体の小型荒魂がその場にはいたが、逃げ往く人々には目もくれず、ひたすら空を見上げてその特有の鳴き声を上げたり、跳ねたりしている。どうやら敵機を狙っているらしい。いくら跳ねても単体では無理と悟ったのか、そのうち一匹が跳ね、二匹目がその上に乗ってさらに跳んでいくという曲芸まがいのことも始めたが、とても届くものではない。コウモリのような飛行型もいたが、こちらも届かないらしく、途中で羽ばたくのをやめてすーっと降りて来る。何拍か置いた後、再び空に向かって飛んだが、やはり結果は同じだった。

二人がその動きに唖然としていると、

「吉乃、八重!何でこんなところにいるんだ!」

凪子がこちらを見つけて駆けて来た。

「凪子先輩!春江さんも!」

「まあ、こんなにあっさり会えるとは思いませんでした。荒魂のお導きですかね?」

集まって来た全員が抜刀している所を見ると荒魂を追った結果、ここに来たということだろう。

「何にしても良かったあ…皆さん、無事なんですか?」

そういう八重の言葉に、凪子の表情が固まる。

「実はね、百合子さんと希美さんが…どこにいったかわからなくなってしまったの…」

凪子に代わってそう答えた春江の言葉に、吉乃と八重は一瞬、言葉を失った。

「二人が荒魂と戦っていたすぐ近くに焼夷弾が落ちた。それで、はぐれてしまった…」

「写シを張っていたから大丈夫だとは思うんだけどね…」

そうはいっても、爆発で写シをはがされて、そのあと火に囲まれればどうなるかわかったものではない。新たな荒魂の反応があるにもかかわらず姿を見せないとなると…。

「まさか、とは思いますけど…」

吉乃がそういうのを凪子が遮った。

「それより二人共、何でこんな所に来たんだ。人形町の方がまだましなんだろう?」

「ええ、それはそうなんですけど…さすがに心配になりましてね。荒魂の反応もありましたし…で、あれは何なんです?こちらを襲って来る様子がないのは幸いですけど」

八重が、また空を目指していく荒魂を見ながらいうと、

「うん…もしかしたら奴らは荒魂にとっても敵なのかもしれない。荒魂たちは奴らを自分たちの居場所を脅かす存在、と思っているのかも…」

凪子もまた同じように空を見上げた。

「なるほど、敵の敵は味方、ということですか。奇妙な心地ですけど…しかしそういうことであれば、あれは放っておいてどこか安全な場所に避難しませんか?」

吉乃がそういうと、

「逃げるとすると…錦糸町方面は風下になっているから危ないわね。両国駅の方にある被服廠跡地、それからあなたたちが来た両国橋方面かしらね…」

春江がそう答えた。

「被服廠跡地はここから近いけど、確か、関東大震災の時に大きな被害が出たはずじゃ…」

八重が北の方角を見ながらそういった。総武線両国駅のガードをくぐった先には、かつて陸軍被服廠があった。被服廠とは文字通り、軍服・軍靴を始めとした軍関係の衣類を製造していた工場のことだ。大正12年(1923年)に先だって模擬戦が行われた辺りに移転したため、現在でいう東京ドーム1,5個分に及ぶ広大な空き地を当時の東京市が買い取ったのだが、その直後に関東大震災があった。

「そうでしたね。広場は風通しがいいから火の回りが早くて避難して来た多くの人が焼け死んだという話でした…」

北と、東の選択肢は消えた。凪子が、そこで口を開く。

「よし、橋を渡って浜町公園へ行こう。あそこは軍がいるから情報も多少は集まっているはずだ。避難している人も多いだろうし、出来ることがあるだろう」

その言葉に8人の護国刀使たちは頷き、火の粉をかいくぐりつつ、両国橋へ向かって走り出した。

 

 泣き叫ぶ子供たち、全身に火傷を負って彷徨う人たち、そして黒焦げになって動かなくなった人たち…最早地獄、という言葉でも足りないこんな状況だというのに、それでもまだ飽き足らないのか、B29はより低空を飛んで焼夷弾を落として来ていた。どこかに爆撃がある度、地面が揺れ、大きな音が響き、人が死んでいく。

「まだ焼夷弾を落としてくるんですね…一体どれだけやれば気が済むんでしょう…」

「本当に、呆れますね。撃ち漏らしを潰すために往復しているんじゃないですか。ここまで徹底して来るなんて…」

直と泉美は日本橋のやや北側に位置する例の掘割辺りに来ていた。ここまでくれば祖母の乾物問屋はすぐそこなのだが、さすがに直は躊躇した。

「だめですね。向こうまではちょっといけそうもありません…神田の方に向かいましょう」

「え?ここまで来て何いってるんですか直さん、何とかなりますよ。行きましょう」

「でもこの熱さですよ…?わざわざこんな危険なところに泉美さんまで…」

「もう、今更何いってるんですか…って、あれ!」

目の前の掘割から、「荒魂さん」が飛び出した。あの、龍のような姿だ。

「あれ、あの『荒魂さん』ですよね!」

「ええ…あ、すごい、水を撒いてくれてるの…?」

荒魂さんは水の身体を周囲に撒いているらしい。そのせいか、この辺りは少し、火の勢いが弱い。その様子を眺めていると、こちらに気付いたらしく直と泉美の頭上を飛んで水を降らせた。焦げかけている髪や肌に水が染みて、かすかに痛いものの心地いい。荒魂さんは、それから二人の前に滑空するようにして着地した。

