ポケットモンスターXY~あなたへ贈る百日草~   作:黒助2号

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前回のあらすじ。
ジョジョ「家出しちゃったんだぜ!」
アトリ 「なん……だと……」



第35話 大貧民 後編

 

1

 

「…………………………、……」

 

あまりのことにフリーズしそうになった。誰か再起動かけてくれ。

原因は――心当たりがあり過ぎる。

 

「昨日のことが原因かい?」

 

問いにコクリ、と頷いた。

 

「…………それだけじゃありません。ピカチュウさんを引き取るなって。この子はジョースター家の人間の手持ちに相応しくないからって……! ……どうして、そんな酷いこと……言えるの……? 私にとっては大事なお友達なのに、……好きでジョースターの家に生まれたわけじゃ、ない! 私はお母様の人形じゃない!!」

 

憤慨するジョゼットに黙って寄り添った。

 

「……、子供じみていると、嗤わないのですか?」

「相談役が相手の悩みを嗤ってどうするのさ。真剣には真剣で返すのが僕のポリシーだからね」

 

こめかみを叩く。

とはいえどうしたものか。親に反抗して家出。言葉だけ聞くと思春期にありがちな行という言葉で片づけることは出来る。だが、今回の彼女の行動をそれだけで片付けてはいけない気がした。

愛想笑いという名の嘘笑いを顔面に張り付けながら、心の中で頭を抱えてしまう。

 

こういうのは非常勤講師の仕事じゃねえ。誰か学長呼んで来い!

 

とはいえここにはアトリしかしない。『出来ない』からといって投げ出すなど、出来る筈もない。それに――

 

『貴女の意見など聞いていません』

 

あの母親の言葉を思い返す。

これはきっとジョゼット・ジョースターのだしたサインだ。対応を誤れば、彼女を奈落の底へ突き落とすことになりかねない。

重すぎるプレッシャーでアトリの胃が締め付けられた。

 

「あ、あの~」

 

セレナが遠慮がちに手を上げた。

 

「私達ここにいていいの?」

 

うん、うん。とトロバとティエルノが揃って頷いた。

「あ、悪い」とアトリは自分の配慮不足を詫びる。

ジョゼット・ジョースターの事情はアトリしか知らない。これから始める話はジョゼットの家庭環境や内面に深く関わってくるものだ。いくらセレナとはいえ、他人に前でするものではないのかもしれない。

 

「えーっと、じゃあホント申し訳ないんだけど、少し外に出ていてもらえるかな」

「そうね。――じゃあ行きましょうか」

「あ、……待って、ください……」

 

部屋を出ようとしたセレナのスカートの裾をジョゼットは控えめに掴んだ。

 

「あ、あの一緒にいてください……」

「え? 私は別にいいけど、いいの?」

「はい……。セレナさんにも聞いて……いただいて、お力添えいただけたらと……」

 

当事者であるジョゼットがいてほしいというのならば、アトリが反対する理由はない。

それにしても、こんな短時間にセレナのことを随分気に入ったようだ。

 

「それではボクたちはリビングにいますから」

「うん、ごめんね。終わったらそっちにいくから」

「じゃあねえ、ジョゼットちゃん! また後でねえ!」

 

 

トロバとティエルノが退室したことを確認してから、改めてジョゼットの隣に座った。

 

「じゃあ事情を説明しても?」

 

頷いたのを確認してからポケモントレーナーを目指すことを反対されていること。ジョゼットの意向を無視して通っているトレーナーズスクールを退学させられそうになっていること。私見ではあるが、抑圧的な家庭環境であることをそれとなく含ませて説明した。

 

「なにそれ!?」

 

聞き終えた瞬間、セレナは激怒した。

 

「自分の子供の可能性を摘み取ろうとするなんて、しんっじられない! ジョゼットちゃん、そんな言葉聞く必要なんかないわよ。自分の人生なんだから、後悔のないようにあなたのしたいことをした方がいいわ」

