Fate/Φ's Order REMNANT SE.RA.PH/ZERO 作:うろまる
リバース・セラフィックス
首を斬り飛ばされる直前、乾巧はこんなことを思い出していた。
月の出ている夜だった。
鼠色の雲がどんよりと立ち込めていた昼間の天気が、まるで嘘か幻だったように、立ち並ぶ木々の隙間から見える凹凸の空は晴れていた。澄み切った紺色の海のなかに点々と浮かびあがった輝く粒は、宝箱をひっくり返したあとのように散りばめられた無限の星々が放つ光だ。その中天に堂々とした態度で座しているのは、絵に描いたように丸い形をした満月である。
息を吸い込めば、新鮮な夜気が肺に染み渡った。雨が降っていたせいか、ときおり吹きつける風は心地よさを感じる冷ややかさを孕んでいる。眠ることができず、仕方なくテントの外に出てみただけだったのだが、なんとなく得をした気分になれる。
そんな、独り占めしようにもできない夜だったからかもしれない。
もしくは、月に誘われたのかもしれないとさえ、思った。
「――む。先客か?」
ふと足音が聞こえて振り向くと、そこにはひとりの少女が立っていた。
はらはらと靡く蜂蜜色の髪、歩いていても欠片もぶれることのない真っすぐな姿勢、月の光を吸い込んで怪しい煌めきを放つ翡翠の目、薄闇の中にあっても目立つ薔薇色のドレス――その正体は、第二特異点で巧たちが最初に出逢いを果たした現地人であり、ローマ帝国第五代皇帝を名乗るネロ・クラウディウスだった。
見知らぬ人影が見知った顔であることに気づくと、ネロは張り詰めていた表情を一瞬で緩めて、小走りで近寄ってきた。巧はすぐに立ち去ろうとしたが、それができる距離ではなくなったと判断して、仕方なくその場に居座ることに決めた。
ネロは少し切らした息を整えると、花が咲いたような笑みを浮かべて、巧に話しかけた。
「なんだ、貴様も起きておったのか」
「まぁな……アンタもか?」
「余にアンタ、などという呼称はないと、この前言ったばかりであろう。……まあ、その頑なさこそが、貴様の長所でもあるやもしれんが。いやしかしだな、余は皇帝ぞ? もうちょっとこう、礼儀というか尊敬の念を向けても良いというか……」
「何やってんだ、こんな夜中に」
長くなりそうな気配を察した巧は、早々に話をさえぎってそう尋ねた。ネロはむう、と不満をあらわにしながらも、先ほどの巧を真似るかのように月を見上げた。
「大したことではない。少し、月を見たくなってな――貴様は何故だ?」
「アンタと大体一緒だ。……邪魔なら、どくが」
「なにを言うか! この至極の宝石をただひとりの物にしてしまおうなどという強欲は、神が許しても余が許さん。ほれ、もっと近寄らんか」
「いやだ」
「何故だっ。いまのはどう考えても近寄るタイミングであろうっ」
「くっつきたがる奴にくっつきたくねぇんだよ。鬱陶しいし。――おいっ! 言ったそばからしようとすんなっ! やめろっ!」
餌を目の前にちらつかされた子犬のように腕にしがみついてきたネロを、巧は必死の形相で引き剥がそうとする。しかしネロも負けてはいない。充分に成熟しつつも、どこかに少女らしいあどけなさを残した身体を、巧の右腕にがっしりと押しつけている。
互いに譲らぬ熱い攻防が数分ほど繰り広げられる。いつしか二人がつられたはずの夜の静けさはどこかへとほっぽり出されてしまっていたが、巧とネロはとうとうそれに気づかず、ぎゃあぎゃあとしばらく騒ぎ続けた。暢気なものである。
決着は、あっけなくついた。
「――っの!」
「あいたっ」
ネロの白い額に、巧が容赦のないデコピンを喰らわせた。痛みに思わず離れたネロは、赤くなった額をさすりながら、つんと唇を尖らせて非難の声をあげた。
「なにをするっ!」
「いい加減にしろ」
「余は良かれと思ってやっておるというのにっ!」
「良かないからデコピンしたんだよ。わかったら、離れろ」
さすがにそこまで念入りに嫌がられるとは予想していなかったのだろう。うう、と存分にうろたえながら、ネロは渋々といった感じで巧から距離を取った。
それを確認して、巧は静かに肩を落とす。ここまで懐かれるようななにかを少女にしてやった覚えなど、まるでなかった。
