1
爽やかな朝を楽しむには爽やかな寝起きが必要だ。朝の寝起きとは一日を始めるためには重要な意味を成す。シンオウに『一年の計は元旦にあり』という言葉があるが、まったくもってその通りだと感心する。物事は総じて出だしが肝心だ。目覚ましで起きて、モーニングコーヒーを飲んで今日一日の計画を立てる。それがオレのルーチンで、一日がいい日になるという自分独自のジンクスでもある。
何が言いたいのだこの野郎だって? オーケーブラザー説明しよう。
必要なのは目覚ましによる自主的な目覚めであって、決して外部からたたき起こされることではない。まして自分のポケモンに生爪を剥がされそうになる激痛に目覚めることなど、あってはならな――「あ、痛い痛い! 待ってムックル! 起きるからオレの爪剥がしにかかるのマジやめて!!」
2
「はよ」
「おはようアトリ。ずいぶん遅かったのね」
「母よ、短針が6時をまわっていない時間を一般的には遅いとは言わないと思うんだ……」
不機嫌な態度を隠す気なしに暖かいコーヒー片手に自分の席に座る。
「って待てムックル。それはオレのコーヒーだ。」
飲もうとするところを割り込んでくるムックルを一睨みするがこの鳥はまったくそんなこと意に介さず嘴を突っ込んでいたコップから顔を上げて「なんで怒ってるの」というように首を傾げている。
「まったく……、しょうがない奴だな」
そういってコーヒーをムックルに譲り、トースターで焼けたパンにジャムを塗り、大口を開けて放り込もうとした次の瞬間――手からオレの朝飯が消えた。
「ロコーン! お前それオレの朝飯!! 最後の一枚だったのに!!」
オレの朝飯を横取りしたお稲荷様はそんなの関係ねえ! と言わんばかりにマイペースに食パンを頬張っている。さらに深い溜息をついた。
「仕方ない、サラダでも――ってメリィィィさぁぁぁん!? そこでおいしそうにムシャムシャ食っていらっしゃるそのサラダはもしかしなくてもオレのサラダじゃあーりませんかァァァ!?」
ムシャムシャと無表情でサラダを平らげる電気羊に頭を掻き毟った。っていうかお前ら揃いも揃ってなんで人の朝飯を……。
「あらあら、みんな元気いっぱいね」
「待って! オレの朝飯は? オレはいったい何を食ったらいいの!?」
「そうねえ」
母さんはしばらく考え込んでから、台所へ向かい何かを持ってきた
「はい、これ」
手渡されたのはカンパンだった。しかも賞味期限は一ヵ月前に切れている。
「………………オレの扱い悪くね?」
カンパンを一口齧って一言。ぼそぼそした食感が口の中の水分を根こそぎ奪っていく。
「マズッ……」
「ああ、そうそう。テレビつけて。今日はプラターヌさんがゲストとしてでるみたいよ」
「へいへい」
不味いカンパンを飲み込みながらテレビの電源をつける。
『ようこそ。ポケットモンスターの世界へ。私の名はプラターヌ。俗にポケモン博士と呼ばれているよ。この世界にはポケットモンスター。縮めてポケモンが沢山いる。
ポケモンは不思議な生き物でね。私たちはそんなポケモン達と助け合い共存している』
テレビの中の青いシャツの上に白衣を纏った服装に顎にはオシャレひげが生えている軽そうなワカメに苛立ちを募らせる。溜息をついた後、立ち上がる。
「あら、どこいくの?」
「サイホーンの顔見に行くんだよ」
「…………そう」
少しの逡巡。おそらくオレの心境を見破られたのだろう。
振り向けばきっと母さんは悲しい顔をしているだろう。
オレは罪悪感から逃げるように扉を閉じて外に出ていった。
「ガキだな、オレは……」
母さんに気を遣わせてしまった。本当はオレだってわかっている。
あの人に感謝こそすれ、恨む筋合いなど全くない。お門違いもいいところだ。
