神楽舞   作:永遠の刹那98

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第1話

第1話 そうだ、東京へ行こう

 

  

 

結局、羽入は私が怖い夢でも見たのだと判断したらしく、改めておやすみの挨拶を交わすと安心した様子で床についてくれた。すぐに寝息を立て始めた寝顔はひどく安らかなもので、自分が私の代わりに殺されるためにここにいるのだという自覚は全くないと見える。

 

……しかし、わざわざ人間としてこの場にいるのに、相変わらずあの目立つ角を生やしたままなのはどうなのよ。

 

羽入が深い眠りに落ちたのを見計らって起きだした私は、柱の日めくりを確かめてみた。

 

「……なるほど」

 

ひとつ納得したのは、いまが『昭和57年の』5月だということ。

 

それなら沙都子が沙都子の家にいて当然だ。

 

まだ意地悪叔母も悟史も健在で、沙都子は鉄平も含めた4人で北条の家で暮らしており、その心を日に日に追い詰められているはずだ。悟史が身体を張って守っているから、当面壊れてしまうことはないから急は要しないが、見ていて痛々しい姿であることは確かだ。

 

その沙都子のために魅音が部活を作るのはこのしばらくあとで……、ああそうか、レナもついこの間転校してきたばっかりなんだっけ?

 

やれやれ、1年も前まで戻れたのはもうずいぶん前のことだから、埋もれた記憶を掘り起こすのも大変だ。事の前後を間違えるとみんなと話が合わなくなる。これから起きる重要なイベントは……部活の結成、詩音の帰還と、それに……4年目の祟り、か。

 

この中で一番厄介なのは言うまでもなく、4年目の祟り。

 

悟史を失踪させ、沙都子を著しく傷つけるこの事件、言うまでもなく私は阻止するために思いつく限りのあらゆる手を打ってきた。けれど58年の鉄平の帰還と同じく、何をやっても最終的には破滅的な結末を迎える袋小路のひとつなのだ。羽入という予定外のキャストが一人増えたところで、その結果は動かないだろう。

 

……でも、諦めるものか。

 

私はこの難問にあてはめるべき公式、あるいは特効薬の処方箋とでもいうべき『答え』を持っている。それは明快な解答ではないけれど、迷路の行き止まりを強引に打ち崩し、新たな道を作り出した『前例』がある。

 

そう……その名は、前原圭一。

 

圭一がこの雛見沢に現れるのは昭和58年5月。

 

だからこそ、この運命は私がどう頑張ったところで覆すことができなくて、同時にこれまでの私は彼に頼ることさえ思いつかなかった。

 

だけど、今の私はその『前例』、前の世界や、その前の世界で圭一が見せてくれた本当の奇跡を知っている。暴走したレナに優しい心を取り戻し、鉄平の魔の手から沙都子を救い出し、北条家を巡る悪しき因習さえ打ち破って見せた前原圭一の真価を知っている。

 

彼さえこの昭和57年にいれば、何らかの糸口が見える可能性はある。そして彼を中心に仲間たちが結束していけば、次に待ち構える5年目の祟り、今回は私ではなく羽入を狙ってくるであろう鷹野の陰謀に立ち向かうにもずっと有利になるはずだ。

 

問題は……もはや羽入という反則ストーカーも失い、女王感染者でなくなった以上村の年寄りに対する求心力もない、ただの小娘でしかない私がどうやって圭一をこの雛見沢に呼び寄せることができるか、ということだが……。

 

「……やってみなけりゃ、わかるもんか!」

 

どうやら私も、ずいぶんと圭一の影響を受けているらしい。

 

その事実には苦笑するしかないが、とりあえず有利なこともある。

 

今回、私が女王感染者でないということは、羽入はともかく私自身には山狗による厳重な監視は行われていないだろうということ。そして、村人達が発症してしまう恐れを気にせずにこの雛見沢を遠く離れる自由もあるということだ。

 

……となれば、ちょっと大胆な手を使うことができる。

 

「羽入、ちょっとボクは泊まりがけで旅行してくるのです。お土産にシュークリームを買ってきてあげますので、心配はしなくていいのですよ」

 

朝。

 

姉妹ふたりでちゃぶ台を囲む朝食を終えると、私は羽入が寝ている間に用意しておいた荷物やよそ行きの服を身につけてそう言った。

 

「と、泊まりがけですか!?……あぅ、シューは嬉しいのですが、いったいどこへ」

 

「乙女の秘密なのです、にぱ~☆」

 

有無を言わせず、散歩にでも出るような軽い足取りで防災倉庫を出る。羽入は心配そうにあぅあぅ言いながらも、自分がついてくると言うこともできない。なにしろ女王感染者である羽入は両親がいた頃からおそらく何も知らない妹の私には内緒で雛見沢症候群の研究に協力しており、その立場故に遠出は許可されない身なのだ。

 

「梨花~、気をつけるのですよ~!」

 

そして、時期がよかったというしかない。

 

連休の旅行なら、私くらいの子供が一人で電車に乗っていてもそれほど不審には思われないだろう。もし駅員とかになにか聞かれても、一人で親戚のところへ行くのです、と無邪気に答えてやれば深くは追及されまい。

