1
「さあ、遠慮はいらん。存分に食べなさい」
ムックル、メリープ、ロコンは主人の部屋で目の前に置かれた品に目を丸くした。
目の前に広げられているのは最近話題になっているポケモン用高級菓子『ポフレ』である。
しかもこれでもか! と、言わんばかりに山のように積まれている。
自慢げに胸を張っているアトリを見て、三匹はそれぞれ割と真面目に主人の精神状態が心配になった。
『アトリ』という人間のパーソナリティは基本倹約家だ。身もふたもない言い方をしてしまうと財布の紐が固いドケチである。もっと適切な言葉があるとすれば100メートル先の小銭の音にすら反応する謎特技を標準装備している守銭奴なのだ。
そんなアトリのまさかの大放出に3匹とも大いに困惑している。
――まさか偽物!? 本物は何処だ!?
――エマージェンシー、エマージェンシー。明日のカロス地方の天気は雨あられ。所により槍が降るでしょう。
――槍で済めばいいケドね。アタシは隕石でも落ちてこないか正直ビクビクしてるわ……。
「テメー等失礼なこと考えてねえか?」
以心伝心。羽振りのいいアトリに違和感バリバリな3匹に睨みを効かせると、揃いも揃って示し合わせた様に首を左右に振って否定した。
彼らの説得力の欠片もない否認にアトリは青筋を立てて表情を引き攣らせる。
今まで一緒に頑張ってくれたポケモン達に労おうと、身を切るような思いで奮発したというのにこいつ等ときたら……。
悲しいやら腹立たしいやら複雑な思いだったが、やがて力が抜けたように溜息をついた。
「そんなところにいないで、お前もこっちに来たらどうだ?」
少し離れた場所では親の仇のようにアトリをしばらく見つめていたハッサムに声をかける。
「そういえば自己紹介がまだだったな。アトリだ、よろしく」
ハッサムは何も言わず「カーッ、ペッ」と、まるで中年オヤジの様に痰を吐き捨てる。嫌悪感と不信感丸出しのハッサムにアトリは思わず苦笑い。
「別に取って食おうってわけじゃねえから心配するな」
それでも警戒を解くことのないハッサムにアトリは短く嘆息した。
無理もない。疑うな、と言われて疑うのをやめる馬鹿はいない。
信頼とは積み上げるのに時間がかかるくせに、本当に些細なことで木端微塵に砕け散ってしまうものだから。
以前のトレーナーとどのような関係を築いていたかは分からないが、彼はトレーナーに一度裏切られている。
正直言ってどうすればいいかわからなかった。メイスイタウンの元看護士には自分が何とかする、と言ったもののアトリにはここまで深刻な溝を埋め合わせた経験がない。
仮に自分が「父と和解しろ」と言われても、絶対に無理だ。
人間とポケモン。
手を取って歩いていけるはずなのに、互いの距離が遠い。
こういう時はアレだな。
「とりあえず仲良くやっていこうぜ」
問題の先送り! アーンド出たとこ勝負。明日にゃ明日の風が吹く。
傍でその様子を見ていたロコンはポフレを頬張りながら深いため息をついた。
2
プラターヌポケモン研究所 御中
取締役プラターヌ様。
拝啓、研究所の候、貴社ますますのご清栄のことを喜び申し上げます。
先日は、仕事のご依頼いただき、ありがとうございました。
さて、本日は誠に勝手ながら、ご依頼を辞退させていただきたく、ご連絡申し上げます。
ご依頼を頂きながら辞退申し上げるのは、大変心苦しく、ずいぶん悩みました。今回は、ご迷惑をおかけし、本当に申し訳ございません。
お引き立て頂いたことを、心から感謝しております。勝手な申し出ではありますが、何卒お許しいただきたくお願い申し上げます。
御社のますますのご発展をお祈りしております。
敬具――
「こんなモンかな?」
詫び状をしたためて、封筒の中に入れた。流石にホロキャスターで、しかも、口頭で断りを入れるのは感じが悪いし、礼節に欠ける。