「いやいやいや、無責任にけしかけるんじゃない」

「貴方はおかしいと思わないの!?」

「思うところはあるけど、親の立場からしたら簡単にゴーサインは出せないだろう。特にポケモントレーナーなんて、食っていけないことで有名な職なんだからよ」

「う……。で、でも……」

 

現実的な視点を突きつけられて口ごもった。

本心を言ってしまえばアトリはセレナと概ね同意見だ。

自分の人生は自分の納得できるように、やりたいことをやった方がいい。

だが、無責任に後押しすることも出来ない。

冗談抜きでこれはジョゼットの一生に関わる問題だ。本来ならアトリの手に余る様な問題なのだ。慎重に考えなければなるまい。

 

「……、先生は……どう思うのですか……?」

 

ジョゼットは縋る様な眼でアトリを見てくる。

トン、とコメカミを叩く手を止めた。

 

「その質問に答える前に君に確認しておきたいことがある」

「……え?」

「君自身は考えているんだい? ただポケモントレーナーになりたいのか、それとも――」

 

一拍おいてアトリの顔から愛想笑いが消える。『優しい先生』であるアトリの険しい顔にジョゼットは背筋を正した。

 

「プロのポケモントレーナーとして生きたいのか」

 

鋭い眼差しでジョゼットを見据える。

 

「答えろ。ジョゼット・ジョースター」

 

低く平坦な声は偽りを許さないと言外に告げていた。

 

「わ、たしは――私は……!」

 

喉が詰まる様な感覚が邪魔をして上手く声が出ない。

背筋が冷たくなるほどの圧迫感に押しつぶされそうになったが、固唾を飲んで覚悟を決めた。

 

「私はプロのポケモントレーナーになって……、チャンピオンになりたいです!」

 

言った。言い切った……!

父母の前では絶対に言えない自分の夢を、初めて誰かに打ち明けた。胸のつっかえが取れた様な気分だった。

身の程知らずかもしれない。実力の履き違えを嗤われるかもしれない。

それでも、私は挑戦したい!

 

「そうか」

 

フッとアトリは柔らかくする。

分を弁えない発言に絶対に反対されると思っていたが、予想外の反応にジョゼットは肩透かしを食らった気分になった。

 

「……嗤わ、ないのですか」

「嗤う? どうして?」

「だって、実技が、壊滅的……なのに……」

「あー、確かに君の実技はお世辞にも優秀とは言えないね。けど、それがどうしたっていうのさ? 苦手は経験を積むことである程度克服できるものだし、それでも足りない分は他で補えばいい。現時点の実力なんてものはね、そんなに重要じゃないのさ。それに――」

 

アトリは冗談っぽく肩を竦めた。

 

「先生が生徒の夢を嗤ったらお終いでしょ。君がその気なら僕は出来る限り力を尽くすよ。そうだね……。差し当たってまずは親御さんに連絡を入れさせてもらおうか」

「え? ちょ、ちょっと待って。アトリ、何を言っているの?」

 

「ジョゼットの力になる」と宣言した直後アトリの突然の手の平返しにセレナは動揺を見せ、ジョゼットの表情が凍った。

そんなことをすれば彼女は家に連れ戻されてしまう。それは他でもないアトリが一番よくわかっている筈なのに。

セレナの非難混じりの苦言にアトリは微笑で応えた。

 

「ジョゼットの目標を達成するために君のご両親の力添えが必要なのさ」

「どういう、ことですか……?」

「順を追って話すね。君はプラターヌ博士の弟子にしてもらうつもりでここまで来た、といったね?」

 

コクリと頷いた。

 

「結論から言って、それは無理なんだ」

「それはアトリが決めることじゃないんじゃない?」

 

その言葉には多分に棘が含まれていたが、苦笑交じりに流して話を続けた。

 

「いや、そういう意味じゃなくて。ジョゼットが家出人だって知った上で君を弟子として迎え入れてしまえば、プラターヌ博士は労働者法に反したとされて罰せられる。この子の歳では労働契約を結ぶにあたって必ず親権者の同意が必要になるからね。最悪誘拐犯扱いされることだってありえる」

