◇◇◇ 黄河沙を数えるもの ◇◇◇
「な、なんですかこの機械――!? っつ、これ、この装置は――」
「あら。あなたに見せた事はなかったはずだけど――これはまた、面白いわね」
「なにがなんです?」
オレはこのとき、すでに正常な判断はできなくなっていたのかもしれない。
オレはバカだった。
「オレの世界の夕呼先生と話すのですか?」
「そうよ? これを渡してね、返事をもらってきて。そのお遣いがあなたの任務」
「向こうの世界での行動に制限はないから、好き勝手やってもらっていいわよ?」
――冷静に考えれば、これほどおかしな命令はなかった。
そんなことにも疑問を持たず。
かくして、オレは時空の旅人となる。
――ここは、どこだ?
オレの、オレの部屋?!
――本当に戻ってきたというのか!?
軽快な足音が近づいてきた。
「イサミちゃーん! 朝だ……よ? あれ? 起きてる」
「え? エレーナ、イサミったら起きてるんだ。珍しいわね」
エレーナ……。良かった。良かった。エレーナ、生きて……。
オレはエレーナの体を力の限り抱きしめた。
「きゃっ」
「え? イサミ……」
咲夜が呆然としている。
「イサミ、ちゃん、嬉しいけど、時間あんまりないよ?」
「イサミ!そうよ、遅刻するわよ?!」
「まーったく、朝からいきなり泣いてエレーナに抱きつくんだもの。びっくりしちゃった」
「イサミちゃん、本当に大丈夫?」
「まったく、イサミってエレーナのこと、そんなに好きなんだ、そうなんだ!?」
「あはは。咲夜ちゃん、ごめんね」
「どうしてエレーナが謝るのよ。まったく、これだからイサミ……イ…サ……?」
「「?」」
「どうした? 咲夜」
「え!?」
咲夜は急に、驚いたような目でオレを見る。
「どうしたの? 咲夜ちゃん」
「エレーナ、あの、その、ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
エレーナの袖を引いて何事か囁く咲夜。
怪しすぎる。
「おいおい咲夜、お前また妙なこと企んでないだろうな?!」
咲夜がオレとエレーナを交互に見る……。
「幼な、馴染み……? エレーナと私と……え?!」
咲夜の顔が曇る。
「私が、イサミ……君を……好き? ……イサ……ミ?」
見たこともないような不安そうな顔。
そしてエレーナとまたヒソヒソ話。
「おい、いい加減にしろ、咲夜!!」
咲夜が遂に怯えたように、口を開く。
「すみません、あなた、誰ですか? 初対面、ですよね……? イサミって、あなたのお名前ですか?」
……は?
「おいおい、咲夜。今度はなんの遊びだよ」
オレが詰め寄ると、咲夜がじりじりと下がる。
「い、嫌、怖い、怖い、あなた、誰!? ――助けて! エレーナ! 助けて!!」
「咲夜ちゃん! しっかり!」
「咲夜!」
「嫌ぁ! あなた誰、どうして私を知ってるの、嫌、嫌、嫌!!!」
「咲夜ちゃん、落ち着いて、イサミちゃんは、私たちの幼馴染で、幼稚園も、小学校も、中学校も、ずっとずっと一緒で、なんでも一緒やってきたじゃない。例えば――。例えば――。あ、あれ? 思い出せな……い……?」
「エレーナ? 冗談よせよ、お前まで……咲夜やエレーナだからって、いくらなんでも今朝はちょっとふざけ過ぎだろ? いつも悪ふざけしてるけどさ、あんまりだろ? な?」
エレーナが、オレを見ている。
ただ、ぽかん、と口を開けて見ている。
「……」
「エレーナ? おい、何の冗談だよ、止めろよ」
「……?」
「エレーナ?」
エレーナは咲夜に向き直ると、手を引いて足早にその場を去ろうとする。
「おい、エレーナ! って、咲夜!?」
オレが手を伸ばすと、エレーナが脱兎のごとく駆け出した。
なんだと!?
