チェンジ、メタリック千雨!   作:葛城

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クラスメイトは吸血鬼!? 後篇

 ぱらり、ぱらり、室内に、本のページを捲る音が響く。

 ベッドの上でのんびりマンガを読んでいる千雨は、枕元に置かれたポテトチップスの袋に手を入れた。

 窓ガラスが、夜風の力強さに強張って、ガタガタと唸っている。予報では、今日の夜は雨こそ降らないものの、

 強風警報が出るか出ないかの風になるらしい。麻帆良気象台の観測なので、外れはしないだろう。

 いつもならのんびりパソコンでもしている千雨だが、今日だけはそういうわけにはいかない。

 今日は20時から24時に掛けて、学園都市全体(それは千雨達が住んでいる学生寮も入る)のシステム

 (電力関係のコンピュータシステム)メンテナンスによる一斉停電があるからだ。

 パソコンの電気は千雨が代用できるが、あいにくそれだけではインターネットにアクセスすることが出来ないので意味が無いのである。

 千雨が本気を出せばプロバイダー先のサーバーにも電力を送ることが可能だろうが、壊したらとんでもないことになるので、千雨は大人しくしていた。

 ポリポリとポテトチップスを一口頬張る。先日買った、季節限定の『濃厚ナポリタン味』の微妙な味に、千雨は気だるそうにため息を吐いた。

 なんとなく興味本位で買ってみたが、買うべきではなかった。美味いわけではないが、決してまずいわけでもない。

 捨てるにはしのびないし、かといって食べきるのが苦痛なそれを、千雨は半眼で見つめた。

 

「……ああ、もう」

 

 ラジオでも聞こうかと思ったが、ラジオ局も停電の関係で休みである。

 その為、いくらチャンネルを合わせても、時間が潰れそうなものは放送していない。

 ウンともスンとも言わないラジオに千雨はため息を吐くと、腹部に突き刺さったコンセントを抜いて、ラジオを元の場所に片付けた。

 そして再び寝転がると、読みかけの本を開いた。再び室内に、ぱらり、ぱらりとページを捲る音が響く。

 相も変わらず、同室のクラスメイトは帰ってこない。

 まあ、もともとほとんど帰ってこないし、たまに帰ってきても寝るだけのクラスメイトを、千雨はあんまり心配はしてなかった。

 

(……あ、やべ、風呂に入ってなかった)

 

 そのことを思い出すと同時に、フッと、自室の電灯が消える。スナック菓子の横に置かれた携帯電話で時間を確認する。

 どうやら、気づかぬうちに停電開始時間になっていたみたいだ。

 暗闇に閉ざされた中で、千雨は寝転がっていたベッドから起き上がった。

 

(……風呂に入らなくっちゃ、だな)

 

 照明は既に落とされているだろうし、明日にしようかな、とも思ったけど、

 風呂に入らないと気持ちが悪くて眠れなさそうだ。千雨はさっさと入浴の用意を始めた。

 

 

 

(やっぱり誰もこの時間に入浴場へ向かっていないな……まあ、たまにはのんびり独り占めもいいだろ)

 

 自室と同じように照明が落とされた廊下を、一人歩く。どこか湿った空気が、舐めるように千雨の肌を掠めていく。

 体操服の為か、妙にその風がまとわりつくような感覚を覚える。

 懐中電灯無くしては、足元すら見えない程の暗闇でも、千雨は危なげも無く進んでいく。

 はっきりと床の木目まで確認することが出来る今の千雨には、明かりなど余計な荷物でしかない。

 そのせいだろう。廊下の先、突き当りを曲がった外への出入り口から、ほんのわずかな明かりを千雨の目が捉えることが出来たのは。

 

(……? 見回りの先生か? それとも私と同じか?)

 

 どっちにしても、見つかったら面倒になりそうだ。そう判断した千雨は、とりあえず生徒か先生かを見極めようと、

 抜き足差し足で明かりが漏れている出入り口へと近寄った。

 そっと、気づかれないように顔を覗かせる。チラリと視界の端に映った小さなスーツ姿に、千雨は反射的に口元を手で抑えた。

 千雨の視線の先には、懐中電灯を持ったネギ先生の姿があった。ネギは、千雨に気づいた様子も無く、あらぬ方向へ懐中電灯を向けていた。

 ネギの傍には一匹のオコジョ(ネギのペットらしい。先日明日菜が肩に連れているのを見た。

 なんだかデカいネズミみたいに思えて、千雨はあまり好きにはなれない)がおり、千雨はネギから反射的に身を隠してしまった。

 それはネギが嫌いだからというわけではない。

 (好きか嫌いかと言われれば、ガキが嫌いなだけでネギ自体は嫌いではないのだが)

 ネギが子供らしからぬ思いつめた顔で、オコジョと会話をしていたからだった。

 

 思わず(ついに教師生活のストレスが!?)と戦慄を覚えた千雨だったが、すぐに千雨はその戦慄を吹き飛ばせる事実に気づいた。

 

『そうはいかないよ、カモくん。やっぱり僕は一人で行くよ』

『で、でも、兄貴。相手は真祖の吸血鬼、エヴァンジェリンだぜ。勝てっこねえよ!』

(……は?)

 

 何を話しているのかを盗み聞くことに集中した千雨の身体は、しっかりと主の意識に従い、一人と一匹の会話を盗聴した。

 だが、それによって千雨は、久しぶりに自らの肉体が持つ性能を恨むことになった。

 憎い。ちょっと集中しただけで勝手に盗聴してしまう無駄なところで自動反応な自らの肉体が憎い。

 激しく嫌な予感を覚え始めた千雨は、何とも言えない頭痛に頭を抱えた。そんな千雨の様子にも気づかず、一人と一匹は話を続けている。

 

『大丈夫。実はこんな時の為に、用意していたんだ』

 

 そういうと、ネギはどこからか用意した大袋から、様々なものを取り出して、体に装着し始めた。

 それは千雨の知識から言えば、まさしく“ファンタジー”な代物の数々だった。

 千雨が呆気に取られている間に、ネギはスーツを脱ぎ捨てて、袋からマントを取り出していた。

 それを羽織ると、ネギ先生は、子供教師から、魔法使いのような恰好をしたネギ先生に変わった。

 

(え、リアル中二病? 中二病こじらせたのか? あ、いや、よくよく考えたら、あいつ十歳なんだよな。

 だったらまだ中二じゃないし、ぜんぜん大丈夫……って、そういう問題じゃなくてだな)

 

 混乱して思考が乱れている千雨をしり目に、ホルダーにいくつもの試験管(何やら液体入り)を差し込み、

 玩具(千雨の目にはそうとしか思えない)の銃をベルトに挟み、大小様々な杖を、マントの内側にあるホルダーへ挟んでいく。

 はた目にも重装備だというのがうかがい知れる

 

 その横で、オコジョが必死にネギを説得してた。もはや、オコジョが喋っていることが当たり前のように思えてきた。

ことが当たり前のように思えてきた。

 

『だ、駄目だ、兄貴。いくら装備を整えたって、やつには勝てねえよ。

 それで勝てる相手なら、とっくの昔に捕まって処刑されているはずだ!

 ここは一旦引いて、明日菜の姐さんと一緒に事に当たらねえと……』

『でも、まき絵さんが人質に取られているんだよ! このままグズグズしていたら、どういう目に遭わされるか分からないんだよ!』

『そうは言っても、おそらくこの停電でエヴァンジェリンの魔力が復活したかも分からないんだぜ。あまりにも危険すぎる!』

『でも、僕がやらないと!』

 

 何やら聞き覚えのあるクラスメイトの名前が聞こえたような気がする。思わず耳を疑った千雨は、頬を引き攣らせた。

 どういう状況なのか、千雨には分からなかったが、とにかくクラスメイトのまき絵が危険な状態であることは理解出来た。

 あと、ついでに言えば危険に晒したのがエヴァンジェリンであることも。

 装備し終えたネギが、ひと際大きい杖に跨る。慌ててオコジョがネギの肩に飛び乗ると同時に、

 ネギが力強く大地を蹴りあげる。すると、ネギの体はふわりと夜空へと飛び上がった。

 (嘘だろぉーーーー!!??)もはや跳んだことに驚けばいいのか、クラスメイトの危機に驚けばいいのか、千雨には判断が出来なかった。

 

『相手はパートナーの茶々丸までいるんだ。せめてこっちもパートナーがいないと、数の上でも不利になるんだぞ!』

『やだ! もう明日菜さんには迷惑を掛けられないよ!』

『兄貴! 今はそんなこと言っている場合じゃ!』

『やだ!』

 

 ネギの身体が加速する。

 『えーい、分からず屋! もう知らねえよ!』と飛び降りたオコジョに目もくれず、ネギはさらに加速すると、あっという間に、夜空の暗闇へ姿を消した。

 

 

 

 「くそ、明日菜の姐さんにこのことを伝えなきゃ!」と千雨に気づいた様子も無く、オコジョはどこかへ走り去っていった。

 

(……なんだか大変な場面に出くわした気がする。いや、気がするじゃない。これはどう考えても大変な事態だ!)

