ポケットモンスターXY~あなたへ贈る百日草~   作:黒助2号

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第11話 ゆびきり

 

 

1

 

初めて見たポケモンリーグの記憶は、今でもよく覚えている

チャンピオンリーグの防衛戦。

手に入ることが非常に困難なプレミアムチケットを、父が取引先から貰ってきた。

その父に手を引かれ、カントー地方トキワシティにあるポケモンリーグ本部『セキエイ高原』。

ドームになっているスタジアムの中へ入り、ゲートを潜って目に飛び込んできたのは鮮やかな緑の人工芝。スポットライトの光で反射されて思わず目が眩んだ。だんだん目が慣れてきて目を開けると、そこには圧倒的な熱狂があった。

 

その中心地で戦っている二人のトレーナーと二匹のポケモン。

リザードンとカメックス。

炎と水。相性的には挑戦者のリザードンの方が劣性である。だが、相性だけでは決まらない戦術と戦略の応酬があった。

リザードンは持ち前の速さで空中を飛び回り、遠距離から火炎を放ち、カメックスは堅い守りを生かした専守防衛に努めつつ、隙あらば一撃確定の『ハイドロポンプ』を撃ちだしてリザードンにプレッシャーをかけていく。

 

トレーナーは常に周囲に気を配り、戦況の把握に努め、適宜最善の指示を出していく。

 

剥き出しの才能が、技、心が、意地が――互いが激しくぶつかり合い、練磨し、昇華していく。そのバトルから感じたことは、花火の様な一瞬の美しさ。

 

子供心に鮮烈な憧れを抱いた。

その時の記憶は、今も尚色褪せることはない。

 

「父さん。僕、ポケモントレーナーになりたい。それで、チャンピオンになるんだ!」

 

父はアトリの頭を撫でて、帰りにトレーナーになるために必要な教材を黙って彼に買い与えた。帰りにはしゃぎ過ぎて眠ってしまったアトリを背負う父の背中は、不思議なほど安らいだ。

 

今思えば、この頃が一番幸せだったのだと思う。

自分自身の可能性を信じていられて、愛情を注いでくれた両親。

今では軽蔑しきっている父も、あの頃は真面目で責任感の強い尊敬できる人だった。

 

それなのに――――何故、ここまで捻じれてしまっただろう……。

 

2

 

「なんの用だ……?」

 

睫の濡れた眼を鋭く尖らせてセレナを睨み付ける。抑えた――それでいて不穏な調子が漂う声色で彼女に問いを投げかける。

 

「ごめんなさい……、盗み聞きするつもりはなかったのだけど……。心配で……」

「同情のつもりかよ。うっざ」

 

攻撃的な言葉がセレナを容赦なく打ち据える。

煮詰められた敵意と悪意をダイレクトにぶつけられ、思わず怯む。よく知っているはずの横顔は、凄惨さを増していき別人のように見えた。

吐き捨てるように言って荒っぽい足取りでセレナの横を通り過ぎようとするアトリの手を、彼女は咄嗟に掴んで引き留める。煩わしさを隠すことなく無機質な眼で睨み据えられ、セレナは思わずゾッとした。

 

「離せよ」

 

行き場のない怒りがマグマ溜まりのように、腹の底でグツグツと煮えたぎっているのを感じる。ちょっとした刺激で噴火してもおかしくない。それでも、セレナはアトリの手を離すことが出来なかった。

 

「今1人にしたら、暗いところに引き摺りこまれていきそうで……」

「はあ? は、ははは、ははははははあははははは!」

 

怒っていたアトリは軽蔑しきったように肩を竦めて笑う。セレナの背筋に悪寒が走った。明らかに情緒が不安定だ。ひょっとしたら自分が思っている以上にアトリの精神状態は追い詰められているのかもしれない。

 

「同情のつもりかよ、ふざけんなッ!!」

 

顔を醜く歪めて、恐ろしい声でセレナを詰った。追い詰められて、見境を無くした言葉の暴力は留まる事を知らず、加速していく。

 

「温かい所でぬくぬく暮らして、自分のやりたいことを自由にやれる奴はいいよなァ! こっちは逃げられないんだよ! テメエらみたいにやってたら、生活やっていけないんだよ!! それなのに何でみんなして寄って集って突き回すんだよ!? ぬるま湯の中にいる甘ちゃんがこっちに来るな!! 放っておけよ、消え失せろ!!」

 

憤怒、僻み、嫉妬。フラダリとの会話でつけられた僅かな傷から、必死に押さえつけていた醜い感情が理性を食い破って溢れ出てきて止まらない。

違う。セレナのせいじゃない。セレナは何も悪くないのに……!

 

「お前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだ!!」

 

感情のコントロールがまったく効かない。

砕けた心で放つ論旨は最早めちゃくちゃだった。

 

「お前さえ、お前さえ……いなければ!」

 

やめてくれ。こんな酷い事、言いたくない!

