黒江家。
河川敷を下に構えるマンションの一室で、黒江と弟たちと母親の五人暮らしの家だ。お世辞にも裕福とは言えず、黒江も日々バイトしながら学費を稼いでいる。
そこに行くことになった。
「あれっ。母さん出かけてるわ」
「え、出歩いても大丈夫なのか?」
「最近は安定してるし。心配せんでもいいよ」
「なら良いんだけど。弟たちは?」
「今日は部活。……あ、そういえば大会とか言ってたわ。母さん見に行ってんのかも」
「……んじゃ、二人か」
「…………」
えぇ……。
急に気まずくなったんだが。
閑散とした部屋の中は、3人の弟たちが元気に過ごしていたことがよくわかる荒れ様だった。それだけに、彼ら全員がいないとなるとなかなかに寂しい風景となっている。
とりあえずゲーム──とはいかない。黒江家にそんなものは無いからだ。実際に黒江も黒江で、周りの友人達と比べて色々なものを持っていない弟たちのために苦心しているようだった。
「……あー。ちょいミスったかもね。今からでも街出る? アンタとこういうビミョーな空気になんのヤだわ」
そうするのが一番の選択なんだろう、なんてことはわかるけども。
ここで退くことは即ち、〝黒江家に行くことは魅力が無い〟ってのを黒江に暗に伝えてしまうことになる訳で。いやそんなことは全く無いんだけど。弟たちと遊ぶの楽しいし。
──あ。
「昼飯作らん? ちょっと腹減ってきたわ」
「はっ?」
「あーでも、お前弟たちの弁当作ったんだっけ……」
「いやストップ、ちょいまち。それいいじゃん。やろうよ」
「え、マジ?」
割とダメ元の提案だったんだが。
黒江が毎日弟の弁当を作ってるってのは知ってたから、むしろ懸念要素の方が大きい提案でもあったんだが。
思いの外功を奏した。
「……いや、なんでアンタが驚いてんの」
「すんなり通ったなあって……」
「や、アンタの料理の腕が見たいってのは正直あんだよね」
「……ほーう。上から目線だこと。その鼻へし折ってやんよ」
「毎日弁当作ってる人間にそれ言う? 百年早いっての」
自信たっぷりだこと。オホホ。
自炊は割とする方だ。
親が頻繁に家を空けがちだというのと──ちえるがウダウダ言ってる時にもよく飯を作ってやるから、料理の腕はそこそこある。
「で、何作るよ?」
「弟たちにもいっっぱい食わせてやりたいし……カレーとか?」
「……割と時間食うぞ?」
「まあ昼まで一時間半あるし。なんとかなるっしょ」
「んじゃ、やるか。材料は?」
「たんまりある。あんま買い物行く時間とか取れんし」
よしっ、と黒江が一呼吸入れて、ともに台所へ向かう。
すぐそばに黒江のエプロンが畳まれて置いてあった。
「……なんだそれ。ドラゴン?」
「ああ、エプロン? なんかね、弟が学校で手作りしたらしくて。うちにプレゼントしてくれたのよ。かっこよくね?」
「なるほどなー……うん、すげえかっこいいよ」
エプロンも────そういう黒江も。
なんて、口に出すとすぐ調子に乗るから言ってやらんが。
だけど、所々にほつれや縫い直しの跡が目立つあたり何年も使ってるのがすぐわかる。
「大事に使ってんだな」
「そりゃまあ。大事な弟がくれたもんだし」
そうか、と一息ついて俺もスペアのエプロンを巻く。
麗しき姉弟愛、とかいろいろとかける言葉は思いついたけど。それを言うのは野暮ってもんだろう。
言われなくても黒江は弟思いの良い姉だし、俺のような部外者が勝手にその絆を語っていいもんじゃない。
「冷蔵庫開けるぞー」
「お好きに〜。……つくづく気が回んねぇ」
「……? なんか言ったか?」
「いんや。ジャガとか人参とかテキトーに頼むわ」
「へーい」
ジャガイモ、人参、玉ねぎ、肉にカレールウ。
カレーのテンプレだけど、テンプレは万人受けするからテンプレなのだ。
……にしても、想像していた通りでもあったがキッチンが割と狭い。
黒江一人が毎日調理する分には問題ない大きさなんだろうけど、二人キッチンに立つとなると──。
「……ちょー。さっきから身体くっつけすぎじゃね?」
「思ってて口に出さなかったんだから言うなよ……」
──こうなる訳で。
エプロンをつけているといっても、側面はいつもと変わらない。
いつもと変わらないということは、隣にいるのは半袖短パンの黒江ということで。
「アンタの肌がうちの腕に当たってんだけど。なんとかならんの?」
「だから言うなって! ならん!!」
「……あのさ。そんなに意識されるとうちまで照れンだけど」
「はぁ? 意識? それこそ自意識過剰ってやつだな」
「……へぇ。生意気言うようになったじゃん。じゃも少しくっつけるわ。こっち狭いし」
