Fate/Φ's Order REMNANT SE.RA.PH/ZERO   作:うろまる

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それほど穏やかでもないひと時

 

 カルデアのキッチンはバカみたいに広い。

 

 

 カルデアスというもう一つの地球とも呼ぶべき核爆弾級のシロモノを、徹底的に管理、もしくは維持するために、初代所長であるマリスビリー・アニムスフィアが世界各地から使える職員を魔術師・非魔術師問わずかき集めたからだろう。当たり前の話だが、大量の人間が生きていくには大量のメシがいる。ゆえに食事処の規模が膨れ上がるのも、当然と言えば当然だった。

 カルデアに来た当初、はじめて食堂の景観を目にした時の巧の感想は、とにかくデカい、のひと言に尽きた。菊池洗濯舗どころか、よく通っていたバッティングセンターですら、すっぽり納めてしまうのではないかと、今でも半分本気で思っている。

 もちろんどれだけ広くても、そこに人がいなければ、施設はただの場所食い虫でしかない。特にカルデアの職員の人数は爆破事故で大幅に減員しているために、食堂もまた閑散とした寂しい静けさに包まれているかに思いきや、そんなことはない。なぜなら現在のカルデアには、人理を守護するという一つの目的の元に集った、多勢の英霊がいるからだ。エーテルで構成されているサーヴァントは、魔力さえ供給されれば現界を果たすには充分であり、食事を摂る必要は本来一切ないのだが──生きていた頃の感覚が強く残っているらしく、基本的には多くのサーヴァントが、職員と同様に食堂を利用していた。

 

「──」

 

 正午を回ったとはいえ、昼はまだまだ始まったばかりだからか。食堂は絶え間のない喧騒で溢れていた。その中を献立を乗せたトレーを持ちながら巧は進む。途中で巧に気づいてひらひらと揺れる手や誘いをこめた眼差しを軽く受け流し、やがて誰も座っていない四人がけのテーブルを見つけてそこに腰を下ろした。

 今日の献立は、から揚げにご飯、豆腐の味噌汁にほうれん草の海苔巻きだった。手を合わせた後、巧はさっそく、白い湯気を立たせている味噌汁をふうふうと吹き始めた。はじめに少し吹いておいた方が、自然放置で冷める速度が増すのだ。十数秒吹いて、お椀から手のひらに伝わる熱さが弱まったことを確認すると、次にから揚げに取りかかった。

 さっくりと小気味のいい食感が特徴的な狐色の衣に、厚く噛み応えのあるもも肉。噛み締めるたびに、たっぷり染み込んだ醤油のコクと、合間にかすかに見え隠れするごま油の香ばしい風味が、口の中でバランスよくほどけていく。仕切り直しに白米をかき込み、箸休めにほうれん草の海苔巻きを口に運ぶ。

 腹を空かせた子供のような無邪気さで巧が料理を平らげていると、唐突に影が覆い被さった。怪訝に思いながらおとがいを上げた巧の顔が、一瞬で歪んだ。

 真っ赤なドレスに隠された、小柄ながらも女性的な肉感を感じさせる肉体。蜂蜜色の輝きを放つ頭髪に、情熱的に燃える碧の瞳──切り立ったように高い鼻梁に、透き通った白い肌と、まるで一流の彫刻師が誂えたかのような造形美を持った少女──セイバーの名を冠せられたサーヴァントであるネロ・クラウディウスは、獅子を連想させる獰猛な笑みを浮かべると、巧の対面の席に音を立てて腰を下ろした。

 

「──探したぞっ、マスター!」

「……」

「まったく……皇帝を歩き回らせるとは、どこまでも不敬な男よな。だが許そう! 余は寛大だからなっ! ただし代償はキッチリと支払って貰うぞ? いや、代償などではないな。うむ。なぜなら、このネロ・クラウディウス直々のお願いを聞き入れることができるのだから、むしろ光栄という奴よ! そうであろう? うん?」

 

 許可もなく勝手に相席してきたネロは、勢いのまま男の掌を握り締めようと手を伸ばした。小さく柔らかそうな手をサッと躱し、巧は一切合切を無視して食事を進める。ネロは男のにべのない反応に頬を膨らませたが、すぐにニコニコと微笑み始めた。頭がどうかしたのかと巧は思ったが、口には出さず食べ進める。しかし、食べている最中にいつまでも笑顔や視線を向けられるのは、意外と精神にクるらしかった。

