ハイスペック退屈少女と陰キャで淫乱な黒い猫 作:カボチャスパークリング
株式会社A of the G。バーチャルミャーチューバーグループ、あるてまの運営企業であるその会社の一室。
「先日の配信、炎上しているんですが?」
「いいのいいの、ツッキーはドMだから」
ふかふかと沈み込むソファに寝そべったまま、箱庭にわが答える。対面のソファに姿勢良く座ったスーツの女性、神城姫嬢は、そんな反省のない様子に、ため息を吐いた。
「そういう問題ではなくてですねぇ」
言って聞くような人間ではないと分かってはいるが、立場上、言わねばならないことはある。彼女のそうした自由さは魅力でもあるが、行き過ぎた行為はあるてま全体の評価を貶めるからだ。
残念ながら彼女はあるてまのセンター、影響力は大きい。
「冗談冗談。ツッキーはね、定期的に刺激を与えておかないと
「相変わらず意味が分からないことを」
奇想天外な言動は彼女の持ち味であり、カリスマ性であるが、それを律する立場からすれば堪ったものではない。箱庭にわをあるてまに引き入れた神城姫嬢にまで、飛び火する可能性は低くないのだ。
バーチャルミャーチューバーというのは、才能のある尖った人間ほど扱いづらい、とそれが面白くもあるのだと分かっていながら、矛盾した感情を抱かずにはいられない。
「
箱庭にわの雰囲気が変わった。
世界の表も裏も、光も闇も、希望も絶望も、見て、感じて、味わった彼女が纏うそれに、神城姫嬢は無意識に体を引いてしまった。
「ツッキー、派手に動いてるから、もう咎月荊の正体には気がついていると思うけど――――手を出したらわたし、怒っちゃうよ?」
ゾクッとした感覚が、まるで突然冷たいナイフの刃が背に突きつけられたように、神城姫嬢の爪先から頭の天辺までを走る。
今日は珍しく呼び出しに応じたと思えば本命はこれだったのかと冷や汗を流した。表面上は余裕を保とうと取り繕ってはいるが、虚勢でしかない。それほどまでに、箱庭にわから与えられるプレッシャーは凄まじかった。
「――ッ!……もう既に怒っているのではないですかねぇ」
「それは君の胸に聞くといいんじゃないかな?かなぁ?」
抑揚のない声はいつも通りであるが、その言葉に込められた重みが違う。迫力が違う。鋭さが違う。
違えれば、本当に箱庭にわという存在は、神城姫嬢の敵となる。そう思わせるだけの言葉であった。
「……そんなに大切ならずっと一緒にいればいいのでは?」
箱庭にわは自由だ。世界のどこへでも、いつでも、飛び回り、地球という箱庭を飛び回っている。神城姫嬢の疑問は当然のことだろう。
「誰もが皆、最初の一歩は自分の足で踏み出すものなのだよ。そして始まる旅は自由でないと」
「言っている意味が分からないのですが」
「あはー。分からないのはまだまだ君も旅の途中だからさー」
意味の分からない言動ではあるが、何となく、その答えは、これまでに築いてきた箱庭にわという存在にしか出し得ないものなのだろうと納得もした。
「あるてま、黒猫燦には感謝してるんだZE。ツッキーが楽しそうだ。その内、イタズラも必要なくなるよ」
抑揚が無くとも感情は読み取れる。
どこか弾むようで、けど少しだけ寂しそうでもあり、先を見据えるようなそれは、つまり、彼女が何かを予期しているということ。何か、大きな変化を。
「……貴女、彼女に何をやらせようとしているんですか?」
神城姫嬢は箱庭にわが、咎月荊の誕生に少なからず関わっていると思っている。で、あるならば、目的があるはずと考えるのが道理。
神城姫嬢の質問に、箱庭にわはにやりっと笑った。
「何も。ただ知って欲しいのさ。退屈している暇なんて世界にはないんだぜって。特に、
世界の端から端まで、北から南まで、天辺から地下まで。渡り歩く彼女が見つけた遊び場。
「――遊び尽くせない無限の箱庭なんだからねぇ」
箱庭にわの言葉に、神城姫嬢もくすりと笑う。彼女もまた、その無限の箱庭を楽しむ一人、あるてま二期生、リース=エル=リスリットなのだから。
「さーて、君の世界に咎月荊が踏み込んできましたが、これからどうする?」
イタズラっぽく訊ねる箱庭にわは、きっと返ってくる答えが分かっていたのだろう。
神城姫嬢もそれを分かった上で答える。
