鬼畜提督与作   作:コングK

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前回に続いてボリュームは多めだと思います。
後日談はまた次回以降に。
勢いとノリで怪盗をテーマにすると、痛い目を見ると思った次第。



第三十九話「かくてタカラは盗まれた。」

20年以上前から日本の景気は後退し、就職氷河期などと言われていたが、それが増々酷くなった原因は間違いなく深海棲艦の出現にある。

深海棲艦出現時、膨大に増え続けるその勢力の前に、世界中で人類は破れ去り、その生活圏を失い、輸出入を諸外国に頼る日本はもうだめだとマスコミはしきりに喧伝し、事実一年間での倒産件数は過去類を見ないと言われた程、多くの産業が壊滅的な打撃を受けた。

 

それでは、国民生活は混乱し、大パニックになっていたかというとそうでもない。

 

日本の災害大国としての恐るべき強さが如実に発揮され、一致団結して乗り越えようという機運が一気に高まった。地震・大火事・津波・台風・火山の噴火。様々な災害に日々見舞われてきた国民は強く、深海棲艦との戦いで物資が不足する現状も、仕方ないと我慢できる人間が多かったのである。

 

瀬故もそうした時に少年時代を送り、パンと牛乳だけの給食で飢えを満たしていた。そんな暗い世の中に救世主として現れたのが、始まりの提督とその艦娘達であり、彼らとその後の世界中の艦娘達の奮闘によって、以前に比べれば微々たるものだが、経済活動が再開された。

 

だが、若者にとっては冬の時代が続いたことに変わりはない。瀬故も学生時代の就職活動は熾烈を極め、契約社員として働いても働いても正規になることのできぬ理不尽さから、提督養成学校の門を叩いた経緯があった。

 

いったいどれだけ意識を手放していたのか。

ぼんやりとした頭で自分が眠らされたことを自覚した瀬故は、とにもかくにもクローゼットの中に隠してある耐火金庫を確認した。

金庫の中には、艦隊名が書かれた預金通帳と、余剰の資金で買い集めた株券や不動産の権利書などが保管されている。いざとなれば、それらの資産を売却し、田舎に引き籠もろうというのが、彼の算段だった。

横倒しになったクローゼットの中から、耐火金庫を取り出した彼は、扉に付けられた黒いカードを見て、大きく目を見開いた。

 

『貴方のオタカラ頂戴しました。OYZ怪盗団』

 

口惜しさに歯ぎしりする。

何のためにこれまで我慢して提督業などやってきたのか。

この理不尽な世の中でまともに生活するためではないか。

 

今の時代、公務員の志願者数はうなぎ上りだ。ところが、以前景気のよかった時代に雇った人員が目詰まりを起こし、採用人員は極端に少ない。唯一の例外が、自衛官と提督候補生で、特に後者は国防に不可欠との観点から多くの予算を回されており、立場が上の人間になればなるほど、甘い汁が吸えるようになっている。

 

「これからという時に、これからと言うときに・・・ふざけるな!!」

瀬故はカードをびりびりに破り捨てると、金庫の鍵を開け、中身を確認した。

「なんだと?」

そこには以前確認したままの通帳と有価証券の類があった。

 

あのカードがあったということは、中身は盗まれたということではないのか?

 

「まさか、これが偽物?いや、だが・・。」

 

自分が寝ていた、という事実がどうにも引っかかる。一体賊は何を盗んでいったというのか。

 

「あっ!」

 

内ポケットを探り、財布がないことに気づいて、瀬故は焦った。大した金額は入れていないが、それでも自分がこつこつと貯めてきた金を誰かに使われるのはしゃくで溜まらない。

急いでネットバンキングにログイン。

「あった・・・。」

安堵のため息を漏らし、次いで艦隊名義で作った口座の残高もきちんとあることを確認し、ふうと一息を入れた。

と・・・。

ぴっ。

突然画面の中で謎のデスクトップアクセサリが動き始めた。

「なんだ、これは。ジャージ姿の親父?」

見る人が見れば江ノ島鎮守府の某おやぢのディフォルメキャラと一目でわかるそのキャラは唐突にカウントダウンを始める。

『3、2、1、げっちゅーーー!!』

合図と共にソフトが立ち上がり、勝手に艦隊名義の口座から自動で振り込み手続きをし始めた。

「おい、ちょっとなんだこのソフト。何勝手に振込みをし始めてるんだ?バカ、やめろ。ウイルスでも食らったのか?どこに振り込むつもりだ!」

マウスやキーボードをいくらいじくっても、作業は止まない。瀬故は慌ててカスタマーセンターに電話するが、まるでつながらない。ならばと電源スイッチを押して強制的にシャットダウンしようとしたが、画面は消えず。思い余った彼はコードを思い切り引き抜くも、己のPCがノートであったことを思い出し、舌打ちした。