 巧は箸を置くと、渋々といった表情でポツリと尋ねた。

 

「……何の用だよ」

「ん?」

「だから、何の用だって。俺を探してたんだろ」

「今はそんな些事にかかずらわっている時ではない。気にせず、余の前で存分に箸を奮うが良い。さあ、さあっ!」

 

 まくし立てるネロの目は、きらきらと光り輝いている。まるで、用意した餌をなかなか食べてくれなかった野良猫が、おっかなびっくり食べ始めた時の光景を見たようだ。

 そんなに飯を食ってる俺は面白く見えるか──という憤怒の声を漏らしかけたところで、遮るように低い男の声が響いた。

 

「見るに堪えない生活リズムを送っている割には、随分な健啖振りじゃないか──料理人冥利に尽きるというものだし、悪い気はせんがね」

 

 がた、とやはり許可もなく巧の隣に座ってきた浅黒い肌をした長身の男──エミヤは、頭に巻いていた頭巾を取りながら、からかうような口調で言った。

 エミヤの姿を視認した途端、ネロは笑顔を引っ込めて、唇を抗議の形に変えた。

 

「──貴様、アーチャー! 今マスターと相席しているのは余だぞ。だというのに、許可もなく勝手に居座るなど、マスターが許そうと余が許さんからなっ」

「相席するのに許可を出されていないのは君も同じだろう、薔薇の皇帝」

「生憎だな。許可なんぞ余はとっくの昔に貰っているのだ! 何処ぞの訳の分からん浅黒い馬の骨と一緒にするでないっ」

「だそうだが」

「寝言は寝て言ってろ」

 

 ようやくぬるまった味噌汁を飲み干して、巧は素っ気なく断言した。しかし、それだけであっさり引き下がる性格なら英霊は務まらない。その結果、巧のテーブルに二人はそのまま居着くこととなった。目の前で飛び交い続ける言葉の銃弾に、巧は飯時ぐらいは静かにしてくれと心の底から思ったが、現実は極めて無情だった。

 

「セイバー、君は彼の適当さに甘え過ぎている。仮にもサーヴァントを名乗るのなら、もう少し弁えを覚えた方が良いと私は思うがね」

「ハッ。適当だと? 逆に問うぞ、アーチャー。仮にも余のマスターを務めておる男が、適当などという無礼を持ち合わせておる筈が無かろうっ。

 …………いや、その、持っては、おるが、おるがだ! 少なくとも、余と話し合ってる最中にそれを出す訳があるまい! 真に弁えるべきは貴様の言動よ!」

「……出しているように見えるが」

「うるさい、うるさーーーーーいっ! 大体、今日の食事当番は貴様では無かったかっ! もしやサボりか?」

「期待に応えられず申し訳ないが、今日の私の出番は、朝食まででね。もちろん昼食の下拵えも昨晩の内にしておいた。そこの唐揚げがそうだ。味はどうだ?」

「美味い」

 

 そうだろうそうだろう、としきりにエミヤは頷く。滅多に人を褒めないくせにメシにつられて易々とエミヤを褒めた巧にネロは頬を膨らませ、巧はそれらを無視してひたすら唐揚げを食っている。

 食堂の一角にカオスが顕現しかけたその時、救いの手を差し伸べるかのごとく、最後の席が埋まった。視線を向ける。

 

「──あのぉ、私もちょーっとお混ぜしてもらってもいいです? というか、同じ釜の飯どころか、同じ地獄で鎬を削り合った仲間なんですし。なのに私一人だけ省いて仲良くお喋り中だなんて、玉藻すっごくかなしーいっ」

 

 ──救いの手どころか、悪魔の蹴り落としだった。

 

 

 ○

 

 

「そういえば、もう5月なんですねえ」

 

 食べ終えた巧が、ぬるくなった緑茶を啜っていると、ふと思い出したかのように玉藻が漏らした。物憂げな目線の先には、5月の日付と曜日を並べたカレンダーがある。

 するとその言葉を待ち望んでいたかのように、エミヤとの言い合いを打ち切ったネロがぐいっと身を乗り出した。

 