確かに、連合ローマ帝国との最終決戦を迎えるこの局面に至るまでの間、幾度となく共に死線を超えてきたのは事実である。
だが、言ってしまえばそれだけだ。戦場で肩を並べたからと言って、親交が温まる訳でも打ち解けられる訳でもないことを、巧は実体験で――もう一つのベルトの所有者だった、まったくいけ好かない男の存在で――よく知っていた。
肝心のファーストコンタクトも良好だったとは言い難い。いきなり偉そうな態度を取ってくる相手がこの世の何よりも嫌いな巧と、いきなり無礼極まりない態度を取ってくる相手がこの世の何よりも嫌いなネロだから、当たり前と言えば当たり前の話だ。マシュがいなければどうなっていたことか。一時期は、放っておけば殺し合いになるのではないかとさえ周囲が心配してしまうほど、険悪なムードになったことも少なくはない。
それが今では、これだ。
巧はいくらか軟化したとはいえ相変わらずつれない態度なのだが、ネロはもう凄い変わりようだった。砂糖を全身に浴びたのかと思うぐらいべたべただった。
――なに考えてんだ、コイツ。
不気味だった。気味が悪かった。訳がわからなかった。
だから、訊いた。
「なあ」
「む?」
「何で……俺に構ってくるんだ?」
巧の問い掛けに、ネロは顎に手を当てて考え込むような大げさな仕草をしてみせたが、答えは実にあっけない調子で出された。
「――余が、貴様のことを美しいと思ったからだ」
「……アタマ、大丈夫か?」
「うむ。今日は頭痛の頻度も少ない故、すこぶる快調である」
そういうことではない――と言おうとした巧の顔の前に、ネロはまだ話している途中だと言わんばかりに、すっと掌を差し出してきた。大人しく黙り込むと、少女は満足そうに頷いて、言葉を続け出した。
「貴様もよく知っているとは思うが、余が好むのは美しさだ。形ある芸術でも、形なき文化でも構わぬ。稚魚の如く若かろうが、枯木の如く老いていようが構わぬ。真の美しさとは、その程度で翳る物ではないからな」
「……で?」
「それは、国を超えても、時さえ超えても同様だ。誇れ、異邦の騎士――貴様のその、火花のような在り方は、余にとっては堪らなく美しく見えるぞ」
「──」
「ゆえに余は、貴様のその救い難いどーしようもなさを含めたすべてを愛すると決めたのだ。ん? 身に余る光栄であろ? むふふ、言わなくても分かっておるぞ。さあ! 今度こそ余の抱擁を有り難く受け取るがよいっ!」
巧は、胸を張って手を広げるネロをしばらく黙って見つめていたが、やがてちょいちょいと手招き寄せた。ハテナマークを浮かべつつ、ネロは命じられるまま、雛鳥のように無邪気な様子で寄ってくる。自らの胸元でぴょこぴょこと揺れる頭を見下ろし、巧はあらかじめ折り曲げて親指で抑えていた中指をかまえ、勢いよく解き放った。
なんと二度目のデコピンであった。
もの凄く綺麗な音が聞こえた。
「い゛っ!! づ────う〜〜〜〜〜〜〜っ!」
一度目とまったく同じ箇所に受けてしまったためだろう。今度は額をさするだけでは済まず、声にならない呻きをあげて少女はうずくまった。すぐさま立ち上がったネロの目には、理不尽に対する怒りの炎が煌々と渦を巻いていた。しかし巧はまったく怯まず、またもや指をデコピンの形に構えてみせる。
「──さ、三度目は、流石の余も堪忍袋の緒が切れるぞっ! というより、何故だっ! こんなにも貴様を褒め称えたというのに、なにが不満なのだっ」
ネロは額を素早くガードしながら、獅子のごとく果敢に吠え立てた。巧は疲れたような息を吐いて、
「――あのな、褒めてるように聞こえねえんだよ。火花って言われて、いったい誰が嬉しがるってんだ」
「余が嬉しいっ!!」
「俺は嬉しくない」
「余が褒めているのだから嬉しいに決まっておろうがっ!!」
異星人でも相手にしているような気分だった。
巧は人類に許された英知のひとつである相互理解をとうとう諦めると、ポケットに手をつっこんで、ふたたび空を眺め出した。月は変わらずそこにあり、巧たちをバカでも見ているような冷ややかな眼差しで見下ろしている。それが上から目線でどうにもムカついたが、そもそも月が上から目線なのは当然のことだったし、客観的にみても自分たちがバカみたいなやり取りをしていたことは否定できなかったので、巧は大人しく眉を顰めるだけに留めた。
