Fate/Φ's Order REMNANT SE.RA.PH/ZERO 作:うろまる
世界が上下に揺さぶられた後のようだった。
青い蒼海は白い閃光に跡形もなく塗り潰されて、静寂は赤い爆炎にチリひとつ残らず燃やし尽くされた。それがたった一人の女の手によって起こされているなど、いったい誰が信じるだろうか。
絶え間ない轟音に鼓膜が苦しむようにその身を揺らす。ちかちかとシグナルを繰り返す目をさすりながら、巧は眼前に広がる光景を眺めた。
粉々に打ち砕かれた、教会。その周囲には、大小様々な瓦礫の欠片と化したSE.RA.PHのグリッドめいた床が、子供がオモチャ箱をひっくり返したような有り様で散りばめられている。
酒に酔った巨人が酔い潰れるまで暴れ回ったようなその光景はすべて、ライダーが──フランシス・ドレイクが、単独で起こしたことだった。
顕現した宝具らしき船が、船体に備えつけられた十数の砲塔を動かし、メルトリリスが焦燥と共にこちらへ駆け寄り、抵抗する間もなくふたたび抱き上げられ──そこから先の記憶は、光と音で虫食いになっている。そして、意識がはっきりした時には既に、この惨状が産み落とされていた。
身体についた砂ぼこりや小さな欠片を払いながら、巧は辺りを見渡した。蒼海を背景に浮かんでいるのは、雲ではなく無数の瓦礫――自分たちは、どうやらその一つの上にいるらしい。身を乗り出して下を覗き込むと、足場とは到底呼べなくなった有様の砕片の隙間に、青すぎてむしろ黒く見える深淵がひっそり佇んでいた。落ちてしまえばまず助からないだろう。
そして、気付く。敵の姿が見えないことに。巧は振り向いて、メルトリリスに尋ねた。
「――アイツは、ライダーはどこ行った」
「――」
「おいっ、聞いてんのか」
「……すみません、マスター。いまはどうか、喋らないでください。そして、わたしに抱き着いていてください。できるだけ強く。決して離れないように」
「……おまえ」
なに言ってんだ、と吐き捨てようとした瞬間だった。かすかに聞こえた、風切り音。
全身の毛が一気に逆立った。
恥も外聞もなく、巧はメルトリリスの腰に抱き着いた。メルトリリスは腰にまわされた巧の腕を、鈍い触覚でどうにか確認して、一瞬で瓦礫から飛び去る。離れた場所に着地。
その、コンマ数秒後だった。
おそらく悪夢の中でもなかなか見れないような光景が、巧の目の前に現出した。
巨大な船が、巧たちが先ほどまでいた場所を完全に巻き込み押し潰す軌道に沿って、落石のように高速で落下してきた。
自分の頭の構造を疑いたくなるような絵面に思わず絶句する。そんな中で、船の先端に仁王立ちしているライダーと、一瞬目が合った。
「――――そこにいたかいっ!」
ライダーの叫びと共に、船首と船尾に配置された8門の砲と、両側舷に配置された14の砲の口が一斉に赤く光り、
爆発。
久方振りの獲物にありつくことを主人から許可された砲弾達が、身の毛もよだつ歓喜の咆哮をあげながら、巧たちに向けて押し寄せた。
それを視認するより先に、瓦礫の上に立つメルトリリスの姿がブレる。やがて、少女は視界を埋め尽くす無数の瓦礫を足場に、SE.RA.PHの虚空を高速で駆け始めた。
青い暗渠の中に、メルトリリスの鉄脚が残す銀光と、黒衣のはためきが生み出す黒影が入り混じり、流れるような残像を残す。しかしそれは、直後に押し寄せた白光と業火によって跡形もなくかき消された。
背後から押し寄せる爆風に、あやうくバランスを崩しかけた。どうにか堪え、必死で体勢を保ちながら、メルトリリスは走り続ける。
「──っ!」
だが、まだ足りない──メルトリリスは唇を噛み締めると、脚に力と少ない魔力を出し惜しむことなく注ぎ込んで、さらに加速していく。疾風の如く地面に刻まれる蹴り足。凹凸の多いごつごつとした表面を、刃物で切られたように滑らかな断面の斜面を、宙に浮かんだ瓦礫同士の間に生まれているわずかな隙間を、少女は残影を引き連れて、欠片もよどむこと無く、駆け、飛び、滑り、すり抜け、また駆けた。人一人を引き連れているとはとても感じられない、凄まじい速度だった。砲撃は既に追いつかず、もはや、サーヴァントの視力でさえも、少女のまともな姿を捉えられないだろう。それはライダーにも当てはまっており、ライダーの瞳には、少女はまるで黒い風のように見えていた。