「――何も。私は私。あるてまはあるてまです」
堂々と。神城姫嬢として。リース=エル=リスリットとして。あるてまの一員として。
やることは、やりたいことは変わらない。
「そう言って、こそこそやるのが君なんだよなぁ」
「まさか。私は常に誠実です」
『ツッキー』には手を出さないが、咎月荊は別。そして、箱庭にわとしても、咎月荊にならある程度のちょっかいは許容する。そういう線引きを神城姫嬢は理解していて、ならば、それを楽しまないわけがない。
口でなんと言おうと、神城姫嬢の快楽主義的な思考を知るものならば、そう確信するのは当然だった。
そして、箱庭にわは『ツッキー』のこともまた理解していた。
「わたしより、ツッキーの方が怒ると怖いぜ?」
「………………それは承知してますよ」
「ですよねー、ぷぷっ」
『ツッキー』の怖さはこれでもかと知っている、と神城姫嬢は
楽しそうに笑う箱庭にわが心底憎たらしい。だが、やられっぱなしで終わるほど、神城姫嬢は可愛げのある女ではない。
「ところでにわさん、今日はもう一人お呼びしてるんですよねぇ」
「んん?」
嫌な予感がする。
持ち前の勘で、自らに危機が迫っていることを悟った箱庭にわであるが、ここは高層ビルの上層階、出入口は一つ。流石の箱庭にわといえど、逃げ場はなかった。
「にわちゃん?私言ったよね?人様に迷惑かけちゃいけないよーって」
ゆっくりとドアを開けて、入ってきたのは来宮きりん。
箱庭にわを含む、あるてま1期生のまとめ役。その性格は真面目で優等生、そしてスパルタ。
ニコニコと笑ってはいるが、目は完全に笑っていない。こうなった彼女は相当にヤバイことを、あるてまなら誰もが知っている。
嵌められたぁ!という顔をして逃げ場を探している箱庭にわも、それを楽しそうに意地悪そうに見ている神城姫嬢も、だ。
「ちょーっとお話しよっか?」
この後、神城姫嬢がこっそり呼び出していた、来宮きりんによって、箱庭にわは滅茶苦茶怒られた。
◆
満開の桜、散りゆく花びらが池泉に落ちては、そのあまりに美しい庭を彩る一部として溶け込んでいく。
その計算し尽くされた庭の中で、作法も何も関係ないとばかりに地面に胡座をかいて座り込む少女。
そして、それを咎めるでもなく、木造の歴史を感じさせる屋敷から、心底不思議そうに見つめる少女がもう一人。
『――何故、貴女はそんなに楽しそうなのですか?世界はこんなに退屈で、無意味なのに』
屋敷の中から少女が訊ねる。
神秘的な銀髪に、空よりも澄んだ青い瞳。屋敷の縁のギリギリに立って庭に座る少女を無機質な瞳で追い続けている。
『君がそう思うならそうなんじゃない?コインに表と裏があるように、薬と毒があるように、太陽と月のように、ね』
どちらの面を表と定義するかで裏もまた定義される。
薬は時に毒へ、毒は時に薬に変わる。
太陽に照らされている人がいるとき、反対側では、闇夜の月を眺める人がいる。
『だから、楽しそうに見えたのなら、それは君が望んでいるからさ。わたしの何かを望んだのだよ』
『私の、望み……?』
考え込む銀髪の少女に、庭に座り込んでいた少女は立ち上がると、ゆっくりと、屋敷に近づいていく。
そして、銀髪の少女のすぐ目の前にまで近づいたとき、銀髪の少女は俯いたまま声を発した。
『退屈、なんです。どうしようもなく退屈で、果てしなく同じで――私が何をしたいのか分からないんです』
消え入りそうな、空気に溶け込んでしまいそうな、か細い声。
ただそれは、彼女の封じ込めていた、奥底に沈んでいた、何かの鍵を破壊した。
『――貴女なら分かりますか?
私の意味って何なんでしょう?こんなにも退屈なのに、それでも生きる意味って何なんですか!』
溢れる。
どうしようもなく抑えきれない衝動が。決して解けない疑問が。正体の分からない、満たされることのない渇望が。
解き放たれて、戻らない。
『知りたいなら、わたしと一緒に来るかい?とっておきの場所へ連れて行ってあげよう』
少女は笑って手を伸ばす。箱庭に閉じ込もって完結している少女に。
その手を取るか、取らないか。
その決断は、すぐに成された。
『――貴女、名前は?』
『――箱庭にわ』
箱庭にわの手に、白くて細い手が、ゆっくりと重ねられた。