8月10日
なんで、こんな境遇になってしまったんだろう。深海の底から、日の当たる海へと上がってきて。目の前にいる多くの同胞と挨拶を交わした時、みんなは確かに喜んでいた。あたし自身も合衆国の一員として、また大いに頑張ろう、そう思って、やってきたのに。基地についてから提督に始めてかけられた言葉が忘れられない。
「フレッチャー級というから、フレッチャーかと思ったらハズレの妹か。運がないな。まあ、大統領に報告してやるから、少し待て。」
え?ちょっと待って。運がない?運がないってどういうこと。姉さんでなければハズレって意味が分からない。でも、提督のその言葉の意味をその後すぐあたしは知ることになる。
通信機越しの大統領はあからさまに落胆の色を浮かべていた。なぜだろう。あたし、何か悪いことをしたのだろうか。とりあえず、挨拶でもしようと気持ちを切り替える。
「Hi、あたしがフレッチャー級USS「フレッチャーだ!!」え・・!?」
目の前の大統領が突然叫び出す。事態が上手く呑み込めないあたしに対し、矢継ぎ早に彼は言葉を続ける。
「いいか、君はフレッチャーだ。反論は許さん。君の本来の名前はどうでもいい。くそっ!!どれだけの予算をつぎ込んだと思ってるんだ。なぜ、フレッチャーが来ないですり抜けるんだ。くそ、CIAの無能共め!!英国や日本からの情報では、今回フレッチャーがドロップする確率が高いと言っていたではないか!!それで来たのがフレッチャーではなくてその姉妹?ふざけるな!!」
「あの・・・」
「ああ、だからしゃべるなと言っている!モリソン提督、彼女に首輪はまだつけていないのか?」
「はい。大統領のご意向を伺ってからと思いまして。」
「早急に着けさせ、ホワイトハウスに移送させたまえ。軍の特別機を使い、人目につかぬようにするのだぞ!」
それだけ言うと、大統領は内心の苛立ちを見せつけるように荒々しく通信を切った。意味が分からない。君はフレッチャーとは。どういうことなの?そして、首輪って・・、今あたしに付けようとしている鍵型のチョーカーのこと!?
「あの、提督・・・。」
「これでよし、と。ああ、質問は受け付けられない。だが、君も俺も災難だったな。フレッチャー。」
何を言っているの、あたしは姉さんではない。
「何言ってるの、あたしはフレッチャーじゃ‥痛い!!」
違うと言おうとすると、頭の中に割れんばかりの激痛が走る・・。何これ、どういうことなのよ!
「君は今日からフレッチャーだ。我が合衆国の大統領が言うのだから、間違いはない。ホワイトハウスに君を送ったら、祝勝会とお披露目会が開催されるだろう。それまでによくフレッチャーとしての立ち居振る舞いを学んでおくように。」
「どういうこと?深海棲艦と戦うのではないの?」
「ああ。君の仕事は大統領の補佐だ。3食昼寝付きでホワイトハウスの中で過ごせる。うらやましいものだな。」
何を言っているの提督は?あたしは艦娘。深海棲艦と戦うために生まれてきた存在よ!あたしの反論に対して提督はまだわからないのかと嘲笑の目を向けた。
「だから、聖母は闘わないものだろう?安全な後方にいていいんだ。喜びこそすれ怒ることではないだろう?」
8月13日
今日は祝勝会とお披露目会。本当は昨日だったけれど、あたしを見た大統領の落胆が激しいのと、フレッチャーらしい所作を学べということで、一日の大半をその二つのことに費やした。でも姉さんらしい所作って何よ。あたしはあたしじゃいけないの?そう反論したら、頭の中に激痛が走るだけでなく、直接ゴルフクラブで叩かれた。何でこんな扱いを受けないといけないのだろう。必死になって謝って、何とか許してもらい、お披露目会に参加する。姉さんらしい格好にメイク、表情。駆逐艦の母を演じろということで、何度も立ち居振る舞いを確認させられる。あたしは何のためにここにいるのだろう。
