前回コメントいただいた皆さん、ありがとうございます。
目の前の光景を見た時に、私の中で何かが壊れた。
止めどもなく押し寄せる悪感情。これまで、提督がいるからと蓋をしてきた思いが溢れ、身を焦がす。
例えれば嵐。
例えれば火山の噴火。
例えれば全てを覆う真っ黒な闇。
水の中に墨汁を垂らしたかのように。
どんどんどんどんと、己の心が黒く塗りつぶされていく。
憎み、恨み、怒り、嫉む。
私たちに理不尽な立場を押し付けた神に、人に。
自分が自分で無くなる、そんな感覚を意識した時だった。
どんどんと膨れ上がり、見境がなくなるほど人類を恨む己の姿に気が付いたのは。
何故、私達が、私がこんな理不尽な目に遭わなければならないのか。
人のために尽くした。憎い相手にも頭を下げた。
全ては提督の身を守るため。提督があれば後は何もいらなかった。
なのに、その提督はいない。いなくなってしまった。この世から消えてなくなった!!
憎め 憎め 憎め 憎め 憎め。私の中のもう一人の私が盛んに私をそそのかす。
「あああああアアアアアAAAAAAA!!!」
覚えているのは燃え盛る炎と、逃げ惑う艦娘達の姿に、止めどもなく溢れる人類への怒りと憎しみ。そして……、
『いいのよ、人を憎んで。提督を、艦娘を憎んで。貴方は何も悪くない』
全てを包み込むような誰かの囁き。その囁きに私は……。
⚓
『我が名はセルキー。北太平洋を司りし、一柱』
鈴が鳴るような、それでいて深淵の深さを思わせる凛とした声音が室内に響いた。
深海棲艦が言葉を喋ることはつとに知られている。だが、それはあくまでも片言で、目の前の深海棲艦のように流暢に話す存在は確認されていない。
室内に集まった艦娘達は、これまで見てきたどんな深海棲艦とも違うと、その本能から感じていた。
鬼級のように大きさを感じさせる訳でもなく。姫級のように強さを感じさせる訳でもなく。
レ級のように意外性を感じさせる訳でもない。
いるだけで、そこに存在しているのだ、と思わせる威圧感。
戦わずとも、言葉を交わさずとも。
艦娘であるならば瞬時に理解できてしてしまう。目の前の存在は真実、別格なのだと。
「セルキーですって!? スコットランドの伝承に出て来る妖精の名前じゃない」
ジャーヴィスの声音は彼女にしては珍しく驚愕に満ちていた。
どのような事象が起ころうとも、持ち前の好奇心で明るく流す普段の姿からは想像もできない。
「この霧島の頭の中には古今東西の深海棲艦のデータがありますが、セルキーなどという深海棲艦は見たことも聞いたこともありません。敢えて言えば、あの『北の魔女』に似ていますが……」
『北の魔女』こと北方水姫。かつて、北東方面へと襲来し、北の海を恐怖に陥れた深海棲艦。
太ももまで伸びたその豊かな髪は、確かに彼女を思わせる。
「北方水姫と同型艦⁉ いや、違う」
彼女の特徴である茨模様の宝冠ではなく、セルキーの額には黄金のティアラが輝いている。さらに言えば、白いマントを羽織り、その下は裸同然といった姿であった北方水姫とは違い、彼女が身に着けているのは闇を思わせる漆黒のドレス。
『一緒くたにしないでもらおうか、艦娘よ』
セルキーと名乗る深海棲艦は不満げに鼻を鳴らすと、驚愕の一言を放つ。
『あれは所詮、我が姿を模したもの。有象無象の内にしか過ぎん』
「な……」
そう呟いたきり、ジョンストンは言葉を失った。
彼女とて『北の魔女』の噂は聞いている。北方棲姫の上位種にして、北の海にて堂々と艦娘達の連合艦隊を迎え撃った強敵。その彼女が。
(う、有象無象ですって‼ りょ、量産型だというの!)