満腹になったロコンたちがそれぞれの寝床で寝静まったことを確認してから喉の渇きを覚えた。リビングに行って水を一杯一気に煽って冷蔵庫に体を預けた。
考えるのはこれからのこと。
頭の中で『何かをしなければ』という気持ちはあるのに、何をいていいのかわからない状態。
以前ならこんなことで迷いはしなかっただろう。自分のやりたいことは決まっていて、実現させるために何をすればいいのか、明確だった。
今は動くしかない。そう思ってはいても、心と体が上手く噛みあっていないのは明白だった。
「アホらしい。グダグダ言い訳を探してんじゃねーよ」
自身の女々しさに思わず自嘲の笑みが浮かぶ。
そうだ。迷う必要はない。『働いて金を稼ぐ』自分のやることはこんなにも明確になっているのだ。あとは目標に向かって我武者羅に働けばいいだけの話だ。
「アトリ、ちょっといいかしら?」
「ほああああああああああああああああ!?」
母に不意打ちで声をかけられて思わず叫んで回転。後ろに飛びのく。そして冷蔵庫の扉で後頭部を強打してのた打ち回る。
「そんなに驚かなくていいじゃない」
「い、いや……気配がなかったから……!」
バクバクと早鐘を打つ胸を押さえこぶをさすって起き上がる。
「母さん、明日から就活始めるよ。とりあえずハクダンシティにあるフラダリラボの支部に面接行ってくるから」
今や一人に一台持っている通信機器『ホロキャスター』を開発したフラダリラボ。
一流企業であるラボに就職できれば、かなりの収入が見込める。
とはいっても内定をもらえなければただの皮算用に過ぎないのだが。
「プラターヌさんの依頼は?」
「知っていたのかよ?」
「ええ。プラターヌさんから前もって話を聞いてたから」
母の人の悪さを糾弾する気にはなれなかった。
同時に何を思ってそうしたのか、あえて追求しない。
「……断ったよ。オレはもうトレーナーを引退したから」
頭の中にあった原稿を読むかのように、スラスラと答える。
声のトーンは平坦。表情にも一切変化はない。だが、ほんの一瞬だけアトリの目が泳いだのをサキは見逃さなかった。
「とりあえず書類選考は通ったみたいだから、明日面接に行ってくるよ」
「アトリ……」
「競争率は相当高いから内定もらえるかどうかは分からないけど、ダメ元でさ」
「アトリ」
「もしダメだったらポケモンセンターの看護助手かな。給料はそんなに高くないけど、公務員だから安定してるし、ポケモンの栄養学の基礎なら頭に入ってるから」
「アトリ……!」
「……………………」
「無理してる」
「はっ」
母の的外れな言葉を思いっきり鼻で笑った。
「無理なんかしてないさ。これはオレが選んだことだから」
「そうやって周りに嘘をついて、自分を騙していくの?」
「……みんなが、みんな自分の気持ちに正直に生きてたら、相当嫌な世の中になるだろ?」
「茶化さないで」
おどけたように言うアトリに釘を刺すように厳しい口調で言う。
アトリは母の静かな剣幕に肩を竦めて苦笑した。
誰もが必ず自分の夢を叶えられるわけではない。夢に向かって弛まぬ努力を継続してきた者なら余計にそうであろう。だからこそ日々を生きていくためには自分に嘘をつくことも必要だ。
悔いはない。だから諦められる。
そう言って自分を上手く騙すから、次のステップに進むことができるのだ。
「辛いのは今だけだ」
失恋の傷を癒すように、この如何ともし難い胸の痛みも、いずれ時間が解決してくれる。
「でも、カサブタにならない傷はいつか必ず膿んでくるわ」
「そこはほら、今後の課題ってことでひとつ」
痛いところを突かれる前に、言い逃げのように踵を返してその場を後にする。
最早、アトリは感情のメーターが振り切れるのを必死に抑えている状態だった。
これ以上何か言われれば、抑制が効かなくなる。本来自分の感情を制御するのは得意ではないのだ。
サキは何かを言ってやりたくて、去っていく息子に手を伸ばすも、途中で止めて拳を握る。