「ありがとう荒魂さん、水を撒いてくれていたんですね」

荒魂さんはギイ、といって頷くように身体を動かした。

「直さん、荒魂さんに手伝ってもらいましょう。水を撒きながらなら、きっと行けます」

「そうですね…荒魂さん、おばあちゃんのお店に行きたいの。手伝ってくれる?」

荒魂さんは今度は二回ほど頷くような動きを見せてから、掘割へ飛び込んだ。そして、日本橋方面へ向けて大きく水の弧を描きながら飛んで行った。

「行きましょう、あの下を走れば」

「ええ、いくらかましでしょうね」

荒魂さんはかなり正確にタツの店の近くまで飛び、それから走る直の肩に着地した。

「ありがとう、おかげで何とかなったよ」

「あ、見えましたよ、直さん!」

多くの建物が既に倒壊していることもあって、タツの店は比較的早く見つかった。幸い、店舗には火の手が上がっていない。伯父と伯母、住み込みの従業員二名が店の前に出て来ていた。直は、たまらず走る速度を上げた。

「伯父さん、伯母さん!大丈夫ですか!」

「直さん!どうしてこんな所に…あらやだ、その肩に乗っているのは何?」

伯母の富美子が驚いた様子で駆け寄って来た。

「あ、これはちょっと…それより、早く逃げないと!隅田川の向こうは酷い事になってますよ!」

「やっぱり向こうが危ないのね。わかったわ」

富美子がそういう後ろで、タツが店の中から顔を出した。

「おや、直じゃないかい、それに鏡心明智流の沢さんだね?」

「おばあちゃん!良かった。無事だったんだね!」

「当たり前じゃないか。富美子さん、全員表に出たね?」

「はい、お義母さん。いわれていた証紙の類も全て持ち出しました」

「よし…それじゃ、最後にあれを取って来ようか」

タツはそういって、再び店の中に入っていく。

「ちょっとおばあちゃん、あんまりのんびりしてると危ないよ!」

直も、追って店の中へ入る。暗い店の中は、がらんとしていた。もう取り扱う商品もほとんど無いのだろう。ずんずんと進んでいく背中を、直は追う。着いたのは、泉美と共に通されたこともあるあの客間だった。

「あ、やっぱりそれだったんだ」

タツは奥に据えられていた御刀を手に取った。

「ああ、模造刀とはいえ、大事なものだからね」

「毛利藤四郎か…おばあちゃんが引退して以来、適合者はいないんだってね。近衛祭祀隊で保管してるよ」

「そうらしいね」

タツはその短刀をしっかりと握る。

「御刀ってやっぱり、刀使にとってはいつまでも大事なもの…なのかな」

「そうだね。輝かしい日々を共に過ごした…過ごさせてもらった大事なものさ。引退してから特にそう思うようになったね…まあ、あんたもそのうちわかるさ」

「そう、なのかな…」

直は、そういって少し複雑な思いで佩刀を抜いた。自分は一体いつまで刀使でいられるのだろう、その刀身にそんなことを尋ねたくなった。

「それじゃ、行こうか」

「うん」

二人が、店の入り口へと向かっていたその時、

「直さん、写シを!」

泉美の大声が響いてきた。すぐに直にも、空気を斬り裂く轟音がわかった。

「おばあちゃん!」

写シを張り、祖母の身体を抱きしめる。その瞬間、頭上の全てが爆ぜた。

 

 両国橋を渡ってすぐ南に浜町公園がある。そこには陸軍の施設があり、空襲に備えてサーチライトや高射砲が設置されていたが、既にその位置は米軍に察知されており、ほとんどが先制攻撃を受けて空襲の前に無力化していた。

「だめだ!ここは入っちゃいかん!」

公園に着くと、駐屯している若い下士官兵がそういって逃げ込んでくる人々を追い返していた。それを見て、凪子はさすがに嫌気がさした。荒魂との戦いに始まり、この火の中を時には迅移をかけながら逃げ回っていたこともあって、仲間たちの疲労は頂点に達している。そこでまた、こんな諍いを見せられるのだ。皆、凪子の後ろで息を切らし、汗を流しながらウンザリした表情を見せていた。

「すいません、近衛祭祀隊…護国刀使の者です。よろしいでしょうか?」

かなり苛立った調子で凪子は人々と兵員の間に割って入る。

「これは、どうもお勤めご苦労様です」

「はい、そちらも…それで、これはどういうことです?何故ここに避難できないんですか?」

「御覧の通り、ここには高射砲があるんですが、爆撃を受けていましてね。誘爆の可能性もあるんです。そんな所に避難させるわけにはいかんでしょう?」

確かに、それはそうかもしれない。聞いていた避難民たちと共に、凪子はふっと細い溜息をついた。

「しかし、どうするんです。この人たちは…」

「すぐ向こうに明治座があります。あそこは震災の後に建て直して鉄筋になっているから多分大丈夫でしょう。そちらへ逃げていただきたい」

凪子がそれを聞いて振り返ると、吉乃が頷き、八重が、

「兵隊さんのいうことには一理あると思います。明治座ならここからすぐですし、我々もそっちに行きますか。あっつ…」

そういって握っていた御刀を鞘に納めた。刀身から、かなりの熱が伝わってきているのだ。気温がどれくらい上がっているのか、想像もつかなかった。

凪子は、空を見上げる。B29は、さっきよりもずっと低い高度で飛んでいた。無辜の都民まで巻き込みながら今なお、爆撃を続けるその巨大な機影を見ていると、収まっていた苛立ちがよみがえって来た。

