1
「さあ、召し上がれ」
目の前に出された料理に眼をしばたたかせた。チーズリゾット。
リゾットはこのカロス地方でよく食べられている家庭料理でシンオウ地方でいうところの雑炊のようなものだ。凝った物の多いカロス料理としては珍しく作り方も簡単、味もシンプルな料理だ。
だが、侮るなかれ。シンプルが故に誤魔化しが一切効かず、その簡単さゆえに作り手のアレンジセンスが最も問われる料理でもあるのだ。
アトリは唾を呑み込んだが、すぐに口の中に唾が溜まっていく。
湯気に乗った香りが鼻孔をくすぐり、腹の虫の自己主張は更に激しくなった。
「いただきます」
逸る気持ちを押さえ一口すくって口に運ぶ。次の瞬間――大きく眼を見開いた。
う、美味いッ!
濃厚なチーズにマトマの酸味の利いた辛さが絡み合い、互いに強調し、協調し合うアクセントになっている。どちらか一方が主張しすぎてもいけないその絶妙な味のバランスは芸術品の域!
上に添えられたパセリも味がしつこくなりがちなチーズ料理の口当たりをさっぱりとさせていて、二口、三口とどんどん箸が進んでいく。気づけば皿は空っぽになっていた。
素晴らしいの一言。少量ではあるのにこの満腹感。美味すぎて体が震えるなんてこと、今まで母さんの料理を食べても一度もなかったというのに!
いや、そんなことはどうでもいい!
無言で席を立ちあがり、窓を開けた。
城の二階から一望できるのは侘び寂びという表現が似あう古い町並み。
そんな枯れた魅力のある町の空気を目一杯吸い込み、そして――――
「う――ま――い――ぞォォォォォッ!!!!」
――叫んだ。
「アンタは味皇様か」
「デザートにプリンはどうだい?」
「いただきます! ――――ふぉう!?」
とろけるような舌触り。口にした瞬間ふわりと広がるブランデーの香り。
「なんと!?」
まったりとして、しつこくない。そして、少し焦げ目のついたカリカリなカラメルの苦味がまろやかな甘味にパンチを利かせている。
「なんとぉー!?」
オレはこの味に出会う為に生まれてきたんだね――――――ッ!!!
「いや、喜んでもらえて何よりだ」
「貴族ってのは食うばかりかと思ってましたよ。……金とれますぜ、コレ」
「うーん……。料理は趣味だからねー、食べた人の満足そうな顔を見てるだけで私は十分だよ」
何を呑気な、という言葉をかろうじて飲み込んだ。
あの手の取り立てが来るという事は相当質の悪い相手から金を借りているという事だ。
だというのにまるで危機感が足りていない。気づいた時には何もかも奪われ、手遅れになっている可能性だってあるというのに。
どうでもいいさ。
蟀谷を一度叩いて思考を一区切りした。
借金に苦しんでいるという点でシンパシーは感じるが、アトリが彼の借金問題に口を出すのは明らかに出しゃばり過ぎだ。当初の目的通り、利用するだけ利用したら後腐れなく離れるべきだ。思うところがないわけではないが、今のオレに他人に構っている余裕なんてありはしないのだから。
「ところで約束の報酬の話だけども……」
きた! とアトリは身構えた。
値切りの算段であろう。当然といえば当然だ。相手に白紙の小切手を渡せばどれだけ吹っ掛けられるかわかったものではない。特にアトリのような人種には注意しなければ骨までしゃぶり尽くされるのは必至。
誰だってそーする。オレでもそーする。
「支払いを分割にしてもらえないだろうか?」
「…………分割?」
思わぬ提案にアトリは大いに困惑した。
「値切りではなく?」
「とんでもない! 君は命の恩人だ。そんな相手に支払う報酬を値切るなんて恥知らずもいいところだよ」
「……、そうですか」
ジョルジュの欲のなさというか、人の好さに少し鼻白んだが、すぐに気を取り直して話を続けた。
「ご心配なく。私が貴方に求める報酬は金銭ではなく、情報です。私はプラターヌポケモン研究所からの依頼で『メガシンカ』という現象について調査しているんです」
「メガシンカ?」
「はい。聞いたことはありませんか?」
ジョルジュは少し考え込む仕草を見せたがやがて小さくかぶりをふった。
「いや、すまないが聞いたことのない言葉だ。ロザリー、君は」
「いいえ。アタシも残念ながら……」
「そうですか」
大して期待したわけではないが、空振りに終わり少しだけ気を落とす。だが、それは表に出さずに話を続けた。