それにしても火花か、と思う。
改めて考えてみると、なるほど、自分という人間を――オルフェノクを表すのに、これ以上似合う言葉は他にないだろう。もはや滅びゆくしか道は無いというのに、それでもなお無様に生き続けようとしている。その理由がなにかと言えば、排除しなければならない人間を守るため……というのだから、お笑い種以外の何物でも無い。火種も残せないあたり、ひょっとすると火花よりも酷いかもしれないと思う。
そんなことを考えている男の横顔に、なにかを感じ取ったのか。ネロは静かに巧の隣へ立ち並ぶと、それまでとは打って変わった厳かな様子で話し始めた。
「――余がこれから辿る末路は、きっと凄惨たる物であろう。ローマ皇帝という道を選んだ以上は、覚悟はしている。してはいるが……いまの余と、その時の余は違うのだ。ひょっとすると、みっともなく嘆いて、情けなく藻掻いてしまうやもしれん」
「……わからねえだろ、そんなこと」
「余も、今まではそう思っていた。余に限ってそんなことは有り得ん、とさえ思っていた。
だが――甦りを果たした歴代の皇帝達と出逢い、言葉と剣を交わす中で、そうは思えなくなってきたのだ。……一瞬でもそんなことを考えてしまった余など、本当は縊り殺したくてたまらぬが、それもまた……余なのだろうな」
「……」
隣の少女の顔を見た。憑かれたように月を見上げる瞳の奥には、乾巧には一生理解できない類の悩みの濃霧が渦巻いている。
胸の底から湧き上がる毒を吐き出すかのように、苦しそうな表情のまま、ネロは続けた。
「だからこそ、余は貴様が羨ましいのだ。褒め称えてしまいたいほどに。
……ああ、そうだ。余は、ネロ・クラウディウスは、貴様が心底羨ましいのだ。妬ましい、と言い換えてもよい。一瞬で大きく輝いて、一瞬で儚く消えてしまう……そのような、火花のような生き様を選べる貴様が……余は、余は――」
それでも。
たぶんこの少女は、それ以上先の言葉を口にしてはいけない人間なのだということは、巧でもわかった。
だから巧は、無言で少女の頭を撫でた。突然の暴挙ともいえるそれに、驚くように目を瞬かせるネロに、巧は幾分か柔らかな語調で告げた。
「俺は……アンタのことを何も知らないし、知るつもりも無い。興味ないからな」
「……」
「――けど、アンタみたいなのが、これからどういう国を作るのかは……興味が無いことも、無い。少なくとも、アイツらよりは」
巧の「アイツら」という言葉が、いったい誰を指しているのか、ネロにはすぐに分かった。ローマという帝国の骨組みを作り上げた、偉大なる歴代皇帝達――彼らのことだろう。
いまは敵に回っていようが、地中海全域で連綿と続く、輝かしいローマ皇帝の称号を受け継いだネロ・クラウディウスにとっては、まさしく神にも等しい存在である。
そして、神への侮辱などあってはならない。だからここは、不敬だと怒ってしかるべきなのだ。剣さえ突きつけてもいいかもしれない。頭ではわかっていたが、それでもネロはどうしても怒る気にはなれなかった。男の、あまりにも不格好な優しさに彩られた言葉を、どうしても憎む気にはなれなかった。
「――彼らが作り上げるローマよりも、余がいずれ作り上げるローマを、貴様は見たいと言うのか。彼らがかつて築き上げたローマのことなど、余がこれまで歩んできた悪逆の道など、欠片も知らぬ貴様は」
「どうせ見るなら、な」
「そうか……そうか」
ネロは唖になったように押し黙り、やがて、巧の前へと突然躍り出た。くるくると回ってドレスの裾をはためかせながら、月の光を目いっぱい身体に受けて、少女はそれまでの沈鬱さが嘘のように思える明るい笑顔を男へと向けた。そして、なんの合図もなく男の腕を引っ張り、もう片方の腕を腰に回して、拙いステップを踏み出し始めた。
何すんだ――と巧が叫ぶより先に、ネロは言った。
「――ならば、途中で降りる事など許さぬぞ。たとえその身が灰燼と化しても、余の歩く道についてくるがよい!