 

そして泊まりがけだと言ってある以上、羽入への連絡さえ欠かさなければこの2~3日は自由に動けるということだ。

 

……目指すは、圭一のいる東京。

 

記憶がいまひとつ鮮明ではないが、以前圭一が雛見沢に来ることになった経緯を調べるために羽入を派遣したから、だいたいの住所もわかっている。あとは向こうについてから前原伊知郎の名前をたよりに電話帳なり交番なりで調べれば、きっと圭一のところに辿り着けるはずだ。

 

辿り着いて私のことを何もしらない圭一に何をどう話せばいいのかは正直見当もつかないけれど、それはこれから考えればいい。

 

とにかく今は、圭一のところへ行くことが大切なんだ……!

 

興宮から穀倉、穀倉から名古屋に出て、虎の子の貯金をはたいて生まれてはじめての新幹線に乗ったものの、連休中のせいかどこにいっても混んでいて、座席に座れなかった。

 

実際、遠出する経験のなかった私には新鮮で、同時に不安でもある。

 

百年かけても見たことの無かった景色が流れていくのを眺めつつ、奇跡を目にしながらも最後は惨劇で終わってしまった前の世界に思いを馳せる。

 

あの世界で、圭一は私にも魅音にもどうにもできなかった北条家に対する村八分、それをひっくり返した。沙都子や悟史を嫌っているものなど誰もいないのだという事実を村の皆に突きつけ、あれほどかたくなだった村人たちを沙都子のために立ち上がらせた。

 

私が鷹野に殺されず、あの世界がずっと続いていたなら沙都子は村の皆に可愛がられて、私の知らない優しい世界で生きていけるはずだったのに。

 

なのに結局、沙都子や皆を私の運命に巻き込んでしまった。

 

誰にも話さなければ殺されるのは私だけで済んだかもしれないのに、皆に真実を話したばっかりに、それを信じてくれたばかりに皆は仲間である私のために立ち上がって、そして……私を守るために次々と殺されていった。

 

私の、目の前で。

 

幸せな世界が、鷹野の銃弾で壊されていった。

 

……でも、この世界の皆は生きている。

 

あのとき傍観者だった羽入も、私との旅の記憶を失ってこそいるものの自ら舞台に上がり、レナも魅音も沙都子も、悟史でさえもいまは無事な姿でこの世界に生きている。

 

正直なところ、この最後の世界で皆を巻き込んでいいものかどうか、迷っていないとは言い切れない。羽入は私にとっては大切な存在だけど、皆にとって仲間といえるのかどうかは微妙な気がする。

 

……でも、私は私が死にたくないという我が儘のために無数の世界で皆を惨劇に巻き込んできた罪深い人間だ。これが最後の世界になるのだから、いまさらきれいごとを言う気はない。どうせなら最後まで、我が儘を貫かせてもらおう。

 

羽入も圭一も皆も、できれば誰一人欠けることなくこの最後の世界をせいいっぱい駆け抜けて、まだ見ぬ昭和58年の夏を笑顔で迎えたい。

 

そのためなら、こんな苦労は……こんな……、

 

「み、みぃぃ……」

 

……こんな苦労だけは勘弁して欲しい。

 

どうにかお昼過ぎには東京についたものの、

 

「こ、ここはいったいどこなの……?」

 

いままでの世界で女王感染者として行動を制限されていた私が行ったことがあるのはせいぜい日帰りで穀倉あたりまで。名古屋や東京の人の多さ、立ち並ぶ建物の多さときたら目が回りそうだ。

 

わ、私って、思った以上に井戸の中の蛙さんだったのね……。

 

泣きそうになりながら路線図を見上げるのだけど、どこをどう乗り継げば圭一の住所に行けるのかさっぱりわからない。かといっていくらになるかわからないタクシーを使うほどの経済的余裕はないし……。

 

みぃぃ、羽入でも圭一でもいいから助けて……。

 

こんなときだけは、いつものように羽入がそばにいてあれこれ口出ししてくれないのを寂しく思ってしまう。

 

肝心なときに役に立たないッ!

 

これがッ!

 

これがッ!

 

これが『ハヌー』だッ! そいつに取り憑かれることは万死を意味するッ!

 

……とか言ってる場合じゃなかった。

 

「こ、困ったときは……誰かに相談するのよ……うん」

 

結局……雛見沢の商店街全部よりも確実に広い駅の構内を1時間ばかり右往左往したあげく駅員さんに相談することにした。

 

「大丈夫かいお嬢ちゃん、具合悪そうだけど……」

 

駅員さんは迷子然とした私に苦笑しながらも、丁寧に乗り継ぎを調べて説明してくれた。

 

……ありがとう国鉄。

 

都会の電車はあまり間隔を置かずにきてくれるおかげで、乗り継ぐのも簡単だ。

 

これが興宮あたりだと、1本乗り遅れると30分待ちなんてのはざらだし、時間帯によっては2時間待つはめになることもある。

 

