1
「いいか、お前にオレ達の命を預ける」
作戦を告げた新しいトレーナーはおれにそう言った。
「ビビりで、逃げ腰で、ヘタレ。お前は致命的なまでに荒事に向いていない」
こいつはおれに喧嘩を売っているのだろうか。
「だが、そのお前の臆病さをオレは買う。恐怖に敏感だってことは逆に言えば慎重だってことだ。そんなお前だからこそオレ達が派手に暴れている間にデッドラインを見極めて暗躍することが出来ると思っている」
今までのは別に怖いから逃げたいとかそういうのではなく、ただ気乗りしなかっただけだ。
そんなケロマツの心の内を察したかは定かではないが、アトリは言葉を続ける。
「逃げるのは自由だ。けど、その場合、オレはお前を見捨てる。仲間を見捨てて逃げるような奴をオレはオレの手持ちに加える気はない」
別にいいさ。おれはまだあんたを主人と認めたわけじゃない。
おれの隠れた才能を見抜けないボンクラにおれも着いて行く気はない。
「だが、怖さに耐えて役割を全う出来るなら――」
アトリはケロマツの眼を真っ直ぐに見据えた。
「約束する。どんなことがあってもオレはお前を見捨てない」
一拍おいて告げたその言葉は恐ろしく真摯にケロマツの心に響いた。
本当におれに任せるのか?
本当に、こんなおれに……?
怖くて怖くて怖くてバトルの度に逃げ回ってきた。
勝ちたい。でも怖い。
その度にトレーナーとなる人間からは見捨てられ、期待されることなどなかった。
おれは負けてない。
おれが本気出せばだれよりも強いんだ。
おれの力を見抜けないトレーナーがヘボなんだ。
惨めな気持ちに蓋をして。態度だけは尊大に振る舞い。
自分以外の誰かの所為にして、今まで逃げ続けてきた。
その度に惨めな気持ちは肥大して、それを誤魔化す為だけにまたハリボテのプライドを主張する。そんなことを繰り返すうちにいつしか信頼されないことが当たり前になっていた。
だけど、本当はそんなの嫌だった。
いつだって負けたくなくて、信頼されたくて――
でも、情けない自分を認めるのが嫌で――
「この役割はお前にしか果たせない。もし失敗してもオレがどんな手を使ってもケツを持ってやる。それがオレのトレーナーとしての役割だからな」
だから気負わずに行け。そう言ってアトリは拳をケロマツに向ける。自分が震えていることを知られてしまうことが恥ずかしくてリアクションを返せずにいた。
自分を信じてすべてを任せてくれるトレーナーなんて、これまで一人だっていなかった。
そこまで内省を経てケロマツは初めて自分の気持ちに気づく。
おれだって本当は――――
2
「来るぞ、6時の方向! 伏せろ!」
背後から迫っていたイシツブテの体がロコンの上を通過して大きく体勢を崩す。息をつく間もなく、間髪入れず指示が飛んだ。
「正面! 風下だ、粉系の技が来るぞ!」
「させない、『挑発』!」
アブソルがロコンをフォローするように前に立ち、補助技封じが決まる。直後アブソルが伏せ、出来た隙間から『弾ける炎』を飛ばしてナゾノクサを倒す。それとほぼ同時にセレナのアブソルもイシツブテを蹴散らした。
「数でたたみ込め!」
「生かして帰すな!」
手持ちポケモンを倒されたフレア団員達は更にポケモンを繰り出しロコンとアブソルにけしかける。
「数が多すぎる!」
数を頼りに波状攻撃を仕掛けてくる大勢のポケモン達を前にアトリとセレナは回避を主体にバトルを組み立てざるない。
