Fate/Φ's Order REMNANT SE.RA.PH/ZERO   作:うろまる

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インスティクト・トゥ・ラン<前編>

 

 

「――マスター?」

 

 驚愕に包まれたメルトリリスの声が、蒼海に呆然と響いた。

 

 それも当たり前だった。BBの使者を名乗る怪しげな風体の男が手渡してきた、謎のアタッシュケース。そこに備え付けられていたのは、無機質な金属の光で全身を固めた謎のベルト――怪しさしか感じられない代物を身に着けた瞬間、自らのマスターの身体が人間のそれではなく、赤い血脈を纏った仮面の騎士に変化していたのだから。

 

「――」

 

 マスターであるはずの男はなにも言わず、無言で立っている。これもBBが仕組んだ罠なのではないかと密かに警戒しつつ、メルトリリスはマスター、と騎士の広い背中に、もう一度だけ声をかけた。

 仮面の騎士は返事をせず、その代わりとでも言うように、力を失ったように垂れ下がっていた右手を軽くスナップさせた。

 

「あぁ……」

 

 思わず安堵の吐息をついた。その乱暴な仕草だけで、メルトリリスは仮面の騎士の中身が、不可思議な装甲を身に着ける前となにひとつとして変わっていないことを確信できた。

 ファイズは、そんな少女の様相を欠片も気にすることなく、真っ正面にいるパッションリップへ黄金に光る双眸を向けている。

 変身できたからと言って、状況は依然として不利なままだ。そもそも、ベルト一本を取り戻した程度でなにもかもを打破できてしまうような特異点ならば、これまでだってもう少しラクな道のりを歩めていただろうと思う。

 目の前に立ちはだかっているのは、一度狙いをつけた獲物を死んでも逃がさないであろう、不死身の怪物。さらにそいつは、自分たちがこのSE.RA.PHを脱出するためには、絶対に乗り越えなければならない壁と来ている。その怪物が持つ破壊力は、サーヴァントすら超えかねない常軌を逸した代物であることは、先ほどの逃走劇で嫌というほど身に染みていた。

 正直に言えば、恐ろしかった。カルデアのマスターとして戦場を駆け抜ける中で、幾度となく感じ、体験してきた、薄ら寒い死の気配。それをここまで濃厚に感じた瞬間は、たぶん五指にも満たない。

 しかし、

 

 腰から全身に迸り続ける、赤い熱が、

 戦意の炎を掻き立てて止まない、煮えたぎるような血流が、

 

 

「――行くぞ」

 

 

 巧の足に宿った最後の怯えを、塵一つ残さず焼き尽くした。

 

 そしてファイズは、浅い呼吸を繰り出すと同時に一気に駆け出した。足裏が一歩地を踏みしめる度に、これまで欠片も合っていなかった身体の歯車が次々とかみ合い、流れるように動き出す錯覚を覚えた。

 怪物の咆哮が耳を震わせる。次に爆発めいた射出音が木霊し、ファイズのアルティメットファインダーに、右の鉄拳が大写しになった。だが、人間の時は見えなかったその動きが、いまは容易に見透かせる。

 ファイズは走る勢いを殺さず、姿勢を獣のように相手の膝より低くする。背筋を爆風が掠めていく。背骨が凄まじい衝撃に軋む。構わず、疾駆。たちまち懐に辿り着いた刹那、渾身の左フックが、がら空きになっていたパッションリップの右脇腹を撃ち抜いた。

 

「っ゛!!」

 

 引き結ばれた唇の隙間から零れ落ちた、呻き声。拳に伝わる、肋骨が折れた感触。だが、パッションリップは止まらない。雷鳴のような叫びと同時に、残された左手を無造作に標的へと振り下ろす。ファイズ、すかさず横へ飛んだ。次の瞬間、爪先にたやすく破砕された地面が、無数の礫をあたりに散らした。

 破片を浴びながらもファイズはどうにか体勢を立て直す。敵の放たれた右手、既に戻っている。思う。遠距離で倒し切る自信はあまりない。この絶好の機会を見逃すまいと、ファイズは再度右手を軽く振って、接近を開始した。

