大江山に鬼の集団ありき……いつしか人々に囁かれている噂だ。
襲われた人里の悉くは無惨な姿となって人々を恐れさせた。食い物も酒も金品も、時には人間ですら奪う残虐な、狼や山賊なんか屁でもない恐ろしい賊徒達。
強さもそうだが厄介なのはその速さと行動基準。気まぐれに人里を襲い、素早く奪い殺し、そして武士が馬で駆け付けた頃には影も推さず逃亡。これには地方を治める武家もお手上げときた。
強い癖に狡賢く、残酷にして残虐。鬼の強さと残虐性を示し、その上に集団としての強さと恐ろしさも見せつけられ、人々は恐怖と絶望を叩きつけられた。大きくの武士や兵を警邏に回すと上が決定したと伝えられている。
―――まぁ、こいつらが勝手についてきただけなんやけどもねぇ……。
月夜の下で阿呆のように酒を飲み笑う鬼達を眼前に、角を生やした美少女———酒吞童子はそんな事を考える。
酒吞は元々一人で暴れていた。楽しいか否かで殺す奪うを決め、自由奔放に生きる快楽主義者。誰かと組むという発想など沸くはずもなかった。
目の前でどんちゃん騒ぎを起こしている鬼達は、酒呑の圧倒的な強さを利用し、略奪と殺戮のお零れに預かっているだけの腰巾着だった。殺すのが面倒なほど鬱陶しい連中なので、酒吞は彼らを居ないものと捉え、これ幸いとばかりに鬼達は酒吞の腰巾着を続けていた。
人の世に囁かれる鬼の盗賊団など嘘っぱちだ。現実はただの烏合の衆だというのに。
勝手についてきて、勝手にお零れを頂戴し、勝手に鬼の集団として噂を立て、酒吞童子を頭目として強い武士の盾にしようとする。それがこの鬼どもだ。
(面倒やけどしゃぁない……ええ加減、殺して終いにしよか)
同族だろうがなんだろうが関係なく、邪魔だと思えば殺すのが酒吞だ。鬱陶しい蠅を皆殺しにしようと右手に力を込め……。
「ナァ」
猫の鳴き声でふと止めた。
酒盛りの宴だろうとも良く響き、それでいて無意識に視線を集める不思議な声色だった。下劣な鬼らも思わずといった様子で視線を其方に向ける。
当然だろうが、其処に居たのは一匹の猫だ。虎柄の猫はフリフリと長く太い尻尾を振り、鬼達をじっと木陰から眺めている。暗闇から見つめる目が焚火の光を反射し、鬼ですら不気味さを覚える。
しかしそれだけだ。正体に安堵し「なんだ猫かよ」と鬼の誰かが言えば、徐々に賑わいを取り戻し、いっそ誰かあの猫食っちまえと下劣な笑いが轟くようになる。
唯一人……酒吞童子だけは、暗闇に浮かぶ猫と
「……鬼の集団と聞いて来てみればこの様か……情けない」
声がした瞬間、暗闇から火の手が上がった―――比喩ではなく巨大な手のような蒼い炎が突然現れたのだ。
突如として浮かんだ、大人の人間ならすっぽり覆えるほどの巨大な火の掌に鬼達—酒吞童子と猫だけは当然のように見ている—は慌てふためき、その手が開かれたことで地面に転がる物に視線が集まる。
黒焦げだが、それは間違いなく人間の首だった。食欲をそそる焦げ臭さが鬼達の混乱を鎮め、それがゴロゴロと蒼炎に照らされながら5~6つ転げ落ちる。
「この人間どもはな、人を襲う貴様らを討たんと放たれた武家の者らだ。貴様らが火を起こし騒ぐ故、夜襲を仕掛けようとしておった。吾が殺さねば、今頃は皆殺しにされておったろうよ……其処の鬼を除いてな」
蒼炎の主らしき声が差す鬼とは間違いなく酒呑だろう、実際に酒吞は何となく気配を察知していたし。飲んで騒いでいたとはいえ人間の気配に気づかなかった醜態に鬼達は眉間に皺を寄せる。
誰かが「いいから姿を見せやがれ臆病者が!」と叫ぶ。すると蒼炎は縮まっていき、その掌の主が青い光に照らされ姿を現す―――奇しくも酒吞童子と同じ、小柄な少女の姿をした鬼だった。
「吾は茨木……茨木童子」
青い炎に照らされていても解る程に蒼白の髪。暗闇に溶け込むような黒の着物に龍を象った赤い刺繍。ギラギラと赤く輝く瞳。額より伸びる一対の角。
酒吞童子は一目見てその鬼を「殺してみたい」と思った。それほどまでに力強く、猛々しい
それは木っ端の鬼らにも感じ取ったのだろう。思わず全員が息を飲み、中にはただならぬ気配と憤怒を感じ後退る者まで居た―――それを蒼い鬼は鼻で笑う。
「ハッ……情けない! 情けない事この上ないなぁ! 人恐れる鬼が! 夜を渡る妖怪が! 武装した人間に気づかずどんちゃん騒ぎしてました、などと! 故に貴様らに怒ってやろう―――
鬼を舐めるでないわぁ! 阿呆どもぉ!」
ドカン、と周囲に衝撃が走る。木々や地面のみならず鬼の身体と脳をも揺らす怒鳴り声もそうだが、何よりも茨木童子の怒気が凄まじかった。
「茨木殿、気を鎮めなされ。小生の耳が破裂寸前にございます。やれ恐ろしや、恐ろしや」