だが、ライダーは焦らず、当たらない砲撃を続けている。波のせいで、霧のせいで、天候のせいで──まともに捉えられない標的の経験は、生前に幾らでもあった。そこからライダーが学んだのは、点では無く、面を狙わなければならないということだった。
ゆえに、目まぐるしく動くライダーの眼球は、少女ではなく、少女がいずれ辿り着く場所を見ている。砲撃によっていくらか誘導を加えているとはいえ、成功する確率は正直言って半々だ。なにしろ勘に従っているのだから、これほど信用できないものもあるまい。しかし、鉄火場で最後の最後に信用できるのもまた、己の勘以外に無いと、ライダーはよく知っている。これもいわば、博奕だった。
丁か、半か。
果たして、当たるか。
ライダーの唇が、一文字に引き結ばれ、
──やがて、大きな弧を作った。
端的に言って吐きそうだった。
メルトリリスの腰にしがみつきながら、巧は一歩踏み間違えば焼き払われかねないほどの爆発が近くにある恐怖よりも、こみ上げる吐き気を飲み下すのに必死だった。あまりにも気持ち悪かった。激しく上下を繰り返したすえにとうとう流動形へと溶け始めた視界に、絶えず虚空を翔ける為に身体にしつこくまとわりついてくる浮遊感。どうにか慣れようと思ってもできなかった。まるでジェットコースターをシートベルト抜きで乗らされ続けているような気分。
──ぜんぶ終わったら文句言ってやる。
巧がそんな底意地の悪いことを考えているとはつゆ知らないメルトリリスは、敵と充分に距離を取れたことを横目で確認すると、腰にしがみついている巧に向けて話しかけた。
「ひとまず、ここから退却しましょう。このままでは不利です。いったん距離を取って対策を練るか、或いは逃げの一手か──マスター? 聞いてますか?」
「……吐きそうだ」
「ええっ!? ちょっ、まっ、そんな急に言われても……っ! い、今はほんとにやめてくださいねっ! 吐くのだけはっ!」
「……」
「なんで無言なんですかーーーーっ!」
最悪の事態だけは避けたいと吠えるメルトリリスに対して、巧はひたすら無言を貫いている。少女はその反応が気が気でならず、さらに走る速度を速めた。
やがて、瓦礫が特に密集する地帯に二人は近づいた。あそこなら紛れ込むことができるし、あちらが見失なった隙にここから離れることが叶うかもしれない。微かに見えた希望の光に縋りつくように、メルトリリスがその場所へと向かいかけた、
直後だった。
「止まれっ!」
巧の制止の一声が木霊する。
男の必死さに、メルトリリスが足を止める。急激な制動をかけられた少女の爪先は、しかし瓦礫の表面を易々と削りながらも、どうにか主の命令をこなそうとする。
だが、遅すぎた。
「────な」
視界の先で、ひと際強い光が弾けて。
巧とメルトリリスの意識は、あっという間に食い潰された。
〇
どうやら、気を失っていたらしい。
「──ってえ……」
意識が明滅から回復した。その瞬間、身体の節々が油をさし忘れたネジの如く軋み、鈍い痛みを与えてくる。長年の相棒であるコートを失って、むき出しになる以外にない肌には、大量のかすり傷が刻みこまれている。巧が呻きながらもどうにか身体を起こして、周囲の状況を確認しようとすると、いきなり口を布のような物で覆われた。
「──すみません。けど、静かに」
驚きながら抗議の眼差しを向けると、そこには自分と同じように、白い肌に痛々しい傷を目いっぱい散りばめたメルトリリスが警戒をあらわにしながら座り込んでいた。なにをそんなに警戒しているのか――とぼやけた考えを、数秒後に殴って叩き出した。いま自分がどこにいて、何をしているのかを思い出せば、決まっていた。
砲撃を喰らった、のだと思う。
おそらく直撃はしなかったのだろう。していれば、間違いなく巧もメルトリリスもここにいて、息をしていない筈だ。