「くそくそくそくそ!こんな時に充電が満タンなんて!こうなったら!」

最終手段とノートPCを思い切り叩きつけようと瀬故が振りかぶったその時だった。

 

「はあい!」

「えっ!?」

 

天井にへばりついていたおやぢと目があった。

 

「だ、誰だ、お前は!!!!」

ノートPCを振りかぶったままの姿勢で固まった瀬故の前に、

「ぐっどな~いと!三下提督、ご機嫌はいかがかなあ?こいつは返すぜ、気になっちまうよなあ。財布がなけりゃ、金があるのかってよお。」

与作は華麗に降り立つと、瀬故に向かって財布を放り投げた。

「なんだと!!あ、貴様!!」

床に落ちた財布を拾うためノートPCを机に置いたのが運の尽き。

すばやく近寄った与作にノートPCを奪われる。

「どうも、他人の金を盗んでせこく荒稼ぎしている屑がいるからよお。どういう風に懲らしめてやろうかと考えてなあ。知り合いのハッカーに頼んで作ってもらったのさあ。越前くんをよ。」

これ見よがしに画面を見せつけながら、与作はにたりと笑った。

「越前くんだと?ウイルスのことか!」

「くっくっくっく。元々給料支払い用のシステムをいじくったって言ってたな。お前さんの艦隊にいた奴、今いる奴、在籍の年次ごとに適正な給料を大岡裁きで払ってくれてるすげえ代物だぜ!」

「なんだって!」

再び瀬故はPCの画面を見るや、悲鳴を上げた。いつの間にか艦娘の名前がリスト化され、それぞれに支払う金額が事細かに計算されては振り込み手続きがとられていく。

 

「や、やめろ!やめてくれ!これはうちの艦娘達のための退役後の積み立て金だぞ!」

 

その言葉を聞くと、ますます嬉しそうに黄色いジャケット着たおやぢは愉快そうに笑った。

 

「けっけっけっけ。世間知らずの艦娘と、お役所仕事の役人どもは騙せるだろうねえ、その言い訳で。いいじゃあねえか、艦娘達の金を一旦返してやって何が悪いんだ。ご不満ならこの音声をネットにでもアップして国民様のご判断でも仰ぐかい?」

ぴーっ。

『オタカラげっちゅだぜええ!』

ノートPCから聞こえてくる音声と、目の前でひらひらと振られる録音機に、怒りのあまり瀬故は

「何をしてやがるんだああああ!!」

与作に掴みかかった。

が。

「ほいっと。」

軽くいなされ、しまいには足をひっかけられてその場に前のめりに倒れた。

 

「お前~。何者だ!いや、その顔見覚えがあるぞ!貴様、江ノ島の!」

「悪いが野郎に名前を覚えられていても、寒気がするだけでな。今の俺様はファントム・アドミラルだぜえ、しょーとりとる・あどみらるさんよお!」

「ショ、ショート、なんだって!?」

「英語が分かんねえのか?それじゃあ、この短小野郎って言ってやろうかあ?」

「ふざけるな!貴様、アメリカ相手にいい気になって今度は横須賀か?何様のつもりだ!どうして俺の邪魔をする。」

 

瀬故にとってはなぜ与作が自分にこだわるのかが理解できない。アメリカの時には、自分の鎮守府にいたフレッチャーを攫おうとしたからだと言うのは分かる。だが、今回は彼と瀬故は全くの初対面だ。自分が標的に選ばれなければならない理由はなんなのか。

 

「ふん。気分だよ、気分。てめえみてえな小悪党が、将来俺様のハーレムに入るかもしれねえ連中を痛めつけているのを見ると虫唾が走ってよお。」

「は、はああ!?理解できない。な、ならこうしよう。うちの艦隊から好きな艦娘を選んで異動させる。だから、今回のこの振込み、何とかしてくれないか。」

この色ボケが。内心舌打ちしながら瀬故は提案した。

彼がこれまで取引をしてきた中にも、時折こうして艦娘を性の対象として要求してくる相手もいたが、用心深い彼はその一点だけは認めずにいた。だが、相手が提督ならば話は別だ。ケッコンカッコカリという制度もでき、艦娘を実際に娶る提督もいるという。なんら問題はない。

