一夜明けて、白日の下にさらけだされた被災地の惨状は目を覆わんばかりだった。最早建物らしい建物は残っておらず、燃え続けて黒焦げとなった死体が至る所に転がっていた。未だ、燻っている火もあり、街全体が焦げ臭い。生き残った人々は自分の家を、家のあった場所を目指して足をひきずるようにして歩いていた。
大火を逃れた刀使たちもまた、隊舎への帰路を急いでいた。途中、街の復旧のために出動していた仲間たちと出会えば、再会を喜び合ったが、結局その日の夜になっても戻らない刀使たちがいた。甲斐百合子、島田希美、そして早乙女凪子の3名だった。
一体どれほど眠っていたのだろう。目を開けて周囲を見回すと、そこは4床のベッドが並んでいる明るい部屋だった。ただ、自分の分を除く3床は空いている。こんな部屋は隊舎には無いから、どうやら病院にでも運ばれたらしい。
空襲の翌朝、やっとの思いで隊舎まで戻ったことは覚えている。だが、直にはそこから先の記憶が無かった。上半身を起こしてみると、誰かが寝間着に着替えさせてくれたということと、腕にいくつもの火傷の跡があることがわかった。あの夜のことは、悪夢では無いらしい。小さく溜息をついて窓の外を眺めると、木々の間で鳥がさえずっている。
「東京じゃない…のかな?」
少なくとも、あの地獄絵図のようになってしまった町並みは窓からは見えなかった。そんなことを考えていたら、部屋のドアノブが回り、
「あ、直さん!目が覚めたんですね!」
「直、無事だったか!」
泉美と、兄の司がそういいながら雪崩れ込んできた。
「泉美さん、え、兄さま…なんで?」
「何で、じゃない、全く心配したんだぞ!近衛祭祀隊の隊舎に行ったら意識不明で病院に運ばれたというから…!」
「ああ、でも本当に良かったです。あれから全く目を覚まさないからもうどうしようかと思っていたんですよ…!」
二人の様子は真剣そのものだった。
「ええっと…ご心配をおかけしたようですいません。何とか隊舎まで戻った所までは覚えているんですけど、その後…どうなったんですかね?」
「ああ、そうね…直さんはその時倒れてしまったんですけど、私たち…私と五十鈴さん、美千代さんも似たような状態で、結局4人でこの市川の陸軍病院に運ばれたの」
「ああ、ここ、市川だったんですか…とういうことは空いてるベッドには…」
「ええ、私たちがいました。昨日までは、ね。私たちは一両日ゆっくり寝たらほぼ回復しました。ただの疲労だったみたいです。でも、直さんは全然目を覚ましてくれないからどうしたんだろうって…一旦隊舎に戻ったら今朝、お兄様が見えて…」
泉美がそういいながら、上半身を起こしたままの直の背中に毛布を掛けた。
「まあ、何にしろ無事でよかった…。直、俺が何故隊舎に行ったか、わかるか?」
「うちのことと、おばあちゃんのこと…かな?」
兄は頷いた。
「おばあ様のことは…ここに来るまでに泉美さんから聞いた。それで、父様と母様のことだが…」
「大丈夫です兄さま、わかってる。助からなかった…んだよね?」
兄と泉美が驚いたように顔を見合わせた。
「何だ、知っていたのか?」
「知っていたというか…兄さまの様子を見ればわかるし…」
「そうか…そう、そういうことだった。遺体はニコライ堂に運ばれていてな。昨日、確認して来た。運んでくれた人の話では、父様と母様は折り重なるように倒れていたそうだ…」
「そっか…兄さまは、あの時、どうしていたの?」
「前の日からずっと市ヶ谷台に詰めていてな…俺がいれば、こんなことには…」
直は、首を振った。
「兄さまだけでも生きてくれてて良かった…」
それ以上は、言葉にならなかった。父と母は、もうこの世にはいない。はっきりと突き付けられてみれば、やはりこれほどにつらく、悲しいことはなかった。だが、不思議と涙は出てこなかった。自分の感情の輪郭が、ぼんやりと歪んでいる。つらい、悲しい、それは理解できている。わかっている。だが、それだけだった。
「直…?」
俯いている直に、司が怪訝そうな様子を見せた。兄としては妹が泣きついてくる、くらいに思っていたのかもしれない。
「あの、直さん、何といっていいのか…」
目を伏せてそういう泉美が、宗三左文字を持って来ていることに直は気付いた。
「いえ、何とか大丈夫です…。泉美さん、左文字、貸してくれませんか?」
「え?ああ…ごめんなさい。目が覚めない以上、ここに置いておくわけにはいかなくて」
「そうですね…でも、今日持って来てくれたんですよね」
直は愛刀を受け取りながらそういい、柄に手をかけた。半ばわかってはいたが、嫌な感覚だ。目を瞑り、刀身を一気に引き抜く。鞘を傍らに置き、両手で構えるが、何の変化もなかった。泉美がすぐにその様子に気付く。
「直さん…!」
「やっぱり…ダメみたいですね、もう…」
「ん?どういうことですか?」
司がそういって直と、泉美を交互に見た。
「兄さま、私、刀使の力を使い切っちゃったみたい」
諦めたように笑いながら直はそういい、ふっと溜息をつきながら、納刀する。
「直さん、そう判断するのはまだ早いですよ。きっと、力がまだ完全に戻っていないんです。少しゆっくり休めば…」
「どう、ですかね…」
あの時、大荒魂の頭を割った時に垣間見たのは幻ではなく、隠世の入り口だったのだと、直は思っている。いわゆる「あの世」と隠世が同じものかどうかは知らないが、そんなところへ一瞬でも足を踏み入れるためには膨大な力が必要だったとしても不思議はない。
「直さん、ともかく左文字は置いていきます。また折を見て試して見て下さい」
「そうだな…一週間はゆっくり休んでおけ。入院の手続きは俺がしておく」
「入院…か…」
直は、ぼんやりとそういった。確かに、それも悪くないかもしれない。こんな自分が戻ったとしても、何の役にも立たないだろう。
「はい。ゆっくり休んで下さい。着替えも持って来ています。隊には私から報告しておきますから」
「はい…あの、泉美さん、凪子先輩と百合子先輩、希美さんは…?」
泉美は、沈痛な面持ちで首を振った。
「まだ…戻りません。春江さんたちも大けがをしていて、しばらくは動けない状態です。あ、でも吉乃さん、八重さんは元気です。サトちゃんも直さんにお礼がいいたいって、いってますよ」
「そう、ですか…」
そういって、直はぼんやりとした頭で天井を仰いだ。心に大きな穴が空く、とはよくいったものだと思う。
「今は余計なことは考えるな。とにかく休め」
「ええ、そうして下さい…」
泉美がそういって、直の上半身を寝かせて布団をかけた。直はされるがまま、再び横になる。
「わかりました…兄さま、泉美さん、ありがとう…」
兄の言う通り、何も考えていたくなかった。直はゆっくりと目を瞑る。
「ああ、また来る」
「ええ、お休みなさい…」
二人が出て行く。直はまた、ゆっくりと眠りに落ちて行った。
「済まなかったな、泉美さん。付き合ってもらって」
病院の廊下を進みながら、三歩先を歩く司が振り返って、そう声をかけてきた。