「避難するのもいいが…このままやられっぱなしというのはしゃくだな…」

「あら?凪子先輩、今なんておっしゃったの?」

そういう吉乃に、凪子は不敵な笑みを返す。

「よし、四条姉妹はここに残ってくれ。残りはここの方たちを明治座まで案内するんだ。指揮は春江、君が執ってくれ」

「え、はい。それは構いませんが…あの、何をなさるおつもりで?」

「連中に一矢報いてやる…すいません、まだ使えるサーチライトはあるんですよね?」

「え?ええ、そりゃあまだありますけど…」

また突然話を振られた若い下士官兵はそういいながら改めて護国刀使の面々を眺めた。

「案内して下さい」

凪子はそういって公園内に入っていくと、

「ちょっと、待ってくれ!」

下士官兵がそういって凪子を追っていく。

「やれやれ…ついていかないといけないみたいね。じゃあ、私たちはあっちに行きます」

「春江さん、そちらはよろしく」

姉妹がそういうと、春江も頷く。

「ええ、それじゃ…あまり無茶はしないでね?」

「それは、あの人次第ですねえ…」

姉妹は苦笑して、凪子を追った。

 

 サーチライトはもちろん、高射砲もまだ使えるものがいくつかあった。光の帯の先に照らし出されて輝く銀色の機体を見て、凪子は薄く笑った。

「結構よく見えるものね。あれなら…行けるかもしれない」

「何が行けるんですか?」

「私たちに何をしろっていうんです?」

姉妹が揃って怪訝そうな顔をしている。凪子は上空の敵機を見つめたまま、

「あれを、叩き斬る」

そういうと、姉妹は黙ってしまった。

「奴らは完全に油断して高度を下げている。あれなら届く。私を打ち上げてくれ」

そんな二人に構わず、凪子は平然とそういった。

「な…!う、打ち上げるって、花火じゃないんですよ!?」

「そうです。いくら凪子先輩が無茶苦茶な人でもそれはさすがにありえませんよ!」

「二人の八幡力で私を打ち上げるんだ。私が助走をつけて跳ぶから手で受け止めて、一気に放り投げてくれ」

「凪子先輩!話を聴いて下さい!いくら何でもそりゃ無茶ですって!」

八重がたまらずそう叫ぶと、凪子は空を睨んだまま目を瞑る。それから、ゆっくりと姉妹の方を見据えた。

「百合子と希美は、多分死んだだろう。護国刀使、初めての殉職者だ」

「…状況を見ていないので何ともいえません」

「そうだったとして、それが凪子先輩を打ち上げることと、どうつながるんですか?」

八重と吉乃のいうことはいちいち最もだ。凪子は熱く、焦げ臭い空気を大きく吸い込んだ。

「二人を預かったのは私だ。だから、私が責任をとらなければならない。仇を討つ」

その、あまりにも簡潔な言い切りに、四条姉妹はまた言葉を失った。

「お前たちがいいたいことはわかる。これが私の独りよがりの自己満足だということもわかっている。だが…頼む、やらせてくれ」

姉妹は顔を見合わせて、同時に溜息をついた。そして吉乃が切り出す。

「もちろん、その気持ちはわからないではありません。それにあの高さなら…まあ、届くでしょう。でも、それでどうするんです?仮に上手く斬れたとしても機銃で撃たれるかもしれないし、爆発に巻き込まれるかもしれません。それにあの高さから落ちたら、いくら金剛身や写シがあっても無事で済むかどうか…」

「最近ラジオでよく聴く特攻隊をやろうっていうんですか?そういうことなら手は貸しませんよ」

凪子と姉妹は、黙って見つめ合う。それは剣を構えたまま互いの出方を窺っている時の様子とよく似ていた。仕掛けたのは凪子だった。

「この国はもう、終わりだとは思わないか?」

二人は、まだ無言でいる。

「ある人から聞いた話だが、この国はもういくらも持たないそうだ。どういう意味か、わかるか?」

「敵がやって来て、本土まで蹂躙される、ということですか?」

八重の答えに凪子は頷いた。

「そうだ。そしてこの国は滅びる。日本という国が、無くなるんだ。とても信じられないかもしれないが、そういう国は歴史上決して珍しくない。私たちは殺されるか、鬼畜共の奴隷になって世界中に売られていくんだ。例外なく全ての日本人が、だ」

大きな音と共に地面が揺らぐ。また、どこかに焼夷弾が落ちたのか、それとも大きな建物が焼け落ちたのか。

「だが、最後に、私たちが意地を見せてやることは出来る。奴らが本土に上陸したとしても、簡単に日本はやられない。刀使の力を見せつけてやれば、多少はマシな形で講和条約を結んで、この国を息長らえさせることができるかもしれない」

「…私たちの力を見せるために、B29を斬る、ということですか」

八重がまんじりともせずにそういった。

「そうだ。この日本には、B29を落とせる『人間』がいることを奴らに見せてやるんだ」

「そんなことを考えていたんですか…」

「そういえば、前に刀使は防衛には向く、というようなことをおっしゃってましたね…」

「私の考えに賛同してくれとはいわない。だが他に、もう道は無いと思う。協力してくれ」

姉と妹は互いを見て、その表情からどうやら同じ結論に至ったこと知った。

「わかりましたよ…個人的は他に道が無い、とは思いませんが、今は何も思いつきません。不承不承、やりますよ」

八重がそういうと、吉乃も頷く。

「ただ、一発勝負です。狙い通りに行くとは限りませんからね。外してしまったその時は、大人しく諦めて、下りてきて下さい」

「わかってるよ。それじゃ、頼む」

凪子は抜刀し、吉乃は右手を、八重は左手を空けて指と指を絡ませた。それぞれ反対の手は御刀の柄を握っている。少し後方に下がった凪子が、サーチライトの先に現れたB29を視認し、指さす。

「あれを狙う…行くぞ!」

駆け出した直後に迅移をかける凪子、吉乃と八重の身体にも八幡力が宿る。軽く跳んで、凪子は二人の手の平によるカタパルトに着地する。そして、

「はあああっ!」

渾身の力で飛び上がるのと同時に、

「やあああっ!」

「てえええっ!」

姉妹の八幡力がその身体を押し出した。刀使たちが隠世から授かった力が、淡い光の奔流となって目に見えた。その光の航跡を中空に残しながら、凪子は一瞬にしてB29の機体を眼下に捉えていた。圧倒的に巨大な機体…これほど巨大な飛行機など存在自体が信じられなかった。自分たちはこんなものを大量に造る国と戦っているのか…そう思うと背筋が凍る思いであったが、すぐに御刀を上段に構える。