咄嗟に感じたおぞけ――命の危機に晒されたときによく訪れる、懐かしくも寒々しいその感覚に従って、叫んだ。それが功を奏した――とは言い難い。この通り自分もメルトリリスも、ボロボロになってしまったのだから。
「――」
巧はメルトリリスに倣うように、人工の吐瀉でできた無機質な色の海をじっと睨みつけた。
十重二十重に重なって浮かぶ無数の瓦礫、その中を悠然と泳ぐ一艘の巨船。
そこに敵は立っている。
フランシス・ドレイクは、そこにいる。
「……正気じゃ、ありません。自分が惜しくはないのでしょうか? 宝具は大量の魔力を消費します──仮にここでわたし達に勝てたとしても、彼女の魔力は、大幅に失われてしまうんです。それは彼女も充分わかっている筈なのに、なぜ?」
「……わかってて、ああするヤツだ。あいつは」
心底訳がわからない──とでも言いたげな表情でつぶやくメルトリリスに、巧はある種の確信をもって答えた。
長く続く退屈きわまりない生よりも、短く一瞬で終わる火花のような生にこそ、女は人生の輝きを見出していた。
女のその性は、第三特異点を共に乗り越えていく中で、充分思い知らされていた。そうだ、と唇を噛む。自分は知っていた筈なのに、考えも無く安易に追い詰めた結果として、宝具まで引きずり出してしまった。それがひどく情けなかった。
「……クソ」
自戒の意を込めて、自分の腿を叩く。漣のように広がる痛みが、澱んでいた意識をハッキリさせていく。
やることはなに一つとして変わらなかった。この馬鹿げた聖杯戦争を生き残り、特異点となったセラフィックスを元に戻す。その途中に立ち塞がる者は誰であろうと打ち倒す。倒さなければ、ならないのだ。
「……大丈夫ですか?」
「ああ。ワリぃ。……それより、どうする」
心配そうに顔を覗き込んできたメルトリリスを手を振って追い返し、巧は尋ねた。メルトリリスはしばらく黙り、やがて冷静な口調で話し始めた。
「幸い、距離は取れています。それに、あちらもわたし達の正確な居場所を、まだ見つけられていません。見当違いの方向に向けている砲撃がその証拠です。ですが、いずれは気付くでしょう。
わたしとしては、ここで退却することを勧めますが……」
「……」
「──そういう訳にはいかない、という顔ですね」
巧の張り詰めた顔を見て、メルトリリスは仕方なさそうにため息を吐いた。しかし、巧の判断も決して間違ったものではない。
まず、いくら距離が取れているといっても、砲撃が備え付けられている以上は、あって無いようなものである。更に地の利はどちらかというと、記憶を失った己と来たばかりで何も分からないマスターよりもあちらにあり、運良く逃げ切れたとしても、敵対するサーヴァントはまだ山のようにいる。傷だらけのままおめおめと逃げている自分たちが、いったいどのように扱われるか、考えなくてもわかった。
それに――とメルトリリスは思う。
何もかもを無くしてしまった今の自分のままでは、到底128騎のサーヴァントに太刀打ちできないという、BBの言葉は事実である。そのためにはリソースを集めなければならず、ある程度ダメージを加えることができているライダーは、その手始めとして絶好のチャンスだ。
つまりライダーは、現在のメルトリリスたちにとっては、背中を見せて逃げ出した方が生き残れる確率が高いかもしれない敵であり、同時にいまここで何としてでも倒さなければいけない敵でもあった。
「――」
しかし、どのようにすれば勝てるのか。
それがわかれば苦労しない、と思う。宝具が現れる以前が、おそらく唯一にして最後の勝つチャンスだったのだろう。見事に仕留めそこなってしまった自分は、やはり廃棄場に打ち捨てられて然るべき存在なのだ。ひとり自己嫌悪に陥るメルトリリスをよそに、巧は立ち上がった。
「……行くぞ」
「え?」
「退かないんなら、ここで倒すしかないだろ」
「けど、どうやって――」
呆然と見上げてくるメルトリリスに、巧は束の間考え込み、どうにか絞り出した自分の考えを――作戦を話した。それを聞いていたメルトリリスの顔は赤くなり、青くなり、白くなり、そして最後に赤くなった。