 接近に気づき、槍のように突き出された左爪を飛び越えて背後に立ち、無防備な背中を後ろ足で蹴りつけた。パッションリップがつんのめり、鋼の如き姿勢が束の間の揺らぎを見せる。その一瞬を見逃さず、振り向きざまに薙ぎ払われた右爪を、地に伏せて回避。そのまま続けて回し蹴りで足を払う。少女の巨体が傾ぎ、音を立てて地面に倒れた。両手の重さにすぐには立ち上がれないと判断。そしてファイズは、崩れ折れたパッションリップの頭蓋へと、一片の容赦もなく振り上げた踵を落とそうとする。

 

 よりも、先に。

 

 跳ね上がった鉤爪が、装甲を打ち叩いた。

 

 直感に従って一歩退いたことが、かろうじて命を繋いだ。いかに重戦車の主砲の直撃に耐え得る硬度をもつソルメタルといえど、神秘の結晶といえるサーヴァントの攻撃には無傷ではいられない。

 だが、いまこの状況では、走る痛みと衝撃よりも、視界を大量の火花で覆われたことの方がはるかに危険だった。

 世界が、眩んでしまいそうなほど眩しい白色の中に一瞬閉ざされる。その場から離れるべく後ろ足を踏み出そうとしたファイズを、パッションリップの鉤爪がついに捉えた。ぎゃりぎゃり、と鉄と鉄が擦れ合う不快な音が鳴り響き、先ほどとは比べ物にならない量の火花が虚空に舞った。ダンプにでも引かれたのかと見まがうほど、ファイズの身体が高々と舞う。どさり、とゴミ袋のように落ちたあとの、仮面の下に隠された巧の表情は、堪え切れない苦痛が滲み出ていた。

 

「──ぐっ!」

  

 連続して振り下ろされる爪を避けるために、無様に床を転がり続ける。その途中で、ベルトからファイズフォンを抜き取り、ブラインドでコードを入力。106。三桁の数字を装填されて点滅する画面部分を折り曲げると、ファイズの手の中にあるのは既に携帯ではなく、可変式光弾銃――フォンブラスターへと変化していた。

 まともな狙いなど、つけている暇はなかった。倒れたまま、最低限の照準を合わせて、トリガーを引いた。銀色の銃口から三発の光弾が放たれる。でたらめな射線に乗って放たれたそれらは、当たり前のように二発が外れ、幸運にも一発がパッションリップの顔面に直撃した。煙が立ち込め、怪物がその動きを止める。その瞬間すら確認せず、ファイズは半ば飛び込むようにして距離を取った。

 

 危機はとりあえず脱したが、振り出しに戻ってしまった。

 

 硝煙を疎むように、顔を振るパッションリップを見ながら、ファイズは荒くなっていた呼吸を整える。負傷を物ともしないタフネスに、馬鹿みたいにデカい異形の両手。遠距離どころか、素手ですら倒し切るのがキツいことが、よくわかった。舌打ちを繰り出しながら、背後で騎士と化生が繰り広げる激戦を呆然と見ていたメルトリリスへと、硬質な声を投げかける。

 

「おい」

「……」

「おいって!」

「――え、は、はいっ」

「中に、ハンドルみたいなの入ってるだろ。それ、寄越せ」

 

 メルトリリスは我に返ると、男の言葉に従ってあけっ広げにされたアタッシュケースの中身を見た。収納された物品の中でも、ひと際目立つトランクボックスの隣に、確かにハンドルグリップらしき物がある。用途はまったく不明だが、マスターである彼が必要としているのなら、サーヴァントである自分は四の五の言わず応えるべきだと思った。

 感覚の鈍い指先に苦労しつつも、どうにか取り出せたそれを、えいや、と放り投げる。仮面の騎士は少々危なっかしく受け取ると、ベルトにはめ込み直した携帯から、小さなチップを取り出した。メルトリリスが見守るなかで、チップがハンドルの持ち手部分の上に開けられた部分に差し込まれる。

 

 瞬間、

 

 ――『Ready』 

 

 鮮やかに光る紅でその細身を彩った刀身が、空気を裂いて飛び出した。

 

 左右に揺られるたびに、刀から泣き声にも似た音が生み出される。ソル・クリスタルに保護されたフォトンブラッドが、久方ぶりの獲物にありつけることを喜ぶように、煌々とした光をあたりに撒く。ダ・ヴィンチの手が加えられたことによって、オートバジンを介さずにでも取り扱えるようになった、エナジーハンドルブレード――ファイズエッジを青眼に構え、一歩を踏み出そうとしたファイズの動きが、止まった。