「あ……」

 

思わぬ視点からの指摘に目から鱗が落ちた。言われてみれば確かにそうだ。

ジョゼットの心情を慮るあまりに、そこまで考えが及んでいなかった。

それでも諦めきれないジョゼットは尚も食い下がった。

 

「お金なんて要りません。プラターヌ博士のところで勉強が出来るというだけで――」

「残念だけど、それも却下だよ」

 

僅かに苛立ちが滲んだ口調にセレナは首を竦めた。

 

「労働にはそれに見合った報酬が必要だ。

働いて給料を貰うっていうことは、責任を負うってことだ。給金が出ないということは、当然責任を持つ必要がないってことでもある。

そんな人の仕事にどれだけの価値がある?」

「なら、このままトレーナー修行を――」

「それこそ無謀だよ」

 

言い終わる前にバッサリ切った。

 

「何故ですか……。そんなの……『力を貸してくれる』って先生、言ったじゃないですか!」

 

返ってきた容赦のない言葉にジョゼットは強く反発した。自分がどれだけの苦悩を経てこの選択をしたのか、先生ならわかってくれると思っていたのに!

裏切られた気分で一杯だった。

 

「別に君を貶めているわけじゃないよ。これは才能以前に物理的に無理なんだ」

「そんなこと……! お父様とお母様に頼らなくても、私たちだけでやっていけます」

 

自分がポケモントレーナーになるのに、あの人たちの力は借りない。

理解を示そうともせず否定するだけの人たちの力なんて借りたくない。

自分の力だけでなんとかしようと決心したこその家出だったのに……!

 

「なら逆に聞こう。君が現状で修行の旅を始めるにあたり、明確なプランはあるのかい?」

「プラン、ですか……?」

「旅に必要な資金は? 衣食住は? 自分の身はどうやって守る? どの街をどのように回る? 各町のジムリーダー対策は考えたのかい?」

「うぅ……。で、でもジョウト地方リーグのソウル・シルバーも後ろ楯なしで、リーグ準優勝を成し遂げたのですよ。私だって――」

「なら聞こう。君は『ソウル・シルバー』並の実力を持っているのかい?」

 

強烈なカウンターを見舞われ、反論のロジックを間違えたことを悟ったが既に遅かった。

 

「よりにもよってプロのトップランカーを引き合いに出すんじゃない。向こうが新幹線ならこちらは各駅停車の普通電車の様なものなのだよ」

 

苦渋に満ちた表情で容赦なく突きつけていく。

そして、その言葉はまるでブーメランになってグサグサとアトリの心にも確実に突き刺さっていた。

 

「後ろ盾なしで旅が出来るのはその道だけで食べていけるようなほんの一握りの天才だけだ。技量の低いトレーナーには下積みが何よりも大事なんだよ」

「…………」

 

尚納得できないといった表情のジョゼットにアトリは「これだけはやりたくなかったけど……」と嘯いてホロキャスターの電卓機能を開いて画面を見せた。

 

「いいかい、ランク0のトレーナー1試合分の賞金が大体200円程度。それを踏まえて一ヵ月の食費を2万から3万に設定。ホロキャスターの通信費に1万5千。衣類や整容に1万から2万。その他諸々の経費に安くて3万必要だと考えると、最低でも1カ月9万から10万くらいは必要だ」

 

手慣れた様子で電卓を弾いていく。その横顔は今まで見たことがない程生き生きして輝いておりジョゼットを唖然とさせた。気が進まないと言いながらもこの男、ノリノリである。

 

「そこから逆算して――月々ざっと500戦以上は勝ち越さないと厳しいね」

「……そんなに、いるのですか?」

「これでもかなり削った方だよ」

「食費はわかりますけど、衣類やホロキャスターの通信費とか……、そんなに必要でしょうか……?」

「必要だよ。身嗜みを整えない人は人から相手にされない。そして、情報を断ち切るということは社会との関りを断つという事と同義だ。人とポケモンを相手に商売をするのなら、その辺はちゃんとしないといけない」