「咲夜ちゃんも早く!!」
「待ってエレーナ、置いていかないで!!」
「おい、お前ら!!」
「早く! 走って! 咲夜ちゃん!!」
エレーナの咲夜を呼ぶ声は本物で。
刺すような視線はオレに向けられていて。
そんな目、オレに向けられたのは初めてだった。
――なんだって言うんだよ――。
「おはよう、黒須君」
「あ、まりもちゃん」
「まりもちゃん、じゃないでしょう? 神宮司先生!!」
「あ、そうだ。あのさ、オレ、エレーナや咲夜に酷いことしたのかな? 先生、何か心当たりある?」
「え? ……そうねぇ。あなた達は特に仲がいいみたいだから。気にする事はないんじゃない? 多少の山や谷があっても、どうって事もないでしょ? 先生はそう思うわ」
「そんなものかな。オレ、鈍いって自覚はある。だから、気づいてないだけなんじゃないかって」
「わかったわ。私が、一言、それとなく話をしておく。だから、しっかりしなさい!男でしょ?」
「わかったよ、まりもちゃん」
「もう、神宮寺先生でしょ!?」
夕呼先生はやっぱり夕呼先生だった。
オレがこんな話をしても、まったく動じた素振りもない。
「へ? 黒須。あんた、たまには面白いこと言うじゃない」
「たまにはって、先生」
「まぁまぁ、でも、わたしの因果律量子論を実証するなんてねぇ。さすがあたし。天才よねぇ――いいわ。ちょっと時間もらえる? そうね、明後日……いえ、明日にはお返事返せると思うわ」
「え? 信用してくれるんですか?」
「あったりまえじゃない。私は天才なんだから。そのくらいわかるわよ。――じゃ、ここから出て行ってね」
「え?」
「さー、俄然やる気が出てきたわ――仕事仕事!」
「あはは、イサミ……ちゃん、今朝はゴメンね」
「エレーナ。やっぱり冗談だったんだ、今朝のこと」
「え? ……今朝? ……ああ、うんうん、ごめんなさい」
「エレーナ、帰ろうぜ?」
「え? ……うん、あ、黒須君もわたしの家と同じ方向だっけ?」
「は? エレーナ? ……また、どうかしたのか?」
「え? また? ……」
「エレーナ?」
「帰ろう?」
「……え? わたしと、帰るの?」
「おい、おい、エレーナ!?」
「……ご、ゴメン! ごめんなさい!!」
脱兎のごとく駆け出したエレーナ。
って、いったいなんなんだよ、あいつ!!
咲夜を探したけど、あいつも居なかった。
榊の話では、咲夜はとっくに帰ったそうだ。
階段を上ってくる音がする。
ノックが二つ。
「イサミちゃん……?」
エレーナか。
「なんだよ?」
「イサミちゃん……」
「どうした?」
「え……?」
おかしい。またしてもエレーナの様子がおかしい。
エレーナは、握り締めていた封筒から紙と写真を取り出し、なにやらその紙に書かれた文字を読んでいるようだ。
そして時々、オレの顔と写真を比べる……。
「イサミ……ちゃん」
「エレーナ?」
「イサミちゃん、わたし、わたし……おかしいの! イサミちゃんのこと、何にも覚えてないの! イサミちゃんのこと好きなのに、好きって思わないときがあるの! ごめん、ごめん、本当にごめんなさい! わたし、何がなんだかわからないの! でも、でも、わたし――」
「?」
「イサミ――ちゃん――という人を――そう、――たぶん――あなたを――好き――らしい――の――ねぇ、教えて? それは、本当のことなのかな……?」
「……エレーナ、お前……」
「本当……なんだ……わたし、わたしに嘘をついてないんだよね? ――そうだよ、ね」
エレーナは、オレの目の前に写真と紙を置いた。
オレとエレーナが笑顔で写ってる写真が数枚。――それに、エレーナ直筆のメモ。
『この写真の人は、黒須勇海といって、わたしの幼馴染で、わたしが世界で一番好きな人です。何があっても、どんな辛いことがあっても、この世界が滅んでも、わたしはイサミちゃんが好きです! 絶対絶対、一緒に居るんだ!! なにがあっても、絶対絶対離さないんだ! イサミちゃんはわたしの大事なひと。とっても大事な人。絶対、忘れちゃいけない人なんだから!! だから、だから、忘れちゃダメ! 頑張れ、わたし!!」
「……ああ。エレーナは、嘘なんか一言もついてない。オレが保障するよ……」
「イサミ、ちゃん……わたし、こうあなたのことを、呼んでいたの、かな?」
「……ああ……」
「……?」
「……エレーナ?」
エレーナがまた写真と手紙に目を落とし、写真とオレの顔を交互に、何度も、何度も見る。
いつの間にか、床が濡れていた。
なんだ、オレ、泣いていたのか。
「エレーナ?」
「イサミ……ちゃん、わたし、もう……ううん。わたしはイサミちゃんを信じる。だって、この手紙を書いたわたしの字、とっても必死なんだもん。嘘なんか、書いてるとは思えないもん。だから、だから、イサミちゃん、って、呼んでもいいですか?」
「エレーナ……」
「黒、須、……君?」
「エレー……ナ」
「お前……」
「どうして、どうして? わたし、誰かを、とっても好きなの。でも、それが誰だか、思い出せないの。でも、どんなに好きだったのかも、わからないの。ねえ、知ってる?」
「……なんなんだよ、なんだって言うんだよ、エレーナ……」
「え? 黒須君?」
オレは、エレーナを強く抱き寄せた。
「思い出せない、のか?」
「え? え? どういうこと? 黒須君……?」
「エレーナ!」
「黒須……? 誰……?」
――。
オレの中で、何かが壊れた。
気がついたらオレは、夜の街に飛び出していたのだ。
抱きしめた、強く抱きしめた感触だけが残る。
でも、胸が締め付けられる。
いまにも、どうかなってしまいそうだ。
頭がしびれて良く考えることができない。
エレーナが、なんだって?
