Fate/Φ's Order REMNANT SE.RA.PH/ZERO   作:うろまる

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第三節開始です。よろしくお願いします


第三節「 B R I G H T S T R E A M 」
苦悩の澱み


 

 

 

「シィ──ッ!」

 

 突き抜けるような鋭い呼気とともに、高速の刺突が驟雨となって飛来した。

 一度目の突きが耳を掠め、五度目の突きが逃げ遅れた髪の一片を貫いた。ざっくばらんに断ち切られた毛髪が舞い落ちる中、見えた、十三度目。眉間を狙う軌道。

 

「――っ」

 

 メルトリリスは浅く呼吸をすると、地に突き立てられている両足を一気に前後に広げた。世界が急激に下降。瞬間、ごおっ、と少女の頭上を、刃風が唸りながら通り抜ける。そして、視界前方に現れた、がら空きとなった身体──跳ね上がる際のバネを利用して、膝の棘を腹部か胸部に突き刺さんと、メルトリリスは低姿勢のまま跳躍。殺った、と確信する。しかし敵は――ランサーは、それを見越していたかのように、突き出していた槍をそのまま地面に突き立て、棒高飛びの要領で、己が身を空中に持ち上げた。

 残された影に棘を突き刺す形になったメルトリリスは、勢いを殺すために、爪先へと重心を傾けた。床を削りつつもどうにか静止した少女の背後で、素早く身を翻す足音。

 メルトリリスは振り向かず、地面を削って止まっていた左脚をそのまま回転軸に据え、無拍子に後ろ脚を薙いだ。思わず感嘆してしまうほど整った円の軌道を描いてみせた右の魔剣は、迫りくる脅威を確かに弾き飛ばした。大きな金属音。だが、無傷。槍手の身体のすぐ傍で盾として構えられた槍が、与えられた衝撃にその細身を震わせている。

 

「――!」

 

 刹那の判断が勝敗を分ける。

 離れたランサーが構え直す前に、メルトリリスが颶風となって駆けた。勢いのまま飛翔し、振り上げた右の踵をひと息に下ろす。引き裂かれた空気が耳障りな悲鳴をあげる。頭蓋を打ち砕かんと放たれたそれを、ランサーは受け止めず、長大な柄の部分で逸らした。受け流されて地面に落ちてしまう前に、メルトリリスは宙で身を捻り、残された左脚で側頭部を狙う──しかし、辿り着くより前に、ランサーの掌の中で生きたように回転した槍の石突が、宙に浮くメルトリリスの鳩尾を深く穿った。

 

「ぐ、ぅ──」

 

 空中という、身体を支えるものが一切無い空間だったためか、メルトリリスは面白いぐらい大きく吹き飛んだ。床を無様に転がる。痛みこそないものの、喉の奥に砂利を敷き詰められてしまったような不快な感覚がひどく鬱陶しい。喉をおさえて咳き込むメルトリリスを、ランサーは容赦なく攻め立てるために、獣のように低い姿勢で疾駆。

 激しく乱れた呼吸をそのままに立ち上がり、メルトリリスはどうにかまともに攻撃を受けてしまうのだけは避けたいと、脚を振るい続けた。だが、ズレたリズムは、そう簡単に立て直ることはない。次々と全身に切り傷が刻まれていく中で、SE.RA.PHの青い輝きを反射した穂先が、水平に半回転する瞬間がメルトリリスの目に見えた。視界から消えた鋒にたしかな悪寒を覚え、咄嗟に頭を下げる。

 よりも、早く。

 到達した穂先は、少女の肩を切り裂いた。

 削ぎ落とされた肉とともに飛び散った血に、メルトリリスはほんの一瞬だけ怯んだ。足を止めてしまった。その恐れを見透かしたように、ランサーは一歩前進。槍を引き戻し、臍下丹田に力を入れ、正中線の上にある額に目掛けて、渾身の突きを放つ。数瞬遅れて上げた膝の棘。ぶつかり合った鉄と鉄が、ひしめきあった火花をあちこちに散らす。やがて、逸らしきれなかった刃先は、少女の胴体を刺す軌道に乗った。回避。たぶん、間に合わない。

 近づく刃先を見た少女の脳裏に、ふと雷撃が走った。

 

 ──シャッセ。

 

