1
「どうする……。どうする……」
フィリップは落ち着かない様子で部屋の中を右往左往していた。事は重大だ。少し前にこの屋敷の主が迎え入れたフラダリラボ所属のトレーナー。
彼を招いた目的が気になり、部屋の外から聞き耳を立てていたが、まさかフェルナンが奴に鞍替えするつもりだったとは……。
もし、フワ・アトリがフェルナンの申し出を受ければ、用済みの自分はすぐさまお払い箱になるだろう。そうなれば……かつてのロケット団の様に今までやってきたことの報いをうけることになる。
カロス地方から遥か遠くにあるカントー地方。そこを牛耳っていたポケモンマフィアロケット団。そこにいた日々は本当に楽しかった。
無論上への上納金やフロント企業の運営など考えることはあったのだろうが、フェルナンの役割は頭脳労働とは別だ。上に命じられた通り暴れて、壊して、奪って。
限度を超えなければどんな享楽も許される。趣味と実益をかねた素晴らしき日々。
だが、ある時そんな日々は終わりを告げる。
ロケット団最強のポケモントレーナーであり、カリスマであるボスが一人の少年に完膚なきまでに叩きのめされたのだ。ロケット団における絶対者の敗北は団員たちを震撼させた。
そしてさらに悪いことにボスはその敗北を境に一部の側近達に対し一方的な解散宣言をしたうえで姿を眩ましたのである。
未だにボスを信奉している上役が言うには「ボスのポケモントレーナーとしての矜持がそうさせた」とのことだが、フィリップからすれば馬鹿馬鹿しいことこの上ない。真正面から勝てなければ闇討ちするなり、人質をとるなりやりようはあるはずだ。寧ろマフィアとしての本領はそこにあるはずだというのに。
何にしてもカリスマを失った組織の凋落はあっという間であった。
頭に切れるものはまだいい。持ち前の頭脳を生かして組織の再編・縮小に重宝されたり、一般社会に帰ることが出来るのだから。
しかし、自分のような暴力しか取り柄のないアウトローはそうもいかない。
しかもフィリップは組織のしてきた違法な仕事を知りすぎている。万が一国際警察などに捕まれば幹部どころか生命線であるフロント企業の存続が危うくなるほどの情報も握ってしまっている。頭が悪く、重要機密を握っている構成員が辿るべき末路は一つだ。
粛清されそうになったのをカロス地方に逃れ、現在に至る。
野垂れ死にしかけたところをフェルナンに拾われ、私兵として暴虐の限りを尽くしてきた。
今まで自分が好き勝手やってこれたのは偏にこの町を牛耳っているフェルナンの後ろ盾があったからだ。
主人のフェルナンに窘められてからは目に余るような行動は控えていたつもりだったが。
このままでは以前の二の舞だ。
「元ロケット団員、マツモト・フィリップ」
「誰だ!?」
ここには自分以外誰もいなかった。物音もさせず、気配も感じさせず女はフィリップの直ぐ傍で笑っていた。
「あんたは……」
見た者に強烈な印象を残す赤い服。近未来的なゴーグル。髪の色と同じ緑色をした唇は怪しい笑みを浮かべていた。女の名はバラ。
最近フェルナンと懇意にしている組織の幹部だ。
「おめでとう。貴方は見事我々の作る理想郷へのチケットを手に入れました」
「な、なにを言ってやがる?」
「いい話があるんです。聞きますか?」
2
「あーたらしい、あーさが……来た……。……きーぼーうのあーさだ……」
ボソボソとした声で呟くように歌う。
騒がしい一夜が明け、交渉の朝がやってきた。金細工が朝日に反射されて眩しいぜ。
フカフカの高級ベッドの誘惑を跳ねのけ、変なのに絡まれつつも、徹夜でプレゼン資料を作ったオレを誰か褒めてくれ。
作ったプレゼン資料を精査する。骨子は出来ているものの、やはり粗さがある。
せめてもう一週間あれば、現在の経営状況と今後の利益率を加味して、数値化できたというのに。自分で考えといてなんだが、かなり無茶だ。だが、分が悪いとは思っていない。
フェルナンとジョルジュの関係。オレを迎え入れたい事情も察しがついた。
オレの計画ではカビゴンを退けて流通の回復を図るというのは絶対条件ではない。
カビゴンを退ける必要などない。要は農場の財務状況さえ改善して当面凌げれば、解決策はあるのだ。