さすれば必ず、貴様が望む景色は、貴様の双眸に焼き付けられるであろうっ!」
童女のように笑いながら、しがみついた迷いや躊躇いを振り切るために、ネロは浅い闇の中で軽やかに踊り続ける。巧はそれを呆れたように見つめながらも、どうにか倒れる無様だけはさらさないように、ふらふらとネロの動きについていく。
礼儀も作法もあったもんじゃない、不格好で、不躾で、ヘタクソなダンスだった。
まあ、どうせ誰も文句を言いやしない。なにせ観客は月しかいないし、唯一の観客である月も、下界で誰がどう踊っていようがお構いなしに浮かび続けるのだから。
だが、そんなことは最初からどうでもいいとばかりに、二人はひたすら月の下で踊り続けていた。
降り注ぐ光をスポットライトに、吹きつける風を音楽にして。
いつまでも、踊り続けていた。
――そんなことを、思い出していた。
〇
メルトリリスが、かき集めた魔力をともなって、床を思い切り蹴りつけた瞬間だった。
まったく予想していなかった方向から、強烈なGが全身に波のように叩きつけられた。これまでとは桁違いの酩酊感に駆られて、すぐさま意識を失い──そしてふたたび巧の虹彩に映し出された世界は、上下が綺麗さっぱり反転していた。
「っ──つ────!」
こぼした呻きは、爆発めいた風切り音に成す術もなくかき消されていく。
刻々と遠ざかっていく地面を覆っているのは、沈みゆくセラフィックス全体を飲み込んでいる真っ最中であるマリアナ海溝の水中。その一方で仰ぎ見た空を彩っていたのは、これまで自分たちが踏みしめていたグリッド状の地面である。
つまり、また落ちている。
本当にいい加減にして欲しかった。一体何度落ちていけば気が済むのかと思う。そんなに落下死して欲しいのなら、こんなしち面倒臭い世界など作らず、断崖絶壁を何十個も作っていれば済んだ話なのだ。
見当違いな悲嘆に暮れる巧にお構いなく、落下速度はぶち壊れたメトロノームの如くどんどん加速していく。メルトリリスは、空中で男の身体を抱き寄せると、手近に浮いていた瓦礫の側面を蹴り付け、着地に適し、かつ足場としては充分な大きさを保っている瓦礫の表面に向かって跳躍した。
「ふ――っ!」
危なっかしい滑るような着地をしつつ、勢いを殺さずに、すぐさま上を確認する。センチネル――パッションリップが、自分たちを追って裏側に突入してくる気配は、今のところ無い。
好機。すぐさま、距離を取るべき――そう判断したメルトリリスは、ふたたび勢いのまま飛び降りた。裏側に突入した際の高度とは、比較対象にさえならない高さを難なく飛び越えると、地面に音も無く降り立つ。完璧に自身の体重と重心を制御している証だ。自らの機能が、徐々に元に戻ってきているのを実感しつつ、メルトリリスは脇に抱えた巧を優しく下ろしてやると、その傍らに慌てて跪いた。
「だ、大丈夫ですか? 意識を失っていたようですが……また吐きそうですか? ビニール袋いりますか? 背中とか擦った方がいいですか?」
「――いらん」
梅干しを何十個もいきなり口に突っ込まれたような顔をしつつ、巧はひと足先に落下していたツールボックスを拾い上げ、迷いのない足取りで立ち上がった。そして、あたりをぐるりと見回す。
「……ここが、裏側ってヤツか?」
「はい。そのはずですが――どうやら、反転した際に位置がズレてしまったようですね」
そう答えたメルトリリスの視線は、巧と同じ周囲ではなく、たった一つへと向けられている。巧は、つられるようにメルトリリスが向く方角へと首を曲げ、長いこと放置され続けた三角コーナーを見た時のような表情を瞬間的に作り上げた。
そこには、観覧車と城が並んでいた。訳が分からなかった。二度見してみる。訳が分からなかった。
「……なんだあれ」
「セイバーが――鈴鹿御前が、センチネルとして担当している領域でしょう。どうやら彼女は、元々は裏側のSE.RA.PHを担当していたようですね。……趣味の悪さは、センチネルになっても相変わらずなようですけど」
「――にしては、出てこないな。アイツ」
眉根を寄せてうんざりしているメルトリリスをよそに、巧はふと気が付いた。