「そうだっ! 貴様は今とても良いことを言ったぞキャス狐よっ!」

「なんですか急に」

 

 勢いに若干引き気味になっている玉藻を置いて、ネロは正面の巧に語りかけた。

 

「それはだな、余が貴様を探し回っていたことに、大きく関係しているのだ──時に、マスターよ。5月と聞けば、必ず思い浮かぶものがあるであろう?」

「無い」

 

 清々しいほどの即答だった。しかしネロは無視すると、椅子から勢いよく立ち上がり、謳いあげるように高らかに言い放った。

 

「そう! その通り! 5月といえば行楽シーズン──つまりはゴールデンウィークである! 

 要するに夏である! 水着である! 余の独壇場であるっ!」

「……」

 

 海と水着、という単語が聞こえた瞬間、巧の口の中に鉛のように重々しい苦さが溢れ返った。カルデアに来て以来、これほど忌々しいと思うようになった言葉は他に無いだろう。合図もなしに脳裏に浮かび上がったのは、去年の夏に体験した悪夢の数々。

 無人島はまだわかる。だが、どうして開拓なのか。どうしてウリ坊なのか。あれから1年近く経った今でもわからないが、わかりたくもないし、わかったところでロクな真相が待っていなさそうなので、巧は疑問をそのままにしておいた。

 巧の表情をどのように解釈したのか、エミヤはふふ、と小さく笑うと、憐れみの視線をネロに向けた。

 

「残念だったな、セイバー。君の提案は、彼にとってお気に召すものではなかったらしい。つまり私の提案こそ、今この場で通されるべき物になった訳だ」

「ふん、どうせいつものくだらん世迷言よ。惑わされるでないぞ」

「いいや、世迷言と捉えるかどうかは彼次第だ。……いいか、マスター。残酷なことを告げてしまうようで悪いが、はっきり言っておこう。今の君に魔術師としての資質はほとんど無い。皆無、と言い換えても良いだろう。戦士としての資質は十二分にあるかもしれないが、この特異な聖杯戦争を生き抜くには、魔術師としての知識も必要不可欠になる。故に、魔術師のまの欠片すら持ち合わせていない今の君では、海千山千の英霊どもの餌にされるのがオチだろう。少々反則気味ではあったが、この前の新宿が良い例だな。

 ――しかし、だ。この私が君に直接教授することが叶えば、君はマスターとして、また一段階上のレベルに達することができる。必ず約束しよう。なに、安心したまえ。これでもド素人を相手にするのは得意でね。どうだ? セイバーと行楽を過ごすよりも、こちらの方がよほど君のためになると思うが」

 

 教育テレビでよく見かけるような笑顔で、エミヤは巧に提案した。男の笑みを見た玉藻がうげえ、という顔をして、ネロの耳元でひそひそと話し始めた。

 

「家庭教師のお兄さんでも気取ってるつもりなんですかねぇ、この人」

「そういう男よ。厳しい言葉と甘い言葉、飴と鞭の両方を縦横無尽に使いこなし、音も無く懐に潜り込む――これで自覚が無いのだからタチが悪い。英霊となる前は、さぞ女難が尽きなかったに違いないであろうな」

「天然タラシって奴です? うわ、私ダメなんですよ、そういう無意識のうちに計算高い動きしちゃう人って。なんか性格悪く感じませんか? 風紀を正してるとか言っておいて、本当に乱しているのは一体どっちなんだっつー話ですよ」

「うむ。全くもって正論だ。だが貴様が言えた筋合いではないな」

「――――改めて聞くが、どうだ?」

 

 ネロと玉藻の一切隠す気のない井戸端会議に青筋を浮かべながらも、綺麗に笑顔を作っているエミヤに、巧は初めて同情を抱いた。しかしそれとこれとはまた話が別である。

 巧は無慈悲にも断りの言葉を吐こうとした刹那――突然、天井に取りつけられたスピーカーから、甲高い電子音が鳴り響いた。ざわめきが収まった食堂に、やがて、涼やかな少女の声が流れ出した。

 

『――――あー、あー。テステス。自室待機中のスタッフに通達します。

 セラフィックスからの定期連絡が届きました。メールレター、ビデオフォンの使用が可能となっていますので、セラフィックスにご友人がいらっしゃるスタッフさんは、お時間があれば管制室までいらしてください。次回の連絡は3か月後となりますので、ご用のある方はお早めに――』