「むっ――無茶ですっ! できる訳ありませんっ! 絶対にっ!」
「やってみなきゃ、わかんねぇだろ」
「試す必要などありませんっ! そんな……自ら死にに行くようなものです。絶対に、絶対にダメですからねっ!!」
声量こそ控え目だったが、悲痛さが伝わってくる、痛切な叫びだった。しかし巧は構わず、
「だったら、ここで仲良く死ぬか?」
「……それ、は」
「俺はゴメンだ。おまえは、違うのか?」
巧の鋭い問いかけに、メルトリリスは押し黙る。いい訳がなかった。だが、だからといって巧の考えをそのまま肯定してしまうのが、正しいとも思えなかった。ジレンマに陥るメルトリリスに、巧ははあ、と頭を掻いて、
「あのな……俺たちは、何だ?」
「……サーヴァントと、マスターです」
「だろ。で、だ。こんな有り様になったのは、俺がヘタを打ったからだ。おまえのせいじゃない。だから、自分の不始末は自分でつける」
「違いますっ! マスターだけの、責任ではありません――貴方のサーヴァントであるわたしが、わたしがもっと強ければ……」
その言葉を待ちかねていたように、巧は一度言葉を切り、
「――そう思うんだったら、手伝え」
「……う、」
「俺だけの責任にしたくないなら、おまえも責任を取れ」
「うぅ、」
ううううううううううううううううう。
メルトリリスは外敵を目の前にした猫のように唸りながら、暴論に等しい発言をぶつけてきた巧を、実に恨めしそうな目で睨みつけている。だが、巧は知らんぷりをしながら、明後日の方向を見つめている。まったくいい根性だった。
やがて観念したように、メルトリリスは重苦しい溜め息を吐く。そして、渋々といった表情のまま、わかりました、と頷いた。それを確認して、さっさと一歩を踏み出そうとした巧の裾が、ぐいと引っ張られた。手で掴まれているのかと思ったら、器用にも爪先を引っ掛けていた。コイツの身体はどうなってんだ――と思ったが、口には出さなかった。
爪先で巧を引き留めたメルトリリスは、思い詰めた表情で言葉を続けた。
「――ひとつだけ、ひとつだけ約束してくれませんか」
「何だ」
「……絶対に、死なないでください。わたしを、一人にしないでください」
それを聞くと、巧にしては珍しく、唇の端をかすかに歪ませてながら、言った。
「――それこそ、ゴメンだ」
〇
視界の端で、確かに誰かが動いた。
ライダーはそれを気のせいだとは思わず、面舵を回して、影がチラついた方向へと船を向けた。巨体に似合わぬ敏捷さで大きく旋回した船体が、周囲に浮いていた瓦礫を砕き、或いは押しのける。サーヴァントになって得をしたと思う点のひとつが、望遠鏡いらずで遥か彼方の景色を、精細に見渡せるようになったことだった。弓の弦のように引き絞られた青い瞳が、じわじわと焦点を合わしていく。
そして、ライダーは思わず、驚愕のひと声を漏らした。
「……なに考えてんだい、アイツら?」
そこには、空中に浮かぶ瓦礫の上にどうにか飛び移ることができて、息を切らしているマスターの姿があった。
より正確に言えば、そこにはマスターの姿しか、なかった。
本当に、なにを考えているのか。マスターとサーヴァントが離れて別個に行動することは、決して珍しくはない。むしろ聖杯戦争においては、非常にオーソドックスな動きと言える。敵サーヴァントが現世にいる為の錨となっているマスターを排除すれば、わざわざ真正面から戦わずとも勝利を手に入れられる。
だが、いまSE.RA.PHで行われている聖杯戦争は、サーヴァント同士のバトルロワイアルだ。生き残りたい、勝ち残りたいと。ここから抜け出したいと本当に思っているのなら、唯一の防衛手段であるサーヴァントと離れようとする訳がなかった。
ましてや、ただの人間が。
――何がどうなってんだい、こりゃ。