 

 千雨としては、ちょっと風呂に入る為に外出しただけのことだった。

 まさかこんなシリアスな場面に遭遇するとは、部屋を出る前の千雨は夢にも思わなかっただろう。

 足早に自室へと走りつつ、千雨は今さっき遭遇した光景を思い返していた。

 

(やばい。これはマジでやばい。なんだか知らんが、とにかくやばい。なんだよ、吸血鬼の真祖って。

 なんだよ、魔力って。ここはファンタジーじゃないんだぜ。なにか、エヴァのやつは、吸血鬼で、なにか理由があってクラスメイトを……!)

 

 ピタリと、千雨の足が止まった。気づけば、千雨は自室の目の前にまで戻っていた。

 千雨の中で、パズルのピースが噛み合った。桜通りの吸血鬼。あの時どうしてエヴァがあそこまで憤怒したのか。その疑問が、解消する。

 同時に、千雨の脳裏には、以前、学園長からお願いされた言葉が、頭の中をぐるぐると回っていた。

 

“『たまにでいいんじゃよ? たまにでいいんじゃが……ネギくんが困ってしまったとき、こっそりと力を貸してほしいのじゃよ』”

 

(――っ、ち、ちっくしょう! あのくそじじい! 困ったことって、こういう事態かよ! なんつうとんでもないことを頼みやがるんだ、くそが!)

 

 誤解である。

 噴き上がった怒りに目の前が真っ赤になる。苛立ちを込めて扉を開ける。室内は真っ暗で、同居人は帰った様子は無い。

 千雨は叩きつけるように自分のベッドへ着替えが入った洗面器を投げ込むと、自分も室内に入って扉を閉めた。

 明かり一つない暗闇の中、千雨は考える。それは、ネギを助けに行くか、それとも先生方に助けを求めるか。

 『広範囲観測粒子』、発射。千雨はすぐさま極小サイズのスパイ粒子を、放射状に散布する。

 物を、壁を、建物をすり抜けて、その拡散範囲は学生寮を超えて、麻帆良全体へと、凄まじいスピードで広がっていく。

 千雨の頭脳に、とてつもない量の情報がなだれ込んでくる。スパイ粒子から送られてくる、有象無象の数々。

 それらを高速処理して、必要な分だけを選び取っていく。最初は混乱したが、今では慣れたものだ。

 ハッと千雨は我に返る。膨大な情報を処理したせいで、ほんのわずか気が遠くなっていたみたいだ。

 自分が何を把握していたのかを理解すると同時に、千雨は肩を落とした。

 

(くそったれ! なんでこんなときに限って、全員麻帆良の端っこにいるんだよ!

 エヴァやネギ先生たちとは反対方向じゃねえか! ていうか、先生たち怖え! 

 超怖え! もしかしなくても、あんた達までそういうやつらだったのかよ!)

 

 知りたくなかった事実に、千雨は頭を振った。

 どうやら、ネギ先生が魔法使いの子供であるなら、この学校の教師陣は、魔法使いの大人であるらしい。

 スパイ粒子から送られてきた映像にあった、手から光を出して化け物

 (としか千雨には形容しようがない)を倒す社会科担当の教師の顔を思い出して、ため息を吐いた。

 

(……あ、やべえ、ネギ先生、避けろ!)

 

 送られてくる映像に、エヴァとネギの戦いがある。

 余裕綽々でネギをいたぶっているエヴァに腸が煮えくり返る気持ちになりつつも、寸でのところで攻撃を避けたネギに、安堵のため息を吐いた。

 分かったことだが、今回はあのときと違って、今のネギには味方がいない。ネギの傍に、ネギを助けてくれる仲間がいないのだ。

 ネギには、何かしらの力(おそらく、魔法というやつなのだろう。確信は持てないが)があるのだろう。

 魔法使いのように、杖に乗って空を飛んでいるあたり、それは分かる。

 だが、盗み聞いた話だと、ネギよりもはるかにエヴァの力は強大であるらしく、ネギがどれだけ装備を整えようと、

 覆すことが出来ないレベルらしい。映像からでも、ネギの反撃を笑いながら受けているエヴァの姿が映っている。

 そしてそれは、パートナー(たぶん、相棒的な)である明日菜の力を借りても、無理。

 それなのに、相手はさらに茶々丸(マスターって、こういうことかよ!)がいる。

 状況は絶望的。エヴァの実力

 (処刑されるぐらいのことをしていて、それから逃げ続けているのだから、相当なものだろう)も未知数。

 まさしく絶体絶命というやつだ。

 

「くそ! 早く助けに行かねえと!」

 

 慌てて部屋を出ようと立ち上がって……ノブを握る寸前で、千雨は動きを止めた。

 今、ネギの元に駆け付けた場合、どうなるのか。千雨の頭の中を、めぐるしく予想が駆け巡る。

 ます、どうあがいてもエヴァと戦闘になることは避けられないだろう。ネギたちがあれだけ恐れるエヴァが、

 どれ程の力を秘めているかは分からないが、千雨とてそれは同じだ。

 問題は、戦闘経験の差と、心構え。賞金首として逃げ続けることが出来るということは、それだけ修羅場を潜ってきたということに他ならない。

 逆に千雨に至っては、修羅場はおろか、他人から怒鳴られただけで竦んでしまう始末だ。

 おまけに、千雨は当然のことながら、人間を(吸血鬼なのだが、千雨にとってはエヴァもクラウスメイトである)撃ったことなど無い。

 他人を撃つという行為ですらままならない千雨にとって、たとえエヴァが危険人物であったとしても同様であった。

 しかも、エヴァの傍には茶々丸がいる。ロボットである彼女は、おそらくいくつもの武装をしているだろう。

 武装の面ではある意味無制限に出せる千雨に軍配が上がるものの、だからといって千雨が勝てるとは限らない。

 

 なにせ、千雨は俗に言う、チキンだからだ。

 

 それに、間違いなくエヴァとネギには千雨の秘密が露見するだろう。場合によっては、明日菜とオコジョ(話せた以上、それ相応の知性はあるのだろう)と茶々丸にもバレてしまう。

 明日菜とオコジョ(話せた以上、それ相応の知性はあるのだろう)と茶々丸にもバレてしまう。

 そうなったら、千雨はどうなる。ネギたちが面白半分で人に話すような人間でないことは、これまでの日々で知ってはいる。だが、何かの弾みで口にしてしまう可能性は否定できない。

 これまでの日々で知ってはいる。だが、何かの弾みで口にしてしまう可能性は否定できない。

 

 万が一、それが広まってしまったら?

 万が一、面白半分のマスコミ連中から追い回されることになったら?

 

 そうなったら、千雨の平穏は終わりだ。ネギを助けたいという思いはあるが、かといって、

 自分のこれからの生活を台無しにしてまで助ける義理は無いし、そのことを天秤に掛けてしまう。

 こち、こち、こち、アナログ時計の秒針が室内に響く。夜風に怯えるように震えている窓ガラスはまるで、迷っている千雨を叱咤しているようだ。

 千雨は誘われるように窓へ近寄ると、カーテンを一気に開いた。まだ停電は続いているようで、どの建物にも明かりは灯っていない。

 都市全体の照明が落とされているせいか、星空が良く見えた。キラキラと光るそれは、千雨を励ますように静かに輝いている。

 「落ち着け、落ち着け、考えろ、考えろ」と呟いて室内をウロウロする千雨の姿は、さぞおかしなものであった。

 けれども、何かをせずにはいられない今の千雨には、ただ闇雲に体を動かすことでしか、全身を突き動かす焦燥感を誤魔化すことが出来なかった。

 

(ああ、もう!)