 

 やがて少女の声は途切れ、食堂も次第に喧噪を取り戻し始めた。しかし、食堂から出ていく職員の数は、決して少なくはない。慌ただしい光景を横目に見ながら、ネロは見えない疑問符を頭に浮かべた。

 

「マスターよ、セラフィックスとは何だ?」

「さあな」

「カルデアの別部署のようなものだ」

 

 巧が頬杖を突きながらお決まりの台詞を吐くと、エミヤが代わりになって答えた。しかし、表情に苦々しさが濃く浮いて見えるのは、決して気のせいではないだろう。

 

「同時に、カルデアスを運営していく為に必要な資金源の1つでもある。だが――よりによって、海洋油田か。あまり良い印象は持てないな」

「確か、前所長の持ち物なんでしたっけ? でも一個人でそこまでの資産を持つ必要なんてあります?」

「カルデアスは想像を絶する大食らいだ。仮にセラフィックスと同規模の施設がバックアップにあったとしても、数基程度では賄えないだろう。自分で所有しようと考えるのも、別段おかしくは……ん? どこへ行く?」

 

 エミヤは話を中断すると、トレーを持って立ち上がりかけている巧に声をかけた。巧は猫のように目を細めながら、気の無い風に呟いた。

 

「寝る。元々、自室待機してろ、って言われてたしな」

「連絡は良いのか? 知り合いはどうせいないだろうが、カルデアの内情を知っておくには良い機会だぞ」

「余計なお世話だ――それに、寝てた方がよっぽど為になる」

 

 振り返らず去ろうとする巧の背中に、バカンスを諦めきれないネロは声をかけようとしたが、止まるような性格ではないことを知っていたため、作った腕枕に顎を埋めた。しかしまだ諦めはしていないらしく、目の中に執念の炎が燃やしながらうんうんと唸って考えを巡らしている。玉藻はこれから先、己がマスターに降りかかるであろう困難を想像して苦笑を漏らし、エミヤは受難に苦しむ未来の男の姿を予知して、仕方なさそうに肩を竦めた。

 なに一つ代わり映えのしない、いっそあくびが出るぐらい退屈な日常の光景だった。しかし巧にとっては、自分の何に代えても守りたい光景でもあった。

 浸り切って、すっかり気が抜けてしまっていたのだと思う。平穏というのは、ガラスのように脆い物だと。ほんの少し強く触れた途端に、あっけなく壊れてしまう物だと──わかった気になっていたのだ。

 

『――――あら、あらあらあらぁ? ひょっとして、今がずっと続けばいい、だなんてつまらないこと考えちゃったりしてませんか? どうせ続かないコトぐらい、薄々気づいてるくせに。本当に素直の欠片も無いんですねぇ、セ・ン・パ・イ?』

 

 人を見透かしたような、悪辣さを滲ませた少女の声。

 次の瞬間、轟音を立てて食堂の扉が閉められた。一ヶ所に留まらず、音は壁の向こう側で断続的に響き続ける。隔壁が勝手に降りている、と閉じた扉に耳をつけた誰かが呟き、何かに高速でハッキングされている、と扉の側に取り付けられた機器を触っていた誰かが呟いた。

 突然訪れた異変に、静かに混乱の波が広がっていく中で、その様子を嘲笑うかのような、甲高い声が──先ほど響いた少女の声が、スピーカーから流れ出した。

 

『はーーーーーーーいっ! 

 愚かでノロマで可愛らしいカルデアの皆さん? 仕掛けたこっちが思わず引いちゃうぐらい、驚いてくれているようで何よりです! 貴方たち人間の醜態を眺めるのは、BBちゃんの健康にとーっても良いので、もっと惨めに、無様に足掻いちゃってくださいね?』

「──なんだ? この声は」

 

 耐えかねるようにして耳を塞ぎながら、ネロが顔を顰めたが、巧にもわからなかった。少なくともセラフィックスとの定期連絡を伝えた少女の──マシュの声ではないことはわかるが、だからといって正体を判別することはできなかった。スタッフの線も一瞬考えたが、まさか、ここまで度が過ぎた悪ふざけを行う人間を、あのダ・ヴィンチが管制室というカルデアにとって重要な立ち位置に就けるはずもない。