ライダーの心に、得体の知れない不安の雲が広がり始めた。マスターを持つサーヴァントを相手にしなかったことが、ここに来て響いてくるのだろうか。いや、そうでなくても、あれは明らかな自殺行為にしか見えない。囮を装っているのかと考えて、素早く周囲に視線を巡らせるが、サーヴァントの魔力の残滓は欠片も無かった。そもそも、いまここでマスターを殺されれば、どのみち現界の為の魔力は途切れ、消滅するしかないというのに――
そこで、辞めた。ごちゃごちゃ考えるのは、性に合わなかった。
「――ま、いいさ。罠なら、罠で」
逡巡を振り切り、ライダーはカルバリン砲を空中に数基ばかり呼び出すと、瓦礫の上に立って、こちらを静かに見つめている男へと向けた。
距離、よし。方角、よし。最後の仕上げとばかりに、手に持った銃をぴたっと据える。
「全部ぶっ潰せば、済む話だからね―──―!」
そして、引き金が引かれた。たった一発の小さな銃弾に導かれて、巨大な十数の砲撃が巧に吸い込まれるかのように殺到する。距離、粛々と縮まる。巧は、迫る砲弾の前にしても、焦ることなくゆっくりと腰をおろし、足をたわめて、両手を地面につき、獣のように背を曲げた。相貌に走る、獣の隈取り。二つ。やがてゼロになり、
瞬間、世界が炎と化した。
膨れ上がった火球が躍り狂い、生じた爆風が辺りを舐めるようにして拡散した。なにもかもを塗り潰しかねないほどの光に、ライダーはすうっと目を細める。立ち込める雲のような粉塵が、SE.RA.PHの空を覆い尽くそうとその身を広げている。これで終わりだった。ただの人間にこの攻撃は耐えられず、塵のように跡形も残っていない──それが迎えるべき結末の筈だった。
が、
突如、猛々しい雄叫びが響き、
狼を模した身体のウルフオルフェノクが、獣のように低い姿勢を保ちながら、煙を引き裂いて勢いよく飛び出してきた。
「――!?」
煙を割いて飛び出してきたのが、人間の死体ではなく生きた見慣れない獣だったことに、ライダーは今度こそ驚愕を隠し切れない様子だった。しかし、白い狼は知ったことではないと、先ほどのメルトリリスのように瓦礫から瓦礫へと飛び移りながら、徐々にライダーとの距離を狭めていく。
やがて、ライダーの目に正気が戻り、再び雨のような砲撃が巧に迫った。一発でも喰らえば死ぬ。その事実が、巧の意識をさらに先鋭化していく。もっと、速く。その身体は、既に通常のウルフオルフェノクのものではなくなっていた。脚部はどうにか保っていた人間の形から、完全に狼のそれへと変化し、全身に生え揃った刃は、常軌を逸した数になる。針のように硬く尖った体毛に覆われた四足が強く地を噛む。相手の膝よりも低い位置から敵をじろりと見る顔は、通常のそれよりも一層鋭い。白銀の孤狼が、冗談では済まされない速度でライダーに迫る。
「――ははァっ!」
この期に及んでも笑みを浮かべながら、ライダーは狼を迎え撃った。砲撃は次第にその数を増していく。死がゾッとするほどすぐ近くにある気配を、巧はひしひしと感じていた。
だが、と巧は思う。ここで死ぬわけにはいかなかった。いまの自分には贅沢なことに帰るべき場所があり、そこにはなんとしてでも帰らなければならなかった。それに、約束してしまったのだから。一人にはしないと。いつでも破れるような口約束に過ぎないが、それでも巧にとって、その約束を交わした少女は、もはや他人とは呼べない存在だった。元より手を伸ばしたのはこちらの方が先だった。ならば、自分は最後まで責任を果たさなければならない。多分、意地なのだと思う。
残り数メートルまで近づいた瞬間だった。またもや次に飛び移る位置を見透かしたかのような一撃が放たれ、それを避ける為に急激に軌道を変えなければならなかった。無理な身体の動きに、ごきり、と嫌な音が響くが無視。四つん這いでどうにか別の瓦礫に引っ付いた巧の頭上に、
狙い済ましたかのような、
二撃目。
避けられない――――――
瓦礫に着弾した砲弾が内部から莫大なエネルギーを開放し、巧は容赦のないそれを至近距離から喰らってしまった。剥がれていく外骨格の破片が、きらきらと宙で輝きを放つ。その姿が、傷だらけの生身に戻り、やがて白い光の中に飲み込まれた。
