「なんだ……?」
理解し難い光景を目にした吹雪が思わず声を漏らす。鬼道の身体から溢れた闇が、鬼道を覆い隠していく。かつての暴走時の禍々しさはなりを潜め、むしろ見ていると落ち着きすら感じるような、そんな闇。それは例えるなら、人々に安らぎを与える、夜の帳の如く。
全身に薄らと闇色の燐光を纏い、先程とは全く質の違う存在感を放つ鬼道が吹雪を見据える。
「……何度も何度も鬱陶しい男だ。この期に及んで未だそのような世迷言を吐けるその精神ごと、打ち砕いてやる」
今の鬼道の状態は吹雪の知識には無い。だが未知であるから何だと言うのか。所詮は凡人の最後の足掻きに過ぎない。完璧である自分が敗北するはずもない。そんな思いと共に吹雪がシュート体勢に入る。
氷の女王を中心に世界が凍てつき、閉ざされていく。凄まじい冷気がボールに纏わり付き、高まるエネルギーでボールが超振動を起こし、甲高い音が辺りに鳴り響く。
「この一撃をもって終局としよう────アイシクルロード!!」
氷の女王が槍を振り下ろし、絶対零度の一撃が打ち放たれる。迫り来るそのシュートに鬼道は真っ向から立ち向かう。
「おおおおおおおおおお!!!!」
雄叫びを上げ右足でボールを迎え撃ち、あまりの衝撃に足が引き抜かれるような錯覚を覚えながらも懸命に踏み留まる。
「くっ……お……ぉ……!!」
潜在能力の一部を引き出したとはいえ、化身の力に対抗するには流石に無理がある。徐々に鬼道の体は後方へと押し込まれていく。その時だった。鬼道の左右から二つの足がボールに蹴りを加えたのは。
「……!!お前ら……」
「一人で格好つけてんじゃねぇ!!」
「俺達もいるぜ!!」
鬼道に不動、染岡も加えた三人掛かりのシュートブロック。だがそれでもシュートの勢いは止めらない。僅か数秒の間は持ち堪えたが、結局三人纏めて弾き飛ばされる。
「僕だって……雷門の一員だ!!」
「目金君!?」
三人が持ち堪えている間に後方へと回り込んだのであろう目金が、その身をシュートの軌道上に投げ出す。盛大に吹っ飛ばされ、もんどり打ってグラウンドに倒れ込む目金の姿に、ベンチの木野が悲鳴を上げる。
三人掛かりの抵抗と目金の献身により、僅かながらにシュートの威力は削がれた。そしてディフェンスが体制を整えるには充分な時間を稼ぐことに成功した。
「ザ・タワーV2!!」
「ボルケイノカット!!」
それぞれがバラバラに必殺技をぶつけたところで、〈アイシクルロード〉は止まらない。だからこそ、力を合わせる。
本来なら壁のように広がるはずの〈ボルケイノカット〉の炎が、塔子の形成した塔に纏わりついていく。瞬く間のうちに炎は燃え広がり、燃え盛る炎の塔が完成した。
「ザ・ウォール改!!」
「影縫い!!」
更にその背後では、壁山が創り出した岩壁に影野が影を纏わせることによって強度を底上げし、シュートに備える。ブロック技を持たない栗松も壁山を背後から支え、少しでも力になるべく行動している。
この土壇場で、二つの新たな連携ディフェンス技が生まれた。日本全土を見渡しても、比肩するものはないであろう強固なる守り。それを〈アイシクルロード〉が容赦無く削り取っていく。これだけやってもまだ止まらない。が、しかし無駄でもない。炎による熱が冷気を奪い、防壁を砕く過程で確実に威力は落ちてきている。
「そんな物で……止められるものか!!」
遂に炎の塔と影を纏った岩壁が崩壊し、ボールは雷門ゴールへと向かう。もうディフェンスは居らず、残るは最後の砦であるキーパーの源田のみ。
────止める。このシュートだけは止めてみせる。
迫り来るボールを前に源田は思う。この5失点の責任は全て自分にあると。ゴールを守っていながら、肝心な場面で何も出来ていない。吹雪以外のシュートはかなりの数を防いでいるが、そんなものは何の言い訳にもなりはしない。例え100本のシュートを止めようが、1本でも決められればそれはキーパーの責任であり、失態だ。
目の前に迫っているシュートの威力は度重なるシュートブロックにより、かなり落ちているはず。本来なら一人で守らなければならないゴール。それをここまでしてもらって守れないのであれば────
────俺に、このゴールを守る資格は無い!!
