やや薄暗く、木々のざわめきと動物たちの声だけが場を賑やかしている深き森。
人里から遠く離れ、人の手が入らない古き森。
かつて聖地の一つとして文献に載りながら忘れられた歴史の末端。
精霊種と呼ばれる、人ならざるものが住まう密やかな土地。
しかし今は森自身の怨嗟がその中で渦巻いている。
世界から滅びよとの命令を受けている。
存在をなかったことにしろと圧力をかけられている。
――何故か。
それは世界の臣下たる精霊種が、安定の阻害要因たる人間の手に掛かろうとしているからだ。
例え末端であろうと世界の名を汚すことは許さない。
その様なことになるくらいならば潔く死を選べ。
森からの排斥処理、世界からの存在抹消命令。
そんな実に傲慢で残酷な世界の意志に晒されながら、一人の少女が逃げている。
追っ手から、狩猟者から、木々の隙間を飛び跳ね駆け回り、逃げている。
彼女の体が跳ねるたび、薄い茶毛の髪からのぞく犬耳が堅く閉ざされていく。
お世辞にも清潔とは言えそうにない布のようなものを身にまとい、涙を浮かべながら、閉じた森の中を駆け抜ける。
――自身の存在すべてを否定する
「いやっ! いやっ! いやーーーー!」
「いたぞっ、そっちだ!」
「高い金払って作らせてるんだ、捕縛錠を使えっ」
雉も鳴かずば撃たれまい。
だが少女は自らを否定する意思に恐怖し堪らず絶叫してしまう。
隠さねばならぬ自分の居場所を己が恐怖から明らかにしてしまった。
狩猟者からすれば好機この上ない、ならば捕まえようとするのは道理だ。
そもそもその為にこの場所で禁忌とされる行為をしているのだから、当然である。
「そらよっ」
投げられたのは円状に組まれた縄、それに少女は囚われてしまう。
動けば動くほど、逃げようとすればするほど、余計に絡まって抜け出せなくなる。さながら、蜘蛛の巣のように。
少女は目じりに涙をためながら、それでも必死に抜け出そうと挑戦するが、縄を投げた男にあっさりと首をつかまれて捕らえられてしまう。
少女の細腕では振りほどくことなどできない。
そも、精霊種が人間に抗うことこそ不可能なのだ。
決められた法則、定められた常識。きっとそれは、当たり前。
「やめろっ、離せ!」
「じたばた暴れるな、諦めろ」
必死の抵抗も虚しく、男の太い腕で押さえつけられる。
力の弱い精霊種は人間でいう子供と同じ程度の腕力でしかない。
少女はもちろんのこと、例え成長して大人になったとしても変わらず人の子供並の力なのだ。
万が一、億が一、どんな奇跡が起きようとも、男達のような狩猟者を生業としている人間を正面から相手にして、力ずくで敵うはずが無い。
「おーし、一匹確保。これなら七千万ソルにはなるだろ」
屈強な男たちは暴虐の限りを尽くす。
資源保護などといった言葉などは知らないのだろう。
そもそも自分達の利益さえ上がれば十分なのだ。
精霊種など、勝手に増えていくのだから定期的に刈り取って数を調整してやっている。
男たちのような人種にとって、精霊種はその程度の認識なのだ。
時を同じくして、あちらこちらで獲物を得たとの声があがる。
これはまさしく天地の恵みと男たちは狂喜する。
だが、天も地も、男たちのような存在はけっして祝福などしていない。
あまりにも、思い上がりが過ぎる。
しかし、それだけ自信を得るに至った実績が男たちにはあるのだ。
「こっちもだ。猫だぜ、珍しい」
離れた場所から聞こえてくる野蛮な声に、先ほど囚われた少女は体を硬直させた。
最悪な状況が思い浮かぶ。
それは、姉妹のように育ってきた精霊種の少女が同じように捕まった可能性があるからだ。
しかし現実は非情。起きて欲しくない事柄が起きてしまうことは、この森においてはある種の必然。
そういう運命なのだ、残念ながら。
「楓お姉ちゃんっ」
「なっ、カナメっ! この馬鹿!」
やはり少女の懸念は当たってしまった。
少女と同じように薄汚れた布のようなものを身にまとった猫に似た耳を生やした少女は、魔術師が己の力を用いて編んだ縄で縛られていた。
罪人を拘束する縛り方であり、物として扱うことを暗に示している。
所詮換金されるだけの哀れな生物という認識でしかないのだから、当然の行為だ。
楓と呼ばれた少女にとって、ネコミミの少女は妹も同然の存在。
自身を囮にしてでも逃したかった、愛すべき家族なのだ。
「どうして隠れてなかったの!」
「だって、お姉ちゃんがいなかったらあたし…」
彼らの聖域から出てこなければ、祝福を受けたもの以外に見つかるはずは無かった。
よしんば見つかったとして、猫啼族なら逃げられた。
それでも少女が捕まったのは、姉と呼び慕う犬伏族の少女を犠牲にしてまでのうのうと生きたくはなかったからだ。