仕留めた――とにやけていたライダーが、何かに導かれたように、唐突に空を仰いだ。
気付けたのは、本当に偶然だった。
遥か頭上。海と同じ深い青色で染められた天蓋。
そこに点々と浮かんだ瓦礫のひとつに、メルトリリスが、逆さになって立っていた。
「う、あぁ、ああああ――――――!」
メルトリリスは身を縮めると、渾身の力を込めて足場にしていた瓦礫を蹴った。加えられた衝撃はあまりにも強く、堅牢な筈のそれは木っ端微塵に砕け散った。ここぞとばかりに伸びてきた無数の重力の手はメルトリリスを掴むと、壮絶な勢いで深淵へと引き摺り込もうとする。その軌道にぴったりと重なる位置に、ライダーと、ライダーが駆る船はあった。流星の尾のような残像を引きながら、落ちてくるメルトリリスを見るや否や、ライダーは舵を取り、船を動かした。そして、メルトリリスと真っ向からぶつかる位置へと調整する。
定まり、ライダーは笑った。すべての砲口をたった一点に向ける。
そして、
「――藻屑と、消えな!」
世界が、凍りついた。
静止した時の中で、メルトリリスは、逃れようのない死を見た。今度こそ奇跡は期待できない。足場も無いこの虚空で、どのようにして逃れれば良いのか、むしろ教えて欲しいくらいだった。マグネシウム色の閃光が、視界の中でさらに拡散を見せる。一体どのような手を使ったのかはわからない――絶対に振り返るなと言われたからだ――が、彼は見事にその役割を果たしてみせた。一方、自分はどうなのか。彼の死を食い止められず、そしていま、無駄な死を迎えようとしている。
悔しかった。彼の死を生かせない自分が。
許せなかった。約束を破った彼のことが。なによりも、自分が。
虚脱感に犯されていく身体に、不意に、暖かな魔力が奔った。ここ数時間ですっかり馴染み深くなったそれは、間違いなく乾巧のものであった。そんな筈が――と思いながら見下ろすと、ライダーの船越しに、小さく頼りなげに光る、赤い灯があった。それは疑いようのない、令呪の輝き――彼は、まだ、生きている。
応えなければ、と思った。その瞬間、メルトリリスの頭蓋に、堪え難い稲妻のような痛みが奔った。見覚えのない光景が、記憶が、飽和状態を超えた水のように溢れ返り、メルトリリスの脳髄を溺れさせていく。
どこかで誰かと共に地を駆けている自分の姿が写る。
電子の蒼海を背中にした自分が軽やかに宙を舞う。
黒衣がひらりと揺れ、刃と膝の棘が鮮烈に輝く。
あれこそが、自らが目指すべき場所だと思う。
舞い踊り、駆け跳んで、己を一振りの刃に。
しかし次の瞬間には、自分は地に堕ちた。
惨めに敗北したと、敗れたのだと知る。
やがて、見放されたように、暗闇へ。
ひたすら、ひたすら、落ちていく。
昏い闇の中で自分は思っていた。
ここで終わらせたくはないと。
ただひとつだけ願っていた。
濃霧のような意識が消失。
感覚が螺旋に四散する。
巨大な孔の中にいる。
重なるのは塵と芥。
虚に伸ばした手。
願いだけが。
きらめき。
つるぎ。
あし。
踵。
その、
名は――――――
「
メルトリリスの脚から放たれた刃の形状をした巨大な曙光は、ライダーが放ったすべての攻撃を、津波のように飲み込んだ。
押し寄せる青い光を前にして、諦めたように銃を放り捨てながらも、ライダーはやはり、最期まで笑っていた。
「――ま、それなりには楽しめたから、それで良しとするかね」
やがて、なにもかもが光に消え、
サーヴァント・ライダー――フランシス・ドレイクは、SE.RA.PHの聖杯戦争から脱落したサーヴァントの一騎に加わった。
〇
金色の雪が降っている。
浮いた瓦礫の上に寝転びながら、巧は頭上から降り注ぐかつて金色の鹿号だった金色の粒子を、ぼうっと見ていた。その右手に刻まれた令呪の一画は色を失ってしまっている。
どうにか直撃だけは避けたあと、ボロボロの身体と意識のまま、メルトリリスに向けて令呪を使った。なにを命じたのかは――ハッキリ言って覚えていない。だが、まあ、勝てたのだから。口下手な自分にしては、おそらくマシな言葉を唱えられたのだと思う。
「……疲れた」
