俺と天狐の異世界四方山見聞録   作:黒い翠鳥

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説明回……というか補足回。

一つ矛盾に気が付いたので、「File No.06『いつも月夜に米の飯』」の稲荷寿司の実食風景を一部修正いたしました。
改めて目を通していただければ幸いですが、面倒と言う方の為に今回もあとがきにて一行で説明いたします。


File.No.16  『女房に惚れてお家繁盛』

新婚旅行を終えてしばらくたったある日の事。

 

今日は家事も済んだのでミコトを膝の上にのせてまったりタイムを満喫中だ。

 

基本的に家事は俺とミコトで分担してやっているが、役割が決まっている訳では無くその日その日で役割が変わる。

庭掃除に関しては箒の付喪神(箒神)がやってくれるのだが、家の中の掃除は俺たちの役目だし、炊事洗濯はもとより俺たちが生活する上で必要となる仕事はいくらでもあるのだ。

 

特に手間のかかるのが炊事、すなわち料理だな。

俺一人(+コン)だった頃は適当にその日の気分で用意していたが、今はミコトもいるし将来的に家族が増えることも考えるとそのままという訳にはいかない。

 

一応、妖怪であるミコトは栄養を気にする必要がないので文字通り食べられればいいらしいのだが、どうせなら美味しいものを食べて欲しいと思う。

それに最近ミコトの料理の腕がぐんぐん上達しているので俺も負けてられないという意地もあるのだ。

 

マヨイガ妖怪の協力も得られるので一般家庭よりは遥かに手間がかからない筈なのだが、メニューを考え、食材を用意し、料理を作り、後片付けまでやるのはけっこう大変だ。

しかもこれが一回作るだけならどうとでもなるのだが実際には毎回毎日続くわけで。

栄養バランスは無論、同じような料理で飽きさせる事が無いようにも考えないといけない。

 

マヨイガならともかく普通は食事にかけられる予算にも限界があるのだ。

出来るだけ安くと考えると使える食材にも制限が出てくる。

その制限の中で毎日おいしく、栄養も取れて、飽きの来ない料理を作るのは並大抵の苦労ではない。

 

世の中の日々家事をこなしている方々には尊敬の念が堪えないな。

 

ちなみにコンは基本的に家事をしない……というか俺の出来ることに手を出さない。

俺が家事より優先するべき事をする場合や何らかのご褒美で代わりにやってくれることはあるので出来ない訳では無いのだが。

 

話が飛んでしまったな。

 

今のミコトは狐耳と九つの尻尾が出ている獣人形態(じゅうじんモード)だ。

 

俺の膝の上に乗っているのだから当然尻尾は俺に当たる訳で、ふっくらとした尻尾の肌触りが気持ちよくてついつい堪能してしまう。

ミコトもどうやら分かっていてわざと当ててきているようだし。

ならば存分に味わわせてもらおう。

 

この形態のミコトは妖怪としての力が解放された状態である。

以前、ミコトはリラックスする時に狐耳と尻尾を出すと言ったが、これは獣人形態(じゅうじんモード)が最も自然体でいられる姿だかららしい。

 

逆に人間形態(にんげんモード)ではどうしてもある程度緊張した状態が抜けないそうだ。

代わりになのか、だからなのか、人間形態(にんげんモード)では獣人形態(じゅうじんモード)に比べて集中力が高くなり、器用さが上がる。

 

妖術の精度も人間形態(にんげんモード)で使った方が高く、精密な動作が出来るのだ。

反面、威力や効果量に関しては獣人形態(じゅうじんモード)で使った方が高くなる。

最大でおおよそ二割くらいの差が出るかな。

どちらも一長一短あるので状況によって使い分けるのが理想だろう。

 

現世(うつしよ)に戻ったら人付き合いも多くなるし人間形態(にんげんモード)でいる時間が長くなるだろうが、コン曰く今修行している妖術を習得できれば獣人形態(じゅうじんモード)の状態で狐耳と尻尾を隠せるようになるらしいので上手く息抜きをしてほしい。

 

ちなみにミコトは髪型のせいで人間の耳が見えにくいのだが、獣人形態(じゅうじんモード)だと狐耳と人間の耳の両方が存在する所謂四つ耳である。

 

ミコトにはもう一つ経立形態(ふったちモード)という姿になることが出来る。

経立とは齢を重ねた獣が人間のような振る舞いをするようになった妖怪で、イメージしにくい人は鳥獣人物戯画辺りを見るといいだろう。

もしくは江戸時代末期の浮世絵師・歌川(うたがわ)国芳(くによし)の浮世絵にもそういった動物たちが多数出てくる。

 