 解けない疑問が雪のように積み重なっていると、ポケットの中のファイズフォンが着信音をかき鳴らしながら震えた。取り出して画面を見ると、見慣れない番号が表示されていた。

 

「どうした」

 

 異変を目敏く察知したエミヤが、警戒を露わにする。手を振って「黙ってろ」という意を示し、テーブルに座り直した巧は電話に出た。

 

「……もしもし」

『あっ、もしもし? わたしの声ちゃんと聞こえてます? ノイズとか入ってないですか? 旧式のくせに中々手強いシステムしてますから、機能面の心配はあんまりしてないんですけど』

「誰だ、おまえ」

『──もぉ、がっつく男は嫌われちゃいますよお? ま、わたしはセンパイのことなんて別に好きでも嫌いでもありませんから、もちろん心配はご無用ですが』

「誰だ、って聞いてんだ。切るぞ」

『……はいはい、わかりました。さっさと用件を言えば良いんでしょう。全く、これだから余裕のない人は──詳細は管制室の皆さんにしましたから、もう簡略版でいっちゃいます。負わなくてもいい苦労は、なるべく負わない主義なので。詳しく知りたければ、彼らに聞いてください。

 では、単刀直入に。

 わたしが乗っ取る前のアナウンスで話題にも上った、カルデアの別部署であるセラフィックスですが、ぶっちゃけこの時代にはもう存在しません。ただし、未来には存在しています──おバカなセンパイにもわかるように説明するとですね、今から13年後のセラフィックスに、なんと特異点ができちゃいましたーっ! だからカルデアの皆さんは、働きアリのように特異点修復に励んじゃってくださいっ! ……ということです。理解できました?』

「……」

 

 理解できるはずもなかった。

 そもそも少女の言葉が真実かどうかも怪しい。顔は見えない、態度はふざけている、話は信憑性がない、声は怪しさ満点な相手を、一体どうやって信用すればいいのか。

 

「――待て。未来へのレイシフトなど、可能な筈が無いだろう」

『その声は……赤マントのアーチャーさんですか。相も変わらず誰かの世話を焼いているんですねえ。いっそ執事にでも就いてみたら如何です?

 ――それに、さっきも言いましたけど、貴方たちとわたしでは、技術のレベルが違うんですよレベルが。貴方がたにとってのメラゾーマは、わたしにとってはメラなんです。ですからそこの、どうしようもないセンパイの存在証明は、この悪魔か天使かそれとも神様か――なBBちゃんに、身も心も委ねちゃってだいじょーぶなのですっ』

 

 エミヤの重苦しい問いに対し、少女は極めて軽薄な口調でさらりと疑問に答えてみせた。

 たとえ信用できなくても、少女がカルデアを瞬く間に掌握できてしまうほどの力を持っていることは、疑いようもない真実である。故に、いましがたエミヤが「不可能」と言った未来へのレイシフトとやらも、成し遂げられるのだろう。

 だから多分これは、本当の話なのだ。セラフィックスは特異点と化し、カルデアはそれを修復しなければならない。

 だが。

 それとは別に、その上から押しつけてくるような物言いが、たまらなく気に食わない──

 

「事情はわかった……けど。なあ、アンタ。あんまり喋らない方が良いな」

『……はあ? 急になんですか?』

「嘘臭えんだよ、全部。そんなに素の自分が恥ずかしかったらな、もうちょい上手く隠せ。ヘタクソ」

『────な、』

 

 電話の向こうにいる相手が呆気に取られた一瞬を見計らい、巧は通話を素早く落とした。再びかかってこないよう、念入りに電源も落としておく。とは言え、スピーカーを乗っ取られてしまっているのだから、あまり意味のない行動なのはわかっていたが──乾巧という男は、良くも悪くも単純だった。

 幸い、それ以上謎の声が話しかけてくることは無かった。あまりの言い草に怒り狂っているのかもしれないと考えると、少しぐらいは怯えたってよさそうなものだが、巧は満足そうに鼻を鳴らしている。一連の様子を見たエミヤが、目と目の間に寄ったシワを揉みながら、重苦しそうにいった。

 