ロコンに『熱風』を覚えさせていれば一網打尽に出来ただろうが、生憎アトリのロコンは数の暴力に有効な技が使えない。唯一使える広範囲攻撃と言えば『弾ける炎』くらいだが、しょぼい火が周囲に飛び散るだけで効果は薄いだろう。その上先程の『オーバーヒート』の反動でロコンの腹の炉の機能が一時的に落ちている。そしてセレナのアブソルも1対1の立ち合いに特化したポケモンであり、耐久が高い方ではない。本領である先読みと状況判断で補ってはいるが、一つ間違えれば挽回不可能な劣勢を強いられるだろう。
だが、今はこれでいい。と、アトリは思う。
元々多勢に無勢。劣勢のところに強引に勝機を作り出すのだ。
辛抱がいる。
「クソ、ちょこまかと!」
「そんなトロ臭い攻撃に当たるほど軟な鍛え方はしてないんで、な!」
手を振りかざすと同時に『弾ける炎』が正面にいるナゾノクサを捉え、間隙を縫ってロコンを狙ってきたミツハニーを『不意打ち』で仕留める。
「何してるの! 相手は二人なんだから囲みなさい!」
アケビの激が飛びフレア団員達は拙い動きでアトリとセレナを取り囲もうと動き始めた。
包囲は徐々に範囲を絞り始め、波状攻撃はロコンとアブソルに届き始める。
一撃一撃の威力は対してことはなくとも、蓄積すればそれほど打たれ強くない2匹はやがて力尽きるだろう。そうなればアトリたちに抵抗する術はない。
人間がポケモンに勝てる道理はないのだから。
蟀谷を一度だけ叩く。
『日照り』のタイムリミットまであと一分を切った。頃合いだろう。
「ロコン、退路を確保!」
二度目の『オーバーヒート』を放つ。一度目よりやや威力が落ちたが、それでも尚勢いよく燃え盛る炎はほぼタメなしで撃った所為で狙いが甘い。だが、当てることが目的ではない。射線上の敵が退避した一瞬をアトリは見逃さなった。
「ちょ――!? 何するのよエッチ!」
「暴れるな、落ちるぞ!」
セレナを抱きかかえて中央突破し、ロコンとアブソルもそれに続く。
「戦略的撤退ッ!」
傲慢ともいえるほどの自信を見せていた男が見せる清々しい程見事な逃げっぷりにフレア団員達は一瞬唖然とした。
「何をボーっとしてるの! さっさと追いなさい!」
言われるまでもない。あの生意気な小僧には大人の怖さを教え込んでやらなければならない。
散々アトリに見下され憤然としていたフレア団員達はすぐさま手持ちポケモン達を刺客として放った。
「絶対に捕まえて! アイツらが外に逃げてアタシたちのことが公になれば――アタシ達全員あの女狐に殺される!」
お気楽なアケビの顔色が変わっていたことに部下達は誰も気づいていなかった。
3
「ちょっと逃げてどうするの! あと少し、あと少しなのに……ッ!! 戻って! 戻りなさい!!」
「戦略的撤退だっつってんだろ。あのままやりあっても負け確定だろうがッ」
「それは……そうだけど……」
アトリの言うこともわかる。わかるのだがもう少しで弱ったポケモン達を助けてやれるところに来て出直しというのは、もどかしくてたまらない。
「この場はオレに任せろ。ルール無用の場外乱闘は得意分野だ。奴らは一人残らずぶちのめす。そんでもって誘拐されたポケモン達は絶対にトレーナー達の元に返す。絶対に、だ」
決意に満ちた横顔にセレナは何も言えなくなった。
そうだ。細かい経緯は知らないが、アトリだってここに乗り込んできた以上、奪われたポケモン達を助けたいに決まっている。
そしてなによりフワ・アトリは自分が実力を認めたライバルなのだ。
その彼が『任せろ』と言った。
ならば自分のするべきことは一つ。彼を信じて力を貸すことだ。
「ところでさっきから柔らかいものが肩にあたってるんだが、オレへのご褒美?」
アトリお得意の軽口にセレナは不意に自分の今の状況を自覚した。
横抱き。俗に言うお姫様抱っこというものである。
その上余計な体力の消耗を抑えるためか、抱擁の様な形になっており、アトリとセレナの体が密着している状態にある。