 

 ガリガリと頭を掻き毟って、千雨は顔をあげた。どちらにしても、このまま悪戯に時間を浪費していても、事態は好転しない。

 それどころか悪くなるだけで、千雨の後悔を助長させるだけに他ならない。

 千雨の頭脳が自問自答を開始する。コンピュータに関する知識を得る際に覚えた、アルゴリズムの思考が。

 

 どこへ向かう。どこへ行こう?

 

 どうすればエヴァを止められる?

 

 エヴァを止めるにはどうしたらいい?

 

 実力で止める。いや、それは無理だ。ならばどうする? 誰かを呼ぶか?

 

 それも無理だ。時間が時間だし、あんまり交友を持たない私が助けを求めても、冗談だと取られかねない。

 

 では、どうする。エヴァの動きを止める?

 

 止めてどうする。止めるにしても、私が直接相手をしなければならない。それでは私の存在が露呈してしまう。それは避けるべき。

 

 だが、エヴァをどうにかして止めなければならない。止めなければ、ネギが危険。

 

 ではどうやって止めるのか。エヴァの苦手なものを用意するか?

 

 それも無理だ。吸血鬼の嫌いなものといえば、ニンニクやら十字架だが、そんなもの用意している時間は無いし、なにより効くかどうかも分からない。

 

 では、エヴァがこれ以上ネギに構っていられない状況にする?

 

 だが、どうやって? 話を聞いた限り、エヴァの狙いはおそらくネギ。

 

 そうなると、生半可な理由ではエヴァの注意を逸らすことは出来ない。

 

 どうやってエヴァの注意を逸らすのか。『フォトン・レーザー』で注意を逸らす?

 

 それはNOだ。私に、誰かを撃つ度胸は無い。

 

 ならば、注意を逸らさなければならない状況を作り出したなら?

 

 その場合、千雨の存在は露呈されず、かつ周囲にネギの危険を知らせる為に、多少派手にした方がいい。

 

 だが、派手にするとしても、今は停電中だ。ほとんどの生徒は自室に入っているし、なにより電気が来ていないので何も……

 

「あ!」

 

 稲妻のように脳裏を走った妙案に、千雨は手を合わせた。

 

「停電だ……そうだよ、停電だよ!」

 

 答えが出た千雨は早かった。「『バック・ファイア』!」と叫ぶと同時に、千雨の両足が白色の物質でコーティングされていく。

 瞬く間に両足が機械の塊で覆われると、千雨は急いで窓を開けた。

 途端、待ってましたと言わんばかりに、殴りつけるような横風が室内に飛び込んできた。

 机の上に置かれていた本が風に煽られて開かれる。

 転がったペットボトルに目もくれず、意識を集中させると、千雨の身体はあっという間に夜空へと躍り出る。

 

「あのオコジョが言っていたじゃねえか。停電で魔力が復活したってことは、もう一度電気が復旧すれば、

 エヴァの魔力を奪うことが出来るはずじゃねえか。ちくしょう、どうしてもっと早く気づかねえんだよ、私は!」

 

 何の確証もない理論だが、試してみる価値はある。というより、それ以外にエヴァをどうにかできそうなことが思いつかない。

 どういう原理を利用して、エヴァの力を電気で封じているのかは知らないが、とにかく復旧させなくてはならない。

 腕時計で時間を確認する。復旧まで、かなり時間がある。おそらく、エヴァはこの時の為に入念な準備を重ねていたのだろう。

 それこそ、復旧するまでの時間はもちろんのこと、教師陣の動向も把握しているであろうことは、予測するまでも無い。

 しかし、電力を復旧させるにあたって、どうしたらいいのだろうか。

 単純に発電所の発電機を動かせばいいのだろうけど、そう簡単に出来るものなのだろうか。

 

(……今は悩んでいる暇はない。とりあえず、学園長のところへ! 応援が難しくても、無いよりはマシだ!)

 

 瞬間、千雨の身体がふわりと上昇した。

 一瞬の溜めの後、『バック・ファイア』は青白い閃光を吐くと同時に、千雨の身体を一気に強風の中へと押し上げた。

 

 

 

『……? あれは?』

 

 茶々丸の内部に搭載されたレーダーが捉えた機影に、茶々丸は眼下から視線を外した。

 機影はほんの一瞬だけ映っただけだが、決して気のせいではない。人間なら気のせいと思っても、機械である茶々丸には気のせいは無い。

 視線の先、女子中等部の学生寮のある方角へ視線を向けるが、茶々丸の目には不審な点は映らない。

 先ほどから変わらず、並木道の木々が、強風によってうるさいほどにざわめいているのが分かる。

 光学式センサーから、赤外線センサーに切り替えてみるも、それらしいものは見当たらない。

 熱探知式センサーにも切り替え、レーダーの感度を最大まで上げるが、結果は同じ。

 ズーム機能を使って隈なく観察していた茶々丸に、エヴァも気づいて顔をあげた。

 

「どうした、茶々丸?」

 

 麻帆良高等学部の校舎屋上。

 貯水タンクの上で、人質たちと戯れているネギの様子を楽しげに観察していたエヴァは、不審そうに茶々丸を見つめた。

 今宵は待ちに待った日だ。ネギがこの学校に教師としてやってくるのを知った日から、練りに練った計画のお披露目だ。

 誰にも邪魔されないよう教師陣を学園端に追いやり、かつ己の魔力を復活させるために、麻帆良のシステムに侵入してやつらにバレないよう工作する。

 

 計画は完璧に進行していた。

 

 まさかマジック・アイテム(魔法道具。思わず懐かしんでしまうぐらいのアンティークもあった)で武装してくるとは思わなかったが、

 それも大した障害にはならない。そもそもネギが手に入れることが出来るマジック・アイテム程度で、エヴァをどうにか出来るものなど無い。

 そう考えると、ネギの精一杯の戦いが思いのほか可愛く思えてくるのは、エヴァだけだろうか。

 ネギが可愛い抵抗をするので、少々遊んでしまっているが、それもまだ許容範囲内だ。

 

『マスター。レーダーに反応がありました』

「む……やつらが(教師たち)気づいたのか?」

 

 杖に跨り、並木通りを猛スピードで疾走するネギに視線を戻す。せっかく楽しくなってきているのだ。

 こんなところで邪魔をされては、せっかくの計画も水の泡だ。

 そうならないよう、教師たちには手を回していたのだが……学園長あたりが気づいたか?

 

『その可能性は低いかと。レーダーには何の反応も無し。直接視認を試みましたが、それらしいものは見当たりません』

「鳥か何かじゃないのか?」

『鳥にしてはサイズが違いすぎます。おおよそ、人一人分のサイズです。

 一瞬でレーダーのレンジ(索敵)外に消えたので害は無いでしょうが、速度が異常です。

 瞬時に音速に近い速度を出したのを観測しています。警戒するべきかと……』

 

 ふむ。エヴァは首を傾げた。自らの魔力でもって編み上げた黒マントをはためかせ、エヴァは立ち上がった。

 

「どっちだ?」

『あちらです』

 

 茶々丸が指さした先。それは、学生寮がある方角であった。

 一瞬、ネギが先日パートナー仮契約を行った、神楽坂明日菜を疑ったが、すぐにそれは違うと頭を振った。

 神楽坂明日菜だったのなら、茶々丸が見失うわけがないからだ。ならば、生徒の内の誰かかと考えるが、それも可能性は低い。

 ジッと、エヴァは魔力を瞳に集中させた。エヴァの瞳が怪しく光を放つと同時に、力がエヴァの思いに具現化し、

 エヴァの視界を亜麻色に変える。ぽつ、ぽつ、と視界の中に光り輝く点が現れ始める。

 茶々丸が行った物理的な捜索ではない。エヴァにしか行えない、魔力を使った魔法探査である。

 全ての生物には、大なり小なり魔力を持っている。どんな微細な生き物でも、微小な魔力を必ず持ち合わせている。

 この魔法探査は、そんな微小な魔力すらも探知する、エヴァの魔法であった。

 ネギの傍にいたオコジョが手を貸したのではないかという考えから、エヴァはそれを使用したのだ。

 