 

だが、瀬故が与作をもっと深く知っていたら、この提案自体が酷くナンセンスだと分かっただろう。

「ふん。随分とふざけた提案をしやがって。あそこが短小だと脳みそまで縮こまっちまうもんかねえ。お前よりミジンコの方が脳みそが詰まってるんじゃねえか?俺様相手に女をやろうなどと・・。」

 

与作は用済みとなったノートPCを放り投げると、代わりに瀬故の喉元を掴み、そのままぐいと持ち上げた。

 

「どこをどう考えたら、そんなくそみたいなアイデアが出るのかねえ?床に叩きつけて、お前の脳みそをぶちまけてみてもいいかい?」

失敗した、と瀬故は理解した。これまでの彼の人生で、ここまで明確に殺意をぶつけられたことはない。

「が、ぐぐうう!!!」

殺される。殺される。殺される!!

 

恐怖に支配され、股間の辺りが生暖かくなっている。それでも、瀬故はじたばたと死に物狂いでもがき、かみつき、何とか逃れると、内扉から隣の執務室に逃げた。とにかく目に付くソファやいすなどを倒し、バリケードにすると、執務室から内線をかける。

「面倒くさいことしやがって。まあ、いいぜえ。抵抗するのは悪党の義務みてえなもんだしなあ。」

どんどんと扉を蹴る音に受話器を持つ手が震えていた。後のことは何とか誤魔化せばいい。今はとにかくあの男をどうにかしなければ。自分は殺されてしまう!

 

「こちら第十艦隊指令室、阿賀野がお受けします。どちら様ですか?」

 

電話の向こうから聞こえたのは呑気な艦娘の声だった。こちらの修羅場も知らず、いい気なもんだ。心の中で思ったことはおくびにも出さず、瀬故は努めて冷静に話した。

「こちら第十九艦隊司令の瀬故だ。丸宮提督につないで欲しい、大至急だ。」

「え?提督さんですか?今艦隊結成7周年記念の祝賀会の15回目を行ってるんですけどぉ。」

あり得ることだった。第十艦隊の宴会好きは有名だ。だが、よりにもよってこんな日にしなくてもよいだろう。瀬故はイライラしながら阿賀野を怒鳴りつけた。

「バカなことを言ってないで、早く丸宮提督を出せ!一大事なんだ。うちの官舎が今賊の襲撃を受けている!!至急救援を願いたい!」

 

「艦娘達とは連絡がついていないのですか?」

「屋外で音信不通だ。今、賊は私の執務室に入って来ようとしているんだ。」

「あの、艦娘達と音信普通になってすぐ電話をいただいているんですか?」

「いや。部下に任せていたが、私が危なくなったから連絡している!」

阿賀野ののんびりとした応対に瀬故は焦れた。何をを当たり前の質問をしているのだと、受話器に向かって叫ぶように答えた。

「音信不通の艦娘達はどうします?」

「そんなもの、後に決まっているだろう!提督の方を優先しろ!!」

 

「・・・・。あ~あ、ざぁ~んねん。」

 

受話器の向こうから聞こえてきたのは深いため息だった。

「お、おい・・。」

阿賀野の様子がこれまでと急に変わったことに、瀬故は気付く。

「ここで艦娘を助けてくれって言ってくれる提督さんなら、阿賀野が頼んで、なんとか手加減してもらってたんだけどなぁ。」

「お、お前!?」

「阿賀野の妹を散々苦しめておいて、自分だけ助かるなんてダメよ?」

 

阿賀野という艦娘が出したとは思えぬ冷たく、ぞっとする声に瀬故は動揺し、思わず怒鳴った。

「どういうことだ!早く丸宮提督にかわれ!!」

 

「替わってやろうかあ?」

「ひっ!!」

瀬故の肩ががっしりと掴まれ、彼は思わず受話器を取り落とす。

「どうしたい?他にもお仲間の所に電話してもいいんだぜ。今回、俺様暴れたりなくてよお。」

「ど、どうやって。バリケードはそのまま・・。」

「普通に窓から入れるやな。俺様がどうやってここに侵入したと思ってんだよ。開けっ放しは不用心だねえ。」

「あわわ、た、助けてくれ。金はお前に渡す!金庫の物も持っていってくれて構わない。そうだ、私がお前の代わりに・・。」

「言いたいことは済んだかい?」

拳を握る与作に対し、机の中から拳銃を取り出そうとした瀬故は、手の甲に鋭い痛みを感じうずくまった。

「ぎゃあっ!な、なんだ・・。」

「指弾。ったくよお。何だい、てめえは。もうちっとマシな抵抗できねえのか。仕方ねえ、潰すかぁ。」

「あ・・・。」

ゆっくりと拳を振りかぶる与作に対し、瀬故はがたがたと震えていたかと思うと、ぐるりと目を回し、その場に崩れ落ちた。

 

