ポケットモンスターXY~あなたへ贈る百日草~   作:黒助2号

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第29話 逆転

 

 

 

1

 

青白い光がアケビの眼を眩ませる。耳を劈くのは一瞬のスパークの音。

恐る恐る目を開いたとき飛び込んできた光景はまさに地獄絵図であった。

刺客として放った部下と部下のポケモン達が意識を失い痙攣しながら泡を吹き失神していた。

 

「いえーい」

 

上手く相手を陥れたザマミロ感を噛み締めモココの尻尾とハイタッチする。

 

個々のレベルでは相手にならなかったが、数で押し込めばやがて疲弊する。あれほど自信を見せていたトレーナーがプライドに固執せずあっさり撤退したことには面喰ったが、それを単なる『敗走』と判断して何の疑いもなく追撃した。

状況が示していたのはあのトレーナー達の敗北。

確信した勝利をひっくり返された。それはアケビにとって大きな衝撃だった。

 

派手に暴れたのは策を用意させる為までの時間稼ぎと陽動。

傲慢な言動と敗走しても尚続けられた挑発はこの場に誘い込むためのもの。

あのトレーナーは最初から自分達を一網打尽にするつもりで、ここまで誘い込んだのだ。

 

真っ当なポケモントレーナーとしての矜持を持つものなら禁じ手中の禁じ手としているトレーナーへの直接攻撃を行った。

 

恐ろしい。あの歳でなんという狡猾さ。そして何よりも人を害することへの躊躇いがない。

アケビにはわかる。あの少年は自分達と同類。奪う側の人間だ。

アトリは蔑みを込めた鋭い視線をアケビに投げつけた。

 

「さて、檻の鍵を出してもらおうか」

 

手持ちのモココを擁して抑揚のない声で迫ってくる。冷たい汗が背中を伝う。

 

「アハハ……。無理。そんなことしたらアタシが上に殺され――ガッ」

 

胸ぐらを掴む。ものすごい力で締め上げられて息が出来ない。

地上で溺れて我武者羅にもがくが、拘束を解くことは叶わなかった。

 

「いつお前の事情なんか聞いた? 勝手に死ねよ。オレには関係ない」

 

アトリは淡々と語る。その眼差しと声色にはいつもある体温が一切感じられない。彼の背後にいたセレナにすら感じられる程の強烈な圧迫感に固唾を飲んだ。

 

「別に檻をぶち壊してもいいけどよ、中のポケモン達に余計な不安を与えたくない。分かるよな? つか、分かれ」

 

掴まれた力が少しだけ緩む。せき止められていた酸素を取り込む為、過剰な呼吸音と咳き込みが工場内に反響する。

 

「何マジになってんのさ。ポケモンなんていなくなったらまた新しいの捕まえればいいだけの話でしょ! そんなのでこっちが殺されるなんて冗談じゃない!」

「……価値観の相違だな。お前たちが奪ったものは奪われた奴にとってなくてはならない存在だ。分からなくてもいいさ。オレもお前らみたいなクズに理解できるとは思ってない」

「なんでアタシだけ悪く言うの? アタシだって不幸だもん!」

 

アケビの言い分を知らねえよ。と吐き捨てた。

 

「被害者ぶるな、加害者。お前らの事情なんて知ったこっちゃないと言っただろう。オレはお前らがうちの生徒から奪ったポケモンを取り返す為だけにここにいる。わかるか? 努力してやっと捕まえて、大事にしているポケモンを奪って、……お前らがあの子を泣かせたんだよ。お前らがッ!!」

 

「うるさいうるさいうるさい!  アンタの生徒が泣いてる? ポケモンが可哀そう? どうでもいいわよ! そんなことよりアタシはアタシがよければいいの!」

 

『そんなことより金を持ってないか? 働いてるんだから、少しくらい都合がつくだろう?』

そんなことより――

そんなことより――

ソンナコトヨリ――

 

嗚呼……。この女はアイツと同類だ。他人の痛みや苦しみに対して共感を覚えない。

自己中心的で無責任。一番嫌いなタイプの人間だ。

 

「もういい……。喋るな……ッ!」

 

更に締め上げて口を封じる。この女の理屈はこれ以上聞くに堪えない

拳を握った。

 

「鍵はお前の顔面を潰した後、勝手に持っていくから――くたばれ」

 