「…………」

「そして、誤解を覚悟で敢えてビジネスライクな言い方をさせてもらえば、ポケモントレーナーにとってポケモンは商売道具であり、ビジネスパートナーだ。

しかも、勝敗がこれ以上ない程シビアに突きつけられ、実績がそのまま自分の値段になる以上、相手も死に物狂いで勝ちにくる。

そんな人たち相手に、君は月に500勝勝ち越す事が出来るかい? …………、いや、出来たとしても、きっとポケモンへの負担はきっと相当なものになる。その事については考えたかい?」

 

一つひとつの理屈がジョゼットの心をへし折りにきているようだった。

だが、ここまで言葉を尽くされて尚「わからない」などとは言えなかった。

言ったらこの人はきっと自分を軽蔑する。この優しい先生にだけは絶対に嫌われたくなかった。

 

「反対されているから、スポンサーになってほしいと頼みたくない。

その程度の覚悟なら辞めておきなさい。

戦わなければ――勝たなければ生き残れない。君が踏み込もうとしているのはそういう世界だ。

ポケモンバトルみたいな勝敗を明確にする世界の中心には天才なんて言葉が生ぬるいくらいの化物が闊歩している」

「…………無理です。きっとあの人たちは、私が何を言っても、聞いてくれない……」

「心配しなくていい。説得には僕も力を貸そう」

 

ジョゼットは顔を上げた。

 

「最悪でもプラターヌ博士のところで勉強させてもらうところまでは持っていってみせるよ。僕が君に望むことはただ一つ。どんなことを言われても絶対に折れないでくれ、という事だけだ」

 

ジョゼットが折れた時点で、アトリは戦うための大義名分を失う。

その時点でジョゼットが望む未来は砕け散るだろう。

ジョゼットの眼から雫が落ちた。鼻を啜り、両手で涙を拭っていく。

 

「『力を尽くす』と言ったはずだよ。僕は僕に出来ることをする。まあ、相当揉めるだろうけどね」

 

明後日の方向を向きながら煤けた笑いを零す。

道のないところに道を作るのだ。相当な覚悟と辛抱がいる。

目には目を。歯には歯を。モンスターペアレントにはモンスター教師を。

向こうがどんな理屈を展開してきたとしても、食らいつく。

相手が折れるか、自分が折れるかの我慢比べだ。

既に退職届は用意してある。

もし向こうがアトリのことを問題にしてきたならば、自分が責任をとって退職という形をとれば、学長たちに類が及ぶことはないだろう。

諦観混じりではあるが、アトリは既に肚を括っていた。

 

こんな面倒なことをしなくてももっと簡単な解決策はあるにはある。

アトリがプラターヌ博士より依頼されたポケモン図鑑のデータ収集の話をジョゼットに譲ればいい。

たったそれだけの事で彼女の問題は解決する。

だが、それは絶対にしたくなかった。

プラターヌ博士からの給金とフラダリラボラトリーズからの契約金。

この2つの資金源があるからこそ、アトリはトレーナー修行の軍資金と借金の返済を行える。

債務者であるプラターヌ博士は返済しなくてもいい、と言ってくれてはいたが、男親のような屑にならないためにも、そんな甘えは許されない。

 

その為にジョゼットの夢が断たれることになろうとも、絶対に譲ることは出来ない。

耳障りのいい言葉を並びたてつつも、その実自分の保身を最優先に考えている。

後ろめたい気持ちで一杯だった。

まるで蜘蛛の糸だ。だとしたら、自分も自らの業の深さで地獄に落ちるのだろうか。

 

「……どうして、そこまでしてくれるのですか?」

「……生徒を助けるのは先生のお仕事だからね」

 

後ろめたさはある。

けど、だとしても――オレはオレのやるべき仕事をする。

 