「……ふむ、魔力の反応は特になし。やはり、鳥じゃないのか?」

 

 視界の端に映る茶々丸に、エヴァはそう答える。

 

『そんなはずはないのですが……』

「まあ、よいではないか」

 

 いまだ不安そうに渋る茶々丸に、エヴァはからからと笑った。

 

「そいつが何なのかは現時点では不明だ。それは確かに憂慮しなくてはならないことだろうが、構うことは無い。

 魔力が戻った今、たとえそれがジジイ(学園長)だとしても、返り討ちだ」

 

 「それより、今はあの坊やだ」と、エヴァは再び眼下を見下ろした。そこには機転を利かして、人質を気絶させたネギの姿があった。

 

 

 

 麻帆良大学の一室。普段は学生たちの休憩所として使われているその部屋は、今は物々しい雰囲気となっていた。

 部屋の入口には、『作戦本部!』と達筆で書かれた看板が取り付けられており、室内には夥しいコードの束と、いくつものパソコン機器が設置されていた。

 学園都市にて、年二回行われる集中メンテナンス。それは言い換えれば、年二回、学園を守るあらゆる警備システムがダウンすることに他ならない。

 学園都市としても世界的に有名である麻帆良は、それと同時に科学の最先端という一面を持ち、またそれに合わせて外敵が多い。

 普段から、産業スパイらしき不審な人物が警察に突き出され、麻帆良の技術機関へのクラッキングなど、毎日どころか毎秒行われているくらいだ。

 麻帆良図書館という貴重な施設(各国が消し去った、知られたくない歴史を記した蔵書もある)があるのもそうだが、

 優秀な人材が集まり、世界でも最先端の技術が日夜蓄積されているこの地は、そういった人たちからすれば宝の山なのである。

 しかし、それは表向きの敵だ。なにより学園が警戒するのは、麻帆良図書館に眠っている蔵書……いわゆる、魔法の本を狙った、魔法使いの存在であった。

 麻帆良学園は、表向きは普通の学校である。けれども、魔法使いの子供を育成する、魔法学校という裏の顔もあった。

 

 この学園は、ある意味では魔法の学校であったのだ。

 

 例年通り、今日も、それは変わらなかった。警備システムがダウンした時間を狙った、犯罪組織の襲撃である。

 ただ、例年通り技術関係へのクラッキングは、麻帆良技術部(と言う名のマッドサイエンティスト)が対処している為、心配はしていない。

 

 問題は、魔法関係だ。

 

 今も、腕に覚えのある先生と一部の生徒(魔法使いであることは極秘な為、一般の警察組織の力を借りることが出来ない)が、

 学園内に侵入したやつらを迎撃に向かっている状態であった。

 その中で、作戦の総指揮を執る近衛近右衛門は、本部にて一人、送られてくる情報を元に、

 各部隊へ命令(基本的には現地の判断だが、応援要請などは近右衛門が受けて、他部隊を派遣させる)を下していた。

 パソコンディスプレイに映し出された映像を、ジッと見つめていた。

 そこには刻々と現在状況が映し出されており、物々しい内装とは裏腹に、室内は静かであった。

 ふと、そこへ一人の男が入ってきた。少し白みがかった髪を短く揃えた、壮年の男は、メガネの位置を直しながら近右衛門に頭を下げた。

 

「学園長」

「……フォ? なんじゃ、タカミチ君か。どうじゃ、現場は上手く回っておるか?」

 

 タカミチ、と言われた男は、ネギの前に2-A(現3-A)の担任を務めていた男は、

 「今年も何とかなりそうです」と疲れた雰囲気ながらも、笑顔を浮かべた。

 

「今回はいつもより多かったですが、実力はそうでもなかったですから……それに、

 最近は他の先生方も腕を上げたみたいで……どこへ行っても、『ここはいいから、手が足りていないところに行ってください』ばかりですよ」

 

 その言葉に、近右衛門は心底おかしそうに、カラカラと笑い声をあげた。嬉しく思いながらも、

 寂しそうに苦笑するタカミチの姿に、近右衛門は滲んだ涙を拭うと、「まあまあ、よいことじゃよ」と慰めた。

 

「ようやく、『デス・メガネ』も隠居に入る時期が来たのかもしれんのう」

 

 タカミチの苦笑が、さらに深まった。

 

「……学園長までそのあだ名を。けっこう気にしているんですよ、それ。それに、僕はまだまだ働けますから」

「フォフォフォ、冗談じゃよ。まだまだわしの目が黒いうちは、しっかり働いてもらわんとな」

「……お手柔らかにお願いしまっ!?」

「フォ?」

 

 突如、甲高い破壊音と共に、窓ガラスが割れた。同時に、小柄な人影が室内に飛び込んでくる。

 それは散らばったガラスをものともせず、床を削りながら静止した。

 突然の異変に表情を引き締めたタカミチと近右衛門の視線が、ガラスを突き破って侵入してきた存在へ向けられる。

 

 まさか、ここまで侵入者が!?

 

 そう、二人の脳裏に戦慄が走ると同時に、二人は同時に戦闘態勢を取った。

 タカミチは自らが得意とする居合拳(居合剣の素手バージョン)を放つ為、両手をポケットへ。

 近右衛門は、瞬時に自らの魔力を具現化し、いつでも攻撃魔法を放てるよう身構える。

 

(学園長、まず僕が先手を取ります)

(あい分かった。援護しよう)

 

 アイコンタクトにて作戦を伝え、二人は侵入者へ意識を向ける。視線の先にいる人間は、舞った埃を振り払うように頭を振ると、俯いていた顔を上げた。

 瞬間、タカミチと近右衛門の口がポカンと開かれた。近右衛門に至っては、せっかく具現化していた魔力を四散すらさせていた。

 

「……は、長谷川君?」

 

 恐る恐る、タカミチは見覚えのあるどころではない生徒の名前を呼んだ。

 けれども、タカミチの視線の先に居た千雨は、返事をする時間すら惜しいのか、タカミチを無視して近右衛門へと一瞬で接近すると、その肩を掴んだ。

 

「……学園長」

 

 おどろおどろしいとは、このことか。千雨の背後で、「み、見えなかった」と冷や汗を拭っているタカミチをよそに、近右衛門はごくりと唾を飲み込んだ。

 

「言いたいことは腐る程ありますが、今はそれどころじゃありませんので、簡潔に伝えます。ネギ先生がエヴァに襲われています」

「な、なに、それは本当なのかい!?」

 

 驚きに目を見開くタカミチに、本当です、と千雨は頷いた。

 

「私も詳しいことは分からないけど、なにやらエヴァの魔力とやらが復活しているらしくて、ネギ先生とオコジョがそう話しているのを聞きました。

 ネギ先生は、人質を取られたみたいで、今一人でエヴァのやつと戦っています」

 

 少しの間、近右衛門は何を言われたのか分からなかった。しかし、すぐに内容を把握すると、近右衛門の顔が紅潮した。

 

「え、エヴァのやつめ。何やら企んでいることは分かっておったが、まさか停電の混乱に乗じて行動するとは!