ここがあの、バカみたいな恰好をした少女が受け持つ領域だとするならば、侵入者である巧たちの前に姿を見せないのはおかしい。メルトリリスもそれを疑問に感じたらしく、おもむろに考え込み出した。こうなると梃子でも動かないことは、これまでで充分わかっていたため、巧はメルトリリスから離れて簡単な散策を開始した。
頭が悪くなりそうな光景は無視するとして、裏側などと大層な名前をつけられてはいるが、それほど変わった点は少なくとも、巧の目には見受けられなかった。ひたすら広がる格子状に区切られた毒々しい青色の世界に、点々と浮かぶ建造物だったらしき欠片――もはや見慣れたものばかりだ。
いや、と思う。
ただ一つだけ、表側とは明確に異なっている点があった。噎せ返るような血の臭い――陰惨な殺意と敵意を、嘔吐しかねないほどかっ喰らったそれが、表とは比べ物にならないほど、濃い。
巧だからこそ、分かったのかもしれない。この臭いは、ただの殺しのそれとは大きく違っている。どうしようもない衝動に駆られたものでも、苦渋の末に決断されたものでも無い。誰かの、途方もなく巨大で陰湿な悪意が、蜘蛛の糸のように絡みつけられている。
正直に言うと、大きく深呼吸をした瞬間に一発で吐ける自信があった。こんなものを捻り出せる人間かサーヴァントが存在しているというだけで、このセラフィックスを嫌悪するには充分過ぎた。
「……マスター?」
殺気立つ巧の背に気づいたメルトリリスは、おそるおそる声をかけた。巧は湧き出かけた嫌悪を苦心して飲み込むと、なんでもねえと呟いて、空気を切り替えるためにメルトリリスに問い掛けた。
「それより、なにか分かったのか?」
「え? ――まあ、その、一応。というより、あの。分からないことが、分かったといいますか……」
「なんだそれ」
「裏側はどうやら、一般職員立ち入り禁止にされていたみたいなんです。制限されている区域があまりにも多すぎて、表側のようにハッキングして調査するには、少しばかり時間がかかります。いまその手段を取るのは、限りなく悪手でしょう」
「……だな」
「幸い――かどうかは分かりませんが、ここにもサーヴァントはいます。彼らのリソースをさらに吸収して機能をふたたび取り戻し、それによって構造を把握する――そうすれば、中央管制室へ繋がる道も、きっとわかる……筈です」
「筈って、おまえな」
「でも、本当に不確定要素ばっかりなんですから、ここ。多分、表側で確認したブラックボックスの大半が、集中しているんだと思います。それに……貴方に嘘だけはつきたくないんです」
身長は遥かにメルトリリスの方が上だというのに、なぜか幼い子供を相手にしているような気にさせられた。巧はがりがりと頭を掻き、しょうがなさそうにため息を吐いて、気の無いふうにこう言った。
「……ま、いいか。頼りにしてる」
「――っ!」
それまで自身なさげだったメルトリリスの表情が、一気に輝いた。巧は花のようなそれについぞ気づかず、さっそく歩き出そうとして――止まった。よく考えると、道など分かるわけがなかった。意気揚々としていた自分がどうにも恥ずかしくて、振り返らないままメルトリリスに尋ねた。
「どっち行きゃいい」
「え」
「だから……どっち行けばいいんだって」
「そんなの――アレと逆の方向に決まってるでしょう」
そう言ってメルトリリスが指し示したのは、観覧車を備え付けた城の光景。
言われてみればそうである。
血臭の濃いSE.RA.PHの裏側を、二人は突き進んでいく。
表側と比べると、襲い来るサーヴァントの人数は格段に増えていたが、その機能を取り戻しつつあるメルトリリスと、ファイズという戦闘手段を手に入れた巧には大した障害では無かった。無論、乱戦は避けて、できる限り二対一という状況に持ち込んだ上での話だが。
「――っ!」
「はあっ――!」
ファイズが振るうアッパーからフックのコンビネーションが顎と頬骨を完膚なきまでに粉砕し、姿勢が揺らいだ直後に突き込まれたメルトリリスの脚が、正確無比に霊核を撃ち抜いた。
度重なる連撃による疲労もあってか、敵は金色の粒子を撒き散らして一瞬で消滅する。それと同時に間近のメルトリリスから感じる魔力が、さらにその強さを増すのを、巧は感じた。
