「ちぇるーん☆ 2人で旅行なんて楽しそうなこと、ちえるが聞き逃す訳ないじゃないですかー! しかも東北! 銀山温泉! 蔵王温泉! 楽しみですねぇ花子先輩!」
「……ちょ、初っ端からうるさい。文字量と顔と声と全身全てがうるさい」
「え、普通に悪口なんですけど」
ちなみに真行寺先輩は遠出をしたくないらしくお休み。ケーキは喜んで食べていた。5000円減った。
さて、テストと奨学金審査が終わり、1週間後。
旅行の予定は一通り立て、東北に2泊3日で温泉を巡ろうという話になった。俺は軽井沢などでゆったりと過ごしたかったものだが、黒江がどうにも温泉に行きたいらしく。俺にはそこまで拘りは無かったので、黒江に従う形になった。
ちなみにどうして温泉かというと、曰く「あったかいお風呂ってさ、気持ち良いんだよ」と。さもお前は知らないだろう、というドヤ顔で講釈を垂れていた。
まあそれは良いとして、今は東北に向かう新幹線の中だ。
「ところで花子先輩、温泉はちえるも好きですけど」
「あん?」
「どうしてコイツなんかと?」
ちえるが俺を指さす。
いや、別に良いじゃねえかよ。友達だぞ。というか何ならお前が部外者なんだぞ──という言葉を飲み込んで、黒江の顔を窺った。
確かに、旅行には行くつもりだったが温泉は予想外だった。
温泉旅行というと、なんだか〝ガチ感〟が出てしまう。そんなに行きたければ家族と行けば良いのだと、そう思わないことも無かった。
嬉しいけどね。
「別に良いじゃん。友達なんだし。てか何ならちえる、アンタが逆に部外者──」
「えーっ!? 花子先輩ちえるとは友達じゃなかったんですか!?」
「……ああ、わかった。うちが悪かった。来て良し」
「そうですよね友達ですよね! LINEでもあんなにコイツの話で盛り上がった仲で──」
「お前お前お前!!!!」
「電車の中ですよ花子先輩っ☆」
何やら、仲睦まじく騒いでいる。この上なく幸せな光景だ。
さて、なぜ急にちえるが参加することになったのか。
旅行の話を聞きつけてしまい、自分も行きたいと思うのは理解できる。まあ、そこに参加しようと思うかどうかは別として。
その点、ちえるはわりと弁えている側の人間だ。ましてや男女2人で行く旅行などに無粋に参加したがるような輩ではない。
では、なぜか。
驚くことに、聞いた話によると黒江が話を振ったのだとか。それもテストが終わったすぐの事だと言う。それから、昨晩ちえるが言っていた分には、「え、行く理由? 来たら悪いの? 花子先輩と2人でイチャコラしたかったの? キモ」らしい。
俺も高校生男子だし、何かハプニングを期待しないでもない。ちえるの言っていることが百間違えているとも言い難い。
──しかし、そういった思考を黒江に読まれたからこそ、なのだろうか。だとしたら、少し、少しだけだが、辛い。
辛いと思っているということは、俺はきっと黒江のことを意識しているのだろう。
テスト期間、アストルムでの合宿を経て妙に黒江の顔が頭から離れなくなってしまった。果たして、これが〝好き〟というものなのかはわからない。士条怜先輩に抱いていた気持ちとは全く別物だ。
士条先輩とは、お近づきになって楽しく話せて、それでいて名前を呼んで欲しい。そんな願望があった。俺はずっとこれを〝好き〟だと思っていた。
対して黒江に抱いている願望は、「ずっと一緒にいて欲しい」というものだけだ。世間一般的に見てこれが好きに分類されることは知っているが、士条先輩のものとは思いがかけ離れていていまいち自分の中で実感が持てないのだ。
──俺にとってこの旅行は、そんな気持ちを確かめる場でもある。
「ちょい。夜、何深刻な顔してんの」
「わひっ!?」
とある女のことを考えていると、その女から右脇腹をつつかれた。
身体が跳ね上がる。いとこが、左からバカにしたような目でこちらを見ている。
「いや、なんでもないぞ! 元気だぞ!」
なんとか平静を取り繕った。
しかし次の一手。
