◇◇◇
あれは、何度目の出撃の時だっただろうか。
この横浜基地は近傍のハイヴから遠く、まさか奇襲もないだろうとオレはタカをくくっていて。
991警報がいきなり発令されて。
それはなんでもない、対人模擬訓練だったはずなのだ。
鑑が参加しない他は、いつもと一緒。
そのはずだった。
「あれ? エレーナ、鑑知らないか?」
「え? 純夏ちゃんなら香月博士に用があるんだって」
「先生が? ――そうなんだ」
「うん」
特に何があるとも思わなかった。
その日はエレーナと組んだ。相手は咲夜と鋼のおっさん。
鋼のおっさんは強かった。
そして咲夜だ。
咲夜の執拗な斬撃を切り抜け、懐に飛び込んでの36mm連射。
『月環機、胸部被弾、被害甚大、大破。撃墜と認定――状況終了』
はー、咲夜のやつ、やけに粘りやがって。
今のはかなり焦った。
『状況終了、全機基地に帰投せ――!?』
突如、サイレンが鳴り響いた。なんだ?
『991警報発令! 991警報発令! これは訓練ではない、繰り返す、これは訓練ではない。全戦術機部隊は出撃準備に掛かれ』
BETAだと?! どうして! ありえないだろ!?
『ヴァルキリー01より中隊各機へ。ローカルリンクを繋げ! また、直ちに撤退し推進剤の補給と実弾の装備を行うんだ! 急げ!』
『『『『「了解」』』』』
って!
オレの目の前に――――要撃級!!
もうこんなところに!!
そして、奴は腕を振りかぶる。
避けないと!
『――イサミちゃん!!』
エレーナの声。
この声と共に、視界が赤黒く染まった。
エレーナの駆るSu-37UB。
それが、かの要撃級を蹴り降ろしたのだ。
そのブレードベーンは、要撃級の分厚い皮膚組織を内部組織ごと切り裂いていた。
要撃級が地に落ちる。
『イサミちゃん、イサミちゃん、イサミちゃん!!』
「落ち着け、エレーナ、オレは大丈夫だ――」
『本当? 本当かな? 本当だよね!?』
「ああ、だから落ち着け――」
『エレーナ! 貴様のSu-37UBと我らの武御雷で殿を務めるぞ! 聞いていたな! 鋼!?』
『は! 咲夜様!!』
『わかった、咲夜ちゃん!』
『だけど――お前ら』
『なにを言ってる! イサミ、早く武器取って来るのだ!』
『殿は慣れている! なんの問題もない! いつものことだ!!』
『そういうことだ、黒須の坊主。我ら斯衛、このためにおるのだ! ここは任せ往け』
『イサミちゃん、また後でねー!』
そういいつつ、咲夜を先頭に三機はBETAに格闘戦を挑んでいった。
『わかった、待ってろよ!?』
オレはジャンプユニットに点火し、匍匐飛行を開始しようと――。
BETAの数は多くはない。
多くはない。
『991警報発令! 991警報発令! 新たなBETA群を確認! 新たな――』
――!?
増援!?
『バカな! いったいどこから!? イサミ!! 4時方向!?』
咲夜の叫ぶ声が聞こえた。
『イサミちゃん、――避けて!!!』
エレーナの悲痛な祈りの声も。
そして、振り向いたオレの目の前に、突撃級が肉薄していて――。
オレはしくじった。
轟音。横殴りの衝撃。沈黙。
真っ暗な空間で、かすかに通信だけが聞こえてくる。
『こちらヴァルキリー01、宗像だ!! ヴァルキリー09! 黒須! 黒須少尉、応答しろ!』
『バイタルモニター切断されています!』
『――祷子、黒須の機体のコントロールを奪え!!』
『美冴さん、ダメです、全て受け付けません!!』
『せ、戦車級が次々に……黒須……』
『強制射出させろ!』
『ダメです、同じくコード受け付けません!!』
死が、迫っていた。
コントロールは死んでいる。
脱出?