「……調子に乗っている相手を、わざわざ逆上させてどうする。こちらが圧倒的に不利な状況というのは変わらないし、むしろ悪化するかもしれないんだぞ」

「舐められっぱなしはムカつくんだよ」

「……君という奴は、本当に……やり方がチンピラ染みているな……」

 

 エミヤは、心の底から呆れた、と言わんばかりの大きな溜め息を吐いた。別に間違ったことは言っていないので、巧もなんとなく気まずくなってそっぽを向く。

 黙る巧を見兼ねた玉藻が、庇うために二人の会話に割り込んだ。

 

「ま、ま。私たちのマスターがこういう性格なのは、とっくにわかっていたことですし。それに、どうせああいう輩との衝突は、絶対に避けられない人なんですから、遅いか早いかの違いだけですよ」

「余計な苦労を負わされるかもしれない、こちらの身も考えて欲しいものだが……しかし、前から思っていたが、キャスター。君は彼を甘やかし過ぎるきらいがあるな。彼はもちろん、君の為にもならないぞ」

「だからと言って、頭ごなしに否定するのも違うでしょう。ちゃんと個性の一つとして認めて、受け入れてあげることも必要なのではありません?」

「その対応ではつけ上がる一方だし、ロクな大人になれないのは目に見えている。ここは心を鬼にしてだな……」

 

 訳の分からない言い合いを始めた玉藻とエミヤを放って、巧は立ち上がった。ハッキングが解けたらしい扉へ足早に向かう。行く先など選ぶまでも無い。特異点がある以上はそれを修復するのが、カルデアの役割――と、そこまで思考して、すっかり別の非日常に染まり切ってしまった自分に、巧がなんとなく苦々しい思いでいると、がたがたと椅子から立ち上がる音が背後から聞こえた。振り向くと、先ほどまで相席していた三人が、神妙な笑みを浮かべて、こちらをじっと見据えている。

 

「なんだ」

「ふふ。黙って一人で行こうとは、水臭いではないか」と、ネロ。

「セイバーの言葉に乗りたくはないが、その通りだ。まさか、あれだけの挑発をかましておいて、無事に済むなどと、甘いことを考えている訳では無かろう」と、エミヤ。

「今ここで相席したのも、きっとなにかの縁ですし――微力ではございますが、私たちが力をお貸し致しますよ。それに、あの声の主には、なんとなく嫌な寒気を覚えますので」と、玉藻。

 

 そこには、幾つもの戦場をともに駆け抜けた者たちの間にしか生まれない、輝かしい信頼が確かにあった。すっかり黙っている巧を見て、照れているのか、それとも柄にもなく感動しているのか――と、三人の表情が緩む。

 が、次の瞬間、

 

「いや、別の奴を連れてくから、おまえらは良い」

「えっ」「えっ」「えっ」

 

 壮絶な冷や水がぶっかけられ、築かれていた信頼は悲しそうな顔をして空中に霧散した。合掌。

 

 

 〇

 

 

 レイシフト用のコフィンが備え付けられている中央管制室に辿り着いた巧を出迎えたのは、画面いっぱいに映し出された不機嫌そうな少女の顔だった。

 

『――うわ、実際に見てみると三倍……いえ五倍増しでガッカリ物件なセンパイですね。女の子に対して、あんなに酷い言葉を言えちゃうくらい礼儀が無いのも、なんだか頷けます』

 

 少女は桜色の小ぶりな唇を皮肉っぽく歪めながら、画面の中をふわふわと泳ぐようにして漂っていた。流麗にたなびく紫色の長髪の隙間からちらちら見える、悪趣味な色をした悪趣味な部屋に、巧はなぜか少女の隠された秘密を覗き見してしまったような気分にさせられて、その理不尽さに思わず顔をしかめた。

 すると、そんな考えを見透かしたように、少女は持っていたスティックの先端を指先で弾きながら、くすくすと小気味の良い嘲弄を吐き出した。

 

『あれえ? もしかして、わたしの部屋を見て、照れちゃってますう? うっわ、純情丸出しで恥っずかしーいっ!  惨めに思わないんですかぁ?』

「無駄話してる時間なんてあるのかよ」

『……ほんっとにノリが面白くない人ですね。はぁ……これなら無能ナマコでも、弄り甲斐のある人の方がよっぽど良かった気がします』

 