 すぐ横に、メルトリリスが歩いてきたからだ。

 

「……おまえ」

「――正直いって、なにがなんだか分かりません。そのベルトも、貴方の素性も。説明して欲しいことは、たくさんあります。けれど……今は置いておきます。貴方ひとりだけを戦わせる訳には、いきません」

 

 抑えきれないざわつきに迷いながらも、メルトリリスはそんな決意を口にした。しかし巧は、吐き捨てるかのような口調で、

 

「要らねえよ。下がってろ」

「意地を張ってる場合ですかっ!? 彼女に単独では勝てないことは、先ほどの戦闘で分かっているはずです。ここで力を合わせなければ、本当に死んでしま――」

「俺は、」

 

 巧は、一瞬口ごもるも、躊躇いを振り切って言った。

 

「――いざとなったら、自分を投げ出せば良いと思うようなヤツに、背中を預けたくはない」

「っ」

 

 気付かれていたのか――と、メルトリリスは安易な考えを浮かべた自分を見透かされたことに気恥ずかしさを感じ、そっと唇を噛む。訪れた沈黙を無言の肯定とみなしたのか、巧はメルトリリスから視線を外して、冷たい声音で続けた。

 

「自分でもわかってんなら、退け。邪魔だ」

「……」

 

 どの口が言っているのか、と巧は内心で苦い顔をする。それでも、誰かの犠牲のうえに生き残ってしまうような状況は、二度とゴメンだった。

 決意をこめて、グリップを強く握る。一人で戦うという決断が込められた男の仕草を見ても、メルトリリスはどうすることもできなかった。だが、男の言葉に打ちのめされながらも、引き下がることはしなかった――引き下がれなかった、と言った方が正しいかもしれない。

 乾いた舌を、必死に動かす。

 

「それでも、それでも、わたしは……」

 

 なにを、言おうとしたのか。

 なにを、告げようとしたのか。

 

 メルトリリス自身にも、判然としないまま、二人の間を断つかの如く、立ち直ったパッションリップの拳が轟音と共に撃ち出された。

 

「避けろっ――!」

 

 咄嗟にメルトリリスを突き飛ばし、自分もすぐさま飛びのいた。自分たちがいた空間を、破壊の風が駆け抜ける。前を睨み付けると、敵は無防備なメルトリリスに向けて二撃目を放とうと準備していた。させはしない。ファイズエッジの切っ先を地に向けるようにして構えると、ファイズは一気に駆け出した。

 

 脅威に気づいたパッションリップが、標的を変えて、残った拳をファイズに向けて撃った。迫る威容、恐れなどしない。距離が極限まで近づいた瞬間、姿勢を半身に変え、すぐそばにある拳の表面に刀身を添えた。途端、想像を絶する重量と速度に、両腕に稲妻が落ちたような苦痛が奔る。だが、堪えた。腕の筋線維が次々と断裂していく音を感じながらも、ファイズは身体のすべてを駆動させ、絶殺の拳を受け流した。

 

 震える手を動かして、ベルトに設置されたファイズフォンを開き、乱雑な手つきでENTERボタンを押した。フォトンストリームに光が走り、ファイズエッジに内包されたフォトンブラッドの量が、爆発したように膨れ上がる。解放の刻を待ち望む雄叫びを掌に感じ取った瞬間、ファイズはなにもない虚空に剣を切り上げた。

 強く弾けた、光。

 津波のような衝撃波が、剣の先端から撃たれた。それはパッションリップを捉えると、たちまち円筒状へと変化し、少女の身体を強く拘束する。並みの相手ならば、トドメを刺したも同然の状態だが、おそらく一瞬で破られるだろう。

 

 だが、その一瞬さえあれば、充分だった。

 

 血色の筋を描きながら、ファイズは空中に囚われた的に対し、剣を振るおうとした。

 その時だった。

 なにもかもが手遅れになった段階で、ようやくファイズはそれに気付いた。

 頭上、背伸びをすれば届きそうな場所に、五指を大きく開いた形のパッションリップの手が浮かんでいる。

 

「な――!」

 