胸に手を当てた源田の両眼が赤く輝く。背後に現れたオーラで形作られた獣が咆哮を上げる。あらん限りの力を込めて地を蹴り、前方へと飛び出す。その勢いのままに、獣の牙に見立てた両腕でボールを上下から挟み込み、受け止める。
「ハイビーストファング……V2ゥゥゥ!!!」
ギュルギュルと音を立てて回転するボールを、懸命に抑え込む。獣のオーラが徐々に凍り付いていくのも気にせず、弾かれそうになる腕を気合いで押し留める。
皆が固唾を飲んで見守る中、少しずつボールの勢いは無くなっていき、やがて源田の両手にボールが収まった。源田が俯いていた顔を上げ、掴み取ったボールを高々と天に掲げる。
「おおおおおおおおおお!!!!」
「源田!!」
「止めた……止めたぞ!!」
「やった……!」
源田が感情を爆発させ、雷門イレブンはその光景に歓喜の声を上げる。
そして、それを驚愕の表情で見つめる者が一人。
「馬鹿な………私のシュートを……アイシクルロードを止めただと……?」
いくら人数を掛けて威力を削られたとはいえ、自分のシュートが止められる等とは微塵も考えていなかった吹雪は、すぐには事実を受け入れられず呆然と立ち尽くす。しかしまだ試合は終わってはいない。そんな吹雪に構わず、展開は動く。
「風丸!」
源田のロングスローにより、ボールは中盤の風丸へ。パスを受け取り、直ぐ様反転した風丸がドリブルを開始する。
吹雪がシュートを打った時、反射的にディフェンスに向かおうとした。だが理性がそれを踏み留まらせた。例え吹雪のシュートを止められたとしても、それだけでは駄目なのだ。リードしている状況ならともかく、今は得点を奪いに行く必要がある。吹雪のシュートを止めた後、悠長に時間を掛けて攻めていては点を奪うのは難しい。かといってロングパスはカットされる可能性が高い。だからこそ、素早くカウンターを決めゴール前へとボールを繋ぐ為に、攻撃の駒を残しておかなければならなかった。
吹雪のシュートを止められる可能性がどれだけあるかなんて正直分からなかった。一歩間違っていれば、俺が戻らなかったばかりにシュートを止められず、試合が決まっていた恐れすらあった。
しかし、確かにこうしてボールは俺の元に届いた。だから─────
────今度は、俺の番だ。
「調子に乗るなよ……凡人共がぁぁぁ!!!!」
シュートを止められた動揺から立ち直った吹雪が、憤怒の形相を浮かべこちらに向かってくる。
────俺が凡人だなんてことは、俺自身が一番よく知っている。
ずっと、俺よりも凄い奴らの背中を追い続けてきた。隣に立ちたいのに、いつまで経っても追いつけない、その背中。
豪炎寺の様に、ゴールを奪うことが出来る訳じゃない。円堂の様に、相手のシュートを止めることも出来ない。なら、俺には何が出来る?
────そんなの決まっている。
俺にあるのはこの脚だけだ。俺が勝負出来るのは速さしかない。
吹雪が背に従える異形が躊躇いなく、その手に持つ槍を振り下ろす。咄嗟に横に飛び、その一撃を紙一重で回避する。だが、勿論それで終わるはずもない。追撃の二撃、三撃、薙ぎ払い。縺れそうになる足を必死に動かし、それらを何とか躱していく。
「このボールだけは……絶対に渡さない!!」
「ッ、ちょこまかと……!!」
躱す、躱す、躱す。風丸は歯を食いしばり、懸命にボールをキープしながら、振り下ろされる槍を何とか凌いでいく。今の吹雪は完全に頭に血が上っており、動作が大振りになっていることもあり、何とか保っているこの均衡。
それは口が裂けても舞い等とは呼べない、泥臭く不格好な姿。しかし必死に、ボールを繋ごうと全力を尽くすその姿は、見る者の心を熱くする。
────もっとだ……!もっと速く……!!