 まったく聞き慣れない言葉だった。

 だというのに自分の身体は、なじみ深い友人に出逢ったときのように、何の違和感もなく動いた。

 上げた脚を下ろす。折りたたみながらも、退くのではなくむしろ踏み込んだ。さらに距離を狭める槍は無視。そして、跳躍。先に跳んだ脚に寄り添うように、残って床を摺った脚を合わせた。着地先は、槍のケラ首。満ちる重力を完全に無視しているかのように、宙を泳ぐ少女は軽やかに宙を舞う。爪先がケラ首へと触れた瞬間、メルトリリスはそれを踏み台にして、ランサーの頭上を飛び越えた。

 ふたたび、雷鳴。

 

 ――トゥール・アン・レール。

 

 回った。

 銀光が二度、閃いた。

 瞬間、ランサーの視界が赤く染まる。すれ違いざまに斬られた――と理解したときには、既に手遅れだった。背中を覆う堪えがたい熱さ。拍動を繰り返す心臓が鋭いなにかに貫かれた痛みと、存在そのものを根こそぎ吸い尽くされる快楽とともに、ランサーは跡形もなく消えた。そして、メルトリリスは勝ち残った。

 これで倒したサーヴァントの数は、ようやく片手の指の数を超えた。

 残るは、122騎。

 

「――――は、あ……」

 

 吸い取った相手のリソースが、身体を満たしていく。心地よくもどうにもむず痒いその感覚に、頬を紅潮させて色っぽい吐息を漏らしながら、メルトリリスはその場に座り込んだ。そして、またこれか――と嘆息する。

 ライダーとの激闘の最中で、マスターの令呪を受け取り、一部機能が開放されて以来、時折ではあるが、頭の中に知らない単語や情景が思い浮かんだり、戦闘中に勝手に身体が動くようになった。

 その悉くに見知らぬ自分の姿があることを考えると、どうやらそのどれもが、失われた記憶に、深く関わりがあるらしい……ということは予想できるのだが、断片的にしか浮かんでこないせいで、それがどのように自分に関連している言葉なのかは、いまに至るまで何もわからないままで、連鎖的にすべてを思い出す――という気配もまるで無かった。つまり、大した進展が見られないということである。

 正直に言うと、怖かった。

 勝手に浮かんできた言葉につられて、勝手に動いてしまう身体。まるで、操り人形にでもなってしまったみたいだとメルトリリスは思う。

 失った記憶が蘇り、それに身体が従う――それはきっと、とても良い兆候の筈なのだ。元の自分の戻りたいと願うのならば、それを、喜ぶべき筈なのだ。だというのに、いずれ自分など、このSE.RA.PHの何処にもいなくなってしまうのではないかと、ネガティブなことばかり考えてしまうのは、きっと自分が臆病なせいなのだと思う。

 

 ――「わたし」が消えるのは、当たり前のことなのに。

 

 そもそも自分は、本当なら生まれることなどなかったのだ。だから意識の消滅を恐れるというのは、いわゆるお門違いというヤツでしかなく。何もかもが元通りに戻るだけで、何も怖がる必要はないというのに。

 なぜ、恐怖してしまうのか。

 なぜ、消えたくないと思ってしまうのか。

 それは、

 それは。

 

「――なに、突っ立ってんだ?」

 

 そこで、我に返った。

 振り向くと、そこには己のマスターである男――乾巧が立っていた。ランサーとの戦いが終わったあと、動くことなくしばらく立ち尽くしていたままのメルトリリスを、おかしく思ったのだろうか、その表情は怪訝そうに歪んでいる。メルトリリスは漏れ出そうになった弱音を、飲み下すように唇を噛み締めて、ぽつりと言った。

 

「……いえ、なんでもありません。少し、疲れただけで」

「無理すんなよ。倒れても、持ってけないからな」

「無理など、まさか。わたしはAI……アルターエゴなのですから。だから、無用の心配は必要ありません」

 

 その言葉が明らかな嘘だということはわかっていた。しかし、そこに踏み込んでいけるほど、まだ巧はメルトリリスという少女のことを知らない。だから、踏み込まなかった。それだけの配慮は、さすがにこの男にもあった。ポケットに手を突っ込みながら、巧は乾いた声で続ける。

 

「とりあえず、帰るか」

「……はい」

 

 言うだけ言って、さっさと歩きだした巧の広い背中を眺めながら、メルトリリスは静かに思う。

 恐怖してしまうのが、消えたくないと思ってしまうのが、貴方と離れるのが嫌だからだなんて。

 