そのため胸がアトリの肩に思いっきり当たっているのだ。
「~~~~~~~~~!?!?」
かぁっと頬が熱くなった。鼻の下が伸びきっただらしない顔は、先程の真面目な顔との落差が激しすぎる。
「貴方はいつもいつもどうして余計な一言がついてくるのよ!!」
「暴れるな、落ちるだろうが!」
羞恥と怒りを発散するようにアトリに連続でチョップを見舞う。
バランスを崩さないようにアトリはセレナを抱く力を更に強く込めた。
「へ、変なところ触らないでよ! 自分で走るから降ろして!」
「お前足遅いだろうが。捕まっちまうぞ!」
「う~~~~っ! 変態! 変態! 変態!」
「ヘイへイ、もうお好きなように!」
目の前で繰り広げられる痴話喧嘩にロコンとアブソルが盛大な溜息をついたが、すぐさま後方から気配を感じ取った。
「おいでなすった」
無数の威嚇の声と共にフレア団員が放ったポケモン達がアトリとセレナを猛追してくる。
それに少し遅れてフレア団員達が続いてきた。
「待て、逃げるなゴラァ!」
「悔しかったら捕まえてみろ。まあ悪趣味スーツに頭に赤いウ○コ乗っけてるセンスのかけらもない奴に捕まるような間抜けではないけどな!」
ドスの利いた声で追ってくるフレア団員達を尚挑発するように捨て台詞という名の罵詈雑言を吐きながらアトリは自慢の快速を遺憾なく発揮する。
「ところで、その赤いウ○コって血便? いい肛門科紹介してやろうか!?」
スタイリッシュにきめた赤スーツ。
炎をモチーフとした髪型。
ハイセンスを自負している彼らはその二つを下品な揶揄を受けた上に、大人を敬わない著しくモラルに欠ける言動に益々激怒した。
「何処までもコケにしやがって! 殺してやる!」
「貴重な酸素が勿体ないので腐ったハラワタで息しないで頂けませんか~?」
本気で殺意を向けてくるフレア団員達相手にそれでもアトリはゲス顔をキラキラさせて言い放つ。セレナはアトリにチョップを食らわせた。
「何をする?」
「逃げてるのに何で煽るのよ!?」
「逃げてない。これは戦略的撤退だ。それより口を閉じていろ。舌噛むぞ!」
アトリの言葉に嫌な予感を覚えた。
そっと進行方向を伺い見ると視線の先は行き止まりになっていてこれ以上進みようがない。
それでもアトリは減速する様子を見せない。
「ウィー・キャ~ン……!」
アトリが自身に満ちた笑みを浮かべているのを見て予感が徐々に確信に変わっていく。
セレナの血の気が引いた。この先は正確には行き止まりではない。
通ろうと思えば通れるのだ。ただまともな神経を持ち合わせた人間ならばやらない。思いついたとしても絶対に実行には移さない。そう、『普通』ならば。
残念なことにセレナはアトリが自身の運動能力の高さに物を言わせて色々やらかしてきた事を知っている。そして何よりも決定的なのは彼がバカであるということだ。
幼い頃から時が流れていて普段は理知的な言動をしているのを度々見てきたのだが、感情が昂ぶったときのはっちゃけぶりをセレナは自分の眼で度々目撃してきた。ということは、
気づけばアトリは勢いのままに手すりに足をかけていた。
吹き抜けになっている下に見えるのは恐らくこの工場で最も広いと思われる踊場だろう。
「待って、ここ二階―――!!」
「フラァイゴォォォォォォォォォォォォォンッッッ!!!!!」
「い、や、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
空中に躍り出て落下していく中、セレナはアトリに力一杯しがみついた。コンクリートの床までの高さ目測約5メートル。落下までの時間は1秒にも満たない。
その1秒の中でセレナの脳裏に走馬灯が浮かぶ。アトリを信じて任せたことを早くも後悔していた。