「いえ、着替えを持ってこようと思っていましたから、こちらこそ助かりました」
泉美はそういって、頭を下げる。二人は、ここまで司の出した車で来ていた。一応、軍の病院の様子を見に行くという名目らしく、司は陸軍の公用車を借りていた。
「いやいや、こういう時、男は気が回らなくて…いつも気遣いいただいて感謝の言葉もありませんよ」
司が軍帽の鍔に手をやりながら一礼し、それからまた歩き始める。泉美は、それを受けて立ち止まったまま、動けなくなった。こんな風に年下の女に向かって頭を下げるなんて、やはり変わった人だと思う。そして、今日はずっと自分の胸が高鳴っていることに今更ながら気が付く。
「お兄様、あの…」
無意識に、言葉が出ていた。しまった、と心の中で思う。
「ん?何です」
司が再び立ち止まり、振り向く。いいたいことはいくらでもあった。だが、頭の中まで熱くなって考えがまとまらない。司はそんな泉美の様子を見ながら完全にこちらに向き直った。穏やかな笑みを浮かべていた。それを見て、泉美は自分の言いたかったことが、ごく簡単なことだとわかった。
「いえ、その…直さんもいっていましたが、お兄様が生きていてくれて良かった…です」
もう、まともに司の顔を見ることも出来ない。泉美の視線は完全に病院の床に落ちていた。
「はは…ありがとうございます。しかし正直、父や母と一緒にいられなかったのは悔やまれます…これからもずっと、そのことは考え続けるでしょう。全く、運がいいのか悪いのか…」
「そんなこと…」
司は自嘲気味に笑い、
「私の同期や友人たちは大陸や南方で立派に戦死を遂げています。なのに自分は…ぬくぬくと内地で暮らしているにもかかわらず、祖母や両親すら守れなかった…傷心の妹にも何もしてやれない…。こうして自分だけおめおめと生き延びているのが嫌になります」
そういって、前を向いて進もうとする。その背中に、泉美は思わず叫んだ。
「そんなことを言わないで下さい!」
司が、振り返る。今度は、その司の眼をしっかりと見据えて、泉美は続ける。
「あの空襲は、本当に酷いものだったんです。お兄様がいても、お父様やお母様を助けられたかどうかなんてわかりません!私たちだって、何度ダメかと思ったか…!」
「泉美、さん…」
泉美は、あの日の光景をまざまざと思い出していた。
「私は、お兄様が生きてくれて良かったって、いったんです!だから、そんなこと、そんな悲しい事をいわないで…下さい…」
咄嗟に爆発してしまった感情のせいで、泉美の目からは涙があふれていた。
「私だって…刀使なのに、友達のおばあ様やお父様、お母様を、助けられなかった…!」
そういった次の瞬間、泉美の顔は司の胸にあった。
「すまない、泉美さん。俺は本当に、なんてつまらないことを…」
その胸で少しだけ泣き、それから身体を離す。
「あの、すいませんでした…取り乱してしまって…それに、失礼なことを…」
「いえ、お陰で目が覚めました。俺は俺なりに、この戦争に向き合ってみます」
「はい…」
司は、泉美の両肩に手を置いた。
「こんな思いは…もう誰にもさせたくないですからね」
泉美は涙を拭いながら、しっかりと頷いた。
三日が過ぎた。直の身体はもう完全に回復していたが、やはり刀使の力が戻る兆候は無い。直は、自分の精神状態があまり良くないことを自覚していた。夜中に息苦しくて起きることがあった。自分のいうことを聞かなくなってしまったこの御刀で、いっそ自分の命まで断ってしまえば楽になるのではないか、という考えまで頭をよぎったことすらあった。祖母、父と母、さらに刀使の力まで失ってしまったことが、自分で思っている以上に深い心の傷になっているのだ。さすがに鬱々としたこの気分を晴らさなければどうにかなってしまいそうになってきたので外に出てみようとしたが、軍の病院だけあって外出には面倒な届け出が必要らしい。聞けば屋上が解放されているとのことなので、草履を履き、どてらを羽織ってそちらへ向かった。
少し肌寒いがよく晴れていて風も無い。大きく深呼吸をして眼下に広がる景色を見ると、少しずつ、草木が芽吹いているのがわかる。思わず、背伸びをする。
「ああ…やっぱり出てきてよかった…。ん?この音…」
その時、聞き慣れた鋭い音が耳に入って来た。大きな貯水槽を回って音の方へ向かうと、一人の少女が真剣を振っている。完全に同業者と思われたが、見たことの無い顔だ。上は制服、下はもんぺという一般的な女学生の出で立ちで、どこかの組織に所属している刀使には見えない。陰からじっと観察していると、かなり独特の動きをしているのがわかる。古流だろうか、見慣れない構えから繰り出される突き技が鮮やかだ。
「何か、御用ですか?」
一連の動きが終ると、刀使と思しき少女が、振り向きもせずにそういった。とっくに気付かれていたらしい。直は、少しばつが悪そうに前に出る。
「あ、お気づきでしたか…。あの、すいません。別に盗み見する気は無かったんですけど、きれいな型だったもので…」
「あら、そうですか?私、そんなにきれいでしょうか?」
「いえ…その、何というか、剣捌きの方です…」
「ああ…」
「あ、いえ、もちろんとてもおきれいですよ、はい!」
奇妙な沈黙が、二人の間に流れる。相手の少女は直と同じくらいの年頃だろう。つやのあるおかっぱ頭に、赤みがかった大きな瞳が輝いている。身長は直より少し低い程度だが、細身のために小柄に見えた。そして特徴的なのはその御刀だった。刀身の先端から半分が、両刃のような造りになっている。そんな御刀を、直は見たことが無かった。
「ええっと、すいません、私は刀使…というか一応刀使で、そう、護国刀使をやっています、来栖直といいます。お見かけしたところあなたも刀使のようですが…」
それを聞いて、少女の顔がぱあっと明るくなった。
「護国刀使の来栖直さん!?本当ですか!」
少女は、御刀を手にしたまま駆け寄ってきた。
「あなたが、護国刀使でも屈指の実力者といわれる…」
少女は、目をきらきらと輝かせて直の身体をすみずみまで見る。直としては、少しいたたまれず、その目を反らしにかかる。
「あの、それ、珍しい御刀ですね。銘は何ていうんですか?」
「ああ、これですか?小烏丸っていうんです。面白い作りでしょ?平安時代に打たれた古い御刀なんですよ。あ、すいません、まだ名乗ってもいませんでしたね。私は柊真知子、と申します。どうぞ、よろしくお願いします」
柊真知子と名乗った少女は息もつかせぬ勢いでそういってから御刀を納め、頭を下げた。なかなかに、元気な子のようだ。
「あ、はい、こちらこそよろしくお願いします。ところで、あなたも刀使、なんですよね?どうしてこんな所に?どこかケガでもされたんですか?」
