【黒江花子の独白】
──付き合うって、あいつと結婚できるかってことだと思う。
刹那的な恋愛もアリだとは思うけど、何なら世の高校生はそちらの方が多いと思うけど。それは相手に迷惑をかけるだけだし、将来も考えられない恋愛にきっとうちは熱を入れられない。それぐらいうちの暮らしには「生活」が密接に関わっている。うちだけの純粋なプライベートな、2人だけの時間は毎日の暮らしの中で十分には取れないだろう。
その点で夜は絶好のパートナーになりうる。それが全ての理由ではないけど、だから好きになっている節もある。
でも、その先に夜が海外とかに行くことになって、そして、例えばだけど、例えば、死んだらとか。
そう思うと、付き合おうとか。
好き、とか。
その言葉が出てくれそうにない。
好きという気持ちはある。キスしろと言われても出来ると思う。けれどこの先一緒にいると誓えるかと言うと、どうしても心にブレーキがかかってしまうのだ。
いなくならないか、怖い。
ずっと一緒にいてほしい。
でもそれはきっと、お互いのためにならない。
だからうちは、恋愛とかきっとできない。
ちえるに来てもらったのはこのためだ。
この話を聞いてほしかった。
< 52 風間夜
| 花子先輩のこと、大切にしろよ |
☆
東北のホテルの一室で、まっすぐとこちらを見つめる風間ちえるに向き合いながら、黒江は思案する。
うちはいつからあいつのことが好きだったんだろう。
いくら頭を捻らせても〝その瞬間〟がわからない。けれど、好きと実際に言われてから、完全な恋愛対象として風間夜を見始めて、やはり昔から恋心があったのだろうと自省する。まあ、体操服を貸した前科もあり言い訳はしない。
黒江花子は風間夜が好きなのだろうと。
けれど、黒江の頭を悩ませる種はそれではなかった。
ちえるにこんな重い話をした理由は別にある。
でなければわざわざ旅行に連れてくることなどしない。ちえるの貴重な時間を貰うだけの理由が明確にある。
唾を飲み込む。静まり返った部屋に、ごきゅっ、と喉の音が響いた気がした。黒江には「ちえるは果たしてこの話を受け止めてくれるのか」という不安があった。
「ちえる。ちょっと聞きたいことがあんだけど」
何ですか? とちえるは問い返した。
あんなに最初は怒っていたのに、話を聞く姿勢は真面目そのもので、このギャップは風間夜と通じるものがある。茶化しもしない、ただ話を真剣に聞いている大きく開かれた目が、肩に重くのしかかる憑き物を払ってくれる。
でも、ごめん。
「アンタって恋愛経験ある?」
「へっ?」
ちえるが脇腹をつつかれたような顔をした。まさに予想外と言ったところか。
実の所、黒江に恋愛経験は無い。告白されたことはごまんとあるが、全て交際には至らなかった。恋愛に興味が無かった訳ではないが、アルバイトや家族の世話を考えると恋愛などしていられなかったのだ。
「いやいや。いきなりなんですか。付き合う前から付き合った後の心配ですか? いやちえるは恋愛なんてもうマスター通り越してレジェンドですけど! 答えられないこととかないですけど!」
「いやそこまで聞いてないんだけど。必死か」
ふっと笑みが零れる。トマトのように顔を赤くさせたちえるを素直に可愛いと思った。弛緩する雰囲気に安らぎを感じながら、こんな女の子に好かれている高校の先輩とやらは何て幸せ者だろうかと黒江は思う。
それはさておき、「付き合う前から付き合った後の心配か」、至極もっともな疑問である。
けれどこれは、黒江花子の本質的な恋愛観の話だ。
「その、さ。付き合うってさ」
──とくりとくりと、黒江が独白を始めた。
再び部屋が静まりかえる。
やってしまったな、と黒江は後悔を滲ませた。ついこの前まで赤の他人だったのだ。お互いどうもウマが合うとは思っていたものの、重い話をするにはそれなりの関係値が必要だ。
頼れる人間がいなかった。だからちえるに白羽の矢を立てた。けれど、仕方がない。
「いや、何でもない。忘れて──」
と、黒江が話を終わらせようとしたその時だ。
目の前のちえるが呆れた顔をしてこちらを見ていた。
いつもの大きく開かれた目は、突き刺すように鋭く細くこちらを見つめる。「は?」という
「いや舐めてんのか。……いや、じゃなくて。舐めてんですか」
そして2、3秒の沈黙の後そう言った。
仮にも相手は年上なので、最大限言葉を選ぶ一方で、やはりストレートに思いを伝えるのが良いだろうと考えた一連の思考プロセスが垣間見えた。
さらに二撃目。
「てかグダグダ言わずに付き合ったら良いんじゃないですか?」
思わず黒江は面食らう。
煮え切らない態度の黒江に、普段はこんな思い詰めた表情を欠片も見せない黒江に、ちえるは少なからず苛立ちを見せていた。
黒江はそれを自覚し不甲斐なさを感じつつ、こんな優柔不断に陥る自分自身に驚き自嘲した。
「……ごめん、うちらしくないとは思う」
「夜は良いヤツですよ、ちえるが保証します。花子先輩泣かしたらぶん殴りますし、てか絶対そんなことにはなんないですし。あいつは朝ごはんは作ってくれるし、人の好きな食べ物覚えてくれてるし、誕生日は気になってたケーキ買ってくれるし──」