深海棲艦の中でも強いと言われるレ級に姫級や鬼級。彼女達は深海棲艦の中では別格の強さを誇る。
だが、彼女たちが最強の深海棲艦かと問われれば疑問符がつく。
季節ごとに大挙して訪れ、世界の海を混乱に陥れる彼女たちは確かに艦娘や人類にとっては脅威だ。しかし、どこへでも姿を現す彼女達にある共通項がある。
それは量産型で練度が低いということ。
有象無象の深海棲艦達よりは強いが、それでもOnly One(唯一の船)ではない。艦としての圧倒的な性能に頼り、そこに隙を見出し、艦娘達は勝利を重ねている。もし個体名があるような特別なOnly Oneが存在するならば、その戦闘力は計り知れない。セルキーと名乗る深海棲艦は自らがそうだと告げているのだ。
「如何に馬鹿げたことでも、目の前の真実からは目を背けてはならないわ、ジョンストン」
先ほどまでの饒舌さとは打って変わって、ジャーヴィスはゆっくりと己の右腕を掲げて見せた。
「艦娘でも鳥肌って立つのね、新しい発見よ。それでセルキーさん。あなたのクラスは何になるのかしら? 姫級⁉ 鬼級⁉ それとも全く別のクラス?」
体の反応とは別に、好奇心を爛々と輝かせ、英国駆逐艦は未知の深海棲艦に問う。
『姫級鬼級などと呼称する者たちはこの広い海に揺蕩う上澄みのようなもの。なればこそ戻れ、カエレル。我らは違う。我らこそが真にこの七つの海を守護する者。光すら届かぬ深海の底の底、最も深き青の七柱なり』
「ということは、貴方と同格の七つの海を冠する深海棲艦が後六体いるというの?」
『賢しき駆逐艦よ、その通りだ』
セルキーは静かに倒れ伏す金剛の前に立つと、その胸倉を掴み、ぐっと持ち上げた。
「ぐうっ!」
宙吊りにされ、金剛の口から空気が漏れる。
「こ、この! お姉さまを放せ‼ 霧島、榛名! あれを!」
すわ長姉の危機とばかりに、比叡は飛び出し、素早く二人の妹に指示を出した。
「「はい、姉さま!」」
弾かれたように飛び出した榛名が壁際のスイッチにとりついたかと思うと、続けて霧島が床に何かを投げる。
「あれは⁉ みんな、目を!」
それが何であるか気づいたジョンストンが、咄嗟に仲間に向けて叫ぶ。対深海棲艦用の小型閃光弾。アメリカで開発中のものを見たが、まさかそれが既に実用されているとは。
瞬間、眩い光が室内に満ちる中、天井から降りてくるフックから受け取ったそれを身に纏った三姉妹は、比叡の合図で砲塔をセルキーに向けた。
「主砲斉射‼ 二人とも、タイミングを合わせて‼」
「はい!」
「お任せください!」
セルキーの背後に向けて、金剛型三姉妹による僚艦突撃の集中砲火。轟音と共に、室内が揺れ、辺りに焼け焦げた臭いが充満する。
「どうだ!」
完全に隙を突いた攻撃だった。
少なくとも、いくばくかのダメージは与えられただろう。
そんな三姉妹の目論見は、
『判断としては悪くない。歓迎の祝砲としてはいささか不足だがな』
金剛を掴み上げ、微動だにしないセルキーの姿に脆くも崩れ去る。
「そ、そんな……」
榛名は己の目が信じられなかった。
金剛型戦艦の僚艦突撃と言えば、大和型、長門型と並ぶ日本艦娘が誇る一撃必殺の戦法だ。
事実、この砲撃を駆使し、彼女たちは姫級鬼級を始めとした数多の深海棲艦を屠ってきた。
それなのに、目の前の深海棲艦には傷一つ見当たらない。
「これ程とは……」
信じがたい事実に目を背けたくなりながらも、霧島は冷静に敵深海棲艦の能力を分析しようとし、眩暈が起こる気がした。これまでの深海棲艦で最も装甲が高かったのは防空棲姫。その装甲を下げるために兵糧攻めを行うほどの労力を必要とした彼女でさえ、通常の艦砲射撃でダメージを与えることはできたというのに。
迂闊に動けば即やられてしまうと、 理性と本能で足が竦む、榛名と霧島。
しかし……。
「ぐっ! まだです!!」
ならばと、比叡はセルキーへと肉薄。
「お姉さまを放せ! 放せ! 放せえええええ!!」
ゼロ距離射撃を試みようとするも、
メキメキメキッ!