  ここ数年大人しくなっておったから、油断しておったわい!」

 

 千雨から離れて、苛立つように髭を撫でる近右衛門に、「僕が加勢に向かいます」と、タカミチが手を挙げた。

 

「ネギ君は……としては破格の才能を持つ、優秀な子供です。

 ですが、それを差し引いても、あのエヴァには逆立ちしたって勝てません。どうか学園長、僕を加勢に向かわせてください!」

 

 千雨の手前、いちおう“魔法使い”の部分をぼかしながら、近右衛門に進言する。

 それが分かっている近右衛門は、チラリと千雨に視線を投げかけてから、力強く頷いた。 

 「うむ、現場にはわしの方から伝えておこう」。そう口にして、各現場への連絡手段となっている無線装置に手を伸ばした瞬間、それは無線機から響いた。

 

『学園長! 学園長、応答願います!』

「フォ!? 今度はなんじゃ!?」

 

 近右衛門の指が、無線の通話ボタンを押した。

 

『緊急事態です。侵入者の一人が、大規模な召喚魔法を行使しました。敵総数、500を超え、なお増大中。

 至急、応援願います! このままでは突破されます! 至急応援を!』

「分かった! ただちに応援を向かわせる! それまで持ちこたえるのじゃ! 場合によっては撤退しても構わん! とにかく無茶はするな! 以上じゃ!」

 

 ボタンをもう一度押して、通話を終了させる。その顔には先ほどまでの余裕は無く、あるのは焦燥感しかなかった。

 それは通話を聞いていたタカミチも同様で、近右衛門以上に焦りの色を浮かべた彼は、縋り付くように近右衛門を見つめた。

 

「……タカミチ君、ただちに部隊の応援に向かうのじゃ」

「学園長、それではネギ君が!」

「分かっておる!」

 

 怒気を露わにするタカミチを、近右衛門はそれ以上の怒気で沈黙させた。次いで、千雨がこの場にいることを思い出し、声を潜めた。

 

「事態は深刻じゃ。500を超えるとなると、他の部隊を集めても突破されてしまうのは明白じゃ。

 あらかじめ防衛ラインを築いておれば話は別じゃが、通話先の様子を考えれば、もはやほとんど壊滅状態じゃろうのう。

 少なくとも、タカミチくん程の実力者を投入せねば、戦線を立て直すのは不可能じゃろう」

 

「……それは、僕にもわかっております。ですが、このままではネギ君が!」

「一人よりも、大勢じゃ。わしには責任がある。この学園の生徒を守ると言う、大役がな。

 ネギ君には悪いが、今、お主を抜けさせるわけにはいかん。ここは堪えてくれ」

「……でも、でも学園長……僕は、僕は……」

 

 辛そうに俯くタカミチの肩を、そっと叩く。タカミチの気持ちが、近右衛門は痛い程に分かった。

 なにせ、タカミチは、小さい頃からネギと付き合いのある間柄である。

 それこそ、タカミチにとっては歳の離れた弟のように感じていたのだろうことは、想像するまでもない。

 近右衛門とて、出来るならば助けに向かいたい。しかし、そうなると現場を指揮する人間がいなくなる。

 現場の混乱が予想される今、ここを抜けると被害が拡大するのは目に見えている。

 そうなれば、無関係な一般市民に被害が及ぶのは時間の問題だ。作戦指揮者として、

 麻帆良学園長として、たった一人の子供を助けるために、大勢の市民を危険に晒すわけにはいかないのである。

 ……そんな二人の様子を見ていた千雨は、パン、と両手を叩いた。その音に顔をあげた二人は、思い出したように千雨へと視線を向けた。

 

「学園長、停電を直ちに復旧させるためには、どうしたらいいですか?」

 

 その言葉に、近右衛門の瞳に勝機の光が灯った。「そうか、その手があったか!」と指を鳴らす近右衛門の姿に、タカミチを目を瞬かせていた。

 説明を求めようと視線を送るタカミチをしり目に、学園長はすぐさま無線機を手に取ると、回線ダイヤルを回して通話ボタンを押した。

 

「……もしもし、発電所かのう?」

『はい、そうです。現場主任を担当させていただいております、佐藤と申します。どちら様でしょうか?』

「わしじゃ、近右衛門じゃ。急で悪いのじゃが、出来る限り急ぎで復旧作業に取り掛かってほしいのじゃ。

 ほんの少しの時間じゃが、急いで復旧させなくてはならなくなってのう……なんとか出来るかのう?」

『え、今すぐですか?』

「そうじゃ。出来そうか?」

『……う~ん、学園長の頼みでも、それは難しいですね』

「そこをなんとかならんか?」

『いや、別に作業に支障が出るとか、そういうもんじゃないんですよ。

 作業自体はもう終わっているんですけど、肝心のバッテリーの充電が終わっていないんですよ』

 

 佐藤の説明はこうであった。今回のメンテナンスでは、発電機に使われる予備バッテリー

 (災害により発電機そのものを動かす電気がストップした場合、もう一度動かすために使用される最終バッテリー)を

 新しいものに替えたらしく、今は古いバッテリーから電気を、新しいバッテリーへ移動させている途中らしい。

 新型は旧式のバッテリーと比べて、およそ40パーセント多く蓄電出来る代物なのだが、

 その分充電には時間がかかり、発電機を動かすための容量まで、どうしても時間が掛かるとのことであった。

 

『こればっかりはどうにも……何分、メンテナンス作業そのものは早められますけど、蓄電速度は私どもではどうしようも出来なくて……』

「そ、そうか……ちなみに、作業終了時間は、どうなっておる? いちおう0時になっておるが、確か前後15分程度は誤差があるはずじゃったが……」

『それですが、今回、すこし交換作業に手間取ってしまい、終了時刻は0時5分程になっております……重ね重ね、申し訳ありません』

 

 その言葉に、室内にいた3人は、揃って時間を確認した。現在時刻は23時29分。周到に計画していたエヴァのことだ。

 当然のことながら、復旧時間も頭に入れて、復旧前にすべてを終わらせるはずだ。0時ちょうどでも遅すぎるのだ。

 それを、5分も遅れて復旧するのでは、あまりに遅すぎる。

 近右衛門とタカミチの顔に、諦めにも似た焦燥感が浮かび始める。

 いよいよもって手詰まりになったのを悟った近右衛門が、より絶望しているであろう千雨に視線を向けて……目を見開いた。

 

「……なあ、佐藤さん。要は、バッテリーの充電が終わらなくても、とりあえず発電機を動かせば復旧するんだよな?」

 

 千雨の目には、絶望の色が無かった。それどころか、近右衛門ですら活力が湧いてくるぐらい、その瞳には力が宿っていた。

 むしり取るように近右衛門の手から無線機を奪い取ると、「なあ、復旧できるのか?」と再度尋ねた。

 

『君は?』

 

 突如年若い少女の声に変わったことに、不審感を抱いたのだろう。無線機から聞こえてくる佐藤の声には、探るような、そんな感情が読み取れた。

 

「誰だっていいだろ。それで、動くのか、動かないのか?」

「佐藤くん、どうなのじゃ?」

 

 押し黙った無線機に、近右衛門がフォローする。少しの沈黙の後、『動きます』という返事が返ってきた。だが、即座に『ただし、』と続いた。

 

『発電機を動かすためには、半端な電力では動きません。

 最低でも高圧電流クラス……欲を言えば、それの4倍近いパワーでないと、動かないかと思われます。それに、

 電力を制御する管制機器も動かす必要があります』

 

 その言葉を聞いて、千雨は近右衛門に無線機を渡した。呆気に取られているタカミチの横を通り過ぎて、砕け散ったガラスを踏みつける。

 頭の中で麻帆良発電所の場所を思い出しつつ、千雨は『バック・ファイア』を起動させると、窓枠へ手を掛けた。

 

「長谷川くん、どうするつもりだい!?」

 

 ようやく我に返ったタカミチが、背中を向けた千雨へ問いかける。千雨は苦笑すると、首だけを後ろへ向けた。

 

「動かすんですよ。発電機を」

「どうやっ「千雨くん、少し待つのじゃ」、学園長!?」

 

 無線機にて事情を説明していた近右衛門が、千雨の傍へ近寄る。夜風と汗で湿った千雨の前髪を、そっと皺くちゃの指先で梳く。

 同時に、その指先から光が灯ったかと思うと、それは一瞬のうちに千雨の全身を覆って、すぐに消えた。

 

「よし。これで発電所の人間は、千雨くんの姿を正しく認識出来んようにした。

 そいつらからは、千雨くんの姿を正しく覚えられんじゃろうから、心配せずにやり遂げるのじゃ」

「……? 学園長、いま、何をしました?」

 

 目を瞬かせながら、千雨は今しがた全身を覆った体を不審そうに眺める。疑問を尋ねると、近右衛門は含み笑いをしながら、そっと千雨の耳元に口を寄せた。

 

『千雨くんは知らんじゃろうが、わしぐらいにもなると、この手の魔法の一つや二つはお茶の子さいさい、

 ネギくんには無い、年の功というやつじゃよ。学園長にもなれば、箒で空を飛ぶくらいは楽勝じゃ』

 