「ケロマツ!」
アトリの指示を受け階下で隠れて待機していたケロマツが胸と背中から出ている泡を落下地点に広げて着地の衝撃を殺す。
「よーし、受け身はバッチグーッ! 流石オレ!」
「お前達どこから――!?」
「勿論上からァッ!」
入り口で待ち伏せていたフレア団員達のポケモンをロコンとアブソルが倒し、トレーナーに延髄斬りをかまして沈黙させる。
「ケロマツ、準備は?」
サムズアップで応えたケロマツから引っ張り出してきた工場の火災防止用の放水ポンプを受け取る。
「やっぱりな。廃工場なら絶対にあると思った。……って、おーい、セレナ?」
落下のショックからトランス状態に陥っているセレナは反応を示さない。
アトリは無茶をさせ過ぎたか、と反省しつつ、どうするべきか思案する。
相手が男ならば気付けとして頬を張るくらいはするだろうが、セレナは女の子だ。
気付けの為とはいえ女性に暴力を振るうのは自他ともに認める紳士であるアトリのやることではない。
そう判断してセレナを復活させるための魔法の呪文を唱えた。
「スカートめくれてる」
「――――ッ!?」
慌てて隠すも時すでに遅し。思わぬ眼福にご満悦のアトリは柏手を打って拝んでいた。
「黒のアンダースコートか。定番だが――嫌いではない!」
「変ッッッ態!!!!!! こんな時に信っじられない! 馬鹿じゃないの!? バカバカバカバカッ!!」
「よーっし、ここで迎え撃つぞー」
「しれっと流した!? ――ってどういうこと?」
「言ったろ? 『奴らは一人残らずぶちのめす』ってな」
そう言って先程の放水ポンプを見せた。
「何をするつもり?」
「酷い事」
アトリの言葉の意味が分からず説明を求めようとするもそんな時間はなかった。
『いたぞ、あそこだ!』
怒号と共に迫ってくるフレア団員とポケモン達に身構えようとするがアトリはそれを制する。ポンプの口を向けるとケロマツにアイコンタクトを送る。ケロマツはポンプのコックを開き放水を開始する。
高水圧で噴出する水の勢いに負けてフレア団員達とそのポケモン達は恐慌状態に陥が、長い間整備していなかった所為か、水の勢いはすぐに弱くなり、すぐに何もでなくなった。
「き、さま! よくも我々自慢のおしゃれスーツを……!」
「覚悟は出来てるんだろうな」
「1つ聞いてもいいか?」
「ああ!?」
怒り心頭のフレア団員達に冷たく腹に響く声で言う。
「お前たちは人からポケモンを奪うとき何を考えている? 何故そんな酷いことが平然とできる?」
「知るか! 俺たちがハッピーになれれば他のトレーナーやポケモンがどうなってもどうでもいいんだよ!」
「最っ低!」
吐き捨てるようにいうセレナの肩をアトリは掴み押しのけた。
普段のおちゃらけたアトリとは全く別の横顔。思わず息を呑んだ。
敵意と悪意。
3か月前に自分に向けられたもの以上の憤怒の瞳は真っ直ぐにフレア団員達に向けられていた。
「そうか……。それがお前らの理屈なら、それが自分達に跳ね返ってきても文句はないな」
「なに?」
「反撃の手段がないとでも思ったか? お前らは既に一網打尽だ。……水は電気をよく通す」
多勢に無勢。数で圧倒するだけの有利な条件は最早消え失せている。
投げかけた問いに対する回答を言い終わるのを待たずにアトリはロコン、ケロマツをボールに戻しモココを繰り出した。
ずぶ濡れのところに電気タイプ。
水を向けられてこれから自分達の辿る末路を察した。察してしまった。
「オレの生徒を泣かせた利息はきっちり払ってもらうぞ」
「待っ――、降参――!!」
「……お前達はここで終われ」
蟀谷を叩く。それが合図とばかりに電光が廃工場内に閃いた。