これはあくまでオレが勝手な感傷が引き起こしたこと。だが、『間違っているから』というだけで簡単に割り切れるほど、精神的に熟達していなかった。
自嘲気味なつぶやきにいつの間にかついてきていたロコンはクゥーンと鳴く。心配そうな顔で見上げてくる円らな瞳に頑なだった心が少しだけほぐれた。
「ごめんな、ロコン。大丈夫、オレはきっと大丈夫」
微笑を浮かべロコンの頭をそっと撫でる。
別にプラターヌ自身には非はない。
決して嫌っているわけでもない。あの人には本当に良くしてもらった。
昔は長期の休みのたびに一緒に遊んでくれた。だが、やはりあの人を見るたびにヤツの顔がチラついてしまう。オレがもう少し大人なら、あの人と上手く折り合いがつけられるのだろうか。そんな思考を振り払い、ロコンを頭にのせてから足を進める。
「サイホーン、起きてるか?」
サイホーンレースのために母が手塩にかけて育てたサイホーン。
生まれた時から一緒の母の唯一の手持ちポケモン。訓練中に幾度も振り落されたことも今となってはいい思い出だ。
あの日、アイツの所為で母さんは多くのものを失った。サイホーンレースのサイホーンを育てるための厩舎。多くのサイホーンたち。サイホーンレース発展の為のありとあらゆる夢。
…………許さない。母さんを泣かせ、生き甲斐を奪ったあいつをオレは絶対に許せない。
金で奪われたものは、金で奪い返す。そのためには、金が必要だ。
そうして母さんは自分の夢を叶えられる。
「明日のためのその1。先ずは働け!」
人間は働かないと腐る。
まずは手近なとこからコツコツと。近くのショップでアルバイト募集を探してみるかな。
マネーとはパワーなのである!
3
10時を回った頃、隣の家への挨拶に向かおうと引っ越し際に整頓された手土産を取り出していたところ、呼び出しのチャイムが鳴った。
「アトリ、でてくれるー?」
「へーい」
ムックル用の止まり木を組み終わり、ロコンの部屋に移ろうとしていたオレは作業の手を止めて玄関へ向かう。階段を降りる際にロコンに後ろから飛び掛かられ、ポケウッドの一流スタントマンも顔負けの階段落ちを披露したのはここだけの話だ。
玄関を開けると、色黒でツインテールの活発そうな女の子が輝くような笑顔で出迎えてくれた。
「こんにちは、はじめましてー♪ サナでーす」
「え? あ、はじめまして」
突然の来客に訳のわからないまま条件反射で差し出された手を握りブンブンと振り回される。カロス地方にも突撃! 隣の晩御飯があったのだろうか。
「えーっと、あなた達は?」
「サナでーす! よろしくね♪」
「あ、いや。そういう意味じゃなくて」
「こっちはあなたのお隣さんのセレナでーす♪」
紹介された少女を見て一目で恋に落ちたのかと錯覚するほどに胸が高鳴った。
背はアトリより少し高い。日に透けると金色にも見える栗色のウェーブの髪をポニーテールにしてチラリと見える白い項は妙な艶がある。カロスでは珍しくない碧い目はキリッとしており、可愛いというよりも美人と評する方が相応しいだろう。
そして、ついうっかりと自己主張の激しい胸部に視線を注いでしまい、慌てて目を逸らす。
その容貌は冴えない風貌のアトリからすると近寄ってすみません、と言ってしまいそうな神々しさすら感じる。
美人だ。美人の上に超をつけてもいいくらいの美人だ。
「急に訪ねてごめんなさい。アトリ、あたし達プラターヌ博士の指示で、あなたを迎えに来たの」
「えっと……、すみません、話が見えないのですが……」
「え? 博士から聞いてないの?」
「なにをですか?」
「え?」
「え?」
「…………」
「…………」
状況が今一つ飲み込めず困惑していると、ホロキャスターに着信が入った。