この姿の時は元々服を着ていない(というか着る理由がない)のだが、七変化の術を覚えたことで毛皮を変化させて御粧(おめか)しするようになった。

 

人間形態(にんげんモード)獣人形態(じゅうじんモード)に比べると妖怪としての特性が強くでやすいという特徴がある。

より正確に言うなれば、自分の在り方に対して素直に行動するようになると言うべきか。

 

まず愛情欲求が倍増する。

その状態で俺との繋がりを求めてくるのだ。

具体的には何かにつけて甘えてくる事が多くなる。

 

もちろん理性による自制が効かないわけでは無いので時と場合は弁えてくれるが、隙あらば迫ってくるようになるのだ。

 

ミコトの姿は妖術での一時的な変化を除くとこの人間形態(にんげんモード)獣人形態(じゅうじんモード)経立形態(ふったちモード)の三種である。

意外なことに完全な四足歩行の狐そのものの姿にはなれないのだ。

一応、経立形態(ふったちモード)で四つん這いになってもらえばそれっぽくは見えるが、人間がハイハイで歩こうとするくらいには動きづらいとのこと。

 

 

 

ミコトは元【屏風覗き】で現【俺の番】という妖怪だ。

俺と結婚したことで屏風との縁は切れており、今はその性質がミコトの能力として残っているのみとなっている。

 

なのでもし屏風に何かあってもミコトに影響が出ることはない。

これは結婚式後にミコトにも伝えているので、以前懸念した思い込みで自己消滅なんてことにはならない筈だ。

 

一応、妖怪名としては【廻比目(めぐりひもく)】というものをつけている。

廻は繰り返すことであり、比目は仲むつまじい夫婦のたとえ。

比目の魚と言う目が一つしかない空想上の魚は二匹並ばなければ泳げず、いつも一緒に泳ぐ事からそう例えられた。

似たようなのに比翼の鳥というのもいる。

こちらは比翼連理という言葉が有名だろう。

 

まぁ、この名で呼ぶことはほとんど無いのだが。

 

ちなみに以前コンが口にした【嫁妖怪】という呼称だが、嫁という言葉は家長から見て息子に(とつ)いできた女性を指す。

俺は一人暮らしをしている身ではあるが、陽宮家の家長は親父なので親父の息子(つまり俺)の妻という意味だ。

 

他にも嫁いで来たばかりの女性すなわち新妻の事を指す場合もあり、そういった意味での【嫁妖怪】でもある。

しかし、現代でそんな厳密な意味で嫁という言葉を使っている人も稀だと思うので、語源の解説みたいなものだと思ってくれればありがたい。

 

ついでに勘違いしてはいけない要素として、ミコトは俺の【妻】ではなく【(つがい)】の妖怪である事があげられる。

 

ミコトにとっての(つがい)の定義はまさしく野生生物のそれであり、妖怪としての特性は「俺と最も相性が良くなる」というもの。

相性が良いという事は必ずしも俺の好みに合うと言う訳ではなく、出会えば必然的に()かれ合う在り方をしているという事らしい。

 

俺が再会後にひと月で結婚を決める事ができたのも──ミコトの命を救うためという事ももちろんあるが──ミコトに魅かれていたからだ。

ミコトに何事もなかったとしても結婚がもうひと月伸びていただけだっただろう。

 

なので俺の好みに近づいたり嫁力が高かったりするのは妖怪としての特性ではなく、ミコトの努力の結果である。

 

そして、【俺の番】という妖怪であるという事は俺が性別の概念を持つ生物に生まれれば必ず出会うという事だ。

 

【俺の番】という俺の存在が前提の妖怪になった事で、俺が寿命を迎えればミコトも遠からず消滅するようになった。

しかし、俺が新たに生まれ変われば、必ずミコトは俺の前に現れる。

もちろん陽宮ミコトとしてではなく、生まれ変わった俺と魅かれ合う相手として。

 

要するにミコトも普通に生まれ変わってくるのだ。

それが妖怪か、俺と同種か、それとも亜種かは分からないが。

 

実は自覚はないけど前世が妖怪って人はそれなりにいるのだ。

完全に人に生まれ変わっているので妖怪としての力は持っていないのが普通だが、ミコトは生まれ変わり前提の妖怪らしく、妖怪以外に生まれ変わっても特性は引き継ぐらしい。

もっとも、普通の生まれ変わりと同様に記憶は持ち越せないし、自分がそんな特性を持っていると自覚することもないそうだが。

 

ついでに言うと、当然ではあるが生まれ変わった俺の性別に合わせてミコトの性別も変わる。

ここまでで何が言いたいかと言うと、俺は生まれ変わっても毎回恋人が出来ることが確定しているのだ!

