丘の上。
とある伝説のある木の下。
そこに立っていたのはエレーナだった。
なんだ、エレーナの奴、こんなところにいたのか。
しかし。
何か様子が変だ。
エレーナは、ぼんやりと街を眺めていた。
眼下には柊町が一望できた。
夕焼けの空。
それがエレーナの白磁の顔を赤く染めていた。
「エレーナ?」
オレは声に出そうとしてやめる。
エレーナの物憂げな表情と数度のため息。
手には、オレがいつぞや、かっぱぎクレーンで取ってやった、白いウサギのぬいぐるみが見える。
まだあんなもの持ってやがったのか、エレーナのやつ。
エレーナを見ると、ぬいぐるみを撫でてはため息をつく。その繰り返し。
オレはしばし、その場を動けなかった。
エレーナは目尻を拭い、顔を上げる。
――泣いていたのか?――
オレは自然とエレーナの前に進み出ていた。
「エレーナ? いったいどうした? なにがあった……」
オレがエレーナの前に立つと、その体がビクンと跳ねた。
なんだコイツ。周りが全然見えてなかったのかよ。
「エレーナ! どうしたんだよ!」
「イサミちゃん……」
弱々しく吐き出されたそれは、どうしようもないくらいに沈んでいた。
「エレーナ」
「ううん、なんでもない、なんでもないよ」
弱々しい笑顔。目尻に乾いた涙の痕。
なんでもないわけがない。
「泣いていたのか?」
「違うよ! 目にゴミが、ゴミが入っただけ! やだなぁ。わたしが泣くわけないじゃない」
「それならいいけどよ」
「……うん」
バカ。なにを隠してるんだよ、コイツ。そんな分けない。バレバレの嘘なんかつきやがって。
「ねえ、イサミちゃん」
「なんだよ」
「あのさ、あの」
「?」
「もし、もしもだよ? わたしが遠くに行っちゃうとしたらどうする?」
「え?」
「わたし、一人でがんばれるかな?」
「そうだな、まあ、エレーナもいつまでも子供じゃないしな……」
「……うん」
「なんとかなるんじゃないか? もっと自信を持てよ」
「イサミちゃんは、……それでいいの?」
「え?」
「ううん? うん、ごめん、ごめんなさい、なんでもない。なんでもないよ!」
「なんだよ、エレーナ」
「ね、イサミちゃん! 今日はもう、帰ろう?」
「ね? 一緒に帰ろう?」
エレーナがオレを引っ張る。
「あ、ああ」
エレーナの奴、多少気になりはするものの、いつもの気まぐれに違いない。
♪おおきな ふくろを かたにかけ だいこくさまが きかかると
ここに いなばの しろうさぎ かわを むかれて あかはだか
♪だいこくさまは あわれがり きれいなみずに みをあらい
がまのほわたに くるまれと よくよく おしえてやりました
♪だいこくさまの いうとおり きれいなみずに みをあらい
がまのほわたに くるまれば うさぎは もとの しろうさぎ
♪だいこくさまは だれだろう おおくにぬしの みこととて
くにをひらきて よのひとを たすけなされた かみさまよ
(作詞 石原和三郎、作曲 田村虎蔵)
(イサミ)「あー、エレーナ、なんだよそれ!」
(エレーナ)「ウサギだよ。シロウサギなんだー」
(イサミ)「それ、そんな大きなウサギ、売ってあったのか? どうしたんだ?」
(エレーナ)「おとうさんとお母さんが交代で作ってくれたんだって!」
(イサミ)「おまえのおとうさんとおかあさん、とっても忙しいんだよな?」
(エレーナ)「うん……。だから、とっても大切にするんだー」
(イサミ)「よかったなー」
(エレーナ)「うんうん!」
(イサミ)「でも、そんな大切なもの、どうしてこんなところに持ってきたんだ?」
(エレーナ)「イサミちゃんに真っ先に見てもらおうと思ったんだよぅ」
(イサミ)「そうなのかー」
(エレーナ)「うん。だって、だいこくさまはシロウサギを助けてくれるんだよね?」
(イサミ)「えー? それ、どういう意味だよ?」
(エレーナ)「わかんない」
(イサミ)「わかんないー? エレーナ、お前が言ったんだぞ?」
(エレーナ)「うん。でも、わかんない。おとうさんとおかあさんに、だいこくさまのおうたと、イサミちゃんのはなしをしたら、ウサギ作ってくれたんだよぅ」
(イサミ)「そうなのか! よくわからないけどよかったな!」
(エレーナ)「うん! よくわからないけど、本当によかったー!」
下駄箱を開けると、白い封筒が一枚落ちてきた。
……。
まさかこれは――。
オレは息を飲み込む。
「おおー?」
オレが拾うより先に、咲夜がそれを摘み上げた。
「おい、咲夜!」
「まぁ、まぁ、いいからいいから。読ませなさいよ、減るものでもなし」
「なんだよそれ!」
「かわいいシールで封をしてあるところを見ると、果たし状ではないみたいね――差出人の名前はなし、と」
目を細めてオレを見返した咲夜の手から、封書を奪い取る。
「あー! ちょっと、イサミ!!」
その場で封を切ってみた。
――?