……いや、こっちは割と限界なんですけども。
俺が生意気言ったのが悪かったんですかね。けど否定しない訳にもいかなくない? 意識ってつまりは告白じゃん。そんな気無いし。
不本意ながら大分不格好になってしまった人参の切れ様を見て、さっきまでの自信に溢れ啖呵を切っていた自分を殴りたくなる。
でも、ここでじゃあ役割分担してやろうとは提案できない。それは黒江の肌が密着して照れてるってのを打ち明けることと同じだからだ。
黒江もそれをわかっているようで、断固として退こうとはしない。
微妙な空気が流れていた。
同じ微妙でも、さっきまでの気まずいものとは雲泥の差がある。
「……ほい。とりあえずジャガイモ終わりー」
「俺も人参と玉ねぎ切り終わったぞ」
「さすがに下手じゃね? 五年前のうちでもそれよりクオリティ高めなんだけど」
「はーん。お前のそれも十年前の俺の方が上手く切れてんぞ」
「…………」
「…………」
うん……。
いつものように(割と無理して)軽口を叩きあったが、ふと気付いてみれば実はお互いが隣にいて。
当然、至近距離で目が合った。
「…………」
「…………」
「……なんか喋らん?」
「お顔が綺麗ですね……とか」
「……いや。今一番言っちゃダメっしょ……」
男女7秒目が合えば云々とか言うよね。
いや、俺と黒江はそういう関係ではないけども。そんな気もないけども。だけど、コイツの顔がいいのは事実だし。恋愛感情を抜きにしても意識するなと言われるのが無理な話であって。
「……とりあえず、鍋にいれません?」
「そうしよか……」
ボトボトと具材が鍋に積まれていく音を聞きながら、心臓を何とか落ち着かせる。
月曜からどんな顔してコイツに会えばいいのか皆目見当がつかん。
で、料理が終わったし次は洗い物、と言いたいところだけども。今さら二人で洗い物をする訳にもいかず、かと言って一人にやらせてもう一人を休ませるなんてのも却下。
「……洗い物はカレー食ってからね」
「そうだな……」
そんなわけで、暗黙の了解と言わんばかりに意見はまとまった。
黒江も俺もどっぷりと疲れてしまい、倒れるようにソファに沈み込む。
ソファは弟たちが3人座れるように大きなつくりになっているようで、また俺たちが密着するようなことはない。
それでも一応、保険をかける。
「……え。なんでそんな離れて座んの」
「さっきみたいになりたいか?」
「……や、たしかにそうだわ。それが正解かも」
「んで。今から何するよ」
「んー……。うち少し寝ていい? 言ったかもしれんけど睡眠不足でさ」
「あー、確かに。じゃ静かにしとくわ」
「ありがたみ~……」
……え。
数秒経たずに寝やがった。
ほんとに疲れてたんだろう。隈とかは化粧でごまかしてたけど、若干猫背になっていた体を見るに疲労が相当なもんだってことは伝わってきた。
もしこれであの時街に出ていたら──と考えると恐ろしいな。
黒江が起きないように注意して、ソファから立ち上がる。
台所には大量に食器が積まれていた。きっと朝食の分だ。どうせ洗い物も黒江が後で全部やるつもりだったんだろう。
コイツ、自分が有利になる不公平は絶対受け入れないくせに、自分がしょいこむことは厭わないタイプだから。
で、自分がどれだけ疲れてようと家族のために骨身を惜しまず働いて──多分どっかで倒れんだろう。
そうならないようにするのが友人の役目だと思うんですよね。
でも、食器棚とか収納方法とかはわかるけど、如何せん勝手にこういうのに触ったら顰蹙を買うかもしれんな。
まあその時は土下座でもして謝るしかないよね。
てことで、洗い物やりますか。ちっさいことでも助けんのが友達ってもんだし。
〇
「疲れたな……」
カレーができあがっちゃったよ。
さすがに五人分の洗い物をするのは、当たり前だけど家の俺とちえるの分をやるより骨が折れた。
いや、ていうか黒江さん。毎日これやって食事も弁当も作って勉強もしてバイトもしてんのかよ。
そりゃ疲労も溜まるってもんだ。寝る時間を削るくらいしなきゃこいつらの両立とか不可能だ。
相変わらず黒江は、起きる気配を僅かにも見せずゆっくりと寝息を立てていた。頼むからずっとそうしててほしい。俺が半分くらい担いでも絶対バチは当たらんと思う。
カレーもできあがったんだし起こそうかとも思ったけど。多分これはそっとしてた方がいいんだろう。
というか、なんなら俺も眠くなってきた。人様の家で寝るとか絶対にしないけどね。
けどまあ、少しソファに座るくらいなら──。
リアルの事情で更新ちょっと遅れます。
多分8月25日くらいまでには投稿できるかと思います。