冗談めかして言ったが、本心だった。給料を貰っているのなら、その責任を果たす。

 

「………、先生……ありがとう……」

 

その一言は残業の報酬として、十分だった。

フワ・アトリの教師としての最後の見せ場だ。やってやるさ。

先程から自己主張してくる胃の痛みに気付かない振りをして、決意を固めた。

 

2

 

部屋に案内した途端、ジョゼットは糸が切れたように眠ってしまった。

疲れていたのだろう。あの歳の頃の子供が親に反逆するという行為は、それだけで相当な覚悟を伴う。

その上、人見知りの激しい彼女にとって見ず知らずの他人を訪ねるというのは、どれだけ勇気を振り絞ったのか。想像に難くない。静かに扉を閉めて電話口にてジョースター邸の電話番号をプッシュする。

ジョゼットの両親に連絡をとり、事情を説明した途端、「貴方が唆したのでしょう!」という母親のヒステリックなお言葉を頂戴した。落ち着かせようと宥めてみるも右から左で、まったく埒が明かない。

向こうもそう判断したのか、途中から窓口から父親に代わり今回お互いが頭を冷やす為の時間をとる、という名目で納得してもらった。

一悶着あったが、どうにか三者面談の約束も取り付けることができた。父親の方が幾分か話が通じそうだ。当日は母親よりも父親と話した方が良さそうだ。

受話器を置いた途端、眩暈がアトリの視界を歪める。

なんだか酷く疲れた。更に熱が上がってきたような気がする。

 

待っていたセレナは深い溜息をついた。

 

「でかいため息だな。何かいいことあったのか?」

「別に……。ただ、私って本当にダメだなって思って……」

「はあ?」

「私、ジョゼットちゃんの事で、何も言ってあげられなかったんだ……。何か言おうと思っても、上辺だけの言葉になりそうで……」

 

ポケモントレーナーである両親に囲まれ、昔からポケモンバトルの訓練ばかりしてきた。いわばポケモントレーナーに特化した人間だ。そのことについて不満は全くないし、これでいいとも思っていたのだが、最近アトリを見ていると自分のそのあり方に少しばかり思うところがある。

 

「それなのにあなたは自信を持ってジョゼットちゃんの背中を押してあげて。……凄いなって……同じ年なのに、どうしてこんなに違うんだろうって思うと自分が情けなく なってくるわ」

「…………オレだって、自信なんかねーよ」

 

今度はアトリが溜息をつく番だった。

 

「オレは叔父さんやフラダリさんみたいに頼りになる大人じゃない。それなのに根拠もなく、無責任に……」

 

とんだ詐欺師もいたモンだ。と自嘲混じりに嘯いた。

背中を押したといっても、結果次第では突き落としたとなってしまう。夢を後押しすることが、必ずしも当人の為になるとは限らない。

何故ならば、夢とは大部分が叶わないものだからだ。

競技人数とプロの数を考えると、ジョゼット・ジョースターやアトリ自身でさえ、プロになれる可能性は0.1パーセント未満。確率論だけで述べるのなら、アトリは反対するべきなのだろう。

誰もが大なり小なり何かを諦めてながら生きている。

「けど、それでもあの子の『先生』である以上そんな腑抜けたことは言っていられない。自信がなくても、自信があるように振る舞わなくちゃ…………、ジョゼットも怖いだろ」

 

現実主義者な自分がそう囁きかける一方で、『ひょっとしたら』なんて甘いことを考えてしまう自分もいる。

そもそも『見果てぬ夢』を持つ人間というのは損得で動きはしない。

人はそれを狂っていると言う。故に夢を追う人は皆、狂っているのだろう。

現実的に割りきって、俯瞰していたアトリも根本の所で狂っているのだろう。

地平線の遥か向こう側。あるか、どうかもわからない輝きに向かって突き進む事でしか生を実感できない。度しがたいほど愚かで、これ以上ないほど幸せな存在。それこそがポケモントレーナーの正体だ。

 