「ああ、別に私がケガをしたとか病気だとかそういうことではないんですけど…んー私としては来栖さんがここにいることの方が疑問なのですが、質問に質問で返すのは無礼ですから…そうですね、では私からお答えしましょう。私は、ある方のお供でここに来ています。ただそれが誰かは、お教えすることはでいないんですけどね…さ、次は来栖さんの番ですよ。来栖さんは何故ここにいるんですか?」
いつの間にかどんどん会話を進められてしまっている。だが、それが今の直にとっては楽だった。
「私は…この間の下町空襲で力を使い果たして体調を崩してしまったんです。御刀を持っても何の反応もなくて…それでしばらくここで休め、といわれまして…」
「力を失ったと…?失礼ですが、ちょっと私の御刀を持ってもらっていいですか?」
「ええ…」
真知子が再び小烏丸を抜刀し、それを直に握らせた。だが…やはり直には何の変化もなかった。
「ほら、普通の刀使なら自分の御刀でなくても変化はあるはずですよね?」
「ふうん…なるほど、確かに何も起きませんが…妙な感じですね」
「妙な感じ…ですか?」
直は小烏丸を真知子に返し、真知子はそれをゆっくりと鞘に納める。
「ええ、妙な感じ…来栖さん、私はある方のお供で来ている、といいましたよね?それが誰だか、知りたくありませんか?」
「え?いえ、それは明かせないんですよね?任務上の秘密ということであれば無理に教えていただかなくても…」
「もー、そんなつまらないことを言わない出くださいよ!知りたいでしょ?ね、本当は知りたいんでしょ?」
真知子がずいずいと直に迫る。直としてはむしろそれを自分が知ってどうするんだ、という気がしたが、そんなことをいうとさらに詰め寄られそうだ。
「え、ええ、そうですね、はい、是非知りたいです。どなたなんですか、一体?」
そういうと、ようやく真知子は満足したように両手を組んでふんぞり返った。
「ふーん、ようやく素直になってくれましたね。うーん、本当は決して明かしてはいけないんですけど、護国刀使の来栖直さんであれば特別に教えて差し上げます。付いて来て」
真知子はそういうと、何とも楽しそうな様子でさっさと屋上の入り口まで行ってしまう。半ば呆気にとられながらも、直は慌てて、揺れるおかっぱ頭を追いかけた。
「こんな所にも病室があったんですね…」
入り口のドアの造りからして違うその病室は、通常の病棟と隔離された場所にあった。
「いわゆる貴賓室、ですね。さ、入って下さい…私が部屋の主ではありませんけど」
そういって悪戯っぽく笑う真知子の後について部屋に入ると、大きな窓の側にある立派なベッドに、よく知る人物が半身を起こして、こちらを見ていた。
「来栖…直さん?」
「え、碧様!?どうしてここに!?あ…」
いいながら直は、碧が腕に赤ん坊を抱いているのに気付いた。横合いから、真知子が顔を出す。
「ふふーん、どうです?驚きましたか?」
果たしてそれはどちらにいっているのか、直も折神碧も、さっと真知子を見据えた。
「おお、さすがに刀使と元刀使のお二人、眼光が鋭い…来栖さん、碧様はここで二日前にこの、葵様をお産みになったんです」
直は、絶句していた。
「それで、碧様、来栖さんはこの間の空襲の際に力を使い果たしてここで養生しているそうです」
「ええ、昨日、由良さんからの報告書が陸軍経由で入っています…直さんはご家族も失ったとありました。あの河井タツさんも…お悔やみ申し上げます…」
「いえ、そんな…」
「でも、ありがとう。あなたたちのお陰で多くの人たちが避難できたと聞いています」
「いえ、ただ、無我夢中で…」
直の表情が自然と強張ったのを碧は見て取ったのだろう、
「あ、ごめんなさい。つらいことを思い出させてしまいましたね…」
そんな言葉をかけられたのだが、気を遣われるのは返ってつらいことだった。
「いいえ…それよりも碧様、おめでとうございます。女の子、ですか?」
「そうです、立派な折神家の跡取りですよ!]
真知子がそういって、碧の腕の中にいる赤ん坊に満面の笑みを向けた。
「ごめんなさいね直さん。護国刀使の皆にも知らせたいのですけど、出産は極秘扱いといわれていてね、どの病院にいるかも知らせてはいけないらしいの」
「碧様は本来ならば綾小路の本家で出産されるべきところなんですけどね。それを最後まで近衛祭祀隊の側を離れるわけにはいかない、なんていわれて聞かないんですから…この病院を香織様に紹介していただけたからよかったようなものの…」
「極秘扱い…なんですか?」
直の問いに、碧は苦笑する。
「ええ、軍は私がとんでもない兵器を生み落すとでも思っているようね。まあ、実際の所、去年から元刀使が出産する際には届け出をするよう言われているのだけれど」
そういわれて、直はあの模擬戦のことを思い出す。
「やっぱり軍は…刀使を戦争に使おうとしている、ということですか…」
「ええ、そのようね…この子が御刀に選ばれるような歳になるまで戦争を続ける気なのかしら?」
血相を変えた真知子が、碧の手から赤ん坊を取り上げる。
「冗談じゃありません。葵様は絶対に戦争なんかにやりませんから!ねー?」
「ちょっと真知子さん…本当に、おかしな子でしょ?柊の家の人たちはもっとこう、厳格な方が多いんですけど、どういうわけかこの子は昔からこんな風なのよね」
碧が笑いながらそういった。そこで、直は少し思い出したことがあった。
「柊の家…そういえば昔から折神家とは縁が深いと聞いたことがありますね」
「ええ、うちはいろいろと辛気くさい家なんですけどね、でも、こうして碧様と赤ちゃんのお世話を任せてもらえるということだけは、最高ですね。あーもう、葵ちゃんかわいくてかわいくて」
そういいながら真知子は頭を揺らして色々な角度から葵をのぞき込んでいる。生まれたばかりの赤ん坊はまだ表情らしい表情を浮かべることもなく、かといって泣くようなこともなく、あー、うー、と声を発していた。
「直さん、良かったらあなたも抱いてくれない?」
「え?」
「あ、そうですね。ほーら、葵様、強い刀使のお姉さんですよー」
「え、ちょ…!」
直は、思いの外戸惑いながら、次期折神家当主となるであろう赤ん坊をその腕に抱いた。思っていたよりずっと重く、そして温かい。
「葵…様…」
「生まれたばかりの赤ん坊に『様』は不要よ。ああ、まだ首が座っていないから、揺すってはだめよ?」
「あ、はい、わかりました…」
答えてから再度、葵に目を向ける。赤ん坊は頭を動かしながら、直の顔をじっと見ている。白目が真っ白で、肌も髪も、何もかもが新しい。
「新しい…命…」
直には、この赤ん坊が何か信じられないもののように見えた。失われた多くの命があったのに、人はまたこうして新たな命を生み出すのだ。
「そうね、新しい命…直さん、あなたはたくさんの消えゆく命を見て来た。でも、またこうして生まれてくる命もある…」
「はい…」
葵が、うー、といって手を伸ばしてきた。葵の手に、自分の人差し指を持っていくと、葵はそれを掴んだ。そして、笑った。