拳を振り上げる。アケビはアトリの腕に爪をたてるが、物凄い力で掴まれビクともしない。

傷つけることへの罪悪感はない。ただ、ドス黒い喜びが心の中を巣食っていた。

自覚がない悪意に満ちた笑みが顔に浮かぶ。

拳を振り下ろそうとした直後だった。アトリの腕をセレナが抑えていた。

 

「離せ」

「離さない。……もう十分でしょ。これ以上はやり過ぎよ」

 

セレナの言葉をアトリは鼻で笑った。

 

「こいつ等みたいな人間は反省しない。反省しないやつは改心もしねえ。そうしてまた罪のない人から理不尽に奪うんだ。こいつ等みたいなやつがいるから――!」

 

理不尽にすべてを壊される悔しさはよく知っている。

オレがそうだった。無条件に信じていた希望に満ちた未来は、木っ端微塵に打ち砕かれた絶望は筆舌に尽くしがたい。これ以上、奪われてたまるか。

 

「そうだとしても、あなたのやっていることは間違っている。今のアトリは大義名分で自分のしようとしていることを正当化しているだけよ」

 

真っ直ぐに自身を糾弾の言葉が投げられる。にも関わらず不思議とアトリの心が不快に騒めくことはなかった。アトリは堅く目を閉じて彼女の言葉を反芻する。

 

「お願いだからやめて。私にあなたを、軽蔑させないで……」

 

身を焼く様な怒りが鎮火されていくような感覚を覚えた。

セレナの言うことは正しい。その『正しさ』が間違っていることを心の何処かで自覚しているアトリには心地よかった。

 

「その言い方は反則だ」

 

拳を解き、吊り上げていたアケビを降ろす。

 

「………………、オレは……他の誰に嫌われても、お前にだけは嫌われたくない……」

 

2

 

「悪い、モココ。心配をかけた」

 

アケビを筆頭に気を失っているフレア団員達を拘束した後、心配そうにアトリを見ていたモココをそっと撫でる。

 

「セレナも。悪かった……」

 

よかった。いつものアトリだ。

 

罰の悪そうな笑みを浮かべるアトリを見て、セレナは安堵した。

さっきのアトリは本当に怖かった。

普段ノリが軽すぎて『バカ』と揶揄されることの多い彼は時々別人のように激しい感情を露わにする。

アトリは気性の荒いところがあるものの、その本質は非常に繊細であることを最近知った。

故に自分を追い詰めて、何かの拍子に道を踏み外してしまいそうな危うさがある。

何が彼のスイッチになっているのかは大体想像がついたが、迂闊に踏み込むことは憚られた。

 

「警察に連絡するわよ」

「頼む。オレはこっちに来ている仲間に連絡をいれる。――モココ、こいつらが少しでも妙な動きを見せたら電撃をお見舞いしてやれ」

「そう言えばあなたどうしてここにいるの?」

「ちょいと賞金稼ぎの真似事を。こいつら捕まえたらなんと賞金200万! フワ家の稼ぎ頭としたら黙っているわけにはいかねえな」

「フラダリラボからのスポンサーの申し入れがあったから、もう無理にお金を稼ぐ必要はないんじゃ――」

 

ちっちっちっ、と人差し指を左右に振る。セレナはイラッとした。

 

「それはそれ。これはこれ。借金問題を別にしてもオレはお金が大好きなのです」

「…………金の亡者」

「金の亡者など存在しません。いつだって金を必要とするのは明日を生きようとする人だけなのです」

 

悟りきった表情で名言っぽいことを言う拝金主義の申し子に閉口する他なかった。

そのとき――何かを察知したセレナのアブソルはいななきを上げた。

 

――危ない!

 

頭の芯から響く声にアトリは僅かな頭痛を覚える。

 

直後。有無を言わせぬ攻撃がアトリに迫る。正体不明の乱入者の攻撃を両腕で受け止めた。

アトリのホロキャスターが地面に落ちる。

そこにいた誰もが予想もしていなかった。危機察知能力に優れたアブソルがいなければ最初の一撃で意識を飛ばされていたであろう。防げたのはまぐれに近い。

 

「いっ――てぇ……ッ!」

 

ガードの上から衝撃が突き抜けてきた。

蹴りを受けた腕が痺れる。セレナのアブソルが黒いライダースーツに攻撃を仕掛ける。ライダースーツは続けてセレナのホロキャスターを破壊。身を翻し、拘束していたアケビの隣に着地。抱えながら間合いをとった。