狂気と情熱は表裏一体。

燃やすことによって、前に進むエネルギーになる。

そして、それが尽きたとき、初めて見果てぬ夢から覚めるのだ。

 

「少なくとも今回の件ではオレはお前がいてくれて良かったと思っている」

「別に無理にフォローしてくれなくてもいいわよ……」

「赤の他人ならともかく、本性バレてるお前相手にそんな七面倒くさいことするか、アホらしい。オレは立場上厳しいこと言わなきゃいけなかったから、あの場で表だってジョゼット側にたってくれるだけでも、随分彼女の精神的な負担を和らげられた。セレナがいなければ、オレは彼女を潰してしまっていたかもしれない。

だからさ、…………ありがとう」

「…………」

 

ぶっきらぼうながらも、体温のある言葉に堪らなくなった。

顔が熱くなっているのを感じた。どうしようもなくアトリに惹かれてしまう。

確かにアトリは世間一般で好まれるような爽やかな性格でも、甘いマスクのイケメンでない。

性格もバカで守銭奴とかなり残念だ。

だが、顔立ち自体は決して悪くないし、バカと言われる一方で、年齢に不相応なほどの実直さと思慮深さを持ち合わせている。

守銭奴なところも、置かれてきた環境上、やむおえないことでもある。

寧ろそのパーソナリティが絶妙な金銭感覚や繋がっている事を鑑みると、一概に欠点とも言い難い。

 

数々の残念さが悪目立ちしていて見つけ難いが、一旦立ち止まって注意深く観察すると、非常に魅力的な人間だとわかる。

全体的に通好みというか、『わかる人にはわかる』といった感じなのだろう。

それはセレナにとって不満でもあり、自分だけがわかるという優越感でもあろい、複雑だ。

 

やっぱり私、アトリのことが好――そこまで考えてセレナは耳まで真っ赤になった。

 

ありえない! ありえない! ありえない!

 

あまりにもあり得ない結論が出そうになり、頭を抱えて首を左右に振った。

アトリとの関係はライバルだ。それ以外にありえない。絶対にありえない。

 

「おーい。百面相してないでさっさと行こうぜ」

 

セレナの懊悩に気づきもせず、呑気なことをいうアトリを恨めしく思う。

せめてもの意趣返しとばかりにアトリの首をくすぐると、「ふぉうっ!」と奇声をあげて飛び上がった。

 

「やりやがったな、この!」

 

アトリも負けじとセレナの脇腹をこそぐり応戦した。

 

「ちょ――どこ、触ってるのよ、……エッチ!」

「お前が先にやってきたんだろ」

「お巡りさーん、こっちに変態がいまーす!」

「あ、てめっ! こんな時に女の武器を――!」

 

一進一退のじゃれあいは両者が両者の手を握る形で膠着状態になった。

不意に目が合った。そして――腕を引かれ、アトリはセレナを抱き竦めた。

アトリの鼓動の音が聞こえる。体が火照っている所為か、少し汗臭いというか、男くさい。でも――それでも不快には感じなかった。むしろ筋肉質な体つきは安心感を与えてくれる。

ずっとこうしていたい。そう思った矢先だった。

我に返ったアトリは真っ赤な顔で飛び退いた。

 

「わ、悪い……。今のはその……、オレが悪い……」

 

目を泳がせながら、しどろもどろになっているアトリを見て悪戯心が湧き上がってくる。

 

「変態さーん♪」

「わー、すみません! ごめんなさい! 頼むから訴えないで!」

 

顔を真っ赤にして慌てふためくアトリを眺めているのも面白かったが、流石に少し可哀そうになってきた。

 

「仕方ないわね。だったら」

 

くすり、と微笑みセレナはアトリに体を預け、そして――。

ガブリ。「痛ってェェェェッ!」思いっきり首筋に噛みついた。

 

「これで許してあげる♪」

 

嬉しそうに勝ち誇った笑みを浮かべる。

セクハラ被告のアトリとしては「ありがとうございます……」としか言えなかった。

 