黒須君――、だと!?
いつの間にか朝。
いつの間にかオレはいつものように登校していた。
もう、授業は始まっている。
とっくの昔に始まっている。
キィィィィイイイイイイイイイイイイイイーーーーーーーーーン
ん? なんだ? この音は。
オレは白稜の坂を登る。
キィィィィイイイイイイイイイイイイイイーーーーーーーーーン
太陽が、雲で隠れた。ずいぶん暗くなったな。
それにしても、さっきからなんだ? この金きり音は。
――そのとき、地響きと共に、目の前で何かが砕け散る轟音と、沢山の悲鳴、を――聞いた。
……。
なんだ、あれは。
それに今の音。
なんなんだよ!?
いったい何事だって言うんだ。
――あれは――。
戦術機の音に酷似して。
何が。
もしかして。
その――その――飛行機が――!?
「―――――っ――――!?」
声にならない悲鳴と、続く爆発音。
オレは走った。
走った。
校門を抜ける。
そこでオレは目にした。
ああ、あの飛行機が。
足がすくんで、動かない。
あまりのことに、オレは膝を突いていた。
校舎の壁が砕け、燃えていた。
沢山の人が倒れている。
それに、人だったモノも、たくさん転がっていた――。
絶え間ない悲鳴が聞こえる。
嗚咽が聞こえる。
助けを呼ぶ声が、溢れていた――。
どれほどの時間がたっただろう。
気がつけば、救急車やパトカーの音。
それに加えて――。
これは? この音は――ローター音!?
ヘリが降りて来る。
何機も何機も降りてきた。
在日米軍!?
オレは制止を振り切り、教室に向けて走っていた。
――行ってはいけない。
絶対に行ってはいけない。
――――見たら、何かが終わる。
確実に、終わる。
終わりの始まりを予感させるに充分な何かを、オレは見つけるために走っていた。
階段を上る。
階段を上る。
廊下を抜けて。
その先がオレの――。
無かった。
教室なんて無かった。
3-B。
そんなものは無かった。
もとより、三年生といわず、教室なんて根こそぎ持っていかれていたのだ。
「――アハハ、嘘、だよな」
オレは何かにつまずいた。
足元を見る。
――それは、人の腕の形をしていて。
でも、腕というのは普通、根元に胴体があるわけで。
散発的に銃声が聞こえる。
――戦場でもないのに。
人が死んで、その上、銃声が聞こえる?
ああ、そういうことか。
――楽に、してくれているんだな、彼らが、オレの仲間達を。
嫌な役目を押し付けて、すまない。
本当は、仲間で、友人であるオレが率先して行うべきなんだ。
オレは――何をしているんだろうな。
――こんな平和な世界で。
グランウンドは臨時の救護所となっていた。
担架に載って運ばれてくる人が居た。
銀の髪が零れていた。
――ああ、エレーナか。
そうか、エレーナ、巻き込まれたんだ。
担架の運ばれる先についてゆく。
テントに一緒に入って、寝台に下ろされ、――それっきり。
――手当ても何も無い。
それっきり。
――そっか、エレーナ、運がなかったな。
きっと、もうエレーナは。
ならばせめて、オレが。
オレはエレーナの髪を救い、血に濡れた頬に手を触れた。
「――エレーナ」
「イ、サミ――ちゃん」
――!?