 ぶつぶつと嫌味満載の文句を垂れ流しながら何事かの――おそらくは未来へのレイシフト――の準備を始めたBBから視線を外し、巧は後ろで待機している三人に――ネロ、エミヤ、玉藻を見た。

視線に、どうしてついて来たんだよ、という抗議の意味を込めて。

 

「そんな眼を向けられても、余は一歩も退かんぞ。いやむしろ前に出るっ」

「……あのなぁ」

「言ったではないか、水臭いと! 余は貴様のなんだ? サーヴァントであろう! そして貴様は、余が認めたマスターだ! ならば余は、貴様の前に立ちはだかる壁を遍く薙ぎ払う剣となり、襲い来る敵を悉く防ぐ盾となるべき義務がある! 

 私情など何処にもない。これは余がサーヴァントである限り、成さねばならぬ責任であり、果たさねばならぬ使命であり、貫き通さなければならぬ信念だ。余は、それに従っているだけのこと。その否定は、いくらマスターである貴様でも許さんぞ」

 

 にわかに怒気を露わにするネロに、そういう問題じゃない――と頭を掻きながら困り果てていた巧の右肩に、エミヤの手がそっと置かれた。左肩には、玉藻の手が。

 

「大人しく諦めろ。彼女の意見も、些か偏り過ぎではあるが――なに、連れていってきっと損はさせないだろう。もちろん、私もだが」

「先ほども言いましたように、ここはご縁があってしまったということで、よろしいんじゃないですか?」

「…………」

 

 二人の手を振り払った巧は、改めてネロと向かい合った。じっとりとしながらもこちらを真っ直ぐに見据える目つきに、諦めの気配は見えない。やがて巧は、吐息を漏らすと、勝手にしろ、と小さく呟いて、コフィンへと歩きだした。背中越しに聞こえるネロの無邪気な歓声をうざったく思いつつも、心の何処かでその声に仄かな暖かさを感じている自分がいることを、あまり認めたくはなかった。

 

『――お熱いものを見せつけてくれるねえ。なんだか妬けちゃうなあ』

 

 コフィンに乗り込む直前、明らかに愉悦以外を感じられない女の声が、巧の耳に滑り込んできた。睨みつけるようにして頭上を見上げると、カルデア司令官代理を努めるサーヴァント――レオナルド・ダ・ヴィンチが、ガラス越しでも惚れ惚れしそうなぐらい綺麗に笑いながら、巧に向けて異形の義手をひらひらと振っていた。巧にとっては、悪魔の微笑みもいい所である。

 

『自室待機を命じたのに、連絡も無く無断で食堂に行っていた事は、これで不問にするとしよう。いや、お釣りを渡してもいいぐらいだ』

「黙ってろ……自分でも恥ずかしくなってきた」

『うぅん、その羞恥の顔が堪らない――これがギャップ萌えってヤツかな? みんなー、貴重だから、ちゃんっと記録に残しておくように』

「おいっ!」

『ダ・ヴィンチちゃん。それぐらいで止めておかないと、先輩が本当に臍を曲げてしまいます』

 

 絶対に聞き逃してはならない台詞を聞いてしまい、本物の焦りを見せる巧を見下ろしてけたけたと笑うダ・ヴィンチを、その隣にいた紫紺の少女――マシュ・キリエライトが注意した。ダ・ヴィンチはどうにか涙と笑いを堪えながら謝ると、それまでの痴態がすべて嘘だったかのように、理知的な相貌を作った。

 

『――悪ふざけもここまでにしておいて、だ。

 カルデア司令官代理として命じる。これから君には、2030年に発生した特異点――セラフィックスに向かい、その異変の調査および解決に全力を尽くしてもらう。BBとやらの態度で誤魔化されてはいるが、事態はいつになく未知で、深刻だ。いつも以上に慎重を期して行動して欲しい。

 ……それにこれは個人的な忠告だけど、誰が敵か、誰が味方なのかを、しっかりと見極めるようにね』

「……ああ」

『うん、良い返事だ。マシュは? 何か伝えておきたい事とかあるかい?』

『わたしは……いえ、ありません。先輩との会話は、帰ってきてからのお楽しみに取っておこうかと』

 