今の彼女が何を言っても、説得力に欠ける。自分達親の不甲斐なさが子供の一生を縛り付けることがどうしようもなく歯痒く、情けなかった。
3
ハクダンシティ。古式ゆかしい町。
アサメタウンからメイスイタウン、ハクダンの森を挟んだ位置にある町で、ポケモン協会公認施設ハクダンジムを擁する地方都市である。
規則的に敷き詰められ舗装された石畳の道。
町の中心になっている巨大なロゼリアの姿を模した噴水。
街の至る所に花が咲いており、町の人々はそれをオープンカフェで眺めながら優雅に紅茶を楽しむ。
その様は『古式ゆかしい』という町のキャッチコピーに違わず、情緒と気品を兼ね備え心惹かれる。
その中でも異彩を放っているのが、町の郊外にある10階建の摩天楼。
『フラダリラボ・ハクダン支社』。
ライブキャスターの発展形である通信機器『ホロキャスター』を開発した会社として世界的に有名な一流企業である。
「デケエ……」
見上げた先にあるビルにアトリは感嘆の声をあげた。
アトリの出身地のトバリシティにもこのような大きな建造物は数える程度しか存在しない。
『見ろよ、かっぺがいるぞ』と、遠くから嘲笑が聞こえてきた。
『田舎者で悪いか』と内心憤慨しながら、早足でビルの中へと入る。
身嗜みよし。スーツよし。履歴書よし。筆記用具よし。
あると有利だと聞いていたので一応名刺も作ってきてケースの中に入れてある。
面接の受付を済ませて待合室に案内された。募集は15歳から20歳まで。
――どいうことだ? 半端な時期にしても、他の受験者が少なすぎる。
待合室にいたのは15名前後。募集定員は最大3名。一流企業の募集にしては少なすぎる。
しばらく考え込んでいたが、やがて気持ちを切り替える。
―――なんにしても倍率が低いことはオレにとって歓迎すべきことだな。
深読みしても仕方ないので、待ち時間の間、面接のイメージトレーニングして過ごす。
「フワ・アトリさん」
15分ほどして、担当者に呼ばれ部屋へと案内される。緊張で胃が痛くなるのを堪えながら手の平に人を書いて呑み込んだ。気合が入ったのを確認して扉を三回ノックした。
『どうぞ』
「失礼します!」
筆記テストも問題なし。わからない問題もなく、全問落ち着いて解けた。
面接の内容は至って普通だった。
自己紹介、志望動機に始まり、自身の長所と短所、細かな経歴、何故トレーナーズスクールを辞めたのか。――これは正直にぶっちゃけた。今後の課題、ジムバッジの数などなど。
面接の基本は謙虚で前向きな姿勢だ。少しでもマイナスイメージを持たれれば面接官は容赦なく持ち点を減点していく。アトリ自身はそこそこ好感触だと思う。
すべての企業が一概にそうだとは言えないが、経験が浅くても若い人材を欲しがる。アトリは16歳。受験者の中では一番若い。その上募集は20歳まで。
仮に一日の長があったとしても、そうは変わらないはずだ。
4
数々の人間を見てきた者にとって履歴書一枚でわかることは実に多い。
字に気合が入っているか。履歴書を使いまわしていないか。修正液を使っていないか。
手抜きの跡がある不心得者のものはすべて外した。
悪くない。だが、
フラダリラボの社長は履歴書を見て眉間に深い皺を刻んだ。
フワ・アトリ。
この男は最終試験に回すべきかどうかを決めあぐねていた。
字に気合は入っている。面構えも悪くない。ペーパーテストはぶっちぎりのトップ。
マジックミラー越しに見ていた面接での受け答えも年の割にはしっかりした受け答えで目を見張ったのも事実だ。だが、彼の眼はほんの僅かな濁りが感じられた。
諦念と未練の狭間にあるようにユラユラと不安定に揺れている。
芯のないものは折れやすい。だが、彼からは切実な『何か』が感じられる。
「一度、直接話をしてみるのも悪くない」
アトリの履歴書を最終試験の方に回し、社長フラダリは静かに立ち上がった。