「おいおい。なんだ、こいつのこの歯ごたえのなさは。まあいいぜ。予告通り、こいつはもらっていくからな。」

 

返事のない瀬故に一声かけると、与作はぷらぷらと揺れていた受話器をとった。

まだ、切れてないことを確認し、電話の向こうの相手に話しかける。

 

「よお。情報提供助かったぜ、キラリーン☆お姉ちゃん。」

唐突にネット上での自分のハンドルネームで呼ばれ、阿賀野は面食らったが、今この場にその名で自分を呼ぶ人間は一人しかいない。

「あっ!ファントム・アドミラル!?」

「おお。お蔭で忍び込みやすかったぜ。」

「えへへ。でもまさか、いきなり、ちょっと忍び込むから手を貸してくれ、なんてメールが来ると思ってなかったけど・・。」

「うちに来たかもかも野郎から、お前さんたちが一番頼みやすそうっ、て言われてな。」

「ふふん。阿賀野達、第十艦隊を頼るなんて、分かってるわね!まあ、阿賀野だけでも手伝ってたけど。そうそう。ファントム・アドミラルは、この後どうやって出ていくつもりなの?」

「あん?俺様達は怪盗だからなあ。普通に出ていくが。」

「うちの提督さんが、一緒に宴会はどうかって。今第十九艦隊で外にいた子達も、治療って名目で運んで誘ってるところだから、一緒に飲まない?」

「飲むかあっ!お前の所の提督は随分変わった野郎だな。」

「鬼頭・・じゃなかった、ファントム・アドミラルほどじゃないと思うけど。阿賀野もチャーハン作ったの、もちろん、エビ抜きで。食べに来てよ!」

「断る。泥棒はなれ合わん!」

「それ、確か逆の台詞じゃなかった?」

 

意外にノリのいい阿賀野に与作は機嫌をよくする。

 

「ほお。お前、分かってるじゃねえか。まあ、別な機会があれば会おうぜって伝えてくれ。後よお。屋上とかにも倒れている連中がいるんで、暇なら見に来てやってくれよ。がきんちょが多いんで風邪でも引くと恨まれるかもしれねえ。」

 

「うふふ、優しいんだね~。やっぱり。」

受話器越しに嬉しそうに話す阿賀野に、与作は呆れた声を出した。

 

「はあ?何を言っているんだ、お前は。俺様は鬼畜モンだぞ?がきんちょは俺様に祟るんだよ。」

 

                 ⚓

一体何度殴ったのだろう。

十五度。そう十五度だ!!

 

その度に秋津洲はふらふらになりながら立ち上がり、よろよろとパンチを繰り出した。

 

最新鋭軽巡と謳われる阿賀野型の中でも、満身創痍になりながら苛烈な戦地を渡り歩き、運命の坊ノ岬沖海戦まで戦い抜いた矢矧は打たれ強さには定評がある。

 

紙装甲、下手をすると駆逐艦よりも装甲が薄いと言われる秋津洲に到底勝ち目はない。

 

先ほどから涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら立ち上がってくるその姿には、一種憐れみさえ、感じさせる。

始まってから数回は相打ちの状態であったが、今や秋津洲の拳は届かず、一方的に矢矧が打ち据えている状態だった。

 

(私は何のために、こんなにも秋津洲をぼこぼこにしているのだろう。)

矢矧はふと疑問に思った。

拳を交えれば、お互いのことがもっと理解できる。心のもやもやを解消できる。

そう思って、一対一の勝負を挑んだ筈なのに。

 

「ま・・・だ・・・しょうぶは・・。」

十六度目。もはや走ることもかなわず、ふらふらと歩きながら向かってくる秋津洲に拳を突き出すだけ。ただそれだけで、よけることもできず、秋津洲はもろに顔面にくらい、ゆっくりと前のめりに倒れた。

 

「秋津洲さん!!」

 

思わず雪風が怪盗と言う立場を忘れ、叫んだ。

倒れた秋津洲はじっと動かない。

 

「勝ったの・・?」

勝っても何の感慨も浮かばない。心のもやもやもそのままだ。

 