「やあああっ!」

強風に煽られながらも、気合と共に落下する勢いで左の主翼に2発あるエンジンの、外側に斬り付けた。プロペラと主翼の間、ぎりぎりの所だ。手応えはあった、が、

「浅いか…!」

装甲が斜めに裂けたに過ぎなかった。歯噛みして悔やんだが一発勝負だったのだ。もう落ちるしかない…あきらめかけたその時、足元から黒い物体が浮かんで来た。空を狙ってしつこく跳んでいた荒魂だった。

「ふ…今日ばかりは、感謝するぞ…!」

荒魂を踏みつけ、既にかなり先に行ってしまっていたB29を睨んだ。

「届くか…!?」

そう口走った、その時だった。全身に、衝撃が駆け巡る。身体が分裂するかのような奇妙で激しい感覚…ほぼ一瞬で収まったものの、その瞬間に隠世と現世の境が曖昧になったのを、凪子ははっきりと感じた。そして、自分の身体に力が流れ込んでくるのを実感する。今なら、届く。

「逃がすかあっ!」

荒魂を踏み台にして、切っ先を向けて飛ぶ。先に斬り付けた時に生まれていた裂け目に、刃を突き刺した。刀身のほとんどがエンジンに埋まり、凪子は笑みを漏らす。その瞬間、爆発が起き、そこから炎が噴き出した。

 

「姉様、今の感覚は一体…!?」

「わかりません。八重、凪子先輩は…!?」

「一度斬り付けた後で、また取り付いたように見えましたが、その後は…」

二人は、火を吹きながら見えなくなっていくB29の姿を辛うじて見つけることが出来たが、凪子が果たしてそこから離脱することが出来たかまではわからなかった。

 

 

 店のすぐ近くに集中して焼夷弾が落ちた。咄嗟に張った写シ、そして発動した金剛身のおかげで泉美はほぼ無傷であったものの、周囲にいたはずの店の人たちが消えていた。激しい戦慄を覚えながらも、泉美は半壊している店舗へ駆け入る。

「直さん!おばあ様!」

「泉美さん、こっちです!」

すぐに返って来た直の声にほっとして進んでいくと、ガレキに半ば埋もれている二人の姿があった。

「直さん、大丈夫!」

「泉美さん…私は大丈夫だけど、おばあちゃんが…」

直の右手にはしっかりと宗三左文字が握られている。泉美と同様に、写シと金剛身で何とかなったのだろう。だが、その腕の中にいるタツは、爆風で飛び散ったガラス、くずれた家屋のガレキを下半身に受けて、身動きがとれない状態になっていた。

「あ、ああ…いや、こりゃあ…もうだめだ」

「おばあちゃん!しっかりして!」

「なっ…!おばあ様…!直さん、近くに焼夷弾が落ちました!すぐに火の手が迫って来ます!急いでおばあ様を!」

「はい!」

二人は八幡力を用いて必死にタツの身体を動かそうとガレキをどけていくが、どうやら腹部から下にいくつもの材木が刺さっているらしい、出血がおびただしい量になっていた。

「もういい、私はどの道助からない…二人共、早くお逃げなさい。店の連中はどうした?」

「わかりません。爆風をもろに受けたようで…」

タツは、その答えに力無く頷いた。そして、手にしていた毛利藤四郎の模造刀を直に手渡した。

「行きなさい、直。あなたは刀使として、まだやることがあるでしょう」

「え?何いってるのおばあちゃん…そんな、やだよ…!」

「あんたは本当に…優しくて、いい子に育ってくれたよ。私の自慢の孫だ…。せめて、あんただけでも生き残ってちょうだい…泉美さん、直を、頼みます…」

「おばあ様、まだ諦めないで下さ…!」

その時、泉美の透覚が新たな異音を捉えた。泉美は顔を上げ、それがさっきと全く同じ、いや、もっと近くに焼夷弾が落ちる音だと確信する。

「くっ…!おばあ様、直さんは、絶対に死なせません!」

そういった瞬間に泉美は渾身の八幡力で直の腹を抱え、その音から遠ざかるために迅移を発動した。一瞬だけ振り返ると、タツが笑って頷いたのが見えた。そして、次の瞬間には、全てが炎に包まれた。

 