「エレーナ?」
「え? エレーナ?」
エレーナの字だ。どういうことだ?
オレは文字を追う。
怒りで頭の血管が焼き切れそうだ。
「ふ、ふざけるな!!」
手紙を握りつぶしながらオレは叫ぶ。
冗談にしては性質が悪すぎる。――真実だとしたら――。
オレは時間を確認する。
――あの、バカ!!
ストラトスの豪快な駆動音が耳に入る。
渡りに船とはこのことだ。いや、これしかない!
オレは咲夜に鞄を投げつけると、今入ってきたばかりの校門めがけて駆け出していた。
「すまん、咲夜! まりもちゃんには適当に誤魔化しておいてくれ! あとでお返しするから!」
「ちょっと! イサミ!!」
オレはその暴走車の前で両手を広げる!
たちまち響く、けたたましいほどのブレーキ音。
周囲の生徒から悲鳴が上がる。
「あんた! 死にたいの?! なに考えてるのよ!?」
当然のことながら、夕呼先生は烈火の如く怒っている。
ごめんなさい先生、オレには他の方法が思いつかないんだ!!
飛び出してきた先生に、オレは土下座した。
「黒須! あんただったの?! いったいなにを――」
「夕呼先生! 一生のお願いです!! 今すぐオレを空港まで送ってください!!」
「……」
「お願いします!!」
「……」
オレにはその一瞬が、無限の時間であるように思えた。
「……いいわ。乗りなさい、黒須」
オレは先生を見上げる。――逆行で顔はよく見えなかった。
「……先生?」
「急ぎなさい!」
「は、はい! ありがとうございます!」
「あんた達、誰でもいいから伝えといて! 私は怪我をしたかもしれない黒須を病院へ連れて行くから!」
「え?!」
「いいから! 早く乗りなさい!! 急ぐんでしょ?!」
「空港で良いのね?」
「はい! お願いします!」
「飛行機は何時の便なの?」
「9時30分です」
「モスクワ便よね?」
「……え? 先生、知ってたんですか――」
「そりゃあ、事務手続きの多さにまりもが泣いてたから」
「……」
「あと一時間……急ぐわよ。シートベルトをしっかり。そして、口を開かないで。舌噛むわよ?」
「わかりました。お願いします!」
「なんて顔してるのよ。私は天才よ? 心配要らないわ。ったく、これだからガキは。いい? しっかり捕まってなさい!」
「先生、ありがとう。恩にきるよ」
「そんなこと、どうでもいいから! 生意気な事を言ってないで、早く行きなさい!」
「はい!」
車を降りるなり、国際線ゲートにダッシュする。
警備員が何か叫びつつ追いかけてくる。
まばらなロビー。ゲート奥に吸い込まれていく銀の髪――。
エレーナ!!
「エレーナ!!」
振り返ったその顔は、泣き腫らしたその顔は、まさしくエレーナのものだった。
信じられないものを見るその瞳は、たちまち涙で溢れていた。
オレは力の限りエレーナの名を叫び、ゲートに近づこうと駆け出そうとする。
が。
「エレー――ぐはっ!!」
横腹に衝撃を感じた。
縺れた足をつかまれた。
上に覆いかぶさる何かを感じた。
オレは駆けつけた警備員達に取り押さえられる。
オレは力の限り叫んでいた。
「エレーナ!!」
エレーナの声が聞こえる。遠くで、聞こえる。
「わたし、大丈夫だから! もう、一人で頑張るから!! だからイサミちゃん!! イサミちゃん!! ――ばいばい! イサミちゃん――ばいばい!! ――」
エレーナ!!
