Only 10g of metal   作:おはようグッドモーニング朝田

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静寂と喧騒。現実と夢幻。世界はいつだって曖昧で不透明だ。未来なんてわからないし、愛が世界を救うだなんて信じられないけれど、この気持ちがあれば僕たちはきっと無敵だと思う。


愛は世界を救わない

愛は世界を救わない

 

 

 

「ねぇ」

 

 オルタとふたりで川沿いの道を歩く。桜前線が列島を縦断し尽くしてから幾日、俺と彼女が住むこの街も花見の活気が徐々に収束の色を見せ始めていた。しかし満開のピークは過ぎ去ろうと、ここは土手沿いに桜が肩身狭しとその身を長く並べる花見の名所。今も桜は散らしてなるものかと踏ん張りを見せ、幸い天候にも恵まれてかその彩を残している。そこに人が集まるのは道理というもので、夜にも関わらず屋台がずらりと立ち並ぶ通りにはたくさんの人が詰めかけていた。

 いや、夜だからこそか。暖かい色の照明や屋台の灯りにライトアップされ、夜の暗幕に桜色を主張するそれらは、いかにも風情、これぞ和の情緒といった感じで現代人にも雅な本能をガツンと思い出させる。

 会社帰りのサラリーマンや初々しい学生カップル、騒ぎたい盛りの大学生など、同性異性分け隔てなく花見宴会に興じる姿は、まさにこの世の春と言った様相だ。ビバ、夜桜。

 しかしここにいるほとんどの人は、その後のことなど考えていないのだろう。桜が咲いて、散ったそのあとにのこる真実のこと。巡る四季と時間、命。

 別に非難するわけではない。悪いとは思わない。ただ、ほんの少しの寂寥感が心をかすめて心臓を痒くするだけ。

 ぴゅうと弱い風が首を撫でる。春とはいえ、朝晩は冷えるな。

 川沿いを、屋台が並ぶメインの花見通りとは反対の道を歩く。こちらはライトアップの反対側になっており、まるでレールのように影が連なっていて向こうに比べて薄暗い。屋台も無い。そのためか、人はまばらで散歩にはうってつけだ。

 

「ねぇってば」

「なにオルタ?」

 

 左隣を歩くオルタに呼び掛けられそちらに顔を向けると、信じられないようなものを見る目をしている彼女と目が合った。何度も呼んでんのにその返しかよ、と表情が語っていた。気付いていたけど、なんかしょうもなそうだからスルーしてたんだよ。きみ、酔ってるし。

 繋いでいない方の手を見れば、缶のレモンサワーが握られているのがはっきりわかる。顔の赤さから見るに、たぶん3缶目だ。今日はゆっくり飲みながらのんびり夜桜を眺める花見散歩という趣旨ではあるが、そのペースは少し心配である。

 

「ちょとつまみたいから、これ持っててくれます?」

「はいはい」

 

 オルタから缶を受け取ると、彼女は指に引っ掛けていたビニール袋の中の焼き鳥が数本入ったカップから空いた左手のみで器用に1本取り出す。その流れのまま串の先端から2個ほど鶏もも(塩)を齧り取ると、あごをツンと突き出しちょいちょいと薄く開いた口に立てた小指を当てて何かをアピールしてくる。なに?

 

「わからない? なんのためのつまみだと思っているのですか、まったく」

「あぁ、そういうことね」

 

 彼女の意図するところを理解し、先ほど受け取った缶の飲み口を、餌を待つひな鳥よろしく待機するオルタの口元に運び、傾ける。両手がふさがり、為す術なくこちらが注ぐレモンサワーをその小さい口で受けるのみになっているオルタ。いや、為す術なくというのは、彼女が望んだことであるからおかしいかもしれないけれど、でもなんとなくこの状態を続けるのはまずい気がする。センシティブです。

 ちょうどよさそうなところで缶を離してやる。嚥下の音とこぼれかけた雫を啜る音が鼓膜を揺らす。謎の支配感。ちょっとテンションが上がった。いけないいけない。

 