「――今ので、何人目だ?」
「ええと……今のでちょうど、二十人目ですね」
「二十人、か……」
ベルトからファイズフォンを抜き取って、変身を解除しながら、巧は重苦しく息を吐いてみせる。二桁を超えたとはいえ、まだあと三桁の数も残っていると思うと、どうにも気が滅入って仕方がない。それに、いくら脱出のためといっても、顔見知りをブン殴るのもそろそろ辛くなってきた。いまさら躊躇はしないが、それでも胸糞悪さはある。
感触を振り払うように、右手をスナップする。そして、メルトリリスの視線が、腰に巻き付けられたベルトに注がれていることにようやく気付いた。
「なんだ?」
「それも……その、カルデアが作った礼装なんですか?」
「――まあ、そんなところだ」
突き詰めると嘘になる。本当はスマートブレインが開発した物なのだが、まあ、改造を加えたのはカルデアなのだし、間違ったことは言っていない。巧が面倒臭がりを存分に発揮しているとはつゆ知らず、メルトリリスは感嘆の吐息をついている。
「凄いですね……ずっと、その礼装を使って戦ってきたんですか?」
「別に、ずっとってワケじゃない。サーヴァントの相手は、基本、サーヴァントに任せてた」
「それでも、凄いですよ。だって、マスターがサーヴァント同士の戦いに割り込めるようになるなんて……怖かったりは、しないんですか?」
「怖いな」
思いのほかあっけなく返されて、メルトリリスは狼狽した。しかし構わず、巧は言葉を淡々と続ける。何度も何度も自分の中で反芻して、そのたびに出るのはいつも同じ答えだった。
「けど、俺がやらなきゃいけないと思ってるから、やってる。それだけだ」
「……それが、マスターの本当にやりたいこと、なんですか?」
「さあ、な」
一瞬だけ詰まってしまったのは、もはや有り得ない仮定を夢見てしまったからだ。何も背負わず、溜め込まず、やりたいようにやってみる。戦わなくてもいいから、自分の好きなように生きてみる――そんな、叶う筈のない夢を。
――くだらねえ。
巧は噛み潰し、吐き捨てるように言った。
「――考えても、しょうがねえだろ。今は」
それ以上いわれても何も答えてやらないと、強い意志を背中に宿しながら歩き始めた男を、メルトリリスはすぐには追えなかった。男の顔に掠めた感情に、なにを言うべきなのかわからない自分がいたことに気づいたからだ。
それでも自分が、彼の触れて欲しくない部分をを触ってしまったことは嫌でもわかって、メルトリリスは自己嫌悪に駆られながらも、巧の後ろについていこうとする。
その、直後だった。
突如降り注いだ炎の塊が、巧たちを分断した。
「な――――っ!!」
どちらから漏れた驚愕だったのか、いまとなっては分からない。押し寄せた炎の中にあっという間に呑み込まれたからだ。
世界が、紅く染まっていく。
太陽がすぐ目の前に落ちてきたような莫大な熱気に肌が一瞬で粟立つ。白い輝きに視界を潰されないよう、咄嗟に腕で顔を隠した巧の背筋を、懐かしい感覚が撫でた。できれば思い出したくなかった、身体のみならず魂まで焼き尽くすほどの原初の恐れだ。
やがて渦を巻いていた炎の波は、一点に収束し始めた。満ちる魔力は、馬鹿らしくなるほど濃厚だ。身構える巧とメルトリリスの、ちょうど中心点に、その影は姿を現した。
巧の胸元に届くか届かないかという身長に、精巧にできた人形かなにかと見紛うほど細く白く華奢な体躯。しかしその細身からは、すべてを支配し、導く覚悟を持った王だけが放つことができる、燦然たる威容が、盃から零れ落ちる酒のように溢れ出していた。
影の手に携えられた大剣が、比喩抜きで赤く光った。その照り返しを受けた真砂のような髪が、蜂蜜色の輝きを放つ。翡翠の瞳が、獣のように収縮を繰り返す。
刻まれた令呪が、どくりと疼いた。
「おまえ、は――」
今度こそ、巧の口からハッキリと驚愕が聞こえた。
彼の目の前にいる少女こそ、他の誰でもない――共にセラフィックスへのレイシフトを実行し、BBの策略によって引き離されてしまった、サーヴァント・セイバー――ネロ・クラウディウスだった。