征服王、冬木の地にて現界す   作:なんじょ

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従者、彼の日を思う1

 ――この地の果てになにがあると思う。

 あの人は木の幹のように太い足であぐらを組み、問いかけてくる。その足の間から、どこまでも続く満天の星空を見上げた少女は、首を傾げた。

「……わかんない」

 天地は少女に比してどこまでも大きく、果てなどあるとは到底思えなかった。もしあるのだとしたら、それはもう彼女には理解し得ないほどの遠くに存在しているのではないか。

「この世の終わりには見渡す限りの海がある。人もいない、獣もいない、ただ一面の海――それはオケアノスという」

「おけ……あのす?」

 聞き覚えのない単語に困惑する少女を見下ろし、あの人は微笑した。そしてまなざしを天地の先に据え、瞳を星のように輝かせて言う。

「そう、最果ての海だ。余はな、それをこの目で見てみたいのだ」

「どうして?」

 なぜそんなものが見たいのだろう。どこまでも続く大地が突然とぎれてしまうなんて、恐ろしいではないか。どうしてこの人は恐れるのではなく、むしろ夢見るように言うのだろう。

「さぁ、余にもわからん」

 軽く言い放って、あの人は少女の頭を撫でた。

「ただ見てみたいのだ。この先にあるもの、その全てを、余は自身の目で見届けたい」

 欲した以上、奪うのはこの人の信念だ。それは少女にとって揺るぎない、この世にたった一つの真実でもある。故に、つたない言葉が口からこぼれでる。

「……わたしも、みたい」

 地の果ては恐ろしい。もし大地がとぎれているのを見てしまったら、自分は狂うかもしれない。

 だが――この人がそれを見たいと望むなら、自分も同じ望みを抱こう。

 それがどんなに空恐ろしい場所だとしても、その時この人がそばにいるなら、少しも怖くはないのだから。

「そうかそうか、そなたもオケアノスに焦がれるか。うむ、その意気やよし! それでこそ余の娘だ」

 よほど嬉しいのか、あの人は自分を抱きしめて笑った。大地を揺るがすがごとき大笑に襲われて、少女はくらくら目眩がした。だが、少女はこの笑い声が大好きだ。その小さな胸は喜びで満たされ、あふれんばかりになる。固い髭で覆われたあの人の顎に、小さな手で触れて、少女もまた笑顔になった。

「いっしょにいこうね、ちちうえ」

「うむ。余は必ず、そなたにオケアノスを見せてやるぞ。約束だ」

 あの人がそういった時、少女は幼いながらに決めた。

 これから先、いかなる困難があろうとも、この人と共にいようと。

 必ず、オケアノスをともに見ようと。

 ――そう誓ったのだ。

 

* * *

 

「はぁぁぁっ!!」

 裂帛の気合いと共に光が走り、金属のはじける音が響きわたる。強い日差しを降り注ぐ太陽に向けて剣がくるくると跳ね上がり、ついで落下して石畳に突き刺さった。

「いっつ……!」

「そこまで!」

 手を押さえてよろよろ後ずさる青年。その様子に、審判役が張りのある声で勝負を決した。白髭を蓄えた老兵、イマームがこちらへ顔を向ける。

「お前の勝利だ、シャムス。よくやったな」

「は……はい、先生!」

 弾んだ息の下から歓喜の声をあげ、シャムスはようやく剣を下ろした。

 手足がすらりと伸びる長身は、激しい打ち合いで汗だくになっており、あちこちに打ち身の赤い跡を残していた。だが勝利の喜びで、痛みなどまるで気にならない。

「くっそー、今日は勝てると思ったのにな」

 地面の剣を抜きながら、今日の相手役である青年が口をとがらせた。シャムスより二つ三つ上のこの男は兄弟子のカラムなのだが、年上のくせに妙に子供っぽく、大人げない。今日とて昼食のおごりを賭けて手合わせを申し込んできたのはカラムのほうである。