とてつもない疲労感が全身を覆っている。いっそこのまま眠ってしまおうか――と巧が瞼を閉じかけた直後、どさり、とすぐ横で、ずた袋が落ちてきたような音が響いた。
音の方向に顔を動かすと、そこには疲労困憊となって息を切らしたメルトリリスが、自分と同じように地面の上で寝転んでいた。おそらく、文字通り落ちてきたのだと思う。痛くないのか、と聞こうとしたが、辞めた。
巧もなにも言わず、メルトリリスもなにも言わない。二人の間に無言の埃が積み重なっていく。先に口を開いたのは、やはりと言うべきか、メルトリリスだった。
「……わたし、すごく心配したんですからね」
「ああ」
「――本当に、死んじゃったかと思ったんですからね」
「悪い」
「こんな……令呪まで、使ってしまって、これから先どうするんですか」
「その時、考える」
「…………約束、守ってくれたんですね」
「――まあ、な」
返事をしながら巧が痛みをこらえて上体を起こすと、急につい、と裾を引っ張られた。誰が引っ張ってるのかは見なくても分かっていた。振り向かず、何でもない風に尋ねる。
「行かねぇのかよ」
「もう少しこのままで――いえ、休んでいきましょう。その、ほら、お互いに、ボロボロですから」
「……そうだな」
呟いて、巧はふたたび倒れ込んだ。メルトリリスもそれを見届けて、ふたたび空を眺め出す。
金色の粒子が舞い散る中で、二人の視線が見据えるSE.RA.PHの空は、透き通った青の光をその身に宿して、二人をいつまでも照らしている。
〇
「――ふう、何とかなりましたか。もお、ハラハラさせるんですから」
すべてを見届け終えたBBは、安堵の溜め息を吐いた。
少女は巧たちとライダーが決戦を繰り広げた教会跡地から、そう遠くない場所にいた。ライダーを呼び寄せたあと、さすがに消滅の危機に陥れば、密かに手助けをしようと思って観戦していたのだが――どうにか、乗り越えられたようだった。
「まったく……我が娘ながら、本当に世話が焼けますねえ。まさか、記憶を失ってるだなんて」
そんな軽口を叩きつつも、BBは本当に参っていた。廃棄場に棄てられたとまでは聞いていたが、まさか記憶も機能も失っているとは思いもしなかった。意図的な手が加えられた末なのか、それともまったくの偶然なのかは、置いておくとして。カルデアの三騎といまだに合流を果たせないマスターが、SE.RA.PHを生き抜く為の戦力として有用だとかなり期待していたばかりに、落胆の気持ちは抑え切れなかった。
ゆえにリソースを手に入れさせる必要があり、だからライダーを呼び寄せたのだ。危ない場面は所々あったが、おおむね予想していた通りの絵面に着地してくれて、BBは安心していた。
『黒幕』の目が、いつどこで光っているか分からないゆえに、これほど深く介入できる機会はこれが最後だろう。
「――それにしても」
気がかりなことが、一つある。
本来ならば、とっくにカルデアのマスター――乾巧は、共にレイシフトしてきた三騎と合流を果たしている筈なのだ。入場時にかかる制約をどうにか回避するために、苦労してレイシフト中に介入して、三騎を『もう一人の自分』の元へと送り込む。そして、黒幕の手に囚われることを回避した後で、回収した三騎をマスターと合流させる――それが手筈だった。
だが、送ってから、これまでなんの音沙汰も無い。
おかしな点は他にも幾つかある。セイバー――鈴鹿御前が、あの場に来る予定など無い筈だった。さらに、カルデアのマスターがオルフェノクであることを聞いた時の、もう一人の自分の不可解な態度――
「……ふうむ」
少しだけ、調べてみる必要があるかもしれない。
顎に手を当てながら、BBは続けて思う。この世で一番信用できないのは、自分だ。なにせ自分という女が考えることなど、絶対にロクでもないことに違いないのだから。
ふと吹き付けた風に少女の黒衣が揺られたかと思うと、次の瞬間には姿その物が霞のように消えていた。
そしてSE.RA.PHは、ゆっくりと静寂に包まれる。
というわけで第二節終了です。
第三節もよろしくお願いします