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メイスイタウンに戻ったアトリたちは、サナの伝手で、かつてポケモンセンターに勤めていた女性が住んでいる家を訪ねていた。
「急なお願いを聞いていただいて本当にありがとうございます」
「いいのよ。私も昔取った杵柄が役に立つならとてもいいことですもの」
「状態はどう、でしょうか……?」
控えめに尋ねるのはセレナだ。
自分のポケモンの状態を聞くのが少し怖く、言葉が尻すぼみになってしまう。女性は安心させるように優しく微笑んだ。
「ハリマロン、アブソルは大丈夫よ。意識もすぐに戻るわ」
「よかった……」
心底安堵したように胸を撫で下ろした。
先ほどまで蒼白になっていた顔が、少しずつ赤みが差してくる。セレナのポケモンへの愛情を垣間見てアトリも少し嬉しくなる。
「ハッサムの方は?」
てきぱきと手慣れた手つきで作業を進める彼女を手伝いながら、アトリは意識を失っているハッサムを見た。
「傷の方は大したことはないんだけど……」
「だけど?」
煮え切らない女性の発言に水を向ける。しばらく躊躇していたが、やがて意を決したように口を開いた。
「相当衰弱してるわ。この子の右目は――もう見えないでしょうね……」
「……、トレーナーの認識IDは?」
「ダメ、消去されているわ」
ハッサムはストライクにメタルコートという道具を持たせて交換することで進化する、いわば品種改良種である。当然、野生で出現することはまずありえない。
つまり、このハッサムは何らかの理由でトレーナーの手元を離れ野生化したものだろう。
このハッサム、戦闘用にかなり鍛えられており実力、素質ともに一級品。以前のトレーナーが育成に相当な労力を注いだことが伺える。
そんなハッサムを手放す理由はそう多くはないだろう。
いるはずのない野生のハッサム。消去された認識ID。見えない右目。あの時感じた人間への過剰なまでの敵愾心。
数多の選択肢の中から最も高い可能性は――
「トレーナーに捨てられたポケモン……」
バトル用に鍛え上げたが、右目が見えなくなってトレーナーに見限られたと考えるのが最も自然な思考の流れだろう。
「そんな……、そんなことって……」
「たまにいるんだよ、そういう下衆なトレーナーがよ……ッ!」
愕然とするサナにアトリはあくまで平静を装って告げる。だが、隠した感情の隙間からはハッサムのトレーナーだった者への隠しきれない嫌悪感が見て取れる。
稀にポケモンを戦う道具としか見ていないトレーナーが存在する。ハッサムのトレーナーは右目が見えなくなったハッサムを戦闘では『使えない』と判断して捨てたのであろう。
唾棄すべき行為である。吐き気すら覚える。
「とりあえず、これで出来ることは全部よ」
錠剤になっている栄養剤を砕いて投与した後、女性はアトリにハッサムのモンスターボールを渡す。
「どうする? 手に負えないなら、しかるべき施設に預けることができるけど」
「いえ、自分が引き取ります」
『やめておけ』と、もう一人の自分が囁きかけてくる声を聴いた気がした。
確かに、ここでハッサムを手放すのが、『賢い』選択なのだろう。この選択は事なかれ主義の自分らしくない。
誰だって厄介なことには関わりたくないものだ。だが、不思議とそうする気にはなれなかった。
「…………、大変よ」
「はい」
念を押す様な言葉に淀みなく頷く。