「んっ……ぷは。うっま。最高の組み合わせねやっぱり」

「それはよかった」

「ほら、アンタも」

 

 ひょいと差し出された串に齧り付き、肉を抜き取って咀嚼する。む、しおっけと鶏の淡白な甘みの塩梅がいい。それをレモンサワーでさっぱりと喉奥へ押し込むと、なんとも爽やかな後味が口内に残って美味しい。もはや快感だなこれ。

 

「ね? なかなかイイものでしょう」

「参りました」

 

 ドヤ顔で串に残った鶏肉を胃に納める彼女に缶を返す。ごびりとそれも一息に流し込んで次のプルタブを引っ張るオルタ。以下繰り返し。振出しに戻る。飲ませ合い食べさせ合い。今度は豚バラ串だった。だからペース早いんだって。

 

「それで」

 

 つまみの串焼きを粗方平らげその胃袋に収納し、もう酒を流し込むのみの逆ドリンクサーバーと化したオルタが問いかけてくる。そんなに強くないんだから、そろそろやめれば……?

 

「ぼーっとしちゃって。さっき、何を考えていたワケ?」

 

 さっきの呼びかけを何回かスルーした時のことだろうか。気にしていないようで、気にはなっていたみたいだ。

 思い出そうとして記憶を手繰るふりをして言葉を選ぶ。彼女はこう見えて季節イベント大好きウーマンなので、変に水を差すようなことを言うと「何よ文句ある?」と楽しげな気分を壊してしまいかねないのだ。

 

「こうも賑やかにさ、みんな集まって騒いで盛り上がってるじゃない。だからさ、なんというか……逆にこのピックアップ期間が終わった桜が無価値なんじゃないかって思っちゃったんだよね」

「花見シーズンをピックアップ期間って言うのやめなさいよ……」

 

 彼女は呆れがちにそう言い、ゲップを飲み込んだ。まだ理性が残っているようで安心だ。

 桜並木の背中の間から通りを見遣れば、人工の光が煌びやかにうねりを上げて波打っている。本来主役であるはずの春の代名詞を境に明と暗がくっきりと分かれたこの川沿いの道では、どこに主役がいるのか……何が主役なのか、ときどきわからなくなる。

 

「価値……ねぇ。アンタ、つまらないことを考えるわね」

「いや、桜見に来てるんだから桜の価値を考えるのはわりと理にかなってると思うんだけど」

「じゃあ、私たちは桜の花を見に来ているのですから? 咲いてない桜は無価値ね」

「えー。枯れ木も山の賑わいって言うじゃん」

「ぷふー! それ意味違うわよ」

 

 知ってます。オルタはニヤニヤと下卑た笑みでこちらを見上げている。彼女は俺の言葉の間違いを指摘すると決まってこう意地汚く、上機嫌に笑うのだ。その底意地の悪さを煮詰めたような表情が好きで、たまにこうやってチャンスボールを転がしてあげたりする。食らいついては水を得た魚のようにドヤるけれど、俺の用意した水槽の中だということには気づいていない様子。可愛いなぁ。

 しばし、お互いに何も話さない時間が続く。2人の間を風が通り抜け、足元に花びらを敷いていく。背の高い草が揺れて、時折川で魚が跳ねる。隣から聞こえる缶から液体を啜る音。目前の暗がりを睨みつける煤けた金の瞳、闇を吸って咲く彼岸の花のような頬の火照りが夜に映え、俺の意識を掴んで離さない。晩春の冷え込みにも動じない繋がった手が、心地よかった。

 

「物の価値なんて、流動的で不確実で、曖昧なものなのよ」

 

 静寂を破ったのは、隣を歩く彼女の方からだった。静寂、と言っても2人の右手側からは花見客の喧騒がひっきりなしに聞こえてくる。しかし左手側はキリギリスの鳴き声がはっきりわかるほど静かで、その間に挟まれたここはまるで夢現の狭間のようだ。

