Fate/Φ's Order REMNANT SE.RA.PH/ZERO   作:うろまる

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SE.RA.PH突入

 

 

 

 

 夢でも見ているのかと思う。

 

 

 BBと名乗る少女から、レイシフト最中に悪質極まりないちょっかいをかけられた後で、セラフィックスと思しき巨大な女体――その唇の中に吸い込まれるようにして入ると、飛び込み台からプールの中へと勢いよく飛び込んだ時のような衝撃が、巧の全身をくまなく撫で回した。

 思わず瞼を閉じる。身体を荒々しく、そしてしつこく舐り続けてくる触感は、水中でもがいている時に感じるものとほとんど同じだった。

 しばらく経つと、次は浮遊感が襲ってきた。ごお、と耳元で風を切る音が響く。それは、特異点へのレイシフトで何度も体験してきた――したくはなかった――懐かしささえ感じられるもの。おそるおそるといった感じで目を開けた巧の視界に最初に入ったのは、雲一つない真っ青な空だった。

 ひどく透き通った青色を放っているその光景が、自分が知っている空ではないと気付いたのは、表面にかすかな揺蕩いを見て取れたからだ。放り出された巧が突入する際に生み出した漣が、空に存在する筈のない波紋を次々と広げていく。マスターとなって以降、いくつも異常は見てきたが、また違った意味で頭がおかしくなりそうな光景だった。

 

「――っ!」

 

 そこでようやくアタッシュケースもサーヴァントもいないことに思い当たるが、地表は既に手ぐすねを引きながら乾巧という獲物を待ち構えていた。最後の手段であるオルフェノク化も絶対に――とまではいかないだろうが、少なくとも決して小さくない傷を負ってしまう可能性があるぐらいには、間に合わないだろう。

 何もできずに死ぬなんて冗談じゃない――と、唇を強く噛みしめる。速さが増していくにつれていよいよ面積を広くしてきた、キューブが均等に敷き詰められているトイレの床のような地面を睨みつけて、臍下丹田に力を入れた次の瞬間、何処からか降って湧いた緑色の淡い光が、巧の身体を覆った。

 

「は?」

 

 呆気に取られるまま、

 衝撃。

 

「い――――――っつ、てぇ……!」

 

 ケツを勢いよく打ち付け、堪え難い痛みが脳天を貫き、情けなく悶える――だが、それだけだ。足も骨が肉を裂いて飛び出してしまうほどぐちゃぐちゃに折れてはいないし、内臓も位置がむちゃくちゃになってしまうぐらい撹拌されていない。尻を痛めるという小さくはない代償はあれども、どうにか巧は五体満足のまま、セラフィックスに降り立つことができていた。

 

「……あいつ、余計な真似しやがって」

 

 尻餅をつきながら、コートの裏側に違和感を感じて探り当てた、虫のように小さな装置を指でつまみながら見る。

 おそらくは、ダ・ヴィンチが仕込んだのだろう。使い切りの道具らしく、光は徐々に弱くなっていく。カルデアが用意している礼装に対する、恥ずかしくて着られっかよ――という巧のワガママを、あの天才発明家は真摯に受け取っていたのだ。むず痒さを覚えて、思わず憎まれ口を叩きつつも、巧は二度目などある訳がない装置をポケットにしまった。

 痛みを堪えて立ち上がり、周囲に視線を巡らせた。

 あたりは、深海を思わせる空間の色合いに寄り添ったかのように、息を吐くのも躊躇ってしまいそうな静謐さで満たされていた。何処をどう見渡しても、人っ子一人いない。それどころか、生命の気配さえ感じることもできない。本当に海の底にいるようだと思う。

 それもその筈。

 特異点と化したセラフィックスは今もなお、マリアナ海溝の奥底めがけて沈みつつあるのだから、当然と言えば当然なのだが、ろくすっぽ話を聞いていない巧がわかるはずもなかった。

 右手に刻印された令呪に反応は無い。だが──レイシフト最中にBBが話していた内容を、おぼろげながらも思い出す。

 信じるなら……の話に限るが、逸れてしまったあの三人は、このセラフィックスの何処かにきっといるのだろう。ならばまず果たすべきは味方との合流だった。BBの言葉が嘘にせよ真にせよ、巧一人だけでは何もできない事に変わりはなかった。

 痛む尻をズボン越しにさすりながら、ここから抜け出す為の通路かなにかを探している巧の動きが、ふと止まった。

 

「……なんだ、あれ」

 