 

「セレナ……、あいつ……」

「ええ。少なくとも味方ではないみたい――」

「仮面トレーナージョーカーみたいで超カッコいいッ!!」

 

無言でアトリにチョップを叩き込む。

ライダースーツを見る目が子供のように輝いている。そういえば彼は昔から特撮ヒーローが大好きだった。

 

「おしいゾ。モデルは仮面トレーナーブラックだゾ」

「誰だ!」

「あそこ!」

 

セレナが指差した方向には赤いスーツと赤い髪の恰幅はいいが顔色は悪い男がいた。

服装からして赤スーツの仲間であることは容易に想像できる。彼が投げたモンスターボールから飛び出してきたゴルバットがアケビの拘束を解いた。

 

「失態だゾ、アケビ」

「クセロシキ!? なんでここに!」

「ボスの命令だゾ。ミアレシティでの作戦は中止。ここは放棄するゾ。お前は即座に撤収。証拠になりそうなものは既に破壊済みだゾ」

 

あからさまな不愉快を示す舌打ちが工場内に響いた。

 

「堂々と撤退の相談なんかしやがって。逃がすと思ってんのか!?」

 

正気に戻ったアトリが一歩前に出る。

 

「家の家計とオレの心の平穏の為にお前は今ここで潰す」

 

クセロシキと呼ばれた男は鼻で笑った。

 

「…………、ならば仕方ないゾ。――――エスプリ、始末するゾ」

「やれモココ! 10万ボルト!」

 

クセロシキが指を鳴らす。黒いライダースーツ――エスプリとモココが動いたのはほぼ同時だった。10万ボルトを巧みに躱しトレーナーであるアトリとセレナを目掛けて駆けてきた。

アトリは迎え撃つため腰を低く構える。あの強烈な蹴りを何度も受けては腕が壊れてしまう。

 

それなら――!

 

突っ込んできたエスプリの両腕を封じ、正面から組み合った。

細い腕だ。その上、小柄だ。

普通ならそんな体格の相手に肉体派であり、キレてる筋肉が自慢のアトリが力負けすることはあり得ない。そう、普通なら。

 

「なら、そのスーツにカラクリがあると見たッ!」

 

押して駄目なら引いてみろ。

力押しが通用しないと判断するや否や直ぐ様組んだままエスプリの下に潜り込み、腿の辺りを下から蹴りあげる。

 

「おらよッ!」

 

気勢と同時に巴投げが決まり、エスプリは空中を舞う。

 

「モココ!!」

 

指示が来ると予想していたモココは即座に応じてエスプリに電撃を飛ばした。空中に投げ出されたエスプリに避ける手段はない。

迫る電撃を前にエスプリは空中で回転。モーションの小さいアクロバティックな動きで電撃を躱していく。

 

着地と同時に加速。

アトリに頬に拳を叩き込んだ。

吹き飛ばされたが、受け身はとれた。追撃がこないうちに立ち上がり、モココ共々エスプリと間合いをとる。

口の中に鉄の味が広がっていく。

殴り飛ばされた拍子に切ったのだろう。

唾液と一緒に吐き捨てた。

 

「ほう? トレーナー強化機能を完備しているエスプリと渡り合えるとは……。お前なかなか面白いゾ」

「ウルセー、見物料とるぞゴラァ!」

「惜しい。実に惜しいゾ。敵でなければ同じ仮面トレーナーファン同士、話があったかもしれない。……今からでも遅くないゾ。フレア団に入る気は?」

「死ねッ!」

「残念だゾ」

 

クセロシキはゴルバットをけしかける。そしてもう一匹。モンスターボールから飛び出してきたポケモンは初めて見るものだった。カロス地方にしか生息していないポケモンだろう。紫色を基調としたイカなのか鳥なのか判断に困る姿。

見た目から悪タイプのような印象を受ける。

 

「カラマネロ、アブソルに『馬鹿力』。ゴルバット、モココに『シザークロス』だゾ」

「アブソル、呼吸を合わせて!」

 

アブソルの動作とセレナの意識がシンクロする。一瞬だけカラマネロの動きがスローモーションになった気がした。

 

「『不意打ち』!」

 

悪タイプの気を纏った攻撃がカラマネロを襲う。狙いをすませた精密かつ力強い一撃はカラマネロの急所を的確に捉えた。

 

入った!