「ちえる?」
「プレゼントは安物でもちゃんと人のこと考えて選んでくれるし、ちえるのちょっとした何気ない気遣いにも気付いてありがとうって言ってくれるし、両親に心配かけまいと奨学金のためにめっちゃ勉強もしてるし──」
「…………」
唐突に畳み掛けるように言葉に押される。
しかし、いつになく感情的な──と言っても、ちえるはいつもハイテンションではあるが──それでも〝素〟の部分で感情を出すちえるに、なるほど、と黒江は合点がいった。
思わず笑みが溢れる。信愛を感じる。
先程ちえるが苛立っていたように見えた理由。
あれは自分の信頼する従兄弟を、目の前の女があたかも信用できないと、そう言っているように感じたからだったのか。
まだ口が閉じそうにないちえるに心の中で詫びを入れ、こんなにもちえるに信を置かれている風間夜を改めて想う。
その後少し時間を置いて、風間ちえるの風間夜についての話は終わった。それは幼少期のストーリーまで遡られ、黒江の心にチクリと突き刺すものがあった。
それが嫉妬であると黒江が気付くのは風間夜と付き合ってからの話。
「話長かったな」
「すいませんね!! どっかのムード一つ考えらんないケチケチ男と好きって言われてるのに答え一つ出せないウジウジ女がいなかったらもっと短かったでしょうね!!」
「……や、それはごめん。悪かった」
「でも迷惑次いでに1個だけ伝えたいことがあります!!」
マシンガントークが終わり、肩で息をするちえるを宥める。
しかしちえるはそれを意に介さず続ける。でもですね、と語気を強める。
「でもですね!! ……でもですね、花子先輩。……夜は大丈夫だと思うとか、そんなことは言えないですけど。あいつもどっか危険な所に行って死ぬかもしれない可能性が無いなんて、言えませんけど」
一呼吸置く。唾を飲み込む音がする。ちえるの気迫が伝わってくる。
「それとは別に、夜は良い奴だと思いますし。……てかそういう相手をハナから求めるんじゃなくて。一緒にそんな関係をつくってけば良いんじゃないかなとか、ちえる──
ふとちえるの顔を見た。その大きな双眸に涙が溜まっていた。
ずっと耳が痛い言葉を言われて目を正面から見ることができずにいた。
ちえるはずっと、自分の中の何かが爆発するまで黒江と正面から向き合ってくれていた。
言葉を詰まらせる。ありがとう、という言葉だけでは言い尽くせない感謝がある。──黒江は衝動的に、ちえるの両肩を抱いた。涙に溢れたその顔を自分の胸に寄せた。ちえるはそこで自分が泣いていることに気付き、顔を綻ばせ無理やりに笑顔を作った。
「ありがとう、ちえる」
「いえいえ!! あいつが卑屈になってて花子先輩振るようなことがあったらほんとにぶん殴るんで連絡ください!」
「それは夜に悪いだろ」
──本当にありがとう。
改めて自分の正面にちえるの顔を持っていき、黒江は頭の中でそれを反芻する。
「ああ、そうだ」
「なんですか?」
「初めてアンタの素が見えた。うち、そっちのが好きだよ」
「ッ!?」
風間ちえるは可愛い女の子が好きと言って憚らない。
当然それには黒江花子も含まれる。ふとした時に見せる黒江の笑顔に、ちえるは毎度胸をときめかせていた。もちろん、この瞬間も。
こんな良い女に、あんなに好かれているなんて。私の幼馴染みはなんて幸せ者なんだとちえるは思う。
「……ねえ」
「はい?」
そして、これはふと、黒江が伝えるつもりもなく自然と口から出た言葉だった。
「うちアンタに会えて良かった」
「はい!?」
先程まで鋭く光っていたちえるの目が丸くなる。
してやったり。いやそんな意地の悪いことは思わないが、親友とはこういうヤツを言うのかもしれないと、ニヤついた笑いを浮かべ黒江は感慨に浸った。
ふと外を見る。ホテルに着いた時は青々としていた空が、もう月の明るさが眩しいほどの暗闇となっている。
そのままベッドに横になった。髪が崩れる。でも、きっとアイツはそんなこと気にしない。目を瞑る。無心になる。頭に顔が思い浮かぶ。2年間ずっと共にいた風間夜の顔が鮮明に映し出される。
心臓がうるさい。ああ、きっとアイツも新幹線でこんな気分だったんだ。
好きな人に好きと伝える。そのたった2文字を、目を合わせて言うだけが、こんなにハードルが高いなんて。
深呼吸をする。拍動が落ち着く。バツの悪そうにしていた新幹線での横顔を、今ではとても愛おしく思う。
──────ありがとう、夜。
☆
さて、一世一代の大勝負。
黒江はホテルのドアを開けて、風間夜の部屋に向かう。
強い口調でこちらを想ってくれる風間ちえるという存在に、黒江は勇気を貰っていた。
コンコン、とドアを叩く。
ガタガタと音がする。
ドアが開いて、男が驚いた顔をした。
「さっきはごめん。中、入れて」
そういう相手を求めない。共にひとときを過ごして、時には喧嘩して、愛し合って。
そして、一緒につくっていく。
夜と2人で、幸せな時間を。
「……いやその前にさ。てかアンタさ。ちえると仲良すぎじゃない? ねえ」
やっと次回ラスト!
ラストはとても面白く書けた、すぐ投稿します!
追記
何か上手く締まらなくて時間がかかっております…。