「秋津洲、平気?」

矢矧が秋津洲を気遣い、近づいた時だった。

 

執務室の扉が開き、中から金庫をかついだ与作が現れた。

雪風がおたおたしながら説明した。

「ふぁ、ファントム・アドミラル!す、すいません。スノーウインド達は色々ありまして。」

「ふん。俺様にここまで働かせるとはいい度胸だぜ、全く。ノースアップもついていながらよお。」

「面目ない~。まあ、あたしは結構働いたでしょ。」

よいしょ、と気絶した伊勢の手を優しくはがしながら北上が答える。

「あ、貴方は!!」

 

矢矧は呆然とその場に立ち尽くした。時雨の記者会見・アメリカ大統領との息詰まるやりとり。艦娘の救世主だと噂され、今一番艦娘が着任したい鎮守府NO1と言われる、江ノ島鎮守府の提督がそこにはいた。

 

「あ、あのマシツキアさんは、矢矧さんと一騎打ちをして・・。」

雪風が説明すると、矢矧と秋津洲を交互に見比べ、与作は呟いた。

「ふん、根性はあると思ったんだがなあ。こいつは俺様の見込み違いか?」

 

ぴくり。

その瞬間、矢矧は見た。

これまで身じろぎしなかった秋津洲が唸り声を上げ、懸命に立ち上がろうとする姿を。

「な、なんで・・・。もう、いいでしょう!?」

「ぐううう・・・・・。」

拳を握り、構えらしきものをとる秋津洲に、

「どうして、そこまで・・。」

驚きを隠せず矢矧は動揺する。

一歩一歩矢矧へと近づく秋津洲に与作が面白くもなさそうに声を掛けた。

「ったく、おい、かもかも。手加減したとはいえ、俺様の一撃を避けたてめえが、そいつの攻撃如きをそこまでぼこすか喰らってんじゃねえ。」

「あ・・・。」

 

朦朧とする意識の中で、秋津洲は思い返す。偉大なる7隻と闘っても負けなかったという、江ノ島鎮守府の提督。その一撃を確かに自分は避けた。

 

すすすと突き進む秋津洲の目の前に先ほどと同じように矢矧の拳が突き出される。

(あたしは避けるのが上手い・・。)

ぼんやりとする頭で艦時代の記憶を秋津洲は思い出した。

艦時代の自分も避けるのは上手かった。

 

「うわああああ!!」

 

矢矧の拳に叫びながら突っ込む。普段には気にも留めないが、極限状態の今は、髪留めの先の錨分、体が右に引っ張られる。 

「秋津洲流戦闘航海術!!!」

大きく右に避けながら振りかぶった拳を。

「やああああ!!」

「え?」

秋津洲は思い切り、矢矧に叩きつけた。

 

頬を殴られた痛みよりも。

秋津洲が立って、自分の拳を躱したことに矢矧は驚き。

 

与作を見つめる秋津洲の様子を見て、

(ああ、そうなのか・・。)

何にこだわっていたのか、ようやく理解し、自ら膝をついた。

 

江ノ島鎮守府の提督こそが、雪風と北上の提督なのだろう。ならば、秋津洲は密かに憧れていた人に認めてもらえたということだ。

 

(そんなの、頑張るしかないじゃない・・。)

 

己と比べて何と秋津洲の羨ましいことか。だが、それも当然と言える。秋津洲にはどうしても譲れない一線があり、そのためには鎮守府から脱け出すことも厭わなかった。

瀬故がその分の経費がいらないからと呑気に構え、そのために事なきを得ていたが、他の提督ならば然るべき処罰の対象になっていた筈だ。

そこまでの覚悟を持って提督に抗った者と、提督に意見は言うものの、どうせ聞いてもらえぬと思いながら、日々を過ごしていた自分。

「そうか。私、秋津洲が羨ましかったのね・・。」

 

矢矧はようやく胸の中に抱えたもやもやを理解した。秋津洲が可哀想と同情していた自分。

けれど、秋津洲がこの艦隊から出て行った時に、それは変わったのだ。

自分にはできなかった大胆なことをした秋津洲。

その無謀さが。

その勇気が。

羨ましくて仕方なかったのだ・・・。

「勇気を出したから、そんないい結果を引き当てた。当然ね・・。」

 

ぐらぐらと揺れる身体を支えるために、壁にもたれかかるが、ずるずると崩れ落ち、矢矧は床にぺたんと尻をついてしまった。

 