 悔しげにぶつぶつ言うカラムに、シャムスは腰に手を当てて破顔した。

「カラムは動きが遅すぎるのよ。もっと足を鍛えればいいのに」

「ほほーう、兄弟子に対してずいぶんえらそうな口を利くじゃないか、この野郎。一回や二回勝ったからって、調子に乗るなよ」

「何をいうか、馬鹿者」

 途端、師の拳がカラムの脳天に突き刺さる。いってぇぇぇと叫んでしゃがみ込んだ弟子に、イマームはふんと鼻を鳴らした。

「調子に乗っているのはどちらだ。貴様のように力に頼って慢心していては、この先いつまで経ってもシャムスには勝てぬぞ」

「そうよ、もっとしゃきっとしないと。それじゃあいざって時に、陛下のご期待に応えられないわ」

 しゃがんで顔をのぞき込むと、カラムは頭をさすりながら苦笑した。

「俺だって戦となりゃ、陛下の御為に、山と首級を捧げるがな。シャムス様におかれましては、我が軍きっての忠臣であらせられる故、とてもかなわんわ」

 おどけた口調にむっとして、シャムスはカラムをぶつふりをする。

「そういうしゃべり方やめてよ。私はただの兵士なんだから」

「だが、お前は陛下の御子だ。本当ならこんな物騒な事してないで、ドレスを着て陛下のおそばで楚々としてなきゃならん身の上だろうが」

「そんなの……」

 途端、心が沈む。シャムスは地面についた膝の上で拳を握り、俯いた。

「陛下は私を哀れと思って拾ってくださっただけで……私なんて、ただの孤児だもの。誉れ高いイスカンダル王の御子だなんて、恐れ多いわ」

「シャムス」

 ぽん、と頭に手を置かれたので見上げると、イマームと目があった。普段は厳しいばかりの表情をふっと和らげ、師は手を離す。

「そのように卑屈になるな。それこそ陛下の御名を辱めるようなものであるぞ。

 王の御子に相応しくあろうとするお前の姿勢は、正しい。陛下の温情に応えたいと願うのなら、己を鍛えればよいのだ」

「まぁそうだな。シャムス、お前俺に勝ったんだから堂々と胸を張れよ。そんな女々しい事言う奴に負けただなんて、俺の沽券にも関わるぜ」

 そういってカラムはぱちん、とシャムスの頬を軽く叩いた。

 愛情のこもった優しい平手打ちに、卑屈な心が溶ける。そうだ、下を向いてばかりでは、何も出来ない。シャムスは切っ先を下げた剣を持ち直して、気を取り直した。

「よし、それじゃあもう一本やろ、カラム」

「え、えぇー!? ちょっと勘弁してくれよ、俺へとへとだぜ」

「審判役なら続けてつとめようぞ」

 にやっと笑ってイマームが後ろに下がる。待て待てちょっと待て、と逃げ道を求めて周囲を見回したカラムは、不意にあ、と声をもらした。

「あそこに陛下がいらっしゃるぞ」

「えっ、どこ!?」

 思わずカラムに飛びつき、同じ方向へ忙しく目線を走らせる。王がそこにおいでというのなら、今試合に勝った事を報告したい、そしてまた、頭を撫でてほめてもらいたい。

 そう思った故にシャムスは胸を高鳴らせたが、

「あぁ、今日はロクサナ様とご一緒だな」

「あ……」

 続く言葉に、弾む気持ちが急速にしぼんだ。視線の先には赤毛の偉丈夫、シャムスの義父たるイスカンダルと、エスコートされてつきそう美姫の姿があった。二人はなにやら楽しげな様子で語り合いながら、中庭をゆっくりと横切っていく。

「はぁー、相変わらずロクサナ様はお美しくていらっしゃるなぁ」

「うむ。さすが陛下が見初められただけの事はある。輝く星のごとくとは、言い得て妙であるな」

 男二人が感嘆するのは、ロクサナの麗しい立ち姿である。

 東へ東へと向かう王がその遠征の途上で出会ったのは、輝かんばかりの美貌を持つ姫君だった。

 女のシャムスでさえ見とれるほど繊細に整った顔立ち、小柄で華奢なその体躯からは常に、花のように香しい匂いが漂い立つ。

 艶やかな黒髪は腰のあたりまで長く伸び、動くたびに鈴のように軽やかな音を立ててなびいた。

 そのまなざしは夢見るように艶めかしく、見つめられた者は等しく、心臓を射抜かれたがごとく、息が詰まるようなときめきを覚えた。

 そして柔らかい弧を描く唇を開けば、天上の歌もかくやと言うような美声が紡ぎ出され、どれほどの頑固者でも心解かされずにはいられなかった。

「あーぁ、デレデレしちゃってまぁ、陛下も男だねぇ」

 ロクサナへ熱心に語りかける王の姿に、カラムは笑い混じりの揶揄を口にした。ざっくばらんな口調に不敬であるぞと苦笑し、イマームは目を細める。

「此度の戦が終われば、婚礼の儀を執り行われるからな。いずれ遠からず、お世継ぎのお顔を拝見することになろう。お二方の御子であればさぞ、お美しかろうな」

 がしゃん!

 そんな他愛のない会話が、不意の固い音に遮られた。

 驚いて音の源に目を向けた男たちは、そこで胸を押さえて苦しげに顔をしかめるシャムスの姿を目にする。

「!? おいシャムス、どうした?」

 剣を取り落とした尋常ならざる様子にカラムが慌てて声をかける。だがシャムスは性急に首を横に振って、ひきつった笑いを浮かべた。

「な、何でもない……ちょっと、疲れちゃったみたい」

「大丈夫か、シャムス。……確かに顔色がよくない。今日の鍛錬はもう終わりだ。汗を拭い、体を休めるがいい」

 拾って鞘に納めた剣を差し出しながら、イマームが勧めると、

「はい、そうします……失礼します」

 シャムスは剣を受け取ってぺこりと頭を下げると、背を向けて駆けだしていく。体調が悪いのかと思われたが、その足取りは存外軽い。どうやら心配するほどの事ではないらしい。

「ふむ。あの様子なら、問題なかろうな。カラム、貴様も休憩をとれ。今宵は夜番であろう」

「は……分かってますよ、先生。言われなくても休ませてもらいますって」

 いつも通り師にも軽口を叩きながら、カラムはシャムスの去った方向をじっと見つめた。

 その視線が動き、中庭から屋根の下へ入っていく王とその寵姫を追う。

 威風堂々たるイスカンダル、その手に引かれて楚々と寄り添うロクサナ。それは一幅の絵画のように美しく、高貴な者達の姿であり、誰にも侵しがたい光景であった。

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