よろしくお願いします。
遠ざかる光を見ながら、少年は奈落へと落ちていく。上から少年を呼ぶ声が聴こえる。
「やはり、甘いな」
その声の主を想いながら、目を閉じる少年。光が遮断され、声もまた遠ざかる。意識が闇に溶けていく錯覚に酔いしれる。
「……このまま果てるのも、嗚呼、良い物だろうな」
望みにも近い呟き。だが、彼は自嘲する。何せ、奈落に落ちたところで死ぬことは無い。
しかし、地面に着くのはかなりの時間がかかるだろう。その間に彼は、自分が奈落の底へ向かうまでの事を思い返し始めた。
───────────────────────
月曜日。この言葉の響きで憂鬱を感じる者はどれほどいるだろうか。少なくとも、惰眠を貪る事を含め、己の好きな事をしていた者は、その自由から離されてまた縛り付けられる事を恐れるだろう。
そんな日に、虚無を湛えたような光無き瞳の少年が、一路高校へと向かっていた。
傍から見れば、宿題でも忘れたか、テスト勉強でもし忘れたか、はたまたその両方か。
そんな憂鬱を通り越してもはや絶望を感じているのかと思われるが、この少年、
事実として、カムラにとっては月曜日の憂鬱なぞ無いも同じである。目が全てを飲み込まんとする漆黒なのも生まれつきだ。
そして、一言も発する事無く、まるでそれが世界の摂理であるかのように、学校に入り、そして教室へと歩いていく。教室の扉を開ければ、これでもかと注目を浴びる。
その目線には、恐怖・嫉妬・侮蔑。快いとは言えぬ感情ばかり浴びる事となったが、カムラはそれに一瞥もくれる事無く席につき、鞄から文庫本を取り出して読み始めた。
「おはよう、虚時君! 今日もギリギリだね、もっと速く来ようよ」
と、挨拶をしながら彼の目の前にやって来る女子生徒。彼女の名は
腰まで届く艶やかな黒髪、少し垂れ気味な優しい瞳、スッと通った鼻梁に小ぶりの鼻、そして薄い桜色の唇が完璧な配置で並んでいる。
常に微笑を絶やさない彼女は、非常に面倒見が良く責任感が強いため学年問わずよく頼られる。それを嫌な顔せず真摯に受け入れる辺り、高校生とは思えない度量の深さである。
「…………」
そんな彼女をチラッと見はするが、それ以上何を言うでもなく、視線を活字に戻すカムラ。その態度にクラス中から怒りをぶつけられる。
何故話しかけられたのに無視するんだ! とか、そんな事を思っているのだろう。
「……えっと、虚時君? もしかして元気ない?」
不安気にカムラの顔を覗き込みながら聞く香織。カムラはその目をまたチラッと見て溜息をつき、「問題無い」と無愛想に答えた。
彼女はよくカムラをかまう。授業をあからさまに聞いていない彼を良く思っていない生徒は多く、それを心配した心優しい香織が面倒を見ている。と、少なくとも他の生徒達には思われている。
なお、カムラの成績はトップである。
しかしながら、カムラの態度が改善される様子は一切見受けられない。そこでまた反感を買っているのだ。
容姿の方は、それこそ香織に負けないほど長いオールバックの黒髪、漆黒の瞳を含め、二次元から飛び出てきたのかと思われるほどに“美しい”。
その雰囲気は何処か寂しげで憂いを帯びており、ミステリアスな人物像が出来上がっている。詩のような、もしくは舞台役者のような独特な言い回しも、魅力に映ってしまうほどに。
しかし、成人男性を精神病院送りにした、といった噂を耳にすることも多いため、女神と例えられる香織には相応しくないと考えられている。
(噂に関しては大体合っているし、やり過ぎなのも否めないが、その全てにおいて彼は寧ろ被害者側である。つまり正当防衛の範疇なのだ。先の例で言うなら、件の成人男性は彼を襲った通り魔である)
そんなカムラが香織にかまわれているという事実が、男子生徒達に嫌われている理由だ。女子生徒達は単に、香織が世話を焼いているというのに態度を改善しない事に腹を立てているのだろう。
先の噂があるため、声を大にしてそれを言う者は例外を除いて居ないが。
「そう? よかった〜……あ、虚時君、寝癖ついてるよ」
と、香織は櫛を取り出してカムラの髪を梳かし始める。カムラは何も言うことなく、左手に持った文庫本のページを、親指のみで器用にめくる。
何も言わないという状況を、少なくとも嫌われてはいないと解釈した香織は、鼻歌を歌いながら楽しげにカムラの髪を整えていく。
「虚時君、おはよう。毎朝大変ね」
「香織、また彼の世話を焼いているのか? 全く、香織は本当に優しいな」
「全くだぜ。そんなやる気ないやつにゃあ何言っても無駄だと思うけどなぁ」
そこに、3人の男女が近づく。香織の親友達だ。
唯一挨拶した女子生徒は
龍太郎は一切の覇気を感じさせず、自分達に目もくれずただ本を読んでいるカムラを見て、苛立ちを込めて鼻を鳴らし、光輝は大変だねとでも言いたげに香織を見る。