9月2日
またいつもの夜がきた。あたしはこの時間が大好き。一日の中で唯一自分に戻れる時間だから。日が昇り、朝が来れば、あたしは姉さんに、フレッチャーにならなければならない。月日を数えるのが面倒になり、頼んで部屋の中にカレンダーを用意してもらったが、あの作戦からもう半月以上が経とうとしていることに気付き、愕然とした。そんなに経ってるなんで感じてもいなかった・・。あたしが自分の名前を告げるだけで、相変わらず頭の中に激痛が走り、全身が痺れるような状態となる。あたしという存在は何なのだろう。
9月18日
ホワイトハウスの中にあてがわれた一室で、あたしは艤装もつけず、人形のように着飾って過ごしている。毎日の仕事は朝昼晩と3食を大統領と共にすることと、一日の終わりに彼の愚痴を黙って聞くこと。人によっては、なんて楽な仕事と思うかもしれない。だが、あたしは艦娘だ。闘うことが仕事なのだ。そのあたしから闘いを取り上げられたら、どうして生きていけるのか・・。
11月16日
最近フレッチャーと呼ばれる度に作り笑いを浮かべて、愛想よく振舞おうとする自分に愕然とする。ようやく会えたアイオワは愕然としながらあたしの方を見ていた。何とか助けを呼ぼうにも、首に付けられたチョーカーが怖くてそれもできない。あの痛みを毎日受け続けていたら、頭の中がおかしくなってきた。こんなにもみんなに望まれない、名前を言っただけで怒られる存在なんて必要なんだろうか・・・。
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2月3日
久しぶりにアイオワと会う。うつむく彼女に最近の様子を尋ねると、私自身の体調を心配された。ホワイトハウスの中にいて、大統領の補佐をできるんだもの。こんなに安全なことはない。むしろ日々深海棲艦との戦いに明け暮れるみんなに申し訳がないと話したら、とたんに黙ってしまった。私としたことが、気に障ることを言ってしまったみたい。聖母失格ね。気を付けないと。
アメリカ合衆国ワシントンD.C午前3時。その日、首席補佐官であるロバートは、メインハウスにいるアルフォンソ・フォーゲルに、いち早く吉報を伝えるべく、顔を紅潮させていた。
「大統領!青い鳥を捕らえることに成功しました。」
「なんだと!それは本当か!!」
フォーゲルの喜びはひとかたならぬものがあった。深海棲艦の発生以来、米国はすることなすことが裏目に出、以前と違って世界の警察を自認することはできなくなっていた。全世界規模で起こり、軍事的緊張のあったロシアや中国といった大国も無視できないダメージを負い、人類全体で協調姿勢をとろうとしているため、表立って問題は出ていないが、かつてとは違うその立場の軽さに、歴代の大統領たちは不満を抱からざるを得なかった。フォーゲルもその一人であるが、彼にとっては合衆国の大統領になることによって、一つ大きなメリットが存在した。それは合衆国に所属する全ての艦娘を己の好きにできる、ということである。
艦娘発生後、その運用を巡って米議会は大いに揺れた。いくら知性と感情があると言っても、人間を超える能力を有する彼女たちに人間と同じ権利を認めてもよいのか、いや、せっかく、かつての軍艦の身から人としての形を持ち生まれてきたのだ、第二の人生は人として扱うべきだ。未だ各国で繰り返し論争の元になる艦娘は人か、道具かの論争であるが、ここアメリカでは前者が優勢となり、艦娘達には行動を制限される装置がつけられることになった。しかし、ここに問題がなかったという訳ではない。行動を制限する装置を使う際のルールについて、最低限他人に迷惑を及ぼさぬこと、艦娘の管理をしっかりすることのみを強調したため、このルールを自己本位に解釈したブラック提督が後を絶たなかった。良識派・艦娘派の提督たち、議員がそれを個々につぶしてはいたが、全体としては微々たるものであった。フォーゲルもそうしたルールに対してよからぬ解釈をした一人で、彼は艦娘達への保護の法律がないことを逆手にとり、己の好みとする艦娘を好きにしようと考え、実行したのである。