傷つけたくないのに、相手を傷つける言葉が止まらない。

 

「こんな気持ち思い出すことはなかったのにッ!!」

 

火花が飛び散った。

数瞬遅れて張られた頬が熱を帯びる。

殴られた。その事実を認識するのに更に数秒を要した。

当然だ。これだけ好き勝手相手を罵って、傷つけて相手が怒らない方が異常だ。

頭は既に冷えていた。それと同時に自分の発した言葉の酷さを自覚する。

後悔しても、もう取り返しがつかない。壊れたものはもう、元には戻らない。

 

『カサフタにならない傷はいつか必ず膿んでくる』――ホントだよな……。なんで、何もかもこうも上手くいかないんだろう……。

 

「もうさあ……、いいだろ? オレはもうダメなんだよ……。こんなクソくだらねー奴に構ってないで先に進めよ……頼むから……」

 

腹の底に沈殿していた猛毒をすべて吐き出したアトリはやがて精魂尽き果てたのか、力なく木にもたれかけた。

これ以上、傷つきたくない。傷つけたくない。疲れた……。何も、考えたくない。

何も見たくない。何も聞きたくない。眼を閉じて耳を塞いで、すべてをシャットアウトした直後だった。抱きすくめられて心地のいい温かさが伝わってきた。

腕のぬくもりと、涙の熱さ。そして自身に向けられている感情が怒りではないことがアトリを困惑させる。

 

「ずっと、溜め込んでいたのね……」

 

囁く声が耳を打つ。

荒い息が続き、唇が震える。焦点の定まっていない目は虚空を仰ぎ見ている。

やがて、落ち着きを取り戻したアトリの顔から険しさが引いていった。

後に残ったのはドロドロで塞いでいた胸にぽっかり空いた大きな風穴。その中に温かい湯が流し込まれていくのを感じた。かじかんでいた心に温もりが分け与えられていくように。軋る心に頑なに縛り付けられた鎖が、少しずつ、少しずつ――解きほぐれていく。

ポツリ、ポツリと少しずつ話し始めた。

 

「……ずっと……辛くて……、けど、弱いところ、見せられなくて……」

 

誰かに頼ることはできなかった。父の様なロクデナシにならないために、強くならなければならなかったから。

追うべき責任から逃げることはできない。そのためには、自分の力だけで現状をどうにかしなければならないと、ずっと思っていた。

 

「それでも……諦められ、なくて……。才能ないのに……」

 

自分の一番得意なことで成功して、すべて取り戻すつもりだった。

だが、才能の塊のような人間に、積み重ねた自信ごと木端微塵に砕かれて、自分が井の中の蛙だったことを思い知らされた。

 

「絶対、失敗……、できないから……、オレがなんとかしないと……」

「それであなたが潰れたら元も子もないでしょ」

 

諭すように、優しい口調でセレナは言う。

 

「一人で頑張り過ぎ。少しは周りを頼ってよ……」

 

何かを成し遂げるために、一人で無理することは時と場合によって必要だ。しかし、無茶することを普通にしてしまったら必ず亀裂が走る。その亀裂はいつしか必ず崩壊へと繋がっていくだろう。

 

「きっとプラターヌ博士だって、あなたの可能性を縛りたくてやったわけじゃない。あなたにもっと自由に生きてほしかっただと思う」

 

母は夢を追うように促してくれて。

プラターヌ博士は自分の夢と生活に必要な経験を積める仕事を用意してくれて。

セレナはこんなに酷いことを言った自分に優しくしてくれた。

今更になっていろんな人の優しさが見えてくる。

 

「…………ゴメ、………オレ、セレナに…………沢山、酷いこと……」

 

まるで溺れる者のようにセレナの体にしがみついて咽び泣いた。

 

「本当にバカ……。こんなボロボロになるまでやせ我慢しないでよ……」

 

3

 

鼻を啜って、泣き腫らした眼を強引に拭う。気づけば日は傾いており、時刻は4時を過ぎていた。マイナスの衝動を全て吐き出して、受け止めてもらえた為、心の負担は驚くほど軽くなった。

 

 

「オレには才能がない……」

「ペラップみたいに繰り返し言っていたわね、それ」

 

頭の中をスッキリさせたくて、空を見上げて大きく息を吸い込む。心なしかいつもより呼吸がしやすくなったような気がする。

 

「昔は自分の可能性信じていられたんだけどな、世の中には『天才』なんて言葉が生ぬるいほどの怪物がいるって、思い知らされて……」

「…………」

 

セレナは何も言わずにアトリの横顔を見つめて、黙って聞いている。

ややあってアトリは低い声で言葉を紡いだ。

 

「本当に強かったよ。勝てる気がしなかった……」

 

肩を竦めて力なく笑う。

 

「越えるべき壁が大きいことは、喜ばしいだと思うわ」

「そうだな。けど、オレは――、」

 

一拍おいて眼を閉じた。内省すると、あれだけ複雑に砕けていた心情の尻尾が、拍子抜けするほどあっさりと掴めた。

 