自分という人間が、新しい命に繋がった…そんな思いと共に、無意識に涙が溢れた。炎に包まれた祖母、その祖母と一緒に別れを告げに来た両親、そして凪子や百合子、希美…その人たちの記憶は、自分が受け継いで行く。そして今度はそれが、自分の指を確かに握っているこの新しい命に受け継がれて行く。
二度と戻ることは無いと思っていた人たちの思いは、共に生きた人々に受け継がれているのだ。自分がその人たちの死を哀れむなどということは、とんだ思い上がりだった。死んでいった人たちは、あんなにしっかりと生きて、今生きている者たちの記憶に刻まれているではないか。受け継ぐ者がしっかりしなければ、あの世でその人たちにあった時に顔向けできないというものだ。
自分の身体を巡る全身の血が全て入れ替わったかのような感覚、腕の中の赤ん坊の温かさを護るための力が、確かに宿っていくのがわかった。
「来栖…ああ、もう直さん、でいいですよね?」
それまで黙っていた真知子が、直の名を呼んだ。
「はい」
「うん、じゃあ直さん、今度はこれを握ってみて」
真知子がそういって直の腕から葵を受け取り、自らの御刀を鞘ごと手渡した。直は、鞘からその特徴的な刀身を抜いていく。全身に、これまでとは少し違う、しかし同質の力が行き渡るのを、しっかりと感じた。
「これは……」
「やっぱり、まだ器がちゃんとありましたね。葵様が気付かせてくれたんでしょう」
真知子がそういってウンウンと頷いている。
「器…?葵様が?」
「そうです。力が無くなっても、器さえあればまた隠世からの力を受け入れることはできるんです。赤ちゃんはみんな隠世の記憶を持って生まれて来るみたいで、もしかしたら何かのきっかけになるかも、とは思ったんですが…こうも上手くいくとは思いませんでした」
「そうだったんですか…」
「さすがね、真知子さん」
碧に褒められて、真知子はにやけながら続ける。
「ありがとうございます。刀使は年が若い程御刀の力を引き出せる、というのもその辺と関りがあるのかもしれません。よくわかってはいないんですけどね…ともかく直さん、これであなたはまだ刀使としてやっていけることがわかったわけです。ただ、今までの力は全て無くなっているから、今までと全く同じ、というわけにはいかないかもしれませんが」
真知子の言葉に、碧が頷いた。
「直さん、あなたは今、亡くなった人たちの思いを受け継ぐので精一杯なのかもしれない」
葵がまたうー、といって母に向かって手をばたつかせたので、真知子が碧の腕に葵を返す。
「でも、それが一段落したら、これからこの子たちが生きるこの国を、未来を、どうか護ってほしい…」
直は、涙を拭って、真っ直ぐに碧と、葵を見た。
「碧様、私は護国刀使、国守りの刀使です。葵様たちが生きていくこの国を、きっと護ってみせます…!」
「ありがとう、お願いします」
碧がそういって、直に礼をとる。
「真知子さん、ありがとうございました。私、行かなきゃ」
直が小烏丸を真知子に差し出すと、
「はい、そのようですね」
真知子は笑顔でそれを受け取った。
同じ頃、由良は一人、焼け野原の一角で人を待っていた。
ここに来るまで、黒焦げの死体を満載にしたリヤカーを何度か見ていた。あちこちの公園や寺の境内へ一時的に埋葬されるらしいが、もうどこも一杯になっているという。生き残った人々は、そんなリヤカーを横目に何とか手に入った食糧を煮炊きして食いつないでいる。人の死は、それが近親者や知り合いの場合も含めて、もう日常の出来事になりつつあった。
「いつまでこんなことが…」
由良はそういいかけて口をつぐむ。そこへ、待ち人が現れた。
「…約束通り一人、御刀も持っていないな、霧島由良」
「はい…今後の相談というのは一体何ですか、鷹司様…」
砕けた表情と恰好をした貴族様の姿があった。由良も、鷹司京も、制服は身に付けず、一般的な和装にもんぺ、という出で立ちである。由良にとっては華族の京がそんな姿をしているのが何とも滑稽に見えるのだが、そうして身分を隠して、しかも外で会うというのは何か余程のことだと思われた。
「うむ…まずは護国刀使の殉職者にお悔やみ申し上げよう」
「痛み入ります…ついに護国刀使にも殉職者が出てしまいました…鷹司様のところの刀使はご無事で?」
「ああ、我が神功刀使は出動が間に合わなかった…護国刀使には悪いことをしたと思っている」
「…ジングウ刀使?」
「そうだ。かつて朝鮮半島に攻め入り、これを平らげた神功皇后の武威にあやかった命名だ」
「それはまた、ご大層なお名前ですね…」
あの、模擬戦の時の刀使たちはさらに軍に近い存在になっているようだ。
「ふ…それはさておき、今日はその護国刀使の殉職者について話をするためにお前を呼んだ。今、殉職者は何人を数える?」
「正確にいえば殉職、というより未帰還ですが…3名、です」
「うん…ではその数は1名減だ。2名、ということになるな」
「え?」
聞き返す由良に、京がぐっと顔を近づける。
「早乙女凪子は生きている。我々のところで保護している」
由良は、一瞬言葉を失い、それから、
「ほ…本当ですか、それは!」
京につかみかからんばかりの勢いでそういった。
「落ち着け、あまり大きな声を出すな。本当だ、早乙女凪子は生きている。あの下町空襲の翌朝、軍から報告があったのだ。とある山中でB29の墜落が確認され、その近くに帯刀した若い女性が倒れている。刀使ではないか、とな。現場に向かった隊員の一人が早乙女の顔を覚えていた。それですぐにこちらで保護したのだ」
「そう…!そうだったんですか…!ありがとうございます。それで、凪子は今どこに?」
「そう逸るな。そこまでいい話でもないのだ…早乙女は確かに一命は取り止めた。だがな、瀕死の状態なのだ。意識も無い」
「え…?」
「今、どこにいるかを教えることはできん。だが、相応の医療が受けられる施設にはいる
と答えておこう。そこで霧島由良、お前に確認をしたいのだ」
「確認…?何を、ですか…?」
京は深呼吸をして、それからゆっくりと由良を見据えた。
「早乙女凪子は、このままでは助からない。だが唯一つ、助かるかもしれない施術がある」
由良はそこでようやく、今日、ここに呼び出された理由がわかった。
「ノロを接種させれば助かる可能性がある…そうおっしゃりたいんですね…?」
「そうだ…だが、そのためには早乙女に護国刀使を…近衛祭祀隊を抜けてもらわなければならん。これはあくまで我々の隊員にのみ許され、施されている処置だからな……だが、早乙女本人はさっき言った通り、意識がない」
「私に決めろ、と?」
「少なくとも近衛祭祀隊から除籍させておかねばならないのでな。どうする、霧島?」
「凪子が…その処置で助かったとしても、その時にはもう私たちの仲間ではない、そういうことになるんですね?」
京が頷いた。由良の中では答えはとっくに決まっている。だが、凪子のことを思うとその結論を簡単に口に出すことは出来なかった。
「悪いがあまり時間は無いぞ…それと、ここまで私が話したことに嘘偽りは一片も無い。それは、我が誇りにかけて誓おう」