 荒い息をつく泉美の腕から離れ、四つん這いの恰好で直は炎の中で崩れ落ちていく店の様子を見届けた。写シが切れ、火傷を負っていた身体のあちこちが正常に戻る。

「おばあちゃん…伯父さん、伯母さん…」

涙が、次々と溢れてくる。その後ろで、泉美が御刀を納める音がした。

「ごめんなさい、直さん。私の事は恨んでくれてもいい、でも…」

泉美もまた、顔を伏せて泣いている。直は、振り返りもせずに、首を振った。

「わかってる。ごめんなさい、泉美さんにまで辛い思いをさせてしまって…本当に…」

膝をついたまま半身を起こし、傍らに置いていた宗三左文字を納め、毛利藤四郎の模造刀を抱きしめた。そこには、祖母の血が残っていた。それを見て、何かが外れる。

「う、うぅ…ああああああ!」

炎の中に、直の慟哭が響いた。

「おばあちゃんが、おばあちゃんが何をしたっていうの!ここでただ暮らしてた人たちが、何をしたっていうのよ!」

それは悲しみのようで、怒りのようでもあったが、

「こんなの酷い…酷過ぎるよ…」

実際にはあまりにも深い絶望、であった。

「直さん…行きましょう。ここは危険です…」

泉美はがっくりと首を垂れた直の腕を掴み、その身体を引っ張り上げようとしたが、直はその手を振り払った。

「だめ、おばあちゃんが…お店の人たちが…」

「直さん……。しっかりなさい!ここで直さんまで死んでしまったらどうするの!おばあ様たちはそんなこと、望んでない!」

直には、何も言葉が浮かばなかった。今、この現実を受け止めきれていないのだ。これからどうするべきかなど、考えが及ぶはずもなかった。

「あなたをここで、死なせるわけにはいかないの!」

泉美は再び直の腕を掴む。もう、直には抵抗する意思すらなかった。引かれるまま、その場を離れる。するとすぐ後ろから、荒魂さんが飛んで来た。

「あなた、無事だったのね…!」

泉美がそういうと、荒魂さんは「ギギ」と短く返事をして、直の肩に止まった。

「荒魂…さん?」

直がそういうと、荒魂さんは何度も頷くような素振りを見せた。よく見れば、尻尾の一部が欠けている。

「そっか、荒魂さんも…」

直は、そこで頭を振り、立ち止まった。

「泉美さん、大丈夫です。自分で走れます」

「そう、ですか…わかりました。でも、はぐれないようにしないと」

泉美は一旦直の腕を離したが、今度は手を繋いだ。

「これじゃ、すぐに御刀を抜けないんじゃないですか?」

「いいから、行きますよ!」

泉美の口調が少し強かったのは照れ隠しのようだった。直は大人しく従い、それから二人と一匹は、掘割の辺りまで駆け戻った。そこで、

「泉美先輩、直先輩!」

聞きなれた声に呼び止められる。

「五十鈴さん、美千代さん!何でこんなところに!」

宮城方面に向かったはずの後輩刀使たちだった。

「何でって荒魂の反応があって…それ、荒魂ですよね?」

立ち止まった直の肩でぴょんと跳ねた荒魂さんを指して、五十鈴がそういった。

「え?ああそうね。でもこれは気にしなくていいわ。害意のない子だから。それより、どうしたの?宮城の方は大丈夫なの?」

「害意が、ない…?」

五十鈴はそういって、同じく不思議そうな顔をしている美千代と顔を見合わせたが、

「えっと、とりあえず宮城は大丈夫みたいです。ただ…」

「東京駅が燃えていて大分遠回りしないといけないんです」

取りあえず荒魂の話は置いておき、質問に答えた。

「そう…だったらどこに逃げれば…」

「上野の方面が空襲を免れているそうです。警察の人たちがそちらに誘導していました」

美千代の答えに、泉美は考え込む。ここからだとほぼ真北に進むめば上野に出るだろう。炎に包まれて周囲の様子はすっかり変わっているが、ここ数年数えきれないほど警邏をしてきただけあって、方角に迷いは無い。だが、

「上野、ですか…ここからだと結構距離がありますね」

「でも、丁度神田を通ることになります。直先輩もその方が…」

「あれ、直先輩、どうかされたんですか…?」

さすがに後輩たちも直の様子に気付いたと見える。泉美は溜息をついて繋いでいた手を揺すった。

「ほら、直先輩、しっかりして下さい。神田にいってみましょう」

泉美がそういい、直の肩にとまっている荒魂さんもなにやらギイギイとわめく。ようやく、直が口を開く。

「ああ、そうですね…はい…行きましょう」

泉美はまた、溜息をついて手を離し、直の両肩をつかんだ。

「直さん、割り切れ、なんていいません。でも、私たちは生きているんです。だから今は…生き延びる事だけ、それだけを考えることにしませんか?」

「泉美さん…はい、すいません。わかりました」

何か余程のことがあったのだろうと、五十鈴と美千代は思ったが、今はそれを聞く時ではないらしい。二人は顔を見合わせて頷くと、先輩たちの前に立った。

「私たちが先に進みます。行きましょう」

「ええ、お願い」

美千代の言葉に泉美が答え、後輩二人が頷いたその時、

「あれ、子供の声…?泉美先輩、どこかわかりませんか?」

五十鈴がそういった。確かに燃え盛る炎の音に混じってか細い泣き声が聴こえる。

「ええ、ちょっと待って…あそこね!」

蛍丸の柄を握りながらそう答えた泉美の言葉通り、細い路地の奥に入ると、バケツの水に足を浸している小さな女の子の姿があった。

当時、どこの家の前にも防火用に水の入ったバケツを置いていた。いざ空襲の際にはこうした防火用水を使ってバケツリレーを行い消火に努めるよう、当時の「防空法」という法律で定められていたのだ。もちろん、焼夷弾の火がそんなもので消えるはずもないことは文字通り火を見るよりも明らかであったのだが、実際にはこの法律を守って消火活動を優先したばかりに犠牲となってしまった人が多く出た。

「あれ、あなた…」

五十鈴がそういって駆け寄り、しゃがみ込む。

「あ、さっきの…」

間違い無い、五十鈴に声をかけて来た男が連れていた女の子だった。

「どうしたの、お父さんは?」

「とちゅうではぐれちゃって…足があつくてもうあるけなくて…」

女の子は涙声で、だがはっきりとした口調でそういった。

「そっか…よし、じゃあお姉ちゃんがおぶってあげる。一緒に逃げよう」

五十鈴がそういって、くるりと背を向けた。

「え…でも…」

「いいからいいから、私ね、弟や妹のことよくおんぶしてたから慣れてるの。ほら、遠慮しないで、おいで」

女の子は、他のお姉さんたちの様子を窺う注意深さを見せてから、

「はい、よろしくおねがいします」

そういって、その身を五十鈴の背に預けた。

「うんうん、あ、そうだ名前をまだ聞いてなかったわね。私は篠原五十鈴っていうの。あなたは何ていうの?」

「橿原サトっていいます」

「かしはら…かしって、あの難しい字?」

「そうです。木へんのむつかしい字です。でももう、わたし、かけるんですよ」

「へー、すごいじゃない。サトちゃんは今いくつなの?」

「5つです」

「お、それでそんな字が書けるんだ、すごいね」

その五十鈴の様子を見て、刀使のお姉さんたちは感心する。なるほど、確かに小さい弟と妹がいるというだけあって子供の扱いが上手い。あっという間にサトちゃんは五十鈴の背中で笑顔になっている。