エレーナの口から漏れる、オレの名を呼ぶ、やさしい響きが耳を打つ。
「あは……優しい、んだ。――わたし、見る目、あった、んだぁ――最期に――よかっ――」
エレーナの、何も写していない目から、力が抜けて――。
「エレー……ナ?」
……。
それっきりだった。
どう……して? どうしてこんなことに。
オレの心は、冷めていた。
動かぬエレーナに口づけをする。
どのくらいそうしていただろう。
静かに、瞼を閉じてやった。
「お別れは済んだ?」
聞きなれた声がする。
少し、優しい響きだった。
――背後の気配が動いた。
振り向けば、夕呼先生が立っていた――。
「黒須。やっとあなたを見つけたわ。――来なさい。いえ、必ず来てもらうわ」
ストラトスのエンジンが、馬力の限界など無いかのように、生まれてきた意義を示していた。
「――どこまで行くんですか? 先生」
「もう、どこに行っても同じよ」
先生がラジオを付けた。
『本日未明、中華人民共和国人民解放軍は、ロシア共和国と全面交戦状態にはいったとの声明を発表、これを受けてアメリカ合衆国は中国に向けて即時停戦・台湾開放を求めて原子力空母ジョージワシントンおよびジョン・C・ステニスを含む打撃艦隊を東シナ海に派遣することを決定――インド・ベトナム軍は中国に対し宣戦を布告――』
『た、只今入りました情報によりますと、中国軍による核攻撃が行われた模様、ロシア側は直ちに報復攻撃を……ザ……ザ……只今、映像・音声が乱れております。復旧まで、今しばらくお待ちいただけるよう――』
「な、なんです? これ――」
「現実よ。平和って、脆いわね」
「う、嘘ですよね? 何かのドラマなんでしょ?」
「こんなバカな……」
「――そうね。おおむね同意するわ」
「終わりの始まりね」
「核の応酬って、――そんな」
「あなた、自分が関係ないとでも思ってるの?」
「え?」
「あなたは因果導体なのよ」
「え?」
「この惨状はね、あなたの存在が引き起こしたのよ。向こうの世界では戦争してるのよね? すっごく多くの人が死んでるんでしょ? どうなのよ? 思い当たる節があった? そう――あなたが、世界を橋渡しして、破滅をこの世界に引き込んでいるのよ」
「そんな」
「そう、知らないのね――」
!? いや、オレは――オレは――。
まりもちゃん――鑑――。
これは、白銀の記憶――。
そうだ――どうしてオレはこんな重要なこと!!
あの時、初めて鑑とあった日に、全て鑑に教えてもらっていたじゃないか!!
なのに、なのにオレは!!
「まさか、あんた、知ってたんじゃないでしょうね?!」
「……」
「やってくれたわね!! あたしが、たしかにあたしの立場でも何でもするわよ! でもね、許せるわけないでしょ?! 許さない! 絶対に許さないわ。――あんたには、そしてあたしにも、地獄を見せてあげるんだから、――覚悟しなさい」
「……」
「あんた、わたしが送ってあげるから、元の世界に返りなさい。いえ、帰ってもらうわ!」
「でも、どうやって」
「あたしにできて、あたしが出来ない分けないのよ。あたしは、天才なんだから」
先生がアクセルを踏み込むと、ストラトスはそのエンジンを震わせて主人の怒りに応えていた。
山の中にある、異様に巨大な建築物。
物々しい、などというレベルじゃない。
四角い、ただただ四角い窓一つ無い建物。
なんだここは。
対爆構造の建物……。
「核融合発電所よ――実験段階だけどね」
――核融合発電実験施設? だと?
さすが平和な日本。
警備がザル過ぎる。
でも、それで助かった。
難なく潜入に成功することが出来たのだから。
先生はいくつかの計器と、プレスタ2を弄っていた。
――どうしてプレスタ2?
まあ、いいけど。
「さ、準備できたわ」
「?」
「――いい? 黒須!? 必ずあなたはあの女にこれを見せない。そして、一分一秒でも早くあの女の世界を救うのよ。悔しいけれど、それしか方法はないの!」
「先生――」
「さっきはあんなこと言ったけれど――わたしはあんたを信じているわ。あんたは、それでもわたしの教え子だもの」
「先生――」
「さぁ、黒須! 行きなさい。――行って救世主になりなさい!」
夕呼先生の目。
代償の大きすぎた課外授業。
その教えてくれたもの、学び取ったもの。
――オレはそれを忘れない。
◇◇◇ 帰還後 ◇◇◇
――う、ここは――
「大丈夫ですか、黒須さん」
「……」
「大丈夫、ですか? 辛かったですね。いっぱい、いっぱい、悲しいこと、辛いこと、ありましたね」
「……社」
「黒須さん」
「……大丈夫だ。社。――それより、先生、夕呼先生は?」
申し合わせたようにハッチが開く。
「――ここよ。黒須。――あら。一段と男前の顔になってきたわね」
「先生」
「なによ」
「オレは――あなたを許さない。でも、あなたの気持ちや考え方を理解できる。だから、オレはあなたに協力するよ――これが、預かってきたもの。確認してくれ」
オレは夕呼先生に、預かってきた紙束を投げた。
ざっとそれに目を通す先生。
「素晴らしい――素晴らしいわ。さすが私。そう、こう考えたらよかったのね。こういう考え方もあったんだ。……へぇ。さすが私よね」
「――黒須。上出来よ。感謝するわ。――今日はゆっくり休みなさい。ああ、二号機に会って行ってやってちょうだい」
二号機……エレーナの、偽者か。