「しばし我慢せぇ猫の翁。同族の無様を見て怒らぬなど吾の気が済まぬ」
虎猫が喋った。先の怒号に吹き飛ばされても可笑しくないのに平然としており、恐ろしがっているというより面倒くさがっているように耳を伏せて抗議している。当然のように茨木は返答するも、猫の翁と呼ばれた虎猫は不満そうにして木に登った。一時避難である。
虎猫に習って逃げたいと誰かが思った。武家の者を殺した実力ではなく、底知れぬ怒気と力に内心怯えているのだ。小柄な少女だからと侮れず、しかし威勢を張る気も起らない。
「なんやまぁ煩いわぁ。そないに怒らんでもええやろ」
「
カラカラと笑いながら耳に小指を突っ込む酒吞童子。どこまでも自然体で、むしろ色気を醸し出すほど艶やかな佇まいだった。
対して茨木童子は明確な怒りと厳格な態度を示す。両手と口から溢れ出る蒼炎もそうだが、何よりもギラギラとした瞳が、彼女の持つ憤怒を示していた。
「おお、怖い怖い。怖くて煩い鬼さんは殺してまうか。角も立派やし、ええ髑髏の盃になるやろなぁ」
「なら吾は嬲り殺しにしてくれよう。嬲って擦り潰して……鬼という妖魔を其処の鬼共に見せつける」
にたり、と酒吞童子が笑う。ギラリ、と茨木童子が笑う。木っ端の鬼は背筋を凍らせるばかりだ。
茨木は、ずるり、と暗闇から何かを引きずり出す。それは2mを超える棍棒だった。
やたらと鋭い突起が片面にビッシリと並んでおり、歪に曲がっている。それが二本。天に掲げると、まるで巨大な生物の顎のよう。
そんな不可思議な棍棒を見て酒吞童子は……八岐大蛇の血を継ぐ鬼は、目を光らせた。
「なぁ……それ……
「ご名答。下顎のみでこの大きさと凶悪さだ。太古は暴君として君臨していたであろうよ」
太古の龍が朽ちて骨となり、それが地中深くに埋まり石となった物。それを茨木童子は振り回して自慢する。
その下顎の化石からは、茨木が込めた妖術とは別に、木っ端の鬼ですらなんとなく解るほどの殺気を放っていた。全ての生物を喰らわんと言わんばかりの、凶悪な殺気が。
「ええなぁ……それ……欲しいわぁ……♡」
太古より時と魔力を蓄積し鉱石に至った、後に
酒吞童子のコレクターとしての血筋が騒ぐ。欲しい。奪いたい。この堅気の鬼を殺せば、彼女の髑髏の盃と一緒に手に入る―――故に殺す。殺して奪う。殺して手に入れる。殺す過程もさぞ素晴らしい物になるだろう。
酒に酔ったかのように立ち上がり、抱きに来るかのように色気を放ち、殺すと言わんばかりに笑顔を浮かべる酒吞童子。彼女の周りの鬼達が命欲しさに間を開けた。
対峙する茨木童子も笑っていた。酒吞童子の行為を肯定するかのように迎撃の構えを見せ、一対の龍骨を彼女に向ける。豪ッと燃える蒼炎と殺気を恐れて鬼達が逃げた。
茨木童子が振り落とす巨大な棍棒に対し、酒吞童子は掌底で迎え撃つ―――直後、大きな鬼ですら吹き飛ぶ暴風が巻き起こる。
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酒吞童子の戦い方は至ってシンプル。鬼の怪力を活かした殴る蹴るの肉弾戦だ。
かといって荒々しいだけではない。徒手空拳に足刀といった鋭利な動きを織り交ぜ、意表を突いて踵落としや腕による刺突もお見舞いする。
時に踊るように舞い、時に肉を穿つように急所を狙う。酒吞童子の性格も相まって掴み所の無い戦い方だった。
対する茨木童子は、鬼の能力だけでなく、呪いと炎を活用した化け物じみた戦術を披露している。
髪の先と両手から漏れる蒼い炎は掠っただけで酒吞童子の鬼の肌を焦がし、呪を残し鋭い痛覚を与え。
両手で印を結び呪言を唱えれば蛇のような蒼黒い呪いが襲い掛かる。当然のように酒吞童子は避けるが、とばっちりを受けた鬼は激しく悶えた後に死に絶えた。
加えて茨木童子がブンブン振り回す化石……龍骨【
一度は片方を酒天が奪い取ってみせたが、握る手より強烈なまでの呪い―――いや
【食う・殺す・暴れる】と……自由を愛し雅を好む酒吞童子は、己の意識を改変しようとする呪いを拒絶し、思わず【
持ち手を狂暴化させる呪具……なるほど、魅入られるわけだ。増々欲しくなる。
口から呪いの炎を吐き出し龍骨をまざまざと見せつける茨木童子を見て、酒吞童子の心と体は熱くなる。
「ほんま、欲しいわぁ……♡」
酒吞童子の熱い眼差しを察した茨木童子が無意識に震えあがる―――殺意でも闘志でもない【ナニカ】に怖れを抱いたが故に。
そんな二人の鬼を眺めながら、猫の翁は悠々と筆を走らせる。例え吹っ飛んだ鬼の死骸が直ぐ横を通り過ぎても。
秋の月明りのおかげで執筆には困らない。今宵は茨木童子の新たな伝説が記される事だろう。
冬の巻に続く。