カーテンの隙間から差し込む木漏れ日に、シャルロットは薄らと目を開けた。
片目を瞑り、細くした瞼を少しこする。昨夜、泣き疲れて眠ったことを思い出して、気だるげにゆっくりと身体を起こした。
ベッドの傍のカーテンに潜り込むようにして外を眺める。小さなプランターに咲く色とりどりの花に、小さな蝶々が遊びに来ているのを見て微笑む。
まるで何事もなかったかのようだ。外には仕事へ向かう大人の背中が見える。空を見上げると太陽の光を反射したみたいにはっきりとした白い雲がゆっくりと流れていく。
カーテンを開けて、部屋全体に光を連れ込む。花柄の取っ手が着いたチェストに、小さなお勉強机、いつもの自分の部屋が明るく照らされる。
姿見鏡に映る自分の姿をちらりと見る。
背中にかかるくらいの栗色の艶やかな髪は、寝癖でぼさぼさ。鮮やかで綺麗な緑色の瞳は腫れぼったく赤くなった瞼で半分隠れている。
――満身創痍な寝起きね。と自分をみて笑う。
大きく伸びをして、シャルロットはベッドの脇に寝転がるお人形に声をかけた。
「――おはよう。アーニャ」
赤毛に猫の耳、長い尻尾をつけたお人形を抱き上げると、頭の中に声が響く。
(おはようじゃないよ。シャロ。今日は随分お寝坊さんじゃない)
可愛らしい女の子の声。人形のアーニャの声だ。
「仕方ないじゃない。――昨日はショックでなかなか眠れなかったの、アーニャだって知っているでしょう?」
(はいはい。ルインルインって一晩中泣くなんて。恋する乙女は情緒不安定になるものなのね)
うるさいなぁ。お人形さんにはわからないわよ。とシャルロットはアーニャをベッドにそっと置いて、寝間着を着替える。
白のブラウスに袖を通し、チェック模様のスカートを穿く。髪を櫛で梳いて、寝癖は……直らないのであとで下で手入れをしよう。
お守りのイノチウムが埋め込まれたペンダントを首からかけて、くるりと鏡の前で回ってからベッドのアーニャを抱き上げて、階下へと降りた。
「――おはよう。お母さん」
「おはよう。シャルロット――すぐ食事が出来るからね。座って待ってなさい」
はぁい、と食卓に着く。何か手伝えることはないかときょろきょろとキッチン回りを見てみるが、そんな間に母は手際よく、料理を盛り付けてしまう。
(――お寝坊するからお手伝いも出来ないじゃない)
アーニャが頭の中でぼそりと呟く。シャルロットは口を尖らせて、アーニャを一瞥する。
「あら、またアーニャちゃんとお喋り?」
お母さんはくすくすと笑いながらテーブルへと並べていく。
「お寝坊するからお手伝いも出来ないって小言を言うのよ。いつもはちゃんとお手伝いしてるのに、ぐちぐち言ってくるだもん」
「――うーん、アーニャちゃんはいつも手厳しいのねぇ」
のんびりとした口調でお母さんは優しくアーニャの頭を撫でる。くたくた、とアーニャの身体が揺れる。
――アーニャと話が出来ることは、お母さんとの二人だけの秘密にしていた。
シャルロットは生まれた時から、人形の声が聞こえていた。それはみんな同じだと思っていたけれど、物心がついた頃にそれが特別なことだということを知った。
人形は話をしない。自分の頭の中だけに聞こえているのだと知った。話しかければ喜んで答えてくれるし、動けない人形たちはいつもたくさんのお話をしてくれた。
だけどそれはとても奇異な目で見られることを知り、シャルロットはお母さんの前以外では人形とはほとんど話をしなくなっていた。
「そう言えば、もうすぐルインくんが旅に出てしまうのね」
思い出したように言ったお母さんの言葉にずん、と頭が重くなる。
ルイン、というのはシャルロットの幼馴染のことである。十年前、シャルロットが四歳の頃、彼はふらりとこのリンドダット村へと現れた。どこから来たのかもわからず、初めは名前も覚えていない記憶喪失の男の子だった。
年齢はシャルロットと同じくらい、銀髪にアッシュグレーの瞳は宝石のように綺麗だった。隣の家の夫婦が彼を引き取り、年も近かったこともあり、シャルロットは幼い頃、ルインとよく一緒に過ごしていた。
「――お母さん、私、ルインがいなくなるのは寂しいわ」
「うん。知っているわ。昨日は随分と夜中まで泣いていたものね」
ふぁ、とお母さんがあくびをする。どうやらそのせいで寝不足になっているらしい。