 その言葉に、千雨は驚きに目を見開く。スパイ粒子の情報からは近右衛門が魔法(としか思えない何か)を使ったところは確認できていない。

 だが、よくよく考えてみれば、教師たちのほとんどが不可思議な力を行使していて、そのトップである近右衛門が何の変哲もない一般人な訳が無い。

 なにより千雨が驚いたのは、近右衛門から、自らを魔法使いであることを示唆されたこと。近右衛門は感づいているはずである。

 麻帆良にはネギ以外にも、ネギのような不可思議な人間がいることを、千雨が知り得ている可能性を。

 事実、もしかしたら、そうではないかなあ、と千雨は懐疑の念を抱いてはいた。

 だからこそ、今ここで魔法使いの存在を肯定されたことが、千雨には信じられない思いであった。

 

「学園長……まさか、あなたも」

 

 スッと、皺くちゃだらけの指が、千雨の唇を押さえた。見れば、慈愛に満ちた瞳が、千雨へと向けられていた。

 生まれて初めて向けられるその感情に、千雨は何も口に出せなかった。

 

『この前、わしに秘密を打ち明けてくれたじゃろ。今度はわしの秘密をお返しじゃよ……もっとも、千雨くんは既に知っておったのかもしれんがのう』

(学園長……)

『大丈夫じゃよ。千雨くんなら出来る。わしが保障しよう。千雨くんはとっても優しくて、勇気のある子じゃよ』

 

 その言葉に、千雨は反射的に叫ばなかった自分を、不思議に思った。

 

 違う! 私にそんな崇高なものは無い! 違うんだ、学園長! 私に本当の勇気があったら、あったのなら……!

 

 そう、千雨は言いたかった。けれども、言えなかった。臆病な千雨には、ただ口を噤むしか出来なかった。

 だから、そっと、近右衛門が傍から離れるのを、千雨は見つめるしか出来なかった。

 溢れそうになる何かを必死にこらえ、千雨は再び夜空へとその身を躍らせた。

 

 

 

 あっという間にやってきて、あっという間に去って行った千雨の背中を、ただ見つめていたタカミチは、

 「タカミチくん。何を呆けておる! 早く応援に行くのじゃ!」という近右衛門の叱責に、ようやく再起動した。

 あれは夢だったのだろうか。そう、タカミチは考えたが、割れた窓ガラスと、そこからなだれ込んでくる強風を前に、それは消えた。

 見れば、近右衛門は「やれやれ、子供は派手じゃのう」とぼやきつつも、どこか嬉しそうに箒で床を掃いていた。

 先ほどまでの焦燥感はどこへいったのか。普段の飄々とした態度を取り戻した彼に、タカミチは思わず声を荒げた。

 

「学園長! 説明してください!」

 

 ピタリと、近右衛門の手が止まった。だが、すぐに彼は何事も無かったかのように手を動かし始めた。

 

「……わしの口からは何も言えん。あの子は自分のことを知られたいとは思っておらんのじゃからな」

「学園長……あの子は、何者ですか?」

 

 ピタリと、近右衛門の手が、再び止まった。だが、再び彼は何事も無かったかのように手を動かし始めた。

 

「それはタカミチくん。君の方がよく知っているはずじゃろ? 出張が多かったとはいえ、君は2-Aの担任じゃったのだからのう」

 

 ええ、分かっていますよ。タカミチは頷いた。

 

「僕の知っている長谷川くんは、あのようなことが出来る子じゃありません」

「フォフォフォ、ならば、出来るようになったのじゃな。フォフォフォ、よいよい、若い子はこれだから目が離せんのう」

「学園長、話を逸らさないでください! いったい、彼女は何者ですか?」

 

 再び声を荒げたタカミチに、近右衛門は顔をあげた。同時に、近右衛門が見せた厳しい眼差しに、タカミチは我知らず背筋を伸ばした。

 年期が違う、人生の先輩と言っていいその眼光に、タカミチは成すすべも無く言葉を呑み込むしかなかった。

 

「信じなさい、タカミチくん」

 

 静かに、近右衛門は語りかけた。

 

「あの子はいい子じゃ。君の知っている通り、あまり人づきあいを好まず、特定の友達を作らず、

 休み時間などは、いつもパソコンと睨めっこしているような物静かな子じゃ。でも、決して邪な者ではない。それは、君の方が知っているはずじゃろ?」

 

 ……タカミチは、頷いた。近右衛門に言われるまでも無く、それぐらいのことは知っていた。けれども、タカミチが知りたいのは、そんなことではなくて……。

 

「大丈夫。あの子は、良い子じゃよ」

 

 そう、微笑む近右衛門を見て、タカミチはその言葉を呑み込んだ。苦笑して踵を返すと、自分の到着を待っているであろう仲間の下へ、走り出した。

 

 

 

 ちくしょう、ちくしょう!

 

 殴りつけるような暴風の中、千雨は凄まじい速度を出して夜空を飛行していた。

 髪はとっくの昔に乱れており、身にまとっている体操服は目も当てられないぐらいに酷い。

 青白い光を放つ『バック・ファイア』は、千雨の意志に従って、さらにその光を強める。

 五月雨のごとく押し寄せる空気抵抗をものともせず、生身で突き進めるのは、ひとえに宇宙製の肉体のおかげか。

 いまだ千雨の身体には、窓ガラスをたたき割った感触が残っており、自分が起こした大胆な行動に自己嫌悪すら覚えていた。

 直後は何も感じなくても、こうやって我に返った瞬間、その自己嫌悪は津波のように千雨の心を攫っていく。

 視線を下げる。明かり一つ見当たらない夜の街には、人影は全くない。

 学生たちは外出を禁じられているので分かるが、大人が一人も出ていないのはどういうことか。

 教師たちが何かしたのか、あるいは魔法的な何かが働いているのか。

 おおかた、エレベーター等の公共サービスや、コンビニなども完全に停止しているからなのだろうが、そんなどうでもいい考えが千雨の脳裏を過る。

 ちらりと、視線を彼方へ向ける。その視線の先にあるのは、学園都市と外を繋ぐ麻帆良大橋。そこに点滅する光を見て、千雨は唇を噛み締める。

 スパイ粒子から送られてくる映像から、ネギたちの様子は手に取るようにわかっている。

 つい今しがた、ネギの元に明日菜が加勢し、窮地を脱したのも分かっていた。

だが、それでも苦戦を強いられていることには変わりない。

 明日菜の運動神経は千雨とて知ってはいるが、格闘技を習っている(合気道を学んでいる委員長と互角に渡り合う時点で、もはや必要ないのかもしれないが)ようなことは聞いたことは無い。再び窮地に追い込まれるのは、すぐのことだろう。

 もはや必要ないのかもしれないが)ようなことは聞いたことは無い。再び窮地に追い込まれるのは、すぐのことだろう。

 

 窮地を脱したのは、明日菜が不意を突いたからに他ならないのだ。

 

 かといって、千雨が加勢に向かうわけにはいかない。どこまで行っても、千雨は自分が可愛いから。

 クラスメイトが苦しんでいると知っていて、自分にはそれをどうにか出来ると分かっていても、千雨にはそれが出来ないから。

 だから、千雨は夜空を駆けた。自分にしか出来ないことをやり遂げるために、自分なりのやりかたでネギたちに加勢するために。

 千雨の心は今までにないぐらいに活力に満ち溢れ、澄み渡り、吐き気を覚えるぐらい嫌悪していた。

 それは千雨の意識を集中させ、皮肉にも千雨の能力を最大限に発揮させた。

 

「――っ、見えた!」

 

 発電所がはっきり千雨の目にも捉えることが出来たあたりで、千雨は即座に減速、急降下を行った。

 内臓が抉り取られるようなGが千雨の全身に掛かるが、千雨は構わず方向転換を行い、発電所入口に着地した。

 すぐに『バック・ファイア』を解除する。瞬く間に元の両足に戻ると同時に、走り出す。

 発電所の外観は外と同じくらいに暗く、誰もいないのではないかと思ってしまうぐらいだったが、室内に入ると、いくつかの照明は点いていた。

 それでも薄暗いという程度だが、暗闇でも昼のように視認することが出来る千雨にとって、その程度でも十分すぎる。

 後ろ手で扉を閉めると、途端に室内は静かになった。

 耳を澄ませばわずかに聞こえるが、ほとんど気にならないぐらいで、まるで別世界に迷い込んだ気分だ。

(発電機はどこだ?)と案内板を探していると、暗がりから一人の男が顔を覗かせた。

 薄汚れた作業着を身に着けたその男は、生やした無精ひげを撫でながら、不審そうにこちらを覗き込んだ。

 