「はい、わかっています。そうですね…では、申しあげます。どんな手段でもいい、あの子が助かる見込みがあるのならそれを施して下さい」
由良と京はじっと、見つめ合った。
「わかった…では手続きは頼むぞ」
「はい…ただ、一つ、お願いしたいことがあります」
「何だ?」
「この決断をしたのは…早乙女凪子の身体にノロを入れることを決めたのはこの私だと、それだけは、はっきりとあの子に伝えて下さい」
「…なに?」
「仮に助かったとしても…あの子は自らの身体にノロが入ったことに悩むでしょう。むしろそのまま死んだ方がよかったといい出すかもしれません。だから、伝えて下さい。こうまでしてお前を生かしたのは霧島由良だと。呪うなら霧島を呪え、と」
京は険しい表情で由良を一瞥して溜息をつき、そして、
「全く、護国刀使の女共は…ふん、その覚悟や、よし。確かに早乙女にそう伝えよう。手間を掛けた」
それだけ言い残して去って行った。由良はその場を動かず、貴族様の背中を目で追うこともしなかった。
「もう、隠し事は無しっていったけど…さすがにこんな話は皆にできないな…まあ、千鶴だけには話しておこうかな…」
そういって、遮る物もないため良く見えるようになっていた宮城を眺めた。
「それじゃ、気を付けてね」
「はい、真知子さんも。本当にありがとうございました」
かろうじて焼け残った東京駅の近くで車の後部座席から降り、真知子に頭を下げる。
「気にしなくてもいいわよ。どうせお使いのついでだったしね」
「いえ、ここまで送ってもらったことだけじゃなくて…」
「ふふ、それこそ気にすることはないわね。あなたにはそういう力があったんだから…ああ、でも、その御刀はもうダメかもね」
直は、左手に持った宗三左文字にチラリとと目を遣る。あの後、試してみたのだが、わずかに反応はあったものの、左文字が以前のように直に応えることはなかった。
「ええ…でもそれはそれですから…それじゃ、碧様と葵様にもよろしくお伝え下さい!」
「ええ、いずれまた会いましょう」
真知子がドアを閉め、窓から手を振るとそれを合図に折神家所有の車は走り出す。今や貴重品となったガソリンだが、あるところにはあるのだろう。
直は、すっかり風景の変わってしまった街並みに目を遣りながら、皇居の敷地へ入る。隊舎の前で一つ深呼吸をして、扉を叩いた。
「来栖直です!只今戻りました!」
そういうと、軽い足音が近付いてきて、扉が開く。直の眼下に、麦わら帽子に軍手をした小さな女の子の姿があった。
「あ…!お帰りなさい!」
「サトちゃん!よかった、元気なのね?」
「はい!あの時はありがとうございました。ちょと、まっててください!」
サトは麦わら帽子の頭をちょこんと下げると、そういってまた奥へ駆けて行く。そして、寝ぼけたような顔をした青砥香澄を連れて来た。
「へ…あれ、ほんとに直さんじゃないの、え、大丈夫なの…?」
「ええ、もう大丈夫。寝てばかりもいられませんから」
「そう…なの。うん、おかえり」
「はい、ただいま帰りました。この時間じゃ、みんな、出てますかね?」
時計の針は14時を回ったところだ。
「そうねえ…千鶴先輩も裏の畑に行ってるし、上で寝てる子たち以外は出てるわね」
「もしかして香澄さん、今起きたところですか?」
「ええ、昨日は夜勤で…」
香澄はそういって欠伸をした。直はくすりと笑う。この人の、こういう所は嫌いではなかった。
「今日はこれからどうするんです?」
「ああ、ちょっと御刀の管理というか手入れというか…随分増えちゃったから…」
そういう香澄の手には、確かに御刀の台帳があった。
「あ、ちょうどよかった。私の義元左文字、見てくれません?ちょっとご一緒させてもらっていいですかね?」
「ええ、構いませんよ。それじゃ、荷物を置いたら階段の所に来て下さい」
「はい、ありがとうございます」
直は一つ頷いて、靴を脱いだ。
「サトちゃんはこれから畑かな?」
「あ、はい。ちょっと行ってきます」
「うん、よろしくね」
サトは香澄と直に頭を下げて、靴を履いて出て行く。
「サトちゃん、結局ここで暮らしているんですか?」
小さな背中を見送りながら、直がそういうと、
「ええ、色々手は尽くしているんだけど、お父さんが見つからないみたいなのよね…元々お母さんはいないらしいし…」
香澄がそう、少し暗い声で答え、さらに続ける。
「それで、五十鈴さんと美千代さんが面倒を見ることになって、二人の部屋で寝起きしてるの。二人がいない時はああやって、畑の草取りやら雑用を進んでやってくれてる」
「そうだったんですか…」
「それにあの子、どうやら適性があるみたいなのよね」
「適性って…刀使の、ですか?」
「ええ…一度それとなく御刀に触れさせたことがあったんだけど、その時、反応があったの。それにあなたたち、あの晩にあの子に2度会ったんですって?」
「ええ、そういえばそうでしたね…」
香澄はふっと小さな溜息をつく。
「何万人もの人たちが逃げ惑っていた中で、刀使のあなたたちに2度も会うなんて…それはやっぱり単なる偶然じゃないかもしれない、と私なんかは思うのよね」
「そうですね…そうなのかも…。でも、あんな小さな子を巻き込みたくはないですね」
「それは、そうね…」
香澄と直は、顔を合わせて苦笑した。
直は一旦二階の自室に荷物を持って行き、それから一階で待っていた香澄と共に地下一階の祭祀場に下りる。ここはあまり湿気が籠らないように、という配慮の元に設計されており、通気口がいくつかあるため昼間でも光が入り、灯りは最小限の電灯で事足りる。見回すと香澄の言う通り、以前に下りてきた時より祀られている御刀の数が増えていた。
「はあ…聞いてはいましたが結構な数になっていたんですね…何だかすいません。ほとんど手伝えなくて…」
「いえいえ、皆、任務で忙しいし、自分の御刀の手入れだけで手一杯でしょうからね。私にとっては子供の頃からの習慣のようなものですし」
そういいながら、香澄は祠の前にある御刀と台帳を順々に照らし合わせ、そのうち何本かに一本は実際に手に取って抜刀し、「ああ…これは少し砥いでおくかな…」などと言いながら刀身の様子を眺めている。
「あの、何かお手伝いしましょうか?」
直がそういうと、香澄は万年筆を舐めながら、
「うーん、そうですね…あ、そういえばさっき見てほしいっていってましたよね、義元左文字。どうかしましたか?」
「ああ、いえちょっと、反応が鈍くなったというか…そんな感じで」
直は、腰の御刀を差し出す。
「ほう、どれどれ、ちょっと拝借しますよ」
香澄はそういってゆらりと刃を引き抜き、その乱れの無い刃文を眺める。
「うーん…きちんと手入れしているようですね。特に問題は無いようです。反応が鈍くなった、というのは今までのような一体感が無くなったと、そんな感じですかね?」
「そうです、そういう感じです」
香澄はそれを聞き、また「うーん」と唸ってから、