砲弾を放つ前に、主砲を片手で潰され、
「うああああああ!」
さらに艤装を無理やりにはぎとられる。
「「比叡姉さま!」」
その場に崩れ落ちる比叡と重なるように、左右から挟み撃ちにしようと迫った榛名と霧島。
これに対し、セルキーは、無造作に掴んだ比叡を榛名に向かって投げつける。
「えっ!」
迫りくる比叡を受け止めようと榛名が慌てている隙に、
ガシッ!
榛名たちを追って、わずかに視線のそれた霧島の隙をつき、その主砲を潰し、比叡と同じく艤装をはぎとる。
「きゃあああああ!」
霧島の叫び声が響き、榛名がそちらに目をやった時には。
「な!」
まるで先ほどの再現とばかりに飛んでくる霧島の姿があった。
『気は済んだか?』
「……」
倒れ伏す金剛型三姉妹からは返事がない。
隙を突き、艤装を展開して攻撃したというのに、主砲を潰され、あまつさえ艤装すら破壊される。
戦艦娘としての誇りを木っ端微塵に吹き飛ばされ、諦めてはいけないと理性では理解していても、本能が負けを認めてしまっている。
それは彼女たち以外もまた然り。
「じょ、冗談きついわよ……」
ジョンストンは悪夢でも見たかのように震え、
「あたしの灰色の脳細胞でもちょっと難問」
ジャーヴィスは冷や汗を流しながら、苦笑いを浮かべた。
この場にあって、いつも通りなのは、ただ二人のみ。
「しれえのせいですよ」
江の島鎮守府の初期艦である雪風と、
「うるせえ。お前が解除コードを教えたんだろうが」
江の島鎮守府の提督である鬼頭与作。
「セルキーさんよ。そんなに金剛如きにしてやられたのが、癪に障ったのかい?」
くっくっくっくと、いつもの如く笑う与作に、ジョンストンは目を見開く。
(な、なんでそんなに平然としてられるのよ! こいつ、やば過ぎるじゃない!)