たとえ、上から目線の憐れみと、善意の押し付けと批判されようとも、傷ついて、苦しんでいるポケモンを放っておきたくなんてない。アトリは自分のポケモンには出来る限りの愛情を注いできたつもりだ。そして、それに応えるように3匹ともアトリを好いてくれている。
ロコンは気分屋だが、人の心の機微に敏感で。
ムックルは寂しがり屋で、すぐ甘えてきて。
メリープは冷静なくせに、放っておかれるのが嫌いで。
人間とポケモンとの間に、悲しみしか残らないなんて、そんなのは嫌だ。
「はい、治療は終わり。また傷ついたらいつでも寄ってね」
「何から何まで本当にありがとうございました」
ボールを受け取り、頭を下げて、仲間たちの元へと戻る
「災難だったな」
「情けないわ。私の判断ミスがポケモン達を傷つけた」
「…………、あれは仕方ないだろ。相手が悪すぎる」
「それでも、ポケモンが傷ついたのは私の力不足よ。簡単に仕方なかったなんて言わないで」
「………………、そうだな。悪かった」
自分の軽率な発言を戒めつつ、素直に謝罪する。
ポケモントレーナーを名乗る者は例外なく『自らのポケモンの命を預かっている』という責任を重く受け止めたうえでの行動が求められる。
彼女は既にポケモントレーナーとしての心構えができていたのだ。だったら自分の気づかいは見当違いだ。それを認めつつ、あえて言う。
「けど、君の所為じゃない。君はあの場で出来る最善を尽くしたとオレは思う」
「最善を尽くしたからって結果が伴わなければ意味がないわ」
「じゃあ聞くがよ、お前の言う理想的な結果ってなんだよ?」
「それは……」
セレナは言葉に詰まった。
理想的な結果。明文化しろと言われても、即答はできなかった。
友達を守るために、あのハッサムを完膚無きまでにねじ伏せる事? ――それならあのハッサムはどうなる?
トレーナーへの行き場のない怒りを抱えたまま『人間を傷つけた』をこと弾劾されて、『有害指定携帯獣』として駆除されることになる。事情を知る前なら特に何とも思わないだろうが、事情を知ってしまった今となってはその結末はかなり後味が悪い。
「そもそも、あのハッサムの事情を察してしまった時点で後味の良いようにはならねえよ」
「でも、何も出来な――」
「頼むから!」
語気を強めてセレナの後ろ向き発言を遮った。頭に血が上っていたことも気づき、一拍おいて、セレナの目を真っ直ぐ見る。
「『出来なかったこと』と一緒くたにして『守れたもの』まで否定しないでくれ。オレは馬鹿だから、うまく言えないけど、お前とポケモン達が前に立ってくれたからこそ、オレは奇襲を成功させることができて、結果友達を助けることができた。セレナとポケモン達が頑張ってくれてなければ、多分もっと悲惨なことになってたと思う」
ニカッと子供の様な笑顔にセレナは思わず毒気を抜かれてしまう。
「なにも出来なかったわけじゃない」
そういうところ、変わってないわね。
そして、ちょっといい話で終わろうとしていたところで、今まで口を挟めないでいたサナが躊躇いがちに先ほどから気になっていたことを指摘した
「ねえ、アトリの口調変わってない?」
アトリは固まった。
「……………………………………………………気ノセイダヨ」
裏返った声からは明らかな動揺が伝わってくる。そこにとどめとばかりに冷たい目線のセレナの口撃!
「いいかげんに猫被るのやめたら? あなたが『僕』とか、はっきり言って気持ち悪いから」
「キモ……ッ!?」
セレナの吹雪攻撃。アトリは氷漬けになって動けない!