「どうやら、適合性が薄れたようですね。義元左文字は新たな主を見つけたのかもしれません」
そういって、直に義元左文字を返した。受け取った直は、硬直してしまう。
「………え?」
「そういうことがあるんです。特にこう、何人もの人の手を渡って来たことで知られる御刀には、そういう傾向が見られますね。義元左文字といえば三好、武田、今川、織田、豊臣、徳川と、そうそうたる実力者の元を渡り歩いてきた『天下取りの刀』ともいわれる御刀ですから」
直は、その知識に感服しながらも、
「あの、それって私が弱くなったから義元左文字に見限られた…っていうことですか?」
そんな風に思わざるを得ない。
「いやいや、そんなことはないと思いますがね。ただ自分の力をより引き出してくれる、相性のいい刀使を見つけた、ということは考えられます」
「はあ…そうですか」
「ま、全く使えないというわけでも無し、それに直さんはもう一振り御刀を持っているでしょう?当面はそれで糊口をしのいで下さい。それじゃ、私が御刀の銘をいうので、直さんはその台帳の確認欄に印を入れてくれませんか」
香澄は、そういって台帳と万年筆を直に差し出す。
「あの…私今、結構ショックを受けておりまして…」
「あら、手伝いができなくてすいません、というのは私の聞き違いでしたか?」
直は「う」と短くいってから溜息をつき、義元左文字を鞘に収めて素直にその台帳を受け取る。これだけの数を確認するのは大変だな、と思いながら台帳をパラパラとめくっていると、ふと、目に留る銘の御刀があった。
「あ…『毛利藤四郎』!あるんですね!見せてもらっていいですか!」
「え?ええ、構いませんけど…何でまた?」
「おばあちゃんの、河井タツの御刀だったんです!」
「ああ、そういえばそんな話を聞いたことがありますね…はい、こっちですよ」
ついて行くと、脇差のような短い御刀が多く並んでいる一角がある。「確かこの辺り…」といっている香澄の後ろで、直は早々にそれを見つけた。台帳と万年筆をその場に置いて、手に取る。
「あった!これ…これですよね!?」
「ああ、よくわかりましたね。そう、それです。毛利家重代の由緒ある御刀です」
「おばあちゃん、模造刀を打ってもらってて…今はそれ、私が持っているのですぐわかりました…抜いてみても?」
「ええ、構いませんよ」
右手で柄を握ると不思議な感覚が伝わって来る。ゆっくりと鞘から抜き、その刀身と対面した瞬間、直の中に不思議な感覚が流れ込んできた。戦うための身体能力が上がっているというより、感覚器が鋭くなっているような、これまで握って来た御刀とは違う力の馴染み方だ。頭の中が澄んでいくようなこの感覚は、悪くない。
「ほう…これはこれは、どうですか?直さん?」
「え、あ…はい。いいですね。これ、使ってみたいな」
直は手元で柄を回しながらそう答える。この御刀を使うとどんな戦い方が出来るのか、急激に興味が湧いていた。
「いいでしょう、それは持って上がりましょう」
「え?いいんですか?」
「傍目にも適合性は十分に見えますから…一応、あちこちに許可を取る必要がありますし、由良先輩にもいっておかないといけませんけど、でも、おばあ様の御刀を受け継ぐなんて、いい話じゃないですか」
「はい、ありがとうございます」
「ほんと、こんなの滅多にないことなんですけどね。血の為せる業…なんですかね」
香澄はそういって、直と毛利藤四郎を眩しそうに見つめた。
使用者と共に所在不明となった御刀が三振り、そして新たに適合者を失った御刀と、発見した御刀が一振りずつ、という報告がなされ、それがそのまま通った。直としては義元左文字とのお別れはなかなかつらいものではあったのだが、その後に現れた新たな適合者は、自分にとって一番身近な刀使…沢泉美であった。直も泉美も驚きを隠せなかったが、義元左文字は直の側で泉美を認識していたのだろう。病院に運ぶ際、ずっと一緒であったことも影響したのかもしれない。それまで手にしていた大剣、蛍丸についてはやや扱い辛い場面もあったため、場合によって使い分けるということで直と理由は違うものの、泉美もまた二刀の所持が許可された。これには、人数が減った護国刀使にあっては、一人一人がより多様な任務をこなす必要がある、という厳しい台所事情も影響していた。
行方不明者3人と重傷者5人の抜けた穴は大きく、何とか日常を取り戻そうとそれぞれが努力する中、下町空襲のあの日から2週間が経った3月24日、直は17歳の誕生日を迎えた。
その日、直は外出許可を取り、背嚢、つまりリュクサックを背負って隊舎を出た。いろいろなことがあり過ぎて、未だ自分の家を確認していなかったのだ。親の形見が欲しかったわけではないが、何か残されているものがあれば…と思っていた。
電車はほぼ走らなくなっており、ガソリン不足のために生まれた木炭バスも故障が多い上に馬力が無く、あまりあてにならなかったため、徒歩で移動することにする。皮肉なことに建物が無く、迂回の必要が無いためそこまで苦にはなりそうにない。ぼちぼち歩いているとそれほど時間もかからず神田までたどり着いた。だが、そこからが厄介だった。
「ここまで何にも残っていないなんて…」
自宅の近くまで来ているのは間違いないが、建物が無い、ということがこうも方向感覚を狂わせるとは思わなかった。少し迷いながらも道の様子を頼りにしながらついに自宅跡を見つけると、思わず走り出していた。自宅は文字通り、跡形もなくなっていた。
「関東大震災の後に作った頑丈な家だって、父さまいってたのに…」
自分の生まれ育った家が無くなった、というのは大きな衝撃ではあったが、こうまでやられては最早、諦める他なかった。
とはいえ、そうして突っ立ってばかりもいられない。消し炭と化した柱や、ぼろぼろに砕け散った壁や瓦をどかしながら、埋もれた家財を探しにかかる。
「何か道具を持って来ればよかったな…」
今持っている役に立ちそうな物といえば、荒魂さんが懐いたあの無銘の御刀くらいだが、さすがに御刀でガレキをかき分けるのも、刀使の力を使うのも気が引けた。結局、あまり大きなガレキをどけられず、焼けた衣服や割れた皿などしか見つけることが出来なかったが、台所に半地下の食糧貯蔵庫があったのを思い出し、その辺りを探っていく。
「あった!これ…開くかな」
見つかった小さな取っ手に手をかけると、貯蔵庫の引き戸は案外楽に動いた。そして、その中には、蓄えてあった食糧がそのまま残っていた。
「うわあ…塩、味噌、醤油、砂糖まで…」
既に配給が止まっている品もそこにはあった。焼夷弾の熱で蒸し焼きになることもなく残っていたのは、この貯蔵庫が少し深目に掘られていたことが幸いしたのだろう。関東大震災の教訓であった。
それらの品々を背嚢に詰めていきながら、さらに奥を探るべく手を伸ばすと、滑らかな感触がある。肩を入れて掴むと、それが小ぶりな瓶だとわかった。引き上げて目にして、