「……あなたはもしかして、学園長が言っていた人かい?」

(あ、やばい)

 

 いちおう近右衛門から姿を誤魔化す魔法(教師たちがあんなのだから、当然学園長も同じだろ)を掛けてもらったが、

 見た目が変化したわけではない。何の心構えもしていない千雨は、思わずその場から一歩引いた。

 

「そ、そうだ、何か文句があるのか?」

(とりあえず、口調だけでも変えておこう)

「……いや、文句はねえけど」

 

 「けどな」、と男は続けた。

 

「さっき無線で答えた女が来るのかな、って思っていたからよ。まさかこんな若い兄ちゃんが来るとは思わなかったんだ。

 気を悪くしたんならすまねえ、あ、もう知っていると思うが、俺は現場主任を務めている、佐藤だ。よろしく」

 

 スッと、佐藤は手を差し出した。

 (兄ちゃんってことは、しっかり魔法が効いているのか……半信半疑だったけど、学園長すげえ)

 心に思ったことを億尾にも出さず、千雨はその手を握った。

 

「……んん?」

(……? なに?)

 

 一瞬、首を傾げて手を放した佐藤に、千雨も首を傾げる。もしかして手が汚れていたかな、と自分の手を見るが、それらしい箇所は何もない。

 そんな千雨の様子に気づいた佐藤が、「ああ、別にそういう意味じゃない」と手を振った。

 

「いや、外見からは似つかない、小さな手の感触によ、ちょっと驚いてしまっただけだよ。なんだか、うちの娘の手を握ったのかと思ってなあ」

 

 「いやあ、悪い。案内するから、ついてきてくれ」と、背中を見せた佐藤に、千雨は心の中で冷や汗を流した。

 

 

 

 佐藤から手渡された懐中電灯を頼りに、発電所の内部を進む。本当はそんなもの無くても全く問題は無かったのだが、

 明かりなしでは手元一つ見えない(佐藤談)場所を、平気な顔で歩くのは不審極まりないので、千雨は仕方なく足元を照らして佐藤の背中を追いかけた。

 扉を二つ、階段を上り、階段を下りて、扉を開けて、階段を下りて、階段を上って、扉を開ける。

 ずいぶんと複雑で手間が掛かる進み方だが、佐藤曰く、ジャックされるのを防ぐためらしい。

 発電機もそうだが、管制室はもっと複雑な場所にあるらしく、今回はそこにはいかないとのことだ。

 まあ、千雨としてもこんなときに社会科見学をするつもりはないし、スパイ粒子を使えば二つの場所など、あっという間に見つけられるので興味は全くない。

 というより、もう見つけていたりする。千雨が現在心に思っていることは、目の前を歩く男のことであり、麻帆良大橋で戦っている二人の存在であった。

 

(ああ、もう。さっさと歩いてくれよ。時間が無いっていうのに、何をちんたらしてやがるんだ、このおっさんは)

 

 そう、千雨には既に発電機の場所が分かっている。十数メートル先にある扉を開ければ、

 目的地に到着することが分かっている……分かっているのだが、初対面の千雨が佐藤よりも先に進むわけにはいかなかった。

 そうやって進むことが出来ない自分が、千雨は今更ながら嫌になる。クラスメイトたちなら、

 きっと佐藤を無視して先に行き、手足をぶつけながらも早く到着していただろう。

 なのに、千雨は、こんな時にまで己とネギたちを天秤に掛けている。そのことが頭にこびり付き、我知らず拳を握りしめていた。

 時計で時間を確認すると、時刻は残り15分。スパイ粒子から送られてくる映像は、クライマックスを迎えようとしていた。

 

「これだ。さあ、どうするんだ?」

 

 その言葉に、千雨はハッと我に帰る。気づけば、千雨の眼前には、高さ数十メートルはありそうな巨大な銀色の壁があった。

 いくつもの照明によって照らされてはいるが、それでも全体を明るくするには不十分で、ほんの一部分しか光は届いていなかった。

 

(これが……発電機か)

 

 そっと手を伸ばして壁に触れる。ひんやりと冷たく、壁と言われれば信じていただろうそれが、麻帆良の電気を作り出している巨大な発電機であった。

 

「学園長から話は聞いているけど、あんた、発電機そのものの構造は知らないんだろ?」

 

 その言葉に辱める意図も無ければ、千雨をバカにするつもりもない。ただ、事実を確認しているだけだというのは、佐藤の表情から分かる。

 

 なので、千雨は素直に頷いた。

 

「バッテリーはあそこだ。隣にある白いやつが旧型の、バッテリーで、今は新型に電気を移しているところだ……けど、それじゃあ、遅いんだろ?」

 

 視線をバッテリーに投げかけ、頷く。

 

「発電機の原理を簡単に説明するぞ。発電機内部に溜められた真水を蒸発させて、その蒸気でタービンを回して発電する。それだけだ」

 

(え……それだけ?)

 

 そんな単純なことなのか、と千雨が思った瞬間、佐藤は「ただし、それは他の機器が動いている状態ならば、の話だ」と続けた。

 

「本来ならバッテリーを使用して、発電機を制御する機器を動かしてから、タービンを回すんだ。

 バッテリーなしで稼働するなら、別のところから管制機器を動かすための電力を持ってこないと、いくら電気を作っても、都市に回せないぞ。

 それに、管制機器を立ち上げても、システムが正常に復旧するまではタイムラグが起こる。

 それを入れると、終わるのがだいたい0時5分過ぎになるっていうことだ。これが火力ならもっと早く終わっただろうが、あいにくここはそうじゃないからな」

 

 つまり、麻帆良全体へ電気を行き渡らせるためには、管制機器→発電機内の真水を発熱させて蒸気を出す→

 それによってタービンを回す→管制機器にて生み出した電気を制御→各家庭へ電気を送る、という流れだ。

 バッテリーの電力が主に使われるのは最初の管制機器、真水を発熱のあたりだ。言い換えれば、

 この部分が一番電力を使い、かつ時間が掛かる部分であるのだ。

 ということは、この部分さえ省略することが出来れば、停電の復旧を早めることが可能だということなのだ。

 千雨は静かに、壁に這わした指先を、そっと広げて掌をくっ付けた。その場にいる作業員、

 全員の視線が自らに集中しているのが、背中越しでも分かっていたが、千雨は構わず意識を集中させる。

 ……沈黙が、発電機室内に下りた。痛いほどの沈黙に耳鳴りすら感じ始めた作業員の一人が、ぽつりぽつりと何かを呟いている。

 それにつられて何人か談笑し始めていたが、もう千雨の耳には届かなかった。意識を集中させる為、既にスパイ粒子は解除している。

 もう一度見る為には、再びスパイ粒子を散布しないといけないだろう。

 

(……そうだ。私は、お前になるんだ。そうだ、私はお前だ。私はお前、お前は私)

 

 千雨は思う。発電機そのものを、自分の手足であると思い込む。発電機から繋がれている送電網を通して、麻帆良全体へと意識を広げるイメージ。

 瞬間、千雨の手が銀色に変形する。機械の塊とかしか思えない、鋼鉄の腕と成り果てたそれは、音も無く髪の毛のように細分化される。

 同時に、瞬く間に発電機の張り付くと、溶け込むように鋼鉄の繊毛は同化した。

 どこか遠いところで、どよめきのようなものが聞こえたような気がする。今の千雨には、もうそれでは届かない。

 千雨には電気のことなど何も分からない。差込口にコンセントを差し込んだら、電気が流れてくる程度のことしか知らない。

 

 ならば、どうする?

 

 それならば、千雨は自らの肉体性能を信じるまで。

 意識が拡散していく。電線を通って街中へ、ビルの一室へ、どこか誰かの部屋へ、千雨の意識が流れていく。

 眠りに落ちる寸前のような、吸い込まれるような感覚に必死に抗いつつ、千雨は強くイメージした。

 

 想像するのは、電気ではない。圧倒的なまでの……電撃だ!