 固まった青年が向いた先。およそ数十メートル離れたそこに、誰もいなかった筈の地平線に、一つの黒い影が浮かび上がっていた。

 その影は、地面についてしまうほど長い触手を数本携えながら、巧をじっと見つめていた。頭蓋を限界まで引き延ばされた蛸のような全身像。赤黒い血液を塗りたくったような体色に、禍々しく光る四つの眼球らしき点。言葉に出すまでもなく、明らかな異質だった。

 巧が警戒を強めていると、影は一本の触手をわずかに地面から浮き上がらせた。それは、ほんの数ミリ程度の動き。しかし、巧が思わず動くには、充分過ぎる動きだった。

 

「──!」

 

 右に倒れたのはほとんど賭けだった。触手は巧の左肩を浅く裂くと、飛来した時とまったく同じ速さで主の元に戻っていく。そして影は、立ち上がった巧に向かって、滑るように移動し始めた。

 逃げる以外に道など無かった。

 背中を向けるのは抵抗があったが、それよりも距離を離す方が先決だという確信があった。幸い、本体の速さはそれほどでもない。息を切らし、激しく脈打つ心臓を全身で感じながら、全速力で走る。出口かどうかはわからないが、先ほど見回した時にちらっと見えた通路らしき物を目指して、巧はひたすらに駆けた。

 その足が、止まった。

 

「──どうなってんだ、クソ」

 

 悪態を漏らした巧の前には、二本の角を携えた牛のような異形が立ち塞がっていた。

 それだけではない。無数のキューブで形作られた×字の形の浮遊物。さらに巧を攻撃してきた存在と瓜二つの影──なにもかも不確かな怪物の群れが、しかし確かな害意だけを持って、巧を取り囲んでいた。

 前後左右を囲まれてしまい、状況の打破へと至る為の道筋が少しも見えない中で、冷静な自分が叫ぶ。コイツらは一体何処から湧いて出たのか、と。

 目を閉じた、つもりは無かった。しかし異形たちは、初めからそこにいたかのように巧の前に現れてみせた。これではまるで、乾巧という存在を狙う誰かが、この場で即座に生み出したかのような──

 取るに足らない思考は、そこで途切れた。

 耳障りな唸り声をあげながら、大口を開いた二本角の異形が突っ込んできたからだった。迫る脅威に、思う。もはや、一片の猶予も無い。覚悟を決めた巧の相貌に、見る者に獣を想像させるような、歪な隈取りが浮き出ようとする。

 刹那。

 

「──デッカい音に釣られて来てみたけれど、何だか随分、面白そーなことになってるじゃん?」

 

 軽々しい声を伴って降り注いだ、ふた振りの鋭い銀閃が、巧の視界に映る全てを一瞬で薙ぎ払い、斬り伏せた。

 

「な、」

 

 人から獣になりかけた己の感覚が、「伏せろ」と遮二無二叫ばなければ、おそらく自分は無事ではいられなかった筈だった。

 首を切り裂く軌道に乗りつつも、髪先を掠めるのみに留まった銀の刃は、そのまま旋転を続けながら、数え切れられないほどの異形たちをゴミでも掃くかのような調子であっけなく払い除けていく。圧倒とはこのことか、と思う。

 やがてたち込め始めた生臭い血の香りに、巧は表情を歪める。その目前に一つの人影が音も無く降り立った。

 学生カバン、だった。

 

「まぐれ──かどうかは、ちょいわかんないけど。大通連を躱すとか、中々見所アリってカンジ? 避けた後の体勢も良し、顔もまァそこそこ……なるほど。BBちゃんが気に懸けるだけはあるわ」

 

 端的に言って、頭のおかしそうな女だった。

 黒襟の白いブラウスに、深い紅に漬け込んだような細長いリボン。そして赤いミニスカート――いわゆる学生服を模したような服装を女はしていた。左肩から提げた紺のカバンが、その印象をより強めている。風にたなびく橙色の髪はおそらく地毛なのだろうが、半端に色素が抜けているせいで、染めてからしばらく経った頃の髪という風な想像を巧にさせた。最も特徴的なのは、頭から生えた獣耳とスカートの後ろでふりふりと揺れる尻尾。

 やっぱり、頭のおかしい女なのだと思う。平常時ならば、関わることすら無い手合いだ。

 だが、

 

「あれ? おーい、起きてる? 気絶なんてダサいことになっちゃってる?」

「――誰だ」

 

 その細身から漏れ出る、抜き身の剣のような気配には、嫌というほど関わりがある――

 反射的に拳を固める。獣耳の女はひゅう、と口笛を鳴らすと、佩いた刀の柄頭をドギツイ配色をした爪が目立つ指で叩いた。

 