だが、懸念事項には変わりない。解決できるというのなら、それに越したことはない。肝心のキーマンが自称1億年に一度の奇跡の大天才などと修飾語過多な肩書を持つ阿呆とその秘書だ。
当てになるかどうかはわからないが、失敗しても致命傷ではない。
執事のルーたんに案内されて、昨日の装飾過多な部屋に通された。
そこで悪の親玉は優雅にモーニングとしゃれこんでいた。
「やあ、おはよう。よく眠れたかね?」
「おはようございます。いやー……、残念ながら。どうにもフカフカのベッドは落ち着かなくて」
フェルナンはため息をついた。
「その様子だと君を引き抜くのは難しそうだね」
「そうですね。僕はフラダリさんを尊敬しているし、あの人がボスであることに誇りを持っています。だから、フラダリラボから貴方に鞍替えすることなんて、絶対にありえませんよ」
もしそれでもオレを買収したいというのであれば、頭金として提示した金額の一万倍は持って来いというものだ。
柔らかい物腰での強い拒絶にフェルナンは不敵に笑った。
「嫌われたものだ。」
「信頼関係の築けない相手とは仕事をしたくないだけです。ましてや、スカウトのときに隠し事をする人とは、ね」
ピクリ、とフェルナンの眉が動いたのをアトリは見逃さなかった。
アトリはこめかみを指で叩き、徹夜明けの脳みそを強制労働に駆り出し始めた。
「貴方は誰かの報復を危惧しているのでは?」
フェルナンの表情は動かない。だが、食事をする手は止まった。
アトリは図星をついたと判断する。
思えば最初から腑に落ちなかった。
ただの用心棒というのなら、フィリップだけでも十分だったのだ。このコボクタウンにおいてフェルナンが一番の権力者ならば、フィリップというわかりやすい暴力装置があれば事足りる。だが、フェルナンはそれでは不十分、と判断したということは、考えうる理由は『抗争』の為の戦力確保。悪どいことをしているのなら、絶対に何処かから恨みを買っている為、『報復』とあたりをつけた。
先ずは第一段階『相手の真意を読み、こちらを侮れないと誤認させる』ことは達成。
これでフェルナンをリングに上がらざる得ない。
「なるほど、なるほど。
君は周りから馬鹿呼ばわりされているらしいが、なかなかどうして……。
だが、いいのかね? 君が私の呼び出しに応じた理由はわかっている。農場からミアレシティを繋ぐ唯一の道、7番道路――リビエールラインを封鎖しているカビゴンを退ける為に当家が所有している『ポケモンの笛』を借りに来たのだろう?」
「『ポケモンの笛』なんてなくても問題ないんですよ」
「なに?」
怪訝な顔をするフェルナンに対し、アトリはやたらと派手な見た目のノートパソコンと冊子を取り出した。
「どういうことかね? あの農場の経営状態は良くないはず。今回の件で取引が成り立たなければ大きな負債を抱えることになるのは明白。それを問題ないとは――君は一体何を考えている?」
喰いついてきた。と心の中でほくそ笑んだ。
あとは、こちらの話にどれほど説得力を感じてもらうか。ここからが正念場だ。
「その前に僕がここに来た理由をはっきりさせておきましょう。僕がここに来た理由は――――このコボクタウン一の大富豪であるフェルナン・M・パルファム氏に新事業のプレゼン、そしてヘッドハンティングをしに来たから、ですよ」
「新事業? プレゼン? ヘッドハンティング?」
よしよし。良い感じに混乱しているな。そのまま混乱していろよ。
冷静になる暇は与えない。ここで一気に畳みかけてやる。
「まずはお手元の資料をご覧ください」
フェルナンはアトリに渡された資料の表題には『農場直営古城カフェレストラン『株式会社ショボンヌファーム』の設立計画と銘打たれていた。
3
時間を少し遡る。
「やまいだれがつく方の知的なあなた。叡智の人ではないが、Hではあるあなた。久しいな! 皆さまお待ちかね――――吾輩である!」
「誰が痴的でエッチだ。適当な事抜かしてると埋めるぞ、ゴラァ」
「うひゃーははははははっ! 相変わらずのチンピラっぷり、流石はこの一億年に一人の天才とご近所でも評判の吾輩をまぐれでも倒した男であーる!」
黒焦げで拘束されているこの状況で何故ふんぞり返っている?