声が、でない。出せない。
畜生!! 、どけよ、どきやがれ!!
「暴れるな! おとなしくしろ!」
退けよ! それどころじゃないんだよ!!
オレはなおもあがこうと、腕に力を込めた。
「エレーナーーーーー!!」
だが、その瞬間――。
わき腹に何か冷たいものが押し付けられた。
バチッ
なっ……オレの視界は白く染まった直後、意識は暗闇に消えた。
消える直前になにかを聞いたような気がしたんだ。
気のせいではない何か――。
『イサミちゃん、ばいばい……』
……。
「イサミ」
「……」
「イサミ、元気出しなさいよ。エレーナは頑張るって言ったんでしょ? あの子がそう言ったのなら、頑張るに決まってるじゃない? イサミがそんな落ち込んでいてどうするのよ」
「……もう」
咲夜がオレの顔を覗き込む。
「どうしてそんな顔をするかな。ホントは、私が泣きたいんだぞ? わかってるのかな? クロスイサミ君」
「……え?」
咲夜の顔を見た。
そこでまた驚く。
咲夜は泣いていた。目が真っ赤に腫れている。
「そうだな。そうだよな。ごめんな、咲夜」
「いいよ。だって、イサミが優しい人だってことくらい、私、とっくの昔に気づいてたもの」
「……」
「エレーナへの想いが、半端なものでないことも、知ってた」
「……」
「でも、私も、イサミのこと――エレーナに負けないくらい――」
「エレーナは、いつも目が離せない妹みたいな奴だった。あんな形で急に独り立ちするなんて思わなかったけど、オレは嬉しいよ。うん、嬉しい。嬉しいんだ――」
「オレが、そう思わなくてどうするってんだ――」
「え――?」
「なぁ、咲夜」
「!?」
「オレは、お前たちに出会えてよかったと思う」
「イサミ……」
「オレは、お前たちの想いに気づかないふりをしてたんだろうと思う。ホント、卑怯だよな」
「最後の最後まで、お前たちに辛い思いをさせてしまうなんて、オレは本当にバカだ」
咲夜がオレの手を握ってくる。
「そんな――こと――ない」
「オレは、おそらくずっとこのままだ。このまま、バカを続けるんだろう」
「そんなことない。私たちの、いえ、私のイサミは、バカじゃない! 卑怯者でもない! 私は、私だけは知ってるもの!!」」
「……」
「オレは大バカだから、信じてもらえないかも知れないけど――咲夜」
「え――?」
「こんなことがあった直後に言うのも、あれだけど、咲夜」
「傍にいてくれてありがとう。もし、許されるのなら――これからもずっと傍にいて欲しい」
『大好きなイサミちゃんへ
ええとね、長く書くと、悲しくなるから、簡単に書くね?
イサミちゃん、あのね、エレーナ、決めたんだ。
エレーナ、ロシアに行って、お勉強するんだ。
ロシア科学アカデミーっていうところ。イサミちゃん、知ってるかな?
調べたんだけど、とっても凄いところなんだよ?
ええとね、みんながエレーナを褒めてくれたんだよ?
凄い、凄いって。
エレーナ、とっても嬉しかったんだ。
でね、イサミちゃん、昨日、わたしに「もっと自信を持て」って言ってくれたでしょ?
わたし、とても嬉しかった。
イサミちゃんが、わたしのこと認めてくれて、とても嬉しかった。
嬉しかった。嬉しかったよ。
とても、ありがとう。
わたし、こんなに勇気を貰ったの、初めて。
イサミちゃん、とっても素晴らしいプレゼント、ありがとう。
わたし、忘れないよ。
向こうへ行っても、きっと頑張れる。うん、頑張るよ!
じゃあね、イサミちゃん。色々とありがとう。
とってもとってもありがとう。
あ、長くなっちゃったかな。
でも、いいよね? だって、イサミちゃんだもの。
じゃあね。バイバイ。イサミちゃん。バイバイ。
あなたの白ウサギより』