「――オレは怖くなった……。ポケモンリーグにひしめく強豪達はみんなあれぐらいの才能の上に努力してる。そんな中に飛び込んでいくには、覚悟がいるんだ」

 

何ということはない。

アトリは、覚悟より恐怖が勝った。家庭の事情が絡まって複雑になっていただけで、結局のところ、それだけの話だったのだ。

 

「オレが失敗すれば、家族が路頭に迷う。借金生活の中で、唯一手放さずに済んだ。けどもし失敗すれば今度こそ、こいつらが路頭に迷う」

 

自分の限界を悟り、引退したトレーナーが自身の手持ちすら養えなくなって、手放してしまうというのは、よくある話だ。アトリやセレナもそうならないとは、誰にも断言できない。

 

「だから、自分を騙して確実な方法で養おうと、思った。それが『逃げ』だってことに気づかないふりして……」

 

アトリはずっと勘違いをしていた。

彼の負うべき責任とは、――家族を守ることだったのだ。父の残した借金を返済することは、責任を果たす為の手段でしかなかったというのに、いつの間にか手段が目的へと変わってしまっていた。借金を返すのに、人の手を借りることは恥だ。しかし、家族を守る為に人の手を借りる事は、決して恥などではない。

アトリは結局、つまらないプライドに固執して、自分で自分を追い詰めていただけなのだ。

 

確かに、こんな様じゃあ周りから見たら危なっかしくて仕方ねーよな……。

 

「それでも、それで終わりじゃないでしょ?」

 

そう言うとセレナは拳を高く、高く突き上げて声を張り上げた。

 

「『才能も、環境もカンケーねえ! 壊れない壁を前に言い訳を探してる暇があったらオレはそれを突破するために突き進む! ダメでも倒れるときは前のめりだ!』」

「誰の言葉だ?」

「昔のあなたの言葉よ」

 

驚いたようにセレナを見た。自分でも忘れていた過去の自分の無責任な言葉。

自分には必要ないと思って千切って捨てた気持ちをセレナは後生大事に拾い集めてくれていたのだ。思わず

 

「何も知らないガキが、偉そうにほざいていたか……」

 

広げた掌を静かに握る。

腕。足。膝。全身から力が漲ってくる。

 

「けど、今のオレよりずっとかマシだな」

 

瞳の奥に小さな、それでいてはっきりした篝火が灯った。

そうだ。そうだった。昔のオレはどうしようもなく馬鹿で、身の程知らずで、恐れを知らなかった。怖さを知ったアトリには、子供のころの様な向こう見ずな強さはもうない。それでも――『家族を守る』という、この小さくて重い責任を背負って突き進む強さは必要だ。

 

ぐだぐだ言い訳して一歩を踏み出せない者は、一生かけても何も変えられない。

 

「これからどうするの?」

「そうだな……」

 

しかし、アトリを取り巻く現状は何も変わっていない。稼がなくては、家族が路頭に迷う。

借金返済とは別問題としても、このカロス地方で暮らしていく為には、当面の生活費は必要だ。

 

「とりあえず、目標預金額500万!」

 

口に出して言うことで、自分の向かうべき方向を明確化させた。

500万円あれば、母と家のサイホーンの当面の生活は成り立つ。勿論、一時しのぎに過ぎないことはわかっている。母の収入も計算に入れて、3年といったところであろう。

だが、アトリが全力で走るための期間は出来る。自分とポケモン達だけなら、切り詰めれば何とかなる。3年全力で走って何ともならないのなら、プロとしてはやっていけない。

その時は潔く諦める。

捨てるのではなく、背負って走る。きっと、それが今、フワ・アトリという人間に必要な『強さ』なのだ。

 

「セレナ、先に行って待っていてくれ。オレは必ず後で追いつく」

 

セレナは何かを察したように、静かに頷いた。

 

「……チャンピオンになって待ってるから。だからアトリも絶対に追ってきて。私のライバルとして、不甲斐ないことしたら、承知しないから」

 

「約束」と言ってセレナは小指を差し出す。アトリは少し照れくさそうにしながら、自分の小指を差出して、固く引き結んだ。

 

「ところでセレナ、一つ言っておきたいことがある」

「なに?」

「デカカァァァァァいッ! 説明不要!!」

 

言うだけ言ってスッキリしたアトリだが、セレナには何のことかわからない。

視線を自身の胸部に落としてから、ボン! と赤面した。唇を『へ』の字に引き結んで、プルプルと体を震わしている。

 

「このセクハラ野郎!」

 

真っ赤にして突き飛ばそうとするより先に、アトリはさっさと逃げを打つ。

 

まず、自分の力量の小ささを認めよう。

その上で、少しずつでいい。自分に出来ることから、始めていこう。

 

頑張れ。頑張れオレ……。

 

きっとこれがオレのはじめの一歩だ。

いつだって止まった時間を動かすのは、前に進もうと足掻く意志なのだから。

 

 

 

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