何処行ったら売ってるんだ、この
ミアレシティでのあの事件のあと、枕に『赤スーツのついで』がつくものの、シトロン主導でふらんだーすの犬の捜査は行われていた。
しかし、こいつらときたらバカっぽいくせに意外と抜け目がなく、赤スーツと同じように全く手がかりがない。
結局は有力な手がかりは掴めないまま捜査は打ち切られた。
シトロンは苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をしていたが、やったことが地下の違法着工と一目でわかる偽札(おもちゃ)を作っていたというだけで、特に実害があったわけではないので、警察の判断は妥当と言える。
ちなみにふらんだーすの犬が作った地下室は今やシトロン専用の工作室になっているそうだ。ユリーカちゃんの目を逃れ、夜な夜なマッドな笑い声をあげながら、趣味である発明に勤しんでいるとかなんとか。転んでもただでは起きないやつだ。
「お前らは何でここにいるんだ?」
「知れたこと! 偉大なる我輩の次なる計画の為の下準備であーる!」
「ここの城主の悪名は有名です。ならば、そこから偉大なるプロフェッサーの野望の実現の為、資金を頂戴しようと思った次第です」
「なんじゃそりゃ羨――けしからん」
「今、ちらっと本音が出ませんでしたか?」
気のせいだ。
「しかし、わざわざオレに接触してくるとは……捕まる覚悟は出来ているんだろうな」
通報の為にホロキャスターを開き、シトロンの番号を検索する。すると変態プロフェッサーは目を剥いて陸に上がったコイキングのように跳ね始めた。
「ひ、人を呼ぶわよッ! であえ、であえィッ!」
「人呼ばれて困るのはお前だろうが。自分の立場分かってるのか? 関わりたくはないが、見つけてしまった以上は対応せざる得ない。今回は見逃さねえぞ」
「オーノーッ! お主、悪人面に違わず心が狭いのであーるッ!」
「誰が悪人面だッ。いい加減にしねえと捻りつぶすぞッ! ったく、出てこなければよかったものを……」
「何を言うッ! この世紀の大天才が宿敵にして終生のライヴァルと認めた貴様と夕日の砂浜で鼻血を吹くまで殴り合い宇宙(そら)! 宿敵同士が出会ってしまったその瞬間、雌雄を決するために闘うことこそ理論的科学的運命的方程式! そして育まれる断金の友情ッッ!」
「育まれません! 恐ろしいことを言うなッ! もういい。通報する」
「うぬううううんッ! やらせはせん、やらせはせんぞおおおおおッ!! 我が野望を遂げるまでは! 負けられません、勝つまでは!!」
「はいはい。そーですね」
「よくぞ聞いてくれたのであーるッ!! 偉大なる吾輩の崇高な野望! それは――――」
聞いてない。聞きたくない。会話が成立していない。
「ええっと……………………、世界征服?」
「なんで疑問符ついてんだよ。さては何も考えてないな!?」
「ええい! どうでもよいであろー! 我輩のセクシー&ダンディーな野望を達成した暁には我輩を認めなかった学会に復讐してやると決めたのであーるッ!」
「わーお、ルサンチマン……」
「別段恨みは無いのであるがな!」
「今すぐ『復讐』の意味を辞書で引いてこいッ!」
「HAHAHA☆」
「笑ってんじゃねーよッ!!」
どうしよう。凄まじく疲れてしまう。
というか、プレゼンの資料作りで忙しいんだが……、運悪く見つけてしまった以上、放置しても面倒になる気がする。今回の計画はオレにとっても未知の領分であるため、万難を排して挑みたい。不確定な要素は出来るだけ潰しておきたいのだ。
なのだが――そういえばこいつらって、あのシトロンが認めるくらいの高い技術力をもってるんだよな?
「一応聞いておくが、まさか、あのカビゴンはお前らの仕業じゃないだろうな?」
「カビゴン? なんのことであるか?」
「いい歳したおっさんが小首を傾げるな。可愛くない! いや、そっちの秘書さんは可愛いからオーケー!」
心の中のそろばんを弾き始める。制御できるかは未知数。
というか、こんなマルマインみたいなの制御できるとは思えない。だが、利用価値はある。
大事なのは、どの方法が一番オレにとっての利益に繋がるか。今は事情聴取を受ける時間が惜しい。タイムイズマネー。マネーは大事。ならば、リスクをとる価値はある。どうせ失敗してもともと。裏切ったら警察に突き出せば済む話だ。
「なぁ、おい。変態プロフェッサー。オレと取引をしないか?」
「なななんとッ!? なんとッなんとッなんとォォォッ! 吾輩の天才的頭脳を見込んだそこの貴方ッ! お目が高いッ。吾輩の超高度な技術をお目に掛れるのはカロス地方でもここだけッ。お代は見てのお帰りであるッ!!」
「『詳しく聞こう』プロフェッサーはとおっしゃっております」
「通訳どーも。出来ればこの後はそこの馬鹿フェッサーよりもアンタと会話したいもんだが」
「私の役目は偉大なるプロフェッサーの素晴らしさを全世界に伝えることです。それ以上でもそれ以下でもありません」
うん、なるほど。通訳以上は期待するなってことだな。……畜生めェッ!