「やる気は充分――ってワケか。ふふ、いーじゃんいーじゃん! これだけ活きのいい獲物は珍しいし、こっちもやり甲斐があるってもんよね」

「何しに来た?」

「えぇー、さっきのまで見て分かんないの? 勘の良さそうなツラしといて、実は意外と鈍感みたいな? 絶ッ対に流行んないから、それ。三周ぐらい遅れちゃってるから! 帰ったら絶対バカにされるし、辞めといた方がいいんじゃない?」

「……嘘つけ。帰すつもりなんてさらさら無いだろ、おまえ」

「――やっぱり、勘良いじゃん」

 

 女はからころ、と鈴の音を鳴らしたような笑い声をあげると、誇るように胸に手を当てて、宣言した。

 

「だから、質問に応えてあげる――私はね、アンタを殺しに来たのよ。どお? お分かり?」

 

 膨れ上がるような魔力が女の総身に立ち昇った。巧は唇を真一文字に引き結ぶと、腰を落として、いつでも走り出せる体勢を作った。数歩ほどで踏破できる距離。全速力で走った時よりも鼓動が激しく唸る。

 やがて、

 

「――――――――――――――――――――!!」

 

 巧は走り出し、女は刀を振り上げ、まだ息のある異形の一匹が女の背後で立ち上がった。

 全ては、まったく同時に起きた。

 

「邪魔あっ!」

 

 怒声と共に、女の傍にあった刀の一つが金切声を上げて、異形の急所を切った。それだけに留まらず、女の激しい怒りを宿したように、乱暴ながらも正確無比に切り刻んでいく。血飛沫が即席の霧を形作る。

 その横を、駆け抜けた。

 

「あッ」

 

 女の驚愕の声。振り返らずに、突き進む。わざわざ面倒事に付き合う必要など無い。出口かどうかはわからないが、ともかくすぐそこに退路はある。別の空間とこちらを繋げるための橋のような物が、空中にふわふわと頼りなさそうに浮かんでいるのが、巧には既に見えていた。

 ひたすら駆ける。あと数歩。あと三歩。あと、二歩。

 あと、一歩。

 届いた。

 後は橋を渡るだけだと思った、その時だった。

 

「逃がす、ワケ、無いじゃんっ!?」

 

 うなじに風。高速で近づく鉄が空気を引き裂く音。

 逃げ切れない。

 身体を傾けるので精一杯だった。それでも完全には避け切れなかった。左腕を刀の先端が掠め、背筋に鉄の棒を差し込まれたような冷たい苦痛が走り抜けた。思わずバランスを崩す。足の踏み場、無い。橋のつもりなら手すりぐらい用意しとけ――! とたまらず叫ぶ。

 奈落へと引きずり込まれようとする巧と、奈落へと突き落とした女の目が一瞬合う。刀を差し向けた当の張本人である女は、明らかに焦っていた。いい加減にして欲しかった。

 文句を言ってももう遅い。巧の身体は重力に従って、ひたすら闇に、落ちていく――

 

 

 

 〇

 

 

 

 鈴鹿御前は、廃墟と化した施設の中を歩いていた。

 

 

 廊下は闇に包まれてはいるものの、女の足取りに迷いはない。サーヴァントであるこの身では、ほんの少し目を凝らしさえすれば、昼も夜も大して変わらない。それは、すべてが電子の海へと沈んでしまい、何もかもが霊子へと変換されていくこの世界――セラフィックスにおいても、適用されていた。

 

「ったく、何処行ったんだか。アイツ」

 

 ぶつぶつと呟きながら、足元に転がった瓦礫を蹴飛ばす。思わぬ邪魔が入ったとはいえ、まさか狙いを定めた獲物を――それも人間を取り逃がしてしまうなど、自分が自分で恥ずかしかった。あの父親が知れば、どんな小うるさい文句を吐かれるだろう。いや言葉なぞ吐きはしない。きっと呵々大笑するだろう――と考えて、鈴鹿御前は自分勝手に獲物に対する怒りを増幅させた。

『瞳』のエリアから、『髪』のエリアへと繋がる通路の途中には、幾つもの施設が、霊子化を示す粒子を泡のように放ちながら浮いている。

 誰もが知る通り、セラフィックスは元々はただの海洋油田基地だったのだが、『異変』のせいで巨大な女の身体へとその姿形を変貌させた弊害により、その内部構造もまた、吐き気をもよおしてしまうほどの変化を遂げていた。

 鈴鹿御前がいるのは浮遊している施設の中で、最も大きい物だった。別に確信がある訳ではなかった。放った大通連によってバランスを崩し、あえなく落下してしまった獲物を慌てて追って見下ろした先に、それがあった。だから選んだというだけの話だ。

