Goodbye, Calm Days. 作:第一第二第三皇女
いつもの喫茶店に、俺を呼び出した張本人と向かい合って座る。
テーブルの上には、レモンティーとブラックコーヒー。
「なんて?」
「今言った。3歩どころか、数秒で記憶が飛ぶの?」
はぁ……と目を細めながら、幼なじみがこれ見よがしにため息をこぼす。もう慣れっこではあるが、相変わらずその憎まれ口は鋭利である。
彼女の名前は樋口円香。もう1人の幼なじみ。
まるで汚物でも眺めているかのように細めた目が、俺を射抜く。
「忘れたわけじゃねぇわ。お前がトンチンカンなこと言ってるからだろうが」
「は? 誰が?」
「お前だよお前。樋口円香」
「トンチンカンだなんて、自己紹介かと思った」
「あ?」
「なに?」
「……そんで、どうするんだよ」
浅倉が変な事務所に勧誘されたんじゃないか確認するなんて。
「深見、名刺持ってるでしょ」
「名刺? ……ああ、事務所の? なんで知ってんだよ」
「ちょうだいって言ったら、浅倉が深見に見せるからって」
「あ、そう」
言われ、財布から件の名刺を取り出す。樋口に渡すと、穴でも開くんじゃないかと思うほど名刺を睨みつける。
そんなに睨んだって、浅倉はアイドルになる事を辞めたりしないぞ。
「この人が、透を……」
苦虫を噛み潰したかのような表情で、呟く。
「そんで、どうするんだ?」
「この人、ここに連れて来て話聞くつもり」
連れて来るって……簡単そうに言うけど。
「……どうやって」
「とりあえず誰かこの事務所の人捕まえて、それから。事務所から出て来るの待って、こっちから声かける」
「なんて?」
「アイドルに興味があるとか言えば、どうとでも」
「ふーん……まあ、お前かなり美人だもんな」
こんだけの美人がアイドルに興味があるって言ってくれば、その業界の人間であれば食いつくだろう。
「褒めても何も出ないけど」
「別に、本当のことだろ」
「…………そう」
照れ隠しか、樋口がレモンティーを一口啜る。
つまり樋口の作戦はこうなんだろう。
関係者を樋口が呼び出すから、もしもの時のために俺に待機して欲しいのだ。
まあ、こんなことを樋口が1人で実行しなかっただけ良かった。樋口の言う通り、もしも怪しい事務所なのであれば、樋口こそ危ない橋を渡るところだったのだ。
「樋口は心配性だな」
俺の言葉に、ぴくりと眉を動かす。
「心配しすぎ? 水瀬は……透のこと、心配じゃないの」
「いや心配だけどさ、でも透がやりたいって言うんだから、応援したいだろ。あの透が自分からやりたいって言い出したんだぞ」
「だから心配なんでしょ。あの透が、アイドルなんて。今までそんな素振り全く……そんな透、私は」
ーー知らない。
そう言いたいんだろう。けれどそれを認めたくなくて、言葉にしない。
口を噤み、視線を落とす。ティーカップを握る手は、震えていた。
そっと、円香の手を握る。細くて小さな手だ。
「円香」
「…………」
「大丈夫だから」
「……なにが?」
「透は独りでどこかに行ったりしない」
「そんなの」
「分かる。透と円香と俺と、それから雛菜と小糸はずっと一緒にいたんだから。透がそんなやつじゃないことくらい分かるだろ」
確かにあいつは何を考えているのか分からないような時が多々あるけど、そんな酷いやつじゃない。
「手、離して。わかったから」
「あ、ごめん」
「……ありがとう、深見」
「うん。まあ、浅倉はアホだからな。もしかしたら、本当に騙されてるかもしれないし」
にかりと俺が笑うと、釣られたように樋口も頬を緩める。
「……でしょう?」
「確認しないとな」
「じゃあ、私……行ってくるから。もしもの時は、信頼してる」
「おう、いってらっしゃい樋口。気をつけて」
「ん……行ってきます」
そう言って、樋口が席を立つ。
樋口がお店から出ていくのを見届けて、自分の手を眺める。
まだ彼女のぬくもりが残っている。少しほてった身体を冷ますために、もうすっかり冷たくなったコーヒーを飲み干すのだった。
× × ×
そして作戦は実行され、なんと樋口が連れてきたのは浅倉を勧誘した張本人。そのプロデューサーのお兄さんと一悶着あった後、樋口が俺の座る席に戻ってくる。
「ミイラ取りがミイラになってどうすんの?」
「……うるさい」
なんと樋口まで勧誘され、それを了承したのだ。浅倉と一緒なら、とのことらしい。
「とりあえず俺の家の机にサイン書いてもらって良い?」
「サイン、一緒に考えてくれるなら」