王林道高校の校風として、〝優雅な気品〟と〝生きた外国語〟がある。
要は、高校卒業の時には高級ディナーでウェイターに気楽なオーダーができるようにしましょうね、ってことだ。
でも、そもそもこんな校風に縛られなくとも、金持ち共は親からその辺の立ち振る舞いを学んでいることが多い。後々は親の家業を継いだり、あとお偉いさんとこの息子さん娘さんと交流する機会もあるんだから当然といえば当然だ。
で、もちろん学校もそんなことは百も承知。
当初は一般学生をそういった人間に育てるための学校だったのかもしれないけど、今となってはただの金持ちが通る一つの道でしかない。
だから割と、学校が俺たち生徒を縛るようなことは無い。
あるとすれば。
「──はい。では、今日の英語の時間は男女一組で50分会話しましょう!」
……まさに、こういう手抜き感満載の授業くらいのもんだ。
王林道高校は基本男女一名ずつ均等にクラス分けされるから、ペアワークの時間はこんな感じに教師側が生徒に自由に男女ペアを組ませることが多い。
やたらと男女の組み合わせが好きなところも金持ち学校にありがちなヤツだ。巷で聞いた話では、ここで誰と組むかとかいうのも将来の戦略に関わってくるらしい。全くもってバカげた話だ。
でもだからこそ、教師の役割というのは無くなってしまう。
黒板の方を見ると、英語教師はもう既にそそくさとクラスを出ていった後だった。職務怠慢で訴えられそうなもんだけど、ここは私立校だからそこらへんの融通も利くらしい。
「この授業もう何回目だっつー話よね。いい加減ネタ無くなってきたわ」
前の席──黒江が俺に愚痴を垂れた。
「まあ、一年の頃からずっと同じペアで組んでる奴らがいるなんて学校側も考慮してないだろ」
「いやさ。別に不満はこれだけじゃないのよ。最初これって全部英語で会話するって感じだったじゃん? 今もう皆日本語バリバリだし。なんなら教師すら英語って言わなくなったし」
「……まあ、その辺は認めざるを得ないな」
「あ、それよりさ。……その、昨日はありがとね。ってかゴメンね。なんか風間に任せっきりの休日で……いやほんとゴメン」
「あー。あれくらいならな。俺料理好きだし」
昨日。日曜日の朝のことだ。
それまでいくら寝ていたとはいえ、2時寝の奴が朝早く起きて家族の朝食を作る、なんてのはさすがの黒江でも不可能だったらしい。
俺が起きたのは朝の6時だったが、黒江は横でまだ寝息を立てていた。多分疲れもまだ取れてなかったんだろう。
で。逆に俺は、急に寝る環境が変わったもんだから早く起きちまったって訳だ。寝起きはわりと最悪だった。
でもその状況下で、黒江は睡眠。家族は1時間後には恐らく朝食を食べに来る。
身体がきつかったのは間違いなかったけど、何とか鞭打って5人分の朝食を作った。
んで、弟たちと黒江の母親が朝食を食べるのを見届けて帰路に着いたってのが事の顛末。
「……つか、昨日散々謝られたじゃん。別に謝んなくて良かったんだけどさ。そう何回もネガられると、ほら、前言ってたヤツ」
「アンタもヤな気持ちになる?」
「そゆこと。まあ貸しを一つ作ったくらいに思っとけばいいんじゃね」
「……まあ、アンタがそう言うなら」
納得がいかない、と言いたげな様子で黒江は口を噤んだ。
多分自分ばっかりが俺にいろいろ世話焼かせて、逆に自分は何も与えられてない、みたいなことを思ってんだろう。
そんなことはないんだけど。
でも、コイツはその辺の義理が呆れるくらい堅いから。
「ま、そんじゃほんの気持ちばかりってことで」
「え?」
黒江がガサゴソと鞄の中を漁る。
中から出てきたのは黒い小包だった。
「……あ」
「あ?」
「今年のバレンタインって何だったっけ?」
「生チョコだったろ」
「あちゃー……。また生チョコ作っちゃったよ。いる?」
「くれるならありがたく貰うけども」
「ん。そんじゃあげる。昨日はありがとね」
「どういたしまして」
今年の2月と同じ包装。
手のひらサイズの黒い包に、多分生チョコが3つ入ってる。
確かあの時は、ちえるに1個食われて大喧嘩になった。
『え。去年までバレンタインとかご無沙汰だったくない? 毎年ちえるのあまぁ〜い市販のチョコ心待ちにしてたくない? 急に手作りとかB級映画もビックリな展開なんですけど。一個貰うね』
おい──とその手を制した時には既に遅く。
おそろしく速い手つき。俺でも見逃した。
でも、ちえるがしきりに美味しいって言うもんだから何か怒るに怒れなかったんだよな。
別に、俺が作ったもんじゃないんだけど。
「……え、なに。今食うの? いやまあ、別にいンだけど」
「いや今年の二月ね、かくかくしかじかの事がありまして」
「は? ……一応聞くけど、残りの2個はアンタが食ったんだよね?」
「あぁ、そりゃもちろん。美味かったよ」
「……まあ、ならいいんだけどさ」
ぶつくさと不平を垂れる黒江を横目に、生チョコを頬張った。
相変わらずのビターテイスト。まるでコイツの性格のよう。
でも、10年以上もちえるのクソ甘いチョコで慣らされた俺の口は、逆にこういう味の方が美味く感じるのだ。
「てか、授業中ってなんか食ってもいいの?」