「世話になっている農場とミアレシティを繋ぐ道路にでっかいカビゴンが陣取っていて封鎖されている。アンタの科学力でそのカビゴンを退かせないか?」
「? 捕獲すればよかろー」
「どうにも人のポケモンみたいでな。人の生活に影響の出るくらいだから『有害指定携帯獣』として処理できなくもないが、そこの経営者がそれを嫌うし、オレも出来るならその方法はとりたくない。というわけで――」
「この大天才科学者ヘンゼルに頭を垂れて助力を乞うのであるな!? ううううううむ、普段ならジーニアス&アインシュタインな吾輩のこの頭脳、安売りなどしないのであるが、我が宿敵(とも)の頼みであれば致し方なし! うっひゃひゃひゃひゃ! その程度の些事、この天才に掛れば朝飯前の夕飯前の昼飯前の朝飯前! 赤子の手をサブミッションのごとく解決してくれようッ!!」
「『俺に任せろ』とおっしゃっています」
「…………どーも」
勝手に宿敵(とも)認定されていることに物申したい衝動に駆られるが、今は少しでも時間が惜しいのでスルーすると心に決めた。
本当にこいつに任せて大丈夫だろうか、と一抹どころか百抹くらいの不安を覚えたが、腹を括ることにする。賽は投げられたのだ。
相手をするのは疲れるが、ロコンのソフトな態度を下衆ではなさそうだし、失敗しても致命傷には成りえない。
その後、秘書のグレーテルからヘンゼルが自作したという超派手にデコレーションされたノートパソコン――通称・デコパソを借り受け今に至る。
パワーポイントを立ち上げ、資料がホログラフで表示される。
オレの旧型ホロキャスターと比べ格段に処理が早くて助かる。が、この動きに連動してデコってある電飾がピカピカ光るのは何とかならないのだろうか。
そんなことを考えながらプレゼンを開始した。
3
フェルナンに出資を求める新体制。
古民家カフェならぬ農場直営古城カフェレストラン。『株式会社ショボンヌファーム』。
その実情は6次産業と呼ばれるアグリビジネスである。
卸売り部門、養蜂部門、レストラン経営を収入の3本柱に据える。
自家製の木の実、野菜を使用することで輸送費の削減によるコストカットを行う。
ポケモントレーナーへのニーズに応える為にテイクアウトのファストメニューも拡充する。
「プロモーションとしてジョルジュさんには元・有名レストランのシェフという前歴がありますので、それを最大限利用する予定です。
加えて私と個人的な親交があるプラターヌ博士やミアレシティのジムリーダー・シトロン氏といった社会的に地位のあり有名なゲストが『絶賛した』というコメントがあれば、広告塔として十分なパワーを持ちます。そして、フラダリラボは通信事業。提携すればカロス地方に情報を拡げるノウハウは知り尽くしている。これは経営が軌道に乗った際に構想している自社製品をブランド化して通信販売を展開するという計画にも生きてきます。如何でしょうか?」
フェルナンは興味深げに資料を読み込み、そして息をついた。
「確かに面白い試みだね。経営破綻しかけた企業の価値を高めるにはもってこいのハッタリだ」
「ハッタリ、ですか……」
「そうだろう? 確かに目の付け所は悪くない。これをまだ若い君が考えたのだとしたら、本当に大したものだ。お世辞抜きにそう思うよ。だが、この構想には大きな欠点があるということも気づいているかね?」
ヒヤリと、背筋が寒くなる。だが、表情を変えてはならない。
営業スマイルというポーカーフェイスを貫かなければ、この交渉に勝ち目はない。
「……と、いいますと?」
素知らぬ顔でアトリは返す。それを見てフェルナンはお見通しだとばかりに笑った。
「表情を変えないか。本当に大したものだよ。
そんな君だからこそ、この計画の穴に気付かないはずがない、と確信したよ。プランは良くても、それを実践するだけの時間が足りない。
『フラダリラボ』と『プラターヌポケモン研究所』このカロス地方を代表する2つの企業がそう簡単に出資を決めるはずがない。そして、断頭台の刃は容赦なく首を刎ねる。お終いです。助かる道はただ一つ、私に買収されることだ」
ばれてーら。と内心肩を竦めた。
とは言ってもここまでは予想通り。むしろバレない方が問題だ。
「ところでフェルナンさん。貴方は私が何故ショボンヌ城に逗留していたか、ご存じでしたか?」
「何を言って――――――」
そこまで言いかけて、フェルナンは何かに気付いた。
そして、眼を見開いてアトリを凝視する。
「まさか……ッ」
アトリは営業スマイルをやめて、相手に不敵に映る様に笑った。
「その通りです。私がこの町を訪れたのは偶然なんかじゃない。この農場に出資する価値があるかどうか。それを見極める為に、フラダリ代表からの命令で派遣されてきたのですよ」
虚実入り乱れる化かしあいはここからなのだ。