しかし、ここで一つの滑稽だが、極めて深刻な問題が発生した。彼本人は己のことを重度のマザコンだと思っていたが、連れられてきた空母サラトガやイントレピッドにはときめかず、アイオワやヒューストンと言った戦艦や重巡にも惹かれなかった。人間自らが固定観念でこうだと思っていたことが崩れた時ほどショックなことはない。最新の艦娘型録を用意させた彼は、自国だけでなく、他の国で似たような艦娘がいないか調べ、ついに雷ママ、夕雲ママという奇跡の二隻と出会う。
雷、夕雲。紛れもなく、日本の駆逐艦であるが、特筆すべきはその恐るべき母性である。ロリでありながらママ。二つの属性を併せ持つ彼女たちを見るにつけ、己の国にそうした存在がいないことに対してフォーゲルは焦燥感を募らせた。情報機関を動かし、第二次大戦に詳しい専門家達にも話を聞いた。そこで出てきた結論が、アメリカ駆逐艦で最も建造され、多くの後の駆逐艦の基となったフレッチャーの存在である。彼女に会えれば、己のこの心の渇きが満たされる。幾度となく作戦海域を捜索させ、費用はかさんだ。議会の場でも軍事費があまりに膨らみ過ぎる、そこまでして探すものかとつっこまれた。だが、
「それでもママは存在する!」
堂々とそう言い切った彼を多くの米国人男性が支持した。特に軍人の多くはその性癖は別にして、フレッチャーの名前に特別な感慨を持つ者が多く、できうることならばかの艦娘を仲間にしたいという思いは人一倍であった。
「ようやくか、ようやく会えるのか、マザーに!!」
支度もそこそこに、フォーゲルは大統領執務室へと急ぐ。
8か月前。ようやく出会えたと思ったフレッチャーは紛い物でしかなかった。快活な表情を浮かべてはいたが、母性のかけらもない。彼女をフレッチャーとして扱い、国民を騙し、無聊を慰めたが、満足できる筈もない。各国に諜報員を送り、エシュロンも使用して、フレッチャーに関する情報を集めさせていたところ、なんと極東の島国でフレッチャーが建造されたという。耳を疑う報告の後に提出された画像を見て、彼は心の底から欲していたものをそこに見つけた。
「これは本物のフレッチャーだ!!何としても、このフレッチャーを確保しろ!」
艦娘発生後に取り決められた「艦娘に対する条約」では、艦娘を建造、ドロップした場合、それを行った国に所有権があるとされるため、彼のしようとしていることは重大な条約違反である。しかし、それは現在艦娘でいるものが対象で、過去艦娘であった者にはそれは適用されない。フレッチャーを連れ去り、退役させ、自らの物とする、細かいことは、手に入れてしまってから考えればよい。日本政府がいくら反論しようとはねつけることは可能だ。それがフォーゲルの考える筋書きであった。
「マグダネル少将、難しい任務だったと思うが、よくやってくれた。」
執務机に着くや、モニター越しのマグダネルの労をねぎらう。やや硬い表情なのは、自分からの褒賞に期待してのことだろう。
「もちろん、君の今後については大いに期待してくれて構わない。君だけでなく、副官のハッチンソン大佐についてもだ。それで、彼女は側にいるのかね。」
「はい。おい、フレッチャーこちらに来るんだ。」
「!!!!!!!!!」
息を呑むとはまさにこのことか。モニター越しに見るフレッチャーの姿にフォーゲルは一瞬呼吸が止まるかと思った。胸の動悸は止まらず、両の目からは涙が溢れんばかり。この時をどれほど待ち焦がれていたことか。この地上のどの黄金よりも美しく輝く髪。母性の象徴たる豊かな胸。そして、その吸い込まれそうになる青い目。