「おい、行くぞ。撤収だ。いつまで経っても来ねえ、タイムレインのバカを回収に行かねえと。」

「捕まってんじゃないの?」

「ふん。あんなにしぶといやつがそう簡単にやられる訳がねえ。」

「すごい信頼ですね!タイムレインちゃんが羨ましいです!って痛い痛い!!」

「やかましい!それじゃあ、ノースアップがマシツキアを担いでくれ。え?フォーミダブル、お前、こいつを担げるのか?」

ぱたぱたと翼を振る二式大艇は秋津洲を背中に乗せると、ゆっくりと動き出した。

「本当に何でもありの高性能だな、お前。それじゃ、戻るぞ!」

与作が声を掛けた時だった。

 

「待って!」

 

最早戦意は喪失したとみていた矢矧が、突然叫んだ。

 

「何だ?こいつは返さねえぞ。うちの艦隊は人手が足りねえんだ。」

「ふふっ。羨ましい・・。一つ聞かせてください。貴方はどうして、その子に手を貸したのですか?」

「そんなの俺様が気に食わねえからよ。それだけだ。」

「まさか、そんな・・。」

 

秋津洲も同じことを言っていた。だが、本当にそれだけなのか。米国に横須賀。自分達よりも遥かに上の者達に抗うのに、その理由が、ただ、気に食わないなどと・・。戸惑う矢矧に対し、横合いから雪風が口を挟む。

 

「本当ですよ、矢矧さん!しれえは気に食わないという理由で、アメリカ大統領にもケンカを売ったんですよ!って痛い痛い!どうして、ぐりぐりするんですか!」

「だ・か・ら!!何でお前が自慢げなんだよ!」

「本当に・・・、そうなんだ・・・。」

自慢げ?否。誇らしいのだ。自分たちの提督はそこまでしてくれるのだと。

かつての戦友雪風が言うならば間違いはないだろう。

本当にたったそれだけのためにこんなことをしでかすのか・・。

何てバカで、無謀で、そして素敵な提督なんだろう・・。

矢矧は頷き、そして問うた。

 

「貴方の艦隊に入るためには、勇気以外に何が必要ですか?」

「聞きたいことが一つじゃなくて、二つじゃねえか。・・・まあいい。俺様の艦隊に入るために必要なこと?そんなもの決まってるじゃねえか。」

 

「何です?」

戦闘技能、事務処理能力。それとも一芸に秀でたことか。

だが、返ってきたのは矢矧の予想もしていない一言だった。

 

「俺様をどきどきさせるようないい女ってことよ!いい女は年中探しているからなあ!」

 

答えを聞いてきょとんとした矢矧だったが、やがてくすくすと微笑んだ。

「それは随分とハードルが高そうですね・・。」

「おうよ。呼んでもいねえのに来るのはがきんちょばっかりでな。」

与作の言葉に雪風はむーっと膨れて見せた。

「ですから、艦娘はがきんちょじゃありません!」

 

              

                   ⚓

「マルフタサンマル・・・。普段だったら、夜は長いよと言う時間・・。」

 

川内は肩で息をしながら、目の前で倒れる時雨を見やる。

ぎりぎりの勝負だった。

機関部コアを付けていなければ、確実に自分の方が負けていた。

 

「平気ですか、時雨さん・・。」

偉大なる7隻と夜戦ができると、張り切りすぎてしまったかもしれない。

尊敬する先輩の様子を、川内は純粋に心配した。

 

「うん。気を遣ってもらって悪いね。」

そう言って、時雨は跳ね起きながら川内に蹴りを見舞った。

 

「え!?まだ?」

完全に決着がついたと思っていた川内は躱すことができず、それを両手で受け止めた。

 

「やはり、さすがに速さはどうにもならないか。」

 

時雨は距離をとりながら冷静に分析する。機関部コアを身に着けている川内は素体の能力にその分強さ・速さが加算されている。元々の素体が破格であり、始まりの提督の時代から近接戦闘をみっちりと仕込まれてきた時雨だからこそぎりぎりの所で見切り、相手ができているが、本来ならばすぐに決着がついているところだ。

 

(与作だったらどうするかな。)

かつて練習艦時代の自分とまともにやり合い、あの北上ともアトランタとも闘った己の提督ならばどうするか。時雨は考えを巡らせ、そして気が付いた。

「あ・・・。」

一つだけ手があった。それは、与作の得意技でもあり、北上もできるという奥の手。

(僕にできるだろうか。)

不安はあるが、試してみるしかない。

「次で決めます!」

前かがみで構えた川内は、にらみ合った次の瞬間、仕掛けた。

 

「ここだ!」

爆発的な加速力で目の前に迫る相手に、時雨はイメージする。

限界を超えた自分。その自分が到達できる世界を。

 

かちり。その時、世界は灰色に包まれた。

 

「えっ!?」

 

ドシャアア!!