そのおかげもあって1時間ほどで圭一の住む街にはたどり着けたけど、それからがまた大変だった。

 

「お、おなかすいた……」

 

へろへろになりながら駅前の喫茶店でとりあえず遅めのお昼を済ませることにした。喫茶店くらいなら興宮で入ったことがあるから、平気よ。うん。

 

……多少見慣れないメニューに戸惑ったりもしたけど、平気なんだってば。

 

とりあえずお値段に見合っている程度の食事を終えた私は、町内案内図と記憶にあるうろ覚えの住所をたよりに歩き回ったんだけど……ぐるぐるぐるぐる。

 

「みぃぃぃぃ……」

 

最初は住宅街の中を、一軒一軒表札を見ながら歩いていた。

 

この時点で認識が相当甘かったと言わざるを得ない。あまりの家の数に呆れた頃に集合住宅、いわゆるマンションを見つけてしまって、これを全戸調べて回るのは無理だという結論に達したのだ。

 

我ながら気づくのが遅すぎる気もする。……ほっといて。

 

次に、予定通り電話ボックスを見つけて電話帳で前原伊知郎の名前を捜した。

 

これは大当たりで、正確な住所番地がわかった。

 

でも具体的にどう行けばいいのかはさっぱりわからなかったので、いったん駅前の交番まで戻ってお巡りさんに道順を尋ねることにした。

 

駅へ戻る道を一本間違えたせいで遠回りになってしまって、交番に着く頃にはもうすっかり日が落ちていたのでお巡りさんはすこし不審そうな顔をした。

 

「し、親戚のお家へ行きたいのですよ……」

 

それでも道に迷ってしまったという私の言葉を信じて、ちゃんと教えてくれた。

 

先方に電話してあげようかとか送ってあげようとか言われたけど、一人で行って驚かせたいのだとやや苦しいかもしれない言い訳をして交番をあとにした。

 

……ありがとう警察。

 

ここで踏切を越えて、あの角を曲がって、あっちの橋を渡って……。

 

正直、長旅の疲れもあって小学生の身体にはなかなかに厳しい。

 

……身体年齢があと5つもあればっ!

 

とお約束のないものねだりをしつつも、思い直す。

 

交通機関の発達した都会の人間と違って、雛見沢に暮らす私たちは自分の足で裏山を駆け回り、それなりに遠い興宮へだって自転車でしょっちゅう往復する生活をしているのだ。この程度でくじけるわけにはいかない!

 

……それよりもめげそうなのは、どうやって圭一を説得するかだ。

 

圭一の存在が鍵になるというのは既に私にとって確信だったが、彼を1年も早く雛見沢に招くということがどれほど困難なことになるかはさすがの私でも理解できる。

 

まず、雛見沢にはまだ前原屋敷がないのだ。

 

伊知郎が別荘地の下見ツアーに参加するのはちょうどこのくらいの時期だったはずなので建設開始は夏の終わりくらいになった気がする。

なんとかしてはやめに建てさせても、冬までに完成すれば御の字だろう。

 

でも、それでは4年目の祟りに間に合わない。

 

圭一だけでも早々に転校させなければ。

 

……その、転校だって相当に厳しい。圭一は2つ年上だからいま中学1年生のはず。

 

本人の意思はどうあれ、圭一の両親が中学生になったばかりの息子をひとりで山奥の分校なんかに転校させてくれるだろうか……?

 

彼の親、特に父親がややエキセントリックな性格の持ち主であることは経験上知っているが母親はごく普通の常識人だし、雛見沢に引っ越してからもたびたび圭一を家に残して東京に夫婦で出かけてしまうことが多かったことからみて、彼らの仕事の中心はこちらにあると思って間違いない。

 

これほどに多くの障害を乗り越えなければならないのに、悟史や沙都子を救うには絶対に圭一が必要なのだ。

 

相変わらず羽入じゃないほうの神様は意地悪ね……。

 

羽入、いいえオヤシロさま。

 

私と圭一を導いて……その先の、未来へ。

 

「み……見つけた……!」

 

そして疲れた身体を引きずるように歩いて30分後、私はようやくこの世界の圭一が住んでいるはずのマンションを探し当てた。……というか、ぐるぐる歩き回ってるときに最初に見つけたマンションだったというのは皮肉な話だった。

 

あのとき一応全戸当たっておけば……というか導けって言ってるのに役に立たないわねオヤシロ様!(酷)

 

「えぇと……入り口はどこかしら……」

 

疲労困憊、ため息をつきながらもぐるりと外周をまわり、ふと見上げる。

 

見上げた視線の先……3階のバルコニーに立つ人影と、目が合った気がした。

 

ほとんどシルエットにしか見えないのに、私にはそれが誰なのか一瞬で理解できた。

 

覚えているだけでも百年来の大切な仲間だ、この距離でも見間違えるはずなんかない。

 

あぁ、涙が出そう。

 

彼が隣にいてくれさえすれば、どんな運命も怖くはない。

 

だから思わず、その名を呼んでいた。

 

「……圭一っ!」

 

やっと……、やっと会えた!


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