「『メガシンカ』とは進化を越えた進化と言われ、一定条件下でポケモンを大幅に強くする、と言われています。存在事態は確認されているらしいのですが、いかんせん事例が少ない上に公式の場でメガシンカを使ったトレーナーが全くいないため、都市伝説のような扱いを受けているのが現状です。私の仕事はその『メガシンカ』の真偽の解明、及び使い手と研究所とのパイプ作りです」
そして、『メガシンカ』の力を手に入れることも。と、そっと心の中で呟いた。
「なるほど。それで君は私に何を求めるんだい?」
「この土地に代々伝わる貴重資料、準貴重資料の閲覧許可をいただけないでしょうか?」
プラターヌポケモン研究所で読んだ資料によると、『メガシンカ』するポケモンと使い手としてのトレーナーは古くからカロス地方の歴史の転換期にしばしば姿を現し、なんらかの役割を果たしているという記述が度々見られた。ならば、その歴史の詳細を紐解けば今よりも有益な手掛かりが得られるかもしれない。
「なるほど……」
ジョルジュは合点がいったように何度か小さく頷いてアトリを見た。
「貴族であれば一般に出回っていない珍本や希書を保管している可能性は低くない。もしそういったものがなくとも、なんらかのパイプは持っているはずだ、というわけだね」
察しの良さに目を少し見開いた。
1を聞いて10を理解する。頭のいい御仁だ。
先ほどの値切る素振りを一切見せなかったことから察するに危機感のなさは無欲な性格からくるものなのか。
「よろしい。なら着いてくるといい。書庫まで案内するよ」
「いいんですか?」
「何がだね?」
「今日会ったばかりの見ず知らずの他人をホイホイ信用して。私が貴方に悪意を持って近づいてきたとは考えないのですか?」
言ってしまってから「しまった」と思った。彼が危機感のないお人好しならそのまま利用しつくしてしまえば良かったというのに、わざわざ不信感を煽る様な真似をしてしまった。
だが、そんなアトリの言葉にジョルジュは微笑で応える。
「わざとそういう露悪的な言葉を選ぶんだね。いい子だからやめておきなさい」
まるで大人が子供に対して「心配ない」と安心させるように優しく、柔和に。
「君がどんな思惑を持って私達を助けたのだろうと、君が恩人であることに変わりはない。私にできることなら出来る限りのことはさせてもらうよ」
見つめられてアトリは身を固くした。
妬み。利己心。執着。そして、己の野心。
それら全てのドス黒い感情を見透かすような深い色の瞳。イノセントとも形容できるその色は何処かNを思い出させた。
人間として完全に負けた気分になりながら、ジョルジュの後に着いて歩いていった。
2
書斎に通されたアトリは呆気に取られていた。床から天井にかけてぎっしりと敷き詰められた文献の数々。よく見れば装丁された本だけではなく、バラバラになっている羊皮紙や巻物だったりと、その種類は多種多様にわたる。
「我がショボンヌ家に代々伝わる文献の数々だよ。5年前の洪水で一部の資料が流されてしまったけど、それでもこれだけの蔵書量ならきっと君の仕事の役に立つと思う。ここを自由に使ってくれたまえ」
そういってジョルジュは書庫のカギを差し出す。アトリはそれを受け取ると再び積み上げられた資料の一冊を手に取り、ページをめくった。
「アンノーン文字……」
『アンノーン』というポケモンがいる。
28種類の形態を持つそのポケモンの似姿を用いたこの世文字は界最初に使われたものとして、学会で広く知られている。アトリも幼い頃叔父のプラターヌ博士から一通り教わったため、読むだけなら何とか出来る。だが、アンノーン文字の厄介なところは文字の一つひとつに膨大な語彙――大雑把とも言う――があり、同じ表現でも読み手によって解釈が大きく異なるということにある。解読するには前後の文脈から意味を予想して当てはめていく他ないが、そこでまた一つ問題が生じる。
この手の歴史書には時の権力者にとって都合の悪いことが書かれていることがしばしばある為、摩擦を避ける為、内容を寓意や様々な比喩表現を用いて婉曲的に記していることが多い。その場合、アンノーン文字の難解さと合わさって解読には多大な根気と運を必要とするだろう。
アトリはかかる労力を予想してしまい、げんなりとした。