目の前にいた時雨がかき消えたと思った川内は、突如横合いから蹴りを入れられて吹っ飛んだ。

まるで戦艦に体当たりをされたかと思うほどの凄まじい一撃に、強かに体をうちつけ、自由がきかない。

(不味い!追撃が来る!!)

川内は何とか踏ん張って立ち上がろうと試みるが、ぎりぎりの所で闘っていたため、がくりとその場に膝をついてしまう。

 

顏を青ざめさせる川内に、時雨は両手を上げて見せた。

「いや、僕の方は店じまいだよ。これ以上はさすがに歳だからきつくてね。」

張りつめていた緊張感が緩み、川内は小さくため息をついた。

「何をおっしゃいますやら。機関部コア付きの私がここまでやられるなんて、あり得ないですよ。何です、今の技。」

「神速。うちの提督の得意技。潜在能力を一時的に高めるんだってさ。」

「ええっ!?提督の?人間ですよね・・。」

川内の驚きは至極当然だ。さあね、と時雨はくすくすと笑った。

 

やがて、第十九艦隊の官舎から、ぞろぞろと戻ってくる与作達の姿が見えた。

 

「僕の仲間も戻ってきたみたいだし。どうする?」

「事が済んでからじゃ仕方ないし。江ノ島鎮守府の提督のすることなら、艦娘にとって悪いことではない気がします。」

時雨の手を借りながら川内は立ち上がった。

「ですので、今晩の私はいつも通り夜戦訓練をしていたということで。」

報告の義務などどこ吹く風という川内に、時雨は呆れた声を出す。

 

「ふふ。それでいいのかい?怒られるよ。」

「バレたらそりゃ怒られるでしょうが。でも、多分大丈夫でしょうね。」

 

時雨は思い出す。ああ、このよくも悪くも前向きな考え方。

原初の川内もこうして、根拠もなく大丈夫だと語り、慎重肌の神通によく諫められていたっけ。

「久しぶりにお腹いっぱい夜戦をしたんで、ゆっくり寝れそうです。」

川内は朗らかな笑みをうかべると、時雨にウインクして見せた。

「また私と夜戦してくださいね!今度は艤装付きで!」

「やれやれ。君、本当に夜戦好きなんだねえ。」

時雨はやれやれと肩をすくめると、与作に向かって手を振った。

 

                  ⚓

与作達が立ち去った後。

 

「まさか江ノ島の提督が相手とはね。かなわないわけだ。」

伊勢がむくりと起き上がり、矢矧の隣に腰かけた。

「いつから気付いていたんです。追わないんですか?」

矢矧の口調の変化に驚きつつも、伊勢は敢えて指摘しなかった。きっと胸につかえていたわだかまりがとれたのだろう。

「止めとくよ。あの北上、只者じゃない。あたしが目を覚ましていたの、ばっちり分かってたもの。」

「偉大なる7隻の時雨といい、とんでもない鎮守府ですね・・・。秋津洲はやっていけるのかな・・。」

口に出して、それが余計な心配だと矢矧は悟る。あの姿を見れば、きっと大丈夫な筈だ。

「とりあえず、負傷者の手当てをしないとね。立てる?」

「ええ。提督はどうするんですか?」

「あのバカはしばらく放っておくよ。いい薬だ。まあ、責任をとらされるだろうけど、その時は仕方ないさ。あんたも運がなかったね。来たばかりでさ。」

 

提督は処罰され、きっと艦隊は解散することになるだろう。残念なことだが、いづれは来ることと伊勢も矢矧も覚悟はしていた。

 

「いいえ。とても貴重な経験ができました。それに、新しい目標もできましたしね。」

これまで聞いたことのない矢矧の声音に、伊勢は思わず聞き返した。

「目標?何それ。」

「いい女になるっていう・・。」

与作とのやりとりも聞いていたのだろう。吹き出す伊勢に対し、矢矧は不満そうに唇を尖らせた。

「あんた、変わってると思ったけど、本当に変わってるんだねえ。おじさん趣味?」

「そういう貴方だって、どうせ何があっても。提督を見捨てないでしょう。」

 