 そこそこに酔っているオルタはきっと夢心地で、普段なら言わないようなことを言ってくれるんだろうな、と冷静になっている自分がいた。

 そんな期待を裏切ることなく、饒舌に哲学めいたことを話し出す彼女。

 

「価値、なんてものを決めるのは所詮個々人の物差しよ。好きとか嫌いとか、信じたいとか信じたくないとか。そういうふわふわと実体のないものが物の価値を決めるの」

 

 ねぇ。例えば。

 

「芸術に、価値があると思う?」

 

 たまにはこういうことも考えましょうか、私たちだってクリエイターの端くれなのだし。そう俺に問いかけてこちらをじっと見つめるオルタは、祈るような、何かを諦めたような、そんな表情をしていた。

 俺は「一般的にだけど」と前置きしてから言葉を繋ぐ。

 

「教科書に載るような……あるいは大金が動くようなものは価値があると言えるんじゃないの? それだけたくさんの人に認められているっていうことでしょう」

 

 大きな美術館に飾られる、超高倍率のチケット、古くから続く伝統ある流派……捻りだそうとすれば、それなりの数の理由が思いつく。それらしい、もっともらしい、極めてごく普通の回答だ。

 それを聞いて、目の前の女は待ってましたとばかりに口の端を吊り上げた。よかった、これが正解だったみたい。

 

「その価値観で結論付けるのなら、この世で価値があるのは金塊だけね」

 

 オルタの熱を帯びた吐息が鼻先を擦って大気に溶け込んでいった。こう言ってはなんだが、酒臭かった。

 彼女は冗談とも真面目ともとれない曖昧な態度で言葉を続ける。酒気をたっぷり孕んだ溜め息は空気中を漂ってどこに向かうのだろう。祈りを届けるように空へ昇るか、はたまた諦念に似た何かを背負って地に落ちるか。

 

「芸術が何によってその存在を測られるかなんて、そんなものは決まっているわ。人の好みよ。それによって付与されるのは関心の度合いであって、価値じゃない」

 

 夜空を眺めつつ、左手の缶を揺らす彼女は、星を探しているのだろうか。しかし周囲の光が強すぎて、今日の星はその姿を捉えにくい。潤む瞳。染みたのは風か……それとも祭りの空気か。

 

「この世にある芸術には2種類しかないのよ。また見たい、もしくは聴きたいと思わせることができるものか、そうでないか」

 

 って、誰かが言ってました。

 体内で吸収しきれないアルコールとともにいとも簡単に吐かれたその言葉は、ある意味真実で、そして残酷な現実を内包していた。夜風にのり、桜の花びらと共に何処かへ運ばれていく彼女の言葉。俺はそれを目で追うことができなかった。オルタの瞳が離してくれなかったからだ。

 

「芸術に特別な力なんて無い」

 

 1度軽くなった彼女の口は、止まることを知らずくるくると回る。これを後々思い出したらきっと悶絶すること間違いなしだろう。しかし彼女は酔った時の記憶があまり残らないタイプなので、それだけが救いか。だからこそ何度も同じような過ちを犯すのだけれど。

 

「アート……音楽とか美術とか、芸術って言うモノは神聖視されがちというか、個々人の嗜好や思い出とマッチして美化されがちなのよ。その重なりは厄介で、魔法なんていう粗末な錯覚を生むの」

 

 人は、音楽を聴いたり絵を見たり、物語に触れたりして喜んだり悲しんだりする。それどころか、それらに元気づけられるとか、背中を押されるとか、時には救われたなど……そんなことまで言う人間もいる。

 そんな力はないのだ、と彼女は言った。

 芸術は、それに触れた人の感性や関心によって左右されるもので、誰にでも当てはまるわけではない以上、それは固有の力ではない。本来、受け取った人間の心を少し揺らすか揺らさないか……そんなちっぽけな力しかないのだ、と。

 