頼れる者も無しに、まだ幼い少女が心を壊さずに成長できるだろうか。
しかしそんなことは狩猟者が知る由もないし、どの道売ってしまうのだから知っていたところで何をしようとする気にもならない。
物に対する慈悲など腹の足しになりはしないのだ。
「煩えガキ共だな、少しは静かにしてろ」
男が殴ろうとするが、別の男に肩を叩かれる。
軽い静止の合図。精霊種が可哀そうという気持ちを小指の先ほども持ち合わせていない彼らからすれば、利益が損なわれるという意識で止めているだけだ。
コストが利益を上回るようであれば精霊種を殺すこと自体に一切の抵抗はない。
それに今回は一生に一度あるかないかというほどの大漁だ、多少のロスは発生しても構わなかった。
それでもより稼げるのなら、自重するべきだ。
「おい、傷つけるなよ。商品価値が下がる」
「わーってるよ。おいお前、次騒いだら一番酷え場所に売り飛ばすからな」
――精霊種は高値で取引される。
所有者として印をつけられた人間には逆らえないという種としての基本的特性と、見目麗しい容姿、なおかつ大量の魔力を保持している点が彼らの価値を高騰させる。
生息地こそ世界各地に存在しているが、特殊な技能や道具がなければ生息地を見つけることすらかなわないという希少性。
そして捕獲時に下手を打てば精霊種に自害され、捜索にかかる費用が無駄になるギャンブル性。
精霊種の価格を高騰させているのは、需要の多さに対して供給が安定させることが不可能だからである。
もちろん、常に精霊種が大量に見つかるというわけではない。
しかし、種族を超えて群生する習性をもつ精霊種の住処を一度見つけることができたならば、大人数で動いても向こう3年は遊んで暮らすことが出来る。
「怖いよ、お姉ちゃん…」
「っ、お前ら!いい加減にしろ!」
怯えるカナメを見て、楓は怒鳴る。
武力でもって森を制圧した男たちのことは怖い。
しかしそれ以上にカナメと呼ばれた少女を失うほうが、怖い。
セミロングの髪をわなわなと震わせて吠えた。
抑えられぬ感情が暴走する。今すぐこいつらを殺せと心が叫ぶ。
「カナメを怖がらせるな!この能無し軍団!」
「へっ、そのちっこい体で何が出来る。処女が嫌いな依頼主だっているんだぜ?」
「――っ、死ね!」
下卑た言葉を吐く男に少女は激怒し、攻撃を入れようとする。
振り上げた足は金的を狙うが、戦闘に慣れた男には通じない。
一般例としての話ではあるが、精霊種は、特に少女タイプの精霊種は、人間の男に対して攻撃を仕掛けるとすれば、ほぼ必ず急所と言っていい。
非力であるからこそ奇襲での一撃で脅威を排除しようとする。
しかしそのことを知っていれば、止める事は容易だ。
「甘いなお嬢ちゃん。その程度、見切れないほど弱くはない」
「くっ!人間風情が、私たちに手を出すなんて愚かな!」
「その人間風情から逃げてたのはどこの精霊種だったかな」
勝ち誇った笑みで、男はニヤニヤ笑う。
他にも続々と精霊種が集まってきていた。
これだけの狩場、どうして今まで誰にも気づかれなかったのか不思議なくらいだ。
騒ぐ少女たちを檻の中に押し込み、馬車へ詰め込む。大部分は逃げられたが、またここを襲えばいいだけだ。
「これくらいでいいか」
「二十匹か、今回は大量だな」
一匹頭の最低価格が三千万ソル、上手く売れれば全額で一生を楽して暮らしていくのも可能だ。
酔狂な金持ちがオークションで高額落札することも珍しいことではない。
「かー、これだからやめられないぜ」
「今から皮算用か、気が早いな」
嬉々としてソロバンを弾く男に、別の男は率直な感想を述べる。
まだ捕まえて一箇所に集めただけだというのに。
しかし、そう考えるのもある意味当然だ。何故なら。
「ったりめえだろ、誰も俺たちを邪魔できねえんだから」
そう、彼らは精霊種狩りを行う者たちの中でも一目置かれている存在なのだ。
捕える精霊種の質は常に最高級、必然的に取引額も高額になる。
捕獲した数に至っては他の追随を許さない。
組織力もさることながら、個人的な戦闘力も各都市の守護騎士団がうかつに手を出せないほどだ。
彼らの邪魔をするものも、また横取りを狙うものもいない。
だからこそ、気が緩む。
「…ん、一人多くねえか?」
「下っ端どもが増減してるだけだろ。どの道、たいした事じゃない」
たった一人で何が出来るだろうか。
これだけの大人数に一人で挑むことなど無謀、せいぜいおこぼれに預かろうとした馬鹿な奴が紛れ込んだだけの話。
気にすることではない。しかし、それは本当に正しい選択だろうか?
「おい、こいつを荷台に載せとふがっ!」
つづきますん