図星を突かれ、伊勢は苦笑する。

「最後の最後になって、何を話してるんだか。」

「ええ。もう少し早く、こうした話をしたかったですね・・。」

矢矧も合わせて笑みを浮かべた。

 

                  ⚓

 

フィアットの隣に停められたボックスカーからひょっこりとプラチナブロンドの髪が見えた。

「あっ、テートク戻ってきた!」

ぶんぶんと手を振るグレカーレを見るや、与作はボックスカーの運転席にいるアトランタに目を向けた。

「おいおい。なんでこいつ等がいるんだあ?」

「ご、ごめん。あたしが出ていこうとしたら、二人が自分達も連れて行けって騒ぐもんだからさ。」

「すいません、提督。どうしても心配になってしまいまして。」

フレッチャーが頭を下げる。

「まあまあ。アトランタんも悪気があってしたことじゃないし、グレちゃんに至っては、提督がルパンの恰好をするのになぜあたしを呼ばないのかと怒ってたもんね。わざわざ買ったボンテージスーツが無駄に・・。」

「ちょっ!北上さん!!禁止、禁止。その話は禁止!!」

「はああ?お前そんなもん買ってたのかよ。がきんちょの背伸びは大概にしとけって言ってんだろうが。」

「ほんじゃあ、せめてもの罪滅ぼしにあたしが運転するから、突入組はボックスカーで、お留守番組は提督と戻るといいよ。」

「え?北上、疲れてるんじゃないの?」

「いんや。平気平気。それじゃあ、鎮守府でねー。」

ひらひらと手を振りながら乗り込む突入組。

与作は仕方がねえかと留守番組の3人とフィアットに乗り込んだ。

「あたしは次元。」

助手席に座り、譲らないアトランタ。

「当然あたしが不二子でしょ。」

与作の却下という発言を聞き流すグレカーレ。

「それじゃあ、フレッチャーさんは五右衛門?いやいやどう見てもクラリスポジションなんだけど・・。」

「私は何でも大丈夫なんですが・・・・。」

『それでは私が五右衛門になります!!』

宣言し、ふよふよと車内に入ってきたのは江ノ島鎮守府の妖精女王(仮)。

 

「あっ。お前!!妖精通信機で散々呼んだのに、無視しやがって!何してやがったんだ。通信室での細工はいらねえって何度も呼びかけただろう。」

『えへへ。通信室から合流しようとしたんですが、途中第十艦隊の阿賀野さんに出会って、ごちそうになっていまして。ってわぷぷぷぷぷ!』

「てめえ。俺様が渋く決めたのに、自分だけ歓待を受けていただとお?。」

「仕方ないじゃないですか!精密機器をいじくるのは集中力を必要としたんですから!それにしっかり、皆さんの分までお土産にもらってきましたよ。特製チャーハンおにぎり、絶品ですよ!」

もんぷちが背負っていた袋からおにぎりを一つ取り出し、与作に手渡した。

「ほう、そうか。」

口に入れようとして、はたと与作は気付き、手を止めた。

「なあ、おい。もんぷちよ。このてっぺんの欠けているのはなんだ?」

だらだらと冷や汗を流しながらもんぷちは答えた。

『あっ、いや・・。そのう、阿賀野さんがあんまりにも美味しいというので、気になりまして・・。』

「てめえの食いかけを他人によこしてるんじゃねえ!どこまで意地汚ねえんだ!五右衛門却下!!こそどろCだ!!」

『えええ!!なんですか、そのいてもいなくてもどうでもいい役!!』

 




登場人物紹介

与作・・・・・帰りの車中ルパンごっこで盛り上がるアトランタとグレカーレを尻目に、アトランタ(長女)、フレッチャー(次女)、グレカーレ(三女)という配役もありだったなと思い返す。

アトランタ・・グレカーレに勧められ、ルパンを絶賛鑑賞中。次元は渋い。
グレカーレ・・黒歴史を北上に暴露されご機嫌斜めだったが、車内で不二子になりきり、即メンタルを回復した。
フレッチャー・盛り上がる与作達を羨ましがり、スマホでルパンを検索。クラリスのページを見付け、自分は似てませんよと照れる。
時雨・・・・・帰り道の車中、自分がヒロイン枠だったことを聞き、途端に機嫌がよくなる。
二式大艇・・・気絶したままの秋津洲に寄り添う姿はまるで母とは北上談。

阿賀野・・・・第十九艦隊の宿舎に到着し、矢矧の様子を見て一言。
「ファントム・アドミラルはとんでもないものを盗んでいっちゃった!」

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