 あれだけの巨大さを持っていながら、なぜこれほど近くに接近されるまで気付けなかったのか――と、こんな時にもかかわらず冷静に思った。その理由に、パッションリップが持つアサシン特有のスキル……気配遮断が絡んでいるということを、巧はとうとう最後まで知ることはなかった。

 地表ごと圧し潰さんと、物々しい爪を折り曲げながら開かれた手が、駆けるファイズに向かって正確無比に降りかかる。一瞬あとに潰されている自分の無残な姿が、ふと脳裏に浮かび上がった。しかし、それでも前を見据え続けた。敵との距離、あとわずか。覚悟を決める。半身を潰されてでも、叩き切るつもりだった。

 閃光を宿した刃と、破砕を宿した爪が、交差する寸前。

 駆け抜けてきた蒼い影が、銀色の光輝をまといながら黄金の手を蹴り飛ばした。

 

「おまえ――」

 

 影は――メルトリリスは、空中で足を振り切ったあとという不安定な姿勢にもかかわらず、流麗な動きで地面に静かに降り立つと、高い位置からファイズを見下ろした。

 二人の視線が、交錯する。

 言うべきことは、決まっていた。

 

「――それでも、わたしは。貴方の魔剣(あし)としていたいんです。たとえ貴方のそばに、寄り添う資格が無かったとしても」

「あのな」

「わたしはっ」

 

 何事かを呟こうとした巧を遮るように叫び、

 

「――わたしは、貴方のサーヴァントです。そして貴方は、わたしのマスターなんです。それだけは、どうか分かっていてください」

 

 真っすぐにこちらを見つめて、そう告げたメルトリリスの姿が、赤い皇女と重なって見えた。

 

 ――私情など何処にもない。これは余がサーヴァントである限り、成さねばならぬ責任であり、果たさねばならぬ使命であり、貫き通さなければならぬ信念だ。余は、それに従っているだけのこと。その否定は、いくらマスターである貴様でも許さんぞ――

 

 ため息を吐く。サーヴァントであるということ、マスターであるということを、自分はまだ欠片もわかっていないのだと思う。これでは、あのお節介焼きの赤い弓兵に叱られたって文句は言えない。それでも、絶対に割り切ることのできない、しこりのような何かが裡にはあった。たぶん、同じような立場にあるから、余計なことばかり考えてしまうのだ。巧もサーヴァントも、世界にとってはすでに死した影法師であり、本来であれば未来に干渉すべき存在ではない。

 だが。

 仮にも、マスターを名乗っているのであれば、サーヴァントに応えずして、いったい何の役目が残されているのだろうか。どくん、と装甲の下に隠れた令呪が疼いた。この刻印は、いったい何のためにあるのか。何度も何度も自分に問い掛けた末に、巧はとうとう折れた。

 

「……胸糞悪いのは、ゴメンだからな」

「――そんな思いは、させません。絶対に」

 

 渋々といった表情をする巧を、安心させるように、メルトリリスは女神の如く優しい微笑みを浮かべながらそう言った。

 その直後だった。突如として低い叫声が、SE.RA.PHに冴え渡った。両手を取り戻したパッションリップが、今度こそ獲物を仕留めんとその身を戦闘態勢に移行し始めている。それを見ながら、巧はメルトリリスに向かって問い掛けた。

 

「……で、どうするつもりだ」

「このまま正直にリップの相手をしていても、時間の無駄です。わたしの機能が完全であれば、或いはセンチネルのスキルを超えて、彼女のリソースを吸い尽くすことができるかもしれませんが……今のままでは、小石で鉄格子を掻き切ろうとしているようなものでしょう」

 

 ですから、と前置きして、メルトリリスは続けた。

 

「わたし達の本来の目的――管制室へと、向かいましょう。ですが、そうするとその区画のセンチネルである彼女もまた、立ちはだかってきます。……ですから、裏ルートを使います」

「――裏ルート?」

「はい。――これからわたし達が向かうのは、管制室への直接の入り口があるブレスト・バレーではなく、そのすぐ傍にあるフランク・セパレータです。時間はあまり残っていません。早速行きましょう」

 

 決然とした表情のメルトリリスに、巧は少々気まずそうに尋ねた。

 

「どこだ、それ」

「…………左脇です」

「ああ……最初からそう言えよな」

 

 どうにも締まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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