「フレッチャーなのか。」
「はい。大統領閣下。フレッチャー級駆逐艦ネームシップ、フレッチャーです。お初にお目にかかります。」
「ああ。長いこと君の着任を待っていた。」
「え?私は二隻目なのではありませんか?」
純粋な目で己を見るフレッチャーにフォーゲルは首を振る。
「先だっての大規模作戦では、一隻ドロップしたのだがな。今君を見る限り、あれは別な船だったようだ。こちらの事情で君の身代わりをしてもらってね」
「私の代わり・・ですか?一体なぜそのようなことを・・・。」
「国民からの追及を逃れるためだ。すまないことをした。君が我が国に来るのであれば、彼女も解放できる。」
「分かりました。ですが、私の代わりをしたという艦娘にモニター越しでもかまいません。会わせていただけないでしょうか。これまでさぞ辛い思いをしてきたと思うのです。」
フレッチャーの言葉にフォーゲルはうんうんと頷いた。この優しさこそマザーの証。何物にも代えがたい資質ではないか。すぐさま、ロバートに言いつけ、メインハウスから、彼女を連れて来させる。
「こんにちは。私はフレッチャー級のネームシップフレッチャーです。ご用は何かしら?」
モニター越しに見る姉妹艦の変わり果てた姿を見て、フレッチャーは言葉を失った。自分と同じ格好をしていることからフレッチャー級であることは間違いない。だが、その鮮やかなストロベリーブロンドと同じ色の瞳には覚えがある。100隻以上もいた姉妹艦だ。だが、その容姿を間違える筈もない。確信をもって、フレッチャーは告げる。
「違うわ。貴方は私ではない。USSジョンストン。それが貴方の名前よ。」
「いいえ。私はフレッチャーです。ジョンストンではありません。」
壊れたラジオのように繰り返すジョンストンにフレッチャーは焦りを覚える。
「どうしたの、ジョンストン!!もう演技はしなくてよいのよ!」
「どうも、責任感の強い彼女のことだ。自らをフレッチャーだと思い込んでしまっているようだね。まあ、君が我が国に来次第、姉妹の絆を深めてくれ。」
「・・・何をしたのです、ジョンストンに・・。」
静かに怒りをにじませながら、フレッチャーは目の前の男に問いかける。
「8か月の間、君の代わりを務めてもらっただけだよ。最初の頃はあまり任務の重大性を理解してもらえなかったのでね。少し厳しくしてしまったが。」
「許せない・・・。許せない!!貴方はそれでも人間ですか!!私たちだって心があるのに、それをなぜ!!」
「マグダネル少将、彼女、首輪は?」
「はい。このリボンの下にこのようにつけております。」
「よろしい。フレッチャー少し黙りなさい。」
「うっ・・く・・こ、これは・・・。」
「すまんね。君のしている首輪はこちらの指示に従わぬと君たち艦娘に痛みを与える仕組みになっている。日本との違いだ。慣れてくれたまえ。では、マグダネル少将。いい報告だった。モニター越しで話していても、未練が募るばかりだからな。すぐにでもこちらに移送してくれたまえ。日本政府には気付かれるな。」
「ま、待ちな・・・さ・・い!」
「すまないな。マザー。だが、必要なことなのだ。愚かな子を許して欲しい。素直な貴方に会いたいだけなのだ。」
心からのフォーゲルの謝罪。かの聖母ならばきっと分かってくれる筈。そう願って通信を切ろうとした時。突然、モニター越しに聞こえてくる声があった。
「くっくっくっくっくっく。こんな下種は初めて見たぜエ。」
登場人物紹介
声の主・・・鼻くそほじほじ。スタンバイ中。
大統領・・・念願のマザーに会えて頭お花畑中。
マグダネル・地位と命、どちらが大切か言うまでもないよね!