「そういえばさ。うちが下の名前で、『夜』って呼んでるの、気付いてた?」
──浮かべた笑みが顔に張り付く感覚。
気付いていた。もっとも、最初はちえる(風間)がいるからだと思っていた。
しかし学校でも呼ばれ始め、最初は違和感を覚える程度だったのが、しだいに頻度が多くなって意識せざるを得なくなった。
だが下手に気付いていたと公言するのもダサい気がするので、とぼけてみる。
「ああ、ちえるがいるからだろ?」
「いんや。普通に下の名前で呼んでる。夜」
「……あー、あー。ちょっと待ってくれ」
何なんだ、こいつは。
俺が意識をし始めた途端にこんなことを言ってくる。
さて、言葉に迷うがここは小粋な一発を。
「……え、何。好きなの?」
「はっ?」
──あ、ミスった。失言かましちゃったかも。
「は!?」
怒りと驚きで黒江の体全体が動く。
「違うけど!!」
「違うのかよ」
「違うんですかっ?」
「違うっつってんだろ!!!」
ちえるまで口を挟んできた。言葉の端が弾んでいるあたり、この状況が楽しいのだろう。
ちなみにちえるには俺が黒江のことが好きかもしれない、という旨は伝えてある。青春偏差値はコイツの方が高いので良き相談相手だ。
一度気になって、「黒江は俺のことどう思ってんのかな?」とちえるに聞いた。明確な答えを求めた訳では無かったが、気休め程度の答えが欲しかったのだ。しかしちえるからの返答は、「男なら直接聞けよ、キモいぞ」であった。それができるなら苦労はしない上、コイツにキモいと言われる回数が最近増えた気がする。全くもって酷い従妹を持ったものだ。タダ飯は相変わらず請求してくるし。
「まあ、それは別に良いんだけどさ。なんでそんな話を?」
「ああそうだった。危うく忘れるとこだったわ」
黒江が一息ついた。さっきの問答で体力を大分持っていかれたようだった。
「うちのこともさ、花子って呼んで良いよ」
「……え、どしたの? 本当に黒江さん?」
「あ? 黒江花子さんだっての」
「そんじゃあ、まぁ。えっと、花子さん」
「さんとかいらないから」
「……花子?」
「……うわ。改めて聞くと恥ずいなうちの名前。やっぱ無しで。黒江で良いわ」
「なんなんだよ……」
黒江は頬を赤くして、窓の方を向いてしまった。恥ずかしいならそんなことするなよ。
だがしかし、気持ちはわかる。
俺に例えば彼女ができたとして、お互いを下の名前で呼び合う流れになったとする。その時に俺は「夜って呼んでくれ」とは言えないだろう。
彼女に恥ずかしい思いをさせるだけだ。
全くもって、お互い苦労する下の名前を持った。
逆に、そんな俺たちだからこそここまで仲良くなれたのかもしれない。昔のクラス懇親会のときを思い出す。
「うちらが恋人になったら気が合いそうだよね」「まずはお友達からだろ」
確か、こんな会話があった。
そしてとある英語の授業だったか。
「黒江ってモテないの?」
「いや別に。なんで?」
「チョコ俺だけ貰ってたりしたら、他の奴に悪いなあって」
「……いやまあ、アンタだけだけどさ。んなことは思わなくていんじゃない、知んないけど」
こんな会話もあった。お友達から始めて、ここまで仲良くなるとは思ってもいなかった。
黒江の方を見る。
窓に映る顔ですら強く光る目が特徴的で、魅力的だ。
顔を褒めたことはあったか。
いやいや、無かったな。顔を褒めたら負ける感じがして、そこは触れなかった。しかし改めて自分の中で言語化してみると、これ以上に褒めようが無いくらい整っている。
──というか、『魅力的』か。
自分の中の思いですら、こんなにも
オッケーオッケー、決心がついた。
「花子」
名前を呼ぶ。
黒江が振り向く。
ふっと笑う顔を不意に綺麗だと思った。
目に集中が向くと、新幹線の音が響いて聞こえる。がたんごとん、がたんごとん。
「あん?」
深呼吸、一息。
一世一代の大勝負、噛む訳にはいかない。
「俺はさ、花子のことが好きだよ」
「────は?」
がたんごとん、がたんごとん。