だめだめ。
きっとフレームが歪んでるって。
『……あれでは……もう……』
『い、嫌、イサミ、イ、…サ…ミ…ちゃ……いやぁあああああああああ! 嫌! 嫌!!』
エレーナの絶叫が耳を打つ。
エレーナ、それほどまでにオレのことを。
いや、お前の偽の記憶がそうさせるのか?
お前のオレへの想いも、この世界では作り物なのにな。
――この世界でも、オレはお前に――。
『止めろ、エレーナ! 行くな!! 行ってくれるな、頼む!!』
聞いたこともないような咲夜の叫び。
咲夜。
――お前、どんな気持ちでそれを言ってるんだろうな。
『嫌、いあぁ、わたしからイサミちゃんを取るなぁ!!』
!?
……エレーナ……。
そして聞こえる租借音と金属を打つ打撃音。
ああ、形ある赤い死が、迎えに来るのか。
――この世界で、結局なにもできないまま――終わるらしい。
――白銀、笑えよ。
体の痛みと、薄れゆく意識の中、さまざまな声が聞こえてきて――。
やがて、それも、オレの意識とともに途切れた――。
◇◇◇
光だ。なんだろう。明るい光――。
「起きなさい!! 早く!! あんた、死ぬなって言ったでしょ?!」
「……ここは……」
「どう責任とってくれるのよ!」
「……先生……?」
大破した戦術機の中に彼女はいた。
「?!」
「あなたのせいよ!?」
なにか、場違いな……そう、それでいて懐かしい響きの唄が聞こえる――。
「……大黒様が……きかかると……ここに……因幡の……白兎……皮を剥かれて……赤裸……」
「ま、エレーナ!!」
「……大黒さ……殺す……殺してやる……絶対に殺す……許さない……返して……わたしの、わたしのイサミちゃんを……返して……」
「エレーナ!!」
「黒須。あなたに任せるわ」
手に重いものが押し付けられた。
ズシリと重いもの。鋼の、塊。人を殺すための――道具。
「!? ――これは?!」
「彼女を見て。しっかり見なさい!!」
血に赤々と染まった、真紅の肌のエレーナ。
小刻みに震えているエレーナ。
両の目は虚空を泳ぎ。
血の泡を吹きながら。
呪詛を吐き続ける――エレーナ。
「早く楽にしてあげなさい」
!?
そんな――先生、あんたはいったい何を言って――オレは――できないって!
例えこんな姿になっていても、エレーナを撃つことなんてできるものか!
オレに、撃てるわけがない!!
……。
……。
「黒須、覚悟はある?」
冷え切った声だった。
「?」
「私と一緒に、地獄に落ちる覚悟よ」
「……」
「彼女、救いたいんでしょ? もう一度、笑顔を見たくはない?」
先生が恐ろしくて、とても振り向くことなどできない。
でも、僅かな希望を見出したような気がして――。
オレはその言葉の噛み締めた。
「……え?」
そして、期待を込めて聞き返す。
その結果が意味するものを知っているくせに。
先生が、笑った気がした。
「止めて!」
?!