「…これ…」
声が詰まった。金柑のハチミツ漬けが入った瓶だった。瓶には確かに母の字で「直」と書かれている。中身は三分の一程度しかない。もしかしたら今日、直に与えようと残していたのかもしれない。
「お母さん…ありがとう…」
直は、その瓶を抱きしめた。
昼前に自宅を離れ、少し重くなった背嚢を背負い直して日本橋へ向かう。
どこまでも廃墟が続いていた。この二週間ほどの間に片付けられたのは死体くらいのもので、あとはガレキの山がほとんどそのままになっている。食糧があったという倉庫や店舗は荒らされた痕跡があったが、それを誰が責められるというのだろう。皆、生きていくのに必死だった。途中、水筒の水でうがいをする。埃っぽい空気で喉が荒れていた。それから千鶴が用意してくれた蒸かし芋をかじる。道すがら、そんな直の様子を見ている汚れた身なりの子供たちが嫌でも目に入ってきた。家と親を失った戦災孤児たちだろう。皆一様に飢えている。直の芋に、その視線が集まっていたが、今の直にはどうすることもできない。あまり目立たないようにしようと気を付けながら、道を急ぐしかなかった。
日本橋の祖母の店は、あの日見た時よりもさらにひどい状態になっていた。多くの人々に踏み荒らされた痕跡がある。兄の手配で祖母の遺体は既に引き取られていたのが救いだった。
「人の心が…荒んでいくんだ…」
ぽつりとそんなことをいいながら、周囲を見回す。未だ伯父や伯母、店の人たちの安否についてはわかっていない。ただ、伯父と伯母には疎開している息子と娘、直にとっては従弟妹にあたる兄妹がいる。このまま誰も帰ってこなければ、直と司で何とかしなければならないだろう。
「おばあちゃん、伯父さん、伯母さん、昭人君と美樹ちゃんのことは心配しないで…また来るね」
直はそれだけいって、その場を離れた。今日はまだ、行かねばならない場所がある。
街の様子が一変した、と感じられるのは家や建物が無くなったから、だけではない。街路樹や植え込みなどの緑の色合いが失われているのも大きな原因だった。。
「桜並木も無くなっちゃったか…」
直は、掘割の道を進みながらそんなことをいった。あの日、荒魂さんと初めて会った日は桜の葉が青々としていた。そして、ちょうど一年前、祖母と歩いた時には七分咲きだった。
たくさんの思い出があるこの道も、もう以前の名残は無い。掘割もあちこちが崩れていた。
「この辺…だったかな」
去年、祖母と、荒魂さんと一緒に過ごした場所に着いた。直は、背嚢からサラシを巻いていた御刀を取り出す。
「荒魂さんには、本当にお世話になったね…」
抜刀して刃を寝かせ、掘割に向けて捧げて見せる。
「初めて会ってから2年か…ほんと、色んなことがあったね…。今、私がこうして生きているのは荒魂さんのお陰だよ。ありがとう。荒魂さんは今、隠世にいるのかな…?また、こっちに出て来ることはあるのかな…?」
これまでのことを思い出しながら口をついて出て来るまま、言葉を重ねる。
「荒魂さん、私ね、いつの日かきっと、荒魂と人が分かり合える日が来ると思うんだ。私たちができたんだから、他の刀使と荒魂だってきっとできる。そうしたら、日本中の刀使と荒魂が仲良くなったら…すごくいい世の中になると思うんだよね」
直は段々と想像の中の風景に没入していく。そのせいで、何やら水面にぶくぶくと泡が浮かび始めていることに全く気が付かなかった。
「うん、そうだ、そうしたらね…」
といったところで、目の前に水柱が上がった。直は口を中途半端に開けたまま、固まってしまう。あの、水の龍だった。大きくアーチを描いた水の身体はしぶきを散らしながら、直の頭上を高く超えていった。慌てて後ろを振り向くと、そこにはあの、荒魂さんと同じくらいの大きさをした「何か」が背を向けて4つ足で立っていた。
「え…うそ…荒魂さん、なの…?」
直は、その小さな背に話かけると、その「何か」は犬や猫がそうするように、全身を素早く回転させて水を振るった。そして、こちらを振り返り、
「ぎぃ」
とだけいった。姿形は全く違う。全身が体毛で覆われていて、少し胴が長く、イタチのようにも見えなくはない。そして、その長い尻尾は一部が欠けていた。
「生きて…生きてたの…!」
直が左手で口元を押さえながら涙声でそういうと、その「何か」は大きく跳ねて、右手に握られている御刀の元へやってきて、それから肩に跳び移り、直の顔を覗き込んでまた「ぎぃ」と啼く。その声には以前のような硬質な感じが無いが、間違い無い、あの荒魂さんだ。直は堪らず御刀を手放し、その小動物を抱きしめた。
「良かった、荒魂さん!良かった…!」
直の腕の中で荒魂さんは「ぎぃぎぃ」といっている。それが何を言っているのか、直にははっきりとわかった。
「そっかあ…あの時確かに荒魂さんは『こっち側』にいたもんね…ケガレが祓われた状態で隠世から出てきたらこういう実体になった…そういうこと…」
荒魂さんはしきりに頷き、あの時見せたように大口を開けた。表情がついたせいで、それが笑っている、ということがはっきりわかる。
「また、一緒にいてくれる?荒魂さん」
直の言葉に「ぎぃぎぃ」といって同意を示す荒魂さんを見て、
「うーん、それにしてもこの姿で『荒魂さん』っていうのは少し違うかな…」
直は違和感を覚えた。人外の物の怪、という印象とは程遠いのだ。
「そうだ、名前をつけましょう。うん、いつまでも『荒魂さん』じゃ何だしね。えーっと、そうね、『タツ』はどうかな?」
荒魂さんは一応、自分の身に何が起ころうとしているかわかっているらしい。直の言葉を聞いて、首を捻るような素振りを見せた。
「うーん、そうだよね。荒魂さんは龍っぽいからちょうどいいかな、とも思ったんだけど、おばあちゃんの名前だから私もさすがに呼び捨てにはしづらいし…」
というと、荒魂さんが直の言葉に反応して「ぎぃ」と啼いた。
「え?何?『龍っぽい』?」
「ぎぃ」
「それだ…?え、『龍』…?」
「ぎぃぎぃ」
「ああ…『龍』がお気に入りなの?」
荒魂さんは大きく頷いた。
「うーん、そうか。そうですか。じゃあ…龍っていうのも大げさだから片仮名で『リュウ』にしましょう。よし、あなたは今日から『リュウ』!です!」
荒魂さん、改めリュウはぎぃーっといいながら飛び上がり、直の頭の上を旋回した。
「ふふ…良かった…。本当に、生きててくれてありがとう…」
リュウの動きを追って雲も敵機もない青空を見上げると、そこへ桜の花弁がフワリと舞って来る。咄嗟に見回すと掘割の脇で黒焦げになって倒れている桜の木が、小さな花を咲かせていた。歩み寄って間近にそれを眺めた後、ゆっくりと立ち上がる。
「大丈夫。おばあちゃん、父様、母様…私、まだまだ頑張ってみるよ」
「折神さん、お久し振りです。唐突に申し訳ない」
4月7日早朝、折神香織は表向きには秘されている神功刀使たちの拠点で、急な来客の対応をしていた。
「いえ、あれからお礼にも伺えずこちらこそ非礼をお詫びいたします」