「……なんでも、ないです。何でも……」

 

 呟きながら、歩き出す。

 零れた少女の独り言は、淡い泡沫となって、SE.RA.PHの海原に紛れて消えた。

 

 

 

 〇

 

 

 

 巧が、セラフィックスにレイシフトしてから、今日で二日目になる。

 

 

 相も変わらず、空は電子的な青い輝きを放ち続け、漂う気配は限りなく血生臭い。何もかもが来る前から変わらないように見えるが、しかし約束されている刻限は、確実に近づきつつあった。この特異点と化したセラフィックスが、海溝の奥底へと沈んでしまう前に、修復しなければならない、その刻限が。

 とはいえ、焦ったところでどうにもならないことはどうにもならない。そんなことを考えながら、巧は拠点としている教会で、長椅子の上に横になりながら、ウトウトと眠たそうに目を瞬かせている。まったく暢気なものであるが、これぐらい図太くないと、正気を保っていられない空間であることも、確かである。が、それにしたって、もう少し緊張感を持ってもよさそうなものだが――それをこの男に期待するのは、酷という物だろう。

 そんな男のサーヴァントを努めているメルトリリスは、男のすぐ傍で、得たリソースによって着々と開放されつつある自身の機能を使い、SE.RA.PH全体のおおまかな構造を把握しようとしていた。白い頬に幾本も走った、翡翠色のジグザグとした線は、少女の電子頭脳が電脳化されたSE.RA.PHへと直接アクセスしている証だ。根拠は無かったが、なんとなく自分にはできるだろう――という確信があった。そして、それは見事に叶えられている。

 メルトリリスの容量に、次々とセラフィックスのデータが取り込まれていく。アンビリカル・ヘア、フランク・セパレータ、ブレスト・バレー、ポートピア・サイ――やがて、四半刻ほど、経っただろうか。少女は閉じていた瞼を開けると、額に浮いた汗を拭いながら、ふう、とひと息ついた。

 うんざりするほどの数のブラックボックスで構成された、うんざりする世界だった。そもそも、ただの油田基地が、どうして巨大な女体と化しているのか。そこにこそ、電脳化では説明できない何かがあるのだとメルトリリスは思っているが、いま考察するには、あまりにも情報が足りなさ過ぎた。

 とにかく、このSE.RA.PHを探索するにあたって、必要なデータはある程度入手できた。それでも、全体の情報量に比べると、氷山の一角――もしくは爪の垢――程度に過ぎないだろうが、無いよりは遥かにマシである。

 メルトリリスは、取り込んだ情報を精査しつつ、本格的に眠りに入り始めた巧を、ゆさゆさと揺らして起こした。

 

「マスター、お休みのところを起こしてすみませんが、情報が揃いました。ですので、これからの方針を話し合いましょう」

「……もう、終わったのか?」

 

 眠りかけたところを起こされたせいなのか、ほんの少しだけ充血した目を細める巧に、メルトリリスは心なし得意そうに胸を張りながら答えた。

 

「はい。わたし、とても優秀なAI……みたいなんですから。本来は」

「あ、そう」

 

 心底どうでもよさそうな返事だった。それがなんとなく癪に障り、メルトリリスは頬を膨らませた。

 

「その顔は、全く信じていませんね。わたしの発言を」

「そりゃ、おまえの思い込みだ」

「いえっ。思い込みなどではありません! 今のマスターの瞳からは、なんだか凄く他意を感じられますっ」

 

 犬のように吠え立てるメルトリリスを見て、巧はうるさそうに耳を塞ぎながら、そっぽを向いた。毎度おなじみの体勢である。完全に無視する形に入りかけている男の姿を見て、少女は疲れ切ったように溜め息を吐いた。これ以上問い詰めても、不毛しか残らない気がする。とうとう追及を諦めて、メルトリリスは早速本題に入った。ちなみに、それを確認するや否や、巧は無視の体勢を解いた。いい根性をしているとしか言えない。

 

「――とりあえず、このSE.RA.PHの構造について話します。いまわたし達がいる教会は、ポートピア・サイと呼ばれる場所に設置されていることが判明しました」

「何処だ、それ」

「このセラフィックスの形状が、女性の身体へと変形しているのはご存知ですか?」

 