やったぜ!

 

まぁ、人間以外に生まれ変わった時、特に(つがい)の概念がない生物だった場合はどういう関係になるか分からないが。

 

これらの特性はコンが調べてくれた。

こういう解析とか分析の類はコンの得意分野である。あと呪の類。

 

この話はミコトにも伝えてある。

一応、今ならまだミコトの特性を変更する(捻じ曲げる)事が可能だからだ。

ただ、ミコトは「生まれ変わってもずーとタケルと一緒なのだ」と喜んでいたのでこのままで問題無いだろう。

 

あとはミコトの生まれ変わりが俺の生まれ変わりに愛想を尽かしてしまった場合もこの特性は消滅する。

自身の存在理由の否定による自己消滅というのが起きるらしい。

もっとも、ミコトの生まれ変わりは特性を受け継いでいるだけなので、受け継いだ特性がなくなるだけで済むが。

ミコト本人の場合は下手すると消滅しかねないが、そんな事態になる前にコンに矯正されるのは間違いないので心配してはいない。

そもそも愛想を尽かされるような事をするつもりは無いが。

 

そんなミコトはこの間の新婚旅行で妖怪としての格を上げている。

ただし『霊威』は変わらず880くらい。

上がったのは『霊気』と『霊躯』である。

 

霊気はその妖怪の持つエネルギーの大きさ。

霊躯は存在強度、すなわち各種耐性みたいなものだと思ってもらえればいい。

例の温泉で霊気は二割増し、霊躯は倍近く上がるに至った。

 

ではミコトにもう一度あの温泉に入ってもらったら更にパワーアップするのかと問われれば、答えは否である。

霊威を器に例えると霊気は中に満たされた水であり、今まで水が入っていなかった部分にも注がれるようになったという例えが近いか。

これ以上水を注いでも、器から溢れ出すだけである。

そういった意味では潜在能力が解放されたという表現が一番わかりやすいかもしれない。

 

霊躯の方は上がったというよりも元に戻ったという方が正しい。

ミコトは屏風覗きから俺の(つがい)になるために己を作り替え、結果として己の在り方を壊しかけた。

俺と(つが)って廻比目(めぐりひもく)となった事で一応の安定は見せたものの、体の中はまだ壊れたままだったのだ。

 

もちろんそれに対して俺たちが何もしない筈もなく、あの手この手で修復を試みたのだが結局は自然治癒を待つのが最善という結論に落ち着いた。

日常生活に支障はなかったのと、五年もすれば完全に治癒するというのがコンの見立てだったからだ。

 

それがあの温泉ですっかり完治したのである。

よほどあの温泉との相性が良かったのだろう。

 

なお、『霊力』の方は据え置きである。

そもそも一度にどれだけの力を扱えるかという、技術に関するステータスなので当然と言えば当然か。

 

もふもふな尻尾を心行くまで堪能し終え、そのままぎゅっとミコトを抱きしめる。

ああ、いい匂いがする。

 

ミコトは一瞬びっくりしたような反応をするも、力を抜いて体を預けてくる。

暖かな日差しに包まれて、ずっとこうして居たいと願うが、残念ながらもうすぐ夕飯の準備を始めなくてはいけない時間だ。

 

今日の夕飯当番は俺である。

さて、何を作ろうか。

 

昨日は海鮮丼と茶碗蒸しにお吸い物というメニューだった。

 

今日はリゾット辺りにするかな。

野菜とキノコ多めで。

 

肉類が無いのが本当に悔やまれるんだが、ルミナ神かフェルドナ神との取引で手に入らないだろうか。

 

 

 

そんな事を考えていると、腕の中のミコトが甘えるようにキューンと鳴いた。

 

「あなた、ずーと一緒なのだ」

 

その声に、やっぱりもうちょっとだけこのままでいようと思うのだった。




マヨイガで作った料理や食べ物は霊体と物体の境界が曖昧になるので霊体のコンでも食べられるようになるぞ。



結局何もしていない話なのである。

『女房に惚れてお家繁盛』

夫が女房に惚れ込んでいると、浮気や道楽に憂き身をやつす事無く一家は安泰であるということ。
また、女房が幸せである事が夫婦円満の秘訣だという意味。

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