そう思っても、この足はこれ以上速くは動いてくれない。文字通り息付く暇もなく、脳が酸欠を訴え視界が白ずむ。頼むから、もう少しだけもってくれ。もう少し、もう少しなんだ。皆が繋いだこのボールを、俺が────
「────あ」
その一撃を、躱すことが出来ないと悟る。まるで走馬灯の如く、自分に向かってくる槍が、ゆっくりとスローモーションで見える。動いてくれとどれだけ願っても、鉛の様に重くなった体は言うことを聞いてくれない。結局、無理なのか。俺では、何も─────
『皆を頼んだぜ、風丸』
ふと、あの時に聞いた最後の言葉が、脳裏を過った。
「─────ぁぁぁぁあああああ!!!!」
既に限界だったはずの風丸の体が加速する。突風を纏い、今までにない速度で駆け抜けた先には、吹雪の姿はなかった。
「いっ………けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
吹雪を抜き去った風丸からパスが送られる。その行き先に待つのは染岡。このボールをしっかりとトラップし、染岡はボールを上空へと蹴り上げる。ボールを追うように現れた翼竜の体躯は今までよりも逞しく、鱗の持つ輝きも強く。
皆が守り、風丸が繋いだ、沢山の想いが込められたボール。その想いに、染岡は応える。
蒼き翼竜と同じ輝きを持つボールが、翼竜に導かれて染岡の元へと急降下。そのボールを、渾身の力をもって打ち出す。
「ワイバーンクラッシュ……V2ゥゥゥゥゥゥ!!!!」
進化した染岡のシュートが、白恋ゴールに向かう。
「さ、せるかァァァァ!!!!」
しかし、その凄まじい執念の成せる業か、風丸に抜き去られたはずの吹雪が、染岡の放ったシュートの前に立ちはだかる。
「これで…………何!?」
染岡のシュートを打ち返そうとした吹雪だったが、それよりも早く染岡のシュートがコースを変える。蒼き翼竜は再び大空へと舞い上がる。
────頼んだぜ。
染岡は知っている。自分の弱さを。染岡は知っている。同じストライカーとして、彼らの強さを誰よりも。
だから、迷わずに最後を託すことが出来る。染岡はその強さを持っている。
北国の空に、闇色の彗星が上る。激しい回転を伴いながら上空のボールへと向かうその彗星は、更なる力の高まりを示すかの如く、やがて赤雷を迸らせる。
「ダーク………トルネェェェェェェェェドッッッ!!!!!!!」
遥か上空から黒と蒼が入り交じった色合いのシュートが放たれる。翼竜の澄んだ蒼色の鱗が、黒く染まっていく。赤雷を纏う翼竜が、その身を漆黒へと変え、咆哮を上げながら白恋ゴールへと突っ込んでいく。
「今度こそ終わりにしてやる!!アイシクル………ロードォォ!!」
それを見た吹雪は一歩も引かず、自身の化身技をもってこのシュートを打ち返しにいく。
漆黒の翼竜とゲルダの槍が正面からぶつかり合い、轟音と衝撃波が辺りに撒き散らされる。その正面衝突の均衡は、ほんの一瞬で崩れ去る。
「な……何………!!」
シュートの威力に負け、吹雪の体が徐々にではあるが、確実に後方へと押し込まれていく。
「何だ……このパワーは……!!」
自分が力負けしているという事実に驚愕の声を漏らす吹雪。化身を使っている吹雪に対して、鬼道は化身を使うどころか体力すらもろくに残っていなかったはずなのだ。到底理解出来るはずもない。
「これが……信頼が生む力、だとでも言うのか……!!そんなもので……この私が……!!」
『いけええええええええええええ!!!!!!』
その声援に後押しされた漆黒の翼竜が、ゲルダの槍を弾き飛ばす。そのままゲルダの腸を食い破り、驚愕に目を剥く吹雪を飛び越え、白恋ゴールに食らいついた。
同時に試合終了を告げる笛の音が鳴り響き、雷門対白恋の死闘は引き分けという形で幕を閉じることとなった。
まるで最終回のような纏まり方だ……。