 こくり、と頷きを返す。メルトリリスは、袖に覆い隠された手で、生白く滑らかな素肌が剥き出しにされている右の太腿を、とんとんと叩いてみせた。

 

「ここが、ポートピア・サイです。そしてこの教会は、セーフルームの役割を果たしているみたいですね。だから、このエリア一帯には自己修復機能が備わっているんでしょう」

「安全地帯はここしか無いのか?」

「おそらくは。

 他のエリアは、完全に電脳化してしまったか、或いはしている真っ最中でしょう。――長時間いると、そのままSE.RA.PHにデータとして取り込まれてしまいますから、充分に気を付けてください。最もわたしが共にいる以上、そうはさせませんが」

「おまえは平気なのか」

 

 巧にとっては何気ない疑問を投げかけたつもりだったのだが、メルトリリスは落雷に打たれたように固まると、深刻そうに眼を伏せた。

 

「……どうした?」

「――いえ……その……えっと」

「んだよ、歯切れ悪いな」

「…………あの、ですね」

 

 しばらく言い淀み、やがてメルトリリスは親から叱られるのを恐れる子供のような表情で、おそるおそると告げた。

 

「わたしは、その、大丈夫みたいなんです。少なくとも、貴方やサーヴァントたちのように、勝手にデータ変換されることは無いでしょう」

「なんで」

「――それは、」

 

 ひと息、ぐっと飲み込んで。

 覚悟を決めて、告げた。

 

「わたしが……この事件の黒幕であるBBから、生み出された存在、だからです」

「――」

 

 今度こそ、嫌われるかもしれない。

 事実を知った男の表情を知ることが無性に恐ろしくて、メルトリリスは思わず顔を深く俯かせた。これほど沈黙を重苦しく感じたことはない。罵倒されたって、文句は言えないだろう。陰謀に巻き込まれてしまっているとはいえ、黒幕から生まれたということは、決して否定しようがない真実だからだ。

 唇を噛み締める。どんな嫌悪を向けられても文句は言えまいと、受け入れる体勢を作る。しかし、巧が投げかけてきた言葉は、

 

「――そんなことかよ」

 

 という、実にあっけないものだった。思わぬ反応にえ、と間抜けな声を漏らすメルトリリスに構わず、巧は身構えて損した、とでも言いたげに全身から力を抜いて、長椅子に深々ともたれかかった。

 呆気に取られていたメルトリリスは我に返ると、慌てた様子で巧に話しかけた。

 

「あ、あのっ!」

「なんだ」

「お、お気になさらないんですか? わたしの、正体とか」

「別に。――気にかけて欲しいのか?」

「いえ、そういう訳では……ないのですが」

 

 そういう訳ではないのだが、ここまで反応があっけなさ過ぎると、逆に気になって仕方がなかった。複雑さを持て余して、口をもごもごと動かしているメルトリリスを、巧はしょうがなさそうに見つめて、

 

「おまえとアイツの間に、何かしらの関係があるってことは、薄々気付いてた」

「……いつから、です?」

「アイツが来た時から。顔似てたし、知り合いっぽいし、それに、アイツ……おまえに親心がどうとか変なこと言ってたろ。全く関係ない奴に、そんなこと言わねぇ。

 ――それにな、」

 

 そこで、巧は言葉を切った。続く言葉を言うべきかどうか、随分迷う。こんなのは、自分のガラじゃない。どちらかというと啓太郎のように、バカみたいに正直で、バカみたいに真っすぐな誰かが口にするのが、一番似合っている。

 だが、いま言わなければいつ言うのか。タイミングをふたたび探すのがどうにも面倒に思えて、半分ヤケクソになりながら、巧は斬り捨てかけた台詞を口からどうにか引っ張り出した。

 

「――誰から生まれようが、おまえは……おまえだろ」

 

 多分、物凄い顔をしていたと思う。

 実際、メルトリリスの側から見た巧の表情は、複雑怪奇の権化だった。なんで自分がこんなこっぱずかしい台詞を言わなければならないのか――という憤怒と、どうしてこんな台詞をいま思いついてしまったのか――という羞恥と、それでもいま言わなければいつ言うというのか――という決意が入り混じって、それはもう凄い顔だった。ダ・ヴィンチが見れば、おそらく大笑いしながら写真を撮りまくっていただろうことは想像に難くない表情だった。

 

「大体な、おまえのドン臭さを、他人のせいにするなってんだ。そっちのがよっぽど酷いぜ」

 