間が持たなくなっていたオレは逃避も兼ねてホロキャスターに注意を向ける。
「すみません、いいですか?」
「どうぞ」
「ロコン、お客様の相手を頼む」
わかった! といわんばかりに尻尾をピンとたてたロコンは外面の愛想を振り撒き始めた。
セレナとサナと名乗った少女達がロコンを物珍しそうに見入っているのを確認して、少し離れた場所でホロキャスターを取り出す。
発信者の名前は――プラターヌ博士。
《やー、アトリ。ようこそ、カロス地方へ。歓迎するよ》
エキゾチックなラテン系音楽がテーマソングに似合いそうな男はそう言って陽気に笑った。
「…………どうも。その節は色々お世話になりました」
《なんだい、随分他人行儀じゃないかアトリ。昔みたいにもっと砕けた口調で接してくれてもいいんだよ?》
「いえ、分を弁えていますので。それよりも博士、家に博士の使いを名乗る方がいらしているのですが」
《そうそう、そのことで連絡したんだよ。君に頼みたいことがあるんだ》
「頼みたいこと?」
《詳しい概要は隣のメイスイタウンで話すけどね、君の好きなポケモンの絡む儲け話さ》
「…………承知しました。それではまた折り返し連絡をさせていただきますので、よろしくお願いいたします」
ホロキャスターをオフにしてセレナさん達の所へ戻る。
「話はつながったかしら?」
「うん。頼みたいことがあって、詳しい概要は隣のメイスイタウンで話すってことでいいのかな?」
「メイスイタウンはあっちのアサメの小道を道なりに進んだところにあるよー!」
サナの指さした方向には大きな門があり、そこから一本道が伸びている。
「遠い?」
「すぐ近くよ。大体10分くらいで着くわ」
それならすぐ済むか?
ロコンは一緒に来る気満々だから連れていくとして、ムックルとメリープを連れていくまでもないか。
「ええ。それじゃあ行きましょう。…………、あ。そうだ、言い忘れていたわ」
そう言うとセレナさんは振り返り、顔を覗き込んでくる。
「アサメタウンにようこそ! 今日からは隣同士、よろしくね」
「そうなんだ。それじゃ改めまして……はじめまして、フワ・アトリです。これからよろしくお願いしますね」
「よろしくねー♪」
にこやかな表情を心がけて右手を差し出す。サナさんの方はすぐに握手に応じてくれたが、セレナさんは先ほどまでの友好的な態度は何処へ行ったのか、顔を引き攣らせて一向に手をとる気配はない。
「…………はじめ、まして? 今、貴方私に『はじめまして』って言った…………?」
そこで初めてオレは彼女の異変に気付いた。
セレナは不機嫌そうに肩を震わせ、何かブツブツと呪詛を唱えるように何か呟いている。
オレは彼女に何か粗相を働いたのだろうか?
「…………、そうね。はじめまして、お隣さん……ッ!」
やけに険のある口調で応じられても反応に困るんだが……。内心困惑しながらどうにか握手に応じてもらえたので、少しだけホッとする。
近所付き合いは大切なので、ここで人間関係を拗らせるのは得策ではない。
よりよい隣人関係を構築するためには、まずは第一印象が大事。子供のオレの対応一つでそこまで深刻なことにはならないとは思うが、何が原因でご近所トラブルになるかわからない以上、対応に用心はしておかないと。
「挨拶も済んだし、はやく隣町に行こっ! もう待ちきれないよ」
「あ、ああ。そうだね」
とりあえずセレナさんに対するリカバリは後でするとして、今は叔父さんの用事が先だ。
以前世話になっていることがある以上、よっぽど無茶ぶりされない限りはここで借りを返しておくのも悪くない。
「ロコン、とりあえずこの中入ろうか」
頭によじ登ってきたロコンをモンスターボールに戻してアサメの小道へと向かった。
はてさて、叔父さんから何を申し渡されることやら……。