 

 瞬間、千雨は持てるすべての意識を総動員して、力を発動した。

 

 

 

 目覚まし時計の音に目が覚める。

 一瞬で下落した機嫌数値に、千雨は寝ぼけ眼のまま、何もない空間を睨みつける。

 未だ鳴り続ける目覚まし時計を後ろ手で止めて、手に取って時間を確認する。

 欠伸によって滲んだ涙を拭いつつ、ベッドから降りて伸びをする。振り返って二段ベッドの上を確認するが、

 そこにはいつも通り、行儀よく折りたたまれた布団一式が置かれていた。

 

 どうやら、今日も帰ってきていないみたいだ。

 

 まあ、いつものことだな。そう千雨は結論付けると、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して一口。

 テーブルに置かれたカロリーメイトの封を切ると、カロリーメイトを頬張った。食欲の出ない朝は、カロリーメイトに限る。

 

「……あれから一週間か」

 

 千雨の脳裏に、激動の一晩の記憶がよみがえってくる。

 

 7分27秒。それが、千雨が稼いだ時間であり、千雨が縮めた時間だ。

 

 あの後は説明を求める作業員を振り切って、その場から離れるのに頭がいっぱい。

 本当はスパイ粒子を使ってネギたちの様子を確認したかったのだが、その時の千雨は疲れ切っていた。

 いくら肉体がアホみたいな性能とはいえ、それを操る千雨の精神は人並みでしかない。

 意識だけとはいえ、麻帆良全体に己を溶け込ませ、持てるすべての力を使って放電。

 体力に自信が無い千雨には、自室に戻るだけで精一杯であった。

 そのせいで、自室に戻る頃には意識が朦朧としており、倒れ込むようにベッドに潜り込むと同時に、ヘドロの海のような重たい眠りの世界へ。

 次に目が覚めたときは、お昼どころか夕方を過ぎた頃だった。

 すぐにスパイ粒子を散布して様子を確認して、千雨は心の底から安堵したことを、ネギたちは一生知ることはないだろう。

 一つ気になるのは、なぜかエヴァと普通に会話するようになっていることだが、仲良くなったのならそれでいいと千雨は納得した。

 

 とりあえず、面倒でなければなんだっていいのだ。

 

(……あ、もう充電終わっているな)

 

 カロリーメイトを水で流し込み、千雨は充電器へ向けていた意識を解除した。

 途端、携帯電話に表示されていた充電器と接続されていることを意味するマークが消える。

 パソコン側部に点灯していた充電ランプも、消えた。念のために確認するも、全て充電が完了していた。

 麻帆良全体の送電網に意識を溶かして麻帆良中の機械を通したからか、それとも電気を制御する管制機器に意識を同化させたからか。

 千雨には分からない。だが、あの夜から千雨の身に、ある変化が現れていた。

 

(しかし、不幸中の幸いか、まさか無線通電が可能になるとは……ますます自分の身体が便利になっていく)

 

 そう。最初は気づかなかったが、コンセントを自分の体に刺すことなく、千雨は充電させることが可能になっていたのである。

 いや、それどころか、充電だけではない。

 コンセントはおろか、電気機器全般、千雨は念じるだけで電気を送り込み、使用することが出来るようになったのである。

 それによって千雨は、見事バッテリー問題(充電出来ない、どうしよう問題)すら乗り越えたのであった。

 

 とん、とん、とん。自室のドアがノックされる。

 

 千雨がハッと我に返ると同時に、「失礼します、長谷川さん、起きていらっしゃいますか?」。

 

 その言葉に、千雨は慌てて自分の恰好を見る。下着姿、とは言わないまでも、あまり人に見られていい恰好ではない。

 ドアに背を向けてパジャマのボタンを留めながら、千雨は扉の向こうにいる誰かに叫んだ。

 

「誰だ?」

「私です、絡繰茶々丸です」

(……絡繰?)

 

 時計を見て時間を確認する。学校がある日なので、千雨でなくとも起きている時間ではある。

 だが、話したいことがあるなら、学校で話せばいい。

 首を傾げつつも、千雨は小走りにドアへ向かうと、扉を開いた。

 

「お早うございます、長谷川さん」

 

 扉を開けて視線が合うと同時に、茶々丸は頭を下げた。学生服に身を包んだ彼女は、パジャマ姿の千雨を見て、わずかに目じりを下げた。

 

「すみません、起こしてしまいましたか?」

「いや、もう起きていたよ。それで、何か用か?」

「いえ、用があるのは私ではなく……」

「私だよ、長谷川千雨」

 

 突然掛けられた声に、千雨は視線を下げる。ドアの陰、茶々丸の後ろから、姿を現した制服姿の少女に、千雨は驚きに目を見開いた。

 

「エヴァ?」

「そうだよ。なに、時間は取らせん。一つ聞きたいことがあってだな」

 

 そういうと、エヴァはポケットから一枚の紙を取り出して、千雨の眼前に付きつけた。

 失礼極まりない態度だが、不思議とエヴァにはそれが似合っていて、千雨は何も言えなかった。

 紙を受け取る。そこには、黒いコートに黒い手袋を身に着け、人相が良くない、全身黒づくめの男が、そこには描かれていた。

 よくよく見れば若々しいな、と千雨はそれを見て思った。

 これは何だ? そんな気持ちでエヴァを見ると、エヴァはどこか苛立った様子で、そっぽを向いた。

 

「その男を探している。年は若くて、手が小さいのが特徴だ。あと、電気について詳しい」

 

 なんだよ、その特徴は。喉元まで出かかった言葉を呑み込む。

 

「……あいにく、私は知らん。なんでこの男を探しているんだ?」

 

 人相が描かれた紙を手渡す。よほど思い出したくないのだろう。

 普段の飄々とした態度からは考えられないぐらい、エヴァは鼻息荒く語気を強めた。

 

「その男は私の邪魔をしたのだ! くそ、そいつが発電機を動かさなければ、今頃は……!」

 

 ピクリと、千雨の表情が固まる。けれども、エヴァは冷や汗が滲み出ている千雨には気づかなかった。

 

「とにかく、もし街中でこの男を見つけることがあったなら、すぐに私に教えてくれ! 絶対だぞ!」

 

 そういうと、エヴァはドシドシと床を踏みしめて千雨へ背中を向けて行った。

 小さくなっていくエヴァの姿を見て、茶々丸は再び千雨へと頭を下げた。

 

「すみません、長谷川さん。実は長谷川さん以外にも、この男性のことを尋ねていて……

 最後に尋ねた長谷川さんも知らないと分かって、少し機嫌が悪いようで……どうか、気を悪くしないでください」

 

 千雨は、ただ頷くことしか出来なかった。急ぎ足でエヴァの後を追って行った茶々丸を見届けた後、千雨は静かにドアを閉めた。

 

 ……直後、その場で頭を抱えて蹲ったことを、二人は知る由もない。

 

 

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はい、駆け足気味ですが吸血鬼編終了です。

 あんまりダラダラ伸ばしても仕方ないですし、そうそう伸ばせるものではないですので、思いの外あっさり終わったと思った人もいるのではないでしょうか。

 ネギまにおける、一つのターニングポイントです。

 この話では、不本意ながら千雨が麻帆良の秘密(一部ではありますが)を知ってしまいました。

 ええ、千雨にとっては、実に不本意でしょうね。出来ることなら一生知りたくなかったでしょうね。知ってしまいましたけど。

 今回の千雨は、原作の千雨よりほんの少し積極的で、ほんの少し卑屈になっております。(まあ、原作も似たようなものでしょうけど)

 学園長はもちろんのこと、タカミチにも知られてしまいました。タカミチは全部は知ってはいないですけど、また一人、千雨の秘密を知る人が増えてしまいました。

 千雨が完全に姿を隠す為には、他人と完全に距離を置かなくてはいけません。ねぎ達が苦しんでいても、絶対に手を貸さないようにしなくてはいけません。

 それが出来たら苦労しませんよね(笑)

 そこで手を貸してしまうのが千雨であり、そこで後悔して自己嫌悪してしまうのが、まあ、彼女らしいのかな(私が捉えた千雨像では)

  さて、次回も再び、ターニングポイントを迎えることになりますが、果たして千雨はどのような形で未来を紡いでいくのでしょうか。

 ……まあ、それは私にも分かりません。それでは、また次回まで。

 

 


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