 巧の不器用な照れ隠しを受けても、メルトリリスは無言で、ぱちぱちと目を瞬かせている。悪口でも良いからとにかくなにか言って欲しいと、巧がどうにもならない気まずさになんとか耐えていると、不意に少女の青い瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

 

「な――」

 

 死ぬほどビックリした。

 涙を流しているメルトリリス本人も、自分が泣いているということに驚きを隠せない顔で、そのままずっと泣いている。

 

「――あれ、あれっ、なんで、なんで……」

「お、おい」

「すっ、すみません。今すぐ、止めますからっ――あれ、あれえ……なんで……、わた、なんで……」

 

 駆け寄ろうとした巧を制止したメルトリリスは、袖で乱暴に顔を拭いながら、どうにか涙を止めようとするが、中々上手くいかない。溶岩がこみ上げてきたみたいに、身体が熱く燃え盛っている。喉の奥からとめどなく溢れる嗚咽は、まるで津波だ。そして、とうとうこらえきれず、メルトリリスはうずくまって、わあわあとみっともなく声をあげて泣き出した。床にぽつぽつと浮かび上がるシミを見て、またわあわあと泣いた。

 明らかにしたくなかった真実を告げた時は、不安だった。怖かった。拒絶されたらどうしようと思った。しかし、彼が返してきた言葉は「そんなことか」だった。メルトリリスが心の底から悩んで、悩んで、悩み抜いた果てにとうとう暴露した知りたくなかった真相を、彼は「そんなこと」で片づけてしまったのだ。そんなことは一体なんだ、と怒って然るべきだ。心の一片は、巧の言い草にひどく怒っていた。

 しかし、その怒りを上回ってしまうぐらい、彼がくれた言葉が嬉しかった。

 アルターエゴとは、文字通り切り離された末に生まれた存在だ。元となった者であるBBが、不要だと切り離した感情を元にして作られたが故に、それ以外に縋る道を知らない、空っぽの作り物だ。そして、そこから思考も性能も初期化されてしまった自分は、作り物にすら満たないガラクタだ。

 だが、彼は、おまえはおまえだと言ってくれた。

 たとえ事件の黒幕から生まれ落ちても、誇れる物が何も無くても、おまえはメルトリリス以外の何物でもないだと、言ってくれたのだ。

 よく考えなくても、笑ってしまうほど陳腐な台詞だ。三流の劇場作家でも、もう少しましな台詞を思いつくだろうと思う。だが、今のメルトリリスにとっては、その言葉は何よりも救いだった。

 そう考えて、またメルトリリスはわあわあと泣いた。もはや止めようとする気さえ失せていた。ひたすら、童女のように泣き続けた。

 それを見下ろす巧は、思う。

 勘弁してくれ。

 

 

 

「――すみません。ご迷惑をお掛けしてしまって」

「本当にな」

 

 憮然としながらそう答えた巧に、メルトリリスはひたすら申し訳なさそうな顔を向けている。

 よりにもよって一番見せたくない相手にみっともないところを晒してしまった――という壮絶な羞恥で、メルトリリスは自らの白いほっぺたをリンゴよりも真っ赤に染め上げている。穴があったら今すぐにでも入りたかった。そして一生出てこないつもりだった。

 

「あのう、そのう。できれば、いまの醜態は忘れていただけると」

「できると思うか?」

「……」

 

 できる訳がない。

 押し黙るメルトリリスの姿に、巧はちっ、と軽い舌打ちを漏らした。恥ずかしい台詞を吐いたらいきなり目の前で泣かれて、なにもかもほっぽり出して黙り込んでしまいたいのはこっちも同じだった。それでもそれを口にするのはどうにもカッコ悪く思えて、無理やりにでも方向転換するべく、巧はメルトリリスに話しかけた。

 

「で、続きは」

「え、」

「話の続きだ。ここがポ……ポ……なんちゃらにあるってことは、わかった。それで、分かったから、なんなんだ」

「あぁ、ええっとですね……」

 

 ここぞとばかりに話に乗ってきたメルトリリスは、軽く咳払いをして調子を整えると、幾分か冷静さを取り戻せた口調で話し始めた。

 

「目下のところ、わたし達が目指すべき場所は中央部――ブレスト・バレーです。要するに、胸です。あそこはまだセラフ化の進んでいない施設が幾つかありますから、脱出に役立つ何かしらの情報が得られると思います。