「心のちょっとした動きを個人の記憶、経験が共鳴して揺れを増幅する。その揺れが感情を生む。要は勘違いするのよ。それが魔法のカラクリです」

 

 言いたいことを全て言い終えたのか、オルタは持っていた缶の中身を全て煽り、艶やかな息を短く零した。

 俺は少し考える。これなんの話だったっけ、と。

 もういちど横を歩く彼女を見ると、先ほどまで空を見つめていたその双眸は、今度は夜桜と屋台、花見に浮かれる人々の方をじっと見つめていた。

 憧れと羨望、諦めと失望、嫌悪と無関心。その視線には全てが複雑にないまぜにされているようで、きっとそのどれもが不正解なんだろう。

 

「だから」

 

 彼女の右手にギュッと力が入る。

 

「桜の価値なんて今はどうでもいいことよ。誰がどう思うとかもいいから。私たちは私たちの物差しで、風情を楽しみましょう」

 

 薄く微笑むオルタ。

 

(あぁ、もう)

 

 俺はその表情を見るだけで、きっと今日の花見を美化してしまうのだろう。いつものいやらしい素の笑顔も好きだけれど、彼女はたまにこういう普段の意地汚さが隠れた表情もする。本当にずるいと思う。

 

「まぁ、彼らにとってはライトアップされた満開の桜が楽しみだし、音楽の魔法で人生変わるし、愛は世界を救うのでしょう」

 

 いいじゃない。それはそれで。人生楽しんだもん勝ちよ。

 

 そう言って彼女は俺が飲まずにとっておいた缶に手を伸ばした。

 強いな、オルタは。そう思いつつ、こちらの指にひっ提げる袋を漁ろうとする腕をはたく。引っ込めた手をさすり、恨みがましくこちらを見る……こともなく、いたずらがバレた小僧のように無邪気に笑う。

 祭りの雰囲気に中てられても、お酒のせいもあってかやけに哲学じみたことを語っても、横を歩く彼女は結局いつも通りで、こちらも至って普段と変わらない。桜の根元にふたりして寝転んで星を数えたりしないし、花びらを指先で遊ばせながら愛を語ったりしない。愉快に朝まで踊ったり、するわけない。

 

 熱くない。けれど、冷えてもいない。

 それは愛ではない。誰かが言うかもしれない。

 もとより曖昧なものだ。俺と、彼女なりの形にするさ。

 

 静寂と喧騒の境界を歩く俺と彼女。散った桜の花びらが道に降り積もり、ふたりが歩む先に線を引いている。不確かな物差しと絶対的な価値、曖昧な夢とはっきりした現実。混ざり合うこの世界を生きる俺と君の未来には、何が待っているのだろう。今確かなものといえば、左手を通して伝わる彼女の体温としっかり繋がった2人の距離か。

 きっと大丈夫だ。そう信じられる。根拠はないけど。

 不意に強くなった夜風が背中を押しのけ、そのまま通り抜けていった。髪が揺れ、思わず目を細める。隣を見ると、彼女も鏡合わせのように目を細め、まったく同じタイミングでこちらを見ていた。

 それがなぜだか面白くて、ふたりで笑った。

 道に積もっていた桜色の線がふわりと散って風に乗って天高く舞い上がる。あの花びらたちは空に届くだろうか。届くとしても、こちらの祈りは乗せて行かなくてもいいよ。天に願わずとも、大丈夫だから。

 

 熱くもないし、冷たくもない。

 

 伝わる体温は、至って平熱。

 

 きっと、愛は世界を救わない。

 

 けれど僕らはこの微熱を、愛と呼ぼう。

 

 

 

 

 

 

 

 

<おまけ>

 

ぐだ男「もう1つ確かなものがあった。それは邪ンヌが明日二日酔いになるということだ」

邪ンヌ「うぇ……きぼぢわるいぃ……」

ぐだ男「あー、だめだよ川にデロデロしたら。ほら魚が食べ物と勘違いして寄ってきちゃった」

 




ありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。

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