 そもそも、生身の人間があの高さから落下して、生き残れるか――と聞かれると、鈴鹿御前は断固としてNOを突きつける。だからこの行いは、本来なら無駄に終わる筈なのだ。だが辞める気が無いのは、鈴鹿御前があの人間から、懐かしささえ感じるにおいを、微かに嗅ぎ取ったからだった。

 BBが嫌がらせで呼び寄せた、カルデアからの来訪者――それがあの人間について、今の鈴鹿御前が知っているすべてだ。そして、それ以上を知る必要はないと思っていた。素性や目的が何であろうと、128騎のサーヴァントが己が願いを叶えるその為だけに血みどろの殺し合いを繰り広げるこの世界に来た以上は、ただの標的の一つでしかない。それがたとえ、何の力も持たない、脆弱な人間であろうとも、だ。

 

 

 だが――と鈴鹿は疑問を抱く。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()

 

 

 等間隔に窓が設置された狭い回廊を、こつこつと靴音を鳴らしながら歩く。解消できない疑問が雪のように降り積もっていく。窓から差し込む光が何らかの光明を与えてくれるかと思って、鈴鹿御前は外を眺めたが、そこにはすっかり見慣れてしまった、幾つもの廃墟が島のように点々と浮かぶ光景しかなかった。

 

「――はあ」

 

 これはいよいよ無駄骨かもしれない。ため息を漏らし、気晴らしに渾身の出来であるネイルを眺めた。別に因縁の敵な訳でもなし。そろそろ打ち止めるべきだろうと、足を止める。

 そして、

 ぐらり、と視界がたわんだ。

 頭の中で、風が鳴った。

 脳髄に痺れるほどの疼痛。

 すぐ傍に 熱く燃え滾る炎の如き、殺意。

 振り向いた。

 セラフの燐光に仄かに照らされて、薄らいだ暗闇がこびりついた回廊。あちこちが霊子しかけて、傍目から見れば虫食いのような状態になっている細く狭い通路。

 その奥に、

 何かが、いる。

 

 

「――――――へえ」

 

 

 そして。

 影の形を決定的に捉えた瞬間、鈴鹿御前は明確に、『それ』を己の敵と認めた。

 薄闇の中だからこそ映えるのだろう、寒々しいほどの銀光を放つ身体。遠目からでもわかってしまうシルエットの異質さに、全身に刃を纏っているかのような刺々しい雰囲気は、鈴鹿御前が、生前死後通して最も忌んだ存在である――すなわち、魔性のそれによく似通っていた。

 鈴鹿御前は鼻を鳴らすと、異形と真っ向から対峙した。軽薄な雰囲気はそのままに、眼光は鋭く、隅まで冷え切っている。

 

「……ついに馬脚を現したってカンジ? 正直言ってさ、今までどっちかわかんないな……って思ってたけど――ここの血の臭いに、とうとう釣られちゃった? ま、それぐらいで我慢できなくなるぐらい、意志が弱かったってコトよね」

「――」

 

 異形は応えず、ひたすら無言で立ち尽くし、鈴鹿御前を見据えている。だが左腕に見える微かな刀傷は、異形の正体が先ほどまで鈴鹿御前が狩ろうとしていた人間である証左に他ならない。

 

「こっちとしてはね、わざわざ斬りやすい姿になってくれて、むしろ大助かりってワケよ。ふっつーの丸腰の人間を斬るのはちょっと躊躇いあるけど、人のカタチをしてる化物なら、何百何千って相手にしてきたからさ。いわゆる経験豊富みたいな?」

「――」

「……あのさあ、せっかく話しかけてあげてるってのに、ダンマリはこっちのテンションがた落ちになるんですけどー? ……いや、良いか、別に。どーせ、最期は決まってるんだし?」

 

 軽口を止めた鈴鹿は、笑みを浮かべたまま、ゆっくりと鞘から刀を引き抜いた。鳥肌が立ってしまうような妖しい煌めきが、暗く浅い闇の中で静かに瞬く。鈴鹿御前の頬に刻まれた凄絶な笑いに歓喜するように、彼女の傍にあった二刀が、音も立てずに浮かび、回転を始めた。

 異形もまた、それに呼応するかの如く、姿勢を獣のように低く変えた。

 互いの収束した殺意が、その切っ先を触れ合わせ、

 次の瞬間、

 

 

「――サーヴァント・セイバー。

 天魔覆滅、三途の川にお見送りじゃん――――!」

 

 

 宣誓と共に、嵐のように吹き荒れる斬撃が放たれた。

 

 

 

 

 

 

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