 

確かな手応えと共にアブソルとセレナは勝利を確信した――次の瞬間。

アブソルが逆に吹っ飛ばされた。

 

3

 

モココとゴルバットが交錯した。

モココは一撃を受けるが特性『静電気』により動きが鈍ったゴルバットに『10万ボルト』を直撃させる。クセロシキのゴルバットは意識を手放し、地に落ちる。

すかさずセレナのアブソルの方を伺い見た。

カラマネロとアブソル。一瞬の鍔迫り合いを制したのはカラマネロであった。

 

なんて奴。

 

アトリは戦慄した。

先程のエアームドとの勝負で見せた『必中の急所攻撃』。如何なる防御をしようとも意味をなさない最強の矛を受けた。――にも関わらずアブソルを返り討ちにした。

あのカラマネロはセレナのアブソルのレベルを超越している。相対的にアトリのハッサム以外の手持ちよりも強い、ということになる。

だが、――まだだ。活路はある!

 

「『10万ボルト』!」

「『馬鹿力』だゾ」

 

モココに多少のダメージはあるが、『馬鹿力』の反動で一時的に攻撃力が落ちている筈。

アトリのポケモンの中で最も守りに長けるモココならば、なんとか耐え抜くことは出来るだろう。一か八かそこを突く!

 

「アトリ、正面からぶつかってはダメ! カラマネロの特性は――!」

 

言い終わる前にモココはカラマネロに殴り飛ばされた。咄嗟に体を滑り込ませる――――勢いを殺しきれず壁に激突する。

 

「っか、は……ッ!」

 

体中に激痛が走り、一瞬呼吸がとまる。

 

「アトリ!」

 

駆け寄ってきたセレナに助け起こされ覚束ない足取りで立ち上がる。――右足首に激痛が走った。どうやら足を捻ったようだ。

 

「モココ……、大丈夫か……!?」

 

痛みに歯を食いしばり、状況を確認する。

モココからの反応はない。完全に意識を失っている。

 

何故だ? 何故オレ達が負けている!?

 

予想もしなかった完全敗北。アトリは半ばパニック状態に陥っていた。

 

『馬鹿力』は己の筋力のリミッターを一時的に外し殴りつけるというシンプルながらも強力な格闘タイプの技だ。

発動には肉体に多大な負担を強いる。限界点まで高められた力と引き換えに発揮した後、筋繊維が損傷――いわゆる『筋肉痛』のような状態となり、能力が低下するという反動がある。

アトリはそこに付け入る隙があるとみていたのだが。

カラマネロの攻撃能力は低下どころか、むしろ先程アブソルに向けたものよりも強力になっている。

 

ポケモンの肉体は人間よりも遥かに強靭で回復も比較にならない程であることを考慮しても、回復するということはありえない。

 

「一体、これは……どういう手品だ……?」

 

あのカラマネロの強さは単にレベルに差があり過ぎるだけでではない。何か秘密があるはずだ。敗因を解析できないアトリにセレナはそっと耳打ちした。

 

「……カラマネロの特性『天邪鬼』……」

「初めて聞く特性だな……」

「能力のアップダウンが逆転するっていうものよ」

「…………、クソがッ」

 

アトリは苦々しげに呟いた。

つまりカラマネロは『馬鹿力』で攻撃を行いながらも自分自身の能力もあげていたという事になる。『電磁波』などの搦め手を使用すれば活路があったかもしれないが、勝利を目の前に『倒す』ことに拘泥してしまった。相手の戦力を見誤ったアトリの失策だ。

 

物理攻撃・防御の能力を二回上げたカラマネロ。

対するアトリたちはあのカラマネロに対抗できるポケモンがもう残っていない。

万策尽き、アトリたちの勝利は消えた。

その事実が彼らの肩に重く圧し掛かる。一般トレーナーとの野試合ならば賞金を払うだけで済むが、今目の前にいるのはポケモンマフィアだ。自分たちは間違いなく制裁を受けるだろう。

 

アトリは蟀谷を一度叩いて気持ちを切り替えた。苦い気持ちはあるが、今は悲嘆に暮れている場合ではない。

万策尽きた今、此方の敗北は動かない。同じ負けにしても『負け方』というものがある。

 