首筋がズキズキして、ヒリヒリする。

内出血を起こしているかもしれない。

 

衝動的に抱きついてしまった自分が悪いので、何も言えない。

 

噛みつかれる方が、セクハラで訴えられるよりマシなのだから。

出るところに出られたら確実に懲役うたれる。執行猶予などつくはずもなく、問答無用でブタ箱で臭い飯を食う破目になるだろう。

この程度で済んで幸運と考えるべきか。

 

アトリのホロキャスターの着信音に遮られた。

 

「っと、シトロンか。――もしもし」

『こんばんは。調子はどうですか?』

「ボチボチでんな。で、どうした?」

『ミアレ警察から君に届けてほしい、というものを預かったので、データで添付して送りますね』

「待ってましたァ!」

 

あの赤スーツ共を捕らえた報酬だろう。Nはイッシュ地方に帰ったため、受け取れないとして、シトロンはジムリーダーという立場上受け取るわけにはいかないだろう。

となると、賞金の分け前は

賞金の金額に心を躍らせながら添付されてきたデータを開いた。

85万。それがアトリに渡される金額であった。

 

「シャアラアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

ガッツポーズと共に飛び上がった。

お金万歳。通帳残高に余裕があると心にも余裕が出てくるというものだ。

――っと。もう一つデータが?

開いた途端目を疑った。擦った。瞬きを何度も繰り返した。

見間違いであってくれ、と願いデータに視線を移す。

見間違いなどではなかった。もう書類データの一番上にはまごう事なく『請求書』の3文字。そして、その額も奇妙なことに85万。

 

「オイ、シトロン。余計なものがついてる」

「いいえ。間違っていませんよ」

「……………………」

「……………………」

「アンベルリーバブルやァッ!!」

 

唐突。あまりにも唐突な代金請求にアトリはそれ以上の言葉が出てこなかった。

アズマオウの様に口をパクパクさせて、視線でシトロンに説明を乞うた。

 

「あ……、ありのまま今起こった事を話すぜ!

オレは黒字にしたと思ったら赤字になっていた。な……、何を言っているのかわからねえと思うが、オレも何が起こったかわからなかった……。

頭がどうにかなりそうだった……。借金だとか詐欺だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」

「昼間に君が赤い集団を一網打尽にした作戦だけど……」

 

水をかけて電撃を浴びせるというものだろう。

 

「ああ、あの作戦か。あれは我ながら見事だと思ったね」

「あれが悪かった……」

「え……?」

「ミアレシティの中央のシンボルについては知っていますか?」

「ああ。プリズムタワーっていったけ?」

 

町の中心に位置する、ミアレシティのシンボル。

『プリズム』の名に違わず、七色に輝く電光は24時間絶えることなく輝き続ける。

その外観から、憎きカップル共から定番のデートスポットとして絶大な人気を誇っている。

 

「君の電撃の余波がプリズムタワーに送電している中継点をショートさせてしまって、多大な損害が出ているんです」

「いや、あれはけど……あのロクデナシ共を捕まえる為に仕方なく……」

「わかっています。わかっていますけど……それはそれ。これはこれ、ということで85万円。耳をそろえてしっかり払ってもらいます」

「あ……、ぁ、あ……、」

 

唐突ではあるが、諸君は色即是空と言う言葉をご存じだろうか?

仏教の根本原理といわれる考え方で、物質なんてあるかどうかわからない曖昧な存在であり、互いの存在があり始めて知覚できるものだ、という意味だ。

個人的にこの考え方は量子物理学のシュレディンガーの猫に通じるものがあると思う。

まあ、それはそれとして今日、オレはもう一つ、オレなりの新しい解釈を追加したいと思う。

 

「ありえないんだぜ――――ッッッ!!!!」

「アトリ―――――!?」

 

泡を吹いて卒倒したアトリにセレナは駆け寄った。

 

色即是空。――すべてが水の泡。

お後がよろしい様で。

 

 




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