「それじゃ、改めて行きましょうか。五十鈴さん、サトちゃんは交代でおぶりましょう」

「そうですね。よかったねサトちゃん、いろんなお姉さんにおんぶしてもらえるよ」

「はい…ありがとうございます」

この新たな道連れが加わったことで、直は少し落ち着きを取り戻した。

「こんな小さな子だって、頑張ってる…この子たちを守るためにも、私も頑張らないと…」

自分に言い聞かせるようにそういうと、隣で泉美が笑っていた。

 

 どうやら、上野の方が無事という情報は多くの人たちにもたらされていたらしい。直が後ろを振り返ると、また、人波が大きくなっていた。既に千人単位になっているだろう。走る刀使の少女たちの後ろには、いつの間にか多くの人々が付いて来ていた。

「何だか妙なことになってきましたね…」

「ええ、まあそれはともかく…これじゃ直さんの実家を確かめに行くのは難しいですね…」

泉美の言葉に直は頷いた。今は丁度神田の辺りだが、留まる所を知らない炎に視界が遮られ、周囲の様子が全くわからない。こうなってはもう、両親が無事に生き延びてくれていることを祈るだけだった。兄が一緒ならきっと大丈夫だろう、そう思うしかない。

「ああ、もう無理はしなくていいです。この火の回りじゃあ…今更行った所でどうなるものでもありません」

燃え上がる炎の脅威はもちろんであったが、空気中には大量に火の粉が舞っており、それがまた衣服や髪に引火するため、非常に恐ろしいものだった。周辺の空気はこの火の粉が濃いか、それとも非常に濃いかのどちらかでしかない。刀使たちは写シを張り、火の粉を払いながら進むので、多くの人々がその後を追って来るのはわかる話だが、もう一つ、人々が付いてくるのには理由があった。

「周りの荒魂も、増えていますね…」

美千代がポツリとそういった。いつの間にか、人々を囲むようにして大小様々な荒魂たちが、直たちに付いて来ていたのだ。しかもどういうわけか、人を襲う素振りは一切ない。よくわからないが、たとえこの荒魂たちに襲われることがあっても刀使と一緒ならば問題は無い…そう考えるのも普通だろう。つまり多くの人々からすれば、少女たちに付いて行くのが最善の選択だったのだ。

「ええ、一体何が目的なんでしょう…荒魂さん、どういうことなの?」

直は、相変わらず肩に止まっている荒魂さんに、同類たちの意図を尋ねた。荒魂さんはたまに左右を見渡してギイギイと鳴いているので、何かしら意志を疎通させているようなのだが、直の問いには首を傾げるような様子を見せるだけだった。

「それにしてもB29の高度が随分下がっていますね…高射砲も味方の戦闘機も何をやっているんでしょう…」

「あの、泉美先輩、こんな時とはいえ発言には気を付けて下さいよ…」

それを聞いた美千代がクスリと笑い、五十鈴ににらまれる。

「ちょっと美千代さん、私がこんなこというの、おかしいですか?」

「いえ、五十鈴さんはこんな時でも真面目なんだな、と思いましてね…えーっと、あれ、万世橋ですよね?ということはあれを渡れば秋葉原、ですか?」

話題を逸らそうとする美千代の様子に直は少し笑いながら後ろを振り返った。この速度で走り続けるのは子供やお年寄りには厳しいだろう。だが、上野が無事だというなら、秋葉原から向こうは、少なくともこの辺りよりはマシな状況だと思われる。それまでは、何とか頑張ってほしい。直は、後ろの人々に向かって大声を張り上げた。

「皆さん!神田川を渡れば火の勢いも収まってくるはずです。もう少し、頑張って下さい!」

その声に、おおっという返事が響き、人々の表情が明るくなった。

「ええ、そうですね。もう少し、頑張りましょう」

泉美が頷いてそういう。刀使たちもまた、直の一声に明るい顔になった。

「はい、ここまで来て死ぬのは御免ですよ。ね、サトちゃん!」

五十鈴が美千代の背にいるサトの頭に手を置いてそういうと、

「あ…はい!」

サトは元気に返事をした。誰もが、きっと何とかなる…そう思った矢先だった。

烈風、とでもいえばいいか、全員の足を止めるほどの風が北から吹き付けた。

「くっ、息が…!?」

呼吸すらも許されないほどの空気の激流に顔をしかめ、確かめるようにその風の向かった先を見て、直は我が目を疑った。

「え…?火の、竜巻…!?」

渦巻く炎が編み出した天を衝くほどの巨大な竜巻が、突如として現れていた。

「何ですか…あれ!」

「え、こっちに向かって来る!?」

後輩刀使二人が狼狽する。後方の人波が、混乱と共に崩れつつあった。

火災旋風、という現象は大規模な火事の際に起こることが知られている。

この夜、周辺の可燃物を巻き込んだ炎が次々と合わさり、あまりにも巨大になってしまったその炎は、自らの存在を維持するために酸素を欲して周囲の空気をも吸い込み始めた。結果として四方の空気がこの炎に巻き込まれ、はるか上空にまで達する巨大な火の渦が発生した。まさに火災の極致、とでもいうべき現象であった。