と、言わんばかりのあんまりな言われ様にアトリは思わず絶句して固まった。
「随分な言い種じゃねえ――じゃないか。君は僕の何を知っているっていうのかな?」
うっかり素がでかけて慌てて咳払い。気を取り直したアトリは、あくまでも猫をかぶり続ける。刺々しい言い方だが、本来粗暴な性格である彼が激昂しなかっただけでも大した進歩である。
セレナは呆れ果てた様に深いため息をついた。
「あなたのことならよく知ってるわよ。…………私のこと、まだ思い出せない?」
「…………え?」
上目づかいで水を向けられ、記憶を掘り起そうと頭を捻る。
「ごめん、思い出せない。確かにセレナっていう友達はいたけど――」
「だからそれよ」
「まさか。あの『セレナ』と君じゃ全く似ても似つかな――」
「格好つけてターザンごっこをしてベトベトンの群れに突っ込んでヘドロ塗れになっていたのは一体何処の誰だったかしら?」
アトリは石化した。忘れ去りたい、やらかしてしまった過去を不意打ちで掘り起こされ脳みそが処理落ちしてしまっている。数秒後、顔が見事なバオップ色に染まった。
「テ、テメッ……ッ! なんでそれを……ッ!?」
「あ、本性がはみ出てる。結構ワイルドなんだね」
「意外でした。穏やかな人だと思っていたのですが……」
「結構荒っぽい言葉遣いなんだねえ」
セレナによって化けの皮を剥がされたアトリに対するサナ、トロバ、ティエルノが三者三様の見解を述べる。が、そんなことを気にしている余裕は今のアトリにはない。
「他にもウツボットによじ登って遊んでいたら足を滑らせて口の中に落ちて、危うく消化されそうになったこととか、」
「なんで人の黒歴史を事細かに把握してやがりますか貴様! あの時のことはあの場にいた奴しか知らないはずだ! ストーカーか!? それとも叔父さんから聞いたのか!?」
クールビューティー・セレナによる真綿で首を絞められる精神的窒息プレイで歓喜できるような特殊な性癖を生憎アトリは持ち合わせていなかった。
墓の中まで持っていこうと心に決めていた若気の至りによる珍プレーをバラされたことへの羞恥心半分。怒り半分。この気持ちをどこに持って行ったらいいのかわからず、頭を抱えてのた打ち回る。
「だから私があの時のセレナなのよ」
「嘘をつけ! オレの知っているセレナは天パの髪がボッサボサで! 今時瓶底メガネをかけてて! 自分の外見に無頓着なガリ勉女だぞ!? 決してお前の様な美人ではない!!」
「褒めるか、貶すかどっちかにしたら?」
心底呆れたように溜息をついた。
セレナは勿論のこと、サナ、ティエルノ、挙句の果てにはトロバの冷たい目線一斉にアトリに突き刺さる。テメー何処まで鈍いんだよ(要約)――的な非難たっぷりの視線を浴びてやっとアホの子・アトリは冷え切ったその場を取り繕うようにぎこちない笑みを浮かべた。
「………………………………………………………………………………………ホンマに?」
「ホンマ」
頭の天辺からつま先まで視線を巡らせ、もう一往復する。
「別人28号じゃねえかッ!!」
「開口一番失礼千万ね」
「顔面リフォームかッ!? 悪魔に魂売り渡したのかッ!?」
表情一つ変えないセレナの右ストレートがアトリの顔面にクリーンヒットした。
そして、ゴミ虫を見るような目で一言。
「殴るわよ」
「殴ってから言うなよ……」
かつてトレーナーズスクールで鎬を削り合った幼馴染の再会。
もし、少女漫画ならそれだけで恋愛ものになってしまいそうな展開に心躍らせながら見守っていたサナであったが色気もひったくれもないバイオレンスな展開に目が点になった。
「痛ぇな……」
「まったく、もう……。馬鹿なところとデリカシーがないところ全くは変わってないんだから」
「お前もなぁ。相変わらずきつい性格」
差しのべられた手を握り立ち上がる。
「久しぶり、セレナ」
「久しぶり、アトリ」
互いに高く上げた手と手を高い位置で打ち鳴らす。
カロスに来て良かった。懐かしい友人に会えたことを心から喜んだ。
「ずっと会いたかった……」
「え……?」
袖口を掴まれ、上目づかいで見上げてくる。思わぬ不意打ちにアトリは赤面した。
――まさかシンオウで振られまくっていたオレに春が来たのか!?
とか、自分に都合のいいことを妄想してしまうのは思春期を拗らせているハイクラスなサクランボーイなので仕方ないことであろう。
だが、数秒後、それが大いなる勘違いであることを悟る。
「勝ち逃げなんて絶対に許さないからね」
「えっと、セレナ……さん? 目が据わっているのですが……?」
「今日はポケモンのダメージを抜かないといけないから、明日」
投げつけられた手袋をキャッチする。最高に嫌な予感がした。
「終生のライバルであるあなたにポケモンバトルを申し込むわ! いいわよね?」
「いや全然、全く、少しも良くない!」
「答えは聞いてない」
「じゃあ聞くなよ!!」