「はは、それについては気になさらなくてもいい。辻野中佐はあの一件で外地に飛ばされました。こちらとしてもやつの鼻を明かしてやれて留飲が下がったというものだ。須藤もやつとは確執がありましたからね。あの世で喜んでいることでしょう」
「ええ、そうあってほしいものです…。それにしても驚きました。まさか稲田中佐が須藤の教官だったとは」
香織の目の前にいる稲田という男は、陸軍省軍務局の中佐で、かつて士官学校で須藤の教官であった時期があったという。
「惜しい男でした…。しかし、こうして神功刀使、折神家の方と知己を得られた、ということでは感謝をしなければいけないかもしれません」
「そうですね…あのまま参謀本部付き、というのは我々としても少々厳しいものがありましたので…しかもこのような施設までいただき…」
陸軍、と一口に言っても、その組織は細かく分かれる。政治と人事に関わる陸軍省、作戦立案をする参謀本部、組織内の教育機関である教育総監部、の3組織がいわゆるお役所組で、それとは別に各地に師団などの実働部隊が置かれた。神功刀使は神祇院で発足後に陸軍参謀本部へ所属を変え、この時点では陸軍省預かりとなっていた。因みにこの陸軍省のトップが陸軍大臣になる。
「ここは陸軍省管轄の兵器庫ですから住み心地は今一つかと思っておりましたが、建物自体は新しいものですから…うん、改装は上手くいったようですね」
「はい、快適な環境になりました。深謝いたします」
「それはよかった。しかしここはあくまで陸軍省の『秘密基地』です。お忘れなきよう」
「わかっております。ここの情報は軍事機密と隊員たちにも伝えております」
「結構です…時に折神殿、あの鈴木侍従長が首相になったという話はもう耳にされましたかな?」
今日の来訪の目的はそれか、と香織は直感した。
「ええ、うわさ、程度ではありますが…」
「ならば話は早い。今回の内閣、海相は米内大将が留任、さらに豊田大将に左近司中将と海軍出身者が4名も入閣しております。終戦内閣、などと早くも囁かれているようで…」
「…その陣容ならば、考えられる話かと」
稲田中佐が頷く。
「本土決戦に臨むこともなく、このまま降伏、ということにでもなればこれまでの尊い犠牲は水泡に帰す、といってもよいでしょう。終戦など、まだ絶対に認められる話ではありません」
「その通りです、中佐。我々刀使の力を本土決戦で見せる前に終戦など、ありえないことです」
「折神殿…全くその通りだ!この国にはまだ力が残っている。だが、今回の内閣、終戦派の勢力が表舞台に上がった、と考えるのが妥当でしょう。彼奴等はあるいは、ご詔勅を使ってまで終戦への道を拓くやもしれん。そうなれば、我々皇国軍人としてはそれに順う他ない。それは、絶対に防がねばならん。この危急の折、真の忠義とは何かを我々は示さねばならないのです!」
話をしている間に熱が入って来たらしく、語気が荒くなっていたが、自分でも気が付いたらしく、中佐はそこで一つ、深呼吸をした。
「今日は、それに伴い今後の協力体制について鷹司様にお話しをさせていただきたく、こちらに伺った次第です」
「なるほど、そういうことでしたか…しかし申し訳ありません、鷹司様は本日こちらにおりません」
それを聞き、稲田中佐は改装されたての建物内に目を泳がせた。
「そうですか…では明日は?」
「何かとお忙しいお方ですから…今日聞いた予定が明日変わることもしばしばございまして…」
稲田は、そこで小さな声を立てて笑った。
「いいでしょう。ではまた明朝、伺います。お会いできるまで伺うとお伝え下さい」
「申し訳ありません…」
そう答えた香織の相変わらずの笑顔に、稲田の鋭い視線が一瞬、向けられた。
「本日小官がここに来たことをお伝えする際に一つ、鷹司様に言い添えおいてほしい」
香織が何を、という前に稲田中佐は話し始めた。
「神功刀使は神祇院付の賓客扱いとはいえ、陸軍省はあたながたに命令できる立場にある。貴族様のわがままも平時であれば結構だが、このような危急の秋にあってはほどほどになさいませ、と」
香織はその笑顔のまま、稲田中佐の丸い顔を少しだけ眺めてから、
「わかりました。確かに申し伝えておきます」
そういって、頭を下げた。
「では、今日のところはこれで…。ふふ、それにしても須藤も…厄介なお方の命を助けたものですな」
「ええ、今となってはそうも思えます」
稲田中佐はその答えに満足したのか、そのまま感慨深そうな顔をして去って行った。
香織はその後ろ姿を完全に見送ってから、執務室へ戻る。
「ご苦労だったな。帰ったか」
将棋を指している京が、こちらを見もせずにそういった。
「ええ、少々ご立腹のご様子でしたよ」
「そうか。まあ大方、鈴木内閣誕生を呪っていたのであろう?」
そういって、京はパチリと歩を進めた。
「そうです…しかしよろしいのですか?このような対応で。一応、彼らと我々は戦争継続、という点では意を同じくしているはずですが?」
京は、香織の方をちらりとみてから、
「そうだ。だがな…あの稲田といったか、あ奴は暑苦しくて敵わん。陸軍省もう少しイイ男を寄越してもらいたいものだ」
「それには同意いたしますが…明朝、また来るといっておりました。今度は居留守など使われませんよう」
「そうだな…それ、王手だ」
盤上、京の金銀が、相手の玉を包囲していた。
「将棋の腕は剣術ほどではないようだな。早乙女凪子」
「恐れ入ります」
京と対戦していたのは紛れもなく、早乙女凪子であった。新たに与えられた神功刀使の制服を着こみ、神妙な顔付きを崩さずにそういった。
「ふん、しかし棒銀一辺倒の攻め筋は実にお前らしい。愉快だったぞ。また付き合え」
「はい」
京は立ち上がり、三日月宗近を携えた。
「鷹司様、どちらへ?」
「わざわざ来た、ということは余程のことなのであろう。明朝ここに来られるのも面倒だからな」
「こちらから出向かれる、ということですか…。お供いたしましょうか?」
「そうだな…いや、我々が共に留守というのもまずい。凪子、付き合ってもらおう」
「了解しました」
ゆらり、と凪子が立ち上がる。京は満足そうに微笑むと、凪子を連れて部屋を出て行った。
「全く、大層な入れ込みようですね…」
誰も居なくなった執務室で香織は一人そういって、将棋盤を片付けた。
この日、歴代最高齢の総理大臣となった鈴木貫太郎は、大きな目的を持って組閣した。戦争終結、である。だが、戦争継続を望む勢力は陸軍を中心に多く存在し、下手にそんな意思を表明すれば暗殺される可能性があった。その真意を巧妙に隠しながら、いかにして和平への道を探るか…鈴木総理や米内海相の、まさに命を懸けた駆け引きが始まろうとしていた。
同日、日本海軍が誇る世界最大の戦艦、大和が沖縄へ向かう途中で米軍空母艦載機の猛攻を受け、為す術もなく沈没した。最早、勝つどころか、このまま戦争を続ければ日本という国が亡びる、というところまで来ていた。