「いいだろ。親交の一環でチョコ食ったって言えば授業の趣旨から外れてはない」
「……そういうの屁理屈って言うんじゃね?」
「こんな手抜き授業がまかり通ってる時点で理屈も何もありゃしないって」
「ま、確かにそうかも」
こんなダラっとした時間が流れて、一限が終わった。
建設的なものなんてどこにも無い、ただ流れていく時間を眺めるだけのような会話の数々。当然、お互い話すことが無くなって無言のまま過ごすこともある。
──それでも、なぜか黒江とはそういった時間を過ごすのが心地良い。
二限、数学。
「……風間、ちょい予習見せて。うち今日当てられる日だわ」
「家でやってこなかったのか?」
「ベクトル普通にわかんないんだよね。時間の許す限り頑張ったんだけど」
「あー……。んじゃ昼休み勉強会やるか」
「助かる〜」
三限、古文。
「……ここの現代語訳、どうすんだ?」
「家でやってこなかったの?」
「時間の許す限り頑張ったんだけどな……。俺文系向いてないのかも」
「確かにアンタ1年の頃から数学得意だったよね。なんで文系にしたの?」
「唯一の友達が文系だったからかな」
「そりゃご愁傷さま。昼休み勉強会ね」
「へーい……」
四限、日本史。
「小テスト、勝負ね」
「今って何勝何敗だっけ?」
「3勝2敗5分けでうちの勝ちじゃなかった?」
「たわけ。2勝2敗5分けだろうが」
「うわ覚えてんのかよ。きも。だったら聞くなし」
「いやお前もバッチリ覚えてんじゃねえか……」
「んで。いくつ?」
「……9点だけども。黒江は?」
「10点だけど?」
「はっ?」
目の前で小テストの答案用紙がヒラヒラと揺れ、その横に腹立たしいドヤ顔が見えた。普段仏頂面なだけに余計イラつく。
「昼休み、教えたげよっか? 9点さん」
「いやお前意外といい性格してんのな! この前の告白してきた金持ちくんもビックリだろうよ」
「え、見てたんかい。恥っず。……や。てかアンタが9とか珍しいじゃん。うちらずっと満点だったっしょ。最初以外」
「純粋な努力不足でサーセンね……」
「ありゃ……。じゃ次頑張んなよ? これからうちの出来レースなんて嫌だかんね」
「うわ。そこで気使われんの最高に屈辱なんだけど。なにそれ狙ってんの? 次は勝つからな」
「いやひねくれすぎでしょ……前も言ったけどうち〝天使〟だから。そこんとこお忘れなきよう、的な。……まあ、そんじゃ。楽しみにしとくよ。チャレンジャーくん」
〝天使〟の部分を相当に黒江は強調した。
日頃学校の女子たちに不良だとか言われてんのをそこそこ気にしてんだろう。
……まあ、言われてるのは間違いない。だからといってその女子たちが黒江を忌避してるかというと、それは違うんだけど。
それでもコイツは多分、人に優しいとか言われることは無いんだろう。じゃないと定期的にこう俺に優しいアピールをする訳がない。まあそれに関しては、荒い言葉遣いと鋭い目付きの黒江自身が悪いような気がするけど。
「……あー。その。なんだ。いつも昼休みいろいろ教えて貰ってサンキューな。そういうとこ優しいと思うし、黒江と付き合ってて良かったなって思う」
「……えなに急に。取り憑かれたの? この学校って霊地だっけ?」
────落ち着け、落ち着け。
別にこれはいつもの対応であって、俺の厚意を黒江が汲み取る必要はない。額に青筋が浮かんでも我慢しろ。コイツが無神経なことたまに言うのは今に始まったことじゃない。
「……なんて。アンタ意外といいとこあるよね。うち風間のそういうとこ好きだよ」
「はっ? ……え、取り憑かれたのか?」
「人のネタパクんないでくんない?」
「えぇ……」
ちょうどその時、ペアワークの時間が終わった。
黒江は前を向いて、俺も自分の席を正す。
この瞬間はいつも震える。いざ授業が始まると、黒江の雰囲気は思わず気圧されてしまうほどに重いからだ。授業の時間はその科目に集中できる数少ない勉強時間なのだから、当然と言えば当然かもしれないが。
昼休み。
黒江に一通り勉強を教えて貰って、逆に俺も数学をいくつか教えて、予鈴が鳴った。
黒江がトイレに行った際にスマホを取り出す。
『ちえるー。今日勉強しない?』
『え。いいけど何で?』
『持ちつ持たれつの関係ってのを続けてたいんだよな。このままじゃ置いてかれそうでさ』
『……は? 友達いなさすぎて具体的って言葉忘れちゃったの?』
『いやうるせえな! 友達いるし! てかどうなのよ』
『あー……。バレンタインの子ね。いいよ、由仁先輩も一緒でいい?』
『全然大丈夫、ありがとな』
とまあ、こんな風に勉強時間を確保して。
間違いなく黒江より勉強する余裕はあるんだから、差をつけるどころか差をつけられるなんてことがあったら黒江に合わせる顔がない。
多分黒江は、こういう面で俺と対等だから俺と仲良くしてる節もあると思う。
──なんて、こんなこと言ったら多分黒江は怒るんだろうけど。
それでも俺は、いつまでもあいつと一緒にいたいから。
誤字報告、感謝します。
今気がついたんですが、登場人物がアストルムをプレイしてるって設定忘れてましたね。まあ黒江さん多忙なんでやってないってことで〜。