無言のセルキーに、なおも与作は畳かける。
「何で首輪を3つもつけているか。俺様はそれは金剛自身の深海棲艦化を押し止めるためだと思っていた。でも、違ったみてえだな。コナンにだって推理ミスがあるんだ。俺様がミスっても仕方がねえだろうぜ。まさか、てめえみてえなのを押し込めるために使っていたとはよ」
『…………』
「首輪はこいつを縛るための鎖だったってこと?」
「考えられないことではないわ、ジョンストン。深海棲艦は艦娘の荒魂、マイナス面。悪感情をそのエネルギーとしていると考えられている。彼女がその親玉であるなら当然欲するでしょうね。艦娘の怒りや恨み、憎しみといった感情を。金剛が自分の中にいる彼女に気づいていたのだとしたら、辻褄は合うわ」
『この島国に来た時』
くるりと振り返ったセルキーは、与作をその両目で捉えた。
『我は消耗しており、己の宿り木を探していた。そこで見つけたのがこやつだ。鎮守府一つを丸々と飲み込む業火の如き怒りと憎しみ。自ら深海への扉を開けんと欲していた。これは拾い物だとその身に憑りついたのが早計であった』
「憑りつくだと⁉」
『我らは有象無象の深海棲艦と異なり、お前たち人間が霊体と称する形となり、エネルギー消費を抑えることもできる。こやつの体内でエネルギーを補充し、目的を果たすつもりであったのだが。まさか、あのような玩具で己が憎しみを抑えるとはな』
「……みろ、デース」
それまで一言も喋らなかった金剛が突然口を開く。
『なんだと?』
「ざまあみろと言ったデース……。これ以上、誰かに利用されるなんて、御免だからネ~~」
『……』
「なぜ気づいたという顔デスネ、お馬鹿さん……。私はネ、この世界全てを憎んでも、提督だけは憎まないんだヨ! 例え深海棲艦化しようと、それは、それだけは、変わらないんだヨ‼」
無言のまま、セルキーは金剛から手を放す。ごとりと鈍い音がし、後頭部から落ちた金剛は、低いうめき声を上げ、その場に倒れた。
『これまで我をその身に宿していた礼だ』
すっと腰を落とし、セルキーは構えをとる。
その身体から発する闘気に、空気が震え、テーブルの上の食器が、激しく音を立てて揺れ、割れる。
「ね、姉さま!」
ボロボロになりながらも、縋り付こうとした比叡だったが、先ほどの敗北に手が震え、右手が上がらない。
『死を進呈しよう』
セルキーが拳を振りぬこうとした刹那。
すっと横合いから伸びた手に、その軌道を逸らされ、空を切った。
「悪いが、そいつにお仕置きするのは俺様が先なんだよ。順番待ちもできねえ深海棲艦にはお帰りいただくしかねえな」
目の前で不敵に笑う小さき者に対し、セルキーはわずかに興味をそそられた。
先ほど目の前で起こったことを理解していないのか。
艤装をつけた艦娘の必殺攻撃すらこの身には通らなかったではないか。
『できると思うのか? 人間』
彼我の戦力差も分からぬ愚か者。耳を貸す必要はない。
だが。
「さあね。とりあえず足掻くさ」
飄々と呟く男に、セルキーは口角を上げて応えた。
「信じるか、信じないかはあなた次第? そんなこと言ってられないんだよ。俺は確かに見たんだ。深海一万二千メートルの底で、奴らを!」
「表現は正確に行うべきでしょう、轟教授。あくまでも無人の探査機によるものです。映像に多少の乱れがあったり、何かと見間違うことはあります」
「それでは、黒岩博士は轟さんの意見に反対という訳ですか?」
「無論です。深海棲艦の生態はここ数年で急速に判明しています。彼らは旧海軍の潜水艦と同レベル、最大潜航深度は百メートルです。現代の米国の原子力潜水艦であるロサンゼルスクラスですら九百メートルが最大と言われています。第二次大戦時の艦を模したものが深海棲艦であるなら、到底不可能と言えるでしょう」
「米国の冒険家ヴィクター・モリスがニュートンに発表した学説をご存じないのですか。これまでの深海棲艦は深海とは名ばかりの存在ではないか、との主張を! 彼は実際に深海潜水艇ノーチラスで、水深一万一千メートルまで潜ってこれを発表したのです」
「その論文は確かに拝見しましたが、お世辞にも科学的とは言いがたいものでしたな。おまけに轟教授と同様に、掲載された写真は不鮮明なものが多く、あれではUMAを見つけたというに等しい」
「常識に当てはめて考えている場合ではありません! いると仮定して動かねば、我々人類にとって脅威となりうるのです!」
「いたずらに脅威を煽るのはどうかと思います。今現在、世界中で艦娘等が活躍してくれていますが、彼女たちにいらぬ心配をかけるだけでしょう。三流ゴシップ誌の与太記事のような発言を公共の電波で流すのは学者としての良識を疑いますな」
「ここで、一旦CMです」
「朝まで生討論~謎の深海棲艦について~」より