黙っていた鑑が大声を張り上げていた。
「止めて! 先生止めて! こんなの、こんなの私だけで充分!! わたし、わたしもっと頑張るから! 頑張るから、――彼女を、エレーナちゃんを、楽に死なせてあげて!!」
「鑑! アンタは黙ってなさい!! ――どうなの、黒須」
「エレーナは、もう一度笑えますか?」
「……二度目だもの。可能性は高いわね」
「オレはエレーナを救いたい――でも、」
「アンタがエレーナを救うわ。そしてアンタとエレーナは人類を救える――」
「みんなを救うために――このふざけた世界を終わらせるために! 本当に必要なことですよね!?」
オレは、嘘をつこうとしている。
「――当然よ。当たり前じゃない」
オレは、オレの僅かの欺瞞のために、愛するものを、オレの大切なものを貶めようとしている。
「ダメ、……黒須君、それだけは絶対にダメ……」
「鑑、お前もわかるはずだ。白銀も間違いなくそれを望むだろう」
「そんな……」
「オレたちは例え自分自身が、大切なものが、愛するものがどうなっても、BETAを滅ぼす礎とならなきゃいけない。犠牲は、オレたちだけで充分だ。そうだろ?!」
嘘で塗り固めた、嘘。
この世界の黒須なら、言ったかもしれない、嘘。
「ちがう、ちがうの……黒須君……そうじゃない……そうじゃないの!!」
鑑、呪ってくれていい。
「大丈夫だ。オレたちは、オレもお前も、エレーナも、行き着くところは同じだ。そうだろ? 先生」
鑑、罵ってくれていい。
「……黒須君……」
「ああ、オレたちだけで、こんな事はもう充分だ」
オレは銃を先生に返した。
そうさ。これで良い。これで、きっと先生は――。
これはそのための儀式。
悪魔に魂を売る、オレのための儀式なのだから。
「待たせてごめんなさい、先生。手遅れにならないうちに、――全てを――頼みます」
先生は悪くない。
オレに、断る理由なんて、本当はないんだ。
それをオレのためだけに、この場を。そして、この時間を作ってくれた。
「……わかったわ。いつか、地獄で会いましょう」
先生のその顔は――この世界で見る、初めての本気の顔だった。
よし、大丈夫だ。
ああ。そうさ。エレーナ。
もう一度、お前の笑顔が見たいよ。
それが、たとえ作り物であっても。
啜り泣きが聞こえる。
誰も居なくなったハンガーで、……鑑が、声を殺して泣いていた――。
オレには、そんな鑑に声をかける資格なんて、これっぽっちも、ない。
「……の、……のせいなの、だってBETAは……」
オレは、自室で泣き崩れていた。
オレは――弱い。
この世界で生きる資格もない。
なのに、生かされ続ける。
この世界の、おそらく強かったであろうオレは、とっくの昔に死んでいて。
この世界のエレーナに向こうの世界のエレーナを重ねて。
この世界でもエレーナを追い込んで。
白銀を失った鑑に八つ当たりして。
白銀、お前は本当に、この地獄を生き残ったっていうのか? お前は、凄いやつだよ――。
オレは、最低だ。
次の日
「黒須さんは、強い人です……」
「黒須さんは、優しい人です……」
「黒須さんは、いい人です。ね……」
……社、か?
ゆさゆさ
「……」
ゆさゆさ
「……」
ゆさゆさ
「……」
ゆさゆ……
「や……し……ろ……?」
社の顔があった。
「おはようございます……」
扉の前に、鑑の姿があった。
「おはよう、黒須君」
「……おはよう、鑑」
「眠れた? 黒須君」
「……いいや」
「黒須君は頑張ったよ。タケルちゃんもね、精一杯頑張ったんだよ。頑張って頑張って――とにかく精一杯だったんだよ!」
社が大声に驚いている。
「あ……」
「だから、気にしないで。大丈夫だよ。黒須君。――そして――ごめんね」
不安がる社を抱きかかえながら、鑑はそうオレに言うんだ。
良くわかんねぇよ、鑑。
わかんねぇ、って。
ああ、白銀、お前の気持ちが少しわかった気がする。
オレたち、似てるのかもな。
ある意味。
「つれてきてくれたようね、鑑」
「はい、先生」
……。
言われなくてもわかる。
成功、したのだ。――二号機の製作が。
「黒須」
「はい」
「もう一つの、00ユニットも、あなたに任せるわ。いいわね?」
「はい」
「社、二号機を持ってきて」
「はい……」
「あはは、あはは、イサミちゃん、イサミちゃん、…………どこ? どこ? どこーーーーー!?」
エレーナの姿をしていた。
エレーナの声だった。
――だから、なんだ?
「なんなんですか、これ」
「落ち着かないのよねー。かなり混乱しちゃってるみたいでさ」
「こんなので、どうしようと言うのです」
オレはイラついていた。
理由はよくわからない。
「手はあるわ。そしてそれは、あなたにしか実行できないことなの」
「オレに?」
「まぁまぁ、いいから。黒須。特別任務よ。エレーナを救うために、あなたに一肌脱いでもらうわ――いいわね?」
イライラだけが募っていいく――。