「何かわかりませんけど、あんなのに巻き込まれたらお終いです!とにかく急ぎましょう!」

泉美がそういったが、完全に取り乱してしまった人々が立ち止まっている刀使たちを我先にと追い越し始めた。人波にもまれ、身動きが出来なくなっている間にも炎の渦は近づいてくる。

「ちょっと、皆さん落ち着いて!きゃあっ!」

転びそうになる五十鈴の手を、直が取る。

「……皆さんも、このまま行ってください。殿は、私が務めます」

「ちょっと直さん、殿って、何を…」

ゆっくりと、左右にうねるように動きながら迫って来るその火の渦が、実家の方角からやって来ているのが、直にはわかっていた。どうやらもう、失うものは無くなったようだ。

「せめて、あれに一太刀浴びせて火の勢いを鈍らせようと思います」

「な…何をいってるんですか!そんなことであの火が収まるわけないでしょう!?」

「じゃあ、逃げ切れると思いますか?あれから」

直がそういうのを、泉美は否定できない。彼女らの合間を縫っていく人々の波が万世橋を一度に渡り切るのは、残念だが、不可能だ。橋の手前には人が溢れ、身動きが取れなくなるだろう。どの道、あの炎の渦に呑まれるのは時間の問題、ということだ。

「だったら、ちょっとあれに斬り付けてみよかと…こう、物凄く速い斬り込みで真空を作れば、火が消えるかもしれませんよ?」

「真空って…はあ…でも、そうですね。もうこうなったらやってみますか」

泉美は溜息交じりにそう答え、直の隣で蛍丸を構えた。それを見て、美千代が背にいるサトを下ろす。

「よいしょっと…ごめんね、こんな所で下ろしちゃって」

「サトちゃん。お姉さんたち、ちょっと頑張ってみるから、ここで待ってて」

サトはひどく不安そうな表情を浮かべたが、それでも、お姉さんたちの表情に合わせて、ぐっと口をつぐんで、頷いた。

「あれ、泉美さんはともかく、五十鈴さんと美千代さんはいいんですよ?」

「いえ、真空斬りなんて時代劇みたいで格好いいじゃないですか。ちょっと、やってみたいんですよね」

「真空斬りはともかく、人々を護るのが刀使の役目ですから。御付き合いいたします」

五十鈴と美千代がそういって、それぞれ直と泉美の隣について構えた。

「もの好きな方たちですね…それじゃ直さん、いいですか?」

「ええ…あ、荒魂さん、あなたもお仲間を連れてお逃げなさい」

直がそういって肩の荒魂さんの頭をつつくと、荒魂さんは直たちの前方に飛び降りた。そして、「ギイッ、ギィッ!」と左右に呼び掛けるように、嘶く。

「え?荒魂さん?」

直がそう声をかけると、荒魂さんは一度こちらを振り返って、大きく口を開いた。

「あれ…笑っている…んですか?」

泉美の言葉に直は構えを解いた。

「荒魂さん!ちょっと、何をする気!」

荒魂さんは直の言葉を待たず、炎の渦に向けて駆けた。その後を追うように、大小様々な荒魂たちが刀使たちの横をすり抜けて荒魂さんの方へ集まっていく。そして、

「んっ!?」

「何ですか、これ!?」

刀使たちを奇妙な現象が襲う。自分の前と後ろに自分が見える…そして、全身に不思議な感覚が宿っていた。この場の4人は知る由も無かったが、これは大荒魂が現れる時、刀使だけに発生する現象であった。隠世からの力が一時的に大量に現世に流れることで二つの世界の境界が曖昧になり、隠世から力をもらっている刀使たちに影響が出るのだ。それを証明するかのように、目の前では多数の荒魂たちが折り重なり…巨大な龍のような姿をした大荒魂が現れていた。

「あ…荒魂さん…」

巨大な龍の大荒魂は、もうギイギイとは鳴かない。低い咆哮を上げて、炎の渦にその身を絡ませながら上昇していく。竜巻に、龍が巻き付いていく。同時に、その場の4人の刀使たちの頭には、その巨竜の意志が流れ込んできた。

「斬れ…?」

「自分を斬れ…?」

「何これ、あの龍の荒魂が、そういってるっていうんですか!?」

泉美、美千代、五十鈴が直の方を見る。

「そうですね、そういっているようです。自分を斬って、この炎を、周囲の熱エネルギーを隠世に送れ、そういっています」

直は宗三左文字を一度振り、構え直す。

「信じましょう、あの荒魂たちを」

「刀使が荒魂を信じる…ですか。そうですね。荒魂を斬った時に、荒魂の意志は霧散して隠世に流れる、という説もあります。その時に熱を持って行ってくれるのかも…賭けてみましょう、荒魂たちに。五十鈴さん、美千代さん、あなたたちは下半分を斬って下さい。私と直さんは、龍の身体を昇ります」

「ええ、行きましょう。五十鈴さん、美千代さん、よろしくね!」

直がそういった直後に、二人は後輩刀使たちの返事も聞かずに共に迅移で龍の身体が描く螺旋を、跳びながら昇って行った。

 

「全く…とんでもない先輩たちですね…」

美千代がぽつりと呟く。

「ええ、あの二人って何だかんだで少し似ているんですかねえ?」

「ふふ、そうかもしれません。さ、私たちもやりましょうか」

「ええ、とんでもない先輩の後輩ですからね!」

美千代と五十鈴はそういって笑い、荒魂に斬り込んでいった。

 

 直と泉美は龍の身体を斬り付けながら、跳躍を繰り返す。

「何ででしょう、あんまり熱くないですね」

「そうですね、やっぱり隠世との関係があるんでしょうか」

炎のすぐ脇を跳んでいるにもかかわらず、不思議とさほど熱を感じない。ふと、周囲を見回すと既にかなり高い所まで上がってきているのがわかる。そして、東京の下町が少しの隙間も無く焼かれていることも、よくわかった。驚いたことに、同じような炎の渦が他にも数本上がっている。