「ご、ごめんなさい……」
「――それも娘の大事な成長だから」
そう言ってお母さんは微笑み、頬にそっと手を差し伸べる。お母さんの手に頬を載せて、静かに目を瞑る。昔からよく、こうして慰めてくれたことを思い出しふふ、と笑みがこぼれる。
「こうすると、あなたはいつも落ち着くわねぇ」
「何だか、ずっと昔からこうしてもらってた気がする。凄く優しい気持ちに包まれるみたいな」
そういうシャルロットの瞳はとろんとそのまま眠ってしまいそうな表情になる。お母さんにぺちぺちと叩かれぱちくりと目を覚ます。
「――はい。ちゃんと朝食を食べましょうね」
そうして二人の食事を始める。おおむね、いつもこういう感じで二人の朝は始まるのである。
「そうだシャルロット。
イノチウムとは、魔法の力の詰まった鉱石である。魔力の純度が高い場所で自然に生まれてくるものであり、この村の近くでは森の中に火のイノチウムが見つけられる場所があるので、こういった感じでよくお母さんにお使いを頼まれることがある。
「――でも一人は危ないから、誰か誘って行きなさい。誰とは言わないけど、誰か誘いなさいね」
お母さんが食べ終わった食器を洗いながら、念押しするように言う。
「うぅ……はぁい……」
窓の外をジト目で見ながらシャルロットは返事をする。外には隣の家の窓が見える。そこではルインの姿がちらりと見えた。
シャルロットはため息をつく。
(なぁにため息なんてついちゃってんのよ。辛気臭い。ママだってルインを誘えって言ってるじゃん。チャンスをものにしないでどうするのよ)
「――だってぇ……」
テーブルにほっぺたを載せてべちゃりと潰れるようにひれ伏す。椅子に座るアーニャに手を伸ばし、ぽんとテーブルの上に置く。
「――ルインって女の子に凄い人気なんだよ。村でも一番の美男子だって。――昔から一緒にいるからルインは私のこと世話のかかる妹みたいに思ってるんだもん」
くるくると、まだ寝癖の残る栗色の髪を触る。
そう、幼い頃から一緒にいた幼馴染のルインはシャルロットにとってずっと頼りになるお兄ちゃんであった。どこへ出かけるにも一緒にいたし、何をするにも着いていく。兄妹のようだとお母さんも、ルインのおじさんもおばさんもそう言ってみんなで笑っていた。
「今更……好きって言われても、ルインは困ってしまうわ」
――湖の畔、木漏れ日が差し込む昼下がりに、そっと髪を撫でてくれた。
その時、そんな何気ない仕草一つでその感情を理解してしまった。それまで何も気付いていない。いや、気付かないふりをしていたシャルロットの幼い心が目覚めてしまった。
(――そんなの言ってみなきゃわかんないじゃない。ほんと意気地なしなんだから)
アーニャはいつも容赦ない。その上、呆れたように物を言う。
(とりあえず、ママに頼まれたことを口実すればいいじゃない。一緒にイノチウム取りに行く。話が出来るかどうかはその後でいいじゃない)
「――うーん……」
「アーニャちゃんはなんて?」
頭を抱えて悩む姿を笑ってお母さんが訊ねた。アーニャの言葉はシャルロットにしか聞こえていない。だからいつもシャルロットはうにゃうにゃと一人で悶えているようにしか見えない。
「――ママに言われたって口実にして一緒に行ってみて、話が出来るかどうかは後まわしでいいじゃないって」
ふふふ、とお母さんが食器を片付けながら、思い出したように口を開いた。
「お隣のね。マール王国ではこんな言葉があるそうよ」
エプロンで手を拭いてから、シャルロットの頭を撫でて言った。
「――『女は行動力』ってね。シャルロットも頭で考えるより先に動いてみたらいいんじゃないかしら」
――女は行動力。胸の奥の小さな鼓動がとくんと跳ねたような感覚があった。
「――行動力……かぁ」
顔を上げて、ぱちりと頬を叩いた。立ち上がって、アーニャをいつもの布製の鞄に詰める。
洗面台で髪型を整え、準備万端。
「お母さん! 私行ってくるね!」
あらあら、とお母さんはニコニコと見送ってくれる。
(単純なものね。シャルロットは)
「――いいじゃない。それが私だもん」
気弱で引っ込み思案ですぐに凹むこともあるけれど、言葉一つですぐに元気になれるんだから。
勇気をくれる魔法の言葉。くじけそうになったら思い出そう。
そう胸に誓って、シャルロットは外へ飛び出した。