残り戦力を一気に投入して玉砕――ありえない。

シトロンたちが来るまで時間稼ぎを――――ダメだ。時間を稼ごうにも、レベルに差があり過ぎる。特性『天邪鬼』を備えたカラマネロに二度攻撃させた時点でオレ達の敗北は動かない。徒にポケモン達を傷つけるだけだ。唯一ハッサムならば対抗しうるだろうが……オレを嫌っているあいつがこの場面で動いてくれるはずがない。

逃げる――いや、セレナは足が遅い。それにオレはこの状態でエスプリとカラマネロに挟まれている時点で逃げ切ることは不可能。

…………、いや、一つだけ手がないことはないが……。

 

「なあ、よお。ものは相談なんだが、見なかったことにするから見逃してくれっていうのは有りか?」

 

アトリの提案にクセロシキは一笑した。

 

「無いゾ。警察やマスコミは我らの圧力で押さえつけることは出来るが正直お前達のような正義感ぶった偽善者は目障りゾ。我々に歯向かえば、どうなるか知らしめる必要があるゾ」

「見せしめって訳か。趣味悪ィ」

「だが、効果的だゾ」

 

交わされる不穏当な会話。自分達の命が脅かされているという状況が現実味を帯びてくる。

セレナは心臓を鷲掴みにされるような、吐き気すら催す恐怖に膝が震える。

こういうことも起こるのだと覚悟はしていた。していたつもりだった。

いざその場面に直面すると自分の心の弱さと自覚してしまう。言い様のない恐怖に息が乱れた。

 

情も。矜持も。尊厳も。

何もかもかなぐり捨てて、ここから逃げてしまいたい。

 

鎌首をもたげる弱い考えをセレナは強引に捩じ伏せた。

あの子供たちに奪われたポケモンを取り戻すと約束した。

 

心は決まっているのに体がうまく連動してくれない。震える唇を噛みしめる。

 

しっかりして!

本当に私は出来るだけのことをやったの?

本当に私はもうダメだと思えることをやったの?

まだ出来ることはあるはず。

諦めなければ絶対に――!

 

「セレナ……。ここは退け。ここはオレ達が引き受ける」

 

クセロシキが聞こえないギリギリの声量でアトリが言った一言はセレナには信じがたいものだった。

 

「ミアレのジムリーダーを呼んで来るんだ。研究所の斜め向かいのポケモンセンターだ。サナもそこにいる」

「貴方を置いて私だけ逃げろって言うの!? 馬鹿にしないで。私も一緒に戦う!」

「バカ野郎。『ジムリーダー出動』っていう強力な切り札を今使わずにいつ使うってんだ。

それにあのエスプリとかいう奴の相手はお前じゃ無理だ」

「でも、それじゃあアトリが……死んじゃう……」

「ハッサム」

 

アトリが繰り出したハッサムを見てセレナは身を固くした。

3カ月前に自分達を襲ったポケモンだ。無理もないだろう。

 

「こいつならあのカラマネロと互角に渡り合える。オレもオレでエスプリって奴1人なら何とか凌げる」

「でも……! でも……」

 

それ以上言葉が出てこなかった。アトリは目に溜まった涙をそっと拭った。

 

「なら、オレを連れに早く戻って来い」

 

セレナは逡巡していたが、やがて小さく頷いた。

 

「死んじゃ、嫌だよ……」

「当たり前だ。借金返すまで死んでたまるか」

 

アトリが応じるとセレナは工場の出口に一目散に駆けていった。彼女の姿が消えたことを確認してから小さく溜息をついた。

 

「随分あっさり見逃すじゃねえか」

「手負いの獣ほど厄介なものはないゾ。もしあの女に手を出したらお前は例え破滅しても我々に無視できないダメージを与えるほど暴れることくらいお見通しゾ」

「よくわかっているじゃねぇか」

 

もしセレナに危害を加えるつもりだったら首を刎ねられたとしても、喉笛を食い千切ってやるつもりだったが、そうならずに済んで安心した。死に直面して安心したというのも些か妙な話だが。

クセロシキという男はアケビと違いメリットとリスクを天秤にかけるタイプだと踏んでいたが、どうやら当たっていたようで本当に良かった。

 

「見せしめは一人で十分だゾ。お前が死ねばあの娘の反抗心を挫ける。皆殺しにしては我々の脅威は伝わらない」

 

アトリは鼻で笑ってハッサムに手持ちポケモン全員のモンスターボールを渡した。

 

「ハッサム。こいつらを連れてプラターヌポケモン研究所へ行け」

 

――お前はそれでいいのか……?