「ここの炎がなくなれば、逃げ道ができる…!」

「ええ…!直さん、見えましたよ、頭です!」

二人は炎の頂点と、龍の荒魂の頭にまで上り詰めた。龍の頭は、何となく荒魂さんに似た形をしていた。

「首は私が狙います。直さんは、頭を!」

「了解です!」

まず泉美が跳び、横一文字に首を斬る。そして、直が飛んだ。

「ごめんね、荒魂さん…。私の刀使の力を全部あげる。だから…この炎を連れて行って!」

空中で対峙した大荒魂の頭は、やはりそこでも大きく口を開けた。

「はあああっ!」

全身全霊の力を込めて、直は宗三左文字を斬り下ろした。龍の頭が真っ二つに分断され、それより下、刀使たちによって全身に入れられた斬り込みからノロが弾けだす。それはほとんど爆発のようであった。身体の各部でノロが噴き出し、荒魂としての形を保てなくなるその一瞬に、抱いていた炎が、削り取られるようにして消えて行く。

直と向き合っていた巨大な頭もそうして炎を呑み込んだ…その時、直の目の前にここではないどこかの空間が広がった。

 

 前をひょこひょこと進む荒魂さんの行く先に、よく知った後ろ姿が3つ、並んでいる。

「父様!母様!おばあちゃん!」

直の呼び掛けに、3人はこちらを振り返り、驚きながらも笑顔を見せた。

「よかった、よかった…もう、会えないと思ってたのに…!」

駆け寄る直に父と母は顔を曇らせ、首を横に振った。直の足が、そこで止まる。3人の足元には何か霞のようなものが流れていて、それが明確にこちらと向こうを隔てていた。ここがどういう場所なのか、直にはわかった気がした。

「そう…私はまだ、そっちには行っちゃいけないのか…」

タツが片手を上げて、ニイっと笑った。3人との距離が、ゆっくりと開いていく。

「おばあちゃん…」

直はいつの間にか溢れていた涙をぬぐい、祖母と同じ笑みを浮かべた。

「私もそっちに連れていってほしいけど…でも、そうじゃないんだよね。大丈夫、私、父様、母様、おばあちゃんの分もしっかり生きて行くよ」

父と母が、涙を浮かべて何かを言っているようだが、何も聞こえては来ない。直は今、伝えなければいけないことを必死に考えて、叫んだ。

「ありがとう、今まで育ててくれて、本当にありがとう…!」

声の限りにそう叫び、懸命に手を振った。

最愛の両親と祖母は、やがて霞の向こうに見えなくなる。手を下ろしまた涙を拭いながら足元を見ると、そこには荒魂さんがいる。直の様子を、黙って見ていたようだ。

「荒魂さん、ありがとう。最後に父様と母様、おばあちゃんに会わせてくれたんだね…ごめんね、斬っちゃって。でも、あなたたちのような荒魂がいたこと、忘れないよ。いつかきっと、また現世に出て来てね。刀使と荒魂は分かり合えるんだって、みんなに見せてあげよう」

荒魂さんは欠けた尻尾を振って「ギギィ」というと、お前は向こうだ、とばかりに顔を向けて示した。直は頷いて、踵を返した。

 

「大丈夫ですか、直先輩!」

「ん…私…」

気が付くと、五十鈴に抱えられていた。五十鈴の腕から身体を起こして地面に足をつけ、それから目尻に涙が残っていてるのに気付き、急いでそれを拭き取る。

「そっか…落ちて来たのを受け止めてくれたんだ、ありがとう」

「いえ、ケガが無くて何よりです。それより見て下さい。この辺りの火が本当に消えました!今のうちです!」

周囲を見回すと、確かに火も火の粉も無い。少し距離を置いたところに泉美と美千代の姿もあった。直は何も無くなったその一帯を少し、眺めてから、

「そうですね…行きましょう」

上野の方へ、前へ、顔を向けた。4人は足を引きずりながら歩いて来たサトを迎えて、全員で上野へ急いだ。

 

 

 多くの人々が、半ば茫然としながらその光景を眺めていた。上野恩賜公園から望む東京の下町は、昼間のように明るい。幾筋もの煙が立ち上り、ここまで焦げた臭いがやってくる。あの中にまだ、どれほどの人がとり残されているのだろうか。

「アメリカ人も…人なんですよね?」

無数の煤と火傷にまみれた手足を見ながら直がそんなこというと、

「どうでしょう…鬼畜、というのもあながち言い過ぎではないのかもしれませんね…」

灼けた髪を押さえながら、泉美がそう答えた。

「人が、人にここまでのことができるなんて…いくら戦争だからって…」

「ええ、サトちゃんみたいな、何も知らない小さな子だって沢山いるのに…」

美千代と五十鈴が、サトを抱きながらそういった。そして、全員がその場に座り込んでしまう。もう、疲労の限界を超えていた。

 この夜、東京では10万人以上の人が死に、100万人以上の人が家を失った。火は夜明けまで燃え続け、燃える物が無くなってようやく収まるという有様だった。街は文字通り灰燼に帰し、辛うじて生き延びた人々もその多くが家族を失い、財産を失って、過酷な生活がだけが残されることとなる。

だが今は、明日のことさえ考える余裕もなかった。

「何とか、隊舎に帰らないと…」

「ええ、でも、身体が、もう…」

直と泉美がそんな遣り取りをしている横で、五十鈴と美千代、それにサトは既に舟を漕いでいた。直と泉美はそんな様子を見ながら笑い合い、そして、そのまま意識が眠りに絡め取られていった。

 

 

 

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