 ――それに、あそこには、中央管制室があるようなので」

「中央管制室?」

 

 はい、とメルトリリスは頷く。

 

「そこからなら、カルデア側が貴方を観測できる筈です。レイシフトの強みは、観測さえできれば呼び戻せること――このSE.RA.PHがどれほど異質であっても、近未来観測レンズに映りさえすれば、きっと」

「――おまえは、どうするつもりだ」

 

 巧が問うと、メルトリリスは一瞬口を噤み、そして、言った。

 

「わたしは……このSE.RA.PHで生まれたアルターエゴです。ですから、どこにも行けません。いえ、たとえ行けたとしても、きっと行ってはいけないのだと思います」

「それは……」

「――でも、心配しないでください。貴方がわたしと契約を果たしたのは、連れてきたサーヴァントがいなくなってしまったから、そうする必要に迫られただけのこと。そうでしょう? 

 けれど、わたしにとっては、その事実さえあれば充分です。……それだけで、充分なんです」

 

 大切な宝物を抱き締めるように、胸の前で両手を重ねながら、メルトリリスは優しく言った。

 諦観や寂しさといった感情が無い、心の底からの笑顔になにも言えず、巧はむすっとした表情で黙る。納得できるかどうかと聞かれれば、納得できる筈がなかった。それじゃあ解決策なんて思いつけるのかと言われても、巧の乱雑な思考回路では土台無理な話だ。

 それでも諦め切れなくて、巧は目に見えないなにかに対して意地を張るように尋ねた。

 

「なぁ」

「はい?」

「――全部終わったら、何がしたい?」

 

 

 

 

 

 この瞬間を思い出すたびに、たとえ手遅れだとわかっていても、メルトリリスはこう思ってしまう。彼の問いにあの時の自分が、きちんと答えることができていたなら、自分たちが辿る結末は変わっていただろうか、と。

 もちろん全ては、過去の話だ。手を伸ばしても届かない。触れたくても触れられない。願っても叶わない。IFなど考えたところで、何の意味もない。過去とは、過ぎ去ってしまった物だからこそ、過去と呼ばれるのだから。

 だから、記憶の中のメルトリリスは、いつも悟り切った表情で、こう言うのだ。

 言うしか、ないのだ。

 

 

「――何も、ありません」 

 

 

 

 〇

 

 

 

 教会から出てきた二つの人影を、その屋根の上から見下ろしている緑色の影がある。

 影の正体は、深い森を連想させる緑色の外套を纏った、痩身の男だった。男は外套の下で、獲物を狙う鷹のように鋭い目を光らせている。

 男は二つの人影――乾巧とメルトリリスの背を見ながら、男はポケットに隠し持っていた通信機にひそひそと話しかけた。

 

「奴さんら、出てきましたけど、どうします? ここで一旦打ち止めるってのも――はあ? え、まだ尾行続けるんですかい? オレが? 一人で? 

 ……あのねぇオタク、オレだってね、まだやることがたんまり残ってるんですが? というかそもそも、オレをクソ忙しいセンチネルに雇ったのは、オタクの方じゃ――ったく、あーあーはいはい。わかりましたよ。やりゃ良いんでしょ。だからひそひそ囁くのは辞めなさいって」

 

 通信機越しの会話を終えた男は、苦み走った表情でそれをポケットにしまいこんだ。そして、どこからともなく取り出した双眼鏡で、遠く離れた場所にいる二人を眺める。右には男の姿が、左には少女の姿が映り込んでいた。

 

「……ま、これも楽しみの一つと考えちゃあ、割と上等なもんだ。精々こっちは、高見の見物を決めさせてもらいますよ。お二人さん――」

 

 男は双眼鏡を外套の中へと隠すと、教会の屋根の上に置いていた銀色のツールボックスを手に取った。見た目通りの重量を持つそれは、男が雇い主から捜索を頼まれていた物品の一つだった。中身はまだ、確かめていない――だが、その金属質な表面に記載された、特徴的な文字列を見れば、それが目当ての品だろうということは簡単に予想できた。

 

 刻印された文字は、全部で十文字の英単語だった。

 見る者が見れば、そのケースが一体何を内包しているのか、一瞬で分かるだろう。

 ――『SMART BRAIN』という、文字を見れば。

 

 

 

 

 

 

 


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