 

「オレは『損害』って言葉が嫌いなんだ。……負けの責任はトレーナーにある。お前達の所為じゃない。こいつらが気に病む様だったら、そう……伝えてやってくれ……」

 

――…………。

 

ハッサムは何も言わない。アトリもこれ以上語るべき言葉を持っていなかった。

クセロシキに向き直る。

 

「まぁ……、いっちょ楽に頼むわ」

「心配は要らないゾ。此方としても時間が惜しい」

 

覚悟は決まっているが、自身の末路に皮肉っぽい笑みを浮かべてしまう。

 

「しくじったなぁ……。こんなことなら昨日のうちに高い生命保険に入っとけばよかった。」

 

こんな時まで金の心配か。

『守銭奴』という骨の髄まで染み付いた習性に我ながら呆れ果てる。

 

死ぬのは怖い。当たり前だ。

でも、ここでアトリが残らなければ、別の誰かが命を落とす。

アトリは聖人ではない。見ず知らずの人間やポケモンの為に犠牲になるなんて冗談ではない。何を血迷ったか今回はサービス精神をだしてしまったが、命までかける気はない。

そんな自己陶酔など一銭にもならない。

 

だが、今守りたいのは赤の他人などではない。

 

セレナ。ロコン。モココ。ハッサム。ケロマツ。

 

その中の誰か一人でも失う。それはアトリの人生において大きな損害だ。そしてこの損害は、ここから先どれだけ金を稼いだとしても一生補填することは不可能だろう。

 

だったら、仕方、ないよな……。

 

自分の運命を受け入れようとした、その時だった。

 

轟ッ!! と爆炎がカラマネロに吹きかけられる。予想もしていなかった攻撃にアトリと炎の中から飛び出してきたカラマネロは射手を一瞥した。

 

モンスターボールを内側から強引に破ったロコンがアトリを守るように前に立つ。

 

「やめろ、ロコン! お前の勝てる相手じゃない! オレのことはいいから――!!」

 

お断りだ!!

 

脳に直接響いてきた剣幕の声にアトリは気圧された。

 

ボクはフワ・アトリのポケモンだ。君以外の誰にだって使われてやるものか。

放逐でも絶交でもなんでもしてみなよ。させないけどね

もし力が及ばなくて死ぬことになったとしても、そのときはボクも一緒だよ。

お別れなんて嫌だよ! 最期まで、一緒に……いさせてよ……ッ!

 

「邪魔だゾ。カラマネロ、始末しろ」

 

ロコンの想いを打ち砕くようにカラマネロの一撃が彼を襲う。そのままロコンは動かなくなった。続いてハッサムが『バレットパンチ』を繰り出すが更に能力を上げたカラマネロとの互角。だが、拮抗は長くは続かなかった。

力押しでは埒が明かないと判断したクセロシキはカラマネロに合図を送り、カラマネロは力を受け流す。鋼の拳は壁を突き破り、ハッサムの動きを封じる。

 

「トドメだゾ」

 

ロコンに駆け寄ろうとするが、エスプリに取り押さえられ身動きが取れない。ハッサムも拳を強引に引き抜き、再び拳を引き絞るが、カラマネロが右の死角にいる所為で反応が一瞬遅れた。

 

「やめろ、やめてくれ! 頼む! オレの命ならくれてやるからそいつには手を出すなッ!」

「やれ」

「やめろおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の瞬間――――轟音がその場にいた全員の意識を釘付けにした。

 

網膜に焼き付くような閃光。恐る恐る目を開くと上空に雷霆を纏った黒いドラゴンが姿を現した。

 

思わず息を呑む。

 

漆黒の翼を広げた荘厳なる佇まい。

タービンの様な形状の尻尾からは青白いスパークが飛び散っている。

音を超越し、振動となった雷鳴はアトリに尋常ならざる圧力をかける。

 

目の前の光景に誰もが目を疑った。

 

「……あれは……ゼクロム!?」

 

カロス地方から遠く離れたイッシュ地方の伝説に登場する理想を象徴するポケモン。

黒陰のゼクロム。

 

真実を象徴する白陽のレシラムと対を成す存在。

 

人々の記憶が風化するほど遥か昔――イッシュ地方を焼き尽くし、姿を消した伝説のポケモンが今、アトリたちの前に舞い降りた。

 

 

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