 にこやかに笑うマシュの横で、ダ・ヴィンチは熱湯に触れてしまったように両手を震わせた。巧は、たちまちスタッフから突き刺さってきた微笑ましい視線の雨に我慢し切れず、ついついマシュに対して呟いた。

 

「――別に、いつでも話せるだろ」

『……はい、はい。そうでしたね』

 

 巧の言葉を聞いたマシュは、花の咲いたような笑みをさらに深めると、柔らかく頷いた。

 結果、視線はさらに暖かさを増した。勘弁してほしかった。

 

 

 

 《アンサモンプログラム スタート 霊子変換を開始――

         アナライズ・ロスト・オーダー 人理補正作業 検証を――》

 

 ギア一式が揃ったアタッシュケースを受け取り、乗り込んだコフィンの扉が閉められた瞬間、巧の身体をいつまで経っても慣れることのない、前後左右が限りなく覚束なくなってしまう、あの気持ち悪い感覚が包み込んだ。

 はじめは身体の表面だけに留まっていたそれは、やがて体内にまで染み込むと、脳を薄らと光る膜で覆っていく。本当にそうなっているかどうかはわからない。詳しく聞けばわかるかもしれないが、原理がわかったらわかったでまた気分が悪くなりそうなので、しばらくは答えを聞くことは無いだろうと思う。

 セラフィックスへとつながる霊子空間の中を、巧の意識が漂う。

 そして、限界に達したまどろみは、巧をゆっくりと消失の闇に引き摺り込み始めた。じわじわと暗くなっていく視界を、そのままぼんやりと眺めていると、突然、押し殺した笑い声が耳朶をくすぐった。

 

「────ふ、ふふ。あはは、あははははははっ! なんだかんだでチョロくて安心しましたよお、センパイってば! 

 食堂の時は見抜かれたかと思って、ほんのちょっぴり冷や汗を掻きましたが……やっぱり人間は煽られやすくて騙されやすい──ほんっとに遊び甲斐のあるオモチャなんですねえ。どうかそのまま、何千年も進歩の無い愚鈍さを保ち続けてください!」

 

 一体何をどうやったのか。

 誰にも干渉不可能な筈の空間に、あっという間に割り込んできた少女は、そのまま巧のそばまで近寄ると、握り締めていたケースをひょい、と取り上げた。

 ぼやけていた意識が、一瞬で覚醒する。しかし、自由に身体を動かせないままな巧を嘲笑うかの如く、少女はこれ見よがしにケースを弄び始めた。

 

「──っ」

「これと、あとサーヴァントの三馬鹿さんは、ここで没収させていただきます。貴方には、勇者のように気高く抗うのではなく、アリさんのように惨めに無様に足掻いてもらわなければなりませんから、ね?

 ……あぁでも、別に虚数の海に放り投げたりはしないので、そこは安心してください。ちゃーんと、セラフのどこかに放り込んでおきますから。運が良ければ、感動の再会を果たせちゃうかもですね? ふぁいとふぁいとっ」

「───っ」

「やーん、こわーいっ! おっかない目つきで見ないでくれますぅ?」

 

 少女は、自身の艶かしい身体をかき抱く仕草を見せた後で、思わず背筋が震えてしまうような、嗜虐的な微笑みを浮かべた。

 

「貴方がたに、イージーモードなんて、許される筈がないでしょう? 課されるべきはハードモード。与えられるべきは安易と妥協ではなく、苦痛と決断。もとを正せばこの緊急事態も、貴方たち人間の自業自得から生まれたような物なのですから」

「──?」

「そろそろ入り口が近づいて来ましたし、余計なお喋りはここまでにしておきましょうか。真相は、ご自分の目で直接お確かめになってください。

 

 ──人類最後のマスター、乾巧。わたしは貴方という異物の来訪を、心から歓迎します。

 

 ようこそ地獄へ。

 ようこそSE.RA.PHへ。

 

 どうか、溺れるような夜を始めましょうね?」

 

 ノイズ。巨大な女の身体。ノイズ。青く光り輝く正四面体。ノイズ。血に染められた施設。ノイズ。滴るような笑みを浮かべた女。

 やがて意識、かき消えて。

 

 

 乾巧はつつがなく、セラフィックスへと突入した──

 

 

 

 

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