下駄   作:紫 李鳥

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 石を庭に捨て、下駄をゴムに挟むと、コートを着て、袋を背負った。再び足袋のままで暴風雨の中に飛び込むと、歩き出した。

 

 私の格好はまるで、サンタさん。煙突の(すす)で汚れた真っ黒いサンタさん。ふふふ……。

 

 こんな格好を誰かに見られたら一巻の終わりだと、戦々恐々(せんせんきょうきょう)とした。

 

 でも幸運にも、帰りも誰にも遇わなかった。勝手口から入ると、一仕事終えた感で台所に腰を下ろし、徐に服を脱いだ。

 

 ポリエステルのズボンに着替えると、脱いだ作業着と下駄をビニール袋に入れて、また、嵐の中に出た。

 

 春代さんちの裏庭の縁側に借りた物をお返しすると――」

 

「どうして、わざわざ返したんだ?」

 

「そう言うとこが男の人って無頓着なのよ。春代さんは普通の主婦よ。ご主人の作業着や下駄が幾らするか知ってる?新しく買わせたら家計に響くでしょ?」

 

「……なるほどな」

 

「それに、捨て場所に迷うのも面倒だもの。以上です」

 

 喉が渇いたのか、杏子は台所に行った。

 

「……上手くいったから良かったが、下手したら捕まってたんだぞ」

 

 トレイに蜂蜜牛乳を載せてきた杏子に忠告した。一気に飲み干すと、

 

「大丈夫よ、あなたが居るもの」

 

 あっけらかんとそう言って山根の布団に潜ってきた。

 

「……俺とこうなったのも、意図的なのか」

 

「あなただったから意図になった」

 

「……どう言う意味だ」

 

「あの時、聞き込みに来た刑事さんが、あなたじゃなかったら、こんなふうにはならなかった。あなたで良かった」

 

 杏子はニコッとすると、山根にしがみついた。

 

「……杏子」

 

「ね、耳、貸して」

 

「何だよ、誰も居ないのにコソコソ話なんか」

 

「いいから、耳」

 

 杏子は強引に山根の耳朶(みみたぶ)を引っ張った。

 

「痛てぇ、何だよ」

 

 山根は杏子にされるがままだった。

 

「……あのね」

 

「何だよ」

 

「……赤ちゃん」

 

「えっ!できたのか?」

 

 山根は反射的に体を起こすと、杏子の顔を確かめた。杏子はニコッとすると、恥ずかしそうに山根の胸に顔を埋めた。山根は褒め言葉の代わりに杏子の頭を優しく撫でてやった。

 

 ……四十二にして初めての子供だ。やったーっ!

 

 山根はその喜びを心の中で叫んだ。

 

 

 

 翌日の帰り道、森崎宅に寄った。杏子の父親だと分かった今、森崎の名称は、吝嗇家(りんしょくか)(なにがし)から倹約家の某に変わった。

 

「杏子さんはあなたのお嬢さんだそうですね?」

 

「えっ?……ええ、まあ」

 

「どうしてそれを最初に話してくれなかったんですか」

 

「娘が、父親だとは認めないと。あんたなんか、赤の他人よ。なんて言われたもんですから。警察に喋ったりして後でバレたら怖いもんですから、つい」

 

 ……俺と同様に杏子には頭が上がらないか。

 

「……娘さんが犯人だと気付いたのはいつからですか」

 

「……婦警が声音を真似た時、もしかして、と」

 

「娘さんを犯人にしたくなくて、曖昧な供述をした訳ですね」

 

「はぁ、まぁ」

 

「……どうして、籍を入れてあげなかったんですか?」

 

「……若かったんです。子供の顔を見た途端、自由を奪われる気がして、恐ろしくなって逃げました。……しかし、どんな女とも上手くいかず、結果、信じられるのは金だけになっていた。……」

 

「……娘さんが十九の時にお母さんが亡くなられたそうです」

 

「……娘から聞いて、知ってます」

 

 森崎は肩を落とした。

 

「正直なところ、娘さんとはどういう形にしたいんですか」

 

「……できれば、父親だと認めてほしい」

 

「……実は、杏子さんと結婚します」

 

「えっ!」

 

 森崎は小さな目を見開くと、

 

「……あなたと?」

 

 と呟きながらまじまじと山根の顔を見た。

 

「来年には子供も生まれます」

 

「えー?そうですか。……それは良かった」

 

 孫の話が出た途端、森崎は顔を(ほころ)ばせた。

 

「腹が目立つ前に式を挙げとかないと、後々どんな嫌味を言われるか分かりませんから。ああ見えても気が強いですからね。お父さんに似たんですかね?」

 

「いぇ、女房です」

 

 森崎のその即答に、二人は顔を見合わせて笑った。

 

「近々、内輪(うちわ)で式を挙げる予定ですので、ぜひ、ご列席ください」

 

「……しかし」

 

「杏子は嫌な顔をするかもしれませんが、本心は嬉しいはずです。子供ができれば、また変わりますよ」

 

「……ええ」

 

「ではこの辺で、今回の事件に終止符を打ちますか」

 

 山根は二本目の煙草を吸った。

 

「……えっ?」

 

「杏子に容疑が及ばない画策をするんですよ」

 

「あ、はい」

 

 森崎は山根の提案を快諾した。

 

 

 

 翌日、署で待機していると、早速、森崎から電話がきた。

 

「何っ!金が戻った?」

 

 山根は大袈裟な声を上げた。

 

「直ぐに伺います」

 

 受話器を置くと、

 

「森崎氏、金が戻ったそうだ」

 

 皆に教えてやった。

 

「えー?」

 

 一同は驚きと落胆の入り交じった声を上げた。

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