「これは…………、一朝一夕では終わりませんね……。また明日来てもいいですか?」
「それならしばらくここに逗留すると良い。ロザリーに部屋の準備をさせよう」
「待ってください! いくらなんでもそこまで甘えるわけには――」
「何故だね? 部屋なら余っているよ」
「いや、そういう問題ではなく……」
言葉を濁したが、アトリの言わんとしていることはわかるだろう。人一人の一日あたりの生活費は安く見積もって三、四千円。
だが、ジュルジュの作る食事は決して安く買い叩いていい代物ではない。そして、残念ながらアトリには相応しい対価を払うだけの潤沢な資金はない。
タダで逗留というのも惹かれはするが、人間としての良識を無くしたくはない。ショボンヌ家は経済的に逼迫しているのに、そこに更に寄生するようなろくでもない真似は自分自身のプライドに懸けて絶対に出来ない。
「うーん……、気にしなくてもいいのに」
「気にします」
守銭奴でも守銭奴なりに美学は持ち合わせているのだ。
「それならこうしないかい? 私の持っている木の実畑がそろそろ収穫の時期なんだ。午前中はそこで君に働いてもらって午後から調べものを行う。それなら私もアルバイトを募集しなくて済むし、君も余計な心配をしなくてよくなる」
「うーん……」
コメカミを叩きながら吟味する。渡りに船な提案ではあるが、今はケロマツに少しでも実戦経験を積ませたい関係上、出来れば日中は野試合などの戦闘訓練に当てたいところではある。アトリの本職はあくまで『ポケモントレーナー』なのだ。
食っていけなくて副業で日々の糧を得るにしても、一番に考えなくてはいけないのは、ポケモン達の成長である。例えランク1の半人前――正確には1/8人前――でも。いや、だからこそ、その意識だけはしっかりと持ち続けなければ――
「昼食もつけよう」
「よろしくお願いします」
脊髄反射で頭を下げていた。食欲の前にはプライドなど無力だ。ここしばらくカロリーフードだけで過ごしてきた反動か、自身の食に対する執着が金銭に対するそれに近づいてきているような気がする。
健全な精神は健全な肉体に宿ると言うし、人は食わなければ生きていけない。
そして何よりも、雑ではない食事はいい。最高である。
「それじゃあ明日からよろしく頼むよ」
「はい、よろしくお願いします!」
3
一方その頃――コボクタウンの北西に位置するパルファム宮殿。300年前、当時の権力者が自らの権威をひけらかす為に作られたその豪華絢爛なる館の一室。装飾過多な男――フェルナン・M・パルファムは玉座を思わせる造りのソファ腰掛けながら、この世に数個しかnない秘宝――『ポケモンの笛』を磨きながらアトリが追い払ったスキンヘッドの男――フィリップ・マツモトの報告に耳を傾けていた。
「で、事を荒立てた挙句、何の成果もなく、おめおめと逃げ帰ってきたと?」
動く度に身に付けている金細工とダイヤで装飾された高級ブランド時計と貴金属のアクセサリーがぶつかってジャラジャラと音をたてた。
フィリップにはそれすらも恐ろしかった。
「も、申し訳ありません……。ですが旦那ぁ、奴等にとんでもなく強ぇトレーナーが用心棒につきまして……」
「言い訳はいい」
ピシャリと言い放たれて竦みあがった。
この強欲な男を敵に回せば、あっという間に今の暮らしを手放すこととなる。
自身の事業拡大の為に着手したポケモン達の住処を奪う強引な開発計画。
ポケモン達との共存共栄を無視した――いわばこの世界の禁忌を犯すその計画に当然コボクタウンの住民の殆どが反発した。しかし、フェルナンは札束で有力者の横面を叩き、その計画を無理やり可決させた。このコボクタウンではフェルナンこそが『王様』なのである。
この男が黒と言えば、白い物でも黒くなる。
今、自分達がこの町で好き勝手振る舞えているのも、偏にフェルナンという後ろ盾があるからに過ぎない。
「しかし、君の言った用心棒のトレーナーというものは気になるな」
カロス地方では知らない者がいない程ポピュラーな『大樹と怪鳥』の紋章。
それを掲げるという事は、すなわちその用心棒があの忌々しいフラダリラボ直轄トレーナーである証。
フェルナンが薄く笑う。それを見たフィリップはとてつもなく嫌な予感がした。
「そのトレーナーを屋敷に招待したまえ」