「虚時、いい加減その態度を直すべきじゃないか? いつまでも香織の優しさに甘えるのはどうかと思うよ。香織だっていつまでも君にかまっていられないんだから」
「え? 私は虚時君にかまっていたいけど?」
「え? ……ああ、本当に、香織は優しいよな」
香織のキョトンとしたような言葉は、光輝の中でカムラに気を使って言った事になったらしい。基本完璧超人な光輝だが、自分の正しさを疑う事が無いという悪癖がある。彼が白と言えば黒でも白となる環境であるのも拍車をかけている。
「……ごめんなさいね? 二人共悪気は無いのだけど……」
この中で最も人間関係や心情を理解している雫が、カムラにこっそり謝罪するが、カムラは一切聞いておらず、ただ本を読んでいる。
「……おい、虚時。聞いているのか?」
それにしびれを切らした光輝が、少し声を荒らげる。ここでようやくカムラは光輝の方を見て、口を開く。
「……魚よ、何故陸に上がるのか。貴様らの居場所は海だろう。飢えた者もいないと言うのに、わざわざ自らの身を捧げるか」
「……何を言っているんだ?」
「……真意は隠されてこそだ。わざわざ語るなどということはせん。席に着け、授業が始まるぞ」
……カムラは難解な言い回しが多く、誰に対してもそれを崩すことは無い。それがまた近づき難い要因となっている。今回もそうなり、意味が分からないため詰め寄る光輝だったが、すぐにチャイムが鳴って先生がやって来たため、カムラの周りにいた4人も席に戻った。
───────────────────────
時は移り昼休み。授業中も、先生に当てられて問題に答えるときも本を手放さずにいたカムラ。途中で読み終えたらしく、新しい本になっている。
そんな彼でも昼食は流石に抜けないのか、本を閉じ、こった首を伸ばしながら欠伸をして席を立とうとした……
「あ、ねぇ虚時君。よかったら一緒に食べない?」
ところで香織に話しかけられた。本を閉じてしまった以上無視もできないので、とりあえず断る。
「私は学食だ、貴様も知っていよう」
「あ、そっか。でも、お金勿体なくない? よかったら作ってこようか? 味はいいと思うよ?」
「……ふむ」
が、香織は退かない。敵意が集まる。カムラは思わず周りに分からない程度に眉をひそめた。敵意を向けられる不快感からではなく、香織の行動が解せないからである。
何故ここまで自分にかまうのかが不思議でならないが、それを口にしたところで答えは変わらないだろう。「虚時君にかまいたいから」と、にこやかに言うのだ。毎回。
ただ、香織の提案はカムラにとっても魅力的なものだった。思考の海に沈む程度には。
「香織。こっちで一緒に食べよう。虚時は眠たいみたいだしさ。せっかくの香織の美味しい手料理を寝ぼけながら食べるなんて、俺が許さないよ」
光輝が近づき、これまたキザなセリフを吐く。しかし、彼のイケメンスマイルもセリフも、天然が入った香織には効かないらしい。キョトンとしてしまっている。
「え? 何で光輝君の許しがいるの?」
その言葉に思わず吹き出す雫。光輝も困ったように笑いながらあれこれ話している。その間もカムラは思考を巡らせており、動かない。
とある男子生徒が近くに来てカムラを昼食に誘っていたが、カムラに制止されて帰っていった。それに気づいた者はいない。
「……少女よ、貴様、名は何と言ったか」
「……名前、覚えてくれてなかったんだ……香織だよ、白崎香織」
「そうか。香織よ、貴様の提案は興味深い。迷惑でなければ明日一度頼めるだろうか」
「え」
「ではな」
カムラが誰かの提案を飲んだ、という事実に驚愕している香織達をよそに、カムラは足早に自分を呼んだ男子生徒、
「……灯台もと暗しとはよく言ったものだ。安寧が崩れ去るのも、常に足元からなのだな」
と、光輝を向いて言った。その視線は、光輝の足元を見ている。そしてすぐ、純白に輝く円環と幾何学模様がカムラの視線の先に現れた。いわゆる魔法陣というやつだ。
その異変には誰もが直ぐに気づき、魔法陣を注視する。否、金縛りにあったかのように目を離せない。その輝きは徐々に強くなっていく。
魔法陣が、自分達の足元にまで広がったところで、ようやく異常事態に悲鳴をあげる生徒達。未だ教室に残っていた愛子先生が咄嗟に「皆、教室から出て!」と叫ぶと同時に、光が爆発し、教室を覆った。
数秒、数分経って光が無くなった時、教室には、蹴倒された椅子や食べかけの弁当、散乱する箸やペットボトル、そして備品。混乱の跡を残して人だけが消え去っていた。
後にこれは、白昼の高校で起きた集団神隠しとして世間を騒がせることになるのだが、それはまた別の話だ。
ま〜た複雑なのに手を出しちゃったよコイツ……
頑張って続けていきますので、お楽しみに。